賞金稼ぎ烈伝 Taizo!

第弐捨弐話 幼少の思い出

 過去は遠い昔のこと。
 それでいて現在に影を落とすもの。
 人は誰でも過去を引きずって生きている。


 まだ泰造が駆け出しで、ようやく一人で賞金首を捕まえられるようになったくらいの頃だ。
 大きな道を辿っているうちにたまたまたどり着いた街。名前も、どこにあったのかさえも覚えてないが、リューシャーに着く前なので、リューシャーより西にあったのだろう。
 その街で大捕物があった。近辺を荒らし回っている窃盗団で、人を殺すことなど何とも思わないような連中だった。
 莫大な賞金額は、数人でわけてもまだ大金と呼べるほどだったが、それ相応にリスクは大きかった。そのため、賞金稼ぎ数人が協力して奴らを捕らえることになったのだ。
 敵の多さに怖じけづかなかった賞金稼ぎは数えるほどだった。金欲しさの命知らず、勇ましい正義漢、敵を甘く見ているのがすぐに分かる自信家。いろいろな奴がいた。その中に泰造も混じっている。
「こんなガキんちょが賞金稼ぎなのか!?おいおい、冗談はやめてお家に帰んな」
 泰造をみて小馬鹿にしてきた奴がいた。
「そんな事言うもんじゃないわよぉ、その子、こう見えてあんたなんかよりよほど名の売れた賞金稼ぎなんだから。知らないの?」
 名乗り出た賞金稼ぎの中の紅一点がそう言った。
「あなた、泰造君よね?」
 泰造の顔を覗き込みながらその紅一点が訊いてきた。化粧の濃い女だ。化粧の厚さ並の色気を放っている。賞金なんか稼がなくても場末の酒場で稼げば暮らして行けそうではある。女だてらにこの稼業を選んだのはそれなりの理由があるのだろう。
 女の問に泰造が頷いた。
「やっぱりそうだ!少なくともこの辺じゃこんなかわいらしい賞金稼ぎの噂、ほかに聞かないもんね」
 泰造の頭をなでながら女が言う。いつもなら子供扱いするなと言って振り払うところだが、相手が美人なのでそれに甘んじる。
「しかし、本当にこんなのがねぇ。確かに歳の割にごつい体はしてるけど、そんなに強そうには見えないな」
 男の言葉に少し泰造は腹を立てた。
「何なら勝負するかい?兄ちゃん」
 泰造は腰に帯びていた剣を抜き挑発した。このころ、泰造は剣を持っていたのだ。
「やめといた方がいいわよ。子供相手に負けでもしたら大恥だもの」
 どう考えても泰造のほうを諌めるのが筋なのだろうが、男のほうが注意されている。
「そうだな、やめとくよ。少なくともこの仕事が終わるまでは仲間なんだしね。一緒に仕事していれば、お互いの力も見えるってもんだ」
 落ちついているのかビビっているのか。泰造にはこの男の考えが読めなかった。
「なぁ、あんたら仲いいみたいだけどこれか?」
 泰造は小指を立てながら男に訊く。
「ませた子ねぇ。そんな風に見えるわけ?残念ながら違うわよ。あたしも秀樹もこの辺で稼いでいる、言わばライバルみたいなもんね。二人とも長いし、ちょくちょく顔を合わせるから、まぁ軽口を叩きあえる仲って感じよ」
 反応したのは女の方だった。男のほうは秀樹という名前だということがわかる。
「つれないねぇ。俺としては仕事ばかりじゃなくて夜のお手合わせも願いたいところだけどさ」
「子供の前で変なこと言わない!」
 ひじ鉄を食らい体を折り曲げる秀樹。
 そんな二人を見ながら、やっぱり仲はいいみたいだな、と思う泰造だった。
「ついでだから、ここに集まっている連中のこと、教えとくね。あたしは美月。こうみえてもけっこう稼いでるんだから。そこの隅でカッコつけているのが脩。多分今回も乗り切れば女にもてる様になると思って出てきてるんじゃないかしら。横のごっついのが武昭。見た目通りの猛者よ。この辺じゃ一番古参なんじゃないかな。その前で酒を飲んでるのが煉次。いけ好かない奴だけど腕は確かね。二人固まっているのが充と耕作。うーん、名前だけしか知らないなぁ。目立たない存在なのよね、彼ら。いつも一緒にいるってくらいしか分からないわ」
 その他に三人いたが、美月の知らない流れ者だった。
 ここにいたのは十人。敵の数は恐らくその三倍くらいだろう。単純に考えれば一人につき三人倒せばいい算段だ。
 美月の紹介が終わったところで役人が出てきた。
「今日はよく集まってくれた。奴らは町外れの廃屋に立てこもっている。昔はこの地の資産家が住んでいたが奴らに襲われて廃屋になってしまった。ずうずうしいことにその屋敷に潜伏しているのだ。だが、こちらもその情報を早々につかんだのでな。昔あの家に仕えていた使用人を捜しだし、見取り図を書いてもらった。今回の作戦の役に立つだろう。作戦は君たちに任せる。期待しているよ」
 役人はそれだけ言い残し去って行った。

「やっぱ、リーダーは武昭の旦那に決まりですね」
 仕切る秀樹。
「おいおい、そんなの勝手に決めんでおくれよ」
「他に誰がいるってんです?年の功ですよ」
「引退も近いから花を持たせようって魂胆だな?」
「やだなぁ、考えすぎですよ。そんなことより作戦作戦」
 リーダーは人に任せながら仕切る秀樹。流れ者組は少し不満げだが、地元の賞金稼ぎたちは特に不満の無さそうな顔だ。こう見えてこの男、結構一目置かれていたりするのか。それとも毎度この調子で馴れられているのかもしれない。
 屋敷の構造からみて、親玉は二階の主の間にいそうだ。主の間だけにそこが一番たどり着きにくい。
 正面と裏口を挟んで二階への階段を目指し、合流したところで二階に駆け登り、主の間に直行。これで逃げ場はない。
 だがうまくは行かないもので、町外れの廃屋を目指す途中、目立たないようにばらばらに歩いていたにもかかわらず物陰に潜んでいた見張りに見つかった。注意はしていたのだが、向こうの隠れ方の方が巧妙だったのだ。
 こうなってはもはや隠れて歩くことなど無意味だ。一斉に屋敷に乗り込んで行く。
 屋敷の中はすでに逃げ支度をした盗賊たちが駆け回っていた。逃げるつもりで逃げ場を失った盗賊たち。言わば追い詰めたようなものだった。逃げ惑い、逃げきれないと悟り、ようやく反撃に出ようとするがもう手遅れである。賞金稼ぎたちに次から次へと取り押さえられ、または倒されていく。
 裏と表から入り込んだ賞金稼ぎたちが屋敷の中央のホールで落ち合った。
「秀樹、首尾はどうだ?」
 武昭がこちらのチームのリーダーの秀樹に訊いた。
「出っくわした奴はみんな通路で縛られてるかひっくり返ってる。そのかわり残ったのは俺と美月とこのちびっ子の三人だけだ。そっちは?」
「俺と煉次の野郎。あとは脩か。二人組は片方がやられてもう一人は逃げちまいやがった。よそ者は全滅だな」
「六人か。相手が何人だか知らないが、勝てないって事はないだろう。行けるな。いや、行くしかない」
主の間は二階に上がって一番奥に行ったところだ。いくぞ!
 一斉に階段を駆け登る賞金稼ぎたち。
 盗賊たちでごった返していた一階とは違い、二階には人の気配がなかった。
 見取り図にある主の間を目指す賞金稼ぎたちだが、その行く手を阻むものがない。それは却って不気味に感じられた。
「実はもう窓から飛び降りて逃げてたりしてな」
 縁起でもないことを言う秀樹。
「いや、それはないだろうな。奴には子供が何人かいてな、いつも連れている。小さい子だからこんなところから飛び降りるなんて芸当はできないだろう。子供を見捨てるようなことはいくら何でもしないだろうし、途中で会わなかったってことは一緒に立てこもっている可能性が高い」
「あら、でも子供ならあたしたちが手を出さないだろうと思って、おいて自分だけ逃げてるってことはあるかもよ?」
 美月の言葉に武昭が首を振った。
「お前の常識じゃそうだろうが、賞金稼ぎがみんなそんないい子ちゃんじゃないぞ。中にゃごろつきあがりのケンカ屋もいるからな」
 いいながら、心なし目を煉次に向ける武昭。
 主の間の前に来た。合図とともに一斉になだれ込む。何人かの盗賊がいた。
「いたぞ、首領の竜二だ!」
 武昭が大声を出した。手配書の人相書きのとおりの顔つきだった。
「へへ、いただきだぜ!」
 いままでおとなしかった脩が勇んで飛び掛かった。首領の首をとって自慢しようと言う魂胆だろう。だが、浅ましい考えにはろくな結果が待っていない。
 脩の横にしなやかな動きで細い影が近寄っていた。脩がその存在に気付いた時にはその手が脩の首を切り落としていた。
「殺し屋の鏡花……!驚いたな、ただでさえでかい賞金なのにおまけまでついてたとは」
 秀樹が吐き捨てるように呟く。細い影は女だった。ぞっとするようないい女だが、それ以上にその目線の冷たさに背筋が寒くなる。
「誰だ?」
 泰造が美月に訊いた。
「この辺じゃ有名な殺し屋よ。この女に殺された仲間も多いわ。厄介なのが出てきたわね……」
 険しい顔になる美月。部屋にはその他にも腕の立ちそうなのが三人控えている。子供たちも部屋の隅で固まって震えている。
「さて、と。どーするよ、リーダー?」
 秀樹が武昭の顔を窺う。
「作戦なんか通用しねぇだろう。倒せる奴を倒せ。死ぬな。それだけだ」
「あいよ。じゃ、始めるか……ね」
 それが合図となり、一斉に賞金稼ぎたちが動きだした。武昭、秀樹、煉次の三人が一斉に鏡花に飛び掛かった。さすがに手練れ三人が相手だと、凄腕と言う鏡花も押される一方だ。他の取り巻きが武昭たちを妨害しようとするのを、泰造と美月がさらに妨害する、と言う感じになった。鏡花は壁際に追い詰められ、そのまま誰かの攻撃を受けたらしく倒れこんだ。残りのとりまき三人だけになると、もはや相手にはならなかった。一人ずつ、順に倒されて行く。
「もはやこれまでか。まぁ、こんな事がいつまでも続けられるとは思っちゃいなかった」
 首領は追い詰められ、観念したようだった。逃げようともしない。
「俺の首はくれてやるさ。ただな、この子たちだけは見逃してやってくれ。いつかこんな時が来るだろうと思って悪事は一切手伝わせてない」
 首領の最後の頼みだった。もちろん、こちらとしても子供、ましてや罪のない子供とあれば手を出すのは本意ではない。それに、追い詰められた悪党だ。なんの手もない訳がない。
「いいわ。事が済んだら孤児院にでも連れて行きましょ」
 美月がそう言った。さすがに、子供たちの目の前で父親を斬ることはできないので、彼女が部屋の外に連れだすことにした。が。子供たちは殊のほか素直に彼女のあとについて行った。父親は、自分のことをあまり好きにならないように冷徹に接してきたのだろう。ただ、一番年上の少女はそれを悟ったのか、少しためらう素振りを見せた。少し父親の方を振り向く。
「おい、待てよ……」
 その姿を目で追っていた泰造の後ろが騒がしくなった。向き直った泰造の視界が紅く染まる。煉次が容赦なく首領の首に剣を振り下ろしていた。
「まだ子供がいるじゃないか!」
 武昭が煉次の襟首を掴んで詰め寄る。
「だからだよ。ここに俺たちだけになってみろ。何か罠があるかも知れねぇぞ。その前に殺しとかねぇとよ」
「ちっ……」
 煉次の言い分ももっともではあった。武昭は突き飛ばすように手を離した。
「へへ……。それとよぉ」
「ん?」
 顔を上げた武昭の胸に煉次の剣が突き刺さった。
「貴様……!」
 頽れながら武昭が煉次を睨みつけた。
「ここまで来ちまえばお前らは邪魔なだけだ。賞金は俺一人でいただくぜ。お前さえいなけりゃ若造共なんざ俺の敵じゃねぇ」
 場に緊張が走った。
「泰造君。君は外にいる子供たちを連れて先に逃げて」
「でも……」
「こんな奴でも腕は確かだ。それは今までの戦い方を見ても間違いない。ここで俺たちがやられるようなことがあればあの子供たちも犠牲になっちまう。そしたら死に損だからな。それだけはごめんだ。あの子たちを連れて役所で待て。待ってる間に事情を話しておいてくれないか。そうすりゃこいつが生き延びることがあってもあの子たちはどうにかなるし」
 秀樹の言葉に息を呑む泰造。彼は煉次を倒すためなら刺し違えるほどの覚悟だ。もはや金のために戦っているのではない。自らの理想と誇りのために戦おうとしている。そして、その戦いが勝てるとは限らない戦いであることを悟りつつ、怖じることなく挑もうとしているのだ。
「分かった。首、ちゃんともってきてくれよ。待ってるからな!」
 生きて帰って来い。去り際の泰造の言葉の真意を悟った秀樹は口元にわずかな笑みを浮かべた。
 泰造は言われた通り子供たちを連れて役所へ向かった。秀樹たちか、それとも煉次かどちらになるかは分からないが、恐らく首を持ってくることになるだろう。子供たちにそれを見せることが無いように子供たちを預ける孤児院の手配を急がせた。
 そして。首を持ってきたのは秀樹たちだった。二人とも深手を負ってはいたものの、無事に帰ってきたのだ。
 泰造と秀樹、美月は役所の近くの料理屋で簡単な宴を開いた。宴と言えるほどのものではないし、料理もどちらかと言えば粗末なものだったが、この後味の悪ささえ忘れられればそれでよかった。
 その最中、背筋の凍るような凄まじい殺気を感じ、泰造は動きを止めた。
 ほかの二人もそれを感じ取り立ち上がる。慌てて店をとびだしてみると、辺りは炎に包まれていた。ただの燃え方ではない。油を撒き意図的に火をつけたのがありありと分かる、激しい燃え方だ。
 燃え盛る炎の向こうに煉次の姿があった。
「死に損ないめ……」
 秀樹がつぶやき、炎に臆した様子も無く煉次に向かって駆け出す。手負いの煉次は秀樹の手により捕らえられ、店にいた人達は泰造と美月に救い出された。
「てめぇみたいな外道が俺と同じ賞金稼ぎを名乗ってるなんざ、反吐が出るぜ」
 激しい言葉とは裏腹な冷めきった表情で秀樹が言い放つ。
「はん、何が外道だ。人殺しの道具をぶら下げて正義面するんじゃねぇ。奇麗事言いながら、てめぇだって人の首で金を稼いでいるんだろうが。殺してなんぼなんだよ、この世界はよぉ」
 煉次は嗤っていた。狂気にでも取り憑かれたように。
「俺はてめぇとは違う」
 吐き捨てるように秀樹が言った。
「俺を殺せよ。殺すんだろうが。放っておけば役人が俺を縛り首にでもするだろうさ。お前はそれでいいのか?俺を殺せ。すかっとするぜ」
 秀樹が剣を抜き、高く掲げた。そして振り下ろす。剣は煉次の顔の横の地面に突き立った。
「何度も言わすな。俺はてめぇとは違うんだよ」
 やがて、役人がやってきて、煉次を引っ張って行った。
 泰造は翌日すぐにこの町を離れ、次の町を目指した。美月の提案で賞金の一部を孤児院に寄付したが、それでもかなりの金が泰造に回ってきた。その金を路銀に、少しでも遠くの町を目指した。
 美月は泰造との別れを残念だと言ったが、秀樹はこんなチビのくせに強い奴がこのあたりに居座ってあとあと大人になったら俺たちゃおまんまの食い上げだ、と笑っていた。
 彼らは、前日にであった時と何ら変わらないように見えた。しかし、この心の中にあの出来事が確実に影を落としていた。

「その時からだな、俺が剣じゃなくてこいつに持ち替えたのは」
 言いながら泰造は金砕棒を手に取った。
「確かにこれだって使い方次第で人を殺すのなんて訳ねーけどよ、刃物よりも血は流れねーし、使いみちも広いからな」
「そんなことがあったんだ……」
 沙希は遠くを見つめるように言った。
「あたしも弓しか使えないんじゃ、いつか人を殺しちゃうかもしれないよね……。もっとがんばって体術とか憶えなきゃ……」
「おう、その意気だ」
 決意を新たにする沙希。
「さて、寝るか。明日から少しトレーニング強化してやるからな。喜べ」
「えええっ!?ふえええぇぇぇ」
 泰造の言葉に沙希は情けない声を出す。今の言葉は本心ではなかったのか。
「トレーニング強化はもう少し体力ついてからでいいよぅ……」
 しかし、泰造はすでに寝こけていた。

 夜風の吹く街に佇む人影。隆臣だ。
 隆臣は夜の街の静けさが好きだ。まるで廃墟の中にでもいるような孤独感。闇の中でただすれ違うくらいなら顔を見られないと言う安心感もある。
 隆臣の額には新しい布が巻かれていた。額のアザは自分を特徴づけるものでもあり、月読の手の追手達に目印にもなり、何より自分の過去に影を落とすものだ。
 長らく封印されていた過去。しかし、豪磨と会ったことでまざまざと甦ってくる。

 神王宮での暮らしは満ち足りたものだった。
 だが、長年父親だと信じ、慕ってきた月読のあの一言で全てが壊れた。側近の社にアザの消えた子供はどうするのか尋ねられ、こう答えたのだ。
『逆らうようならば殺せ』
 彼の額にはまだアザがあった。だが、このアザが消えたら自分は一生奴隷として働かされ、逆らえば殺される。
 思えば仲間たちには皆アザがあった。最初は兄弟だからみんな似たようなアザがある、と思っていたが、そうではない。アザのある子供を集めたのだ。それに、自分達には名前がなかった。番号で呼ばれていた。彼は十三号と。
 彼にはもはや迷いはなかった。逃げる。それだけしか考えていなかった。
 何気に神王宮内を歩き回っているフリをしながら、機会を窺った。そして、見張りたちの隙をついて逃げ出すことに成功した。
 しかし、物心がつく頃にはすでに神王宮に半ば幽閉されていた彼には、人々の暮らしの知識が全くなかった。店に並んでいるものに勝手に手をつけて泥棒と罵られ叩かれた。どうすれば食べ物が手に入るのか。物陰で店の様子を窺っていると、すぐに答えが出た。皆、何かと引き換えに食べ物を手にしている。彼はそれを持っていないし、何なのかも知りはしない。それがお金だということはあとあと知った。
 無一文の彼が、このリューシャーの街で生き抜くためには盗みを働かざるを得なかった。売り物を盗んだこともあったし、人が買ったものをひったくったこともある。まだ子供だから、と言うので小突かれたり叱られる程度で済んではいたものの、やがてあちこちで盗みを働く悪ガキの話は神王宮の人間にも届いてしまった。その子供の額に特徴的なアザがあることも。
 すぐに月読は使いを出し、彼を捕らえ神王宮に連れ戻した。月読は彼に、なぜ逃げたと詰め寄り、罰として彼をうす暗い部屋に監禁した。
 そんな彼の様子を見にわざわざ訪れた者がいた。月読の一人娘、伽耶だ。
『サンちゃん、こんなところに……かわいそう……』
 彼が閉じ込められた部屋を、扉の下のほうについた小さな窓からのぞき込みながら伽耶が言った。
『出してくれ!ここから出してくれ!』
 彼は必死に懇願した。
『ごめんなさい、それはあたしにもできないの。もう逃げようとしちゃ駄目よ。またこんな事になったら、伽耶いやだもの』
 辛そうな顔で伽耶が言った。
『でも……俺、逃げなきゃ!俺は……他の連中みたいに殺されるのはいやだ!』
 彼の言葉に驚いた顔をする伽耶。その事実を初めて知ったのだ。
『そんな、みんなが……?嘘よ、そんなの!』
『俺、聞いたんだ……。月読が社と話しているのを!アザが消えたら、逆らうようなら殺すって……』
 隆臣の言葉に信じられないとでも言いたげに首を振る伽耶。
『嘘よ……!』
 そう言い残し、伽耶は走って行ってしまった。急にそんなことを言われても信じろと言う方が無理と言うものだ。
 たまに食事を運んでくる者がいるだけで、ネズミさえ通らない部屋。食事を運んでくるものがいなければ時の流れさえ分からなくなるような、光さえも差し込まない何もない部屋。ただ、彼の体は見えぬ夜の訪れとともに眠りを求め始めていた。
 彼がうつらうつらと眠り始めた頃だった。足場の悪い階段を恐る恐る歩いてくる足音が聞こえたのは。
 彼が体を起こすと、扉の小さな窓の外がほんのりと明るくなっているのが見えた。そして、がちゃがちゃと慣れない手つきで扉の鍵を開けようとする音。なかなか開かないらしく、しばらくそんなことをしていたが、かちり、と言う音がして錠が外れた。
 扉が開くと、伽耶がそこにいた。
『伽耶?どうして……』
 驚く彼に構わず、伽耶は彼の手を引いてどこかへ導こうとする。より地下深いところだ。
 伽耶が足を止め、ランプを掲げて見渡すと、壁の隅に小さな穴があいているのが見えた。穴にはまっていた網をはずしながら伽耶が言った。
『ここから逃げられるわ。私、小さい頃よくここから抜けだしてたから。狭いかもしれないけどどうにか通れると思うの』
『ありがとう、伽耶』
 彼は伽耶に礼を言い、穴の中に入ろうとする。
『サンちゃん、もう会えないかな?』
 さみしそうな顔で伽耶が言った。これで逃げられたら、もう神王宮に戻ってくるつもりはない。捕まったらもっと深いところに幽閉されるだろう。いずれにせよ、伽耶とは会うこともないはずだ。だが、伽耶の顔を見ているとそんなことはとても言えなかった。
『また会えるよ』
 そう言い残し、彼は穴の中に見を滑り込ませた。伽耶の顔を見ることはできなかった。
 狭い穴をどうにか抜けると、石垣の中腹辺りに出た。ここからしょっちゅう抜け出していたという伽耶は相当なおてんばだ。
 夜のリューシャーは、昼間とは違う賑やかさを持っていた。頽廃的な賑やかさだ。そう言った賑わいを避け、町外れにまでたどり着いた。だが、リューシャーの都市部を囲む高い城壁は越えられないし、門には番人がいる。
 その門を抜ける方法を探さなくてはならなかった。物陰に隠れて門の様子を見張った。彼はそこを通るゴミの荷車に目をつけた。他の荷物などは一応番人のチェックを受けるが、ゴミ、とくに神王宮のゴミの荷車はチェックがされない。彼は神王宮のゴミ捨て場に身を潜め、荷車にゴミが積め込まれ、動きだしたところを見はからって飛び乗り、ゴミの中に身を隠した。作戦はうまくいき、彼はまんまとリューシャーの城壁の外にまで出ることができた。
 リューシャーの街を離れなければならなかった。城壁の外のスラムには神王宮の人間はほとんど来ない。しかし、このままこの近くに留まっていればいつかは見つかるだろう。
 無一文の彼は、ゴミをあさったり、店先に出ていたものを盗んだりしながら食料を手にし、少しずつリューシャーの外を目指した。何度か店の主に捕まり殴られたりしたが、所詮は子供のしたことと、それ以上のことはなかった。
 人としての全てを捨てた生活が始まった。

 初めて、リューシャー以外で人の住んでいる場所にたどり着いた時のことだ。小さな村だった。
 まるで、村に迷いこんだ獣のように彼は振る舞っていた。畑を荒らし、民家に忍び込み食料を漁る。当然、すぐに見つかり袋だたきにされた。
『おい、こいつの額、見ろよ。変なアザがあるぜ』
『本当だ。それじゃこいつが月読様がとんでもない賞金をかけて探してるっていうガキなんじゃないのか?』
『こいつを月読様に差し出せば、この村も立て直せるかもしれない。運が巡ってきたじゃないか』
 ぼろぼろにされた彼はそう言いあう村人の声を聞いた。月読が探している。
『いやだ……。助けてよ……。殺されちゃうよ……』
 彼は弱々しい声で必死に懇願し、村人にすがりつく。が。
『……お前みたいなどこの誰だか知らないガキなんざ、死んだって構うもんか。お前一人差し出せばこの村の連中がしばらくは困らないだけの金が入るんだ』
 村人は、彼を振り払った。
 こいつらは俺を売ることなんてなんとも思っていない。そう悟った。
 逃げなければ。
 彼は捕らえられた小屋をどうにか抜けだし、近くの民家に火をつけ、その騒ぎに乗じて村を逃げ出した。
 その日から、人を信じられなくなった。

 月読は莫大な額の金ををつぎ込み、彼を探させた。しかし、彼はなかなか足取りをつかませなかった。人を信じられなくなり人から遠ざかっていたのだから、人々から情報を集めようとしていた月読に情報が入らないのは当然のことである。
 子供の足で、しかも隠れながらの移動だったが、それでも少しずつリューシャーから離れていった。幸い、開けた土地はほとんど畑で食料にも困りはしなかったし、狂暴な獣はあらかた駆除されていて、山野に野宿しても何の危険もなかった。
 隆臣という名前をもらったのもその頃だった。ふとしたことで立ち寄った村で、村人と仲良くなり、その名前をもらったのだ。しかし、その村人はすでに亡く、村さえもない。数日、その村人の家に寝泊まりした。その間に立ち寄った旅人か商人にでも額のアザを見られたのだろう。神王宮の使いのものがやってきた。
『額にアザのある子供をかくまっているだろう』
 しかし、知っているものはほとんどいなかった。隆臣を見つけた村人は、他の村人にはまだ何も話してなかったのだ。
 それを、月読の使いは頑に隠そうとしているのだととった。月読の使いは手段を選びはしない。村の人間を片っ端から殺し、家を叩き壊してでも探し出そうとしたのだ。
 隆臣を差し出せば村は助かる。だが、隆臣を助けた村人はそうしようとはしなかった。村人達が抵抗している間に隆臣は逃げた。隆臣が後ろをふり返ると、さっきまで隆臣がひとときの穏やかな時を過ごしていた村は炎に包まれていた。
 その炎を見つめながら思った。
 俺のせいだ。俺が近くにいると殺されてしまう。俺は誰とも関わっちゃいけないんだ。

 人と関わらずに生きて行くには盗みを働き続けなければならなかった。
 人の多い街を避けて田舎を歩けば、食べる物には困らなかった。昼間はあまり動かず夜に行動するようにし、木の洞や廃屋を見つけて眠るようにした。
 それに、彼も自分の特徴が額にアザがある少年とだけしか伝えられてないことを知り、額のアザを隠していた。額にバンダナを巻くと簡単にアザは隠れた。誰も疑うものはなくなった。
 人の領域を出ると住まう人の数は急に減り、畑も減る。野山は獣が巣くい、人は寄り集まって過ごさざるを得ない。
 隆臣とてそれは例外ではない。宿をとらなければ夜も眠れなくなった。となれば当然金が要る。
 働いて稼ぐということも考えなかったわけではない。ただ、給料がもらえるまで無事にそこに居続けられる保証もない。それに、今までの生き方は、隆臣を一所に居続けられない性分に変えていた。
 欲しい物は盗めばいい。今までそうして生きてきた。金も盗めば済む。それだけだ。
 しかし、畑の野菜や放し飼いの鶏を盗むのとは訳が違う。金は隠すか手元に置いておく。それを盗み出すのは容易ではなかった。
 何度か金を盗もうとしたが、うまく行くことの方が少なかった。見つかり追い回されたこともあった。それでも、どうにか逃げ果せてはきた。
 それでも、とうとう捕まるときがきた。既に大きくなっていた隆臣は、かつて野菜を盗んだときのように小突かれて説教だけでは済まなくなっていた。隆臣は役所に連れて行くぞ、と言われ、恐怖した。役所の官吏なら月読が額にアザを持つ少年を捜していると言うことも知っているだろう。もし、彼らにこのアザが見つかったら。
 逃げなくては。
 必死になって逃げようとする隆臣。だが、村人たちは逃がすまいと大勢追ってきた。
 追い詰められた隆臣その胸に押し寄せる、恐怖。絶望。怒り。憎しみ。狂気。
 隆臣は、いつの間にかその手にナイフを握っていた。いつも野菜や鶏や魚を切っていた物だった。それを村人の肩口に突き刺していた。
 仲間がやられていきり立つ村人たち。
 隆臣はナイフを抜き取った。そして、村人の左胸に突き立てた。止めを刺したのだ。
 今し方いきり立ち闘志に燃えた村人たちの心は一転し、恐怖に駆られた。ただの若造だと思っていた相手が、何の迷いもなく人を殺したのだ。明らかに意図的に、何の迷いもなく。
 村人たちは皆逃げ出した。隆臣はその場に立ち尽くしていた。
 目の前で、自分の手によって息の根を止められた男。しかし、横たわるその骸を目にしても何も感じなかった。
 彼にはもはや迷いなどなかったのだ。生きる。そのためには手段を選ばない。自分のために人の命を売ろうとする連中だ。ならば、こちらもそのつもりで出るだけ。
 殺さなければこちらが殺される。だから殺してやる。どいつが敵だ。俺を殺そうとするのはどいつだ!?
 隆臣の血にまみれた日々の幕開けだった。

 思えば、今までただ逃げることだけを考えていた。大陸の端、モーリアにまでたどり着きもした。
 追い詰められたような気がし、来た道とは違う道を辿り、最果てを離れ、たどり着いたワッティで久々に人と会話らしい会話をした。そして、伽耶の事を思い出した。会いたい、と思った。今どうしているのか。今ならあの頃よりも強くなっている。自分の前に立ちはだかる相手と戦い、勝てる自信はある。人を恐れはしない。そんなことを考えながら、ふと気がつけば今までたどってきた道を引き返している。
 それでも今まではただ漠然とかすかな思い出を手繰っていた。それだけだった。奴に会うまでは。
 突然過去をはっきりと思い出すことになった。忘れようとしていた、心の中に封じ込めた幼い日々の記憶。
 思えば、このままリューシャーに向けて歩き続けていれば月読の陰がだんだん濃くなってくるだろう。そうでなくとも月読の追っ手におびえる日々を送っているのだ。
 隆臣は逃亡の間に成長し、顔つきもだいぶ変わっている。このアザさえ消えればただの人間として静かに過ごして行くこともできただろう。しかし、このアザは消えそうにもない。消えない以上、この宿命からは逃れられないだろう。
 いや、逃れる方法はある。
 月読がいなくなれば。
 奴は言っていた。神王宮の連中を皆殺しにしてやる、と。
 俺も、そうするまでだ。
 ただ、殺すのは月読とその手の者だけで十分だ。邪魔立てするものがいればそいつらも血祭りにあげる。今までそうして生きてきた。また、そうするだけだ。
 しかし、そのような思いを抱いたまま神王宮に戻り、もしも伽耶に会ったら。伽耶の前で月読を斬らねばならなくなったならば。そう思うと、心が揺らいでしまう。
 葛藤を抱えながら隆臣は歩きつづける。リューシャーに向けて。月読に呼び寄せられるように。
 否。本当に彼を呼び寄せていたのは、宿命だったのかもしれない……。

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