賞金稼ぎ烈伝 Taizo!

第参拾壱話 世界首都

 世界首都、リューシャー。
 ここは隆臣、豪磨それぞれの辛い旅の出発点。そして……。


 泰造がこの都市から旅立ったは三年ほど前だっただろうか。首都、それに新しい町ということもあり、人の出入りも激しく、多数の賞金首が隠れ住んでいたリューシャー。そのような町だけに、自ずと泰造はここに長く留まることになった。大口の賞金首が東の田舎に逃げたと聞き、それを追って旅立つまで。
 そして、久方ぶりに見たリューシャーはあのころから見て大きく様変わりしていた。変わらないのは町の奥まった所に立てられた世界の支配者月読の宮殿・神王宮と、この町の発展の目まぐるしさだけだ。
 この真新しい町の中にただひとつ古めかしさを漂わせる神王宮はかつてラーナに建てられていたものをほぼそっくり移築させたものだという。
 なんでも、この宮殿には重大な秘密が隠されており、移築にかかわった一部の者は、移築の際にそれ見たものを公言されることを恐れた月読により一人残らず抹殺されたと言う噂まである。
 さておき、伝統と先端技術の入り交じったコトゥフ、工業の中心地で煤けた退廃的な雰囲気を持つヒューゴー、物流の中心でさまざまな文化も入り交じるウーファカッソォなど、今までに目にした都市はどれも何かしらの特徴を持っていた。
 そして、リューシャーもどの都市にもなかった独特の空気を持っている。真新しい町並み、目まぐるしく流れる交通、賑やかさ。華やか、と言う言葉はこの町のためにあるではないか、とさえも思わせる。
 泰造たちが空遊機を降ろされたのは、そんな町の中でも一番華やかな一角だった。立ち並ぶ店にはいずれもこれでもかと言うほどの装飾がなされ、あらゆるものが考えもつかないほど安い値段で、それでも買い尽くすことができそうもないほど売られている。物の数に負けないほどの人が行き交い、その中には見窄らしい姿の者など見当たらない。人々は誰もが楽しそうで、忙しそうで、退屈や孤独などとはまるで無縁に見える。
 この一角はリューシャーでも神王宮に最も近い場所。町角では風景に不似合いな無骨な衛兵が目を光らせている。そのため犯罪も起こりにくい。人々は安心して過ごすことができ、最も幸せな一時を過ごせる場所なのだ。
 泰造はこういう空気には今一つなじめない。だが、沙希は楽しげな雰囲気に眼を輝かせている。
「うわー、さすがは世界最大の都市だね!すごいすごいすごーいっ」
「浮かれるのもいいけどよ、今はそれどころじゃねーだろ」
 この町に豪磨が迫っている。それが本当ならば食い止めなければならない。そしてそろそろ決着をつけたいと泰造は思っていた。いま豪磨に対する有効と思える攻撃手段は恭の破邪詞と沙希の破魔矢。それだけだ。歯痒いが泰造には豪磨が二人を狙うのを食い止めることしかできない。しかし、奴を食い止められるのは自分だけだ、と言う自負もある。
 今は豪磨のあの嫌な殺意に満ちた気配は感じられない。まだ豪磨がここに来てないということだ。
 涼は飽くまでも豪磨がここに向かっているという噂を受け取ったに過ぎない。噂は必ずしも真実ではない。むしろ本来なら事実に反することの方が多いくらいだ。しかし、涼曰く風の噂の精霊の運んで来る噂はかなり信憑性が高いとか。だからこそ泰造たちもこうして来ている。しかし、たまに外れはあるとも涼は言っていた。
 その外れであったならどれほどよいことだろう。しかし、期待はできない。
 思えば豪磨は前回の死闘以来何の音沙汰もない。あのとき負った手傷が癒えるまで身を潜めているのだろうが、その沈黙がむしろ不気味だ。
 気配もないし、涼にも豪磨がこの町の近隣現れたという噂は伝わってきていない。まだ時間はある。ひとまずこの賑やかな町で羽を伸ばすことにした。

 豪磨は確実にこの町に近づいていた。人目を避けての徒歩の旅だったがようやくリューシャー郊外の小さな漁村にたどり着いた。
 この村からは彼方にリューシャーの町並みが朧に見て取れる。歩いて半日とはかからないだろう。
 かつてはリューシャーもこの村のような漁港だった。三巨都やラーナまで遠過ぎたため新鮮な魚を届けられる訳でもない。空遊機などまだないので驢駆鳥で半日程度の道程しか運べなかった。繁栄とは無縁の静かな一帯だったのだ。
 豊富な漁獲量を誇る海は美しさでもまた優れていた。珊瑚礁の浜辺は金色の砂が敷き詰められ、遠浅の海はどこまでも翡翠色に輝いていた。今はリューシャーからの汚水で汚れてしまい訪れる者も少ないが、かつては有数のリゾートビーチでもあった。
 そんな寂れかえった小さな村の潰れかけの宿は身を隠すにはちょうどよかった。まだ傷跡は痛むが刀を振れないほどではない。あと数日もこの村に留まれば傷は癒えるだろう。
 幼い豪磨を裏切り流浪の身、果ては罪人にまで貶めた憎き月読の住まう神王宮の影も窺うことができる。
 豪磨の心は逸る。一刻も早く月読を討ちたい。神王宮の人間は一人残さず血祭りに上げてやる。そして十三号だ。奴も俺の運命の歯車を狂わせた一人だ。たとえ逃げようとも地の果てまで追い詰めこの手で奴に死の制裁を加えてやる。
 豪磨の激しい憎悪は海の静けさに鎮められるでもなく、より激しく燃え盛るのだった。

 もう来ることはないと思っていた。
 このような賑やかで楽しげな空気は好きではない。それに、この町には苦い思い出ばかりがある。
 それでも隆臣はリューシャーに来た。
 あの最果ての町で少女と言葉を交わさなければそんな気も起きなかっただろう。
 あの短いが穏やかだった一時が、かつて伽耶、そしてたくさんの兄弟たちと過ごした楽しかった日々を思い起こさせた。孤独には慣れていたが、決して孤独を望んでいたわけではないことを思い知らされた。
 全てを捨てた隆臣。彼にもし故郷があるならばあの城、そしてあそこで過ごした日々。今、あの兄弟たちがどうなったのかは分からない。生きて奴隷のような日々を過ごしているか、それとも死を選んだか。いずれにせよもう会うことはないだろう。
 しかし、月読の実の娘である伽耶ならば、今もあの城の中で穏やかな日々を送っているに違いない。
 そう思うと隆臣はいてもたってもいられなかった。一目でいいから伽耶に会いたい。
 しかし、こうして神王宮を前にして隆臣は迷っていた。なぜ俺は伽耶に会いたいのか。会って何をしたいのか。その答えが見つからない。
 そもそも、俺が会いに行くことは伽耶にとってどうなのか。再会を喜んでくれるのか。それとも過去を思い出させつらい思いをさせるだけに終わりはしないか。
 そもそもどうやって会いに行くというのか。
 隆臣は神王宮を遠目に眺めながら悩むことしかできなかった。

 豪磨はいまだ姿を見せない。
 泰造たちも黙って様子を伺ってもいられない。
 ヒューゴーでの捕り物でいくばくかの金こそ手にしたものの、数日で使い切ってしまうだろう。その前に少しでも金を稼いでおきたい。豪磨がくればそんな暇は無くなるだろうし、ここで蹴りが着かなければまた追跡のために費用がかかる。
 ここはとても大きな町だ。神王宮の近くはさすがに治安が安定している。しかし、そんな地域ばかりではない。中心街を少し離れれば雑多な繁華街だ。他の町のように人々と物で溢れ、犯罪も普通に起こる。さらにスラムもあり、そこでは犯罪が日常的に起こっている。
 警備隊の詰め所に張り出された手配書の枚数もかなり多い。世界的な指名手配犯も全て張り出されているせいもあるが、リューシャーの自治体が手配している賞金首の数もまたかなり多い。顔まで書かれている手配書ばかりではない。これだけじゃどうしようもない、と言いたくなるような情報の少ない手配書もだいぶある。それまで含めると枚数は二百枚にも及ぶ。目を通すだけでも一苦労だ。
 ひとまず確実にこの町にいる賞金首のうち、情報がはっきりしているものだけを選び出す。これだけでかなり絞れる。除外された手配書は古本屋でも買い取りはしないだろう。あとで鼻でもかんで捨てることにする。
 絞り込んだ手配書を見ると、やはりスラム地区に所在が集中している。泰造と沙希は早速スラム地区に足を延ばした。
 リューシャーに聳える統治者月読の居城、神王宮。この建物の建っている土地はもともとあった土地ではない。遷都前はこの場所は海だった。大規模な埋め立てが行われたのだ。その埋め立てのために使われた土砂はすぐ近くの土地に大きな穴を掘り用意したものだ。
 遷都直後は郊外にあったその穴も今は成長する街に飲み込まれた。そしてその大穴に横穴を掘り住み着く者たちがいた。そしてその地区はそのままスラムとなる。大穴はいくつかあり、大小の差はあるがその全てに例外なく人が住み着いている。
 ここには既に世界首都としての華やかさは微塵も感じられない。この大穴には人が住んでいることなどお構いなしでゴミや廃液などが捨てられている。それらから沸き出す腐敗ガス、そして上からは急激に増えた空遊機の排気が流れ込んでいる。ここには全ての不要なものが集められているのだ。不要なゴミ、不要な排気、そして不要な人々。
 地下へと向かう階段はまるで地獄にでも通じているかのようだ。
「ひどい臭い……」
 沙希の顔色はよくない。田舎育ちの彼女にはここの空気は既に耐え切れないようだ。泰造もゴキブリ並の生命力を持ってはいるが長い時間はここの空気に耐え切れないだろう。
 だいぶ下まで降りて来た。階段はまだ続いているが、鎖が渡してあり通れないようになっている。ただ、民家らしき入り口がいくつか口を開けており、以前は上と同じように使われていた事が窺える。
 ここまで来ると穴の底の方もよく見える。激しい悪臭を放つゴミの山。しかし、目に見える部分は真新しいゴミであることが見て取れる。日々新しいゴミが投げ込まれているのだ。ここの人々は増え続けるゴミに追い出される。しかし、追い出された彼らはどこへ行くのだろうか。
 とにかく、この封鎖された地区は賞金首のような後ろ暗い連中が潜むにはちょうどいい。
 泰造は近くにいた住人らしい男に声をかけた。
「この先は行き止まりになってるみてーだけど、何があるんだ?」
「何もありゃしねぇよ。この先はあまりにも空気が悪いんで馬鹿がはいらねぇようになってんのさ」
「出入りしている怪しい奴とかはいねーか?」
「出入りしている奴なんざいくらでもいるぜ。俺たちにゃこの空から降って来るゴミが生活の糧だ。ゴミ漁りも結構金になるもんでな。まぁ、夜中にこそこそ何かしている奴らもいるぜ。来るなら夜中に来るんだな」
「そうか。さんきゅ」
「待ちな。一つ言い忘れてたけどな、夜に来るんなら覚悟しとけよ。ここのゴミ捨て場にゃ時々人の死体も捨てられるからな。出るかも知れねぇぞ」
「うえぇ、本当?やだー来たくないよぅ。早く帰ろうよぅ」
 沙希がごね出す。
「っていうか、いいのかよ、死体なんぞ捨てて」
「いい訳ねぇだろ。捨てる他にねぇから捨てるんだよ」
「訳有りってやつか。よく捨てに来るのか?」
「まさか。半年に一遍位さ。ここにゃ役人も番兵も来ないし、この辺の住人の言うことにゃ連中は耳も貸さねぇ。だからここに捨てちまえば安泰ってこった。毒を盛れば傷もできねぇから、墓も買えねぇここらの住人が死んだ家族を捨てたのか、殺されて捨てられたのかなんてわかりゃしねぇしな」
「墓くらいどこかその辺に建てるって訳にゃいかねーのか?」
「田舎ならともかく、この辺じゃ勝手に使えるような土地何ざありゃしねぇよ。死人を葬る墓場さえも金次第さ。貧乏人は住む家ばかりか死んだ後に入る墓さえないって事よ」
「この町じゃ死にたくねーな、野垂れ死にしたらゴミ捨て場に捨てられそうだ」
「よそ者か?道理でこんなところにのこのこ来やがるわけだ。この町の役人は税金を払ってない奴には非情だからな。金持ちが住み着く分にはいい町だろうが、よそ者や貧乏人にゃ住みにくいところだ。住み着く気がねぇんならとっとと帰るんだな」
 そういうこの人物も、税金を払っているようには見えない。住みにくい割にはなんで住み着いているんだろう。そう思いながら、泰造は住人に手を振ってこの場所をあとにした。

 夜。泰造は嫌がる沙希を無理やり引きずり出してスラムに再び足を運んだ。
 頭上の町は夜の訪れにさえ気づいていないのではないかというほどの賑わいだ。しかし、ここはまるで通夜のように静まり返っている。明かりを灯す家さえもない。
 穴の底へ向かう階段を下りるごとに町の賑わいは遠ざかり、闇と静寂が深まって行く。見上げても穴の底に溜まった煤煙が星の光さえも届かなくしている。まるで黄泉にでもいざなわれているような気味の悪さを覚えた。
 もはや沙希は言葉を発する余裕すらなくなっている。先程までは怖いだの気味悪いだの愚痴っていたが今はただ泰造の腕にしがみついたままくっついて来るだけだ。
 明かりと言えば泰造の持つカンテラのみ。足元と横の土壁をわずかに浮かび上がらせているだけだ。
「ん?」
「えっ、なになに!?」
 泰造が何かに気づいた。
「下の方に何か見えるな。何かが光ってるみてーだ」
「うぇっ?」
 恐る恐る下を見ると、闇の中に小さな淡い青白い光が明滅している。
「ひ、ひ、人魂!?」
「わかんねー、けど怪しいな。ちょっと近寄ってよく見てみようぜ」
「やだーっ!行きたくない、こわいよぅ〜」
 沙希は既に腰が抜けている。
「静かにしてろって。しょうがないな、ちょっと様子みてくっからここで待ってろ」
 暗闇の中に置き去りにされる沙希。ほんの刹那も耐えられる訳がなくすぐに泰造の背中に追いすがる。
「声が聞こえるな。そろそろ明かりを消した方がいいな、気付かれちまう」
 明かりを消す泰造。こうなると月明かりも届かない穴の底では手探りで進むしかない。
 青白い光に人影が浮かび上がっている。二人いや、三人だ。
「もう少しで終わるな」
「次からは新しい場所見つけないとなぁ。もう一杯一杯だ」
「そんじゃ、あとでここは塞いじまうか。そうすりゃ安心だしな」
「……よし、これで終わりだ。近くに残ってないか調べておけ」
 露骨に怪しげな会話をしている。
「沙希は中にいる奴をふん縛れ。俺は外をうろついてる奴らをとっちめる」
「まかせて!」
 相手が人間であることがはっきりして急に元気になる沙希。
 穴の底はゴミで埋め尽くされている。足場はよくない。物音を立てずに近付くのは無理だろう。ならばむしろ。
「うおおおおおお!」
 泰造は雄叫びとともにゴミを蹴散らし派手な音を立てながら男に突進する。突然の剣幕に相手は怯み動きが止まっている。そこに一撃を食らわせるのはあまりにも容易い。
「ふごぼっ」
 情けない声を上げて男はゴミと一体化した。
 もう一人の男は脱兎のごとく逃げ出す。ゴミを踏み越えながら追いつくのは難しい。泰造は手近なものをつかみ上げ放り投げた。壊れた椅子だった。
 椅子は直撃こそしなかったものの、男の眼前の壁にぶち当たり四散する。その破片が男をかすめ、男は動きを止めた。さらに泰造は物を投げ付けた。投げたのは壊れた木箱、今度は直撃だった。
 二人を縛り上げたころには沙希の方も片付いていた。
 青白い光を放っていたのはビンに詰められた液体だった。照明として持ち込まれたようだ。
「これなぁに?きれーい」
 沙希は先程までは人魂と言って怖がっていた光に見とれている。
「こりゃぁ、夜光花(ルミネ・フローラ)の絞り汁だな。結構高いものだったと思うんだけど。何をやってたのかはしらねーが随分と金回りがいいみてーだ」
 泰造はカンテラに火を入れ、男たちが何やらこそこそやっていた扉の中をのぞき込んだ。
 足元は気味の悪い汁で濡れている。吐き気のする嫌な臭いがする。生臭さと腐臭の混ざった臭いだ。部屋の中を照らすとすぐ目の前にまで何かが詰まっていた。一瞬、そこにあるのが何なのか分からなかった。白い管状の物体が壁を作っている。大量死した魚が白い腹を並べて水面を埋め尽くしている様に似ていた。
 沙希も横から覗き込む。今し方男を捕まえに入ったときは暗くて部屋の様子までは窺い知れなかった。改めて自分が入った部屋の姿を見て青ざめた。
「なに、これ」
 泰造は遠巻きながらカンテラを掲げ、よく目をこらしてみる。管状の物体に小さな突起があることに気付く。
「こりゃあ、芋虫じゃないか?すごい量の、芋虫の死骸だ!」
「な。何でこんなものを捨てに来てる訳?気味悪い!」
 沙希は思わず後じさる。
「何をやってたのかはわかりゃしねぇがこいつの顔は手配書で見たことがあるぜ。確か密猟者だったはずだ」
 沙希が捕まえた男を足蹴にしながら泰造が言う。
「こまけーことは役人が調べてくれるだろうよ。俺達ゃこいつを番兵に突き出すだけだ」

 翌日、泰造の案内で役人が穴の底を調査に訪れた。役人は穴の底の調査を渋っていた。あんな所人の行く場所ではない、と。しかし、泰造が人が住んでいる場所なのに人の行く場所じゃないとは何だ、あんなところにまで住まなきゃならない人がいるのはあんたら役人の不手際だろうが、とすごむとようやく重い腰を上げた。
 役人の姿を見るとスラムの住人は家に駆け込んでしまう。そして、こちらに冷たい視線を投げかけてくる。
「ひどい臭いだ。こりゃ封鎖区をもう少し引き上げなきゃならんな」
 役人はそんなことをぶつぶつと呟く。
 やがて穴の底にまでたどり着いた。相も変わらずひどい臭いだ。役人はもう防毒マスクなどの装備でしっかりと固めてある。後ろでふだん着のまま立っている泰造と沙希からみれば何だこいつは、と言ったところである。
「ここか?君達が言っていた扉というのは」
 役人は扉を開けた。泰造と沙希も後ろから覗き込む。昨夜、カンテラの明るさで見たときに感じた不気味さとはまた違う気味の悪さを感じる。何せおびただしい量の虫の死骸だ。
 役人は恐る恐るその芋虫の死骸を一つつかみ上げて明るいところに持って来た。腹の部分にナイフでも突き立てたような細長く深い傷があった。その傷の周りは虫からあふれ出た体液が固まりカサブタのようになっている。そして、それは透き通り輝いていた。
「これは。どうやら水晶虫のようだぞ」
 役人はボソッと呟いた。マスクのせいで表情は窺い知れないが、声色から察するに深刻な事のようである。
「どういうことだ?その虫は高く売れるのか?」
「まぁ、そんなところだ。正確に言えばこの虫の体液が高く売れるのだ。この虫は成虫になるときに水晶の繭を作る。この虫は水晶の体液を持っていてな。いま神王宮を覆う水晶のドームを建造しているのだが、そのためにこの虫の体液が高騰しているのだ。もともとこの虫は水晶があるところでしか繁殖できない。だから生息地が限られていてな。絶対数が少ないのだ。絶滅が危惧されている生き物を無碍に殺す訳には行かない。だから体液を取るにも注射器で少し採取する、と言うことしかできない。そのために採取量も少なくとても貴重なものなのだ」
「それにしちゃ、ここにある死骸の数は異常だぜ?」
「うむ。数の少ない水晶虫をこれだけよく見つけたものだ。恐らくは大きな巣でも見つけたのだろうが、この様子だとその巣も全滅だな」
「ひどい」
 沙希は思わず顔をしかめた。
「しかし、疑問が残るな。あの連中は賞金首、政府からは追われる身だ。神王宮の保護工事等という国家的なプロジェクトに関わってくるのは不可解極まりない。あのような輩が直接政府筋に話を受けるはずがない。誰かが仲介でもしているのだろうか?」
「そんなの、連中を締め上げりゃ吐くだろうよ」
「うむ、そうだな。では早速取り調べるとするか」
 役人は、この場所をとっとと離れる理由が出来たことに満足そうだった。

 ここでの取り調べは半ば拷問のようなものだ。罪人に対して寛大ではない。欲に目が眩んだ金欲しさの犯罪者など、多少痛めつけて死をちらつかせるだけで容易く白状する。
 密猟者の一味が裏にいる密売人の存在を白状するのにそれほど時間はかからなかった。密売人は夜の港に現れると言う。
 話を聞かされた泰造たちは、早速夜の港に潜伏し密売人が現れるのを待つことにした。夜の港は静まり返り、辺りには波音が渦巻くのみ。
 泰造は冷たい海風の中待ち続けた。まだ厳しい寒さはないが冬は確実に近づいている。北洋の海流が北の大地から寒さを連れて来ているのだ。
「寒いね」
 ぼそりと沙希が呟く。
「だな。とっとと出て来てくれりゃいいんだけど」
 しかし、泰造たちのそんな願いも空しく時間だけが過ぎて行く。
 沙希は泰造を風よけにして眠りこけ始めた。叩き起こす理由もない。泰造はそのまま変化が起こるのを待ち続けた。
 泰造の体は徐々に冷え、小刻みに震え出す。参ったな、こりゃ風邪ひいちまう。毛布くらい持ってくりゃよかった。そんなことを考える。もっとも、寒いのを耐えるくらいはどうという訳でもない。むしろ、この退屈さがたまらない。泰造は待ち伏せが苦手なのだ。まして、ここには見るものも何もない。出来ることなど体が冷えきらぬように手でもこすり合わせるしかすることがない。
 泰造の退屈も極致に達し、いっそ沙希をたたき起こして帰るか、などという考えがちらほら沸き上がり出したとき、視界の隅で何かが動いた。
 目を向けるとそれは明らかに人影だった。埠頭の先端に人が立っているのだ。それならば埠頭を歩いている姿くらいは見ていてもおかしくないのだが、それもなく忽然と開けた視界のど真ん中に現れている。
 ひとまず、沙希をたたき起こす。
「おい、来たぞ」
 寝ぼけつつも必死に集中しようとする沙希。冷えきった体は目を覚ますと同時に震え始めた。
「大丈夫か?」
「あんまり大丈夫じゃない、かも」
「よし、とっとととっ捕まえて帰ろうぜ」
「体が動かない」
「最初だけだ、動いてあったまりゃいつも通りになるさ。見ろ、奴は埠頭の先っぽに突っ立ってる。あんなところにいりゃ逃げ場はねぇ。一気にふん縛るぞ!」
 泰造は立ち上がる。沙希も思うように動かない体に鞭打ちどうにか立ち上がった。人影は動く気配がない。
 泰造は身を潜めていた物陰から一気に飛び出し、見る間に埠頭を塞ぐ。突然の出来事に人影は闇の中でも分かるくらいに動揺している。
「な、なんだお前は!」
 姿は分からないが声からしてみれば若い男だ。
「何とか虫の汁を買い取っていたのはお前だな?」
「何のことだ?俺は知らないっ」
「しらを切るんじゃねぇ!」
「俺はたまたま海を見に来ただけなんだ!」
「うるせー!こんな時間に港来る奴なんざ怪しいにきまってんだろーが!身の潔白を証明したいんなら役人の前で好きなだけするんだな!」
 泰造は金砕棒を横に構え男に突進する。泰造の横を擦り抜けようとしても容易に阻むことができるだろう。
 だが、男は泰造の意表をついた行動を取った。男は泰造に背を向け海に身を踊らせたのだ。風に当たるだけでも震えが来るほどの寒空だ。北からの冷えきった海流に飛び込めば一気に体力を奪われるだろう。
 さほど遠くには逃げられないはずだ。泰造はそう思いながら海を見下ろそうとした。
 その時。唐突に目の前に巨大な影が飛沫を散らしながら沸き上がった。泰造は弾き飛ばされ海に転落する。
 泰造の後ろに少し離れて構えていた沙希はその姿をはっきりと見た。人の胴程の太さを持つ、巨大な姿。夜の闇の中では巨大な大蛇の様にも見えた。だが、その尾にある鰭はそれが魚である証しである。その背に人が跨がっている。たった今目の前で海に向かい跳んだあの男である。
 魚影は微かな月明かりの中、水面を大きく乱しながら沖へと消えて行った。
「ちくしょー、なんだよ今のは!」
 ようやく海面に顔を出した泰造。辺りを見渡すがもう既に辺りには何もない。
「さっきの奴、どこに行ったか分かるか!?」
 沙希に問いかけてみると、沙希は海の方に指を指す。いくらそちらに目を向けても海原が広がるばかり。
「逃げられたってか?ちくしょー!おい沙希、さっきの水柱は何か分かるか?」
「うん、大きなお魚だった。大きなウナギみたいな魚。それに乗って逃げたみたい」
 海にウナギがいるわけないのだが、山育ちの沙希にはウナギとしか表現できない。
「くっそー、追い詰めたと思ったのに、海に逃げるなんて反則だぜ」
 泰造は海面を殴りつけた。
「しゃーねー、帰るぞ。あー、寒ぃ」
 頭からずぶ濡れになった泰造は吹きすさぶ風にさらに冷やされながらとぼとぼと帰途についた。

 宿に戻ったころには二人とも冷えきっていた。濡れそぼったままの泰造も、寒風に華奢な体を撫でられ続けた沙希も。
 宿の中は快適な温度になるように常時空調が効いている。少し落ち着きはしたが芯まで冷えきった体だ。やはり芯まで温めたい。二人は浴室に駆け込む。
「ちょっと待て、何でお前まで来るんだよ」
「あたしだって寒いもん」
「俺の方が体冷えてんだよ。大体こんな濡れた服いつまでも着てられっか」
 服を脱ぎ出す泰造。もはやこうなっては逃げるしかない沙希は、泰造が最後の一枚に手をかける前に浴室を飛び出した。
 沙希が慌てて後ろ手で閉めた浴室の扉が開いた。そこから泰造が顔を覗かせる。
「なぁ沙希。どうせなら涼の部屋の風呂を借りりゃいいだろ」
 脱ぎ終わった服を放り出しながら泰造が言う。
「あ、それもそうだね」
 そう言い、沙希はまたその場から逃げるように部屋を飛び出した。

 寝てるかな、と思いながらも涼の部屋のドアをノックする沙希。返答はなかったが、部屋の中で誰かが動く気配がした。ほどなくドアが開いた。
「なに?」
 顔を覗かせたのは涼だった。沙希をみて少し驚いたような顔をする。
「わ。泰造さんかと思った。こんな時間に何か用?」
 対する沙希も、出て来た涼が半裸だったので驚いた。
「え、えと。今泰造がお風呂はいってるからこっちのを貸してもらおうと思って」
「えーと。うん、大丈夫だよ」
「じゃ、借りるね」
 なるべく涼の方を見ないようにしながら浴室に直行する沙希。浴室はほんのりと暖かく湯気の匂いがわずかに残っていた。使ってそれほど間がないようだ。
 ぬるいシャワーを浴びる。冷えきった沙希の体にはそのぬるいお湯でさえも痺れるような熱さに感じた。
 冷えきった体を心行くまで温めると、じわじわと睡魔がやって来た。浴槽の中でうたた寝を始める。顔を湯に突っ伏し目を覚ます。このままだとここで寝入ってしまう。眠気にふらつきながらも立ち上がる沙希。
「ありがとう、こんな時間にごめんね」
 そう言い残し涼の部屋を出た。
 部屋に戻ったが泰造はまだ浴室にいるようだった。耳を澄ますといびきまで聞こえる。沙希同様睡魔に襲われたようだ。こちらは堪えきれなかったようだが。
 今のうちに、と脱衣場で髪を乾かし始める沙希。その物音のためか泰造のいびきが止んだ。慌てて脱衣場を出ようとする沙希に泰造が浴室から声をかける。
「沙希か?わりぃけど俺の着替え用意しといてくれねーか?何の用意もしてねーや。朝飯おごってやっからさ」
「荷物まとめて持って来るだけでいい?」
「おう」
 何年使っているのか、薄汚れボロボロになった泰造のリュックを脱衣場まで運ぶ。かなりの重さだ。泰造は日ごろこれを背負い、飄々とした顔で歩いているのだ。沙希は改めて泰造はすごい、と思った。
 沙希がベッドに入るとすぐに泰造は浴室から出て来た。ろくに髪も乾かさずに出て来たようだ。ベッドに入り、沙希が寝入るより先にいびきをかき始める。規則的ないびきに誘われるように沙希も深い眠りに落ちて行った。

 ゆうべは夜更かししたお陰で泰造たちが目を覚ましたのは日も高く上ったころだった。
 朝食を済ませ、役人にゆうべのことを報告した。港に密売人らしい男が現れたこと、男が巨大な魚に乗って海の彼方に消えたこと。
「そりゃぁ、斑魚(ゼウグ)だな」
「なんだそりゃ」
「はるか西の海に生息する巨大魚でな、訓練すれば騎乗できるようになる。どこぞの部族は当たり前のように乗り回していると聞いた。この辺の海にはいないはずだが、誰かが連れて来たのだろう。近ごろたまに見られるようになったのだ」
「昨日の虫のことと言い詳しいなー。おっさん、学者にでもなった方がいいんじゃねーか?」
 役人をおっさん呼ばわりする泰造。
「私は野生動物保護委員の一人だからな。一応情報くらいは集めておるよ。少し西に行くと人の手の及びにくい死せる大地、野生生物の住処だ。そちらから流れ着いて来る野生動物を保護し元の場所に返したり、金のために野生動物が取引されるのを阻止したりしているのだ」
「へー。死せる大地ってくらいだから何もいないのかと思ってた」
 不思議そうな顔をする沙希。
「んなこたねーぞ。確かに荒れきった土地だが地べたにはいつくばって生きてる生き物はいくらでもいる。人間にとっちゃ枯れた、死んだ土地かもしれねーがな。俺にはこの辺りの人間しかいない、植えなきゃ木も生えないような土地の方がよっぽど死んでるような気がするけどな」
「同感だ。とにかく今回のことはよく調査してみる必要があるかもしれんな。斑魚の目撃例はそれほど多くはないが密猟、闇取引、殺人とさまざまな事件に関わっている。もしかしたら巨大な犯罪組織がからんでいるかもしれんのだ」
「賞金首追っかけてりゃまた出っくわすかも知れねーな」
「うむ。そのときはよろしく頼む。報告ご苦労だったな」
 密売人を捕らえられればそこから芋づる式に取引している業者か役人かを聞き出して捕まえることもできただろう。そうなれば泰造は大手柄で賞金もかなり増えたのだろうが、残念ながら取り逃がしてしまった。もっとも、密猟者の賞金はしっかりもらっているので泰造の財布はずっしりと重くなった。
 役人の話ではあの斑魚を操る者はまだまだ多くいる。魚を使うのならば海から遠くは離れないだろう。つまり、海辺を探してみるのがその一味に出っくわす手っ取り早い方法だ。
 泰造たちは宿を替えることにした。より海に近い宿。
 海の上には神王宮が聳えている。そしてその近くは治安もよい一等地。そんな場所にある宿が安い訳などなく、早くも泰造は後悔し始める。そして、この元を取るために魚使いの一味を一人でも捕まえようと決意を新たにするのだった。

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