賞金稼ぎ烈伝 Taizo!

第弐捨九話 潜入

 いかに低いモラルでもモラルはモラル。
 そこからさらに逸脱することはいくらでもできてしまう。


 ひとまず客引きの話にあった大きな連れ込み宿に向かう二人。大きな宿だけに、見ているうちに結構な出入りがある。仲のいいカップルもいるが、なかには妙によそよそしいペアもいる。金と欲情だけが絆の、愛のない逢瀬の臭いがする。
 それに、周囲には相手を探している女達の姿もある。通りがかる男に誰彼かまわず声をかけ、引っ掛かるのを待っている。
 沙希を連れていると声をかけにくいか、とも思ったが、そんな事は気にしないのか、はたまた沙希が商売敵だとでも思っているのか、お構いなしで声をかけて来る。
「お兄さん、若い子が好みかい」
 女ばかりが声をかけて来る中不意に男の声がした。
 声の方を見てみるとガラの悪い男二人と暗い表情の若い女がいた。
「どうだい、この子と遊んでかないか?」
 若い女は俯いたままで、薄暗い中ではどんな顔なのかもはっきりしない。泰造がのぞき込もうとすると、男の一人が女の顎を掴んで顔を上げさせた。おびえた表情のせいもあってはっきりとはしないが、それでも見て取れるくらい整った顔立ちをしていた。
 この脅え方からして、自分の意思で身売りをした訳では無さそうだ。噂の組織がらみに違いない。泰造は誘いに乗って敵陣に飛び込んでやることにした。
「で、いくらなんだ?」
「七千ルクだ」
「高いな……」
 娼婦の相場など知らないのでこれが相場なのかもしれないが、金額だけで純粋にそう思う。
「そう言うな。これだけの上玉は滅多にいねぇ。それにこいつはなぁ、生娘なんだよ。だから少し料金も割増ってこった」
 間違いない。生娘に売春をさせるのはその組織の手口だ。売春の斡旋は重罪なのでそうそうそこらへんのごろつきが手を出すものでもない。
 この場でこの男たちを捻りあげるのは容易いがそれは得策ではない。こんな道端で騒ぎを起こせば自警団がすぐに駆けつけるだろう。賞金がかかっていればともかく、そうでないのであれば向こうから手を出してきた訳でもないので、下手をすれば泰造まで捕まってしまう。
 ひとまずここは金を払うことにした。この金は沙希が少しずつためた金だ。バイト時代からこつこつ貯めただけあって結構な額がたまっていて泰造も驚いた。この作戦のために少しくらいなら使ってもいいと預けられたのだがいきなり七千ルクも使われて沙希も焦っている。だが、いずれ取り返せるはずだ。

 金を払うと、話にあった大きな宿に案内された。遠目にはこじゃれたシティホテルのようでもある。中も泰造が今までに泊まったどの宿よりも豪華だ。そんな雰囲気にちょっと気後れする泰造。
「いい部屋を用意してやってくれ。賓客だ」
 男がフロントに話をつけた。同じ組織が運営しているらしくそれだけで話は付いたようだ。ボーイが泰造たちを案内する。このボーイも身なりや立ち振る舞いはそれらしいのだが、眼光の鋭さが堅気ではないことを物語っている。
 部屋もいたって落ち着いたデザインだ。泰造が泊まっている宿のようなけばけばしさもない。設備がいかにもと言うだけで、それ以外のところはまさにシティホテルとなんら変わりはない。
「で、どうすんのさ」
 七千ルクも使われて少し機嫌の悪い沙希。
「そうだな、まずは……」
 泰造は足音を忍ばせて入口のドアに近づき、耳を押し当てて外の様子を探った。しばしそのまま沈黙が続く。
 泰造が立ち上がり、ドアを開け放つとそこには先ほどの二人組が立っていた。いきなりドアが開いたので驚き硬直している。
「おらぁ、この出歯亀がぁっ!」
 泰造はそう言いながら男二人を部屋に引きずり込む。そして一人を素早く押さえ付ける。
「沙希、もう一人の方頼む!」
 沙希が残る一人を押さえ付けるのを見届けると泰造は懐からロープを出し男の一人を縛り上げ浴室にほうり込む。そして、締め技を振りほどこうともがいているもう一人の男に四苦八苦する沙希と交替した。
 ロープがもうないので腕を捻ったまま浴室に引きずり込んだ。
「違うんだよ、俺たちは女が逃げないように見張ってただけで……」
 男たちは言い訳するのだが。
「そんなとこだろうけどな。理由は何でもいいんだよ。おまえらを引っ張って来られりゃ」
「な……」
 男たちはまだ事態が飲み込めず、唖然としている。
「おまえらの裏にあるって言う組織の話を聞かせてもらおうか」
「てめぇ、何もんだ!潜入捜査員か!?」
「そんな大層なもんじゃねーよ。俺は賞金稼ぎだ」
「けっ、てめぇみたいな青二才に易々と潰せるような組織じゃねーよ、うちは。逆に取っ捕まって石を抱かされて海に沈められ、女の方は男に抱かれてボロボロになるまで遊ばれまくって終わりよ」
「そんじゃ、その前におまえらだけでも風呂に沈めてやるか」
 湯の入ってない浴槽に男を押し込み頭から水を浴びせる。
「やめてくれっ」
「話す気になったか?」
「誰が話すかよ!」
「ああそうかい。話すか息ができなくなるまでやめねーぞ」
 泰造は男の頭を押さえ付けた。男は激しくもがく。片手で頭を押さえているので力が入れにくい。何度も逃げられそうになる。
「泰造、これ使うとよくない?」
 沙希がロープをもってきた。
「おっ、サンキュー!でもどこにあったんだ、そんなの」
 男を縛りながら泰造は沙希に聞いた。
「部屋の戸棚にいろいろ入ってたよ。何に使うのか分からないけど」
「そ、そうか。あんまり部屋の中を調べない方がいいかもしれないぞ」
 なんとなく何のためのロープか分かった泰造は沙希に一応注意しておいた。
 がっちり縛り上げられた二人を床に転がし、尋問を再開した。
「その前に、これは返してもらうからな」
 男たちからさっき払った七千ルクを取り返した。沙希の機嫌が良くなった。
「さてと、じゃあさっきの続きな」
 二人まとめて浴槽にほうり込む。
「死んだって話さねぇよ!おまえら、こんな事するとこのホテルからも生きて出られねぇぞ」
「そうかい。そんじゃ冥土の土産でもいいから聞かせろや」
「やだね」
 こいつらは組織を裏切るくらいなら死を選びそうだな、と感じ始めた。それ程までに忠誠を誓いたくなるようなボスなのだろうか。
「私で良ければ、知ってることを話しますけど……」
 おずおずと女が切り出した。
 彼女はウーファカッソォの学生だったそうだ。学校帰り、一人で歩いていたら突然男数人に取り囲まれ麻袋に叩き込まれた。
 話ではウーファカッソォでは女性の失踪事件が相次いでいるらしい。その犯人は間違いなくこいつらだろう。人をさらい、そのまま娼婦として売り飛ばしているのだ。
 連中の拠点がどこにあるのか。詳しいことは分からないがとにかくウーファカッソォに向かう必要がありそうだ。
「アジトの場所、どうにか吐かせたいんだけどなぁ……」
 水攻めでも吐かないのだからそうそう吐くものでは無さそうだ。
「ねぇ、これ使ったら?」
「なんだ……?おい、なんて物持ってくるんだよ」
 いきなり鞭を手渡された日には泰造も焦るしかない。
「そこの戸棚にいろいろ……」
「あんまり見るなって言ったろーが」
「さっきロープ取ったときに一通り見ちゃったんだもん。なんか訳のわかんない物が一杯入ってた」
「そうだろうな。それが何だったのかとか詮索しないようにな」
 結構好奇心の強い沙希のことだ。このまま放っておくと何を見つけるか分からないので、今日の所は切り上げることにした。
「こいつらは何をしても吐きそうにないし。目的地がウーファカッソォだと分かっただけでも十分だろう。いったん帰って、明日はウーファカッソォに行く。切り上げるぞ」
 泰造たちはホテルを出ようとした。
 しかし、ここは敵地でもある。そう易々とは返してくれない。
「お客様、お連れが二人ほど足りないようですが?」
 フロント係が泰造たちの行方をふさぐ。泰造は沙希に目で合図をした。戦闘体制に入る。
「あいつらなら部屋で寝てるぞ。俺が寝かしつけてやった」
「困りますねお客さん。その女は置いて行ってもらわないと。我々の商売道具ですから」
「あいつらの仲間って言ってるようなもんじゃねーか。しっぽを出しやがったな、悪党め!」
 泰造が啖呵を切るとフロント係はベルを鳴らした。奥の方から男が何人か出てくる。そして、一斉に泰造に向かって来た。
 一番前の男のパンチを手で受け止めた。先に手を出すと向こうが後々役人に問い詰められたとき、そこを逃げ道にしようとする。だから向こうが手を出すのを待っていたのだ。
 パンチを出した男の攻撃後のすきを突いて顔面に頭突きをぶちかまし、のけぞった所にさらに体当たりを食らわす。男は後ろの何人かを巻き込みながらひっくりかえった。
 巻き添えにならなかった二人が左右から殴り掛かって来た。防御しきれないと判断した泰造は、片方の男に突進する。パンチを食らいながら放った泰造の一撃は男の顔面を捕らえた。カウンター気味になった一撃は男をあっさりとダウンさせた。
 もう一人の男はさらに泰造に攻撃を加えようと蹴りの態勢に入った。それに気づいた泰造は身構える。男の放った踵落としを躱し、無防備になったところに頭突きをかます。男はよろめきながら壁にぶつかった。止めの膝蹴りを男の鳩尾にたたき込む。
 騒ぎを聞き付けたほかの従業員も集まって来た。敵が七人になる。あらかじめ何人か畳んで置いたのは幸いだ。これだけの数に一気に襲われては勝ち目はなかったかもしれない。
 すでに二人が叩き伏せられているので、敵も慎重になっている。不用意に突っ込んではこない。睨み合いになる。
 敵は泰造たちを囲んで半円型に並んでいる。等距離にいることで一斉に攻撃を仕掛けられるようにだ。不用意に動くと敵の猛攻を食らう。敵はこっちの出方をうかがっているのだ。
 一歩踏み出す泰造に反応して敵は一斉に動く。しかし、泰造はそのまま前には出ずに横方向に跳躍した。フェイントだ。二人がフェイントに引っ掛かり攻撃を空振りした。すぐに体勢を立て直して泰造に向き直ろうとする。そのうち一人に泰造の後ろにいた沙希が果敢にも飛び込んで行った。
 泰造に気をとられていた敵は沙希の攻撃に無防備だった。不意を突かれ動転している男の懐に飛び込み、そのまま素早く背後に回りながら腕をつかみ、敵の足を自分の足で押さえながら全体重をかけて引き倒した。バランスを崩した敵をさらに引き込みながら反動をつける。男はうつぶせになって倒れ、沙希は男の腕をつかんだままその背中の上に倒れ込んだ。残るもう一方の腕も押さえて敵の動きを封じた。
 それに気づいた一人が沙希に駆け寄ろうとするが、足を止める。泰造たちに連れ出された女が、沙希に護身のためにと手渡されていた鞭を振るったのだ。恐怖心から闇雲に鞭を振るう女に、男は手が出せない。二の足を踏んでいると、不意に後頭部に衝撃を受けた。他の三人を叩きのめした泰造に殴られたのだ。男はそのまま意識を失った。
 最後の一人を取り押さえている沙希と交替し、締め上げる。男は簡単に落ちた。
 あと残っているのは隅で様子を見ているフロント係だけだ。泰造はフロント係に向き直る。こいつは放って置いても良さそうだが、このままにして宿に戻ったときに後をつけられ、寝込みにお礼参りされると困るので一発食らわせておこうという考えだ。
「く、来るな!」
 フロント係は懐からナイフを取り出す。泰造が近づくとナイフを振り回して牽制してきた。
「ちょっと貸してくれ」
 泰造は女から鞭を奪い取り、男の腕目がけて振りかざした。慣れない鞭のため数回空振りしたが、うまいこと男の持っていたナイフを落とした。腕に当てた訳ではない。フロント係の顔面に鞭が当たりナイフを取り落としたのだ。一気にフロント係との間合いを詰め、膝蹴りを鳩尾にたたき込んだ。
 フロント係はその場にくずおれ、周りに動くものはなくなった。
「よし、こいつらが目を覚ます前に帰るぞ」
 二人を引き連れホテルを飛び出した。ホテルに入るカップルとすれ違った。二人とも顔を伏せたまま歩いている。このままいけばホテルのロビー従業員が伸びている様を見て大騒ぎになるだろう。彼らに顔を見られてないのは好都合だ。
 案の定、ホテルからだいぶ離れたところで、そのカップルが大慌てで飛び出してくるのが見えた。泰造たちは二人に見つからないうちにその場を離れた。
 宿に戻った泰造たち。しかし、宿が宿なだけに見ず知らずの女性を同じ部屋に連れ込む訳にも行かない。やむなく、もう一つ部屋を確保することにした。
 沙希には先に部屋に帰ってもらい、新たにチェックインする。少し離れた部屋だった。よく覚えておかないと明日呼びに行くときに間違えて別な部屋に行ってしまいそうだ。
 一応、自分たちの部屋の番号も教えておく。むしろそっちの方が安心だ。
「一人で寝られるか?心細いなら沙希を呼んで一緒にいさせてもいいけど」
「いえ、大丈夫です。ここ二三日まともに寝てませんし、今夜はゆっくり眠れると思います」
「そうか。カギはしっかりかけとけよ」
 そう言い残し、泰造は自分の部屋に戻った。しかし、部屋に沙希の姿がない。部屋を間違えたか、と慌てて部屋の番号を確認する。部屋の番号は間違いなく自分の部屋だ。
 まさか早速お礼参りが来て沙希がまたしても掻っ攫われたか、とひやりとしたが、耳をすますとバスルームから水音がする。シャワーを浴びているだけのようだ。
 安心した泰造は、時間が夜半を回っているというせいもあってか猛烈な眠気に襲われ、着替えもそこそこにベッドに大の字になった。

「泰造、ちょっと泰造!」
 沙希の声で泰造は目を覚ました。
「ん?もう朝か?」
 しかし疲れが取れきってない。部屋も薄暗いし窓の外も暗い。まだ夜だ。
「なんだ?」
 沙希を見ると髪がまだ濡れている。時間はほとんど経ってないようだ。
「ねー、あたしどこで寝るのー?ベッドひとつしかないじゃん」
 泰造は自分がベッドのど真ん中に寝ていることに気づく。
「あ、悪ぃ」
 沙希の寝るスペースを開けてやる泰造。
「もしかして、泰造と一緒に寝るの?」
「だからそういう宿なんだっての。いやならさっきのねーちゃんと一緒の部屋でもいいんだぞ。ベッドはやっぱりひとつだけど」
「会ったばかりの人と一緒に寝る方がよっぽどいやだよぅ」
「ならガタガタ言うな。俺は眠いんだ」
 言うや否や鼾をかき出す泰造。
 沙希は恐る恐る泰造の横にもぐりこんだ。
 泰造の隣で寝るということは今までにも有った。旅の道中などに木陰でごろ寝したりと言ったときには並んで寝転がっている。しかし、同じ布団を被るほど近くに寄り添って寝たことは無い。
 今し方までベッドのど真ん中で寝ていたので泰造の体温が残っている。すぐそばから泰造の体温が直接伝わって来る。
 沙希の鼓動が高まる。この調子じゃ今日も眠れないな、と思うのだった。

 一晩明けて朝が来た。
 泰造はいつも通りの時間に目を覚ました。横では沙希がまだぐっすりと寝込んでいる。昨夜は遅かったし慌ただしくなった。早朝トレーニングの時間だが疲れも残っているだろうし、そもそも起こしても起きないだろう。
 今日も慌ただしくなるだろうし、トレーニングも無理にすることは無い。泰造も今日はトレーニングをサボってのんびりすることにした。
 とは言え、この時間に起きるのが身についてしまっている泰造は二度寝もできない。
 部屋の窓を開け、外を眺めた。町並みの向こうに広い海が広がっている。ここヒューゴーは大きな港町でもある。大きな港はヒューゴーで作られたさまざまなものをウーファカッソォを初めとするほかの町へと運んでいるのだ。
 この宿は裏通りの小さな宿だ。もっと大きな建物が周りに林立している。昨夜のホテルの姿も見える。闇の中で見たときは巨大にそびえ立って見えたホテルだが、この宿より精々ふた回りほど大きい程度でしかない。
 ここは混み合ってこそいるが、ただの歓楽街。中心街は遠くの方に小さな丘のように盛り上がっている。地面が盛り上がっている訳ではない。そこにある建物が周りの建物より大きいのだ。
 コトゥフは限られた土地に高層建築が立ち並び、そこを抜けると掘っ建て小屋同然のバラックばかりが立ち並ぶダウンタウンで、その境界が明確だった。ここヒューゴーはそんな境界はない。ただ、土地の区画ははっきりしているようで、この周辺は酒場や連れ込み宿ばかりの歓楽街、港周辺には商店らしい看板が見てとれ、住宅地を挟んで工場の煙突群が枯れ木の林のように聳えている。まだ時間が早いせいもあって町は寝静まっているが、昼間はさぞや活気があるだろう。こうして見ると本当に大きな町だ。
「うー……」
 沙希が目を覚ましたらしい。最近は沙希も早起きが身についてきているようだ。が、このままにしておくと二度寝する。
「起きたか、沙希」
 と、声をかけて起こす。
「時間早いけど飯にするか?」
「あれ?早朝トレーニングはないの?」
「昨夜いろいろあって疲れてるだろうし、今日もバタバタしそうだからな」
「わーい、お休みー」
 と言いながら沙希は大きく伸びをした。
「飯食ったらすぐに出発するぞ。涼たちを起こして来るからその間に着替えて荷物まとめとけ」
 そう言い残し泰造は部屋を出た。

「あ、おはようございます」
 部屋を出たところで遠くから声をかけられた。
 一瞬誰なのか考える泰造。昨夜の女だということを思い出すまでにさほど時間はかからなかった。
「おはよう、よく寝られたか?」
「はい、おかげさまで。そのせいか随分早く目が覚めちゃいましたけど」
「いや、来てくれてよかったよ。今から飯食って出発しようと思ってたんだけど、危うく忘れて置いてくところだった。荷物は何も無いんだっけ?」
「あ、はい」
「それじゃ沙希が出てくるまでここで待っててくれ。出て来たら宿の前に集合だ。俺は別な連れに声かけてくるから」
 そう言い残し、泰造は隣の涼と恭の部屋をノックした。中から間延びした返事がした。
「おーい、ちょっと早いけど出発するぞー」
「えーっ?」
 しばらく間が空き、ドアが開いた。半裸の涼が上半身をのぞかせたが、廊下に見慣れない女性が立っていたので慌てて引っ込む。
「ちょっと早くない?飯まだじゃん」
「ああ。ちょっと事情ができちまってな。詳しい話は朝飯食いながらするよ。着替えたら宿の前に集合な」
「えーっ、マジ?」
 涼は寝不足なのが顔を見ただけで分かる。
「その様子だと夜ろくに寝てねーだろ。何やってたんだよ」
「おいおい、変なこと聞くなよ。せっかくこんなところに泊まったんだし、することなんてひとつじゃん。せっかくいろいろあるんだしさ」
「いろいろあるからって……。何も無理に使わなくってもいいだろ。兄妹で何やってんだよ」
「愛し合ってりゃ欲しくなる、それが道理っしょ」
「……兄妹だよな?」
「兄妹で愛し合っちゃいけないか?」
「まあ、ダメとはいわねーけどさ。仲はいいに越したことはないし……」
 困っているところに、隣の部屋から沙希が出て来た。
「とにかく早いとこ飯食って出発するぞ」
 逃げるように泰造はその場を後にした。

 住宅街の方まで足を延ばすと定食屋がすぐに見つかった。
 早速思い思いの物を注文する。
 まずは泰造が昨夜のことをかい摘まんで説明した。そして、やっかい事を避けるため昨日の連中に見つかる前にウーファカッソォに向かうことにしたと添えた。
 昨日助けた女を涼と恭に紹介しておく気になって、ようやく名前を知らないことに気が付いた。最初は無理やり体を売らせられるところだったという立場上名前を聞くのは酷だと思い聞かずにおいたのだが、そのうち完全に聞くのを忘れてしまった。今まで名前を知らないからと言って不都合も無かったせいもある。
「私、弓菜って言います。学生です」
 弓菜はウーファカッソォの学問所で経済について学んでいるそうだ。ゆくゆくは財務官になりたいと言った。その学問所からの帰宅途中に拉致されたと言う。
 腹も膨れていざ出発となったが困ったことになった。
 これからウーファカソォに向かうことになるのだが、弓菜がそんなに歩けないというのだ。
 まぁ、それも仕方ないだろう。沙希のように山育ちでも無いし、一日のほとんどを勉学に費やして来た彼女には隣の都市まで歩いて行くほどの体力は無い。
「ウーファカッソォまでなら定期船が出てるっしょ。それを使えば楽だし、だいぶ早いんじゃない?」
「で、それは高いのか?」
「百ルク位だったと思いますけど」
 地元の弓菜の言うことだから多分正しいだろう。
「結構いい値段だなぁ」
「あたし乗りたーい。乗りたい乗りたい」

 結局沙希のおねだりが後押しする形となり、定期船への乗船が決定した。
 定期船は客船と貨物運搬を兼ねている。早朝の便ということもあってか乗客の数は多くないが荷物の量はだいぶ多いようだ。泰造たちが港に着いたときはまだ船に積まれていない荷物が港に山積みになっていた。たくさんの人が蟻の行列のように荷物を船に運び込んでいる。発船時刻は近いが、この様子だと少し遅れそうだ。
 沙希は初めて乗る船にすっかり浮かれている。泰造もこういう大きな船に乗るのは実は初めてだったりする。乗ると金がかかるので避けていたからに他ならないが。
「ねー、この辺の海ってあんまりきれいじゃないね。水が濁ってるよ」
「まぁ、都市の近くだからな……」
 荷物も積み込み終わり、遅れも無く定期船は出港した。何を動力にしているのか、結構な速度だ。半日とかからずウーファカッソォに着けるというだけのことはある。瞬く間に陸地が見えなくなった。
「すごーい、周り全部海ーっ!」
 浮かれまくっている沙希。
「見てみてー、何かいるーっ」
 何か見えるたびにはしゃぐ沙希だったが、ほどなく静かになった。酔ったようだ。静かになって何よりである。
 弓菜と恭は大丈夫なようだが涼も青い顔で虚ろな目だ。
「ウーファカッソォには昼過ぎに着くんだってよ。ひとまず腹ごしらえしてからどうするか考えるか。なぁねーちゃん、ウーファカッソォでうまいもんって言うとどんなのがある?」
 船酔いしている二人の前で食べ物の話を始める泰造。
「そうですねぇ……、鉄板焼きなんか有名ですけど。お店もたくさんありますし」
 弓菜も弓菜でこってりとしてそうなものをあげる。船酔い注の二人にはたまらない。
「鉄板焼きは食いたかったけど、今の状態じゃちょっとな……」
 蚊の鳴くような声で涼がつぶやいた。
「そんじゃ無難にソバ屋にでも行くか。それならいいだろ」

 水平線の上にうっすらとウーファカッソォの町並みが見えてきた。世界最大の商業都市だ。ヒューゴーで作られた製品のほとんどはこの町で取引され、それぞれの町へ運ばれて行く。
 この町ではあらゆる物に値段がつけられ、まさに金で手に入らない物は無い。人身でさえ当たり前のように取引されている。金儲けの話も多く、その代わり何をするにも金が必要になる町なのだ。
 船が到着し、泰造たちは港に降り立った。
 港にはおびただしい数の露店が並び、あちらこちらで大道芸人が自慢の芸を披露している。まるで祭りのような賑わいだ。ここにはこの賑わいが常時ある。いかにこの町が栄えているかを物語っている。
 しかし、それはあくまでもこの町の一面に過ぎない。すべてが金で取引されるこの町は、それ故に犯罪が起こりやすい。表通りから一歩踏み込むとそこはもう暗黒街なのだ。
 港には商人らしい人々に混じり、いかにも胡散臭い輩もいる。定期船には多くの人が乗り、それ以上に多くの荷物が積まれていく。うさん臭い連中も船に乗り込み、荷物を運び込んでいる。
 弓菜は麻袋に押し込められて連れて来られた。だから胡散臭い手合いが麻袋を運び込んでいるのを見ると、中身が気になってしまう。
 一応港に持ち込み出荷の手続きをする際に中身は改められるのだが、弓菜をはじめとして多数の人が連れ出されているのだ。どこかに穴があるのだろう。確かに、運び込まれる荷物の量を見れば、このすべてをチェックするのは相当難儀だと言うのは分かる。そこを突いてくるのだろう。麻袋のほとんどは穀物か石炭だ。その中に一つくらい他の物が混じったところで気付きはしない。
 麻袋を一つ一つ調べてやればいつかは見つけられるような気もするが、気の遠くなる話だ。
 なんとなく後ろ髪を引かれる思いで港を後にする。

 ここまで来たはいいが、敵の情報はないようなものだ。この大きな町で目立たず暗躍する地下組織を、この町をほとんど知らない流れ者が探そうというのだ。
 ただ、こちらには奪還された被害者である弓菜がいる。彼女の話からある程度は組織の手口が見える。
 その日、弓菜が学問所を後にしたのは日もとっぷりと暮れたころだ。課題になっていた研究がキリのいいところまで終わりそうだったので学友数名と一緒に研究を行っていたという。
 研究を終えて家路につく。家と言っても自宅ではない。学問所のすぐそばにある学生寮だ。学問所の門をくぐり、塀に沿ってしばらく歩く。学問所の横には川が流れており、橋が架かっている。その橋を渡るとすぐ目の前に四棟の寮が建っているそうだ。学友たちの寮はバラバラだそうで、弓菜は学友たちと別れて一人自分の棟に向かったそうだ。そして、そこでいきなり何者かに襲われた。
 後ろから誰かが来た、とは感じたそうだ。振り向こうとする弓菜の口を力強い手が覆う。突然のことに驚いた弓菜は必死にもがくがどうにもならない。程なく全身の力が抜け、意識を失ったと言う。恐らくは麻酔をかがされたのだろう。
 目を覚ましたときには真っ暗な場所だったらしい。とても窮屈で、低い機械音のようなものが聞こえた。ゆっくりと揺れていた。麻袋に詰め込まれ船に乗せられていたのだろう。
 麻酔が切れる前に船に乗せられたということは、恐らく夜のうちに船まで運ばれ、最終便にでも乗せられたのだろう。日が暮れてから最終便の出航まではこの時期さほど長くはない。恐らくは拉致された場所から空遊機で運ばれ、そのまま船に積まれたと考えられる。そうでなければ間に合わない。
 空遊機は開発されて間もないにもかかわらずだいぶ普及している。値段も下がってきてはいる。しかし、まだ庶民には高嶺の花だ。業務用に普及しているに過ぎない。商工業の盛んな地域では当たり前に飛び回っているが、住宅地周辺ではあまり見かけないはず。もしかしたら生徒の中に不審な空遊機を見かけたものがいれば覚えているかもしれない。
 ひとまず聞き込みである。時間帯はちょうど昼休み、沙希と涼の船酔いが治まるまでの時間つぶしには丁度いい。
 この学校の生徒でもある弓菜のお陰で生徒達とはすぐに話ができた。学友が誘拐されたという事実はショッキングかつセンセーショナルで決して小さくない学問所内にも瞬く間に話が広まった。そして、情報もあっと言う間に集まったのである。
 やはりこの辺では空遊機は目立つ存在だった。そのため見かけたという人は多かった。しかし、道端に停っているのを見たと言う証言ばかりで、人が乗り降りするのを見たというような話はなかった。授業が終わる前に来てカモが通りがかるのを待っていたようだ。
 結局、相手が空遊機を使っている、と言う考えが正しかったことは立証されただけだ。さほど大きな収穫とは言えない。

 弓菜とはここで別れて自分たちは昼食をとることにした。
 ウーファカッソォは商業の町だ。世界中からさまざまなものが集まる。当然さまざまな食べ物も集まり、それらを使った独自の料理も数多く生まれている。ここは食文化の町でもあるのだ。
 町を歩けば至るところに料理屋がある。どれも聞いたことの無いような料理を出す店だ。珍しい料理が食べたい、と言う恭と涼の申し出もあったがどの店も珍しい料理を出す店だ。悩むのも馬鹿馬鹿しくなり、適当な店に入る。選ぶ基準は安そうかどうかだけになった。
 珍しさも手伝い、いつもより多めに注文して全員でいろいろな皿をつついた。
 そんな食事も終わりに差しかかったころだ。不意に涼が顔を上げ、何かを考えるような素振りを見せた。
「ん?なんだどした?」
 それぞれの皿に残った最後の一箸を巡って沙希と激しいバトルを繰り広げていた泰造がそれに気付き声をかけた。そのせいで最後の一つを沙希に取られてしまった訳だが。
「噂だよ」
 全員の視線が涼に集まる。その視線を受けながら、涼はゆっくりと噛み締めるように言った。
「さっきの学問所の横に空遊機が停ってる」

 確かにそれはそこにあった。
 道端に転がる大きな球体。空遊機だ。中には二人組が乗っている。乗ったまま降りもせずにこんなところに停めっぱなしの時点で露骨にうさん臭い。
「しかし、タイミングよく出やがったな。これでただの商人とかだったら大笑いだが」
 物陰から様子をうかがいながら泰造がぼそっと言う。
「それにしちゃ、停ってる時間が長過ぎっしょ。ぜってー怪しいって」
「でもなぁ。なんでよりにもよって俺たちが来たときに来るんだよ。まさかあのヒューゴーで伸した連中がお礼参りのために俺たちを付け狙ってるんじゃねーだろうな」
「恭、言霊使ったか?」
「うーん、覚えは無いけど。でも『早く見つかるといいね』くらいのことは言った気もするなぁ。それでかも」
 恭の言霊に引き付けられて来た可能性が大、と言うことである。全くもって都合のいい能力だ。
「さてどうする?奴らが動くのをただ待つって訳にゃいかねーぞ。奴らが動いたら向こうは空遊機だ。走ったって追っつきゃしねー。何か考えとかねーと、拐かしの現場をむざむざ黙って見過ごすことになる」
「連中叩きのめせばいいんじゃないの?」
「馬鹿か。大元ふん捕まえなきゃなんの意味もねーんだよ」
 馬鹿といわれて沙希は膨れ面になった。
「とにかく、敵の本拠地に乗り込むってんならあいつらからその場所を聞き出さないと。話しちゃくんないんだろうけどさ」
 涼が話を変えようと口を挟んだ。
「じゃ、誰かが攫われて場所を覚えてくればいいんじゃないのかな?」
「覚えて来るって、覚えたところでお前一人じゃ逃げられっこねーだろ」
「なんでか弱い乙女がそんなことしなきゃならないのさ。もちろん潜入するのは泰造」
「どうすりゃ俺が攫われるんだよ。相手は女しかねらわねーんだろ」
「かつらかぶって女装するとか」
「女装したところでこんな筋骨隆々で大柄な人、狙わないっしょ」
「ねぇ、あたし行くよ。考えがあるんだ」
 泰造と沙希の会話に涼と恭が口を挟んできた。
「捕まったら言霊使ってみんなを誘導する。お兄ちゃん、あたしの居場所探せるでしょ?」
「それは大丈夫だと思うけど。お前は大丈夫なのかよ」
「あたしは……何があっても大丈夫だよ」
「そんな覚悟で行くんならやめておけ」
 泰造が恭を遮った。
「骨を断つために肉を切らせようって腹だろうが、そこまでのリスクを賞金稼ぎでも無い女に背負わせる訳にゃいかねーな。方法は他にもあるだろ、それを考えりゃいい」
「でも……。考えているうちに何人が悲しい思いをするか分からないじゃない。同じ女性として彼らは許せない。一刻も早くなんとかしたいの」
 いつに無く真剣な目をする恭に泰造も折れざるを得ない。泰造もこんなに簡単に折れるたちでもないのだが、これも言霊の魔力なのかもしれない。
「わーったよ、その代わり無茶はするんじゃねーぞ。下手に抵抗しようとせずにおとなしく助けを待ってるんだ。……まぁ、状況にもよるけどな」
 作戦決行にあたり、取り急ぎ弓菜から制服を借りることになった。生徒の振りをしなければならないからである。
 学問所の関係者に事情を話し、学問所の生徒は終業時間と同時に全員帰させた。言われなくても、弓菜が攫われるという事件が起きたところだ。早く帰るように指導がなされていた。これで生徒に犯人達の手が伸びることはまずない。
 そして日が落ちかけたころ、学問所の門の前に恭を立たせた。いかにも人待ちと言った風情で佇む恭。泰造たちは物陰に隠れてその様子を伺う。
 見る間に日は傾き夕闇が辺りを包み込む。どれほどの時が経っただろうか。
 泰造はその気配を感じ取っていた。闇の中を滑るように動く気配。一つや二つではない。
 こつこつと靴音を鳴らしながら一人の男が通りを歩いてきた。警戒する恭に興味がないような素振りで歩いて行く。
 が、恭の前を通り過ぎざまに素早く恭の顔に布のような物を押し当てた。一度何事もないように通り過ぎて安心させて気を緩ませる策だ。
 その間に倒れ込む恭を見て思わず身を乗り出す泰造を涼が押し止どめる。今ここであの実行犯を取り押さえるのは難しくはないだろう。しかしそれでは意味がない。組織の大元を突き止めねばならないのだ。
 黒装束で身を包んだ連中が角から数人現れた。慣れた手つきで恭を縛り上げ、麻袋に押し込むと停めてあった空遊機に積み込みあっと言う間に走り去った。驚くべき早業だ。
 泰造たちは物陰から飛び出す。空遊機は既に視界に入らなくなっていた。走り去った方向は海の方、港に向かうのだろう。間に合うとは思わないが泰造たちも港に向かうことにした。

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