賞金稼ぎ烈伝 Taizo!

第八話 北の果てで

 彼は追われていた。ひたすら逃げてきた。
 はるか、リューシャーの都。そこからより遠い場所へ。
 しかし、道はここで絶える。
 長い年月は、彼から少年の心を奪っていた。

 風が冷たい。
 それだけ、泰造たちのいる場所が北のほうだということだ。遥か遠くに朧げにみえるひときわ高くそびえる山は、雪の衣をまとい白く輝いている。
 行く手には大きな湖が見えた。風が凪ぐ一瞬の間だけ、その鏡のような水面に空が映しだされる。
 あの湖を迂回した先にあるのがモーリア。最果ての街。ようやく、もう少しというところまで来たのだ。
 近隣の漁村から多くの海の幸が集まる、海鮮の街としても知られている。
「なあ、モーリアっていうと魚が美味い所だよな」
 泰造もそのことを風の噂に聞いていたらしい。
「泰造ったら食べることばっかり」
 沙希が早速ツッコミを入れる。
「でもモーリアは魚ばかりじゃなくていろいろな見どころのある街だよ」
 すっかり観光ガイドになった陽一が言う。
「知ってる知ってる」
 沙希が手を挙げながら大きな声で言った。学校の授業のようだ。
「大陸の北の果て〜っ」
「んなことわーってら」
 今度は泰造からの容赦ないツッコミ。
「は、ははは。まぁそれもそうだけどさ、あそこには大きな港もあるし、観光スポットもいくつかあるんだよ」
 陽一が苦笑いを浮かべながら続ける。
「観光スポット?」
 聞き返す沙希。
「そう。ほら、ずっと向こうに大きい山が見えるよね。あのウォジョレー山は観光スポットとして有名なんだ」
 あいかわらず霞んで朧げにしか見えない山。ウォジョレー山と言うらしい。
「あれが?あの山に何かあるのか?」
 泰造は山を見据えたまま訊いた。
「あそこはね、昔から黄泉と繋がっているって言われるんだ。ほら、昔話や伝説なんかでもよくそんな話聞かない?」
「ああ、聞いたことあるな。俺がまだ村に住んでた頃に。そうか、こんな遠くにある山の話だったのか……」
 懐かしそうな目をする泰造。その顔を覗きこみながら沙希が訊く。
「ねー、その話ってどんな話なの?」
「黄泉から魑魅魍魎が現れて、村人を襲って次々に食い殺す話だったなぁ」
「こ、怖いよ……」
 ちょっと引く沙希。
「確かその魑魅魍魎を剣術のすごい少年がやっつけるんだよな」
「うーん、微妙にかわってるなぁ……。こっちでは魑魅魍魎は子供を次々とさらうけど、やっつけられたりはしないんだよ。泰造さんってどこから来たの?」
「俺か?俺はマシクって所から来た。リューシャーのずっと先、トリト砂漠の近くだ」
「うわぁ、そんな遠くから?よくそんな遠くまでこの山の話が伝わっていたなぁ」
 驚く陽二。
「その距離の分、話も変えられたってことかぁ」
 陽一は腕を組みながら感慨深げに呟いた。
「それじゃ、こんな伝説があるの知ってる?」
 陽二が口をはさんできた。
「『黄泉の水鏡に己見出し者、黄泉の力その手にせん』」
「……聞いたことない……って言うか、それどういう意味だ?なんか、俺に学がないの知っててわざと難しい言葉使ってねーか?」
 陽二に詰め寄る泰造。陽二は慌てて首を振る。
「違うよぉ。これは黄泉の水鏡ってのに自分の姿を映し出したものは黄泉の力を得られるってことだよ」
「うーん、しらねーなぁ」
 少し考えてから泰造がぼそぼそと言った。
「でもよ、それって強くなれるってことだよな。すげーな、ちょっと興味あるぜ。なぁ、一度行ってみようぜ、ウォジョレー山」
 期待に胸を膨らませる泰造。
「でも、実際に見てきた人が言うには水鏡は濁っててとても姿なんか映らないって聞きますよ」
 陽一のコメント。
「それに、あそこは黄泉の入り口ですから、黄泉に向かう亡者の魂がうようよしているって話ですし……」
 陽二のコメント。
「やめよ。うん、そんな夢みたいな話、あるわけないよ」
 沙希が熱心に引き止めようとする。
「まぁ、俺だってそんなのがマジであるとは思っちゃいねーよ。でもさ、おもしろそーじゃん」
 泰造が能天気に言う。
「でも、そういうところってあんまり行っちゃいけないんじゃないかなーって思うのよ。だって、亡者が集まるようなところなんでしょ?」
「いや、一応観光スポットです。道も整備されてますし、おみやげ屋もありますよ」
 観光ガイドの陽一のアドバイスだ。
「なんだ、沙希。怖いのか」
 泰造がにやつきながら沙希に言う。
「こ、怖くなんか……。べつに怖くなんかないもん」
 なぜか強がる沙希。それを受けて泰造が大声で言う。
「じゃ、明日にでも行ってみよーぜ」
 無理に強がっても何もいいことなどないということを改めて知った沙希であった。

 泰造たちが迂回しようとしている大きな湖。
 その対岸、迂回した先にみすぼらしい一件の小屋が建っていた。
 人の住んでいる気配はない。廃屋。
「兄貴。見てくださいよ。あんなところに小屋が建ってますよ」
 子分の一人がその小屋を指差しながら言った。
「わーってるよ。よし、あの小屋に今日は泊まるか。あとどのくらい行けば街があるかわかんねーしな」
 そういったのは兄貴分、龍哉だ。
 不案内な彼ら一行は知らないのだ。このまま三十サイトも行けばモーリアに着くということを。
「湖もありますし、魚ぐらいならとれますね」
「そうだな。よーし、これから日暮れまで第十六回牙龍団フィッシング大会といくか」
 そう言うと、荷物から釣り糸を取り出し、手ごろな竹にくくりつけ、湖面に垂らした。子分たちもそれに倣い、一列になって釣りを始める。
 風は穏やかで、あたたかな日差しがそっと降り注いでくる。釣り日和とはこんな日のことを言うのか。
 永劫とも思われるほどの静かな時が流れた。
 釣れない。
「魚、いるのかよ!」
 堪え切れず誰かが愚痴った。が、餌はなくなるので魚はいるのだろう。
「今回も、みんなそろってボウズじゃないか?」
 誰かがぼそっと言う。
「ボウズじゃ困るんだよ。今回の釣り大会は非常に大切な大会なんだぞ」
 龍哉が苛つきながら喚くように言う。
「なぜなら、ここで釣れなきゃ、今夜、俺達は食い物にありつけない」
 数秒、沈黙があった。
「うおおおおぉぉぉ、そんなの嫌だあああ!」
「絶対にこの手に掴んでみせるぜ、魚ちゃ〜ん!」
「釣って、釣って、釣りまくるんだああぁぁ!」
 子分たちも急激にヒートアップする。こんなところで騒いでいると魚が逃げるのではないか。
 結局気合いだけが虚しく空回りし、この日釣れたのは小魚が2匹だけであった。
 陰鬱たる気分で小屋に向かう龍哉たち。
「みんな。今日のこの屈辱をバネにして、いつかきっと大漁をこの手に勝ち取ろうじゃないか……」
 力無く呟く龍哉。
「うーっす……」
 それに答える子分たちも、これから訪れる空腹に耐えねばならない辛くひもじい一時を予感してか、気合いの入らない返事だ。
 小屋に近づく。
 ふと、いい臭いが漂ってきた。
「く、食い物の臭いだ……」
 誰かが呟く。今まで死人のような顔をしていた一行に、溌剌としたパワーがみなぎってくる。
「誰かいるのか……!?」
「とにかく、食い物だ」
「でも、俺達のじゃないぞ」
「馬鹿野郎。俺達は天下の悪党集団・牙龍団だぞ。他人のものは俺のものだ!」
 龍哉の一言に歓声が上がる。
「兄貴、男っす」
「俺は今、猛烈に感動してるっす!」
「どこまでもついて行きますぅっ!」
 空腹のためにややハイになっているようだ。
 一通り盛り上がった悪党集団・牙龍団の面々は、そのぼろ小屋に突入していく。
 小屋の扉を開けると、焼き魚のいい匂いがした。
 魚を焼いているのは、線の細い人物だった。短い髪。一瞬女かと思うほどだが、よく見ればその細いながらもしっかりとした体格は女性の持つものではない。だが、それが男であるのなら、まだ若い。子供といってもいい年ごろではないか。
 ほくそ笑む龍哉たち。
「ふっふっふ。ついてないな、坊主」
 そう呼ばれてうざったそうに振り向いたのは、体相応に華奢な顔つきの少年だった。
 だが、ただの少年ではなかった。
 少年でありながら、その目には深い憂いとやり場のない憎しみのようなものが湛えられ、感情を押し殺したようなその表情からは何も読み取ることができない。
「兄貴、こいつ怖いっす」
 一言で言うとそういうことだ。
「馬鹿。これだけの人数で来てるんだ。ガキ一人にビビってどうする。……おい、坊主。俺たちゃなぁ、ちょっと腹が減ってんだ。分かるだろ?その魚おいてどっか行っちまいな」
 龍哉が子分を諌めつつ少年を脅しにかかる。
「そうしなければどうする。殺すのか」
 少年は表情も変えずに言う。
「こんなけち臭いことで人殺しまでするほど落ちちゃいねーぞ、俺達は……。いずれにせよ、その魚を置いておとなしく出て行けば何もしねーよ」
 少し調子を乱されながらも続ける龍哉。
「信用できるわけねーだろ」
 いきなり立ち上がり、腰に下げていた剣を抜く少年。
「ちょ、ちょっと待ってね。話せば分かる。話し合おうじゃないか」
 予想外の展開に混乱している龍哉に少年は剣を向けた。既に子分たちは逃げた後のようだ。姿が見えない。
「問答無用……!」
 少年が踏み出してきた。そしてひゅっと言う音とともに剣が振りぬかれた。早業である。それを、寸分でかわす龍哉。
「ご、ご、ごめんなさ〜いっ」
 情けない声をあげて逃げていく龍哉を目で追いながら少年は呟いた。
「ふん、運のいい奴らだ」

「なに、あの小屋。誰かすごい勢いででてきたけど」
 沙希が指差しながら言った。すごい勢いで駆け出してくる人影なら泰造も見た。
「行ってみるか」
 泰造が驢駆鳥の向きをかえた。他の三人もそれに続く。
 遅れて、さらに一人飛び出してきた。見覚えのある顔だ。
「ああっ、二十二号!見つけたぞ!」
「げっ。お前らまで……。ちくしょう、こうなったら地平線の果てまで逃げてやるううぅ!」
 訳のわからないことを言いながら地平線に向かって走り出す龍哉。
「逃がすかあぁっ!」
 驢駆鳥を陽二に任せて泰造と沙希、そして陽一が龍哉の後を追う。龍哉のスピードはあいかわらずだ。
「あいつら、わざわざ驢駆鳥に乗らなくても驢駆鳥並のスピード出るじゃねーか」
 泰造が苛立たしげに言う。
「いずれにせよ、この方向だとモーリアです。モーリアは北のどん詰まり、追い詰めたようなものですよ!」
 陽一が叫ぶように言った。
 泰造たちは龍哉が出てきた小屋を意にも介さず龍哉の後を追いひたすら走って行く。
「だんだん小さくなってきたね」
 沙希は苦しそうに息をしている。
「ちくしょー、あいつら、前世驢駆鳥じゃねーか!?」
「驢駆鳥はこんなにスタミナないけどさ」
 泰造の言葉に陽一が茶々を入れた。陽一にはまだ余裕があるようだ。
「くそっ、とうとう見えなくなっちまった……」
 龍哉たちの姿は捨て台詞のとおり、地平線に消えた。その代わりに地平線の上に姿を現したもの。
「あっ、街だ。街が見えてきたよ」
 疲れて今にも泣きそうな顔をしていた沙希が急に元気になった。地平線の上に朧げにモーリアの街の姿が見えてきたのだ。
 後ろからのんびりとしたペースで陽二が五匹の驢駆鳥を連れて向かって来るのが遠くに見えた。陽二がここに着くまではけっこう時間がかかるだろう。それまで、休憩することにした。

 日暮れまぎわにようやくモーリアにたどり着いた。見た目よりも距離が遠かった。それに、驢駆鳥が遅いというのもある。
 驢駆鳥をモーリアのステーションに返却した後、買い物さえも翌日に回してとにかく宿を探すことにした。
 観光地というだけあって、宿もよりどりみどりだった。しかし、どれも観光客むけの宿でサービス満点、値段もそれ相応といったところが多く、素泊まりでも上等な泰造一行が値段で満足するような宿はなかなか見つからない。
 結局、民宿のような安宿を見つけて腰を落ち着けたのは、日もすっかり沈んで満点の星空が広がってからであった。
 海から来る冷たい風がごうごうと唸りをあげている。ここまでくると、まだ冬には遠いこの時期でさえ、凍えるほどに寒い。まして、この風である。安宿なのですき間風も冷たい。
 寒さから逃れるため、泰造たちはとっとと寝床にもぐりこんだ。

 翌日、目が覚めたのはまだ日も昇らない頃だった。
 夜明けの一段と冷たい風が、すき間から入り込んで来る。寝床からなかなか抜け出られない。
 しかし、泰造はだんだん空腹に負けて起き出し、支度を始めた。
「魚市場ならこの時間でもやってるだろ」
「うん。もう出おくれてるくらいだと思う」
 泰造に聞かれて陽一が寝床の中から言った。
「よし、それじゃ行くとするか」
 起き出し、支度を始める泰造。
「えーっ、まだ日も昇ってないじゃない。寒いよー」
 沙希がふとんを頭までかぶったまま言う。
「飯はどうするんだよ」
 泰造が沙希のふとんを引き剥がそうとする。
「うー、干物でいいよぅ。寒いのいやっ」
 沙希は亀のように頑としてふとんを離さない。
「なんだよ、せっかく海の近くに来たんだぞ。新鮮な魚を食べなきゃもったいねー」
 泰造がそう言うと、陽一が口をはさんできた。
「新鮮な魚といえば、市場の近くの海鮮料理屋で有名な所があったよね。港で上がったばかりの活きのいい魚をすぐにさばいて食べさせてくれるところ」
「ああ、そういえばあったね。青鱗魚(サファイア・ヘリング)のタタキなんか絶品だって」
「おお、うまそうだな。なんか今から食うのが楽しみだ。沙希には干物持ってきてやるからな」
 泰造がそう言い残し部屋をでると、部屋の中でばたばたと物音がし、沙希が着替えて飛び出してきた。
「待って。あたしも行く」
「干物でいいんじゃなかったのか」
「人の頭の上で、あんな聞こえよがしにごちそうの話しといて、何が干物でいいんじゃなかったのか、よ。あんなの聞いて黙っていられると思う?」
 そういう沙希の後ろで陽一と陽二が笑いを噛み殺している。
「何よ」
「いや、なんでもないよ」
「うん、なんでもないなんでもない」
 沙希に睨みつけられながらも、にやけ顔が直らない陽一と陽二だった。

 遅い時間だったためか、市場のどの店先にもそれほど多くの魚が並べられているわけではなかった。
 しかし、それでもまだまだ市場は活気にあふれている。方々から競りの威勢のいい声が飛び交い、朝一の買い物にいそしむ主婦の姿も見られる。
「なぁ、どうせならここで魚買って行ってもいいよな」
 泰造が店先に並んでいる活きのいい魚を眺めながら陽一に提案した。
「でも、食べるまでにいたんじゃうよ」
 その会話が耳に届いたのか、店にいたヒゲのやたらと濃いオヤジが声をかけてきた。
「なーに、心配はいらねーよ。この超凍液瓶(エキデム・ボトル)にいれて置けば生の魚が3ヶ月はもつ。このすぐれものは一つたったの三百ルクだ。買わなきゃ損だよ」
「けっこういい値段するなぁ」
 泰造は値段が気に入らない。
「今なら詰替用超凍液三パックと持ち運びに便利な専用ストラップもついてくるぞ」
 今ならと言うが、それは付属品なので実際にはいつ買ってもついてくるのだ。
「うーん、もうちょっとなんか欲しいかも」
 沙希がそういいながらオヤジに熱い視線を送った。それに負けたオヤジはさらにサービスする。
「よし、菫鰯(ヴィオラート・フィッシュ)を三匹つける!これでどうだ!」
「ちょっと待ってくれ。おっさん、俺達の頭数よくみろよ」
 泰造が間髪を入れずに言う。
「え……なるほど。それじゃ、菫鰯を四匹にしてやろう。買うよな?」
「うーん。まぁ、これでいいか。じゃ、思い切って買うぞ。だから、他の魚も出血大サービス。いいよな」
 泰造は三百ルクをちらつかせながらオヤジに問う。
「う……。そうきたか。まぁいい。とにかくお買い上げだよな」
 超凍液瓶ならびにおまけ各種と引き換えに三百ルクを支払う。
 その後、その店の前で店の魚を出血大サービス価格でその場で食いまくる四人の姿を多くの人が見かけたという。

「ああ、腹一杯だ。あんなうまい魚をあれだけ食えるのはもう滅多ないだろうからな」
 そういいながら腹をさする泰造。腹がかなりふくれている。
「海鮮料理屋の朝ご飯だって言うから楽しみにしてたのに、青空の下でただの刺し身になっちゃったじゃないの」
 沙希が口をとがらせた。
「その割にはずいぶん食ったよな。朝っぱらからよく食えるよな」
「泰造に言われたくないっ!」
 沙希が真っ赤になって怒鳴った。泰造はそれを無視して陽二に向き直る。
「それにしてもお前、魚さばくのうまいよな。料理得意だったりするのか?」
「えっと、まぁ一通りこなすけど」
 少し照れながら陽二が答えた。
「へー、すごいじゃん。沙希も見習えよ。ただでさえがさつで女らしいところなんにもないんだからさ」
「あっ、ひどーい、そこまでいうわけ?」
「まぁまぁ」
「まぁまぁ」
 波乱を予感してか、陽一と陽二がすかさず止めに入った。
 その時。
「ドロボー!」
 突然怒鳴り声が聞こえてきた。
「なんだって?」
 声のした方に駆けだす泰造たち。
「そいつらを捕まえてくれ!ドロボーだ!」
「ああっ、てめーは二十二号!また性懲りもなく……」
 泥棒は龍哉の一味だった。一様に、両手一杯に魚を持っている。
「けちくせーことやってやがる……」
 あきれ顔になる泰造。だが、すぐに気を引き締める。
「またお前らかよっ!この魚はやらねーぞ!」
「いるか!もうたらふく食った後だ!」
「なんだとぉ!?俺がすきっ腹抱えて冷たい風に当てられて泣きそうになってるってのに不公平だぞ!」
「何を!こっちは大幅に値切ったとは言えちゃんと金払って魚食ったんだぞ!ただで食おうとはふてぇ奴め!」
 訳のわからない言い争いを始める泰造と龍哉。
「魚を返せえぇ!」
 そこに包丁を持って追いかけてきた店の主人が、龍哉に向かって怒鳴った。
「げっ、なんだこのオヤジ。なんかやばそうなので逃げるぞ。じゃあな!」
 龍哉はそそくさと逃げようとした。その瞬間、ひゅっという風を切るような音がした。そして、龍哉の持っていた魚に、まるでもがくようなびくんという感触があった。
 龍哉が見ると、持っていた魚に矢が突き刺さっていた。沙希の放った矢だ。驚いて反射的に魚を放り投げる龍哉。
 背を向けて全速力で逃げる龍哉の最後のセリフは、
「ああっ、つい魚を!」
 だった。
 その龍哉が落としていった、矢で串刺しになった魚を手に沙希が包丁を持ったままのオヤジに向かってぶりっ子しながら言った。
「ごめんなさい、泥棒にも逃げられちゃったし、せっかくお魚取り返したのにこんなになっちゃった……。おわびにこの魚買いたいけど、沙希、お金ないの」
 オヤジは、その言葉と沙希のぶりっこに負けたようだ。
「いいよ、お嬢ちゃん。その気持ちだけで十分だ」
 オヤジは包丁を持ったまま、何もなかったように店に戻っていった。
「えへっ、もらっちゃった」
 沙希が無邪気な顔で笑った。
「よく涼しい顔であんな嘘がいえるよな……。金は持ってんだろ?」
 顔を引きつらせながら泰造が呟いた。
「嘘じゃないもん。今持っているお金はいざという時のための貯金だもん。使えるお金は持ってないの」
「すっげー理屈だな」
 あきれ果てる泰造。
「それよりその魚、珊瑚鯛(コラル・ブリム)って言って、けっこういい値段のする魚だよ」
「えっ、そうなの〜?沙希ちゃんわかんな〜い」
 陽一の指摘にぶりっ子でとぼける沙希。
「沙希、その魚、いくらで売る?」
「え〜っと、百五十ルクでなら」
 反射的に答える沙希。
「相場は百二十ルクくらいだね」
 陽二の言葉を受けて泰造が沙希に詰め寄った。
「値段、知ってただろ?」
「う、うん。実はさっきのお店にあったの憶えてたんだ。てへっ」
「矢で狙ったのもそれだからだな」
 沙希は答えないが顔を見れば図星なのが分かる。
「ちゃっかりしてんなー……」
 泰造はただ呆れるばかりだった。
「それより、二十二号が逃げたのはあっちだったよな」
 いいながら泰造が龍哉の逃げた道を指差した。
 その指差す彼方には、白い雪をいただいた霊峰ウォジョレーが聳え立っていた。

 海風に髪を遊ばせながら、少年は一人岸壁に立ち尽くしていた。そして、海の彼方を見やっている。
 黒光りする海の彼方にみえるのは水平線のみ。海鳥の姿さえ見えなかった。
 ついにここまで来た。大陸の端。これ以上、どこに逃げることもできない。もし、ここにも追っ手がくるのならどうすればいいのか。
 海をこえて逃げるのか。
 いずれにせよ、ここに留まることはできない。この大陸から離れられないのなら、追い詰められたも同然だ。
 少年は目を閉じ、何かに思いふける。そして、目を開くと、きびすを返した。
 少年が向かったのは港だった。
 漁船が並んでいる。そして、そこで働いている男たちがいる。
 少年はそんな男の一人に話しかけた。
「一つ聞きたい。この海の向こうに何がある?」
 男は仕事の手を止めるでもなく答えた。
「永久凍土さ」
「そこには行けないのか」
 男が手を止めた。
「行った奴はいるが、帰ってきた奴はいないね」
「そうか。邪魔したな」
 少年はそう言い残すと港を後にした。
「今のガキ、どこかで見た顔だな……。この辺じゃ見ない顔なんだが……」
 男はそう呟き、止めていた手を再び動かしはじめた。

「気になることがあるんだよな……。三十九号のことでさ」
 薄暗い森の道を歩きながら泰造がぼそっと言った。
 景色はきれいだが、それ以外にこれといった見どころのない旅路だ。喋ってでもいないと退屈になってしまう。
「三十九号っていうと……豪磨ね?なぁに?」
 豪磨のことを考えると第一の関での出来事が頭を過るのか、沙希は不快そうな顔をする。
「三十九号の手配内容について憶えてるか?」
「確か、金品を狙うでもなく、悪戯に人の命を弄ぶ……だよね」
「ああ。モッカリオで見たやつはな。その前にもずっと手配されてたが……その時の内容は?」
 沙希はしばらく考えたが、思い出せない。
「うんと……忘れちゃった」
「金のためなら手段を選ばない大泥棒。わずかな金のために人の命さえも奪う……だ。どっちにせよ、とんでもないことだがな、こんな短い間に金に対する執着がなくなっちまってるみたいじゃねーか?」
「……そうね。確かに気になるね」
「あの豪磨って奴、目つきが尋常じゃなかったよ」
 陽二が横から口を挟んできた。
「そうそう。何かに取り憑かれたみたいな……もしかしてウォジョレー山で悪霊に……?」
 陽一の言葉に沙希の顔が引きつる。
「ええっ、ウォジョレー山で悪霊に取り憑かれたりとかもするの?やっぱ行くのやめよーよ……」
 泰造の袖を引っ張ってとめようとする沙希。泰造は意にも介さず歩きつづける。
「観光名所なんだし、行った奴がみんな取り憑かれるってこともねーだろ。たまたまだよ、たまたま……ん?なんだ、あれ」
 細い道のまん中に何かがあるのに泰造が気づいた。人の姿もある。近づいて、尋ねてみることにした。
 近くにくると、それが通行止の立て札だということが分かった。横には役人が立っている。
「何かあったんですか?」
 尋ねたのは陽一だ。
「この先は危険だ。近寄っちゃいけない」
「なんで。観光名所なんだろ?」
 役人に泰造が噛みついた。
「普段はそうなんだが……。九つの大戸の結界が破られているのがわかってな。緊急閉鎖して原因を調べているんだ」
「なんだ?九つのなんとかの結界ってのは」
「ウォジョレー山が黄泉と繋がっているっていうのは話したよね。九つの大戸の結界っていうのはその黄泉との繋がりを断つ結界なんだ」
 陽一の説明が始まった。
 この大戸が作られたのは、創世の後、まもなくのことだった。
 それ以前は、高天原は夜ごとに黄泉からわき出した化け物が闊歩する剣呑な世界だった。手を焼いた人々は、黄泉と高天原を切り離す手段を考えた。その一つがこの九つの大戸の結界である。
 まじないの言葉を刻んだ大きな岩戸を作り、黄泉の化け物が近寄れないようにしたのだ。地形の問題があってウォジョレー山の近くに作ることができなかったものの、それでも結界の範囲内に黄泉の入り口が入ったために黄泉から現れる化け物もいなくなった。
「じゃあ、つまりその結界が破られたってことはその黄泉ってところから化け物が出て来るってことか!?」
 泰造の問いに役人が答える。
「いかんせん、大昔の言い伝えだ。本当のことか、迷信なのかもわからない。一応、他の役人が調査に行っているし、結界は今直しているところだ。どっちもそろそろ帰ってくるんじゃないかな。それで異常がないようだったら封鎖は解除だ」
「で、でもさ。封鎖されてるんじゃしょうがないよね。帰るしかないよね」
 沙希がチャンスとばかりに言いだした。
「いや、もう少し待つと調査の結果もでるし。それまでここで待ってみたらどうだい。せっかくここまできたんだろう?」
 沙希もすなおに帰りたいと言うべきであった。役人の言うとおりにその場でしばらく待つことになった泰造たち一行。
 昼間とはいえ、森の中だ。小鳥のさえずりに混じって、冥府へ誘うかのような不気味な鳥の鳴き声も聞こえる。小動物か蟲でもいるのか、近くの茂みががさがさと動いたりする。歩いている時は気にならなかったが、足を止めて何もしないでじっとしていると、こういった些細なことがいやに気になる。
 ただでさえ、ここは霊峰ウォジョレーの麓。しかも結界が破られて化け物がでるかもしれないなどと言う恐ろしげな話を聞いた直後だけあって、落ち着かない。陽気に騒ぐような気分でもない。なんとなくいやな気分のまま一様に押し黙っている。
 突如その沈黙が破られた。遠くのほうから騒がしい声と、慌ただしい足音が聞こえてきた。身構える泰造たち。
 姿を現したのは龍哉たちだった。
「げえっ。またお前らかあぁっ!付き合ってる暇はねーんだっ」
 泰造たちの陣ををあっさりと突破して走り去る龍哉たち。
「お前らも逃げろ!化け物がくるぞ!」
 最後尾を走っていた子分の一人が泰造たちに向かって叫んだ。
「化け物!?それじゃ、やっぱり黄泉から化け物がでるっていう伝説は本当だったのか!」
 龍哉たちが走ってきた方角に目を向ける。まだ何も現れない。
 突然、背後の茂みの中から気配がした。
「後ろだっ!」
 泰造が振り向きながら叫ぶのと、それが茂みの中から飛び出すのはほぼ同時だった。
 血走った目、獣のような唸り声。その姿は紛れもなく人間だった。だが、ただの人間ではありえない動きだった。
「研輔!?どうしたんだ!?」
 役人が叫ぶ。
「知り合いか?」
「山の調査に行った役人仲間だ!……取り憑かれちまったのか!?」
「人間……か」
 戦いづらい。相手が人の姿をしただけの化け物だと言うのなら思いっきり戦える。だが、人間だと思うと本気が出せなくなってしまう。
 研輔と呼ばれた男はぎょろりとした目で一同を見回した。
 沙希に目をつけたようだ。目があった沙希は恐怖に駆られ、矢を番え、研輔に向ける。しかし、射られない。
「来ないでよっ」
 脅えた目のまま、震えながら射ることもできない矢を研輔に向ける沙希。研輔は自分に向けられた矢を怖れるでもなく、沙希に飛び掛かろうとした。
 その研輔の行く手を遮る二本の槍。陽一と陽二だ。
 その二本の槍をそれぞれ片手であっさりと押しのける研輔。陽一も陽二も槍を両手で持っているのに、だ。
「す、すごい力だ!」
 陽一が叫ぶ。
「あいつ、あんなに力なんかなかったはずだぞ!?どうなっちまってるんだ?」
 役人が言った。どうも、研輔に取りついた何かの所為で本人からは想像もつかないような怪力を手にしたようだ。
 研輔はまた一歩、沙希に近づく。陽一と陽二も対抗しようとしているがまるで歯が立たない。
 その時、ゴン、という鈍い音がした。
 研輔の後頭部に泰造の金砕棒がヒットしていた。しかも、音から察するにけっこうな力である。
「っちゃー、やりすぎたかも……」
 泰造が気まずそうな顔で様子をうかがう。下手したら今ので死んでしまうかもしれない。何せ当たった場所が頭である。
 しかし、研輔は倒れない。それどころか泰造のほうにちらりと目をやり、また何もなかったように沙希に近づきはじめた。
「化け物め……」
 また一歩近づく。
「いやーっ!」
 沙希が、ついに矢を放った。
 形容しがたい音がし、研輔の胸に深々と矢が突き刺さった。
「あ……あ……」
 それを見て真っ青になる沙希。自分のしたことが信じられないと言った表情だ。
 しかし、それより信じられないのが研輔だった。その胸に刺さった矢を無造作に引き抜き、投げ捨てる。傷からは血も流れなかった。
「不死身みたいだ!」
 陽二が叫んだ。
「不死身か……上等じゃねーか!死なねーんなら思いっきりやってやる!」
 そう叫ぶと、泰造は研輔に飛び掛かった。金砕棒を思いっきり振りかぶり、横様に振りぬく。金砕棒は研輔の腹部を捉え、研輔は人形であるかのように宙を舞った。そして、後ろにあった木にぶつかり、その木は衝撃で根元から傾いた。研輔はそのまま地面にたたきつけられる。
 それでも、研輔は起き上がろうとしている。
「しぶとい奴め……これはいくら攻撃してもやっつけられそうにねーぞ!?」
 ゆらりと立ち上がった研輔。
「ちくしょう……ほんっとうに化けもんだな、こいつは」
 何をしても無駄なような気がした。攻撃が本当に効いているのかさえわからない。
 突進してくる研輔を迎え撃つために再び身構える泰造。
 しかし、研輔の突進は途中で止まった。いきなり体をビクンと痙攣させると、その場に倒れ込んだのだ。
「な、なんだ?」
 あっけにとられる泰造の目の前で、研輔の体から黒い影のようなものがわき上がり、どこかに飛び去っていった。
「あれが化け物の正体だったのか?」
 虚空に消えた化け物を目で探しながら泰造が言った。
「でも、なんで突然逃げたんだろう……」
 陽一が不思議そうな顔をした。
「あっ、結界だ!結界が復活して近寄れなくなったんだ!」
 陽二が手を叩きながら大声で言った。
「そうか。それじゃ、結界の中にいるかぎり大丈夫だね」
「でも、あの化け物はどこかに行っちまった。結界の外で誰かに取りついて騒ぎを起こすかも知れねーな」
 陽一の言葉を受けて泰造が呟く。
「あいたたたたた……」
 後ろのほうで研輔が起き上がった。どうやら正気に戻っているらしい。
「おい、あいつ、元に戻ったら死ぬんじゃないか?あんだけ派手にやったんだし……」
 泰造が気まずそうな顔をしたまま研輔の様子をうかがった。
 研輔は何もなかったように立ち上がる。
「ううん、全身が痛い……。一体何があったんだ?」
 どうやら大した怪我はないようだ。取りついていた化け物の力か。
「事情は説明しないほうがいいな……。何もなかったように帰ろうじゃないか」
 泰造は研輔と目を合わさないようにそそくさと逃げていった。
「ウォジョレー山には行かないの?」
 陽二が泰造に訊いてきた。
「いいんじゃないか。二十二号は帰っちまったし、それに化け物は見れたから十分のような気がするしな」
「そういえば、あの化け物の行方も気になるよね。あとで調べてみよう」
 陽二が呟く。
 沙希はまだ放心したままだった。声をかけても反応しない。仕方ないので泰造は沙希を担いで帰ることにした。

 モーリアに戻るまでには、沙希もまだ青ざめた顔をしているものの、正気には戻っていた。
 大戸の結界はこの街も包み込んでいるため、あの化け物はこの街にはいられない。この街にいるかぎり、安全であることは確かだ。
 泰造たちの後に戻った役人たちにより、化け物について緊急手配がなされた。
 一時期騒然とはなったものの、モーリアではこれといった混乱は起こらなかった。

「おい、お前どこに行く」
 街の入り口を見張っていた役人が街を出ようとする少年に声をかけた。
「あてはない。長居をしたくないだけだ」
「いまはやめたほうがいい。なんでも化け物が出たらしくてな。この街にいれば安心だが、遠くに行くと何があるかわからない」
 いいながら、役人は少年の顔をじっくりと見た。
 どこかで見た顔だ。しかし、この辺のものではない衣装をまとっている。
 ふと、思い当たった。
「お前……賞金かかってるな?」
 男がそう言うと、少年の顔つきが険しくなった。
「だったらどうする」
「捕まえるに決まってるだろう」
 役人はいきなり少年に飛び掛かる。しかし、あっけなくかわされてしまう。そして役人が再び少年のほうに顔をむけると、その頬に剣をつきつけられた。
 少年は何も言わない。役人が硬直したのを見て少年は剣をおろし、その場から立ち去ろうとした。
「貴様……。役人に刃向かって生きて帰れると思うなよ!」
 役人が怒鳴り、警鐘を鳴らした。すぐに、どこからともなく大勢の役人が飛び出してきた。
「賞金首だ!俺に刃物をつきつけやがった!」
 それを聞いて、役人たちが剣を抜いた。
「手加減無用だな」
 役人たちが次々と飛び掛かる。あたりに鮮血が飛び、風が紅く染まる。倒れ込んだのは役人たちのほうである。
「手加減無用なんだろ?こっちだって手加減はしねーぜ」
 少年は血走った目で役人たちを見回した。役人たちに戦慄が走る。
「な、なんて奴だ……」
「死にたいならいくらでもかかって来い」
 勝ち目はない。そう悟った役人は吐き捨てるように言う。
「行くんならとっとと行け」
 少年は何も言わず、剣を収めると踵を返し、街から離れて行った。

 龍哉がモーリアに逃げ帰ったのは分かっている。しかし、その後の足取りはわからない。
 ひとまず役所に行って情報を漁ることにした。
 役所は何やら騒がしい。泰造は窓口に尋ねてみた。
「騒がしいけど、何かあったのか?」
「賞金首四十七号の隆臣って奴がいるだろ?あいつがこの街にいたんだよ。それで、捕まえようとした役人が殺されそうになったんだ」
 窓口のオヤジは落ち着かない顔で答えた。
「四十七号?その番号は初めて聞くな」
「ああ、おととい手配書が出たばかりだ。けっこう前から方々荒らし回っていたこそ泥だが、最近手口が凶悪化してきている。そこで手配に踏み切ったんだ」
 手渡された手配書をじっくりと見る泰造。名前のふりがなと賞金の金額しか読めないが。
 こそ泥というだけあって賞金の額はたいしたことない。龍哉の賞金額に少し上乗せさせられた程度だ。
「その額のバンドがトレードマークらしい。額のバンドを見たら要注意だ」
 と、役人は言うのだが、額にバンドを巻くのは最近若者の間で静かなブームなので街を歩いているとよく見かけるし、泰造も巻いている。
「トレードマークねぇ……」
 似てるのか似てないのか分かりもしない人相書きを見ながら泰造がぼやいた。
 横から沙希が覗きこんできたので、沙希にも見えるように手配書の角度を変える。
「えーっと、『小さな町村を中心に盗みを働く盗賊。手口はこそ泥だが、捕らえようとすると狂暴化する。捕獲の際は注意すべし』だって」
 手配書をを読み上げる沙希。
「別に凶悪犯ってわけじゃねーのか」
「十分凶悪だと思うが」
「リューシャーの方にはもっと凶悪なのがうようよいたぜ」
 泰造は手配書をファイルに仕舞いこんだ。

 大陸の果て。
 ここまで来ても追っ手はいる。
 逃げることはできないのか。
 行き場を失った隆臣はまたあの小屋に戻っていた。奪ってきた魚を焼いている。
 人との関わりが切られるこういう場所が好きだった。
 人のぬくもりを探して歩いていた頃が懐かしい。いつから俺はこうなったのか。
 炎を見つめていた隆臣は、人の声が聞こえたような気がして我に返った。
 誰だ。
 隆臣は立ち上がり、荒々しく扉を開いた。扉の前にいた人間と目が合った。いつかこの小屋に入り込んで来た連中……龍哉たちだった。
「あ、あれ。これはこれは。ご無沙汰です。ではごきげんよう」
 挨拶だけするとそそくさと逃げて行ってしまう。
「やっぱりあの人住んでるんですよ」
「絶対空き家だと思ったんだけどなぁ。生活感なかったし」
「兄貴の勘はよくはずれますから」
「うるせぇ」
 そう話し合っているのが聞こえた。拳を振り上げて殴ろうとする龍哉と、それから逃げる子分。周りでは他の子分がその様子を見て楽しそうに笑っている。
 仲間か。
 何年、ああして笑っていないのだろうか。
 隆臣は孤独だった。
 誰も俺に語りかけてはくれないのか。この世界は俺を受け入れてはくれないのか。
 隆臣は叫びたい衝動に駆られた。
 こんな世界、滅んでしまえ、と。

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