第弐話 デ・ジャ・ヴュの少女
初めて見るのに、不思議な懐かしさが込み上げてくる。
運命の出逢い。
人生には、そんな運命の出逢いが実はあふれている。
グーマの役所の掲示板に新しい手配書が貼りだされていた。
手配番号二十二号、龍哉。
全ての手配書が全ての街に貼りだされているわけではない。その近辺に現れそうな賞金首の手配書だけがこうして貼りだされるのだ。
龍哉の手配書がこうして貼りだされたということは、龍哉はこのあたりで姿を現したということだ。何かをやらかしたのか、目撃されたのか。
そんなことはどうでもいい。
こうして手配書が貼りだされてしまうと、その存在は他の賞金稼ぎにも知られてしまうことになる。つまり、競争率が高くなり、横取りされやすくなるのだ。
現に、今も賞金稼ぎらしい人影が龍哉の手配書の前でメモを取っている。
しかも、その賞金稼ぎは自分と同じ年くらいの女性。少女といってもいい年ごろである。
「お前も賞金稼ぎか?」
声をかけると、少女は驚いたように泰造の方を振り返った。
「な、何よ……。ナンパ?」
少女の言葉に力が抜ける泰造。
「あのなぁ。俺は見ず知らずの女性をいきなり口説くような恥知らずじゃねーぞ」
いいながら、泰造は不思議な気分になった。
本当に、見ず知らずなのだろうか。
懐かしい感じがする。しかし記憶の中にはその姿を見いだすことはできなかった。
少女は初めて会うはずの泰造に、警戒した様子も見せずに答えた。
「あら。でもさっきそういう人いたわよ」
「誰だよ」
「この人」
泰造の問いに少女は手配書を指差した。
「二十二号……。何考えてるんだ、あいつは……」
泰造は呆れるしかない。
「あたしのこと口説いてきたんだけどさ、あたしが賞金稼ぎだって知ったら凄い勢いで逃げ出してさ。何よ、そっちから口説いてきたのに。口説いた方から逃げるなんてマナー違反よね?」
同意を求めるような少女の言葉に泰造は困るしかない。
言葉を濁す泰造に構わず少女がさらに訊いてきた。
「ねぇ、あんた、この人の知り合い?」
「知り合いって言うか……。まぁ、知り合いだなぁ。俺、こいつのことを追いかけてるんだ」
「あれ?賞金稼ぎなの?」
「まぁな」
「こんな安い賞金首、なんでわざわざ狙ってるの?」
「ま、ちょっと事情があってさ……」
「ふーん……。どんな事情があるのかは知らないけど、龍哉はあたしが捕まえるよ。ナンパしといて逃げるなんてプライドが傷つくじゃない」
少女は悪戯っぽい笑みを浮かべながら言った。
「よーし、じゃあさ、どっちが先に捕まえるか勝負しようぜ?負けた方は千ルク払う」
泰造は根っからの勝負好きである。
「よーし、乗った!負けたからって逃げるのは無しだからね!」
少女も賭けに乗ってきた。どうも金がもらえるのが気に入ったようだ。
「俺は逃げたりしねーよ。お前こそ逃げるなよ」
「あたしはね、こう見えても約束は破ったことないの」
「よし、じゃ勝負開始……」
二人は右と左に散って行こうとした。
軽快な足音とともに少女が遠ざかっていく気配がする。しかし、泰造は走り出さず、向きを変えたところで足を止めた。
役所からまっすぐ伸びる通り。その通りに男達の姿があった。見るからにガラの悪そうな男達。
「おっさん、ちょっと金貸してくんねーかなぁ?」
壁際に中年の男性を追い込み、強請っているようである。その強請っている男に見覚えがあった。
「あーっ!二十二号!」
泰造は思わず大きな声を出した。
「ええっ!?」
少女もその声に思わず引き返してくる。
龍哉も泰造に気付いたようだ。
「げげっ、あいつは……。おい賞金稼ぎ!お前のせいで俺達ゃスカンピンになっちまったんだ!俺達から巻き上げたもの返せ!」
龍哉が怒鳴った。倍くらいの大声で泰造が怒鳴り返す。
「人を強盗みたいに言うんじゃねぇっ!」
猛牛のように突っ込んで行く泰造。龍哉はその迫力に気圧されて背中を向けて逃げ出した。
「憶えてろ、強盗野郎!」
相変わらずとんでもない逃げ足の速さだ。距離が全然縮まらない。むしろ開いているようだ。全力でかける泰造の横を少女が追い抜いていった。
「ちょっと、あんたが大きな声出すから龍哉が逃げるじゃないの!」
振返りながら少女が叫んだ。
「んだとー!?俺が言わなきゃ龍哉がいるのさえ分からなかったんだろうが!俺が先に見つけたんだあぁ!」
言い合っているうちに龍哉の姿は路地に消えた。龍哉の入り込んだ路地を覗き込んだが、そこにはすでに龍哉達の姿は無かった。
「あんたのせいで逃げられちゃったじゃないの!」
「だから、誰のおかげでいるのが分かったと思ってるんだよ!ちくしょー、言わないでこっそり追いかけりゃよかった!」
少女の言葉に泰造も怒鳴り返す。
確かに、わざわざ自分の居場所を知らせたようなものだ。分かってはいるのだが、あまりにも急だとついつい口に出てしまう。それで何度となく逃げられたものだ。
「それよりもさー、龍哉が逃げる前に言ってたの、何?巻き上げたとかいってたけど」
「人を強盗みたいに言うなって……」
「もしかしてあんたにも賞金出てるんじゃない?」
「出るかっ!」
路上で激しく言い合う二人の周りにはいつの間にか人が集まって来ていた。これだけ大勢の人の前でいろいろいわれると泰造も体裁が悪い。
「ちょっとさ、場所変えないか?」
言われて少女も状況に気付く。これだけの人の前で大声を出していたと思うと、今さらながら恥ずかしくなってくる。
「そ、そうしようか……」
二人はそそくさとその場を後にした。
「でかい声出したら腹減っちまった」
路地に入った泰造はぼそっとこぼした。
「あ、あたしもー。ねぇ、どこかで何か食べよーよ」
一瞬考えこむ泰造。
「お前、もしかして俺におごらせようとか思ってねーか?」
「あら、こう言う時は普通、男が女におごるものよ」
笑顔で言う少女。
「見ず知らずの奴におごるほど金持ってねーよ」
「ちょっと、それじゃ千ルク払うってのはどうなるの!?」
もう貰うようなつもりでいるらしい。
「まだ勝負終わってねーだろ……。千ルクくらいは払えるって。でなきゃ言わねーよ。お前は払えるんだろうな」
そういえば、相手が千ルク払えるかどうか分からないことに今さら気がついた。
「それは大丈夫だけど。あ、ここにしようよ」
定食屋に引きずり込まれる泰造。
「おい、おごったら払えなくなるかも知れねーぞ?」
泰造は抵抗を試みる。
「その時は出世払いで許してあげるよ」
抵抗は無駄に終わり、結局泰造は店に引き込まれてしまった。
「しょーがねーなぁ。高いの頼むなよな」
泰造もメニューを見る。
「すいませーん、ラジゴのみそ煮こみ定食くださーい」
「一番高いやつじゃねーかっ!」
泰造を無視して注文する少女。やはり泰造を無視して注文を受ける店員。
「ラジゴのみそ煮こみ定食二つでいいですね?」
「ふ、二つ?」
俺は頼んでない、と言いかける泰造だが、少女の反応の方が速い。
「はーい」
「俺はまだいいって言って……」
店が込んでいるためか、とっとと立ち去ってしまう店員。
「俺はズンドコ丼がよかったのに……」
溜め息をつき、ぼそぼそとぼやく泰造。
「だめよ、そんなの。脂っこい食事は美容の大敵よ」
「美容って……。俺が頼むんだぞ、関係ねーや」
などと言い合っている間にも、ラジゴのみそ煮こみ定食がテーブルに置かれる。文句を言う割に、泰造は箸を手に取りがっつき始めた。
「何よ、食べるんじゃないの」
「ああ全く、こんな高いもの二つも……。痛い出費だなぁ、こりゃ何としても龍哉のやつを捕まえないと。うん、うめぇ」
少女はその様子を呆れたように眺めている。
「食わねえんなら俺が食うぞ」
泰造は少女の前の皿に箸を伸ばそうとする。少女は泰造から皿を遠ざけた。泰造は諦めたようだ。
「ところで、あんた。誰だっけ?」
ラジゴのみそ煮こみを口に入れたまま少女が訊いてきた。
「俺は泰造。そういやぁ自己紹介まだだったよなぁ」
飯をかきこみながら答える泰造。
「……あたしは沙希」
少女の名前は沙希と言うらしい。初めて聞く名前だ。
「ねぇ、どこかで会ったことなんて、無いよね?」
沙希の言葉につい箸を止める泰造。
「俺はリューシャーよりずっと向こうのマシクという町で育った。七年前、リューシャーに向けて旅立った。そのあとリューシャーを出てサイマまであてもなく旅を続けた。そこでしばらくとどまった後、ティバに向かったんだが、どこかで道を間違えてグーマに来ちまった。どうだ?もちろん、途中あちこち寄ったけどな」
「……そう。私はギャミの近くの山奥の村に最近まで住んでた。ナリットの村……知らないよね。旅に出たのが二年前。フュークを通ってギト、そしてグーマ。じゃぁ、全く反対なんだ。会うはずないよね」
気がつくと、泰造の皿の上はすっかりきれいになっていた。箸を置く泰造。
「あれ?飾りの葉っぱは?」
沙希はあまりにもきれいな泰造の皿が気になった。
「あの葉っぱ、飾りだったのか。道理であまりうまくなかったな」
「えーっ。ちょっと、あれは普通食べないでしょー?信じられない……」
得体の知れぬ怪物でも見るような目で泰造を見る沙希。
「何だよ。だってさ、もったいねーじゃねーか」
「もったいないって……。意地汚いなぁ。こんな苦い葉っぱまで食べないでよぉ」
「なんでそんなことまで指図されなきゃならねーんだ?」
「なんでだろ。何かあんたの顔見てるといろいろ言いたくなるのよね」
沙希の言葉に、泰造はつい顔に手をやった。
龍哉を探してはいるのだが、あてなどあるわけはなく、結局は人の多そうな街の中心に向かって向かうしかない。
そんな泰造に、なぜか沙希はついてくる。
黙っているのが嫌いなのか、沙希はすぐに泰造に話しかけてくる。
「ティバに行って、何をする気だったの?誰か追ってたの?」
「関係ないだろ」
そっけなく答える泰造。沙希が顔をのぞき込んできた。溜め息をつき、泰造はしぶしぶ話しだした。
「サイマであった豪磨って奴を追ってたんだ」
「豪磨……聞いたことある。かなりタチの悪い泥棒よね。行く先々で何人も殺して、村や街を焼き払って……。金のためならなんでもやるっていう男よね」
沙希の声のトーンが下がった。顔を見なくてもわかる。豪磨に対して少なからず不快感をいだいているようだ。
「サイマにつくまでにも豪磨に焼き払われた村をいくつも見た。あいつのことは許せないんだ」
語る泰造の目に冷たい光が宿った。思い出したくも無い。目がそう語っている。
気まずくなった沙希が、ごまかすように意地悪な笑みを浮かべながら言った。
「サイマからティバとグーマって全然逆の方向じゃない。どうして間違えるの?もしかして泰造って方向音痴?」
「いや、地図が悪いんだ」
拗ねたような顔で答える泰造。
「そういうお前はどうなんだよ。何で賞金稼ぎなんかやっている?」
泰造がそういった瞬間。沙希の表情が曇った。
「……話したくないな……」
「……賞金稼ぎなんかやっているやつの過去なんか、訊くもんじゃなかったな」
賞金稼ぎの多くは、まっとうな仕事ができないようなやさぐれ者である。悪人になるか、賞金稼ぎになるか。紙一重のようなものだ。もちろん、中には悪人を捕まえるという正義感で賞金稼ぎを志すものもいるのだが。
泰造とて、正義感ばかりで賞金稼ぎを続けているわけではない。
「ごめん、不公平だよね」
沙希はうつむいてしまった。
「どこを目指して旅をしているんだ?そのくらいは言えるだろ?」
泰造は質問をかえた。
「うん。でも、これといってどこを目指してるってことはないな。強いて言えば、リューシャー……。今はただ……ううん、何でもない」
何を言いかけてやめたのか。話したくないことなのだろう。沙希も、明るく見えて何かつらい過去を背負っている。賞金稼ぎはそういう人間達だ。
暫し無言で歩く二人。
そろそろ、中心街だ。人がだいぶ増えてきた。
そこで、ふと、泰造が口を開いた。
「なんでついてくるんだよ。二十二号探せよ」
「それで泰造が見つけたら悔しいじゃない。一緒に見つけたら先に捕まえる自信あるしぃ」
「あのなぁ」
泰造はだんだん苛ついてきた。
「ちくしょー、どこにいやがるんだ二十二号!出て来やがれ!」
苛立ちを紛らわすように叫ぶ泰造。
その大声に、道ゆく人々が一斉に振り向いた。そのうち一団が逃げる様に走り出すのが見えた。
「いた……」
ぽかんとしながら呟く泰造。探し始めるとなぜかすぐに出っくわす。今日はついているのだろうか。
沙希はすでに走り出している。泰造は出遅れてしまった。
「もー、また泰造が大声出すから逃げちゃうじゃない!」
「でも俺が大声出さなきゃいたの気づかなかったぞ!」
「黙って歩いていればそのうち出っくわしたかもしれないじゃない!」
またしても追いかけながら喧嘩になる二人。内容も先程と似たりよったりである。
道は混み合っている。龍哉達は人ごみを掻き分けながら逃げているので、距離がなかなか開かない。追う泰造達は龍哉達が掻き分けた人ごみの中を余裕で追っている。
「今度は捕まえられそうね!」
「そうだな!」
沙希の言葉に頷く泰造。その時、沙希が短い悲鳴をあげた。泰造は顔を上げた。突然顔面に衝撃が走った。何か堅いものがあたった。のけ反り、ひっくり返る泰造。
「きゃぁ!」
沙希も巻き込まれて倒れ込んだ。
泰造が顔を上げると龍哉の一味は遥か彼方に逃げ去っていた。
泰造の頭の横にカボチャが落ちている。龍哉の手下がカボチャを投げてきたようだ。泰造は顔面にその直撃を受けたらしい。
「ちょっと、なにすんの!?……泰造、鼻血出てるわよ」
沙希の言葉に鼻の下をこする泰造。指に真っ赤な血がべっとりとついてきた。
泰造はカボチャを小脇に抱えながら、今夜の宿を探していた。
小さな田舎町ならばどこかの軒先でも平気なのだが、大きな街だ。ちゃんとしたところに宿を借りなければ危険である。
カボチャは先刻龍哉の手下にぶつけられたものである。このカボチャのせいで俺は鼻血を流す羽目になったんだ、と半ば脅すようにしてカボチャを貰ってきたのだ。しぶしぶながら、傷がついたので売り物にもならないし、ということで商店主もカボチャを差し出した。
時間が遅くなってきたので人通りも少なくなり、店もほとんどが閉まっている。ただ一つ明りがついている店も、今まさに閉めようとしているところだった。
泰造は店の前で片づけている老人に声をかけた。
「店はもうしまいだよ」
老人はそっけなく言い、すぐに後ろを向いてしまう。その後ろ姿に向かって泰造が聞いた。
「いや、そうじゃなくてさ。泊まるところを探してるんだけど、この近くに宿か何か無いか?」
「連れ込み宿ならこんな町外れにゃ無いよ」
「何だ、その連れ込み宿ってのは……」
と言ったところで、泰造はようやく自分の後ろに沙希がついてきていることに気がついた。
「な、何でお前ここにいるんだよ!?」
「あたしだって泊まるとこ探してるんだよ?いいじゃない」
「別に連れ込み宿じゃなくていいならこの通りをまっすぐ行ってつきあたりを右に曲がると昨日できたばかりの新しい宿があるよ」
二人の会話に割って入るように老人が言った。
「よかったじゃない。野宿にならなくてさ」
「お前、まさか宿代たかる気じゃねーだろうな」
「まさか、そこまではしないよ。そんなことしたら宿代節約のために同じ部屋に泊まるとか言いだすかもしれないしぃ」
「言うか〜!」
泰造の大声が静まりかかった夜の町に響き渡った。
微かな光の中に奇妙な建物が浮かび上がっていた。
規則的に並んだ六角形の部屋。まさに蜂の巣であった。巨大な蜂の巣をそのまま使ったカプセルホテルで、表に貼りだされているチラシを見た分には宿泊料はかなり安いようである。
「へー、おもしろいね〜。都会は珍しいものがあるんだなぁ」
都会といっても、地方都市の一つではあるのだが。
泰造と沙希は感慨深げに蜂の巣ホテルを眺めている。貼りだされているチラシの謳い文句では、自然の蜂の巣をそのまま運んできたもので、大自然にいだかれて眠るとかいう大仰なコピーがつけられている。
しかし、あまりにも奇抜な物体なので入るのをためらってしまう。
それに気付いたのか、中から従業員らしい人物が出てきた。
「お泊りですか?」
「あ、はい。二人なんだけど」
とりあえずこの従業員に任せることにした泰造。
「一人一部屋で別室になってしまいますがよろしいですか」
「それはもう喜んで」
職員の言葉に頷く泰造。
「えーと、本日は団体様がお泊りですので、お部屋が離れてしまいますがよろしいですか?」
こんなところにも団体が泊まっているらしい。
泰造にはわりと高いところの部屋が割り当てられた。部屋の中は質素である。壁もそのままで部屋の中には毛布が一枚あるだけ。まさに泊まることのみを目的としたものだ。余計なものは何一つ無い。
泰造は扉の外を眺めていた。
街はすっかり寝静まっている。かつて拠点にしていたリューシャーは夜もまるで昼間のように賑やかだった。
賑やかなのは嫌いではない。しかし夜は静かなほうが好きだ。
夜に騒ぐような連中が嫌いなのだ。苦い記憶がある。思い出したくもない。
記憶。思い出。
その言葉が頭に浮かぶと、一緒に沙希の顔が浮かんだ。
会った記憶も無いし、話を聞いた限りではまるで逆方向からこの街に流れてきたようだ。どこかで見かけるということもないだろう。
なぜ、気になるのか。あの時感じた既視感。あれは何なのか。
沙希も、どこかで会わなかったか、と訊いてきた。恐らく、泰造と同じような感じを沙希も受けたのだろう。
考えをめぐらせる泰造。
確かに、二人が辿ってきた道のりの記憶が正しいのならば会うはずもない道のりである。
だが、初めて会ったような気がしない。今日会ったばかりの、しかも異性に対してあんなに気軽に話しかけられる。軽口が叩きあえる。
何かのえにしがあるに違いない。そう、たとえば……前世か。高天原では転生が信じられている。前世では知らぬ仲では無かったということか。
沙希も泰造のことが気になるようだ。なにかと理由をつけて泰造にまつわりつこうとしてくる。そうでなければ、会ったばかりの男と賭けに乗ってみたり、食事をおごらせたりなどということはしないだろう。
それにしてもあの時食べたラジゴのみそ煮こみ、実にうまかった。もったいない出費だが、たまにはああいうのもいいかもしれない。
そういえば、このカボチャはどうやって食おうか。痛い目には遭わされたが、少し得した気分だ。
夜が更けるにつれて泰造の思考はだんだんとどうでもいい方へとそれていった。
目が覚めた。
ということは、眠りに落ちていたということだ。
泰造は大きく伸びをしようとしたが、狭い部屋なので手も足も突っかかってしまう。伸びをするには部屋から出なくてはならないようだ。
長旅の疲れからか、目覚めが悪い。このままじっとしていると再び眠ってしまいそうだ。
疲れが取れきっていないのならば、無理に起きることも無いか。そう思い、再び毛布に包まる泰造。そして、再び微睡みが泰造の意識を引き離しかけた、まさにその時。
どん!
鈍い衝撃が襲ってきた。
飛び起きる泰造。天井が低いので頭を強かにぶつけてしまう。
そこに、再び衝撃。
泰造は部屋から這い出した。入口の板だけの扉を開けると、青い空が見えた。日はまださほど高くない。
見回す。しかし何も見えない。そこに再びの衝撃。
泰造は部屋を飛び出した。足場を使わずに飛び降りる。
建物の方を振り返ると、建物の上に巨大な影がいくつも蠢いていた。
逆光でその姿はよく見えない。しかし、泰造はその影の正体がすぐに分かった。
この建物、すなわち蜂の巣の元の持ち主。
監獄蜂(プリズン・ワスプ)。
先程の衝撃は、この巣に監獄蜂が取りついた時の衝撃らしい。
衝撃に驚いた他の宿泊客達も部屋から這い出してきた。
「な、何よ、今の!」
沙希が駆け寄ってきた。そして、その目が泰造の目線を辿る。
監獄蜂達は、まるでこちらを睨みつけるように身じろぎもせずにいる。その一匹が僅かに羽ばたくたびに泰造に緊張が走る。
泰造は、近くで硬直している従業員に向かって叫んだ。
「早く、客室に残っている客を外に出すんだ!」
監獄蜂は、もともと狂暴な虫ではない。この巣を素直に明け渡せば何もしないはずだ。
部屋の奥で恐怖で縮こまっていた宿泊客も、従業員の誘導でびくびくしながらも避難し始めた。
「団体客の人たちが出るのを嫌がっていますが」
戻ってきた従業員が言った。
「何だって?事情話したのかよ!」
「ええ、それは……」
「しゃーねぇなぁ。引きずり出してやる!」
泰造は、その客の泊まっている部屋の扉を力づくでこじ開けた。
「おい、とっとと出ろ!」
中に向かって叫ぶ泰造。
「ん?」
中で小さくなっている人物に見覚えがある。
「よ、よう。奇遇だな……」
引きつった笑みを浮かべて泰造の方を見ているのは龍哉である。
「なぁ、お前、そろそろ観念して捕まらねぇか?疲れただろ?」
あきれ返る泰造。
「やだね。誰が捕まるか。逃げるぞ!」
龍哉は部屋の前の泰造を突き飛ばし、部屋を飛び出した。それを合図に、他の部屋に泊まっていた龍哉の子分達も一斉に部屋を飛び出す。そして、後ろも見ずに一目散に逃げだした。
「ああっ、待てー!」
走り去る一団が龍哉の一味であることに気づき、後を追いかける。泰造も少しその後を追う。
やはり、龍哉の逃げ足は速い。距離がだんだん開いていく。
前を走る沙希が、短弓を構えた。それに気付いた泰造は沙希に向かって叫ぶ。
「待て、殺すな!」
「わかってるわよ!」
泰造の声につられるように大きな声で答える沙希。
矢が射られた。甲高い音を鳴らしながら矢が龍哉達の方に向かって飛んでいく。矢は鏑矢だったようだ。
その音に驚いたように、首をすくめながらも龍哉達の足は止まらない。
「あいつら、逃げる時は何にも動じないわね!」
沙希は息が切れてきたようだ。寝起きなので体も温まってないのだろう。泰造もそれは同じである。龍哉たちも同じはずなのだが……。
「全くだ!これで五千ルクは安い賞金だな!割にあわねぇや!」
龍哉達の姿はかなり小さくなっている。
「それならあんなやつ放っておけばいいじゃない!」
言いながら喘ぐ沙希。だんだん走るペースが落ちてきている。
「なんだ、もうへばってんのか?へっ、だらしねーぞ!」
得意げに言う泰造はスタミナには自信がある。
沙希は泰造に追い抜かれ、完全に足を止めた。肩で息をしている。そのまま、道端にへたり込む沙希。
しばらくすると泰造が戻ってきた。龍哉を捕まえられた様子はない。
「首尾は?」
沙希の言葉に泰造は近くの壁を蹴りながら答えた。
「見失った。ちくしょう、あいつら速いうえに体力もずば抜けてやがる」
泰造の言葉に思わずにんまりとする沙希。
「やっぱり、泰造には無理よ。捕まえるのはあたしの方が先ね」
その言葉にむっとする泰造。
「何だと。こんなところでへばるような奴にこそ捕まえられっこねーや」
「言ったわね」
「先に言ったのは沙希の方だろ」
睨み合う二人。が。
「ねぇ、やめない?」
沙希が言うと、泰造も力を抜いた。
「ああ、腹が減った」
「ご飯、まだだもんね」
沙希も立ち上がった。尻についた埃を払う。
「おごらねーぞ」
歩き出した泰造が言った。
「誰もおごってなんて言ってないもん」
「言う前に言っとかねーと言われるからな」
言いながら泰造は龍哉の走り去った方に目をやった。
あの方向はマーケットだ。
マーケットに行けば、食い物も買えるし、もしかしたら龍哉もマーケットにいるかもしれない。
泰造達は宿に戻ってきた。残してきた荷物を取りに来たのである。
宿の近くには、役人が集まっていた。
街の中に監獄蜂などという剣呑な生き物がいるのだ。当然といえば当然である。
「おい、危ないから近づいちゃいかん」
役人が泰造達の道を塞いだ。
「あそこに荷物があるんだ。それを取ってくるだけだ」
泰造が言っても、役人は退こうとしない。
「今はだめだ。今あの虫を追い払うからそれまで待て」
「追い払う?……何をする気だ?」
宿の方では、役人達が何かの準備をしている。
「火を焚いて、虫を追い払うのだ」
役人は微動だにせずに言った。
確かに、監獄罰は炎を嫌う習性がある。監獄蜂の巣が近くにある村では松明を並べておくところもある。
「でもよ、そりゃ、巣から離れたところでのことだぞ!?こんな巣の近くで火なんか焚いたら……!」
「どうなるの?」
後ろから沙希が訊いてきた。
「途中で寄った村で聞いたんだけど、あいつら、巣はとても大切にするんだ。だから、巣の近くで火なんか焚くと、怒り狂って暴れるぞ!下手したら、この街がめちゃめちゃにされる……」
「そんな……。止めなきゃ!今の、聞いたでしょ?やめさせてよ!」
沙希が役人に向かって言う。
「しかし、こんな危険な虫が住み着いたのでは民に危険が及ぶ。いざとなったらあの虫を殺して、巣も焼き払うまでだ」
「やめろ!そんなことしちゃいけない!あいつらを怒らせると、殺す前にこっちが殺されちまう。手を出すな!」
叫ぶ泰造。
騒ぎを聞きつけたのか、作業をしていた役人達も様子を見に近寄ってきた。
「どうした?」
「こいつが、危険だから止せといっている」
「しかし……。危険なのは我々もわかっている。しかし、こんなところに巣があったのではかえって危険ではないか?」
役人は泰造に向かって言った。
「こんなところに巣があるから危険だと!?これはここにあった巣じゃないんだろ?どこからか運んできたやつじゃないか!自分達で運んできたのに、こんなところに巣があるから危険だなんて言っていいのか!?」
泰造の剣幕に押される役人。沙希も後ろから泰造を応援する。
「そうよそうよ!いくらなんだってそんなのかわいそう過ぎるよ!」
「しかし。それではどうすればいいんだ?どんな手だてがある?」
挑むように言う役人。
「昔から言うだろ?障らぬ神に祟り無しってな。こいつらは神じゃねーけど、ほっとけば何もしねぇってのは同じだ」
「では、こいつらをこのまま放っておけというのか?このままでは民の不安が募るだけだ」
引き下がらない役人に泰造が言う。
「オズカから半日の場所にターミアという村がある。その村の近くには巨大な監獄蜂の巣がいくつもあった。しかし、村人はそこから逃げない。監獄蜂を恐れてなんかいない。それどころか、監獄蜂の巣から蜜を貰ってきたりしていた」
ここに来るまでに泰造が立ち寄った村でのことだ。その村は監獄蜂の巣に囲まれていた。
村にたどりついた泰造は、監獄蜂の巣から取ってきたという蜜を振る舞われた。
村は、監獄蜂から蜜を貰う。そして、その見返りとして監獄蜂の外敵が近づいてきた時は共に戦う。
監獄蜂と村人は助け合って生きているのだ。
「監獄蜂は怒らせれば怖い存在だがもともとおとなしい虫だ。なんで、戦おうとするんだ?こちらから戦いを挑むから向こうだって攻撃してくる。結局原因を作っているのは自分達の方なんだよ!」
「なるほど。戦うばかりではない。逃げるばかりでもない。共に生きる道もあるということか」
役人の言葉を聞いて、泰造の表情から激しいものが薄らいだ。そして、今までとうって変わったかのように穏やかな声で付け加えた。
「ターミアの村の人ならば、監獄蜂と共存する術を知っているはずだ。監獄蜂との生活に関しちゃ大先輩だからな」
自分達の巣を取り戻した監獄蜂は、いつも通りの営みを始めたようである。どこか遠くに飛び去っては戻ってくる。蜜を集めているのだ。
置きっぱなしになっていた泰造の荷物も、どうにか取り戻すことができた。
監獄蜂の巣の前では、何かあった時に備えて役人が見張りをしている。しかし、この役人の仕事は見張る事だけで終わるだろう。
ターミアの村に向けて、使いが出されたのは先刻のことだ。空遊機で向かったので、二、三日もすればターミアの村から何らかの協力がくるはずだ。
いずれにせよ、宿は廃業である。開業から三日目にして打ち上げであった。打ち上げということで、簡単な集まりが開かれた。泰造と沙希も、宿の運命を決めたということで誘われた。
簡単な食事と酒が用意された。
「うーん、就職から三日で職を失うとは……」
従業員の一人がぼやいた。
「せっかく見つけた仕事なのにな」
別な一人がそれに答えた。
「まぁ、そういうな。そううまい話がごろごろしてるわけはないんだ。乗った俺も悪かったのかもしれん」
そう言ったのは経営者だ。
「あれ?乗ったっていうことはこの話、誰かに持ちかけられたってこと?」
経営者の言葉に沙希が聞き返す。
「ああ。考創社とか言うグループがあってな。創意工夫を生業とする……。つまり、金儲けのネタを売って儲けてる連中ってことだ。自分達じゃ考えるだけしかできないが、やれるだけの力がある人物にその創意工夫を教えて見返りを貰う。この話を持ちかけたのもそういう連中だ」
「金儲けのネタかぁ。会ってみたいなぁ」
金儲けのネタと聞いて泰造は目を輝かせている。
「はっはっはっ。金儲けのネタといっても、その話に乗るにも元手になる金が必要でな。まぁ、結局は金は金のある人間の下に集まるってことだ」
「俺達貧乏人には縁のない話ってか。とほほ」
過剰に気落ちする泰造。
「俺達もすっかり貧乏になっちまった。まぁ、買った分の知恵はまだつかわせてもらう。今度は板張りにでもして宿を作るよ。ああ見えて結構客はあったんだ。需要があるのはわかったからな」
経営者が言った。
「じゃぁ、またそこで雇ってくれますよね!?」
従業員二人が声を揃えて言った。
「ああ、まだ給料もはらってないってのに金がなくなってしまったからな。給料が欲しければ、給料の分くらいは稼いでもらわないと」
経営者の言葉に喜ぶ従業員。
「じゃ、またこの町に来た時、泊まりに来るよ。安くしてくれよな」
「よし。いいだろう。もっとも、潰れずに軌道に乗ってればの話だがな」
泰造の言葉に高らかに笑いながら言う経営者。
とりあえず、次回グーマにきた時の宿が、安く確保できそうである。
その後しばらくしてから、グーマに蜂の巣を利用した宿が再び現れた。
ターミアの村から来た青年が企画し、以前と同じ経営者により営まれるその宿の最大の売りは、蜂の隣の部屋で寝泊まりできるという面白さであるという。
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