45.ザ・京都観光オブ京都観光
暮れなずむ京都の町に邪な企みが動き出す。
佐藤とともにジャージで宿を出て、公衆トイレで私服に着替えて向かった先は何の変哲もない大型書店だった。そして俺たちは迷いなく――いや初めての店なので探しはしたけど――目的であるエロ本コーナーに到達したのである。宣言通り、くだらないだろ。こんなので回を跨いで本当に申し訳ないと思っている。しかし尺と期日という縛りのせいで仕方がないのだ。
そんなの地元でも買えるだろうと言いたいだろうが、通い慣れて顔なじみになっている近所の店ではもちろん、高校生になって県内全域に顔見知りができた現状ではエロ本も思いっきり買えたものではない。いつ見知った女子に出くわすかわかったものじゃないのだ。学校では見慣れた顔も、プライベートで私服姿に加え化粧してたり、逆に化粧をサボってマスクしていたりしていたら間近でだって気付くかどうか。知ってるあの子のそばでエロ本買ってましたなんて事態になりかねない。
いや、女子に限ったこっちゃない。知り合い女子と同中の男子に見られて世間話であの店で見かけたなんて言われるかもしれない。エロ本買ってたよ、なんて告げ口されるのがワーストケースだが、何を買ったか知ってた上でそこはぼかしてくれるケース、買ったものは気にせず気付かずそこにいたという目撃情報だけ行くケース。そこから女子が何か感づいてニタニタしながら尋問してくるか、何の気なしに本屋に行った事実だけ知ってると伝えてきて狼狽えぶりで察せられるケース。いろいろ考えられるが、直接女子に見られるより気まずいことにだってなりうる。
俺だってテニス部女子すらどこ中出身かとか何市に住んでるかとか網羅はしてない。自宅から遠ければ大丈夫なんて思っていたら顔見知り女子多めの土地だったなんてのはありがち。佐藤もいろいろ考えて警戒し、結局地元では買えずじまいだったという。 俺はエロ本ならそんなに気にせず堂々と買うがな。さすがに知ってる女子の存在に気付いたらやめるけど。
しかしここは知る人など居ない異郷。誰に見られても恥ずかしくなんてない。本屋でうちの生徒にはち合わせる可能性もまあ多分ないだろう。こう言う時に限って今日発売の雑誌が読みたくて誰か来てたとかありそうだけど……まあ大丈夫か、雑誌ならコンビニに行くし、本屋でしかか買えないようなマニアックな雑誌はこんな状況で慌てて読むより帰ってから読みたいだろ。最悪売ってないしな。余所で買ったら来月から地元の店が置かなくなくなるかもしれないし。
昔みたいなエログラビアの載った雑誌はあまりなくなってしまったが、代わりにエロマンガが増えたものだ。いいよね、エロマンガ。だって写真と違って騙され身を持ち崩して裸を売り物にさせられるところまで追い込まれた女性とかいないじゃん。
俺は『見録艶』という雑誌を手に取る。隣に『快楽園』と言う雑誌があったがそれよりこっちのかタイトルがまじめに見えなくもない。艶という字とパンツ丸出し少女の表紙イラストで台無しだが。
一応、礼儀として露骨すぎるエロマンガの表紙の上に普通の雑誌を被せておく。それはごく普通の、政治の話や芸能ゴシップであることないこと書き綴り、袋とじにはヘアヌード写真があるような週刊誌だった。表紙はまともだがこんな雑誌の方が年齢制限必要だと思う。
佐藤も雑誌を選びお会計。レジは一箇所しか空いてなかった。佐藤も俺の後ろに並ぶ。まだ見てないが今買った普通の方の雑誌の袋とじの写真よりもエロい体をしてそうなメガネの姉ちゃんに胡乱な目で見られながらお支払いをすませた。佐藤もまた。
「おぉい。何で女の所に行くんだよぉ」
店から出てきた佐藤がごねた。
「空いてたからだが。イヤなら何も俺の後ろじゃなくてジョンイルみたいな兄ちゃんの所行けばよかったじゃん」
空いていた場所は一箇所だがレジが一箇所とは言っていない。すでに人がいるレジならあったわけだ。
「何だよジョンイルって」
通じないか、ジョンイル。まあ、佐藤に通じなくても画面の前にいる他の誰かに通じればいい。
エロ本を抱えてこのアウェイなる異郷の地で独り並ぶか、同胞と共にボインメガネに立ち向かうかで葛藤しているうちに俺から離脱する機会を逃し、女性店員に手持ちの商品を差し出さざるを得なくなった模様。
「しかも何で俺の時だけ『こちらは18歳以上しかお求めになれませんが問題ないですか』とか訊かれたぞ。はいって言ったら普通に買えたけど」
「は?俺にはそんなご褒美なかったぞ。何でお前だけ……」
「ご褒美じゃねえよ!ううう、キョドってたからバレたんかなあ」
「そうだな、きっとそうだ」
俺はオッサ……大人だなどと思われてはいないのである。高校生を悪の道に引き込む悪い大人ということは断じてないのだ。……いや、それで間違っていない気はするんだけど。
こうして俺は無事、佐藤は深手は負いつつも目的の物を入手した。勿論それをみんなに見せびらかして勇者になろうなんて考えはない。ゲームの世界ならともかく現実社会で勇者なんて大体恥ずかしい奴の称号だし今回もどう考えてもそれだ。このことは俺と佐藤の二人の秘密である。男同士でそんなの持っても嬉しくも何ともない。
そして夜が明けた。昨夜の戦利品は使われたりすることもなくバッグの中に封印されている。俺も佐藤もそんなにがっついてはいない。佐藤についてはそんな度胸がないってだけかも知れないけどな。
それはおいといて、京都巡りも今日から本番だ。初日は全員で京都と言えばまずここって場所を巡る。まずは二条城だ。
大政奉還でおなじみの二条城は奉還する大政を初めにゲットした徳川家康が征夷大将軍になった年に建てた城だ。徳川幕府の始まりに建てた城で徳川幕府が終わったのは皮肉だな。そういう城だからこそエンディングの舞台にしたのかもしれないが、よしのぶの考えまではわからん。
二条城は上洛の際の宿泊所を兼ねた京都御所守護の拠点だとのこと。信長における本能寺的なポジションか。その後おじいちゃん大好きっ子の三代将軍家光によってゴージャスにグレードアップされたりしつつ今に至る、と。まあこのグレードアップは別におじいちゃんの建てさせた城だからっていう理由でもないんだろうけど……ないよな?家光ならそんな理由でやりかねない。
豪華な唐門から入りまずは二の丸御殿を見学。ここが大政奉還の舞台となった場所だ。外から見るとでかい建物のように思えるが少し曲がりつつ長く伸びた建物なので実はそれほどでもないようだ。ある種のはったりだな。攻めてきた敵とか招いた来客とかにすごいと思わせるのは大事だからねえ。
そして、門に比べると御殿は地味だなーと思ったが、中に入ったらこれでもかと豪華絢爛。まあそりゃあそうか、門に中なんてものはないから外側を豪華にするしかないし、御殿は外側を眺める時間より中にいる時間の方が長いんだからコスパ的にこうなって当然だった。表面積も門の比じゃないんだから風雨に晒される外側に金をかけてもメンテナンスが大変なだけだし。
そんな割と地味な建物がよく似合う庭園を抜け、橋を渡り本丸御殿へ。こっちは内装もあくまで比較的ながら地味だな。台所とかもあるし、生活することを重視したラグジュアリー空間になってるわけだ、これでも。もちろん俺はこんなところ落ち着かないね。
ぱっと見のでかさと言い入ってからの派手さと言い訪れた者へのハッタリ重視だった二の丸と違い、こっちはこじんまりとまとめられた各所へのアクセス性重視の設計。やっぱり住むならこっちだ。内見してるわけじゃないけど。一応、住めはしないが一口城主としてオーナーにはなれるらしい。高校生がこんな説明されてもな。いや、大人になって金が余ったらよろしくねとかこういうところに金が使えるようなブルジョワを目指せとかいうことか。こう言うのに憧れる奴はいるだろうから。
続いて清水寺。ベタなチョイスだ。こうやって京都と言えばここ!というスポットを一日目で大分潰してくれたので二日目の自由散策の行き先に悩んだわけだが……まあ数箇所潰された程度で見所に困るような惰弱な観光地じゃあないな、京都は。むしろその『ここぞ』を潰されてもまだどれを見ていいやらと言う選択肢の多さで悩むわけで。どの寺社仏閣にしても知れば知るほどすごいところではあるんだが、東日本の高校生じゃ大体知らんし。俺ですら知らんもん。そして聞いたことないけど適当に選んだ場所について事前にちょっと調べてみたら以外とスゴい所で、こんなのたまたま選んじゃう俺ってもしかしてセンスある?とか勘違いするかも知れないが、違うから。行き先候補の選択肢にリストアップされてる時点で大体そのレベルの寺社仏閣なの。それが京都。
その点俺たちには邪な目論見があったから合理性だけでチョイスすればよかった。迷う必要すらなかったのは留奈のおかげと言えるかもしれんな。明日会ったらちょっと拝んどくか。ちなみにその明日のコースには今日回れていない「これぞ京都」の一か所であるところの平等院も入っているな。ほかにも金閣寺とか色々あるが、ベタすぎることもあって今回はスルーさせていただいた。俺は前世で見たしな。
清水寺。だいたい神社は訓読みで寺は仏教が中国経由という関係で中国語寄りの音読みがセオリーの中、珍しく訓読みの寺だ。なんでなの。まあいいか。
この寺の由来としては坂上田村麻呂が病床もしくは妊娠中の妻・三善高子――みよしのたかいこもしくはたかこ……みよしたかこなんて今でもたくさんいるだろうな。この字はなかなかいないだろうけど――の為に薬になる生き血を求め鹿狩りに来たところ、滝行を行う謎の男に遭遇した。
この男は夢のお告げでこの山にやってきて、金色の川をたどって滝に至り、そこで先に滝に打たれていた謎の人物に遭遇。
「遅いよ!何年待たせるのさ!それじゃあ僕はこれから東に向かうから、後はシクヨロ!」
二百年も生きているというその人物にそう言われて滝行を受け継ぐことになった。
「いいけどさ、人が二百年も生きる訳ないじゃん……あ」
男はその人物が観音の化身だったことを察し、その後言われた通りに二年間滝行をしながら一緒に託されていた霊木に千手観音を彫り続けていた。そこに田村麻呂がやってきたという訳だ。鹿の血の採取は済んだ状態だったろうから返り血とかも浴びてて一目で殺生の後だと判ったことだろう。
「ちょっとやめてよ!こんなところで殺生とかマジであり得ないんだけど!そもそもあんた誰なの!?」
「すまん。正直すまんかった。って言うかあんた誰はこっちのセリフだけど、まあすまんかった」
まださほど偉くもなかった田村麻呂は観音の化身が現れた山と聞いたらさすがに畏まるしかなく、お詫びとして自宅を観音堂として寄贈。これが清水寺の興りだ。
なお、この時そもそものきっかけだった妻の三善高子は歴史上語られることはない。だが安心してほしい、清水寺の創建記録ではメインヒロインにふさわしい活躍ぶりで、歴史を作るのは旦那に任せて主に寺を造る方に尽力していた模様。ちなみに薬としての鹿の血は高子のリアクション的にサプライズプレゼントだったようで、帰ってきた田村麻呂に話を聞いて「私のために殺生するなんて」と田村麻呂に自宅を差し出すようアドバイスしたのも彼女であり、更に観音像をゴールデンにアップグレードするためにクラウドファウンディング的なことを行ったりと元気に活動し、旦那の田村麻呂、初代(観音アバター)&二代目の滝行メンズとともに創建カルテットとして像が設置されている。ちなみに清水寺建立の年には主に二つの説があるが、ざっと見た感じそのアップグレードからを清水寺とするか、その前から清水寺にしておくかという、フィーリングの違い程度の理由っぽい。
田村麻呂は後に征夷大将軍となったことはもちろんご存じよな。その頃の征夷大将軍はちゃんと蝦夷を征伐すべく活動しており、その戦いに赴く際にも清水寺に参拝したとのこと。その戦いではパーティに観音様が差し向けた毘沙門天扮する若武者と地蔵菩薩扮する老僧が加わりラスボスであるアテルイに勝利、そして帰還。清水寺はアップグレードされて毘沙門天と地蔵菩薩も祀られた。
一応この辺の流れをざっくりとまとめると778年に観音の化身と思しき僧侶が後に田村麻呂に会うことになる僧侶に滝行をパスして東へ。その2年後、田村麻呂が鹿狩りの後に僧侶と邂逅し観音に帰依。清水寺のベースができあがる。その頃東の方では蝦夷が暴れ出していた。
789年、蝦夷のボス・アテルイになんかキノコっぽい名前の討伐軍の大将がぼろ負け。ビビってたのか攻め倦ねてたのか、なかなか動かず天皇に怒られたのちのこのきのこの失態。当然リストラだ。
5年後、順調に出世していた田村麻呂は副将として蝦夷討伐に参戦。アテルイは取り逃がすも大活躍だ。その功績で3年後田村麻呂は征夷大将軍に、清水寺で戦勝祈願しラスボスとの戦いへ。勝利した田村麻呂は清水寺をアップグレード。
なんかここまでくると全部観音様の計算ずくのような気がするな。後々征夷大将軍という権力者になる田村麻呂の家のそばで息のかかった僧侶を待ち伏せさせる。そして権力者が帰依してその教えを説くことで民にも教えが広がる――何なら田村麻呂の出世すら観音様の掌の上まであり得る。東方で蝦夷が派手に暴れ始めたちょうど鹿の殺生で田村麻呂が説教されてたくらいの頃合い。その2年前の観音アバターの発言である東に行くって、アテルイの仕込みじゃね?一時的に毘沙門天とか憑依させてアテルイをブーストして負けイベントに設定したみたいな。
そう考えると、きのこサミーとか言う先代のダメボスも、普通なら首ちょんぱ待った無しのダメダメぶりながらただのクビで済み、その後またそこそこ出世してたりしているのも捨て駒に使った観音様のアフターケアだった説が。まあ一般的にはこう見えて史上初の征夷大将軍に任命される程度には地位も功績もあったからっていうことになってるが。
アテルイも、田村麻呂は敵ながら天晴れな男気とカリスマに惚れて連れ帰り助命嘆願をしたが、貴族たちの反発にあってやむなく処刑したようだ。貴族の反発がなければ諸葛亮に帰順した南蛮王孟獲みたいになって、田村麻呂の地はさらに盤石でついでに東方にも観音様の崇拝が広がってた可能性が。その可能性を潰した貴族たちはろくな死に方してなさそうだ。
いっそ妻の高子も観音様のスパイとか操り人形だったんじゃ?家を差し出させる手腕とかその後の寺創建への熱量とか、その割に他での空気ぶりとか。で、滝行二号は何かガチっぽいので田村麻呂と一緒に掌で転がされた孫悟空ポジだな。
そんな感じで観音様の思惑通りに当時の権力者となる人物により創立された清水寺は千年以上の時を経てなお京都を代表する寺として君臨し清水の舞台という高みから睥睨し続けているのだ。
さて、清水といえばその舞台よな。前々から疑問に思っていたことがあるんだが……なぜここにバンジージャンプがないのか。『清水の舞台から飛び降りる』ということわざを体現できるバンジージャンプがあったら受けそうなんだけど。
でもまあ、こうして現地に来てみると……。うん、なんか色々わかるな。まず思ったより高くない。流石はこれまでに飛び降りても何人かは助かったというだけのことはある。そしてその稀に助かる原因とされる舞台の下の木々がバンジーした人の回収を妨げる。こんなことのために昔からある木は切れない。バンジーにこだわらないなら下にクッションを置いてそこに飛び降りるアトラクションにしてもいいんだが、これも結局クッション設置スペース確保のための伐採ができなくて却下だな。
そして木造建築にバンジーのための設備やら金具やら取り付けたら傷むし、バンジーの度に繰り返し掛かる衝撃に木造の耐えられるかどうか。最悪舞台ごと崩壊して舞台の上にいた無関係の観光客を巻き込んでミンチだ。
それと、調べてみたらこの辺りは昔から心霊スポットだという話が。そういう所で何かやったら霊障で事故が起こりそう。それこそさっきのミンチ事故の発生頻度が高くなるような。まあ言うて江戸時代に飛び降りた命知らずを取りこぼす程度だしこっちには興味のない霊なのかも知れないが、わからんよ。細かいデータ見た訳じゃないから、最初は生存者いたけどある時を境にぱったりと生きて帰るものがいなくなったとかそういうのかも知れないし。
いろいろあってコスト・リスクと収益の釣り合いが取れなさそうだ。こんな分の悪いギャンブル、そりゃあやらんわな。
城、寺ときてあと見ていないのは何だ?そう、京都タワーだ!ってちげーよ。なんだよこの東京タワーのパチモン感の強いランドマークは。そのくせ見た目の方は全く寄せる気はなさそうだし。
戦略ゲームとかだとタワーは防衛の要になるから大事だが、このタワーには攻撃の機能は多分備わってない。それに今は戦略じゃなくて京都観光だ。まだ見ていないのは神社。そんなわけで今日最後に見るのは伏見稲荷大社だ。
ただの映えスポットで有名な鳥居が取り柄の神社かと思ったらとんでもなく、全国各地にある稲荷神社の総本山……は寺か。本宮って言うのね。伊勢神宮が正式には『神宮』であるみたいな感じでここもかつては『稲荷神社』だったらしい。それが昭和の半ば――ごく最近じゃん。クラスメイトたちはそう思っていないだろうが――に頭に普通の神社っぽくどこそこのって言うのを示す『伏見』がついてその代わりそこらの稲荷神社とは違うのだよと言うのを示すべく神社から大社にグレードアップ。まあ下がりながら上がってるので名前が変わっただけだな。
伊勢神宮の場合なら、各地にあるなんたら神宮はちゃんとそのなんたら神宮と言う名で呼ばれる。明治神宮にせよ熱田神宮にせよ、それを神宮とだけ呼ぶことはあまりない。希少な例としては明治神宮外苑を慣例的に神宮外苑と呼んだりはするかな。でもまああれは、何せ外苑なものですぐそこに明治神宮があるんだから伊勢を含めてほかの神宮と勘違いすることはないしな。ある程度まともな紹介文とかならちゃんと「明治神宮外苑」と端折らずに書いてある。
それでも一応わかりやすさのためにもと神宮も伊勢神宮と呼ばれることが多く、正式名称が神宮だという話がトリビア扱いになってこんな風に取り上げられたりするわけだ。
一方、同じく各地にある稲荷神社をなんたら稲荷神社と呼ぶこともあまりないのではないか。最悪、そこに稲荷神社があることは知っていても正式名称は知らない、正式名称があることすら知らない。おいなりさんはおいなりさんだしな。そのくらい身近だっていうこともある。
なのでおいなりさんとしてそこら辺のおいなりさんと一緒にされないようにと「大社」にグレードアップさせたんだろう。例えば商談か何かで七と十一で連想されるというかまんまの某コンビニの、本社に行くのに「ちょっくらセブンイレブンいってくるわ」とは言わないだろう。ぼやかした意味がなかった点については気にしない。とにかくそんなこと言おうものなら「じゃあ俺おにぎり」とかパシろうとしているのか自己紹介で人ならざる自分の正体を明かしているのか判らんことを言われかねない。この場合もちゃんと本社ってつけるよな。
そんな感じでおいなりの元締めである伏見稲荷大社といえば、映えスポットとして有名な千本鳥居だろう。この景色を見ると、あの夏の切ない思い出が甦ってくる。期待が打ち砕かれた瞬間、そして少女の頬を流れる涙――。
夏休みに丸一日かけてみんな(俺、恒星、樹理亜、加奈子。当時の俺=小3)で並べたドミノを加奈子が倒してしまい、加奈子が号泣したあの日。
ドミノは次の日さっさと完成させて、結局は倒した。そりゃあ倒すために並べてるんだからな。と言うかこんなのに丸一日掛かった理由は俺と恒星が何度も倒したからで、加奈子はそれにさんざん文句を言った後だった。明日は我が身という言葉を思い知った瞬間だろう。まあそのころにこの言葉を知ってたかどうかは怪しいが。
この鳥居の並びがちょうど加奈子が倒したドミノの感じに似てるんだよな。確かに、階段を駆け上るような感じで難しいところだ。他の部分は平らな床に置くのに段差のある狭く曲がりくねった道に置くんだし。その分一本道なのでやたらめったらな難所ってこともないが。
倒れるときのスピードも抑えめで、対処も簡単だったね。押っ取り刀で駆けつけて行く手のドミノを引っこ抜き鮮やかに崩壊を食い止めるかっこいい俺。それまでに倒しすぎてこんなテクニックを身につけてたってだけだけど。そして加奈子はドミノを倒したことでテンパってて俺のかっこいいところなんて見ちゃいなかったっていう悲しさ。
加奈子も修学旅行とかでここを見に来たらあのドミノのことを思い出すんだろうか。それともトラウマすぎて記憶から抹消しているかな。
うん。こんな雄大かつ荘厳な光景を見て思い出すことじゃないな。まあ、まだその光景は見てなくて見たのは案内板の全体図だけど。
さて。見てる分には映えるとか言ってりゃいいずらっと鳥居が並ぶ階段も、上らなきゃいけないわけだ。二条城は多少の上り下りはあれど平たかった。清水寺は石段も多かったが坂道が多く山登りのようだった。滝行ポイントまで見に行ってたら本格的な山登りになってただろうがそれは時間の関係もあってパスだった。そしてここがラスボス。なぜ順番を逆にしなかったのか。元気いっぱいの時に上ったり下りたりして草臥れたら平たいところを回る方がいいと思うんだけどな。
まあ俺は体は子供頭脳はおっさん。前世ではおっさんになる前に死んでまた少年から若者をやり直しているところだが、心は着実におっさんになっている。前世と同じ世代の義輝を間近で見てシンクロしているっぽいな。そんなこんなで階段を見てうんざりはするんだが、上ってみりゃあ意外とどうってことない。カラダはダメだと言ってないというヤツであろう。それについてはむしろ単なるガチおっさんの教師の方が受けてるダメージは大きい。
まあ上り始めてみりゃ疲れも吹っ飛ぶ壮観よ。鳥居もそうだし、ちょくちょくすれ違ったり前を歩いていたり立ち止まって写真撮ってたりするパツキンのチャンネーとかな。そこそこ暑いから薄着なのも良い。むしろ佳い。高校生には年増すぎるかも知れないが俺にはちょうどいいくらいだ。
千本鳥居は通り抜け――俺たちには人生の岐路に立たされた。ここ四ツ辻は右と左に進める。正に岐路なのだが、右に行こうが左に行こうがループしているので同じ道をどっち向きで辿るかというだけで大差はない。問題は、進むべきか、ここに留まるかだ。
我々には約一時間の自由が与えられている。結構長いが、これはこの山をさらに登って帰ってくるまでの推定所要時間だそうな。その時間をフルに使ってさらなる高みを目指すか、眺めも良く休憩ポイントもあるこの場所で一休みして下りるか。あるいはいっそさっきは通り過ぎただけの千本鳥居や本殿をじっくりと見るべく引き返すなんて選択肢もある。
「ええー。登るのダルくね?」
とは佐藤の弁である。お前の言い分はとてもよく分かる。確かに山を登るのはダルい。散々歩いた後に階段を上らされ、さらに山登りはキツい。先生たちも三十路を過ぎて体力に自信のない面々は端から登る気などなさそうだ。
今が大事ならば、すがすがしい山の空気――一部のクラスメイトの自宅周辺よりは都会だが――を楽しみながら一息入れた方がいいと思うのも分かる。今が大事であり、いつかそのうち改めてゆっくり旅行に来ればいいじゃないか。俺たちには未来があるのだから。そういうことだ。
だがな、佐藤よ。その未来がどうなるかなんて判りゃあしないんだよ。明日世界が滅ぶかもとかそんなレベルじゃなくても、次に京都なんかいつ来るやらだ。そして未来について確実に言えることがある。この体はいつかは朽ち果てる。だがそれを待たずともあと数年後からは体力のピークは過ぎてガタガタなおっさんへの道を歩み出すんだよ。道がガタガタじゃなくて、歩く体の方がガタガタな。
そして、京都に来たとしてもだ。果たしてその時再びここに来るのか?一人旅だったり、樹理亜と二人みたいなプライベート旅行だったりした場合、まだ見ていないスポットを優先させる可能性の方が高い。プライベートでも家族で行って俺が案内みたいなパターンならリピートもあり得るけど。でもそれはそれで、ちびっ子を連れてきつい山登りはしないだろう。子供たちのために、という建前で自分のために。
他に行きそうなパターンだと会社に入ってからの社員旅行とかだが、この場合様々な年代の入り交じる中で山登りまでするとは思えない。中高年層は体力的にパスだし、若者は精神的にパスだろう。そしてその時まだ俺が体力的にパスするしかない中高年ではないという保証もない。体力がある間なんて、金も暇もなく旅行なんかそうそう行けない。そして、俺は性格的に貴重な余暇を優先的に旅行に充てるとは思えない。
だから今を逃せばこの伏見稲荷コンプリートの機会は訪れないと思ってくれて間違いない――俺の場合。佐藤は知らん。とにかく今が大事だ。時間も金も掛かって、一度見たところをもう一回なんてよっぽど気に入った場所じゃないとないわー。気に入ったところだってだから次来た時のお楽しみなんて言わずに今回見られるだけ見ておくのがいいに決まってる。そもそも後で来るとかそっちの方がダルいじゃん。
という訳で説得開始である。
「佐藤よ。君はラスボスを倒したらそれで満足なのかね?さらにその先の裏ボスの後、トゥルーエンドにストーリーが繋がっていたとしても?」
「裏は裏じゃん……まあそれは裏ボス倒さないともやもやする奴だけど」
いかにもまだ何かあるような中途半端な終わり方をされて、ラスボスと言われても困るよな。そしてこういう場合は大概裏ボスの他に別なやりこみボスがいたりするし。裏ボスがラスボスでいいじゃんと思う。
「それよ。今行かないと次またここに来るときまでもやもやするだろ?」
「そうかなあ。鳥居も見たし本殿にも行ったんだから十分だと思うんだけど。景色もここが一番いいんだろ」
「本殿で引き返していればそうだろう。だがもう俺たちはもう上り始めているんだよ、この男坂をよ」
まあ女子も上ってるけど気にしない。
「ここまでが男坂でこの先は男山じゃないのかよ」
なんかちょっとやな響きだな、男山。男坂より険しそうでありつつ、女形っぽい響きでフェミニンまで醸し出してる。
「そもそも明らかに先生はやる気ある人以外休む気満々だろ。俺たちも休もうぜ。日頃おっさん臭いのに何でこういうときだけ若者ぶるんだ」
「俺はどこから見たってナウいヤングマンだろ。YMCA!YMCA!」
まあ俺の前世だってここまで昭和じゃないけど。なお佐藤には日頃からこんな感じで接しているので結構昭和ネタが通じる。調教済みって奴だ。
「中身の話なんだよなあ……」
中身がおっさんなのは仕方ないだろ。最初に生まれたのは40年以上前なんだしよ。
「まあ、こんな山は体が若いうちに登っちまおうって話よな。それにあれだぞ、今を逃せば次来る時は電車賃に宿代も全部自腹だぞ」
今回も積立金から出てるから俺たちの家から出ていないわけじゃないんだが。
「うーん。だからと言ってなあ、うーん」
一見芳しい反応には見えないが、俺は知っている。今の一言で佐藤の心はだいぶ動いたことを。さて、とどめだ。
「そこまでして京都に来たなら一度見に来た所じゃなくて他の所を見たくなるんじゃないか。その時迷いなく余所に行けるように心残りは潰しておこうじゃないか。このいかにも山に登るために確保された時間を無為に潰すなんて、ただの負け犬だぜ」
「うむむ……」
まだ迷うか。なかなかに強情に優柔不断よな。と、その時。
「上、行くの?一緒に行かない?」
去年の学園祭で知り合った繊維科の女子に声を掛けられた。
「よし、行こうぜ吉田!」
佐藤の説得は不要になった。安い男である。
繊維科女子が5人グループだったので、俺より先に山に突っ込んでいたうちのクラスの三人組に追いついて合流し、人数のバランスをとることにする。で、登り始めたのだが、これは。……ハイキングと呼ぶのもためらわれるレベルの、普通の登山だな。
「ねー。明日の自由行動でるなっぴと一緒になるんでしょー。いいの?バレたらじゅりじゅりちゃんに怒られるんじゃない?」
名前までは覚えてないが顔はちょっと覚えてる女子に話しかけられた。ふむ。樹理亜の呼び方は情報科のじゅじゅ系統か園芸部のじゅりじゅり系統に分かれるがこの子はじゅりじゅりか。園芸部のクラスメイトでもいるんだろう。まあどうでもいいな。
「オッケーを出したのはその樹理亜だぞ。そこら辺の話は聞いてないか」
「うん、聞いてないよー。そうなんだー、何で?」
この子は樹理亜じゃなくて留奈の友達だから樹理亜の事情までは聞かないか。留奈にとっては癪だから思い出したくもない話だろうし。
「多分だけどさ、樹理亜とは温泉旅行とかいう話も出たからそれで気を良くしたんじゃないかねえ」
「ええー。温泉いくの?」
「二人だけで旅行に行けたらいいねみたいな話になったから、洒落で提案しただけみたいなもんだけどな。温泉なんて言われたらビビって話も立ち消えになるんじゃないかってな。でも樹理亜も結構方々で言いふらしてそうだし退っ引きならなくなりそうだわ」
留奈は自由行動で合流がオッケーになったという話をしたとき温泉の話を聞いてダメージを受けてた記憶がある。ファイブウィングスの隼ちゃんも知ってたはずだな。ああ、なんかうっすら思い出してきた。隼ちゃんが倉沢と喋りに俺のクラスに来てたタイミングで留奈が来て、その時留奈とした話を聞かれたんだっけ。
ん?と言うことは……なんとなく、留奈は温泉のことについて樹理亜から言われて知ったような気がしてたが、俺から聞いたんか。同じ日の出来事だから時系列が混乱してたわ。何より、どうでもいいしな。何せ昨日のもみまんトークでアッキーが話題にするまで旅行の話からして俺の頭から抜け落ちてたくらいだ。
もしかして、樹理亜から温泉旅行の話をしたケースって、アッキー位なんじゃなかろうか。関係ない人に言いふらしまくってるの、俺じゃね?また一人増やしてるし。……うん。気にしないことにする。
「二人旅、行きたくないの?」
「時期尚早だろ、色々とさ」
特に金銭面がな。ガキのお小遣いでどうしろと。いや、その気でコツコツ貯めれば何とかなるし、うっかり義輝あたりに漏らしちゃったら全力でパトロンになってくれそうな気はするけど。そうなったらいよいよのっぴきならなくなるのでバレないようにしないとな。
こんな話をしながら、山道を進んでいく。やがてゴールと言うか折り返し地点となる神社に到着。稲荷山の標高は233メートル。うっそだろ、こんなに苦労して登ったってのに標高が平地であるはずの俺んち周辺より低いだと?
お参りを済ませ、下山。そして追いかけていた三人組と合流を果たした。一周回ってたどり着いたスタート地点で。
「この子らと一緒にお前らを追いかけて合流しようって話になってたんだよな」
「先に言ってくれよ、そういうことはよ」
だって、決まったのお前らが登り始めた後だし。と言うかまあ、男三人が先に出発してストイックに登っていくのを、女子とくっちゃべりながら後から追いかけて追いつくわけなどなかった。せめてこいつらがだらだらと登ってくれていればワンチャンあったと思うが、ワンチャンに賭けなきゃダメだった時点でプランなど破綻しているようなものだった。