賞金稼ぎ烈伝 Taizo!

第捨弐話 血路

 見知らぬ地で旅人をいざなう一本の道。
 その道が偽りであることなど誰が考えるであろうか。


 鳥の声が聞こえてきた。
 目を開けるとテントを通して空が明るんでいるのが分かった。
 泰造は体を起こした。まだ時間は早い。外にでて体操でもすることにした。
 テントの入り口付近で大の字になって眠っている沙希を跨いで外に出る。
 テントの外は冷たい風が吹いていた。テントがいかに風を防いでくれていたかがよくわかる。寝袋なしでも眠れるわけだ。
 冷たい風に身を引き締めながらストレッチ体操をすると、少しずつ目が覚めてきた。空もだんだん明るくなってくる。雲は少ない。
 昨日はおぼろに霞んで見えた彼方の山脈も、今日は稜線がくっきりと見える。近づいたためか、天気のためもあるのか。
 テントに戻ると沙希は奥に移動していた。あいかわらず眠ったままだ。寒風が入ってきたので無意識に奥に逃げたようだ。
「おい、起きろ、朝だぞ」
 沙希が目を覚ました。
「んー……」
 少し唸った後、また寝息が聞こえてきた。
 仕方なく、朝食の準備にかかる。といっても荷物から干物を取り出し、いつか買った超凍液瓶につけて置いた魚を短刀で捌く。
 超凍液瓶は超凍液(エキデム・リキッド)を使いきってしまったため、しばらく使い物にならない。
 思えば、このところ魚ばかりだ。海沿いを歩いてきたので山の野菜などが手に入りにくい。自然と海藻と魚介類が中心になる。
 ギトに入ると今度は魚介類が手に入りにくい。思えばもう少し大量に買ってきておけば、ギトの市で魚の干物が売れたかもしれない。もったいないことをした。
 そんなことを考えながら、缶の中に薪を入れて火を焚き、網を乗せて干物と魚を焼く。
 その匂いに反応してか、沙希が目を覚まし起き上がった。
「おっはよー、おいしそうな匂い〜」
「食い物の匂いで目を覚ますなんて、がっついてんな」
「な……違うもん」
 慌てて否定するが、他に起きる理由はない。
「まぁ、とにかく食え。早く食わねーと俺が食っちまうぞ」
「ああっ、ずるーい。あたし起き抜けなのに〜」
 と言いながら、沙希が焼きたての魚を皿に取る。
「この付け合わせの野菜ってなーに?こんなの買ってあった?」
「さっきそこで摘んできたやつだ」
 泰造がテントの入り口のほうを指差す。
「……雑草!?」
 沙希が引く。
「ちゃんとした野菜だぞ。市場でよく見るだろ」
「……知らない……」
 うまそうにもしゃもしゃと食う泰造とは対照的に、沙希はその得体の知れない葉っぱを避けながら食べている。
「あたし、泰造じゃないからそんなになんでも食べたりできないよぉ」
「俺がなんでも食ってるみたいに言うな」
「食べてるじゃない。いつかだって飾りつけの葉っぱまで食べてたし。魚だって骨も皮も残らないし。果物だって皮剥かないし。猿だって皮むいて食べるのに……」
「俺が猿以下だってのか!?」
 食べながら怒る泰造。
「猿以下なんて言ってないじゃないの。猿以上にがっついてるって言ってるのっ」
「猿にでも勝ってればいい」
 分かってない泰造。
「とにかく食ってみれって」
「やーん」
 一足先に食べ終わった泰造が沙希にかまいはじめた。
「せっかく俺が摘んでやったんだぞ」
「なんか、それが信用できないのぉ」
「じゃ、俺がもらっちまうぞ」
 泰造が沙希の皿に手を伸ばす。
「あっ。それはなんか悔しい……」
 泰造の手の届かないところに皿を移動させる沙希。
「何だよ。言っとくけどな、捨てんじゃねーぞ」
「捨てないんだったら食べるしかないじゃん……うー、泰造も食べたんだから死なないよね……うーん、うー、うー、うー、うー、よしっ」
 沙希はかなりの逡巡の果てに葉っぱを口に放り込む。
「あ、思ったよりおいしい」
「だろ?摘みたてはうまいんだよ。食い物は新鮮な物に限るよな」
 そう言いながら干物を焼きはじめる泰造。
「なーに、また食べる気!?」

 腹もふくれたところで、テントも畳みギトへ向かって歩きだす泰造達。
 これから歩きつづければ日が沈む頃にはギトに到着する。
 今日は地平線の向こうは霞んで見えない。空は澄んだ青ではなく、やわらかなスカイブルーだ。
「見ろ、これもさっき食ったのと同じ奴だぞ」
 道端の草を指差しながら泰造が言う。
「こっちの草も食えるんだ」
「泰造は食べることばっかり」
「だってよ、こんな草ばっかりのところじゃ見るところなんてそんなもんじゃねー?」
「そうでもないじゃない。ほら、かわいいお花が咲いて……」
「あっ、この花もけっこううまいぞ」
「……もう泰造とは話しない……」
 萎える沙希。
 歩いていくうちに道もだんだん舗装状態のよい立派な道になってきた。真新しい舗装だ。
「前に通った時はけっこうひどい道だったんだけどな。さすがに直したんだな」
「ふーん」
 沙希は気のない返事をする。初めて通る道なのでそんなこと言われてもピンとこないようだ。
「まるっきり獣道だったんだぜ、ここ。牛車の轍が無かったら道だってわかんねーくらいのさ」
 ほんのちょっと来ない間に変わってしまったことに驚きを隠せない泰造。
「なんで、そんなに急に舗装なんかしたんだろ」
 モザイク模様の石畳を不思議そうに見ながら沙希が呟く。
「一応街道だからだろ」
 しかし、街道の割に人の通りがない。まれに野菜を山ほど摘んだ牛車とすれちがうくらいだ。
 そんな淋しい道を黙々と歩いていくうちに、日がだんだんと傾いてきた。
「なーんか、田舎だね……」
 街に向かってるような気がしないのは確かだ。
「うー、そろそろ着く頃だと思う……けど」
 なんとなく、いやーな感じになってきた。そろそろ着いていそうな頃合いにもかかわらず、ギトは見えても来ない。
 やがて、日が沈み、当たりが薄暗くなってきた。
「泰造〜。夜になっちゃうよぉ」
「おっかしーなぁ。あ、そうか。前に来た時は夏だったから日も長かったんだ。まいったな、暗くなるとまずいぞ」
 完全に不安になってくる二人。
 しかし、そんなとき、泰造達の行く手に小さな明かりが灯るのが見えた。
「あっ。明かりだぁ」
 心底ほっとしたような声を出す沙希。
「もう少しでつきそうだ。急がないと飯が食える所が閉まっちまう」
 泰造が沙希を急かす。沙希も、急かされるまでもなく早足になる。
 ほどなく、民家の見えるところにまでたどり着いた。
 が。
「……どこだ、ここ」
 たどり着いたのは、お世辞にも町とは呼べない、家もまばらな農村だった。

 軒下で収穫した野菜の選別をしていたおばさんが泰造達に気づいて声をかけてきた。
「おやぁ、今日はよく旅の人が来る日だねぇ」
「あのー、ここはギトじゃないんですか?」
 おばさんに沙希が尋ねてみた。
「はははははは、あんたら道を間違えたねぇ?ここはコニ村だよ」
 聞いたこともない村だ。街道からはずれた村なのだろう。
「ギトなら、山を降りればすぐだけどね」
 いつの間にか山を登っていたようだ。
「山なんか登ってきてたのか?俺達……」
 驚いた顔で泰造が言うと、おばちゃんが手を休めるでもなく話しだした。
 この村……コニは山の中腹の小さな農村だ。大きな湖のほとりにあるので湖畔の村としても知られている。と言っても、知っているのはギト周辺の人たちくらいではあるが。
 この村は山岳なので広い畑が作れない。そのため、酪農が主な産業となっている。その影響でこの辺では牛車が非常に多い。
「それであんな立派な道にしたのか。牛車が通りやすいように」
「おや、道直ってたのかい。ギトの役所もやるときゃやるんだねぇ」
 なんだか分からなくなったが、とにかくこのおばちゃんに宿の場所を訊くことにした。
「宿?そんなものこんな人の来ない村にあるわけないって。なんならうちの牛小屋が空いているから貸してやるよ」
 ということで、この夜は微かに牛の匂いのする牛小屋で藁にまみれて眠ることになった。

 牛小屋で眠り、牛の声で目を覚ます。素晴らしきカントリーライフ。
 夜が明け、牛小屋にも荒い板壁のすき間から日が差し込んできている。その日差しを浴び、泰造の目が覚めた。
 沙希はいつものように太平楽に眠りこけている。寝る時は牛小屋なんて嫌だベッドがいいと散々喚いていたが。
 泰造は今日も朝日を浴びながらの体操、ジョギング。
 その道すがら、見晴らしのいい場所にでた。ここが山の中腹であることがありありと判る景色だった。地平線が眼下に見えた。緑の草原に翡翠色の水が流れる川。目で遡ると山の合間にたどり着く。この上流は渓流になっているのだ。山の麓にギトらしい街並み。
 そして、昨晩通ってきた舗装道はゆるやかな斜面の曲がりくねった山道だった。それでもギトに続いている道より明らかにいい道である。
 何だって言ってこんな田舎村に立派な道が続いてるんだ。
 どう考えても妙である。ギトに繋げるはずの道を間違えてこんな山村に繋げてしまったというのか。

 牛小屋に戻ると、藁まみれになりながら半身を起こした沙希が寝ぼけまなこでこちらを見た。
「よー、よく眠れたか?」
「ふぇ?」
「寝れたのかってきいてんだよ」
「ふぇ」
 いいかげんな返事をしながらもだんだん顔が下を向いてきた。このままではまた寝てしまう。
「食い物探すぞ。起きねーと食いはぐるぞ」
 沙希がその言葉でようやく立ち上がった。
 昨日と同じことを言ってもつまらないので泰造は特に何も言わない。
 こんな旅人も訪れないような田舎村だ。店もまともにはない。食べ物が欲しければ、農家からの直売ということになる。
 早朝だというのに畑では村人が農作業に勤しんでいる。そういった人たちから新鮮な野菜や果物を分けてもらう。直売なので格安だ。中にはタダでくれる人までいる。
 山ほどの新鮮な野菜でサラダを作り、朝食にした。サラダだけとはいえ、量が多いので腹はふくれた。
 腹がふくれたところで、出発しギトに向かうことにした。

 牛小屋を貸してくれたおばさんに礼を言い、コニ村を後にする。
 眼下には広大なカムトゥ平野が広がっている。この高地からでも見えるのはゆるやかに彎曲した地平線。あの地平線の辺りまで行けば、彼方に海が見えるのだろうか。
 曲がりくねったゆるやかな山道を下る。昨日は暗くなってからだったので気付かなかったが、山の麓からコニ村までの直線距離はたいしたことない。急で険しい斜面を登りやすいように蛇行した道になっているのだ。
 距離的に近いギトの町までの道のりがとても長い。
「ねー休もうよぉ。山道だから疲れちゃったよぉ」
 沙希が早くも泣き言を言いだす。
「下りだから楽だろ。ギトまで休まないでいくぞ」
「えーっ、ふえええぇぇぇ」
 力の抜けるような声を出す沙希。
「まだ村をでたばかりだろ。何でそんなに疲れるんだよ」
「だってぇ。石畳の下り道だから足が痛くなっちゃったよ」
 固い石畳の道だ。痛くなるのも分かる気がする。
「ちょっと靴脱いで足見せてみろ」
「えっ、なんで?」
 いいながら足を見せる沙希。
「よし、マメはできてない。歩くぞ」
「えーっ。マメできるまで歩かせる気じゃないよね……」
「あそこに見えてるギトの町までだって。あそこまでなら大丈夫だろ」
 ギトの町を指しながら言う泰造。
「……あれっ。誰か来るみたいだけど」
 麓の辺りをよく見ると、ギトの町から出発したばかりらしい一団がこの山道を登ってくる。
「うーん、こんなド田舎の村に用があるとも思えないし、道を間違えたのかもな。昨日の俺達みたいにさ」
 もしそうなら、この先にはド田舎の農村があるだけだと教えてやることにし、その一団のところまで向かった。
 山をだいぶ下ったところでその一団に出会った。角山牛(ホンドヌー)の背に山ほど荷を摘んだ隊商らしい一団だ。
「この先は行っても田舎の農村しかねーぞ」
 先頭のオヤジに泰造が言う。
「だよな。コニ村だろ」
「何だ知ってたのか」
 当てが外れた泰造。
「しかし、こんないい道があるはずないんだけどなぁ」
 オヤジはそう言いながら不思議そうな顔をする。
「確かに、コニ村に向かう道なんだよなぁ。おとといはこんな道じゃなかった。おかしいなぁ」
「役所が動いたんじゃないか?」
「まっさかぁ。それだったらまず街道のほうをどうにかしてほしいよ。街道があんな獣道じゃ田舎丸出しだからな」
 オヤジと泰造が話している後ろで、沙希が積み荷を眺めている。
「ねー、これどうするの?」
 牛を引いていた大きな日除けのついた帽子を目深にかぶった男に沙希が訊いた。男は何も答えない。
「売り物?」
 男が小さく頷いた。
「おじさーん、この人、愛想無いね」
 はっきりと申したてる沙希。
「あー、その人達はうちの仲間じゃないんだよ。コニ村の近くにあるヤオ川とかジンゼ湖で釣りをするんだそうだ」
「釣り〜?」
 沙希が訝しげに男の顔をのぞき込もうとする。男は体をひねって顔が見えないように隠してしまう。
「ちょっと、顔……見せなさいよ」
 覗きこもうとする沙希と沙希に背を向けようとする男がくるくると回る。
 つかつかと泰造が歩み寄り、男の帽子を取りあげた。
「やっぱりてめーか」
 思ったとおり、龍哉たちだ。
「だー、てめーらはなんでいっつもいつも俺達の行くところに現れるんだよっ」
 泣き喚く龍哉。
「俺だって聞きてーよ……。そんなに捕まりたいんなら捕まえてやってもいいんだぜ」
「冗談じゃねー。行くぞ、野郎共!」
 後ろで牛を引いていた男たちの何人かが被り物を脱ぎ捨てコニ村方面に逃げ去っていく。もちろん龍哉の子分達だ。
「な、何だいあの人達」
 オヤジが呆気に取られてその背中を見ている。
「あいつらは賞金首だ。ただのせこい泥棒だけどな」
「さすらいの釣り人だって言ってたけどなぁ」
「いつもボーズだっていってなかったか」
「この間もこんな大きな魚を釣ったって」
 泰造が横取りした魚のことだろうか。それにしても、オヤジの手の広げ方からすると、かなり話が大きくなっているようだが。
 ともかく、泰造達は逃げた龍哉たちを追うことにした。
「せっかく降りたのにー!」
 ごねる沙希。でもしぶしぶと言った感じでついてくる。
「休みたいよぅ。疲れたよぅ。足痛いよぅ」
 沙希が一歩ごとに愚痴をもらす。
「牛みたいに引っ張ってやろうか」
「あたし牛じゃないもん」

 あまりにも沙希がうるさいので、牛の荷物を積みなおし、牛の背中に沙希を乗せることにした。
「沙希ー、似合ってんぞ」
「どーゆー意味よ、それっ」
「沙希はやっぱり荷物として縛りつけておくのが一番静かでいいな。眠くなったらいつでもいえよ、しっかりと梱包して結わえつけといてやるからな」
 そう言われて自分が荷物扱いになったことにようやく気付く沙希。
「あたし荷物じゃないもん!」
「お荷物扱いが嫌ならたまにゃ役に立ってみせろ」
「なによ、あたしが役たたずみたいじゃないの」
「役に立ってるか?」
「たって……る……よね?」
「それはいいけどさ、もう少しトーンダウンしてもらわんと、牛が驚いて歩かなくなる」
 あまりににぎやかな積み荷にオヤジが苦笑する。
 この隊商は、コニ村に町の物を運び、その帰りにコニ村の野菜を町に運んで商いをしているグループだそうだ。さほど儲かってはいないが、この人たちの家族を養うくらいには稼げる。さっきは龍哉達が混じっていたのでかなり大勢に見えたが、実際には四人だけだ。
 牛の背中の上の沙希は、景色を楽しむ余裕ができたのか、あれがきれいだこれがきれいだと騒いでいる。
 そうこうしているうちにコニ村に到着した。
 腹が減ったが、やはり昼食をとれるような所はない。隊商の面々もそれが分かっているので弁当持参だ。
 仕方なく、泰造達はその隊商から食材を買い求めた。果物や肉、多少高いが魚の干物もある。干し肉と果物を買い、それを齧りながら、コニ村の奥に釣りに行ったはずの龍哉たちを探すことにした。

 そんな泰造達にガイドがつくことになった。とは言え、暇なので案内してやるという釣り人だが。
 この奥は道らしい道もない本当の山だ。釣り人が通る獣道があるにはあるが、目立つような道ではない。
 道なのか、と言いたくなるような道を辿りながら、渓谷を少しずつ降りていく。
「もう少しマシな道ないのかよ!?」
 愚痴がでる泰造。いつもなら真っ先に愚痴を言う沙希はと言うと、もはや声を出す気力もないようだ。
「こんな川降りるのは俺達みたいな釣りマニアだけだからな。村人だってこの道は知らないと思うぞ。もっと上流か下流になら降りやすい所もあるけどな」
「それなら早く言ってよ〜」
 沙希が振り絞ったような声でぼやいた。
「そこに行くまでが遠いんだよ」
「ちくしょー二十二号め、こんな所で釣りするなんて……。正気の沙汰じゃねーや」
「置いてくぞ……」
 泰造の愚痴に案内してくれていた、こんなところで釣りをしようとしていた釣りマニアが嫌な顔をする。
 やがて、どうにか河原についた。見上げると切り立った崖が川の両方にある。
「こりゃ、昇るのも大変だな……」
「ああ、この崖は昇るのは割と楽なんだ」
 そう言いながら、釣りマニアも釣りの準備の手を止めて上を見上げた。
「ん〜、なんだありゃぁ」
 その釣りマニアの目にとまるものがあった。
「橋……?」
 泰造達もそっちを見る。確かに、かなり遠い場所だが、崖が狭まった所に橋がかかっている。
「いつのまこんな橋が……おとといは無かったよなぁ」
「行ってみるか」
 岩だらけの河原を歩きながら橋を目指して歩きだす。
 崖に阻まれてそれ以上行けないという所まで来た所で改めて橋を見る。おとといは無かっただけあって真新しい橋だった。
「なー、昨日の道の話聞いてから思ってたんだけどさ、こんなことやりそうな奴、この間会ったよなぁ」
「……いたよね」
 泰造と沙希が顔を見合わせたその時。
 とんとんとんとん。
 遥か後方から澄みきった金槌の音が響いてきた。
 目を向けると、いつの間にか足場が組まれていて新しい橋が掛けられようとしていた。

「てめぇっ!なにやってんだ!」
 釣りマニアの言うとおり、崖を昇るのはさほど難しくなかった。そして、登りきった所で見たのはやはり源の姿だった。
 泰造達が崖を登り切るまでの間に、橋の工事はかなり進んでいた。役人達に見習わせたいペースだ。
 その源が作業の手を止めてこちらを見た。
「見てのとおり、橋を作ってるんだ」
 そう言うと作業に戻る。
「そんなの分かってる!なんでこんなことをするんだ!?」
「なんで、ねぇ。……まぁ、趣味だからだなぁ」
 泰造の言葉に顔をこちらに向けもせずに答える。
「趣味……ねぇ。……いい趣味だとは思う……。でもな、お前には賞金がかかってるんだ。とっ捕まえさせてもらうぜ!」
 そう言いながら泰造が一歩踏み出す。すると、橋が大きく揺れた。慌てて飛び退く泰造。源も反対側に慌てて逃げる。
「バカヤロウ、変なとこ踏むな!見ろ、橋が歪んじまった。あ〜、今までの苦労があああぁぁぁ」
 泣きそうな顔をする源。
「このやろー、欠陥工事しやがって!」
 源を捕まるにも橋が落ちそうなので向こうに行けない泰造は、対岸で野次を飛ばすしかない。
「何だとぉ、ちゃんと最後まで組み立てりゃ芸術の域にまで達するような至高の橋がかかるところだったんだぞ!邪魔しやがって!貴様のような芸術を解さぬ外道は俺様の材木クラッシュの餌食にしてくれる!くらえ!」
「ざ、材木クラッシュ!?」
 訳のわからない技の名前に警戒する泰造。
 材木クラッシュ。その技はなんてことはない、材木をぶん投げるだけの技だった。が、かなり正確に狙いを定めて飛ばしてくる。
「ちょい待て。待てっての!お前、結構っ、バカ力ありやがるな……」
 次々と飛んでくる材木をどうにか躱す泰造。いつの間にか沙希は物陰に隠れて泰造を応援している。応援だけだ。
 不意に、源の攻撃の手が止まった。見ると、もう手元に材木がなくなっているようだ。
「よーし。今度はこっちの番だ!」
 投げつけられていた泰造が投げ返しだした。コントロールはいまいちだが、パワーだけなら源なんかに負けやしない。
「へっ、当たんなきゃ意味ねーぜ!」
「当たったらそんな悠長なこと言ってらんねーぞっ!」
 材木の応酬が始まる。
 そのうち何本かは谷底に落ちていく。
「やめろ!魚が逃げる!」
 下の釣り人に怒られて、泰造と源は固まった。
「ふん、今日のところはこのくらいで見逃してやる!だが次はこうは行かんぞ!」
 源はそう言い残し、森の中に消えて行った。
「てめーに見逃されたかねー!」
 その森の奥に向かって泰造が叫んだ時だった。
「でかい声だすなー!見ろ、魚がみんな逃げちまった!」
 谷底から激しい怒気を孕んだ声が突きあげてきた。

「このままじゃ気がすまねーぞ。沙希、ちょっと賭けはタンマな。先にあのイカレた大工野郎をとっ捕まえてやる」
 釣り人に説教されたことに静かに腹を立てる泰造。
「そうねー、そろそろお金なくなってきたし。あんなのでも捕まえないよりましって感じ?」
 のんきに言う沙希は、そのまま釣り人に向き直る。
「で、あの森を抜けて行くとどこに行くの?」
「このまま行けばグーマに行けなくもないが……。道じゃないところだからな。保証はしないよ」
 とにかく、谷の反対側に渡らなくてはならない。それには、少し上流にある橋を使うのが妥当だろう。
 釣り人に礼を言い、泰造と沙希はその場をあとにした。
「ふー、やっと静かに釣りができる……」
 ほっとした顔で釣り人もそれを見送った。

 橋の近くまで来たところで、一息入れることにした。
 地図を広げ、現在位置を確認する。小さなコニ村は地図にも載っていない。それでもギトと谷川の近くだということだけは分かる。周りの地形などから大体の位置を割り出す。
 ギトからグーマまでは、道なりに行けばサイマ経由ということになる。もう一つルートがあるがそれはフューク寄りの村々からのルートで、この上流にある湖を迂回、または渡航して対岸に至る大回りの道だ。
 その大回りの道だが、ここに橋ができたことにより、対岸の道に出ることができれば大幅に近道になる。
 橋を渡ると、大きな道が曲がりくねりながら続いていた。
「何もなかったところにいきなり橋ができたのに、道があるなんて変じゃない?」
 沙希がもっともなことを言う。
「どうせあいつが作ったんだろ。いいさ、どこに出るのか辿ってみようじゃねーか。そんな変なところにはつながってねーだろ」
 泰造は細かいことは気にせずに歩きだす。
 山岳の森林地帯だ。果てしない一本道。木々に阻まれ先が見えない。まして曲がりくねった道だと、自分がどの方角を向いているのかさえ定かではない。方向感覚はとっくに失われた。もう地図も当てにならない。道に頼るしかない。それがどこに繋がっていようと。
 さすがに不安になってくる泰造だが、もはや後戻りはできない。
 不意に開けた場所に出た。目の前に川が流れている。あの橋のかかっていた川なのだろうか。
 空を見あげたが太陽はさほど高く昇っていない。かなり長い道のりを歩いたような気がするのだが、時間は経っていないのだから、実際にはそれほど歩いてもいないようだ。
「あっ。あーっ、見てみて、泰造〜。湖だぁ」
 沙希が突然元気になった。
 湖はわずかな風に細かく波立っている。しかし、至って穏やかだ。水鳥達が群を作って浮かんでいる。湖畔には釣り糸を垂れる人々の姿も……。
「あっ。あれって……」
「二十二号だっ!」
 同時に走り出す二人。それに気づいたのか、釣り人達は慌てて荷物をまとめだした。それで完全にモロばれである。
「来るんじゃねー!」
 龍哉の声。もはや間違いない。
「兄貴ぃ、今日もボウズっす」
「だから言ったんすよ、今日はなんか嫌な予感がするって」
「てめーの嫌な予感はいつものことじゃねーか!」
「いつも当たってるじゃないすか」
「あー、チクショー、毎日毎日嫌なことばかりだ!」
 荷物をまとめ終わったのか、すごい勢いでその場から離れて行く龍哉たち。泰造達が辿っていた道を、さらにその先に向かって走り去って行く。
 泰造達もその後を追い、地図にも無いできたての道を走り出した。

 その刹那、湖畔の茂みの中で怪しい影が動いた。

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