賞金稼ぎ烈伝 Taizo!

第弐捨四話 策略

 時には知恵が必要だ。
 力のぶつかり合いばかりが戦いではない。

 神聖都市コトゥフ。今までに幾多の厄災に見舞われながらも壊滅を免れてきた古い都市だ。コトゥフは都市自体が巨大な結界になっている。そのために邪悪なものを一切寄せ付けない。自然の猛威には結界は何の力もないものの、そういった危険の少ない土地を選んで興された町なので今までに天災に見舞われたことはない。
 それだけに、この町の建物はどれもが古めかしい。数百年、中には千年以上昔の姿をとどめている建物もある。多くの町が自然との闘いのうちに崩壊していくこの世界では貴重な、古の文化に触れることのできる都市でもあるのだ。
 そして、その結界を初めとするさまざまな秘術がこの地で研究されているのだ。そのほか、この世界に残るさまざまな神話や世界の真理などに対しても研究が進められている。ここは、都市自体が一つの大きな研究機関といえよう。そのため、この都市に住むだけでも資格が必要となる。
 結界に守られた危険のない都市だけに、この都市へ移り住むことを希望するものが後を絶たないのだが、当然それを全て受け入れることはできないのだ。
 ただ、研究などの目的で短期間逗留する人や、古い都市だからと言うことで観光に訪れる者も多い。そのため、結界の外側は多くの宿や店舗がひしめいている。ダウンタウンだ。
 下級の神官や研究者などの居住区もダウンタウンにある。店があり、住居があり、細かな路地を含め幾多の道が縦横無尽に走り、街は賑わっている。ダウンタウンは普通の街と同じなのだ。
 もっとも、結界の外とは言え、その力はダウンタウンにも及んでいる。そのため治安はよく、多少便が悪いのを除けば理想的な住環境と言える。

 泰造たちがキャブを降りた場所は結界の入り口、研究区の門の前だ。キャブが入れるのはここまでとのこと。門の中に入るには手続きがいるらしく、何人かが順番待ちしている。いずれもいかにも研究者といった風情で、いかにも物騒なナリの自分たちが果たして入れてもらえるのか不安になる泰造たち。
「あのー」
 おずおずと厳つい顔の係官に声をかける泰造。
「観光かね?」
 顔相応にドスの利いた声で応対する係官。ただ、泰造にとってこの手のタイプはむしろ慣れている。少しリラックスできた。
「観光……か?ちょっと調べ物がしたいんだけど」
「それじゃ学術研究者チケットを発行しておこう。これは一人五十ルクになるがいいかね?」
「……いいのか?」
 不安になって他の面子に聞いて見る泰造。
「うーん、チケットによっては入れる施設に制限があるみたいだね。安い観光地ケットだと寺院みたいなところは外から眺めるくらいになっちゃうよ」
「じゃ、一応その学何とかってやつにしておくか?」
「学術研究者チケットだと書庫や研究施設にも入れるみたいだし、こっちの方がいいね」
 意見がまとまった。
「じゃ、こっちか。みんな合わせて二百ルク……何か今日は出費が多いな……」
 渋々金を払う泰造。恭と涼はさすがに自分たちの分は払うが、沙希はおごってねと言わんばかりの視線を泰造に投げてくる。二人分払わざるを得ない。愚痴る泰造をなだめながら一行は門の中に入って行った。
 結界の外周でもある塀の内側には、外側のごみごみと雑多な町並みとはまるで掛け離れた風景が広がっていた。数百、数千という年月を越えて存在し続けた、独特な様式の建造物が立ち並び、一種の魔法陣を形作っている道は、その陣の力を強めるために強い力を秘めた不思議な色合いの魔石で舗装されている。今までに見たどの街とも違う神秘的な街だった。
「すげぇ……」
 呆気にとられる一行だが、今は見とれている暇は無い。
 街の入り口には案内所があった。早速そこに問い合わせることにする。
「なぁ、化けもんをやっつける方法を知りたいんだけど、どこで調べりゃいいんかな」
 荘厳な雰囲気に普通なら恐縮しそうなものだが、そんな様子は毛頭ない泰造。しかも質問がいきなり過ぎる。係員もあまりに唐突な質問にやや戸惑ったようだ。
「化け物……ですか?具体的にどのようなものか分かれば案内もしやすいのですが」
「具体的と言ってもなぁ。人に取り憑く奴でなんかこう、取り憑かれるとぐおおおおぉって感じの……」
 さっぱり分からない説明をする泰造。しかし、それでも案内係には十分だったようだ。
「それならば対魔対呪研究所に行くといいでしょう。祭業区の真ん中辺りにある施設です」
 案内係は市街図を指差しながら懇切丁寧に道順を教えてくれるのだが、道が魔法陣を形作っているだけに、道の形も不可思議だ。路地を駆使すればほとんどまっすぐ目的地へたどり着ける他の町とは全然勝手が違う。地図を目で追う泰造の目はすでに虚ろで憶えきれてないのがありありと見える。泰造に任せておくと間違いなく迷うだろう。そこで涼が代わりに道を覚えることにした。
 もらったパンフレットに書かれた街の略図を見ながら進む一行。街の中は驚くほどに人影がない。観光客や研究者がまれに歩いているだけで、街の人々は今頃施設にこもって研究なり祭事なりに専心しているのだろう。
 実際に歩いて見ると、街のあちこちに案内板が設けられており、思ったよりも迷うことはなさそうだった。何もなしでは泰造のように道が分からなくなる人が多いのだろう。もっとも、字の読めない泰造には文字による案内は無意味なのだが。
 案内板の指し示す方向に向かうとすぐに対魔対呪研究所が見つかった。入口を見張っていた守衛にチケットを見せる。
「ここは対魔対呪研究所です。何か調べ物ですか」
 守衛がチケットを確認しながら訊いた。
「バケモンをどうにかしたいんだけど」
「それならば二階の対策室にどうぞ」
 ようやく、目的の場所らしいところにたどり着いた。しかし、ここからどうすればいいのかわからなかったりする。
「どうする?資料でも漁ってみようか?」
 涼が言うが、漁る資料が多すぎる。
「やっぱり誰かに聞いてみるのが早いと思うけど……」
 人はいるのだが、みんな研究で忙しそうな感じだ。
「ちょっといいか?」
 忙しそうなのだが、泰造はもうおかまいなしで声をかけている。
「私は研究員だ。話ならそこの係員に聞いてくれ」
 たらい回しにされる泰造。仕方なく係員に声をかける。
「あのさ、話するならこっちでって言われたんだけど」
「はい、どうぞ」
 ほっとする泰造。
「バケモンをどうにかしたいんだけど」
 このセリフも何度言ったか。
「えーと、化け物と言いますとどのような……」
 泰造が説明を始めようとすると、横から恭が割り込んできた。泰造に任せておくと時間がかかるのが目に見えている。
「おそらくは人に取り憑くもので、取り憑かれた人は加護の力を得られるようですがその見返りとして人を殺さないとならない、といった感じを受けました」
 さすが恭は喋るのがうまい。
「その取り憑かれた人は自我を無くしていませんでしたか?」
「いえ……。自分の言葉でちゃんと話していました」
「うーむ、それですと人に取り憑いていたというよりは人のそばに付きまとっている感じだと思いますね」
 なんとなくそれらしい会話になってきた。泰造ではこうはいかない。沙希にも無理だろう。
「でもよぉ、あれで正気なのか?正気であんなに人を殺しまくってるのかよ」
 泰造が口を挟んだ。
「……もしかして、その取り憑かれた人というのは豪磨という凶悪犯では?」
「おう、そうだそうだ」
「それを早く言ってくださればいいのに。なんでもこの都市に近づいているとの情報もありますし、急いで調べているところなのですよ」
「おっ。そりゃあ手っ取り早くていいや。どうすればあいつをやっつけられるのか教えてくれよ」
 泰造が身を乗り出した。
「まだ研究中でなんとも……」
 帰ってきたのはなんとも頼りない言葉だった。
「なにー!?そんなんじゃ間にあわねーだろ!?」
 泰造は係員に掴み掛かった。沙希と恭が慌てて引き離しにかかる。
「いや、その、対策はあるんですけどね」
 服の乱れを直しながら係員が怯えた様子で言った。
「何だよ。それを早く言ってくれよ。で、どうするんだ?」
 ほっとした笑みを浮かべ泰造が言う。そんな泰造の様子を見て係員も少しほっとしたようだ。
「えー、邪悪なものを退ける『破邪詞』という呪文のようなものがあります。それを唱えれば追い払うことはできるでしょう」
「……それ、やったけどあんまり効かなかったぞ、それでここに来たんだ」
「ぅえっ!?」
 かなり驚く係員。
「ま、君たちみたいな一般人がやったところで効き目が弱いのは仕方がない。こ、こっちには高僧がいるんだ。その力をもってすれば……」
 動揺する係員。さらに恭の一言が追い打ちをかけることとなる。
「あの……私言霊使いで……。私の『破邪詞』でも退けることまではできなかったんです……」
「なんですってぇ!?ちょっとちょっと、全員集合っ!」
 研究員たちが集まり、緊急ミーティングを始めた。言霊使いである恭の破邪詞で打ち破れないと言うのは実はかなり厄介だったようだ。
 作戦を立てるために、今までに泰造たちが豪摩と対峙した時の状況をできるだけ詳しく話した。泰造の、相変わらず勢いばかりの説明に周りから言葉を添えていくと、それなりに分かりやすい感じになった。
「そいつは『羅刹』じゃないのか?」
 一通り話を聞いた研究員の一人がぼそっと漏らす。
「馬鹿な!あの大地の果てに封印された鬼神か!?!まさかその封印を暴いたのが……」
「それならば奴の行動も納得がいくだろう。しかし、そうなるとどれほどの力をつけたことか……」
「なぁ、俺達にも分かるようにちゃんと説明してくれよ」
 自分たちだけで盛り上がる研究員たちに口を挟む泰造。もっとも、泰造にも分かるように説明するのは至難の業だろうが。
「つまりですね、あの豪磨という男に取り付いたのは羅刹と言う魑魅の類いだと思われるのですよ」
「チミノタグイってのは何だ?」
 やはり分からない泰造。
「つまりは化け物のことですね。百数十年前に起きた戦争で多くの敵兵を倒し、英雄とも言われた者がいましたが、その武勇の裏には羅刹の力があったそうです。羅刹は人の戦う力を大きく増幅し、いかなる攻撃をも撥ね除ける精神障壁を与えます。その代償として、多くの人の命を奪わせるのです。その奪った命の数だけ羅刹は力をつけていきます。その英雄は戦争で勝利を収めた後、自らを満たす殺人願望との葛藤から逃れるために、羅刹の宿った己の刀を人のいない最果ての地に封印したと言います。もっとも、今はその最果ての地にも人の集落ができているとのことですが」
 泰造には思い当たることがある。
「もしかして、その最果ての地の集落って、モーリアじゃねーのか?俺はその近くで奴に出会ったんだ」
「では、やはりあの男が封印を解いたのでしょうな」
「まぁ、それは俺たちにゃどうでもいいことだ。問題はどうやってあいつをとっちめられれるかだ」
「どれほどの力をつけているのかにもよりますな。オズカを滅ぼしたというのは聞いていますがそれまでにもどれほどの被害を出しているか……」
「モーリアからここに来るまでにだいぶ暴れまわってるよな。丸々やられたってところはそんなにねーけど」
「今回は被害に遭っているのが一般市民だ。戦場なら殺さねばならない敵の人数には限りがあるが、無抵抗の者も無差別にとなると……。相当な被害が出ていると見てよさそうだな」
「いまもウーファカッソォに向かっているとの情報がありますから、万が一そこで暴れられでもしたら……」
 考え込む研究員達。
「万が一じゃねーぞ。あいつは絶対にやる。止めねーかぎり一人もいなくなるまで殺しまくるに決まってら」
 泰造はきっぱりと言い切った。
「そうなると奴はますます力をつけることになるな。急がないと」
「そーだそーだ。こんなところでうだうだやってる暇はねーんだ」
 取り急ぎ、作戦が立てられた。ウーファカッソォに向かい、豪磨が暴れだす前に食い止めようというものだ。
「イティアからだと、徒歩ならばウーファカッソォまでは丸一日かかります。つまり、空遊機で先回りすることが十分に可能です。まず街の広場に聖水で結界を張ります。最初は未完の状態で誘い込み、完成させて閉じ込めるのです。問題はそのあとどうするかでしょう」
 要は、先回りして迎え撃とうということだ。豪磨は今までに空遊機を使っていない。恐らく、運転ができないのだろう。今回も徒歩で移動するのであれば、到達までに時間がある。
 しかし、相手がどれほどの力をもっているのか、弱点はどこかと言った情報が不足しているので一般的な対処法を試してみるしかない。
 行きあたりばったりになるとはいえ、一応作戦も決まり、急遽空遊機が用意された。最初は泰造たちを含む数人でウーファカッソォに向かい、準備と作戦の再検討を行う。その後、コトゥフの誇る高神官団が応援に駆けつける予定だ。
 空遊機で飛ばすとウーファカッソォには半日とかからずに到着した。
 大きな都市なので広場と呼べるものがいくつもある。その中でもイティアに最も近い所を選び、結界の準備を始めた。広場の中央に聖水で魔法陣を描く。そしてその上に結界を完成させるための宝珠を配していく。宝珠は一つだけ意図的に置かれないままになっている。この宝珠がないだけで、結界はほとんど何の力も持たない。誘い込み、捕縛するための特殊な結界なのだ。
 ほどなく準備は終わった。高神官団も到着し、あとは豪磨が来るのを待つばかりだ。
 神官の一人が沙希に数本の矢を手渡した。
「これは邪悪な力を打ち砕くための破魔矢です。本来は武器として使う物ではありませんが、この破魔矢は普通に弓で射ることができるように特別にあつらえた物です。いざという時に役に立つでしょう」
 自分にはすることがないと思っていた沙希の表情が引き締まった。
「先走って一人でどうにかしようなんて考えるなよ」
 泰造の言葉に沙希は頷いた。

 やがて、夜が訪れたが、まだ豪磨の動く気配はない。ただ、あの妖気というか、そんないやな感じは伝わってくる。奴は近くにいる。
 夜の闇と静寂に紛れて静かに動いているのか。それとも朝を待ち、人々が街に溢れ出してから動くつもりなのか。いずれにせよ、被害が出てから動くのは本意ではない。泰造たちは豪磨を探し始めていた。
 夜の都市がどこもそうであるように、この街も退廃的な賑わいに満ちている。しかし、一歩路地に入ったり、賑わいから離れれば不気味なくらいの静寂が辺りを包んでいる。
 街の賑わいと夜のしじま。豪磨はどちらを好むだろうか。殺戮を求めるならば街の賑わい。息をひそめるなら夜のしじま。
 豪磨の行動が分からない限り、どのような場所にいるのか想像もつかない。早くも、泰造たちは自分たちの無謀さに呆れ始めていた。
 そのときだった。騒ぎが起きたのは。

 繁華街の真ん中だった。
 楽しく呑んで語らっていた仕事上がりのオヤジ達が襲われたのだ。
「おう、こら酔っ払い。どこに目ぇつけて歩いてんだぁ?」
 肩がぶつかった若い男が因縁をつけてきた。
「何だ、若造。やるのかぁ?」
 もうグロッキーなのではないかと思えるような情けない足取りながらもおやじは睨み返し、ファイティングポーズをとった。その頬に不意に冷たい無気質な感触。
 おやじの頬に短剣の刃が当てられていた。さらに、おやじ達の周囲で月明かりに照らされた刃の輝きがいくつも閃いた。さしもの酔っ払いも一瞬で酔いが醒めたようだ。
「こ、殺さないで……」
 引きつった顔で助けを求めるおやじ達。
「お小遣いをくれたら見逃してあげよう」
 若者が手を出してきた。その手に財布から慌てて取り出した金貨を握らせる。
「そっちがいいなぁ」
 若者は財布を指さす。しばし悩んだが、周りの連中が少し輪を狭めるとおやじは財布を差し出した。
「ありがとさん、じゃあ〜ね〜」
 解放されたおやじは一目散に逃げ出した。他のおやじ達もそれに続こうとする。
「おーっと。あんたらはまだ通行料払ってないっしょ」
 いつの間にかお小遣いから通行料になっている。おやじ達は次々と財布を取り出し差し出した。
「よーし、行ってよーし」
 今度こそ次々と逃げ出すおやじ達。が、そのうち一人が襟首を掴まれた。
「ちょい待ち。あんたちょっと少ないねぇ。ほかに隠してない?」
「隠してない隠してない。俺は今、連中におごったところだからあんまり持ってないんだよぉ」
「なーんだ、それじゃしょうがねぇなぁ」
 帰してもらえるかと思ったおやじだが帰してはくれなかった。
「しょうがないから身ぐるみ剥ぐかぁ。こんなおやじの裸みたかねぇけどさ」
「ええ!?うわああぁぁぁぁ!?」
 おやじの叫び声が夜の街に響き渡った。

「!?悲鳴だ、行くぞ!」
 その叫び声は泰造の元にも届いていた。声のした方に駆け出す泰造たち。
「ここか!?」
 大通りに飛び出した泰造は、その光景を目にしてしまう。
「……!?沙希、恭!二人とも来るな!見ない方がいい!」
 泰造の言葉に二人は足を止める。が、すでに遅く、沙希の目にはそれが飛び込んできた。
「いやあぁぁっ……変態いいぃっ!」
 沙希は慌てて目をそらし、顔を隠してしゃがみこんでしまった。
「ええっ、なになに?変態ってなにがあったの!?」
 興味津々で覗きこむ恭。その目に股間を隠しながら全裸で走り回るオヤジの姿が。
「きゃーっ!」
 手で目を隠しつつ、すき間から覗いている恭。
「うわあああっ、賞金稼ぎだあぁっ!?」
「なんでここにっ!?」
 素っ頓狂な声を上げて慌てて逃げ出そうとしているのは龍哉たちだ。オヤジ共からカツアゲていたのはこいつらだった。
「待てっ、逃げるんじゃねー!」
 龍哉たちの顔を見ると、泰造の体は条件反射のように動きだす。涼もなんとなくそれに付き合ってしまう。もう豪磨のことなどそっちのけだ。
「ちょっとぉ、こんな所にレディ二人置き去りにしないでーっ、いやあぁぁっ!」
「いやーん、おじさん毛深いっ!お尻たるんでるぅっ!」
 ギャル二名の悲鳴を浴びながら、龍哉たちがばらまいて行った自分の服を慌ててかき集め、オヤジは路地に姿を消した。
 一方、龍哉たちを追っていた泰造達は、曲がり角を過ぎたところで早くも龍哉たちを見失っていた。
「ちくしょう、辺りが暗すぎる。これじゃなんにも見えやしねー!」
 悔しそうに当たりを見回す泰造。月明かりに照らされているのは大通りだけで、光の差し込まない路地は目をこらしても何も見えない。
「戻ろうか。今はあんな連中にかまっている場合じゃないし。恭と沙希ちゃんをおいて来たのが気がかりだ」
 涼の言葉に泰造も頷き、今来た道を戻り始めた。

 どうにか泰造達を撒いた龍哉たち。薄暗い路地で息を潜めている。
「ああ、びっくらこいたぜ。あいつら、コトゥフに向かってたんじゃねーのか?なんでこっちに来てんだよ。わざわざ方向までかえてウーファカッソォに来たってのによ」
 驚いたのと急に走ったので汗と冷や汗と脂汗が適度にミックスされて汗だくになっている龍哉が誰となくぼやいた。
「まさか俺達を追ってここまで来たんじゃ……」
「マジかよ。ああ、俺達に自由はないのか!」
「いや、これは自由の代償なんだ。自由を求めた俺達に対する試練だと思うしかない」
 子分達も、息を潜めつつなんだか分からない会話を始めた。
「なぁ。俺、例の嫌な予感がするんだよな。しかも何か急に強烈に」
 子分の一人がぼそっと言った。例の、いやな予感が必ずあたる子分である。
「それならもっと早く言ってくれよ」
「そうだぞ。大体予感って終わってからのことは言わねーだろ」
「いや、だから予感なんだよ。これからもっと嫌なことが起こるような」
「よせよ……」
 とてもよく当たる嫌な予感がでたことで、見えぬ影に怯え始める龍哉たち。
「……血の臭いがしねぇ?」
 上ずった声で誰かが呟いた。
「うわあぁっ、いやだあああぁぁぁっ!」
 もうただでさえ逃げ腰モードだった龍哉たちは、その一言で、あてもなくその場を逃げ出そうとする。
 びゅっ。
 龍哉がさっきまでいた所で何か音がした。
「へ?」
 ふり返る龍哉。高く振り上げられた刀が月光に煌めくのが目に入る。
 本能的に龍哉は一歩後じさった。それは同時に振り下ろされた刀をうまいこと躱す形になった。
「うわあああああぁぁぁぁ!?」
 目の前を殺意に満ちた刃が通り過ぎて行ったことで、龍哉は自分の身にとんでもない危険が降りかかろうとしていることをはっきりと自覚した。そうとあればとる行動はひとつである。
「な、なんだあぁ?」
 疑問を抱きながらそれを確認しようともせず背中を向けてダッシュする。かなり走ったところで、後ろから追ってきていないか振り向いた。
 追って来ていた。しかし、かなり引き離している。見覚えのある姿だった。
「お、おい、あいつさぁ。いつだかの殺人狂だよな?」
 言われて子分たちも振り返る。
「うわぁ、そうだあぁ」
「逃げろおおぉ」
 そうは言うがもう既に全速力で逃げている。そんな龍哉たちにさらなる災難が。
「あっ、いたぞ!」
「あああっ、賞金稼ぎっ」
 前からは泰造たちが迫って来ていた。先程の自分達の悲鳴につられて寄ってきたのだ。引き返すわけにもいかないので手頃な脇道に入り込んで逃げるしかない。そこが袋小路でないことを祈りながら。
 路地を突っ切ると隣の大通りに出た。龍哉たちは広場を目指した。広場ならこの時間にも人が出ている。人込みに紛れながら、広場から何本も出ている通りのうちどれかに入り込めば、そのまま行方をくらませることができるだろう。
「待ちやがれーっ!」
 背後から追ってくる泰造の声は徐々に遠くなってきている。このまま引き離せば広場に出たとこで完全にまく自信があった。
 一方、泰造たちの姿に気付いた豪磨は手近な路地に身を潜め、様子を伺っていた。泰造たちが龍哉たちを追って別な路地に入って行くのを見届け、路地から出る。泰造たちは龍哉たちに気をとられている。その隙を突いて襲いかかれば一矢報いることができるかもしれない。豪磨は夜中だというのに騒ぎながら走って行く泰造たちを追い、路地に入って行った。
 大通りから一歩踏み込むと月明かりも届かない闇が淀んでいる。黒づくめの豪磨の姿は容易く闇に融けた。泰造たちがたとえ振り返ったとしてもその姿を見いだすことはできないだろう。
 龍哉たちは隣の通りに抜け、広場を目指して走りだした。泰造たちもそれを追うが、そろそろ息が切れ始めている。ただ、この街はごみごみしているが、区画整理がしっかりしているため龍哉たちが逃げ込める脇道が少ない。人をかき分けながら進む龍哉たちと、そうやってできた隙間を追う泰造たちの差はほとんど広がらない。
 龍哉たちの前に唐突に柵が現れた。大通りが封鎖されていたのだ。だが、乗り越えられない高さの柵ではない。ならば、乗り越えて進むしかないだろう。
 柵を乗り越えると、広場は目の前だった。封鎖されているため人影はまばらだ。当初の人込みに紛れて行方を暗ます作戦は使えそうもないが、ここを使って追ってくる泰造たちを引き離せる。
 障害物がなくなり一気に加速する龍哉たち。一方、ここに来るまでに既にバテ気味だった泰造たちは、あっと言う間に闇に紛れる龍哉たちをこれ以上追う気力を持っていなかった。
「ふーっ。ちょっち一休みしようや。関係ない奴を深追いし過ぎた」
 涼が足をゆるめた。泰造一人で追うわけにもいかない。それに泰造もほとんど体力を残してはいない。
「くっそー、今回はいい線行ってたんだけどなー」
 悔しそうに言う泰造。
 足を緩めた泰造たちに沙希と恭が駆け寄って来た。龍哉たちを追う前に、この二人には広場に戻るように言っておいたのだ。
「ねー、今のってもしかして龍哉じゃないの?まだ追いかけてたわけ?」
「ああ、見つけたんで追いかけてたんだ。けど、撒かれちまった。あいつらが出て来たお陰で三十九号探すどころじゃなかったし。ただ、まだあいつもおとなしくしてるみたいだな。一回りしたけど倒れている人もいなかったし血の臭いもしなかった。ただ、あいつのいやな気配が伝わって来やがる。間違いなくこの町の、俺たちに近いところにいるな」
 泰造はそう言い、辺りの気配を探った。人ならぬ者の不吉な気配が辺りを包み込んでいる。この町にたどり着いてから少なからずそれを感じ取ってはいたのだが、今は今までになくその気配を強く感じる。泰造は思わず眉を顰めた。
「……なぁ、いるんじゃねーか?かなり近くに……」
 泰造の言葉に緊張か走る。涼も辺りの気配を探りだす。何かに気付いたようだ。
「待ってくれ。風が、何かを伝えたがっている」
 涼がさらに心を研ぎ澄ます。風の噂を捕まえる時と変わらない。
「…………俺たちの後を誰かが追っていたらしい。気をつけろって言ってる」
「間違いねーぞ。そこらへんでこっちの様子を伺ってやがるんだ……。おい、いるのは分かってんだ、隠れてねーで出て来やがれ!」
 闇に向かって叫ぶ泰造。刹那、闇が揺らめいたように見えた。
「うまく隠れたつもりだったがな」
 泰造の呼びかけに豪磨が姿を現わした。夜の闇が豪磨に付きまとう魑魅魍魎の力を強めている。恐ろしいほどの殺気に肌が粟立つ。
「へっ、誘い出す手間が省けたってもんだ。ここで終わりにしてやる。かかってこいや!」
 それでも泰造は臆することなく豪磨を挑発した。
「終わり……か。それはおまえらが俺に殺されるって事か?」
 豪磨は不敵な笑いを浮かべると、刀を掲げながら悠然と近寄って来た。
 恭が破邪詞の詠唱を始めると豪磨は猛然と飛びかかって来た。泰造と涼が立ち塞がる。
 豪磨は一度退き、泰造達の横を大きく回って恭に近づこうとする。極力泰造達を相手にせずに恭に襲いかかるつもりらしい。
 しかし、泰造達もそう甘くはない。恭との距離を詰めてしっかりとガードする。豪磨はそれを意に介さず刀を振り下ろした。ぎん、と言う音とともに泰造がそれを受け止める。けたたましい力だ。押し切られそうになる泰造。
 その時、周りから低い唸りのような音が沸き起こった。人の声だ。低いながらもよく響き渡る声。潜んでいた神官達による破邪詞の詠唱だった。
 同時に、豪磨の自由が奪われていた。聖水で描かれた結界の魔法陣。それが完成させられたのだ。手は動くのだが、地面から脚が離れない。
「な、なんだっ……!?」
 豪磨にはまだ何が起こったのか理解できていない。ただ、周りを取り囲んでいる男たちによる破邪詞の詠唱がとてつもなくまずいことだというのは理解できる。
「おい沙希っ!今だ!破魔矢を使え!」
 言われて沙希が破魔矢を弓に番え、引き絞った。しかし、夜の闇は狙いを定めにくくする。
"人間よ、刀を捨て逃げろ。このままでは汝の身をも滅ぼしかねん"
 『羅刹』からの呼びかけが豪磨を我に返らせる。
「で、でも……」
"急げ。詠唱が終わればただ事では済まされぬぞ。我は耐えられる。力は失うやも知れぬが存在は失われはしない"
 ためらっていた豪磨だが、『羅刹』の呼びかけに応じ、刀を手放した。豪磨の体に自由が戻る。結界はあくまで邪悪な者を閉じ込めるためのもので、生身の人間にはなんの影響もないのだ。
 自由が戻った豪磨は一目散に逃げだした。それを見た泰造は後を追い、走り出した。が、先程の龍哉の追跡で消耗しきっていた泰造はすぐに力尽きて立ち止まってしまう。
 その泰造の横を、微かな風切り音が通り過ぎていった。振り向くと、沙希がようやく破魔矢を放ったのだ。すでに闇に紛れてしまった豪磨に、沙希の放った矢が命中したのかどうかは分からない。
 すぐに豪磨を追おうとした沙希を泰造が制する。
「やめとけ、一人で行くな。まだ何が起こるかわからねーからな」
 そのほんの一呼吸ほど後に、神官達の詠唱が終了した。
 結界の中に投げ出された刀から激しい光が放たれた。その光が収まると、刀は跡形もなく消え去っていた。
「……やったのかな」
 涼が誰ともなく言う。
「待って!!感じるわ、邪悪な気配を……」
 恭が辺りに立ちこめる『羅刹』の邪な気配を感じとっていた。集中し、その根源を探す恭。近からぬ場所にそれはあった。
「見ろ、結界が破られている……!さっき豪磨が踏みにじって結界を壊したんだ!」
 神官の一人が叫んだ。それを聞いた泰造は近くにいた神官に詰め寄る。
「逃げられたのか!?」
「おそらく、な。どうやら運がなかったようだ」
「運がなかったで済む問題かよ!? ちくしょう、ここまでやったってのに……!」
 地団駄を踏み悔しがる泰造。
「この作戦にかかった金、全部かえせーっ!」
 泰造の叫びは虚しく夜の闇に溶けていった。

 豪磨は走っていた。
 いまは『羅刹』の護りを失ったうえ丸腰だ。泰造はおろかたとえ沙希であっても後ろから追ってきていれば逃れることはできないだろう。
 そして、先刻沙希の放った矢は、見事に豪磨の右肩に突き刺さっていた。生身の人間に戻っていた豪磨にとって破魔矢もただの矢でしかない。しかし、刀を取り戻したとしてもこれでは戦うことができない。
 逃げるしかない。
 肩の痛みに耐えながら無心に走る豪磨。
 その目の前を何かが過った。思わず足を止める豪磨。見ると、目の前の地面に見慣れた刀が突き刺さっていた。
 恐る恐る手に取る。あの禍々しくも心強い力が感じられた。
"汝が結界を踏み破ったおかげで逃れることができた。破邪詞の所為で多少力は失ったが、気にするほどではないだろう。運はこちらにあったようだ"
 豪磨は再び自分の手に戻ってきた力に安堵した。だが、肩の痛みのため刀を掲げる事はできない。破魔矢で受けた傷は羅刹の力では癒すことができないようだ。
"その傷ではしばらくは下手に動けまい。ほとぼりが冷めるまで待つのもよいだろう"
 豪磨は頷き、刀を鞘に戻した。肩に刺さった矢を乱暴に引き抜く。血はそれ以上流れなかった。

 作戦は失敗に終わった。だが、あれから豪磨が暴れたと言う話を聞かない。涼の集める風の噂でさえ豪磨の話は見つからない。静かなまま二日が過ぎ去った。
 まるであの夜に消滅でもしたかのようだった。しかし、あの時確かに羅刹の放つ邪悪な気配を感じているし、結界が破られていたのも紛れもない事実だ。
 どこかに逃れ、なりを潜めているとしか思えなかった。
 向こうから姿を現わさなければ到底見つけることはできないだろう。このままいつまでも黙っているとは思えない。機が熟せば動きだすはずだ。それまで待つしかないだろう。
 ただ待つのは泰造のもっとも苦手とするものだ。何でもいいからしていないと気が治まらない。ということを漏らすと、全員から同じような反応が返ってきた。
 観光しよう、だった。

 確かに、涼と恭がこっちに来たのは観光目的がほとんどで、豪磨の件は巻き込まれたに過ぎない。沙希だってこれだけの大都市は初めてなのだからいろいろ珍しいものもあるだろう。たまには息抜きするのもいい。
「この学術研究チケットが切れるまでコトゥフに居てもいい?せっかくだからいろいろ調べてみたいんだけど」
 当然ながらそんなことを提案するのは恭だ。
「俺は別にかまわねーけど」
 知ったこっちゃない、と言いたげな泰造は、涼に向き直る。
「あんたも付き合うのか?」
「いや、俺はこういうのはどちらかというと苦手なんさ」
「じゃあ、あたしたちと一緒に観光しようよ」
 沙希の誘いに涼は少し戸惑う。
「へ?いいの?邪魔くない?」
「邪魔って何でさ」
 不思議そうな顔をする泰造と沙希。
「いや、いいなら別にいいんだけどさ」
 ばつ悪げな顔をする涼。
「?まぁいいや。そうだな、俺たちもチケット残ってる間はこの町の見学でもするか。もったいねーしな。金も結構使っちまったからこの辺で少し稼いでおきたいし」
 まだ若干の余裕はあるが、ここ数日で財布はてきめんに軽くなっている。あの作戦が失敗に終わったのも大きい。
 早速、泰造は観光をかねて賞金首を探すことにした。
 が、神聖都市と呼ばれるこの都市には、賞金のかけられたような悪党はダウンタウンにすら近寄れないように強力な結界が張ってあるのをすっかり忘れており、そのことに気づくまで約半日を要したのだった。

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