賞金稼ぎ烈伝 Taizo!

第弐捨八話 享楽の都

 常識など後からついてくるものだ。
 そこに理想やモラルの入り込む余地はない。


「おい、いつまで寝てんだ。とっとと起きて着替えねーと寝間着のまま引っ張り出すぞ」
「ふぇぇ、やだよう」
 布団をかぶって抵抗していたがその言葉で渋々起き出す沙希。昨夜はまた夜遅くまで涼や恭と喋っていたのだ。泰造はそれにおかまいなく早々に寝付いてしまったので今日も元気だ。
「今日は久々に移動するからな。それに向けて体をほぐすくらいの軽いジョギングだけにしといてやる。外で待ってるから早く着替えて出てこいよ」
「ふぇ」
 朝から元気溌剌な泰造の言葉に寝ぼけた声でけだるく返事をする沙希。一抹の不安を残しながら泰造は部屋を出て行った。
 沙希もちょっと前ならこのまま二度寝してしまう所だったが、近ごろは毎朝早々に叩き起こされるせいか、この状況でもちゃんと起き出せる。アルバイトをしながら旅をしていたころはよく寝坊して給料を下げられたものだ。誰も起こしてくれないので朝食を食べはぐるときも多かった。そうなると、午前中はすぐにへばってしまう。午後になると、疲れやすかった沙希は既にへろへろになっていたりする。平たく言えばまるで役に立たないバイトだったのだ。
 トイレに入り、洗面所で顔を洗い寝癖を直す。数日逗留したこの宿も今日出発だ。安宿とは言え結構設備もしっかりしている。その辺はさすが観光地だった。
 余所ではここより高くてトイレが共同という宿も珍しくなかった。少なくとも一人で旅をしていたころはそれよりましな宿を選んでいた。バイトの稼ぎでは贅沢としか言いようが無く、すぐに金が尽きてしまう。そこまでするほどぼろ宿は嫌だったのだが、最近はすっかり慣れてしまっている。
 洗面所に鏡がついていたのも久しぶりだ。この世界では鏡はまだまだ高価だ。この先、鏡を見る機会がどれほどあるか分からない。安宿を巡り続けている以上、鏡のある宿などそうそう巡り会えるとは思えない。
 このところ美容にあんまり気を使わなくなったなぁ、などと思いながら沙希は改めてまじまじと鏡の中の自分を見た。見慣れたはずの自分の顔だが、久々であるせいか、かなり違和感があった。いや、よくよく見れば顔付きは確かに変わっていた。北国生まれのうえ、屋内でのバイトばかりの日々だったお陰で自慢できるくらい真っ白だった肌が、ほんのりと日焼けしている。少し浅黒い自分の顔にややショックだったが、引き締まって細く見えるので、これでもいいかな、などと思ってみたりする。
 ただ、寝不足のせいか肌の張りがないのが気になるところだ。やっぱり鏡を見なくなるとそういう変化に気づけない。出発前に買い出しに行くだろうから、その時に手鏡くらいは買っておかないと、と思う沙希。
 下で泰造を待たせているのであんまりのんびりとしていられない。沙希は慌てて着替え始める。案の定、なかなか降りてこない沙希の様子を見に、泰造が階段を上ってくる足音が聞こえてきた。
「おーい、起きてるかー」
 泰造がドアを叩きながら言う。
「起きてるわよっ、着替えてるんだから開けないでよねっ!」
 叫びながら着替えにスパートをかける沙希。
「今日はえらく着替えに時間かかったな」
 着替えを終えて出て来た沙希に泰造がボソッと言う。
「別にいいじゃない。待たせたのは悪いと思うけどさ」
「まぁ、そうだな、どうでもいいか」
 細かいことは気にしないのが泰造のいいところだ。たまに気にした方がいいことも気にしないのが玉に瑕だが。
 昨日の半分程度のコースを回ってジョギングは終わった。コースが短いのでまだ時間も早い。行きつけの定食屋もまだ開いていない時間だ。
「することないなら寝てていい?」
「そうだな、寝ててもいいや」
 言い終わるころには沙希は布団にもぐりこんでいた。やがて寝息が聞こえ始まる。
 こうなると、泰造は何もすることがない。
 沙希は早くもすっかり寝入っている。沙希の寝顔を見ているうちに、泰造もだんだん眠くなって来た。

 街の賑やかなざわめきに、恭は目を覚まして起き上がった。大きく伸びをし、すぐ横で眠っている涼に気を使いながらベッドからでた。
 窓を開けるとかすかな風と日差しが部屋に飛び込んで来た。やわらかな朝の日差しを期待した恭は面食らう。強い真昼の日差しだったからだ。
「お、お兄ちゃん、起きて起きて」
 さっきは起こさないように気を使っていた涼を叩き起こす。
「ん?朝か……」
「朝じゃないよ、昼だよ昼!」
「うぁ!?」
 涼も飛び起き、開け放たれた窓からの強い日差しに昼であることを実感する。
「やば……まさか置いて行かれてないよな」
 涼は隣の部屋の様子を見に行った。隣の部屋では泰造も沙希もさっきから寝たままだ。
「おーい。出発するんじゃなかったのかーっ」
 泰造を揺り起こす涼。
「お、涼。起きたのか。それじゃ朝飯でも食いに行くか」
 泰造はのんきなことを言っている。
「いや、今食っても朝飯にはならないって。昼飯ってかんじ」
「何、もう昼か!?……道理で朝にしちゃえらく腹が減ったと……」
 泰造の腹時計もちゃんと時を刻んでいた。
「それより早く出発しないと明るいうちにヒューゴーにつけないっしょ」
「そうだな。おい、行くぞ沙希」
「んー、もうちょっと……」
 泰造は布団をかぶったままの沙希を引っ張り出した。
「やめてよぅ……なにすんのぉ」
「急そがねーと間に合わねーぞ。飯食ったら即出発だ」
「ふぇ?買い出しは?」
「そんな暇ねーよ」
「そんなー。買いたいものがあったのにー」
「何だよ」
「鏡……」
「そんなものどこでも買えるだろ」
「そんなことないよ」
 恭が割って入って来た。
「これからヒューゴー行って、それからウーファカッソォでしょ?そうなると、デザインのいいのって手に入らなくなっちゃうの。ヒューゴーではデザインよりも機能重視だから、使い勝手はいいんだけど、女の子がもつにはちょっとって感じかな。ウーファカッソォは町そのものが派手だから、売ってるものも派手で悪趣味。値段も高いしね。おしゃれ関係はここで買っておかないと後で泣きを見るよ。泰造さんも服は今のうちに買っておいた方がいいかな。土方のおじさんやチンドン屋みたいな服で旅をしたくなければね」
「嚇かすなよ」
「本当のことよ」
 自分がチンドン屋のような派手な服を着ている姿を想像し若干恐怖を覚える泰造。
「うーん、それなら一応買い物もしておくか。時間は大丈夫か?」
「厳しいね。何ならもう一日泊まってもいいけど」
「俺たちの財布の中身がそれを許してくれねーんだ。今日何としても出発だ」
「近いウーファカッソォの方を先に回るって手もあるけど」
「それもいいけど、ウーファカッソォは役人までもが賞金出し渋るって賞金稼ぎ仲間の間じゃもっぱらの噂だしなぁ。金が無いうちはあそこにゃ行かない方がいい」
「じゃ、やっぱヒューゴーになるんかな。となると慌ただしいなぁ。どっちにせよあの辺りは治安最悪なんだよねー。なるべく早めについて一息つきたいんだけど。いっそ空遊機使う?」
「だから今財布の中身がそういう贅沢を許さないんだって」
「何ならおごるけど?」
 おごるという言葉に心を揺さぶられる泰造。
「いや、でもあんまり借りを作りたくないんだよなぁ」
 考え始める泰造だったが。
「それならこんなところで立ち話してないで早く出発できるように荷物まとめた方がいいんじゃない?」
 恭の言うことはあまりにもその通りなので、速やかに荷物をまとめ宿を出ることにした。

 朝食は、ランチタイムということもあって安くとれたのが救いだった。
 その後、雑貨屋通りで手早く買い物をする。これからこういう買い物ができないという脅しも受けているので泰造は今日一日の食費と宿代だけ残して衣料を買い込んだ。
 沙希もやはり衣料を買い込む。いつもならデザインであれこれ悩んで時間がかかるのだが今日はそんな暇は無い。当分困ることがないように多めに買っておいた方がいいので、少しでも気に入ったものがあれば迷わず買うことにした。
「何かこういう買い方ってあんまりしないから気持ちいいね。すかっとするよ」
 ほんのり上機嫌な沙希。
「財布もすかっとするけどな」
 泰造は限りなく軽い財布にため息をついた。
 一行は買い物を済ませると速やかにコトゥフを発った。
 ヒューゴーは海辺の都市だ。なので進路は海を目指すことになる。しかし目の前にあるのは小さな山だ。ヒューゴーはまだまだ遠い。
 道中ではたくさんの空遊機を見かけた。空遊機が開発されたのはほんの数ヶ月前だ。それがこれだけ走り回っているということは、中心的な製造地のイティアでは相当なペースで量産しているのだろう。いずれにせよ、歩いている横を空遊機でビュンビュン通られると若干イライラする。
 空遊機がこれだけ普及してくると世界の情勢も一気に様変わりするのではないだろうか。今までは遠かった場所もぐっと近くなる。郊外でも利便がよくなる。人が住みやすい場所もぐっと増える訳だ。
 ここ数年の発展は目覚ましいものがある。統治者である月読がこういった研究や産業に莫大な投資をしているのだ。もちろん、その見返りはそれ相応だ。横暴な搾取と恐怖政治で反感を買っているいる月読だが、世界の発展への貢献に関しては高い評価を得ている。
 しかし、これだけ急な発展を遂げた裏にはそれなりの代償があることもまた事実なのだ。多くの人がそれに気づいていないだけで。

 やはりヒューゴーへの到着は夜になってしまった。
 夜だというのに相当な賑わいだ。退廃的で享楽的な賑わい。仕事帰りの男たちが酔っ払って大声で歌いながら大通りを闊歩し、そんな連中にけばけばしい化粧の女達が声をかけている。自分の店に誘っているのか、それとも……。
 賑わいに釣られて町の奥に入り込んだ泰造たちは歩けば歩くほど不健全になる雰囲気にうんざりした。
 宿を探すとすぐに見つかったが、そういうところなのでそういう宿である。と言うか、旅人向けの宿は少なそうな感じがする。どちらかというとビジネス向けの、設備がしっかりした宿泊料も高めの宿なら工場街のそばにあるのだが、値段からして問題外だ。
「参ったなぁ。ビジネスホテルだのリゾートホテルだのに泊まれる余裕はないし、かといってまともな宿を探すのも骨だし。いっそここにしちまうか」
 いいかげんうんざりして来た泰造は流行ってなさそうな連れ込み宿の前で足を止めた。
「俺たちはいいけど。問題はそっちじゃない?」
 涼は涼しい顔だ。
「だよなぁ。俺は雨風しのげりゃかまわねーけど」
 泰造は沙希のほうを見る。
「別に宿なんて泊まれりゃいいじゃない。あたしもぼろ宿には慣れて来てるから平気だよ」
 沙希は何にも分かっていないようだ。
「いやな、ここはぼろいとかそういう問題じゃないんだよな……。ちょっと特殊な宿なんだ」
 やはりピンと来ない沙希。
「恋人同士で泊まるとこなの、ここは」
 恭が分かり易くそれでいて肝心な部分をはぐらかした言い方で説明した。
「えっ、そんなのあるの?」
 沙希はそういうものがあることを純粋に初めて知った。カームトホーク地方はもともと人が少ないうえ、人目を避けられる場所が野外にもいくらでもあるので、そう言ったものが流行らなかったりする。
 もっとちゃんと言っておいた方がいいような気がするが、恭がそういう言い方しかしなかった以上、男の口からそういう話題をまだ年端も行かないような少女にするのは躊躇われるため泰造も涼も余計なことは口にしない。
「別にあたしはいいよ、野宿になるよりましだもん」
 現在沙希は泰造にちょっと恋しちゃってるモードなので宵闇に紛れて頬を染めてまんざらでもない気分だったりする。やはりよく分かってない。
 やっぱりちゃんと教えておいたほうがいいんじゃないかとは思うが面倒なので泰造は余計なことは言わない。涼は恭の様子を見ているのだが、恭の本心はここで泰造が沙希に襲いかかってくれでもしたほうが自分の立場のためにもよいので、この状況は願ったりかなったりだ。
「じゃ、ここにするか。いずれにせよこの辺りにはこういうのしかないんだから仕方ない」
 言い訳のようなこと言いながら連れ込み宿のいかにもな門をくぐる泰造だった。
 こういった宿らしく、部屋毎に内装が違うようでどの部屋にするか聞かれた。とりあえず隣同士の部屋にしてくれとだけ言っておいた。オプションはどうするか、とも聞かれたが何が出てくるか分かったものではないので詳しく聞く前に断っておいた。
「うげっ、こりゃまたけばいなぁ」
 部屋を見た泰造の第一声。どぎついピンクに溢れかえった部屋だ。
「何か落ち着かない部屋だね」
 ここが落ち着く必要のまるで無い部屋だとは知らない沙希が言う。
「まぁ、どっちにせよこの部屋では寝るだけだからな。荷物だけ置いといて、寝る前に賞金首がいねーかちょっとうろうろして見ようぜ」
 涼たちも誘うかどうか少し悩むが、急ぎの旅で疲れているだろうし、分け前のことを考えれば誘わない方がいいような気がしてきたので、誘わずに行くことにした。

 外の繁華街は相も変わらず酔っ払いで溢れかえっていた。
 繁華街の人目につきそうなところには賞金首のポスターが張り出されている。ポスターにはどんな罪状で手配されているのか書かれているので、その手口からどの辺に出没しそうなのか、どういう奴が手下っぽいのかなどがある程度推測される。
 今は沙希が字を読んでくれるので苦労はしないのだが、泰造一人だったころはとにかく怪しいごろつきなどを片っ端から引っ捕まえたものだ。当然ながらはずれがほとんどで、大きいグループのメンバーなどに恨みを買うとお礼参りに来ることもしばしばだった。そのお陰で町を転々としたものだ。一つの町に長く留まることが少なかったのでそう言った輩に顔を覚えられることは少なかったのがせめてもの救いだった。
 それにしてもこの町はポスターが多い。政府が決める賞金首のほかに、自治体が指名手配しているのも多数ある。それだけ治安が悪いということだ。
 これだけ多いと覚えるだけでも一苦労だ。自治体のかけた賞金首は賞金額も少ないのでパスしたい衝動に駆られるが、圧倒的に数も多いうえに、ちょっとした事でもすぐに賞金がかかる。そのおかげで、路上のたかりや密売人などすぐに見つかる奴が多いので、ちゃんと覚えておかないと損をする。
 しかし、やはりこれを全部短い時間で覚えるのは無理がある。夜でも開いている自警団の詰め所で手配書の束をもらって、それを見ながら探した方が良さそうだ。
 早速詰所に向かう泰造たち。だが、詰所は大忙しだった。酔っ払いが大勢連れ込まれていてその対応に追われているのだ。
「賞金首の手配書がほしいんだけど」
 そんな様子にまったくおかまいなしで自警団員に声をかける泰造。
「あー、悪いがちょっと待っててな」
 案の定全く相手にされない。思えばここは繁華街のど真ん中だ。酔っ払いばかりで当然だろう。
 ほかの詰所にすりゃよかったな、などと思い始める泰造。
「おーい、そこで酔っ払いがケンカしてるぞ」
 大声を出しながら男が駆け込んで来る。
「ふぅ、またか」
 さっき泰造が声をかけた自警団員が立ち上がった。
「おい、誰かこいつ逃げ出さないように見はっといてくれや」
 そう言い残し行ってしまう。
「あ、そうそう。手配書は多分そこらへんにあるから勝手に持って行ってくれ」
 一応覚えていてくれてはいたようだ。しかし、その辺にあると言われてもどの辺にあるやら分かりはしない。
 とりあえず今声をかけた団員の机の中を見てみる。が、いろいろと見てはいけなかったようなものが入っているだけで手配書はない。
 よく見ると入り口のそばに、防犯勧告などのビラとともに手配書が並んでいた。一枚ずつ持って行く。ついでにビラの方ももらって行くことにした。最近流行りの手口などの情報になるからだ。もちろん泰造は読めないので沙希に読んでもらうことになるだろう。
 用は済んだので帰ろうとするが、沙希の姿が見当たらない。見回すと連れ込まれた酔っ払いにからまれていた。
「最近の若ぇ者はこんな時間に出歩いてけしからん。うぃ、いいか、俺が若いころはなぁ、昼間はへとへとになるまで働いてだな、それで呑む酒のうめぇことうめぇこと」
 説教してたんじゃないのか、と突っ込みたくなる泰造。このオヤジはただ単に喋りたいだけのようである。が、付き合ってやる義理はどこにもない。
「おい、沙希。手配書はもらったからとっとと帰るぞ」
 声をかけると沙希は助かったと言わんばかりにオヤジから離れようとした。
「まぁ待てや、若ぇの」
 オヤジはむんずと沙希の腕を掴んだ。
「きゃ、なにすんのよっ」
 とっさに沙希は腕を掴み返しひねり上げた。オヤジはたまらず手を放す。解放された沙希は慌てて泰造に駆け寄る。
「人の話もきかんとは最近の若い者は全くもってなっちょらん!」
 オヤジが喚いているが気にしない。
「とっさに技が出るようになったか。なかなかの進歩だな」
 一応沙希の師匠でもある泰造は感慨深げに言った。
「まぁ、まだまだ一人で賞金首相手にできるレベルじゃねーから調子にのるんじゃねーぞ」
「わかってるわよ」
 怒ったように言う沙希だが、泰造に褒められたのはまんざらでもないようだ。
「そんじゃまぁ行くか」
 泰造たちは詰所を後にした。

 通りではまだ酔っ払い二人のケンカが続いていた。先程の自警団員が仲裁に当たっているのだが、果たして酒で頭が麻痺した二人にその言葉は届いているのだろうか。
 全く冷静になる様子のない酔っ払いに辟易した自警団員は詰所への連行を決めたようだ。ただでさえ酔っ払いで溢れ帰っている詰所にさらに二名様がご案内だ。あそこが酒場だったら大繁盛と言ったところだろうか。
 ふと、自警団員が泰造たちの方に顔を向けた。
「あ、君たち。さっきから気になってはいたんだが、こんな時間に女の子が出歩くのはどうかと思うよ。昼間でも治安が悪い町なんだし、ましてやこんなところを子供が歩くもんじゃない」
 子供扱いされて沙希はちょっと悔しそうな顔をする。
「なーに、こいつはとっくに女を捨ててるから平気……」
 沙希の蹴りが泰造の太ももを直撃した。
「何しやがる!」
「あたしは女捨ててなんかいないもん!夢見る乙女になんてこというのさ!」
「夢見る乙女はいきなり蹴りなんざ入れねーぞ!」
「蹴りは入れても乙女だもん!」
「あー、大丈夫だと思うけど気をつけてな」
 これ以上面倒に巻き込まれたくない自警団員は、出しゃばらずおとなしく引っ込むことにした。
「それにしても結構いい蹴りだったな……。だてに足太くは……」
 また沙希の蹴りが来るが、今度はその動きを読んでさっと躱す。
「何で足太くなったと思ってんのよぉっ!毎朝走らされたうえに筋トレまでやるからすっかり筋肉質になっちゃったんじゃないの!」
「普通は引き締まって細くなるじゃねーの?」
「元々は細かったんだもん!顔も日に焼けて黒くなってきたし、最近はお肌の張りもなくなってきたし。ああ、女としての魅力がどんどんなくなって行くよぅ……。泰造、責任とってよね」
「どうとりゃいいんだよ、そんなの」
 沙希はにわかに落ち着き、今自分がなにげにとんでもないことを口走ったことに気付く。
「いや、だから、そのね……。やっぱりいいっ」
 一転してうろたえる沙希。泰造は何がなんだかよく分からないが、まぁ本人がいいと言っているのだからいいんだと思うことにした。
「さて、と。できれば今夜にでも一人くらい取っ捕まえられりゃいいんだけど。とりあえずこの辺うろついてみるか」
 ひとまず気合を入れる泰造。と、不意に袖を引っ張られた。沙希か、と思いつつ振り返ると見覚えのない女だった。
「お兄さん、遊んで行かない?」
 せっかく入れた気合が音を立てて抜ける。
「俺は金持ってねーぞ……」
 そう言ってやると女はそっぽを向いてどこかに行ってしまった。
「なにやってんの。遅いぞー」
 沙希に急かされる事になるとは、と若干屈辱を覚える泰造。
「で、どうするの?」
「まずは広場に出てみるか。この町の警備の具合にもよるが密売人なんかが出没することもあるからな」

 町の略図を頼りに広場を目指す。大きな通りなので真っすぐ広場に通じている。うるさい呼び込みを無視しながら歩いて行くと、割とすぐに広場に着いた。
 広場はこんな時間だというのに人で溢れていた。しかも、まるで祭りのような賑やかさだ。騒々しい音楽に合せて華やかで露出の多い服を着けた女性がステージで踊っている。集まって来ている男たちは一様に鼻の下を伸ばし、足にくらいは触れるだろうかと手まで伸ばしている人もいる。しかし、それから逃げるようにステージの女性はステージ奥へと下がり、おさわりはお店でね、などと言っている。大掛かりな客引きだ。
 この周辺はこんな店ばかりなのだろう。そういえば沙希がこの広場に入るときに立て看板をみながらこんなことをいっていた。
「うわ。出会いのラブラブ広場だって……なんか嫌……」
 ここ『出会いのラブラブ広場』は、工業の町として発展したヒューゴーに次々と若い男達や出稼ぎ労働者が集まりだし、そう言った寂しい男達を対象にした様々な店が新興の工業地域のそばに出来はじめた際に一緒に作られた広場だ。もう名前からしてこういう目的で使ってくれと言わんがばかりだ。
 実際のところ、客引きについて行っているのはほんの一部で、ほとんどが毎晩のように客引きのために開かれるショーや、客引きのために擦り寄って来る女達を目当てにした、けちな男ばかりのようではある。
 そうであってもこの賑わいはすごいの一言に尽きるだろう。この賑わいに紛れて活動している密売人も多そうだ。泰造は前もって密売人として手配されている賞金首の顔だけは覚えておくことにした。女連れで歩いていると勘違いした密売人が媚薬と称して怪しげな薬を売って来るかもしれないからだ。
「沙希。ここはいろいろと危なそうだから俺のそばにいた方がいい。離れるなよ」
 沙希とくっついていた方がカップルっぽく見えて密売人が寄って来やすいかな、という目論みもだいぶあったりする。そんな事とは知らない沙希はちょっと照れ臭そうにしながら泰造のそばにより、それでいて大胆にも泰造の腕を掴んだりする。泰造は泰造でそんな沙希に対し、そんなにびびらなくてもいいのに、などとこれまた勘違いするのだった。
「おーい、そこのお兄さん」
 さっそく声がかけられた。若い男だ。
「何だ」
 泰造は男に近寄り声をかけた。
「お兄さん、若い子が好みみたいだねー。うちには若い子が一杯いるよ。どうよ」
 普通の客引きなのでがっかりする泰造。どうやらこの辺でこの状況は客引きに引っかかっただけの様に見えるらしい。
「いや、遠慮しとくわ」
 速やかに男から離れる泰造。
「うちはちゃんとした店だから料金も安心だよー。おーい」
 まだ未練がましそうに声をかけてくる男。しかし、この言葉からこのあたりには安心できない不法な店もあるようだと分かる。
 泰造はちょっと戻って男に話しかける。
「俺は余所からきたんだが、この辺にはタチの悪い店もあるのか?」
 ちょっと訊いてみることにした。
「あるよー。ぼったくりの店とか免許もとってない店とかね。最近やたらと娼婦がいるだろ?そういうのもなんかでかいグループが関ってるって話だ。まぁ、客として関るぶんには料金もたいして高くないからかまわないんだが、病気持ってるかもしれないし、何よりそのくらいの子でも体を売らせてるらしいから、明らかに違法だよ」
 男は沙希のほうを見ながら言う。
「こんなガキ、買う奴いんのかよ」
 ガキ呼ばわりされてしょげる沙希。
「いるから売ってるんじゃないか。あんただって人のことは言えないんじゃないの」
「こいつは俺の相棒だ。勘違いするんじゃねーよ」
「相棒?何だそりゃ。んー、まぁどうでもいいか」
「しかし、その話は何か臭うな。その子らにはどこに行けば会えるんだ?」
「おいおいおい。興味ないって言ってなかったか?そういうやばいのに金つぎ込むんならうちにきてくれよ。ちゃんと合法的に経営している優良店なんだから、うちのほうがいいってば」
「買うなんて言ってねーだろ。少し裏を探ってみようって言ってんだ」
「裏を探るって……あんたら何者だ?まぁ、そいつらがいなくなってくれりゃ、うちにももうちっとは客が流れて来るかも知れないからな。潰してくれるってんなら誰でもいいや。娼婦共に会おうってんなら簡単よ。歩いてりゃ向こうから声かけて来るさ。こういうところより通りだな。若いのは裏町だ。歓楽街の三番通り、別名『恋の花園ストリート』に最近できたばかりのでかい連れ込み宿がある。娼婦共はそこに客を連れて行くからその近くが多いぞ」
 三番通りはまさに泰造たちの泊まっている宿のある通りだ。それにしても『恋の花園ストリート』などという別名があったとは。
 言われてみれば泰造たちの泊まっている宿の近くにそれに該当しそうな、悪趣味で大きな宿があったのを思い出した。高そうだったので真っ先に敬遠したところだ。
「うーん。その宿も怪しいな。しかし、自警団が動いてもおかしく無さそうだけどなぁ。そんな大掛かりな組織が動いているんならさ」
「いいや、この町の自警団は毎日起こるケンカの仲裁や暴力事件の解決に追われてて、そこまで手が回らないのさ。ましてやここは歓楽街だろ。住宅地ならともかく、この辺にいる女はほとんど商売女だ。だから女絡みの犯罪は軽くみられちまうんだ。うちで働いている子らもちょくちょく被害に遭ってるよ。いくら仕事で慣れてるたって嫌なもんは嫌なんだけどな……。この町はみてのとおり男の町。女性の人権なんざ紙っぺらみたいなもんなんだよ」
「ひでー話だな、そりゃ」
「あんた、よそから来たんだね。この町のこういう考え方に染まりたくないなら他の町に行くことだ。こういうでかい町じゃ、たとえどんな非道なことでもそれが当たり前なら何にも気にならなくなっちまう」
「俺はただの流れ者だから、こんなガラの悪い町に住み着く気なんざ更々ねーよ。じゃ、いい話が聞けたよ。ありがとな」
 客引きは手だけを振ると、何事もなかったように近くにいる男に声をかけ始めた。

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