Reincarnation story 『久遠の青春』

19.メイドインスクール

 教室に戻る途中、樹理亜のクラスの側を通りがかったので寄ってみることにした。呼びに来いなんて言われていたしな。
 教室の前に来たとき、なんとなくトラブルの予感がした。
 だが、それは見事なまでに気のせいだった。
 トラブルの予感がしたのは、そこに留奈がいると思ったからだ。だが、留奈だと思ったのは樹理亜だった。留奈と樹理亜を間違えるなどというあり得ないことが起こったのは、ひとえに樹理亜がメイド服を着ていたからだ。メイド服には、ついさっきの留奈の印象が色濃く付きまとう。そのメイドコスの樹理亜が俺に気付いた。
「あ、流星。ご飯誘いに来ないから、アッキーと一緒に食べに行っちゃったよ」
「俺はこいつらと曽根のところに食いに行ってたんだよ」
 目の前に現れたメイドと、少なくとも俺はよく分からないキャラのコスプレにおたおたしているテニス部員を親指で指しながら言う。
「料理部?どうだった?」
「味か?さすが料理部って感じだったぜ」
「へー」
 自分から聞いておいて、なんとも気のない返事だ。念のために言い添えておく。
「中川さんとはまだ続いてるみたいだったぜ」
「それでそれで!?」
 身まで乗り出してきて料理の話とは全然食い付きが違う。やはりこっちのほうがメインディッシュか。
 俺がいくら無神経だとはいえ、隣に中川本人がいる状況で、突っ込んだのかどうかみたいな突っ込んだ話はできなかったという旨を伝えた。
「なあんだ。……それより、どう?これ。似合う?」
 樹理亜はポーズを取った。トレーを両手で持って直立する、留奈の媚びまくったポーズよりはメイドらしいポーズだ。
「留奈より似合ってるな」
「何でそこに小西さんが出てくるの」
 樹理亜は少し不機嫌そうな顔をする。
「留奈も着てたぜ、そのメイド服」
「えっ。小西さんが着てた服なの、これ」
「さすがにサイズが合わないだろ……」
 樹理亜も決して大柄ではないが、留奈よりはだいぶ背が高い。つまり、留奈はちっちゃい。その割に胸は樹理亜より膨らんでいる。樹理亜は留奈にスレンダーさで勝っているが胸で負けているので、プロポーションの話題を出すと複雑な顔をする。
「それ、朝からずっと教室に置いてあったから、あの子が着てるのとは違うよ。あたしがそれを借りて来たとき、あの子も別なメイド服着てたし」
 アッキーが口を挟んできた。このコスチュームの出所は、やはり繊維科のレンタルコスチュームのようだ。情報科は人員を貸し出しているので、その交換条件だろう。出所が同じならデザインが同じで当然だ。さっき見間違えて不吉な予感に襲われたのも納得だ。
 そう言えば、留奈のメイド服姿に無かった何かが樹理亜にはある。一度全身を見回してみて、その決定的な差に気付いた。手に持っているトレーだ。樹理亜の方が留奈より似合うように思えたのは、このワンポイントアイテムのせいか。まあ、どうでもいいな。
「で、何で流星は小西さんのところに行ったの?」
 疑いの目を向けながら樹理亜が訊いてきた。俺には何ら疚しいところは無いのだが、こんな目で問い詰められると何か悪いことでもしたような気がしてくる。
 俺は自分のクラスの近くで留奈に襲撃され、そのまま繊維科にまで引きずり込まれたことを説明した。
 話が長くなりそうだと感じたのか、アッキーは俺が連れてきたテニス部員を、例の“遊んで行かない?”という言葉でゲームコーナーに誘い込み始めた。テニス部員たちはどぎまぎしながらあっさりと誘い込まれて行く。ポン引きや美人局にあっさりと引っ掛かって痛い目に遭うタイプだ。
 事情を聞いた樹理亜だが、まだ納得しないようだ。最近樹理亜の性格がきつくなってきたような気がする。第二反抗期という奴か。
「繊維科の教室までついて行ったの?途中で逃げればいいじゃない」
「そうは言うけどさ。廊下でメイドと喧嘩してたらさすがに目立つだろ。留奈の場合怒らせるといきなり脱ぎ出す危険性もあるんだぞ」
 幸い、このメイド服は脱ぎやすい服ではない。しかしパンツだけならすぐに脱げる。油断は禁物だ。
「今も廊下でメイドと喧嘩してるようなもんだけどな……」
 言われて樹理亜は我に返り、結構注目されちゃっている今の状況に気付いた。樹理亜は俺を教室に引きずり込み、話は教室の中で続けることになる。
「で、小西さんのところに行って何をしてきたの」
「教室にゃ二人っきりじゃねぇんだ。そんな大した事はするわきゃない。そっちの湯田って奴もいたし」
「で、何をしたの」
 くどいな。
 俺があそこでしたことと言えば、ちょっとくっちゃべって後は写真を撮ったくらいだ。その写真はかなり樹理亜の感情を逆なでしそうな代物ではあるが、隠し立てするほどのことではない。むしろ下手に隠したところで、その湯田から話が行くかもしれないし、留奈が写真を見せつけに来るかもしれない。そういう流れの方が確実に話がこじれることを、長年生きた経験で知っている。
 俺には何ら疚しいことは無いのだから胸を張って事実を言うべきだ。しかしなんだ。これだけ疚しくは無いんだと自分に言い聞かせなきゃならないってのは、かなり疚しく思ってるって事なのか。
 とにかく、樹理亜にはあるがままを話した。見せろと言うので写真も見せる。写真を見た樹理亜の表情は引きつった。見せろと言ったのは樹理亜なので、見せた俺は悪くない。
「た、確かに同じメイド服ねこれ」
 平静を取り繕いながら樹理亜が言う。しばらく写真を睨むように見つめていたが、やがて顔を上げて言う。
「この写真、行けば撮ってくれるんでしょ?」
「え。まあそうだろうな」
「流星、あたしとも一緒に撮ってよ」
「え。まあそりゃあ、別にいいけど」
 そこには留奈がいるんだぜ、と言うようなことを言おうとしたが、それが煮え切らない態度に見えたのか、一瞬むっとした顔をした後、樹理亜はやおら俺の腕をつかみ、教室から引きずり出した。メイドに引き回されるのは二度目だ。しかもどちらも繊維科の教室に連行されている。三度目もあるんじゃなかろうな。

 繊維科の教室に行く前に、樹理亜には留奈をあまり刺激しないように釘を刺しておいた。とは言え、そこに樹理亜が行くだけで大概だと思う。
 案の定、教室について二人の目が合うなり、睨み合いになった。今日は樹理亜もいつになくやる気だ。揉め出す前に引き剥がすことにした。相変わらず見えない場所でパソコンと向かい合っている湯田のところに連れて行く。
「今度はこっちが俺と写真を撮って欲しいそうだ」
「お。じゅ、ジュジュか」
 二次元にしか興味がないはずの湯田が、樹理亜にだけは妙に反応する。樹理亜をジュジュと呼んでいるのはアッキーだけじゃないんだな。情報科のクラス全員がそう呼んでるのだろうか。
 反応したのは湯田だけではなかった。俺の言葉に留奈も反応した。
「なんであんたが……」
「お金払えば文句ないでしょ」
 樹理亜の言葉に留奈は黙り込む。このやり取りに繊維科の他の生徒も寄ってきた。
「五百円!」
 留奈は言う。
「写真だけなら百円ね。ねえ、情報科の人?」
 スチュワーデス……今は面倒なことにキャビンアテンダントと言わなきゃならないのか。そういえば、看護婦も看護士っていうんだっけ。美しい日本語が少しずつ失われていくな。スチュワーデスは日本語じゃないけど。とにかく、そのスチュワーデスが留奈の間に割って入る。その一方で看護婦が留奈を引っ張って行った。鎮静剤でも打って落ち着かせてくれ。ついでに樹理亜にも一本頼みたいところだ。
 留奈が教室の外に引きずり出されたところでスッチーは言う。
「じゃあ、やっぱり君なんだ。留奈の横恋慕の相手って」
 クラスメイトにまで横恋慕とか言われているが、いいのか?
「まあ、そんなところだ」
「留奈って昔からああなんだって。気にしなくていいから」
 気にするなと言われても、それは無茶だと思う。
 とにかく、とっとと樹理亜に写真を撮らせ、いざこざが起こる前にここを立ち去ることが先決だ。
 樹理亜はいかにもメイドらしく、トレーを両手で胸の前で抱きかかえ、俺の横に行儀よく立った。そのポーズで写真を撮る。
 金をもらっている客なので、湯田もすぐに写真の編集に取り掛かった。その間、樹理亜は吊り下げられてる衣装を眺める。
 湯田を貸してもらっているということもあってか、繊維科の女子も樹理亜相手にこの店の裏事情などを暴露し始めた。もっとも、大した話はない。
 一番人気はメイド服らしい。単純にここにメイド服を着ている店員が多いから、それにつられているんだろう。
 もともとここは、揃いのメイド服を作ってメイド喫茶でもやろうという方向で話が進んでいたそうだ。しかし準備が進める最中、ツンデレなどメイド喫茶の理解しがたい流儀などについていけなくなり、さらにメイド喫茶は酒が出ないだけでただのキャバクラだと気付き始め、方向性を変えることにしたらしい。その名残で、ここの店員のメイド率が高いわけだ。
 一方、アニメキャラのコスチュームは不人気だ。何せ、ここを見に来る客層にはその手の層は少ない。女子のほとんどがインテリア科と繊維工学科。こういう科にはいってくる子は普通におしゃれが好きなタイプが多い。自分たちもそうなので、人気が出ないのは覚悟のうえだ。
 それでも大量のアニメキャラのコスチュームがあるのは、メイドだらけの店員の違和感緩和とディスプレイのにぎやかし、そして何より、これらは注文製造で売約済みなのだとか。
 もともとコスプレ衣装を極めるべく繊維科に入ってきたと言う、志が高いのか低いのかよく分からないクラスのアニメ漫画部の子を介して、情報科に協力を要請して資料集めなどを手伝ってもらっていたのだが、メイド喫茶からコスプレ写真館に方向転換することがその子に伝わり、ついでに作ってもらいたいコスチュームのオーダーメイドを提案された。注文は気味が悪いほど順調に集まった。どこで話が広まったのか、金回りのいい大人の客までいたらしい。そう言うのは素材持ち込みで頼まれることも多く、元手はかかっていない。この借り手のいない衣装のお陰で、文化祭が始まる前から黒字が出ているというから恐れ入る。それにしても、その注文してきた連中がどこで話を聞きつけたのかが不思議だ。
 そして余っている予算で、材料費を奮発して手間暇もかけて作られた目玉商品を紹介された。乙女の憧れ、人生で一度は着たいができれば一度きりにしたい、純白のウェディングドレスだ。そういえば、さっき留奈がこれを着て一緒に写真を撮ってくれって言ってたな。
 樹理亜はドレスを見て目を輝かせている。何だかんだ言って女の子なんだな。樹理亜もいつか嫁に行ってしまう日が来るのかと思うと父親として寂しくなる。
「一番気合入ってるからねー。すごいでしょ」
「でも、他のとは値段も違うんだろ?」
 スッチーは痛い所を突かれたのが露骨に分かる顔をする。
「まあ、あれよね。材料費くらいは元取らないといけないしさ」
「材料費……いくらよ」
「えっとね。あのね。五万円」
 モジモジしながら言うスッチー。模擬店の予算が一クラス五万だった記憶があるんだが。これで黒字が出てるって、オーダーメイドの方でどれだけ稼いだんだ。
「何回着ると想定してる?」
「10回」
「って事は、単純計算で五千円か……」
「これでも大サービスなんだよ!」
 スッチーがキレた。落ち着け。樹理亜はスッチーの剣幕にか、その値段にか、とにかく引いている。
「でも、やっぱり高いよね」
「そりゃあ、文化祭で一度にどーんと五千円は出さないだろ……小遣いがそのくらいじゃないの」
 俺と樹理亜がそんなことを言っていると……。
「だよね。だからさ、値段下げようと思って。ねえねえ、二千円にするから着てってよ。二千円第一号のお客さんになって」
 樹理亜に勧めだすスッチー。二千円くらいなら、と樹理亜も少し心動かされているようだ。
「でもさ、今までに借りた客が不満言うだろ、それ」
「大丈夫、居ないから」
 それ、二千円第一号の客と言うより、純粋に第一号の客だな。軽く見栄を張ったのか。
「もうね。元取るとか贅沢なこと言わない。一人でも多くの人にこのドレスを着て欲しいの」
 決断が遅すぎるような気がする。とにかく、樹理亜は押し負けてドレスを着ることになった。
 飾られていたドレスを下ろす動きに留奈も気付いた。
「ちょっと、あんたドレス着る気?」
 上客の樹理亜に歩み寄ろうとした留奈を、背後から婦警と看護婦が掴んで廊下に引きずり出した。相変わらずすごい光景だ。
 バニーガールに何か伝えられ、婦警と看護婦はメイドをどこかに引きずって行った。クラスメイトの言い分よりドレスを着てもらうことを優先したようだ。まあ、しょうがないよな。
 着付けのためにスッチーとバニーガールに連れられて更衣スペースに入って行く樹理亜。そこに、留奈を連れて行った婦警が戻って来た。婦警はこちらをちらっと見ると、ハンガーに吊り下げられたタキシードを持って来た。
「ほら、カレシも着替えて着替えて!」
「俺もかい!」
「あったり前でしょ。一人で結婚式挙げてどうするの」
 結婚式は挙げないだろ。とにかく、俺も着替えなきゃならないようだ。湯田のいる裏方に押し込まれる。
 裏地が何とも雑な、手作り感溢れるタキシードに着替えてしばらく待つと、ドレスを纏った樹理亜が出て来た。
 思わず息を呑むような美しさに見えた。親の欲目もある。冷静によく見るといろいろ気になるとこともある。別に化粧をしている訳ではないド素っぴんなので顔はいつも通りだった。いつもと際立って違うのは胸元だ。大胆に肩から胸元を露出したけしからんそのドレスに入り込んだ胸は、不自然な形に盛り上がっていた。ものすごい量の詰め物が詰まっていそうだ。
 詰め物の有無にかかわらず、やはりその胸元は気になる。ガン見して引っぱたかれないようにしないとならない。
「ね、じゅり。折角だからさ、あたしらの花壇のところで写真撮ろうよ」
 妙に馴れ馴れしくバニーガールが樹理亜に話しかけた。知らぬ仲ではないようだ。あたしらの花壇という言葉から察するに園芸部の仲間か。そう思うと、バニーガールにしては妙に太くて、その割には脂肪の少ない逞しい太腿も納得だ。いや、断じてじっくりと見たわけではない。男のサガであくまでもちらりとだ。
「え。あそこまで行くの?」
 戸惑う樹理亜だが、スッチーは既に樹理亜のドレスの裾を持ち上げており、婦警は樹理亜の手を引いて連行して行ってしまった。
 樹理亜を教室の外に引きずり出した婦警が戻って来る。
「なにやってんの。早く早く」
 婦警に手招きされた。
「俺もか!」
「だからあったり前でしょ」
 あったり前と言われては仕方ない。
「……あんた、何かそういう服着てると詐欺師みたいねぇ」
 婦警に言われるとものすごく嫌な気分になるな。樹理亜の連れと言うこともあって気軽に接しているのだろうが、そもそも見ず知らずの相手に言われたくはないぞ。そもそもタキシードを着た詐欺師ってどんな詐欺師なんだ。
 撮影のため湯田もついて来た。教室には留奈ではないメイドがお留守番だ。メイドらしくてよい。
 当然ながら、ドレスで廊下を歩く樹理亜は注目の的になった。ウェディングドレスだけでも目立つのに、その裾をスチュワーデスとバニーガールが持ち、後ろには婦警に連行される詐欺師とカメラ小僧。こんな異常な集団が目立たない訳がない。
 まして、女子だらけの繊維科やインテリア科のあるこの棟では、ウェディングドレスへの食いつきが半端ではない。
 後ろからメイドが駆けつけた。その手には『ウェディングドレスレンタル2000円、その他コスプレ500円』と書かれたスケッチブックが。俺たちは広告塔として利用されたことにようやく気付いた。
 注目の中廊下を練り歩き、ようやく花壇の側までたどり着いた。
「いい感じで日が陰ってる。今のうちに撮ろう」
 カメラ小僧が言う。
「日が差してる方がいいんじゃないの?」
「日差しが強いと陰影がきつくなるんだよ。表情も眩しそうで変な顔になるし」
 メイドに聞かれたカメラ小僧が豆知識を披露した。
「人を撮ったりもするのか」
 聞いてから失礼な質問かもしれないと思う。カメラ小僧はニヤニヤしながら答えた。
「や。フィギュアとか撮るんだよ」
 スケートか。確かにそう言うの好きそうだな。
「最近はいろんなポーズ出来るから、大股開かせたりしてさ」
 氷上のバレエとも言われるだけあって、バランスがよくて体が柔らかいのが揃ってるもんな。片足上げて滑るなんてよくできるよなぁ。しかし、ああ言うのって日差しの強いところでもやるものなのだろうか。
 よくは分からないまま、早く隣に並べと婦警に怒られたので、聞き返してまたあったり前でしょと言われる前にそれに従うことにした。
 写真を撮るのはあっと言う間に終わり、またたっぷり時間をかけて教室に移動する。廊下にいた興味がありそうな生徒はみんな花壇までついて来ていた。今更、行くときほどのリアクションはない。
 俺も樹理亜も元の服に着替える。とは言え樹理亜はメイド服だが。
 ここに来る前の殺気立った様子とは一転し、樹理亜はとても満足げな顔をしている。その一方で今頃どこかに連れて行かれた留奈は5倍くらい殺気立ってそうだ。
 そんなことを考えていると、殺気立った雰囲気のメイドが教室に入って来た。すわ、噂をすれば影かと思ったが、別なメイドでほっとする。
 メイドは、やっぱりメイドの樹理亜が脱いで抱きかかえていたドレスをもぎ取る。
 婦警も慌ただしく教室に駆け込んできて、そこら辺からいくつか小物を持って走る。ドレスを持って走るメイドの後ろに続いた。この光景はドレス泥棒はメイドさんと言ったところか。かなり慌ただしくなってきた。
「湯田君、それ、後どれくらいで終わる?」
 メイドと一緒に駆けつけてきていたスッチーが湯田に声をかけた。樹理亜の写真をプリントしていた湯田は、そんなに編集する訳じゃないからすぐ終わると答えた。
「じゃあ、終わったらすぐ花壇のとこ来て!それから、えーと、えーと」
 樹理亜の顔を見ながら何かを必死思い出そうとするスッチー。名前をを思い出したいようだが、俺も樹理亜も名乗った覚えはない。
 自分が俺たちの名前を知らないことに気付いたか、スッチーの話は進んだ。
「その……、情報科の人。カメラ使える人をもう一人……いや、その他にあと二人か三人、貸してくれない?」
「えっ」
「お願いっ!お礼は絶対するから!」
「多分大丈夫だと思うけど」
「ありがとっ!じゃ、お願い!」
 多分、今の花嫁他仮装行列を見て、興味を持った人がドレスを着たいと言い出したのだろう。広告塔は成功したようだ。
 ここに長居すると留奈が来るかもしれない。頼まれごともあることだし、とっとと帰ることにした。

 情報科の教室の前にはお誂え向きにデジカメを構えた男がいた。コスプレしたアッキーを撮りまくっている。アッキーもまんざらでは無さそうで、ポーズまでとっている。もっとシャイな子だと思っていたが、何か意外な一面を見たような気がする。やはり人は見た目によらないものだ。顔とメガネで人を判断してはいけないな。
「鍋島君、ちょうどよかった!ちょっと頼まれてくれるかなぁ」
 樹理亜は上目使いでブリッ子しながら鍋島と言うらしいカメラ小僧に声をかけた。
「いいぜ!何でも聞くぜ!」
 イチコロだった。メイドにこき使われるなよ。っていうか樹理亜もいつの間にそんな技を身につけたんだ。
 樹理亜は鍋島に花壇そばに行くように頼んだ。鍋島は樹理亜の写真も何枚か撮った後、軽やかな足取りで花壇方面へと消えた。ああいうのに客の写真を撮らせていいのかは気になる。
「どこ行ってたの?」
 アッキーが聞いてきた、樹理亜は写真撮ってきたんだよと言いながら撮ってきた写真を見せる。ドレスの写真は隠していたが、わざと見えるように隠す、見せてと言われたいのが見え見えの隠し方だ。思惑通りに何それ見せてと言いながらドレスの写真を目にするアッキー。
「うわー。何これ。いいなぁ、こんなの着るなら呼んでくれればいいのに。見たかったなぁ」
「だって。最初はこれで撮るだけのつもりで行ったんだもん。そしたら、あっちでドレスを勧められて……」
 そんな話をしてると、どこからか樹理亜を呼ぶ声がした。
「おーい、じゅりー。じゅりじゅりー」
 振り返る樹理亜。この呼び方は園芸部か。呼び方以前に、男だらけのクラスに放り込まれた樹理亜には、親しげに声をかけて来るような女子の友達はアッキーか園芸部員くらいだ。
「やっぱりじゅりじゅりだ。なあに、その格好。それより、おいも売るよ、おいも」
「えっ、もうそんな時間?」
 樹理亜は時計を見る。
「じゃ、ちょっと着替えて来るね」
「あ。いいよ、そのままで。面白いし」
 園芸部員たちは逞しいその手で樹理亜を引っ張っていく。
「え、あ、ちょっと。りゅうせーい。お手伝いのこと、お願ぁい」
 樹理亜は園芸部員に連れ去られた。お願いされてもどうしろと。まあ、とりあえずアッキーに頼めばいいか。早速、横にいるアッキーに事情を話す。
「え?男の人?うーん、今は店番やってる人以外は出払ってるよ」
「何だよ、どこに行ってるのさ」
「さあ。どこかで遊んでるんじゃない?」
「女に仕事押し付けて遊び呆けてるのかよ。ろくなもんじゃないな」
「そういう事じゃないよぉ。ほら、ここって男のお客さんの方が多いからさ、男の人が客引きしても誰も寄ってこないじゃない。で、用がないなら居ても邪魔だし」
 ごもっともな話だった。なんとなく亭主元気で留守がいいという言葉が頭をよぎる。確かに教室の中は男の客だらけだ。
 そう言えば。
 教室では、先程その客引きに引きずり込まれたテニス部員が、まだゲームに興じていた。団体さん向けに対戦できるゲームもあったらしく、背中合わせのパソコンを真ん中にして向かい合っている。人数も繊維科の手伝いにぴったりだろう。
「なあ、お前ら。女の子たちがお前らを必要としているんだが、行く気はないか?」
 こう切り出すとあっさりと食いついてきた。やはり美人局にあっさり引っ掛かるタイプだ。
 繊維科が男の人手を必要としているということを教えてやる。とても乗り気だ。俺はそのままこいつらを花壇のところに連れて行くことにした。

 花嫁の回りでメイドや婦警などが慌ただしく動き回っている。
 人間広告塔のお陰か、花壇の辺りには結構な人がいた。この目立つ場所でやっていることもあってか、さらに人目に触れ、また客が寄ってきているようだ。
「流星いいいい!」
 こちらに気付いたメイドが突進してきた。留奈だ。逃げた方がいいかもしれない。
 だが、すぐに婦警が駆けつけてきた。
「こらぁ!サボるな!このサボり留奈!」
 留奈はサボりの現行犯で逮捕される。今のうちだ。俺はスッチーに声をかけた。
「さっき頼まれたお手伝い連れて来たぜ」
「ありがとう!えーっと……情報科の人!」
 残念ながらここには情報科の人は一人もいない訳だが。まあ、事情を話している余裕は無さそうだ。とりあえず、これだけ言っておこう。
「今は混んでるけど、捌けたら誰か手が空くよな?そしたら情報科に一人回してあげてくれないか?客引きやってる子が休めなくて大変そうだからさ」
「手が空いたらね。いいよ」
 メイドにテニス部員を預けて帰ろうとしたが、テニス部員の留奈が仲間の隙を見つけてまた寄って来た。
「何であたしとはドレス着てくれなかったのに竹川さんとはドレス着るの?何で?」
 俺がドレス着たみたいな言い方をするな。
「見てただろ。樹理亜にドレスを着ろって勧めたのは繊維科の生徒だし。俺もかなり無理やりつき合わされた感じだし」
 繊維科の生徒のせいだ。全てがな。
「あたしもドレス着たいー!着ーたーいー!」
 留奈は幼稚園児みたいな駄々の捏ね方をし始めた。
「それは好きにすればいいと思うぞ」
「いいの!?」
 一人で着る分にはな。
 そう言おうとした時、サボりに気付いた婦警が留奈に近づいて来た。とぼけて時間稼ぎをする。うまいこと、俺が一緒に写真に写るとも俺も着替えるとも確約しないまま、留奈は修羅場に引き戻され、俺は全力離脱した。

 校庭では午後のイベントが始まっていた。
 ロボット相撲の真っ最中のようだ。今年も例年どおり、ノウハウの蓄積のある3年が強い。この学校ではこの学園祭のために上級生が情報を出し惜しみして後続を潰そうとするので、結局全国大会に出るほどの実力がつかずに終わっている。
 そんな感じなので、勝負の方もお山の大将が弱い子猿をいじめているような見てて盛り上がらない内容だ。下克上でもあれば面白くなりそうだが……無理だな。
 この後は生徒が組んだバンドのライブがあったり、吹奏楽部のコンサートがあったり演劇部の劇なんかがある。
 劇はともかく、音楽関係はわざわざ校庭にまで出なくても学校中で聞こえるだろう。それでも、校庭は結構な数の生徒が出歩いている。
 校庭に出店しているクラスはこれから稼ぎ時だ。うちの焼き鳥屋も残りの肉を全部運び出した。この後1時間くらい売り子を手伝うことにした。どうせすることもないし、何か手伝っておけば後で文句も言われない。
 遠くの方に園芸部の焼き芋屋が見えたが、その辺りには樹理亜の姿はない。かなり目立つはずなのだが。校庭を見回すと目立つメイド姿のまま芋を行商していた。少し離れたところにはさっきのバニーガールもいる。男が結構買っているようだ。女は面倒でも屋台まで出向いて買っている。何かのプライドがあってメイドやバニーからは芋を買いたくないのだろう。
 焼き芋屋は結構繁盛しているが、焼き鳥屋の方はぼちぼちにも程がある感じだ。もう少し売れろ。
 暇なまま1時間が過ぎようとしたとき、俺が手伝いだしてから6人目の客が来た。
 遠くからでも一目で分かるほどにアッキーだ。どうやら繊維科の交替要員が情報科に行ったみたいだな。アッキーはコスプレのまま校庭にまで出て来ている。
「繊維科に応援頼んでくれたのって、流星君?ジュジュに聞いても知らないって言うからさ」
「ああ。こっちが男の人手を貸してやってるんだから、そっちも女を貸せってな。平たく言えば体で払えって事よ」
 アッキーは引きつった笑いを浮かべた。おっさんの下品なジョークに若い子がドン引きするという、どこかのオフィスのような有様だ。
「ま、まあ。それよりさ、今ジュジュにも言ったんだけど、しばらく情報科の教室には近寄らない方がいいよ。応援に来たの、小西さんだったから」
「まじかよ。どういう人選だ……。で、まさか留奈は一人で店番してるんじゃないよな?」
 もしそうなら、確実に店番をサボって俺か樹理亜にちょっかいを出しに来る。
「ううん。もう一人来たよ。婦警のカッコした人」
 それなら何の心配も要らない。なんて言う安心感。市民の安全に役立ってくれるなんとも頼もしい存在ではないか。警察は好きじゃなかったが、考えを改めよう。
「それにしても、何でコスプレのまま……」
 メイドでもアレだが、こっちはよく分からないキャラだからさらに輪をかけてアレだ。
「着替えるのめんどくさいもん。水着とかジャージだったら恥ずかしいからすぐに制服を着るけど、これは別に……」
 むしろジャージはいいだろ。恥ずかしい基準がわからん。
 何はともあれ、留奈も仕事を押し付けられればしばらくは動けない。のんびりできそうだ。
 そう思うが、よく考えたらのんびり出来るくらい繁盛しないのは問題だよな。俺たちも行商した方がいいんじゃないだろうか。おっと、コスプレは勘弁だ。

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