賞金稼ぎ烈伝 Taizo!

第壱話 濃霧

 辺境の平和な村、デハタ。
 いや、辺境の平和な村だった、と言うべきであろう。
 夜の訪れを待っていたかのように、それは唐突に起こった。

「なぁ、おばちゃん。さっきから何やってるんだ?」
 出された飯を掻き込みながら話しかけてくる旅人の言葉に、女は顔を上げた。
 この村は、街道からも離れ、大きな街も近くにはない。旅人など訪れるのは久しぶりだった。
 そんな村だから宿などあるはずもなく、この片田舎には珍しい旅人は村おさの家に宿を借りることとなったのだ。
「こうやって、籠を編んでいるんだよ」
 女は手を休めるでもなく、問いに答えた。
「ふーん」
 旅人も箸を止めるでもなく相槌を打った。箸が進むに従い、だんだんと籠も編みあがっていく。
「それにしても、変わった草だなぁ」
 旅人はようやく箸を置いた。出された膳の上の食事はすべて平らげられていた。
 置いた箸の代わりに床に散らばっている草のうちの一本を手にとり、まじまじと眺める。茎にきめの細かい毛が生えている。この草で籠を編んでいるのだ。
「天鵞絨葦(ビロードリート)っていうんだ」
「びろーどりーと?」
「ここいらの特産品でね。ほら、このあたりは沼地や湿地が多いだろ?そこに固まって生えているんだ」
 旅人は頷いた。旅人も、道に迷いこの村にたどりついたのだが、その時道を踏み外して沼地に足を取られ、這う這うの体で村に迷いこんだのだ。
「この天鵞絨葦で編んだ籠はね、都の方で珍重されているんだよ。おかげで、わずかだがこの村も潤ってきた。荒れ果てていた畑を耕すしかなかったこの村もね」
 籠が一つ出来上がった。床に置かれた籠を旅人は手にとって眺めた。
「それに、この籠を月読様が気に入ってくださったようでねぇ。神王宮のほうにも納めるように、と言われているんだ。ただ、そのおかげで天鵞絨葦がだんだん減ってしまってね……。男共は、天鵞絨葦を探しに川向こうの沼地まで行ってるんだ」
「ああ、だからこの村は女子供ばかりなんだな」
 旅人が納得したように頷いた。そして、ふと思い出したように言った。
「ところでさ、牙龍団っていう強盗団って知らないか?このへんに出ているって聞いてはるばるやってきたんだ」
「あんた、賞金稼ぎかい?」
 女は改めて旅人を見た。若い男だ。そして、歳に不似合いなほど逞しい体をしている。そして、その体にはやはり不似合いなあどけなさの残った顔だち。
 その顔に、さらにあどけない笑みを浮かべて旅人は名乗る。
「ああ。こう見えても結構稼いでるんだぜ。あ、名前は泰造って言うんだ」

 夜の闇を引き裂くように、悲鳴が轟いた。
 眠っていた泰造もその声で飛び起きた。
 獣か!?
 枕元に置いてあった金砕棒を手に飛び出す泰造。
 戸を開け、辺りを見回す。光が見えた。
 炎。松明の炎だ。向かってくる。炎に追われるものもいる。襲ってきたのは獣ではないようだ。
 泰造は素早く松明の数を数えた。四つ。敵の数はさほど多くはなさそうだ。多く見積もっても十人はいない。
 物陰に身を潜め、松明の炎が近づいてくるのを待った。そして、眼前まで迫った時、金砕棒を渾身の力をこめて振り回した。
 確かな手応えとともに、炎の一つが地面に落ちた。
「誰だ!」
 相手もこちらに気付いたようだ。全部で七人。今倒した男を差し引いて六人だ。
 泰造はそのうちの一人に目を向けた。
「そっちから来てくれるとは、願ったり叶ったりだ、牙龍団!仲間を失いたくなければ素直に捕まれ、手配番号二十二号、牙龍団首領……龍哉!」
 呼ばれた男がにやりと笑った。
「ほう、俺の名もずいぶんと売れたものだな。お前みたいな頭の悪そうな奴にも名前を憶えてもらえるんだからな!光栄だ」
 泰造の頭に血が上っていく。
「てめぇっ!手加減はしねぇぞ!」
 無謀にも突っ込んでくる泰造に、三人の男がいっせいに飛び掛かる。
 次々と振り下ろされる蛮刀を金砕棒で受け止め、払う。そして、そのまま戸惑う一人の横っ面に一撃を食らわす。
「こ、こいつ強いぞ!」
 そういうもう一人の脇腹に金砕棒が叩き込まれた。
「はっ、気付くのが遅いんだよ!」
 泰造はそう吐き捨てながら、顔を上げ視線を巡らした。さっき襲いかかってきたうちのもう一人は最後尾まで退いている。
「次はどいつだ?」
「くそっ、今日のところは逃げるぞ!」
 龍哉の号令が下りた。それを受け、牙龍団の盗賊たちは一目散に逃げだした。
「まてぇっ!」
 後を追い走り出す泰造。向こうは松明の照らすだけしか視界はない。こちらはその松明の後を追えば道など知らなくてよい。分はこちらにある。
「逃がさねぇっ!」
 泰造の声に振り向く龍哉。
「ちくしょう、しつこい野郎だ!」
 村の外れにでた。村の外れは沼地や湿地が所々にある。運がよければ、奴らはそこにはまる。
 襲ったところが悪かったな。お前らの運の尽きだ。
 泰造は松明の炎を見据えたまま一心不乱に走る。
 炎の一つが妙な動きをした。はっとして足を止める泰造。
 炎の塊が泰造めがけて飛んできた。誰かが松明を投げてきたのだ。泰造は慌てて横に飛び退く。
 炎が足元に落ちた。そして、自分が着地しようとしている地面も見える。
 黒く光っていた。沼だ。
 しまった!
 べちゃっ、と言う音とともに、泰造の足が沼地に沈んでいく。
 沼地の縁なので、すぐに底に足がついた。沼地から出た頃には、もう一つの松明の火は遥か彼方に遠ざかっていた。
「ちくしょー、逃がしたか!」
 泰造は叫びながら足元で燃えていた松明を拾い上げ、沼地に叩き込んだ。八つ当たりである。
 沼に落ちた松明の火が消え、辺りが黒い闇に包まれた。その時、泰造は自分が道を辿って戻るための明りがないことに気がついた。

 真っ暗な道を、足元を確かめながらゆっくりと進む泰造。
 夢中で走ったため、かなり遠くまで来てしまったようだ。ようやく村の明りが近くにみえるところまで来た。
 一息つく泰造。
 村の真ん中あたりが明るく浮かび上がっている。その方に向かって行けば村おさの家に戻れるだろう。
 そう考えた時、はっとする。
 あの明るさは何だ?
 村おさの家の近くには確かに松明が掲げてあった。しかし、あれ程までに明るいわけがない。
 泰造は駆けだしていた。明るく見える村の中心へ。
 近づくにつれ、いやな予感があたっていることが分かってきた。
 炎があがっている。
 村おさの家が炎に包まれているのだ。
 村おさの妻が、呆然とした顔で燃えている家を見つめていた。
 しまった。あの時、牙龍団の一人が持っていた松明を叩き落としたまではよかったが、その火を始末するのを怠った。
「すいません!」
 泰造は村おさの妻に向かって土下座をしながら言った。
「俺が、俺がちゃんと火を消していればこんなことには……」
 泰造は、言いながら自分の不甲斐なさに涙を流した。
「いいんだよ」
 村おさの妻は泰造の肩に手を置き、首を振りながら言った。
「でも」
 言いかけた泰造を制し、静かに言った。
「あんたがあいつらを追っ払ってくれなきゃ、もっとひどいことになってたさ。それを考えれば家が燃えたくらい、どうってことないよ」
「すいません……!」
 村おさの妻の言葉に、泰造はただそう言うしかなかった。

 一夜明けて、朝が来た。
 泰造と村おさの妻は隣家に宿を借りた。
 朝が来ると、泰造は荷物をまとめて村を出る準備をした。
 村おさの家を焼いてしまったのだ。村にはいづらかった。
 逃げるように村を出ようとする泰造に、村おさの妻が声をかけてきた。
「行くのかい?」
「もう俺、この村には居られないです」
 泰造に村おさの妻は微笑みながら言った。
「言っただろ?気に病むことはないよ。あんたがいなけりゃあの強盗に根こそぎやられていたかもしれないんだ。追っ払ってくれたんだから、あんたが自分でどう思っても、私たちにして見りゃあんたは恩人だよ」
「でも……、もう決めたことだから……」
 泰造は、空元気で無理に笑顔を作った。
「おばちゃん、家の仇は絶対に討つからな!待っててくれよ!」
 大きな声で言うと、もう振り返らないようにして村から遠ざかって行った。
 沼地の上には、乳白色の霧が漂っている。
 その、白い闇の中を泰造は走った。
 しばらく走ると、腹が減ってきた。朝飯も食わずに村を飛び出したのだ。無理もない。
「くっそー、飯だけでも食ってくりゃよかった……」
 村から遠ざかってきたためか、泰造はいつも通りに戻りつつあった。
 見渡せど、見えるものは霧ばかりである。自分が今どこにいるのかさえも分からない。辛うじて進むべき道が見えるのみ。この道がどこに通じているのかさえも分からなかった。
 しかし、道のとおりに進むしかない。
 太陽が出ていれば方角も分かるだろう。しかし、この霧では空が晴れているのかどうかさえも分からない。
 ただ黙々と歩きつづけること数刻。霧がようやく晴れてきた。日はすでに空高く昇っている。
 やがて、村が見えてきた。
「やった、食い物にありつける!」
 嬉々として村に向かって走る泰造。しかし、何か妙な違和感があった。何かがおかしい。何かが引っかかる。
 村にたどりついた。その時、建物の影から見覚えのある人影が現れた。
「あ、あれ!?」
「おや……戻ってきたのかい?」
 そこはデハタの村だった。目の前に立っているのは、村おさの妻だった。

「す、すんません」
 昨日と同じように目の前に膳が置かれた。照れ臭そうに頭を下げる泰造を見ながら村おさの妻はクスクスと笑った。
「霧が濃かったから仕方ないね。それにしても、あの道は一本道だよ?」
 どこでどう間違えたのか。一本道のはずの道をまっすぐ歩いて、元の場所に戻って来てしまった。
 途中で足を止めた憶えもないし、ましてや振り向いた憶えもないのだから、どうして戻ってしまったのかまったく腑に落ちない。
「村の男たちも、とっくに戻っていいころなのに戻らないんだよ。やっぱり、霧で迷ったのかねぇ」
 その村の男たちが戻ってこないと、天鵞絨葦もない。昨夜の火事でほとんどが燃えてしまったのだ。
「俺、探して来ようか?」
「そうだねぇ。悪いけど、探して来てくれないかしら。あの道沿いにゆけば会えると思うんだけど」
 食事を終え、泰造は村を出た。この辺の地理に詳しい村の子供も一人連れて。
 村を出てしばらく歩くと再び霧が視界を遮り始めた。
「なぁ、ぼうず。いつもこの辺ってこんなに霧が出てるのか?」
 前を歩く子供に訊いてみた。
「ううん。朝早起きして沼に来るとかかっていることはあるけど。こんなに濃い霧は初めてだよ」
 子供も不安そうに言う。
「なぁ。村の男たちってどの辺で天鵞絨葦を採ってるか分かるのか?」
「天鵞絨葦は水のきれいな浅い沼のほとりにしかないんだ。もっと山の方に行くと生えてるんじゃないかな」
 山の方と言われても、この霧ではどこに山があるのかさえも分からない。
「山ったってなぁ。道は分かるんだろうな」
 子供は泰造の問いに首を縦に振る。とりあえず一安心である。
「この道をまっすぐ行くと辻があるんだ。そこを右に曲がると山に行ける」
「その辻まで、どのくらいあるんだ?」
「そんなに遠くないよ。そろそろじゃないかな」
 視界は相変わらず悪い。五歩も先がすでによく見えない有り様だ。
 しかし、そんな霧もだんだん晴れてきた。
「あれ〜?おかしいなぁ。絶対辻があるはずなんだけど」
「おいおい、まさか行き過ぎたんじゃないだろうな」
「そんなことないよ。ずっと一本道だったもん」
 霧もなくなり空が見えた。青い空だ。
「あれ?おかしいなぁ。変だよ、この道は……」
 泰造も、子供が何を言おうとしているのか分かった。この風景を見るのは3度目である。
「おいおい……また村に戻っちまったぞ!?」

 日が傾きかけていた。
 泰造は未だ村から出ることさえもできない。
 村を出ると、相も変わらず深い霧。
 ただの霧ではなさそうである。
 人を惑わし、道を誤らせる凶つ霧。
 得体の知れない霧を前に、村人達は一様に難しそうな顔をしている。
「この霧のせいで天鵞絨葦を採りに行った連中は帰ってこれなくなってるみたいね」
「しかし、助けに行くにも私たちが村を出られないんじゃどうしようもないよ」
「こいつは祟りだ。祟りにちげぇねぇ」
「祟りってなんの?」
「わからねぇ」
 ぼそぼそと言いあう村人達の間から、村の長老が現れた。
 一目見ただけでもいかにも長老といった容姿の長老は、いかにも長老といった雰囲気で語りだした。
「むかしからこのあたりには、時折深い霧が立ちこめるが、それは沼に住む霧繭蟲(ミスティ・コクーン)のためじゃ。恐らく、霧繭蟲の繭が道を覆っているのじゃろう。霧繭蟲の繭は入り込んだものを迷わす霧じゃからな」
「なぁ。その霧繭蟲ってなんだ?」
 聞き慣れない名前に泰造は訊き返した。
「霧繭蟲はな、こういう沼に住む虫でな。霧の繭を作るんじゃ。この辺にはたくさん住んでいるが、沼地は広いから村の方まで来ることは滅多にない」
「じゃ、その虫をやっつければ霧は晴れるんだな!?」
 駆けだそうとする泰造の後ろから長老が声をかけて来た。
「無駄じゃ。霧繭蟲には霧が晴れない限り近づけん。今は、ただ待つことしかできんのじゃ」
 長老の言葉に考え込む泰造。
「うーん、霧が晴れなきゃ霧繭蟲に近づけないが、霧繭蟲が霧を出し続ける以上、霧は晴れない……か」
「霧繭蟲はそうやって自分の身を守っておるのじゃ。霧繭蟲が場所を移すのを待つしかなかろう」
 そう言い残すと、長老は村の方へと歩き出した。
 泰造は、目の前の霧の壁をじっと見つめていた。

 空の色に茜が混じって来た。
 太陽も遠くの山の稜線に触れようとしている。
 いまだ、泰造は霧の壁の前に立っていた。
 日暮れの時が迫ろうとも、霧の壁は退こうとしない。むしろ、徐々に広がっているようだった。
 ふと、泰造は空を見あげた。
 空の青は夕焼けの茜に代わっていく。そして、夜の闇がおとずれるのだ。
 頭上の空は、目の前の霧とは対照的に晴れ渡っている。
 頭の上を鳥が横切っていった。そして、そのあとを追うようにゆっくりと雲が風に流れている。
「そうだ、風だ!」
 泰造は立ち上がり村へと駆けだした。

「風を?」
 驚いたように村おさの妻が言った。
「ああ。風であの霧を吹き飛ばすんだ!」
 泰造は自信たっぷりである。その様子を不安げに見守る村おさの妻。
「そんな、一人じゃ無理だろうに」
 村おさの妻が不安げに横から口を挟んだ。
「まぁ、ひとりじゃ無理だろうなぁ。だからさ、みんなに頼んで手伝ってもらおうと思うんだけど」
 どうやら本気で言っているようである。村おさの妻はだんだん呆れて来た。
「しかしねぇ。気が遠くなるような話じゃないか。今、村に残ってるのは女子供に年寄りばかりだよ?そんな力仕事、できやしないよ」
「それなら、俺一人ででもやるよ。他に方法が思いつかないんだから」
 どこから持って来たのか、身の丈の半分ほどもある板を振るい、霧を扇ぎちらす泰造。
「あんた、ひとりじゃ無理だよ」
 見かねた村おさの妻が横から口を挟んできた。
「だったら、手伝ってくれよ」
 泰造は意に介さず、といった面持ちで扇ぎ続けている。
 手を貸そうとするものはいない。ただ、黙って泰造のすることを見ているだけである。
 泰造は手を止め、村人達の方に向き直り叫んだ。
「何だよ、なんで誰も手伝わないんだ?みんな、村の人たちを助けたくないのかよ!帰ってこなくてもいいって言うのかよ!」
 泰造の剣幕に押されながらも、村おさの妻が言い返す。
「そうは思わないけど。でも、そんなことしたって無駄じゃないのかい?」
「わかんねーじゃないか!無駄かどうかってのはやってみて無駄に終わるかどうかだろ?やりもしないのに、無駄だなんて決めつけてどうするんだよ!」
 泰造の言葉に、村おさの妻は溜め息をついた。
「綾女。祭りやぐらの中に祭りうちわがあるから、持って来ておくれ。この人は言い出したら聞かなそうだからね」
 綾女と呼ばれた少女は、嬉々としながら村の方に駆け戻っていった。

 いつの間にか、朝が来ていた。
 霧の壁は泰造達の頑張りで村からだいぶ遠ざかっていた。それにつれて霧の下から道が現れる。
 気がつけば、昨日霧の中を歩いた距離よりもはるかに長い道のりを進んでいる。
「ああっ、辻が見えて来た!」
 昨日、泰造を案内した子供が指差す方には、おぼろげながら確かに辻が見えてきた。
「見ろ!無駄じゃなかっただろ!?」
 満面に笑みを浮かべながら泰造が言い放った。
 そのとき。
「何か聞こえない?」
 村人の一人が言った。
 聞こえる。粘っこい水音。
 その方向に一斉に目を向ける。
 霧の向こうに大きな影が見えた。
「霧繭蟲!!」
 誰かが叫んだ。その声を聞いて、村人達は蜘蛛の子を散らしたように逃げていく。
 乳白色の濃い霧を吐きながら、前肢を高く掲げ威嚇の姿勢をとる霧繭蟲。
「な、やる気かぁっ!?」
 背中に括り付けていた金砕棒を握り、身構える泰造。
 威嚇にも退く気配のない泰造に、霧繭蟲は攻撃を繰り出して来た。
 前肢の鉤爪が泰造を掠める。泰造は素早く後方に退いていた。だが、狭い道だ。泰造の跳んだ先には土の地面は無かった。
 足先にふれた地面は一瞬地面が消失したのかと思うほどにやわらかかった。地面を蹴ろうと足を動かすが、まるで足を捕まれたように動かない。
 足が沼にくるぶしまで沈んでいる。こうなってはもはや逃げることはできない。
 霧繭蟲は目の前に迫っていた。今、正にその爪を振り下ろそうとしているところである。
 がしっ。
 泰造は霧繭蟲の鉤爪を金砕棒で防いだ。凄まじい衝撃が腕に走る。
「くそっ!」
 霧繭蟲の凄まじい力に泰造の体がだんだん沈んでいく。
 泰造の足の先に硬い地面が触れた。沼も縁なので浅いのだ。泰造の足は硬い地面に踏んばる。そして、霧繭蟲の前肢を泰造も押し返した。
 やはり凄まじい力だ。泰造は金砕棒で霧繭蟲の前肢をはらった。霧繭蟲はつんのめり、沼につっこむ。
 それでも霧繭蟲は泰造の方に向き直ろうとした。そして、正面に泰造を捉えた瞬間。霧繭蟲の眉間に泰造の金砕棒が叩きつけられていた。
 その一撃に、霧繭蟲は大きく退いた。そしてさらなる一撃を加えようと踏み出そうとする泰造から、一目散に逃げ出していった。
 もっとも、踏み出そうにも足が沼の泥に埋まり、持ち上げることもできなかったのだが……。

 霧は小一時間ほどで晴れた。
 そして、沼地で霧に囲まれ身動きが取れなくなっていた村人も無事見つかった。
 沼地に天鵞絨葦を採りに行っていたところに霧が出てきたのだ。足元も見えず、沼に足を取られたりしているうちに、自分のいる場所がどこかさえも分からなくなってしまったそうだ。
 霧が晴れ、村人達の呼ぶ声に導かれ、どうにか戻ってくることができたのだ。
「いや、どうもあの霧繭蟲の縄張りに入ってしまったみたいでな。怒った霧繭蟲が自分の縄張りを霧の繭で包んでしまったみたいなんだ。おかげで道がふさがってしまって帰れなくなっていた」
 天鵞絨葦のつまった籠を背負った村おさが言った。
「恐らく、あの霧繭蟲は弱い霧繭蟲だったんじゃろう。他の霧繭蟲にいい場所をとられて、こんな沼の端っこの方にしか縄張りを張れなかったみたいじゃ」
 長老の言葉に泰造はうんざりと言った顔で言った。
「こんなところに縄張り張るなよな〜。道のど真ん中だぜ!?」
「それにしても、旅の方。とんだ御迷惑をかけてしまったようだ」
 村おさの言葉に泰造は遠慮がちに答える。
「いえ、そんな。迷いこんでいろいろと迷惑をかけたのは俺の方で。それよりも、俺、この村には道を間違えて迷いこんだんですが、この近くに街はありますか?」
 実際、この村がどの辺にあるのか泰造は知らない。
 本当はティバという大きな街を目指して歩いていたのだが、途中の分岐を間違ってしまったようなのだ。
 そして、それに気づかずに歩いているうちに、地図の矛盾に気付いた頃には、地図にも書かれていないような田舎道に迷いこんでしまっていた。そして、ようやく行き着いたのがこの小さな村だったのだ。
「街ならば村を出てすぐの辻を山とは逆の方に向かったところにある。グーマという街だ。少し遠くて一昼夜かかるが」
 グーマはティバとは逆方向にある町である。道を間違えて、とんでもない方向に来てしまったようだ。
「一昼夜……。遠いですね……。ま、いっかぁ。じゃ、お世話になってすんませんでした」
 簡単な別れの挨拶を残して泰造は村をあとにした。
 百歩と歩かぬうちに 遠くで村おさの叫ぶ声が微かに聞こえた。
「わ、私の家はどこだあぁ!?」
 泰造は、気がつくと駆けだしていた。

 清々しい朝日だった。しかし、泰造はその朝日をうんざりと言った顔で見ていた。
「一昼夜……。とっくに過ぎたぞぉ!?まだかよ!」
 道は遥か彼方まで続いている。確かに一本道だったので、迷いようはない。ということは、道はあっているがまだ遠いということだ。
 泰造は疲れ果て、歩みも遅くなっていた。時間がかかるのはそのせいかもしれない。
 見ると、道端で誰かが簡単なテントを張っていた。
 やはり、休みなしでグーマへ向かうのは無理だというのが分かっていてテントを用意していたようだ。この旅人なら、グーマへの道のりがあとどれほどなのか知っているかもしれない。
 泰造はテントに近づいた。もう朝食の用意が始まっているらしく、肉を焼くおいしそうな匂いがしてきた。
「あのー……」
 泰造はテントの中をのぞき込んだ。男が何人か、火の周りを囲んで雑に切った肉を火であぶっていた。
「あー!」
 男たちの顔ぶれを見て、泰造は思わず叫んだ。
「二十二号!」
「げ、いつだかの頭の悪そうな賞金稼ぎ……。てめぇ、今は俺達にとって貴重な安らぎの一時だぞ!?邪魔するんじゃねぇ!!」
 龍哉が怒ったように叫ぶ。
「誰が頭悪そうだ!俺のどこが頭悪そうなんだ!?言ってみろ!」
 龍哉の一言に泰造もヒートアップする。
「顔だ顔!決まってんだろう!?」
 朝食を邪魔されたことがよほど腹に据えかねたのか、龍哉も言いたい放題言っている。
「人のこと言えるのかよ、てめー!……生け捕りの方が賞金が多くもらえていいんだけどな。手配書には、生死問わずって書いてあったなぁ……」
 泰造はむりやりに笑みを浮かべながら、金砕棒を構えた。表情だけ見れば冗談を言っているように思えるが、目が本気である。
 龍哉もその目が洒落の通じない目であると気づいた。
「げ。ジョーダンだよ、ジョーダン……。おい、逃げるぞっ!」
「待てえええええぇぇぇぇ!」
 背中を向け、テントも捨てて逃げ出した牙龍団を追おうとする泰造。しかし、横から来る肉のいいにおいについ足を止めてしまった。
 龍哉達はどんどん遠ざかっていく。どうもグーマに向かっているようだ。
 泰造は思う。どうせ自分もグーマに行くのだ。恐らく、グーマで追いつくだろう。
 しかし、龍哉達を追っていけば、横でいい焼け具合になっている肉が焼けすぎて食えなくなる。
 それに龍哉達は荷物のほとんどを置いて逃げたようだ。金もだいぶ残っている。これを置いていくてはない。泥棒の上前はみんなの物なのだ。
 しかし、肉や金を手に取ってから追ったのではとても龍哉達に追いつきそうにない。
 泰造は少し考え、小さく頷いた。腹を決めたのだ。
 その場に座り込み、焼けた肉にかぶり付く泰造。
 熟考の結果、結局は賞金より目先の肉を選んだ泰造だった。

 グーマにはテントをあとにして半刻ほどでたどりついた。思ったよりも近くまで来ていたのだ。
 グーマは山間にある静かな街だ。周辺では農耕が盛んに行われている。マーケットにも野菜や山菜、山の獣の肉などが売られている。
 この街のどこかに龍哉も潜んでいるはずだ。それに、この辺に出没している賞金首も調べておきたい。泰造は真っ先に役所に向かった。
 龍哉はああ見えて賑やかなのが好きな男だと聞いた。この街はすぐに飽きて他の街に行ってしまうかもしれない。
 ならば、一刻も早く探し出したいところだ。
 役所の窓口で賞金首の情報を調べた。まだ龍哉が来ているという情報は無いようである。
 渡された賞金首の一覧をその辺の地べたに座って読みふける泰造。泰造にとって至福の瞬間である。もっとも、もらった賞金を勘定する時の快感にはほど遠いのだが。
 龍哉が見つかったらこいつを探してやろうかな。それともこいつの方が見つかりそうか。
 そんなことを考えながらにやける泰造の目の前を空遊機が走り抜けていった。
「ぶはっ、げふっげふっ……。バッキャロー!あっち行け、この屁こき虫!」
 現実に引き戻され、遠ざかりつつある空遊機に今さらな言葉を浴びせる泰造の耳に、道の反対側で話している役人達の声が届いた。
「なぁ、聞いたか?デハタの村が焼き討ちにされるそうだ」
「月読様に献上するように言われていた工芸品が焼けちまったんだと。それで、月読様が怒って……」
「今の本当か!?」
「ひえぇ!」
 道の反対側から飛び掛かるように掴みかかって来た泰造に、役人達は逃げ惑う。
「デハタの村が焼かれたっていうのは、本当なのか!?」
 逃げ遅れた役人を問い詰める泰造。
「く、詳しくは知らない!ただ、たった今、月読様の兵隊がデハタの村に向かったところだ!」
 役人が言い終わる頃には泰造は走りだしていた。

「そこの空遊機、止まれ!」
 泰造は横を走りぬけようとした空遊機の前に飛び出した。
「バカヤロー、死にてぇのかぁ!?」
 行商らしい男が顔を出して怒鳴りつけて来た。しかし、泰造の鬼気迫る顔を見て行商の顔が恐怖に歪んだ。
「ご、強盗か!?」
 逃げようとする行商。しかし、泰造はすでに空遊機に飛びついていた。空遊機を捨てて逃げようとする行商の襟を掴んで止める泰造。
「強盗じゃねぇよ!俺、これ運転できねぇんだ。悪いけどさ、デハタまで飛ばしてくれねぇかな?これ、デハタまで行くんだろ?」
 強盗じゃないと知って行商は安心したらしい。
「乗っけてってやるから、なんか買っておくれよ」
 などと呑気なことを言いだした。
 泰造は空遊機に乗り込んだ。一人乗りの空遊機に無理に二人乗っているので走りが遅い。
「おい、もうちょっと飛ばせないのか?」
「これが精一杯だよ。ま、道のりは長いんだ。ほれ、積んであるものでも見てておくれ。気に入ったのがあったら買っておくれよ。安くしとくよ」
 泰造は空遊機の中を見回した。旅人むけに行商しているのだろう。保存食や道具などを積んでいる。他にも、装飾品や衣類などもあるようだ。
「いろいろ売ってるんだな。なぁ、行商って儲かるか?」
 泰造は売り物よりも儲けの方が気になるらしい。
「ああ、そうだなぁ。食い物とかは人がいりゃ必要なもんだからな。それで確実に金を稼いどいて、そういう装飾品なんかででかい儲けを出してるんだ。そのために、旅人相手ばかりじゃなくて金持ちの家に飛び込んだりしてるよ。結構楽でもないんだな」
 行商は煙を上げるキセルをくわえながらのんびりと言った。
「ふーん、これがそんなに高く売れるのかぁ」
「そうだなぁ。五千ルク位で売ってるけど」
 とてつもない値段に思わず手にしていた装飾品を落としそうになる泰造。
「お、おいおい。気をつけてくれよ。キズモンにされたら商売になりゃしねぇ。借金をしてでも買い取ってもらうことになるぞ」
 とんでもなく高額な装飾品との相席なので急に緊張して口数が減る泰造。
 早く着いてくれ。
 泰造はそう思いながら空遊機の中で縮こまっていた。

「お、おい。何だ、ありゃ……」
 デハタの村に近づいてきたところで行商が言った。
 泰造は窓から身を乗り出してデハタの方を見やった。
 煙が見えた。ものすごい煙。焼き討ちが始まっているのだ。
「間に合わなかったのか!?」
「おい、どういうことだ!?」
「献上する籠ができなかったから、焼き討ちにあっちまったんだ!」
「な、何だと!チッ、村がないんじゃ商売できないじゃないか!」
 行商のあまりの言葉に泰造の頭に血が上った。
「何言ってやがる!まだ商売のことなんか考えてるのかよ!この状況を見て何とも思わねぇのか?」
「火をつけるように言ったのは月読様だろ?それじゃしょうがねぇだろ?」
「ああ、そうかいそうかい、分かったよ!ここまで乗せてもらえりゃ満足だ!とっとと俺の前から消えろ!さもないとその空遊機、ばらばらにしちまうぞ!」
 泰造の剣幕に恐れをなした行商は一目散に逃げ去った。
 それを尻目に、泰造は煙のあがるデハタの村に向かう。
 そのとき、村の方から大きめの空遊機が走ってくるのが見えた。役人だ。見つかると厄介なことになる。泰造は近くの沼に身を潜めた。
 目の前を兵隊の乗った空遊機が走り去っていった。グーマの街で泰造に排気ガスを吹っかけていったあの空遊機だ。前に躍り出てボコボコに叩き壊したい衝動を必死に押さえる泰造。その姿が小さくなるのを待って泰造は沼を飛び出し、村へと駆けだして行った。
 村ではあちこちで火があがっていた。
「くそっ、村の人は無事なのか?どこにいるんだ!?」
 泰造は火の中を駆け回った。そして、祭りやぐらの下にまとめて括りつけられている村人達を見つけた。
 村人達を縛りつけている縄をむりやり引きちぎる泰造。
「す、すまない。しかし、もうこの炎だ、逃げられん」
 村おさは諦めたように言う。
 見渡すと、炎に取り囲まれていた。祭り広場の真ん中なので炎は来ないが、このままでは熱や煙に燻されて、いずれは死んでしまうだろう。
「諦めてどうするんだよ!このまま、死んじまってもいいのかよ!あんたがよくても、そんなの俺が許さねぇ!」
 泰造は大見得をきったが、この炎から逃れる方法など思いつくほど賢くないのは自分でも分かっている。
 ちくしょう。諦めねぇ。俺は絶対に諦めねぇぞ。
 そう思いながらも、ただ黙ってだんだんと勢いを増す炎を見守るしか成す術はない。
 だめだ。どうしようもねぇ。それでも諦めるのはいやだ。諦めてたまるか。奇蹟よ、起こってくれ!

 奇蹟は起こったのである。

 視界が霞みだした。熱さと煙のために半ば意識が朦朧とし始めている。
 もうだめなのか?
 目の前の景色がだんだんと薄れていく。熱さも遠のいていくような感じである。
 泰造は気力を振り絞り、辺りを見渡した。
 炎も何も見えなかった。
 微かに、赤い光が滲んで見えるのみ。
 いつの間にか、辺りは今までに見たこともないほど濃い霧に包まれていた。
 そして、滲んで見えていた炎も、霧の中で燻り始め、ついには消えてしまった。
 わずかな風が霧を押し流した。
 そこには、霧繭蟲の姿があった。頭に傷がある。先日、泰造に追い払われた霧繭蟲だった。
「お、お前……?」
 霧繭蟲は泰造の姿に気付くと、逃げるように去っていった。

「まぁ、この間お前さんに追い払われて、こっちの方に逃げて来たんだな。そしたら、村で火があがった……。多分、この村もあの霧繭蟲の縄張りだったんだろう。縄張りの中で火があがったとなっては霧繭蟲だって黙って見ているわけにはいかんのだろう。それで、わざわざ火を消しに来たんだな」
 村おさが導き出した結論はその程度のものだった。
 奇蹟というほどのものではなかったようだ。
「あの霧繭蟲、結局村の方にまで追い詰められたのか……?ずいぶんと肩身の狭い思いしてるんだな……」
 苦笑しながら、泰造はその肩身の狭い霧繭蟲の馬鹿力を思い出した。そして思う。
 俺もまだまだだな……。

「村、焼けちまったな」
 泰造は焼け跡に目を向けながら呟いた。
「いいさ。これで月読様に怯えなくても暮らしていける。どうせ貧しい村だったんだ。立て直すのは簡単さ。生きてりゃ、どうにかなる」
 村が焼けてしまったとは思えないほど清々しい表情で村おさの妻が言った。
「村のことを心配して、わざわざ引き返してくれたんだね。すまないねぇ」
「なぁ、おばちゃん。俺、龍哉のこと、絶対に捕まえてやるから。待っててくれよ!」
 泰造はそう言い残し、大きく手を振ると再びグーマへの長い道のりを走り出した。
「元気な人だねぇ」
 村おさの妻は走り去っていく泰造の姿を彼方に霞んで消えるまで見送り続けた。

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