賞金稼ぎ烈伝 Taizo!

第弐捨六話 捨てられた都

 人々は繁栄の代償に何かを失って行く。
 とても大切な何かを。


 コトゥフの静かな夜が明け朝が訪れた。泰造は時間通りに寝床から起き出した。細い光の漏れる窓を開けると朝の冷えた風と淡い朝日が部屋に飛び込んでくる。空を見上げれば雲一つない青空だが、わずかに霞んでいる。この地方の上空を覆う煤煙のためだ。
 快晴の空に満足げに頷くと、いつも通り寝こけている沙希を容赦なく叩き起こした。夕べは悶々としてなかなか寝つけず、ようやく朝方になって寝付いた沙希だったが、泰造はそんなことを知る由もない。やはりと言うか何と言うか、今日はいつもに比べて起き出すのに時間がかかり、起きてからもぼーっとしている。
「眠そうだな。眠れなかったのか?」
「うん、ちょっとね……」
 まだ眠そうに泰造の問いかけに答える沙希。泰造はそんな沙希に一っ走りすれば目も覚めるぞと言い、いつも通り早朝のランニングに引っ張り出した。
 コトゥフにはよいジョギングコースがある。都市部の外周を塀に沿ってぐるっと回るのだ。
 コトゥフは大都市と呼ばれているが、都市部と言われている中心部分は実に小さな区画だ。人口のほとんどは外側のダウンタウンに集まっている。もっとも、昼間は高層建築の多いコトゥフの都市部に人口の過半数が収まっているのだが。朝のジョギングコースに丁度いい程度の外周しかない小さな区画に、世界でも屈指の大都市のほとんど全てが集まっているのだ。
 ジョギングを終えるとすぐに涼と恭を誘って朝食。いつもなら泰造と競い合って食べる沙希だが、今日は小食だ。泰造はその様子を訝るが、寝不足のせいだろうとあまり深くは気にしない。ただ、いつもなら食べるものを取り合いしたりするのだが、今日はそれもないので泰造も早く食べ終わった。
「俺達、ちょっとラーナまで行ってこようと思ってんだ」
 泰造はまだ食べている涼に言った。夕べ沙希と二人で決めたことだ。
「ラーナ?ラーナに行くならウーファカッソォから行ったほうが近いじゃない。そのうちウーファカッソォにも行くっしょ?そん時のついででいいじゃん」
 食べながら涼が言う。
「それはそうだけどさ。いかにせん俺達も暇で仕方ねーんだよ。バイトで小遣いも入ったし。そっちは忙しいだろ?それとも来るか?」
 泰造は一応誘うだけ誘ってみる。
「俺はバイトがあるからパス」
 涼はそっけなく言う。
「あたしも調べたいことがまだ残ってるから……。ごめんね」
 恭は申し分けなさそうに言うが、本心は折角二人きりにさせられるのにわざわざついて行って邪魔することもないと言ったところだ。
「ま、だろうと思ったけどさ。誘わないと後で何か言われそうだしな」
 確かにその通りなので涼も恭も苦笑いする。
「でも、ラーナなんて見るところほとんどないよ。遷都でリューシャーに全部移っちゃったっしょ?ほとんどゴーストタウンだって聞いたけど」
 楊枝をくわえながら涼が言う。
「いいんだよ、暇つぶしにはなるだろ」
「ならいいんだけど。なんか面白い物見つけたら教えてくんない?それによって俺たちも行くかどうか決めるからさ」
「下見させる気かよ。ま、いいけどさ、日帰りだからそんなにいろいろは見てこねーぞ。そのつもりでな」
 実際、泰造が以前ラーナにたどり着いたときは、既に遷都からだいぶ経っていたのでだいぶ寂しい町になっていた。
 ラーナはかつて首都だった都市だ。戦乱のころに作られた都で、山に囲まれた地形は自然の要塞と言ったところだ。しかし、戦乱は遠く去り、山奥の都は不便なだけとなった。そこで海沿いの町、リューシャーに遷都したのだ。
 リューシャーは遷都前はとても小さな町だった。なぜそのような場所に遷都するのか、と誰もが疑問に思っただろう。だが、リューシャー近辺の海はとても豊かで漁獲量も多い良質の漁場でもあった。統治者である月読は更に大きな漁港を作らせ、大きな都市になっても十分な漁獲量を確保させた。そのおかげで町は飛躍的な発展を遂げ、ほんの十数年でかつての首都であるラーナをも凌ぐ巨大都市にまで成長した。
 何もないところに新たに都市を築いたのは、月読が都市を一から設計するためでもあった。リューシャーは月読が必要としているあらゆる機能を備えた都市でもある。ただ、元々何もない小さな港町だったので、都市機能のほとんどをラーナから移転させなければならなかった。実際、遷都と同時にラーナの住人のほとんどがリューシャーに移り住み、リューシャーは急激に栄え、ラーナは急激に衰えたのだ。

 食事を終えた一行は店の前で各自解散になった。
 涼はバイト先へ。恭は図書館へ。泰造と沙希はラーナ方面への道をたどり始めた。
 やはり眠そうな沙希を無理につれだすこともないので、今日は止めるかとも聞いてみた泰造だが、沙希が行きたいといったので予定通り出発することにしたのだ。沙希としては久々に二人きりでどこかに行けるのが少し楽しみだったりもする。なので無理をしても行きたかったのだ。
「ねー。日帰りって言うけど、歩いて行って本当に日帰りできるの?ラーナってそんな近くにあるの?」
 沙希は泰造に聞いてみた。
「ああ。あの山の麓にあるのがラーナだ。山に囲まれてるんだ」
 遠くの方に山が見えている。ただ、遠くといっても地平線の上にわずかに、という感じではない。たいして大きくもない山だがすでに結構な大きさに見えている。
「へぇ、近いんだねー。ほとんど目の前じゃない」
 まだ二人がコトゥフを発ってさほど時間が経っているわけでもない。まだ後ろにコトゥフの町並みが窺える。
「町と町が近いのはこっちじゃそんなに珍しくもねーさ。むしろカームトホーク辺りの町のなさの方が俺にはきつかったぜ。道がどこまでも真っすぐで、町をつなぐ街道しかないから、街道を辿ってりゃどこかにゃたどり着くけど、日が暮れかかってんのに町も何も見えなくてな。夜になって明かりが見えてようやく人が住んでるのが分かるって感じだろ。まだオトイコットまでは人が住んでたけど、その先進んだらそっこーで後悔したぜ。道も山道だしな」
「あたしはそれが当たり前だと思ってたんだけど……。よその町に行くって決まったら大荷物持って、途中でキャンプしてさ。半日で隣の町に行けるなんて考えたこともなかったよ。それに、こっちに来てからはだだっ広い野原はなくて畑ばっかり。本当に人間のいないところってないんだね」
「ああ。平たいところはあらかた畑か田圃だな。山は材木になる木ばっかり植えられてるし、こっちは獣もいないだろ。人間が生きるのに邪魔になる生き物はあらかた退治されてんだ」
「人間を襲う獣とか?」
「それだけじゃねーぞ。畑を荒らす獣も、果ては鳴き声がうるさいってだけでもだ。平たく言えば家畜以外の大きな動物はほとんどいねーよ。驢駆鳥でさえ野生の奴は駆除対象だ」
「それってひどいじゃない……」
 露骨に嫌な顔をする沙希。
「まーな。この辺りの人間はそうやって繁栄してきたんだ。大半の人間はそれが当たり前だと思ってる。山脈の向こう側にはそういう生き方が嫌になった連中が逃げたんだ」
 言いながら泰造は思う。やはり沙希はそういった民の血を引いているのだと。自然とともに生きることを選び、傲慢な人間の生業に嫌悪を覚える。それとも、ただ単に思想の違いを感じているだけなのか。
「泰造はこっちから来たんだよね?やっぱり、そういう考え方なの?」
 沙希は少し寂しそうな目をしながら泰造を見つめた。言葉で答える前に、泰造は首を横に振った。
「俺は育ったのはここじゃない」
「じゃ、あたしと同じ?」
「それも違う。俺は沙希の反対側から来た。三巨都の向こう側には荒野が広がってる。こっちの連中は『死せる大地』なんて呼んでやがるけどな。俺はそこから来たんだ」
「死せる大地?」
「ああ。こっちの人間が勝手にあの土地は死んでいるとか言っているだけだ。あそこに暮らしている人間も少なくないはずだし、人間以外の生き物もたくさんいる。過酷だけど死んでるとは思ってねーよ。あそこは……なぁ、『神々の黄昏(ラグナレク)』って知ってるか?」
 突然の問いかけに首を傾げる沙希。
「あまりよく知らないけど『高天の原に神々の黄昏の訪れし時、地平線の少女五つの宝珠とともに昼と夜の間に降り立つなり』っていうあれ?」
「そう、それだ。俺たちの住んでいた辺りはずっと昔にその『神々の黄昏』で滅びた世界の跡なんだ」
 数千年前。その地には発達した文明が栄えていた。もはや伝承でさえその姿は伝えられていないが相当に高度な文明だったようだ。
 しかし、繁栄を極めた文明に唐突な終焉が訪れる。『神々の黄昏』と呼ばれるカタストロフィだ。それにより何が起きたのかは分からない。ただ、その凄まじい痕跡が今でも大地に残されている。
 最も栄えた都市のあった土地はその出来事の衝撃で大陸から切り離れてしまった。大地が裂けたのだ。その裂け目は海となり、今では断罪の海と呼ばれる。その下には地の底まで続くような大海溝が口を開けている。大陸に残されていた部分もほとんどが不毛の地だ。今でもいくつもの町を飲み込みながら広がっている砂漠、焼け焦げた大地。脆くなった大地は荒れ狂う海により少しずつ削られていると言う。
 伝承で残されているのは抽象的な詩のような一節のみ。そして、その一節に登場する『地平線の少女』が、かつてそれほどまでの天変地異が起こりながらも現在まで人が生き延びて来た鍵を握っていたらしい。
 伝承は伝承として、つまり過去のこととして人々の間に語り継がれて来た。だが、ここに来て統治者である月読が地平線の少女を捜している、と言う噂が広まり、人々は何か起こるのではないかという不安を抱き始めている。
「あんまり深い意味はないかもしれないけどさ」
 不意に泰造が切り出した。
「俺がお袋に聞いたのはちょっと違うんだ。『大地が人で溢れ、夜の闇を大地が照らしあげるとき、失われた夜を取り戻すために闇が世界を包み込む。『神々の黄昏』ののち世界には永い夜が訪れ人々は永い眠りにつく。そのとき、地平線の少女が彼方の大地より現れ朝を告げる光になるだろう』っていうんだけど、俺がガキのころずーっと住んでいたマシクの町で語り継がれてたのは普通に広まってる奴だった。後から聞いたんだが、俺のお袋はまだ赤ん坊だった俺を抱いて他所から来たって話だったし、俺の本当の故郷はきっとこの伝承の伝わっているところなんだと思ってさ。世界中回って探してるんだけど……。やっぱり東のほうにはないみたいだな」
「ねぇ。あたし、泰造の昔のことってあんまり知らないよ。聞きたい。嫌じゃなかったら話してよ」
 いつかもこんな事をせがまれたな、と思いながら泰造は自分の幼かった頃の記憶を手繰りだした。

 泰造が物心ついた頃には母親と二人で砂漠の町で過ごしていた。泰造の母は旅をしていたらしく、ひとつの町にはさほど長く留まらなかった。そのためはっきりとした故郷の記憶は泰造にはない。
 マシクの町は泰造の旅の始まりの地点でもあり、泰造の母の旅の終わりの地でもある。
 幼くして母を失い、頼るものがいなくなった泰造は、泰造が『師匠』と呼んでいた人物に引きとられた。師匠は武芸に秀でた達人で、泰造に稽古をよくつけてくれた。師匠は泰造の才能を認め、その全ての技を泰造に教えこんだ。幼い頃から砂漠を歩き通した頑丈な体と飲み込みの良さで、最も幼いながらも数人いた弟子の中で最も優秀な弟子とされた。
 三年ほどの修行で、師匠は泰造に全てを教えつくした。そして、その頃マシクの町は少しずつ寂れ始めていた。
 泰造は早めにマシクの町を後にした。その後、賞金稼ぎとして名を挙げていく。
 泰造は賞金を稼ぎながら世界を巡っている。泰造の古い記憶にのみ残された伝承と同じものの残る地を探して……。
「大陸の北の果てのモーリアでも伝わっているのはこの辺と同じ伝承だ。まぁ、このあたりに住んでた連中が逃げてったっていう歴史を考えると当たりめーだったかも知れねーけどさ」
「それじゃ、マシクの町の、その先は?そっちの方にあるんじゃないかなぁ」
 沙希が口をはさんできた。
「だとしたら……もうとっくに無くなっちまってるかも知れねーな。そっちはそういう所だから」
「そんなこと……ないよ。ねぇ、見つかるといいね、泰造の故郷」
「……だな」
 話しながら歩いているうちにいつの間にか日はかなり高くなり、山に囲まれたラーナの町も目前にまで迫っていた。

 かつての首都、ラーナ。
 しかし、その栄華はすでに遠く去っていることは町の様子を見ればあまりにも明白だった。
 町は荒れ果てていた。石畳の隙間から草が顔を出し、所々木が生えだして捲れ上がっている。建物もほとんどが蔦に絡まれ、やはり木などに崩されているものも多く見られる。
 町に人影は見当たらない。寂れている、というより廃墟といった所だ。
「なんだよ、こりゃ……。人いるのか、この町は」
 思わず泰造は思ったままの不安を口にする。
「もうちょっと歩いてみようよ」
 沙希の言葉に頷く。それにしてもこの町は本当に人の姿はおろか、人の暮らしている様子さえない。ほんの十数年前に遷都した、と言うのが信じられない。まるで数百年も放置されたような感じである。
 不意に物音がした。そちらに目を向ける。が、物音の主は人ではなかった。しなやかな動きで道に飛び出してきたのは斑鹿(マキュラカプリロ)だった。
「獣……?なんでこんな所に?」
 泰造は不思議がる。この辺の獣はとっくにあらかた狩られているはずだ。
 斑鹿は泰造たちに怯える様子もなく堂々と道のまん中で石畳の間から生えた草を食んでいる。
 その後、時折斑鹿の姿を見かけた。まるで住民のように斑鹿が街中を闊歩している。異様な光景である。
 町の中心が近づくに従い、道もきれいになってくる。そして、ようやく人の姿が見えた。残された人々は町の中心に集まり、細々と暮らしてきたのだ。ようやく町らしい町になってきた。ひとまず安心した泰造たちは、安心したせいか腹が減ったので何か食べられる店を探すことにした。店はすぐに見つかった。元々機能している店が少ない。ほとんどが廃墟で、人が住んでいる家はちゃんと手入れされているのでひと目で分かる。
 入った定食屋のメニューには、やはりと言うか何と言うか、斑鹿の肉料理が多かった。
「そこで生きてる鹿見てきたからあんまり鹿を食べる気にはなれないなぁ」
 沙希がぼそっと言う。とは言いながら、やはりおいしそうなのでついつい注文してしまったりもする。
「なー、なんでこの町はあんなに鹿だらけなんだ?」
 焙りたての鹿肉にむしゃぶりつきながら泰造が店のオヤジに訊いた。
「このあたりにゃ、昔はでかい鹿牧場があったんだよ。牧場と言っても、山に放してただけだけどな。野菜やら穀物やらは種類にもよるが大概は簡単に運んでこられる。ただ、肉はそうはいかないからな。肉に関しちゃ自給自足みたいなもんだった。でもな、遷都でその牧場がリューシャーに移る時、全部連れて行けないから何匹かを山に残していったのさ。捨てたようななもんだな。そしたら、この辺にゃ天敵もいないし、あっという間に増えちまった」
「それじゃ、元々食うための鹿だったってことか」
 だからこそ鹿のメニューも多いのだ。
「食べられるために生きてるなんて、なんかかわいそうだなぁ……」
 また沙希が呟いた。
「もうこの辺りには野生の動物なんてほとんどいねーし、これだけの人口を支えるだけの肉を獲るにはそれしか方法がねーんだよ。牧場なんてまだいいほうだぜ、放し飼いにして伸び伸び育ててるんだからな。中にゃ生まれてから食える大きさになるまで檻の中だけで育てている所もある。太陽の光も入らない薄暗い小屋の中で餌だけ食って、外の世界も知らないまま食われていく。食われるためだけに生み出された種類の獣までいる。そこまでしねーと人間は食っていけねーってことさ」
 沙希がショックを受けているのは傍目にもよくわかった。
「あたし、動物って皆山とか林とか、草原を駆け回っているものだと思ってた。食べられるためだけに、生まれてから死ぬまで檻の中で過ごすなんて……。そんなことなら、生まれて来たくない……」
 肉の塊を皿の上に残したまま箸を置いてしまった沙希に泰造は言う。
「残すなよ。こいつはこうやって食われるために命を落としたんだ。残されて、捨てられたんじゃこいつが死んだ意味も、生まれて来た意味も否定されたのと同じだ」
「そだね……」
 沙希はまた鹿肉に箸を伸ばした。
「おやっさん、悪かったなぁ。こんな所でこんな話しちまってさ。周りに客がいなくてよかったよ」
 振り返りオヤジに謝る泰造。それを聞いてオヤジは快活に笑う。
「客がいなくて悪かったな。まぁそれは置いといて、こういう話をするにはこの町はいい所だと思うよ。都会の連中は肉は食べるがその肉がどんな動物の肉なのか、それどころかそれが元々生きていたってことさえも知らない奴も少なからずいるんだ。この寂れかえっちまった町がそういうことを考えさせる切っ掛けになりゃ、わしらもこんな町に残った甲斐があったってもんだ」
 オヤジは人懐っこい顔で言った。
「なぁ、もう一つ訊いていいか?この町の荒れ果てようはなんなんだ?まるっきり山奥の遺跡じゃねーか」
「知ってのとおり、遷都があったろ?それで、この町の連中はあらかたリューシャーに移っちまった。残った連中も急激に寂れたこの町を出て三巨都あたりに引っ越した。何もかもをほっぽってな。で、残された連中は町のまん中に集まったのさ。そしたらどうだ。使われなくなった端っこのほうはあっという間に草ぼうぼう、木まで生えてきた。この町が都だった頃は草なんかほとんど生えてなかったのにな。千年近い歴史のあるこの町の下にもまだこれだけの生命力が残ってたってことよ。おかげですっかり山奥みたいになっちまった。あと十年もすると石畳もただの石になっちまいそうだ。千年の栄華なんぞ失われるのはあっけないものさ」
 遷都で捨てられたために、農地になっている郊外よりも田舎になってしまった。どこよりも人の手が加えられてきていた都も、自然の力の前ではただ並べられた石のようなものなのだ。
 鳥が運んで来たのだろう種が芽を出し、町の至る所に木が生える。その木はやがて育ち町のあった場所を林に、そして森に変えていくだろう。この大地は長らく人の支配を受けながらも、まだ生きているのだ。

「山に行きゃそこかしこに鹿がいるぞ。この町の広場も人間よりも鹿のほうが多い。半野生の動物はこの辺じゃ珍しいからな、鹿目的の観光客が増えてきた。まだこの辺の連中にも自然を懐かしむ気持ちが残ってたってことだな」
 店を出る間際、オヤジが言った。
「どうする?広場に行ってみるか?」
「そうだね。他に見るところ無さそうだし」
 泰造たちは山道のような大通りを抜けて広場に出た。
 町の機能が止まってしまったために広場の池の噴水も既に止まっているが、水がちょろちょろと流れてていて、斑鹿の水飲み場になっている。広場に人影はなかったが、話どおり斑鹿がたくさんいて閑散とした感じはどこにもない。
「なんだか、鹿の町みたいだな」
 ぼそっと泰造がつぶやいた。
 泰造たちが近くに来ても斑鹿は逃げようともしない。中には寄って来る鹿もいる。
「慣れてるんだね。かわいいっ」
 沙希が斑鹿の顔を撫でながら言う。斑鹿もそれを嫌がるでもなくおとなしくしている。
 泰造は近くのベンチに腰を下ろした。もちろんベンチに鹿の糞がないかは確認した。
「あっ、子鹿だっ。かわいいいぃぃっ」
 遠くを歩く親子の鹿に向かって駆け出す沙希。子鹿はさすがに驚いて逃げ出すが、沙希はその後をしつこく追い始める。
「あんまり遠くに行くなよー」
 などと言いながら泰造は思う。別にいいか。こんな人の少ないところならすぐに見つかるだろう。
 腹一杯になった泰造はうららかな日差しと辺りの静けさに眠くなってきた。

 子鹿を追いかけていた沙希は小さな四阿を見つけた。
 覗いて見るとそこには緑色の丸い物が山のように積まれていた。
「あっ、お団子だ。草団子ー」
 値札には二ルクと書かれている。
「おいしそう……」
 のぞき込む沙希に、店のおばちゃんが笑いながら言う。
「これは鹿の餌だよ。人間が食べられないってこともないけどあんまりおいしくないよ」
「えっ、鹿の餌なの?」
 興味を持った沙希は早速団子を買って近くにいた斑鹿にあげて見る。斑鹿は鼻先を沙希の手に近づけると舌先で団子を掠め取った。
「きゃ、きゃー。おもしろーい。ねー、おばちゃん、もう一袋ちょうだい」
 沙希は団子をもう一袋買って泰造の元に走って行った。

「たいぞーっ」
 沙希の声に目を覚ます泰造。目を開けると目の前に鹿の鼻面が迫っていた。
「うあ、び、びびったああぁぁっ」
 瞬時に冷や汗まみれになる。鼓動も荒くなっている。目覚めとしては最悪だ。
「なにやってんのよ、泰造……」
 鹿の横から沙希がのぞき込んできた。
「いや、起きたらこいつがさぁ……」
 言いかけた泰造は沙希が持っている包みに気付いた。
「お?なんだそれ」
 沙希が差し出すと、泰造は受け取り袋を開けてのぞき込む。
「団子?」
 早速つまんでみる泰造。沙希が止める余裕さえ与えない。
「……味気ねー団子だな。きなこかあんこがついてねーと……」
「泰造……それ、鹿の餌……なんだけど」
「なにっ……。へんなもの食わすなよ」
「あたし食べろなんて言ってないし。勝手に食べたのは泰造だし」
 全くもってその通りで、返す言葉もない泰造。
「鹿の餌かよ……。道理できなこがついてねーわけだ……」
 泰造はきなこがついていれば全部平らげてしまいそうだ。
「ほら、こうやって鹿に食べさせるの」
 泰造の顔をのぞき込んでいた斑鹿に団子を与えるとおいしそうに食べる。
「へー。おもしろいな」
 泰造も団子をあげてみた。それに釣られたのか周りにいた鹿がだんだん寄ってきた。
「お団子、もっと買って来るね」
 沙希は泰造に自分の団子の残りを預けて走って行く。すると、周りの鹿がすべて泰造ににじり寄ってきた。この状況に一人残された泰造は果てしなく心細くなるのだった。
 沙希は三袋の団子を買い、合せて百近い数の団子を鹿に食べさせた。そのうち四つを泰造が食べ、やはりきなこが欲しいと漏らした。

 団子がなくなっても寄って来る斑鹿から逃げるように広場を出て、そのままラーナの町を後にした。
 少し離れたところで振り返るラーナの町はかつて首都だったころを彷彿とさせる姿だった。しかし、このままあと十年もすればほとんどが森となり、ここに町があることさえもわからなくなるかもしれない。
「おもしろかったね。あたしも山の暮らしは長いけど、あんなに人懐っこい獣って滅多にいないよ」
「向こうも人は見慣れてるって事だ」
 自然とともに生きようとしているカームトホーク辺りでは襲うか襲われるかという張り詰めた関係だというのに、皮肉にも自然という物に縁遠いこの場所で半野生の獣と親しみを持って接することができようとは。
 自然は自然のままに、と言う考え方ばかりではなく、このような形での共存もできるのではないだろうか。
 かつての栄華の跡を忍ばせながらも朽ち果てた都ラーナ。木々の緑に霞んだかつての町並みは華やかながらも穏やかな理想郷に見えた。

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