着工から一ヶ月が過ぎてラッカ・ラ・バノンセドキアの魔王城もだいぶ工事が進んできた。下層の行政施設や悪魔教会部分はひとまず木造で仮設し、シンボルともなる魔王の塔だけ石でしっかりと作っている。最終的に外から見えなくなる部分は普通の石材で作られているが、上部は黒い石のタイルで覆われ、威圧感を放っている。下の部分は間に合わせで黒く塗った板で覆い雰囲気を出していた。
まだラルフロイの逗留場所になる部分までは出来上がっていないものの、驚くほどのペースで塔は上に延びていた。これもひとえに町のみんなの頑張りのおかげだがそれだけではない。イェスタ・ザブロングレイス村の人たちも全面協力してくれている。
彼らもすっかり悪魔教団の信者になっていた。近隣の町にも少しずつ信者が増えており、ここへは観光と言うより聖地参拝や奉仕に訪れている節もあった。退屈なド田舎の村では中々無いやりがいのある面白い仕事と言うのもあるが、やはり彼らを動かしているのは信仰心である。
近年のセドキアでは布教活動により少しずつアウズ聖教が版図を広げていた。昔と違い土着の宗教にも寛容さを持ち弾圧や改宗を行わないこともあり、アウズ教が疎まれることはあまりなかったが、最近では敵国であるアテルシアにも協力していることで疑念を抱くものも多かった。この辺には事情があるのだが、そんな言い訳を細かく聞いてから判断してくれる者など多くはない。
アウズの拡大が面白くない者たちにとって悪魔教団は一言で言えば丁度よかったのだ。これでアウズ教が昔のように土着神を悪魔に貶めて敵意を誘っていたなら悪魔にされた土着神への崇拝をも取り込んで悪魔教団の勢いはさらに強まっていただろう。そうなっていないだけまだいい方だ。
なお、昨今のアウズ教では土着神などはアウズの神の別名、別の姿だったり神の使いということにしている。アウズ教会にとって神は概念的なものでしかない。その目的は聖者たちの神通力を見せつけて信者を獲得しつつ聖者の力を持つものを見つけることであり、神の存在は神通力の説明を分かりやすくでっち上げる材料でしかないので実は何でもいいのだ。もちろん多くの信者に知られていない事実である。
アウズの聖者たちの起こす奇跡を目にして信者になった者たちにとっても、悪魔教団が信奉する悪魔たちの力の前では聖者達の奇跡など霞んで見える。その点ではアウズに勝ち目などない。そもそも、各地を行脚しているアウズの聖者など滅多に見られるものではない。昔一度だけ見た聖者より、この町にいれば毎日その力を見せつけてくれる悪魔の方がありがたくて当然だった。一番の問題は悪魔という物のイメージの悪さなのだが……。
建築作業の手伝いに来ている男達に色気を振りまくソーニャは人気である。素朴で穏やかそうに見えて結構どす黒いカタリナもギャップ萌え的な感じで結構人気である。近寄りがたい聖者と違って気軽に接することができるのがよい。
エリアやナミリエ、下僕悪魔のような子供悪魔はロリコンにも好かれるがむしろ炊き出しなどを手伝いに来る女性達に人気だ。クレイも女性人気はあるが、女性人気ならテラーファングだろう。露骨に悪魔っぽい見た目で好みは分かれるものの美男子なのは間違いない。またたまに現れる魔王ラルフロイも見た目はまあまあ美少年。要するに見た目に釣られて邪な気持ちで寄ってくる、信者というよりファンと言った方がいい連中も多いのだが、悪魔ならそれも許されそうなので人が集まってくるのだ。悪そうなイメージも、むしろ親しみやすさに置き換わっている感じだった。
際立ってヤバそうな称号を持っている割に実情はそうでもない魔王・ラルフロイの降臨日は予め告知される。降臨と言っても大体はちょっと近況報告に顔を出すだけであるが、信者の気分の問題もあり盛大なセレモニーを行うので準備も必要になるし、その日に合わせて近隣の町からも信者が集まる。たまに急用で告知なしで来たりもするが、主に悪魔教団に見つかると面倒なことになる。それを防ぐにはすぐに帰ることになるのだが、一晩魔力の回復を待つくらいでないと無理ではないが無茶な感じできついのであまりやらない。エリアとしてはあまり気軽に来られても困るので助かっている。
もっともエリアはラルフロイにくっついてくるソノラを預かってラルフロイはクレイに丸投げである。ラルフロイとしてもソノラから解放されてほっとできるのでウィンウィンだった。
「これが悪魔の依代になる聖書か。……豪勢な作りだな」
悪魔に聖書というのも変ではあるが他の言い方も思いつかないのでひとまず気にしないでおく。言い換えるなら悪魔教典であろうか。まあどうでもいい。ラルフロイが手に取ったのは薄い金属板を本のように束ねたものだ。それだけでも豪勢なのだが、この板一枚一枚が銀メッキされた鉄板なのだ。
紙だと簡単に燃やされたり、水に濡れただけでも大ダメージになりかねない。木の板では頑丈にはなるが燃えやすいのは変わらず厚みと重みばかり増えてかさばる、石版は重い上加工しづらい。コストが掛かっても金属製がいいと言うことになったが、ここで問題が発生する。鉄で作ってみたら魔法との親和性があまりよくなかった。いろいろ試した結果金や銀が良さげだということになったが、さすがに金は値が張るので銀を使い、メッキで十分だと判明してこの形に落ち着いた。それがダグとフェリニーの二人分並んでいる。内容も全く同じものだ。
頑丈なので簡単に壊されたりもしないだろうが、むしろ長持ちしすぎてクレイたちの死後にすら残っていそうだ。その場合、ダグたちの魂がどうなっているのかが気になるところではあるが、まあそんなのは随分先の話なので今から気にしても意味はない。
悪魔の存在に関する基本的かつ重要な魔法はこの金属板に彫り込んだが、追加の魔法や設定変更などは紙に書いて挟んでおけば十分だろう。これ以上金属板を増やすと重すぎる。
「これで後は魂を移すだけだと思う」
クレイの言葉にラルフロイも頷いた。
「俺はもっと適当にやっても成功したからな。これだけ丁寧に準備してあれば何の問題もないだろう。このチビどもはそれだけ大事にされてるってことだ。この天使の秘術も、本来は大事な人に仮初めでも命を与えようっていう魔法なのかも知れないな。それでも十分邪法なんだろうが、罰に使うような教会を見てると俺ってまだまだ善人だなと思えてくるぜ。……じゃあ、冗談はおいといて早速片付けちまおう」
ラルフロイは実に気軽に施術を始めた。迷いも気負いもない様子にクレイの方がハラハラする始末である。
「ああ、そういえばこの鳥にも魂が残ってるんだっけな。この場合どうなるんだろうな」
終わってからそんなことを言い出すラルフロイ。しかし、気にしても今更だし、実験のしようもない。結果を見守るのみだ。
鉄の本がそれぞれ光を纏い、人の形を取り始めた。魂の移植は成功し、本に刻まれた幻影魔法の発動まで至ったようだ。黒い服に黒い翼。そして術者のイメージする自分の姿。この場合の術者はもちろんダグとフェリニーである。やがて、会議室の幽霊と言われていた幻そのものの顔立ちになる。――いや。
『あれ。フェリニー……なんか可愛くなってる』
『うふふ、成功ね』
フェリニーはダグの記憶にあったそのままの、痩せこけて頭ボサボサ肌ガサガサの見窄らしい自分の姿が女の子として許容できなかったのである。術者のイメージする自分の姿、それには多少の虚が混じっていてもいい。おそらくそれに成功しているのが日々じわじわと魅力を増しているカタリナだ。本人が『気のせいでしょう』と言い張って認めていないので証拠はないが、絶対に自分のイメージを美化してブラッシュアップしているに決まっていた。
だから頑張ればフェリニーにだってできるはず。そして思惑通りにうまくいったわけだ。フェリニーにとっては可愛くなれて喜ばしいことだが、いくら白を切ってもフェリニーという実例のためにカタリナの美化の絡繰りがばれるのはとばっちりであった。ちなみに、会議室の幽霊は流石にもう用済みなので消してある。幽霊と呼ばれる代物をじっくり嘗め回すように見てその姿をしっかり覚えている者以外、フェリニーの姿がちょっと可愛くなっていることに気付くことはもうないだろう。
その時、クレイの頭から何かがぽとりと落ちた。ダグ達の本体とでも言うべき小鳥の体である。目を固く閉じてぴくりとも動かない。その様はまるで。
「うわあ、死んじゃった!」
慌てるクレイ。本人達も慌てて駆け寄って自分だった体に手を伸ばす。すると悪魔のダグの姿がゆっくりと掻き消えて、完全に消えると同時に小鳥が目を開いて動き出した。
「あれ。戻っちゃった」
あともうちょっとというところまで手を伸ばしていたフェリニーは動きを止めた。
小鳥に戻ったダグは、魔法の力を失ってゆっくりと地面に降りていた本の上に止まる。すると再び悪魔のダグが出現した。どうやら割と簡単に元の小鳥の体と悪魔の媒体の間を行ったり来たりできるようだ。
二人でいろいろ試してみた感じ、その存在を意識しながらもう一方の自分の体に接触すると精神が移動するらしい。そこにあるなと思いながら触れるだけでいいのでうっかり交換が発動したりしかねないが、死んでいるようにしか見えない小鳥の体をそこら辺に放置してもおけないし、わざわざ持ち歩く理由もないので箱にでも入れて仕舞っておけば変なことも起こらないと思われた。
基本的にもうずっと悪魔の姿でも良さそうなものではあるが、小鳥の体に戻っている間は精神力を消耗しないメリットもある。それに悪魔になっている間はカタリナのように魂が剥き出しで、人の心にも触れられる。幼い子供たちに触れさせていい感情ばかりでもないので対策はするつもりだが、それまでは悪魔の体の本格運用はせず小鳥でいてもらった方がいいかも知れない。そういうことができるというのは悪くない発見だ。
『その、元に戻れるというのは小鳥の魂の影響なのですか?』
同席していたカタリナが質問する。エリアが男子たちの暴走を見張らせるために派遣したのだ。なおナミリエも『クレイと一緒』と『ラルフロイとも一緒』を天秤に掛け、ラルフロイとも一緒のイヤさが微妙に勝ったし、今日はあまりよくない魔法を使うらしいので遠慮させてもらってエリアたちとの女子会を選んだのだった。
「はっきりとはわからないが、多分関係ないな。小鳥の魂だけこっちに残ってただの小鳥に戻ってたならそうかも知れないと思えるが、魂は小鳥ごとこの媒体に移ってるみたいだし。生憎、魂を分離してから送るような器用な魔法じゃないからな」
二つの魂が肉体に宿っている状態というのがまずないのだから当然だろう。
『それならば……私も魂がこの本に移されたことで死んだというわけではなく、肉体は生き続けていて戻ることができるのでは……』
「あ。そうかも」
その場合、今もなお肉体がちゃんと生かされているか、そして生きていたとして無防備な肉体をゲスな司祭にどう扱われているかという不安はあるのだが、今はひとまず生き返れる可能性があるというだけで良しとしておく。
実は女子会に混じりたかったと思っていたカタリナだが、こっちでも存外の収穫があったのだった。
そして、カタリナとフェリニーはひとまず用が済んだので女子会に合流した。
無事悪魔になれたと言うフェリニーはダグ共々相変わらずの小鳥の姿で、クレイの頭の上にいる。そのことを訝るエリアだが、事情を聞けば納得である。
もちろん聖書も持ってきている。クレイがついてきたのは聖書を運ぶためだ。すぐにお披露目会が行われた。ちょっと可愛くなったフェリニーと変わっていないダグの姿が披露され、すぐに小鳥の姿に戻った。クレイとダグは女子会に加わったフェリニー達を残してラルフロイの所に戻った。
これから男子が話し合うのは魔法と科学技術の融合という彼らが追求するテーマ――なのだが、ぶっちゃけまだ基礎を勉強中で進展はない。なので、最初にラルフロイから出たのはこんな話題だ。
「それにしても、あのゲスなおっさんがあんなことになってるとはね」
ゲスなおっさんとは自我無き天使からカタリナの腹話術悪魔になったおっさんの成れの果てのことである。元がおっさんだとは誰も思わない見た目になっているのだから、なまじ人外の姿よりおっさんの尊厳を蹂躙しているのではないか。
「あれはね、小さい女の子に見えるようになってるんだよね。だからナミリエとかエリアに見えるって人が多くて二人がちょっと困ってた」
本当に困っていたのは、ちょっと前まで悪魔といえば煽情的という発想からセクシーなイメージをされがちだった事になのだが、その辺はクレイにとってもちょっと恥ずかしい話なので伏せておいた。
「なるほど、やっぱり幻視の魔法か」
ラルフロイがこれが幻視の魔法だと見抜いていたのは、その悪魔がソノラに見えたことが切っ掛けだ。最初に見たときにはもちろんソノラも一緒にいたのだが、ちょっと幼いソノラにしか見えないモノがそこにいるのにソノラの反応は薄かった。これはソノラには別な姿に見えているのではないかと考え、それならこれは見る人によって内容がまちまちになる幻視の魔法だと推測したのだ。
そうなると、どんな条件で幻を形作っているのかが問題になる。軽はずみにどんな姿に見えるかを口にして、自分ですら気付いていないソノラに対する感情を引きずり出されてはかなわない。なのでまずはどんな幻を見せる魔法なのかを聞き出そうと思っていたが、それは聞いてもいないうちからクレイがぺらぺらと喋ってくれた。
これがエリアならラルフロイをハメるために嘘っぱちの効果を口にしたりするかも知れないが、クレイは裏表がないのでその心配もないだろう。まあ、聞かれない限り誰に見えたかまで話してやる必要はない。その代わりに別な話をする。
「俺のところにも魔法使い嫌いの男の成れの果てだっていう鳥の怪物がいてな……」
「鳥って言うと、スカイウォーカーさん?」
「いいや、そっちじゃなくて……同じようにおやっさんに鳥にされた奴がいるんだが、そいつはお仕置きみたいなものでな、始末されて死体を真っ先に漁りに来た生き物にされたらそれがカラスだったそうだ。お前等を船で拷問したりろくでもない奴だったらしいな」
「ああ、あったなそんなこと……」
あの船の中での出来事は思い出したくもないが、クレイはあの時の尋問役に嫌な奴とそうでもない人がいたのをうっすらと覚えていた。間違いなくその時の嫌な奴だろう。あの時の記憶はもう薄れつつあるし、残っているとすればやっぱり裸のエリアに抱きつかれた記憶――。思い出してはダメな奴だ。
「おやっさんとしてはハエかシデムシにでもなって惨めに生きるのを期待してたが、意外とのびのび生きられる姿に落ち着いてたってことでな、いろいろ暴れ回ってたみたいだぜ。俺にも喧嘩を売ってきたから返り討ちにして、自我を封じて操り人形にしてるんだが……。体を動かすのに細かく指示を出さないとならないから面倒なんだよな。飯だのクソだのの指示まで出すのは馬鹿らしいから元に戻すがそのたびうるせえし。あれもあんな感じで自我を消しても勝手に動いてくれるようになるといいんだが」
「へ。へえ」
どう反応していいかわからないクレイ。どん引きである。
「幻なら細かいことを考える必要はないんだが、肉体を動かすとなると複雑な思考が要るからな、自我を残しておかないと厳しいんだよ。せっかくいい肉体を持ってるから活用したいんだけどな」
憑依して操るのが確実なのだが、その間自分の体が無防備になるのが落ち着かない。
「誰か他の人を憑依させることってできるの?」
クレイも自分で言っておいて恐ろしい話をしていると思う。
「生憎そんな魔法はないな。作り出すにしてもかなり効率の悪い魔法になりそうだ。今のところ、他人の体から魂を抜いた後それを戻す方法はわからないんだよ。抜くだけなら簡単なんだけどな」
そんなことが簡単にできるだけでもヤバかった。もっともラルフロイだってそれは聖書から覚えたものなので、責任があるとすればアウズ聖教である。
「ダグたちは鳥の体と本の間を行ったり来たりできてたけどなあ」
「そりゃあ鳥の体は今やあいつらの本体だが、魂自体は居候で本はあいつら用の空っぽの入れ物だろ。だから出たり入ったりできてるわけだ。あのおっさんも同じだからそっちは出し入れする気になりゃ可能だが、おっさんを追い出したところでそこに入れる魂は他人だからな。あんなに簡単に出入りできないだろ」
そもそもダグたちは小鳥と魂が融合していて、例えば虫は抵抗はあるけど食べるものと言う認識になっていたりと体ばかりか心までも小鳥に引っ張られる。鳥になった人間と言うよりは人間の心を持つ鳥に近くなりつつあった。そのくらい心も一つになっているのだから、鳥の体が本体なのも当然と言えよう。
天使の書には魂を抜き取る秘法は書かれていたが、その魂を元の体に戻すことは想定されていない。天使が行使する魂の秘術はエネルギーとして魂を奪い取るためなのだからもちろんだが、天使にされた魂も元の体に戻されることを想定はしていないようだった。天使を作り出している教会に行けば戻す方法もあるかも知れないが確証はないし、もしそれがあったとしても聞き出せるのはいつのことになるやらだ。
すぐにでも使えそうな魔法に意識交換があるが、これは自分と相手を入れ替えるもの。工夫すれば使えそうではあるがそれが効率の悪い方法になる。第三者との意識に交換をしようとすると、まず自分とその第三者の意識を交換し、そのまま自分に宿った第三者と対象の意識を交換することになる。
「そんな魔法があるんだ……」
「ガキが悪ふざけして遊ぶくらいしか使い道ないけどな」
むしろ悪ふざけをするようなガキに存在を知らせてはいけない類の魔法であり、ラルフロイがどこでこの魔法を知ったのか問い詰めるべき案件であった。
それはおいておくとして、恐らくまともに魔法が使えるのはラルフロイの肉体にラルフロイの意識が宿っている状態のみ。その間に全部の魔法の準備を済ませておく必要があるだろう。それには全ての魂を元の体に戻すための精神交換も合わせた四回が必要だ。
発動可能な状態で保留にしておけば、前の魔法でラルフロイの意識が他の肉体に移っていてもさらにラルフロイの肉体にある魂と他の肉体の魂を入れ替えられる。発動のトリガーくらいはラルフロイの魂が自分の肉体になくてもどうにかできるだろう。
それだけでも面倒なのだが、厄介なのは対象である鳥の怪物が信用ならない奴であることだ。トリガーとなる行動を素直にとってくれるかどうか判らない。それにこの方法では一時的にラルフロイの体に怪物の魂が宿り肉体の支配権を与えてしまうことになる。その間にラルフロイの体への自傷行為やラルフロイの姿での悪事や変態行為でもされたらたまったものではない。憑依して自分の肉体が留守になり無防備になるのですら不安なのに、肉体の支配権をヤバい奴に委ねるなど言語道断である。
それを防ぐためにも精神交換を増やして怪物の意識を第三者の肉体に移しておいた方が無難であろう。自分と第三者、自分と入れ替わった第三者と怪物、最後に自分の魂を自分の体に戻しつつ怪物の意識を第三者の体に封じる。これであれば一度自分の体に魂が戻るので元に戻す魔法もあらかじめ準備しておく必要はない。その代わり、全部で六回も精神交換を行わねばならない。
第三者と怪物を入れ替えたままにしておいてラルフロイの魔力の回復を待ってもいいので魔力面での心配はいらないが、精神交換を繰り返すことでラルフロイの魂が磨耗する恐れがある。
前述の全四回のパターンでも第三者は計四回の精神交換が行われ磨耗が心配されるが、その場合は廃人になる前に新しい人を連れてくればいい。だがラルフロイは換えが利かない。怪物の肉体もそこまでして使いたいわけでもないのだ。
それに最大の欠点として、交換した相手同士の距離が一定以上離れてしまうと魔法が解けてしまう。交換状態を固定する方法が必要だ。それができる上でその第三者が元の肉体を捨てても良いというならその肉体に封じた怪物の魂ごと始末してもいいのだが……。精神交換したまま片方が死んだ場合どうなるか未知数なのが不安だ。
「何より俺が介在しないとならないのが面倒くさいんだよな。聖者とかいう魔法使いを見つけてやらせることができればだいぶ楽になるんだが」
しかし、ソーニャでも魔力は聖女としては優秀な部類だったというのだから、こっちの聖者にはあんまり期待できないかもしれない。
「悪魔みたいに書き込むだけで魔法が使えればいいのにね」
悪魔は書き込んだ魔法が使えるのであって、書き込んだから魔法が使えるようになったわけではないのだが。
思えば、今までただの人だったのが悪魔にされたことで魔法が使えるようになるのはなぜなのだろう。いや、それより今は。
「そう言えば、悪魔なら魔法が使えるんだよな」
そう呟き少し考え、ニヤリと笑うラルフロイ。クレイも察する。これは悪魔を作り出して憑依させるつもりだな、と。天使にせよ名前を変えただけの悪魔にせよ、犠牲者の存在ありきの魔法だ。クレイが余計なことを言ったせいで誰かが犠牲になってしまう。
ラルフロイにとってもその点がネックになって悪魔をあまり生み出せていない。怖いことを平気でやるイメージのラルフロイだが、これでも人命を軽く扱ったりはしないのだ。これまでも凶悪犯など捕まれば処される運命の連中を捕まえては使い捨ててきたが、無辜の民に犠牲は出していない。
怪物に憑依させる魂を確保するに当たっても、魔法使いに反発する程度ならともかく一般市民を襲いかねない凶悪犯では意味がない。善良とまではいかずとも普通で、従順であるべきだ。
そんな人物の命を摘み取り使い潰すのは気が引けるものの、その点については前例のようなものがある。まさに今悪魔になったばかりのダグとフェリニーだ。この二人が大臣によって魔法使いの身代わりに選ばれたのは不幸すぎてこのまま生きていても辛いだろうと判断されたからである。長らく治世が乱れていたアテルシアにはこのような恵まれざる者が少なからずいる。
「ふむ、試してみる価値はあるな」
明らかにラルフロイがろくでもないことを思いついたことは、女子たちには絶対内緒だと決めたクレイだった。
そして話題はようやく本題である技術の話になった。
「俺たちは何から何まで魔法に頼ってたから、機械なんてものには縁がなかった。でも島の外は思うように魔法も使えないし、ちょっとしたことは機械で代用していかないとな」
島にも時計などちょっとした絡繰りくらいの機構はあったが、それも動力はほぼ魔法だった。魔法なしでも複雑なことができる機械はなかなかに興味深い代物だ。
それに、機械とは違うが少ない魔力をやりくりすることに関してはアウズ教会の聖者たちが秀でている。今のところ元聖者にはソーニャくらいしか会っていないが、そのノウハウはいろいろ参考になる。
そして、宗教的なシステムもうまいこと練り込まれていた。こちらではカーパイノス達が意外にも何も考えないままにアウズのシステムをそのまま流用して悪魔教団を運営し、その結果クレイ達も祈りによる魂の力の譲渡・集積をはじめとして結構いろいろな恩恵を受けていた。ラルフロイも早速それを取り入れ活用している。
クレイらは祈られるとむずむずするので苦手だが、それは心理的なものに加えて集まってきた魔力が体に入ってくる感触でもある。特に魔力が有り余っていると体に染み込んでいかないので長いことむずむずするし、それでも入りきらなければ魔力はその辺りに漂うことになる。いざ魔法を使うときには魔力をかき集めることでこういう魔力も優先的に使っているわけだ。
アウズの教会は偶像に祈らせ、その偶像に祈りで生じた魔力を溜め込む装置を内蔵している。その方式は早速ラルフロイによって模倣されていた。それにより死刑囚の魂一人分に相当する魔力が数日で集まるようになっていた。
今のところ、偶像は首都近辺の大都市の悪魔教会にしか設置されていない。ラルフロイが直接魔法で出向いて回収するか乏しい輸送手段で時間とコストをかけて運ぶしかなく、魔力がたまっても回収が困難だ。国内各地を飛び回って溜めた魔力をかき集めても、その移動で魔力が消費されて元が取れない。
しかし魔導機関車などのインフラが整えば魔法を使わずとも国内各地から運べるようになる。そもそもその魔導機関車の動力に祈りの力を用いて、終点となる首都の駅で余剰分を回収するようにすれば――というのを考えているらしい。
偶像ならば、美化されすぎててちょっと見るのが恥ずかしい代物が、この町の教会や広場などにすでに立っている。それを利用してクレイたちも真似してみることにしたら、効果は劇的であった。偶像に祈られる度に偶像経由で本人に祈りが届けられ体がむずむずしてたのが、偶像の土台に仕込んだ装置に魔力が吸収されてむずむずしなくなった。
さすがに直接目の前で祈られるとむずむずするが、それも実に簡単な方法で解消できた。その装置というのがを水を入れた瓶を魔法陣にセットするだけであり、魔法陣のサイズも見開きのノートほどでも十分な効果があるので、手荷物に仕込んでおける。それでも祈られていることに対する落ち着かない感じはどうしようもないし、瓶の水が魔力でいっぱいになれば溢れてむずむずさせる側に回るが、それだけ我慢すればよくなったのは大きい。
そうやって溜め込んだ魔力だが、正直クレイたちに使いきれるものではなかった。ここら辺の信者は狂信者カーパイノスがまとめているだけあって、熱心であるにも程があるのだ。彼らの祈りでだだ余った魔力はどんどん溜め込んで、まとめてラルフロイに売りつけることになる。
さらに。ラルフロイとしても偶像がもっと欲しいというのであれば、この町なら森を切り開いたときに出た木材で木彫りの人形ならいくらでも作れる。田舎町の集会所に置いておくには十分だろう。溜まった魔力の回収の問題もあったはずなのだが……それは何とかなるだろうとのことだった。おそらく悪魔を増やすのだろう……どうやって増やすのかはきっと気にしては駄目だ。
そんな感じでラルフロイとクレイはいくつかの約束をした。木の偶像などの話はエリアたちとも共有するがいくつかの話は聞かなかったことにして他の人には内緒にしておくのが一番だろう、きっと。