マジカル冒険譚・マジカルアイル

40.天使であそぼう

 捕らえた天使の元が女の人だと分かったので天使の担当はエリアになった。クレイもこれまで通り手伝ったり思いついたことを試したりはするが、主にいじり回すのはエリアだ。特に、女子のセンスで服装を決めるのが最大の役目となろう。
 その天使は最初捕まえた時に魂の力をごっそり奪ってしまったし、その後実験用に与えておいた魔力も結構使ってしまった。人の姿は原寸大だと結構大きいので、その分幻影を維持するだけでも魔力の消費が激しい。当初光の玉に羽だけというシンプルかつコンパクトな姿だったのも節約のためだったと思えば納得だ。
 危なそうな魔法は使えなくしておいたし、そもそも無駄なことをすることはないはず。次の実験まで悪魔教団の預かりにしておくことにする。偶像のような扱いになり、祈りの力で魔力を溜め込んでおいてくれるだろう。
 それならば見た目ももう少し悪魔っぽくしておきたい。とは言うものの、悪魔と言う概念のない島で育ってきたエリアには悪魔についてイメージがない。そんな場合の裏技がある。白い服を着せた時にエリアの服の色違いになったように、ざっくりとした指定にするほど術者のイメージが影響するのだが、維持が長期に及ぶとだんだんとそのイメージが薄れていく。ましてや天使には魂がある。その魂が思い浮かべる悪魔の姿が少しずつ反映されていくことになる。さらには魔力を供給する者、つまりは信者やカーパイノスあたりも影響を与えていくと思われるがそれは秘密にしておいた方がいい。そんなことを知らせれば思いこみの強いあの連中にこの女性がどんな姿にされるかわかったものではないのだ。
 見た目の指定は"生前の姿を元にした黒い衣の悪魔"にしておいた。自分とお揃いにならないように服のイメージは頑張ったおかげで漆黒の法衣にできたが、他はほぼただの人だ。角が生えているという情報は記憶にあったのでチックホーンのような角が生えたが、元の顔が素朴で優しげなのと日頃のチックホーンの穏やかな印象に引っ張られ悪そうには見えない。今のところ「うしのおねえさん」である。これで乳が牛並みなら本当に牛女だった。
 こんなのでも悪魔教団は十分悪魔として認めてくれた。まあ見た目がただの人のエリアやクレイも悪魔扱いなのだ。この程度でも異形感が出ていれば十分か。意志を持つ悪魔だが、いくら祈ったところで反応するわけでもない。祭壇に鎮座する魔神像――ただのグレックの銅像である――と何ら変わらないのだった。

 アテルシア城のラルフロイにもエリアたちの行っている実験について伝えられた。
 天使を使った実験・検証でもラルフロイとは切り口ががらっと違う。ラルフロイは天使の本体である書物に書かれた内容に目が行って、天使そのものや天使にされた人になど興味はなかった。しかし天使そのものも使い道はありそうだ。ようやくそちらに目が向いたと言える。
 それでも、何かを手伝ってもらおうとか見た目を変えてみようなどと言うエリアたちとは方向性は違う。まずラルフロイが目を付けたのは情報源としてだ。天使が元々教会の人間なら教会の内情を聞き出せるかも知れないし、天使にされた時の記憶、ひいては天使を作り出す手順も分かるかも知れない。
 エリアたちは会話することを目標にしているが、ラルフロイとしては記憶だけ読み取れればいい。心の操作関連は得意分野である。さっくりと記憶を読み取らせてもらう。
 暴徒鎮圧という汚れ役を受け持っていたこの天使は、元は司祭だったが不正を働いて、言ってしまえば始末されたようだ。お前のような者でも役に立てるようにしてやると言われた後、儀式によって魂を抜かれた。その後の天使としての記憶はない。とりあえず分かったのは生きたまま魂を抜かれたということか。
 生前の他の記憶に興味はない――と思ったが念のために探りは入れておく。プルタラス王国北方教会で司祭をしていた男だ。貴族との癒着で甘い汁を吸い、貴族の専横を助長していた。とは言え教会としても高額寄付を行う者を優先するのは珍しくもない。
 問題になったのは寄付金の中抜きと信者たちからの苦情。中抜きも少額なら目こぼしされるし、苦情も多少なら注意くらいで済む。調子に乗って少しやり過ぎたわけだ。貴族としては大金を寄付しているのだからそれなりの見返りを求め、しかしその寄付は中抜きされているので教会が民を宥める苦労に見合わない。つまり、一番怒ったのは教会内部だった訳である。
 それは分かったが、やはりそれほど役に立つ情報でもない。こんな奴がのさばっていたプルタラス北部では教会の信用が落ちていそうだと言うことと、多少酷い目に遭わせても同情されなさそうな貴族がいると言うくらいか。それと、このような奴なら魂を弄って性格をそれこそもっと善良なものに変えてしまうのも気が咎めない。むしろ感謝して欲しいくらいだ。
 そしてそもそもプルタラスとはどこなのか。そういう一般常識はソノラに聞くに限る。
「隣の大陸の端っこにある国ね。とても遠い所よ」
 世界地図で見ると隣の大陸ではかなり近い部類に入る場所である。しかし小国だというアテルシアですら故郷のちっぽけな島に比べれば果てしなく、ラルフロイにして見れば端から端までいくのはうんざりする広さだし、先日行ってきたセドキアなど距離にしてアテルシア数個分だ。魔法なしで移動するなど考えられないし魔法を使っても相当な魔力が必要だ。数カ所を経由し一回あたりの魔力を押さえても各地点で魔力を集めたり行き先とゲートを繋いでおいたりと準備が必要で気軽には移動できない。
 セドキアを出発点にしても大変な距離だし、そもそも転移魔法の中継地点を作れない海が行く手を阻んでいる。どうやってこの海を越えたものか。そう考えると確かに遠い。と言うかこの世界はどれだけ広いのかと頭が痛くなる。ソノラが多分冗談で世界征服とか言っていたが御免被りたい。冗談じゃなく本気だったらそれこそ冗談じゃない。
 クレイたちは島に帰るために世界の裏側とやらを目指すつもりらしい。ラルフロイももちろんそのつもりだったがこっちはこっちで面白いので急ぐ気はない。帰るにしてもクレイの後を追っていく方が楽そうだ。そしてその場合プルタラスの近くも通るだろう。ついでにゲートでも開いてもらえば楽に行けるかも知れない。
 それにアテルシアにも高速船というものがある。魔法も使えない人間たちが科学と技術だけで魔法のような高速移動を実現しているのだ。これだけでは正直大したことはない。魔法ならもっと速い移動方もあるだろうし、魔法なら掛からない金が掛かってしまう。しかしそれも魔法で補助してやればもっとましになるはずだ。あるいは、魔法を科学技術で補助してもいいだろう。
 科学技術力もアテルシアはセドキアに及ばない。これもあっちのクレイたちに任せても良いのだが、この研究をするなら自分でやってみたい。単純に面白そうだからだ。アテルシアもセドキアに張り合うために造船技術だけはそれなりだ。その技術者は集めておきたい。
 魔法と科学の融合。便利そうではあるが、魔法を使えるのがラルフロイとグレックだけではどうしようもない。しかし、アウズの教会には聖者とか言う魔法使いが大勢いるという。島の外にも魔法の素質のある者はいるのだ。
 そして聖者は教会に属している者だけではなく、力は秘めているが眠らせている者が多くいる。教会アテルシアを狙っているのは、島から飛び出してきた魔法使いの子孫のような力を秘めた者を発掘するためらしい。つまり、この近くでもスカウトできる可能性が高いのだ。
 潜在的な魔法使いを集め、魔法科学を普及させる。島の魔法使いの補助なしでアテルシアとセドキア間の高速移動を行い、大陸間をも乗り越える。クレイたちの助けにもなるだろうがそれよりも自分が乗り込んで教会とやらのテリトリーで好き勝手をしてやろうと言うのが大きい。
 アウズ教のテリトリーに出向くとすれば、聖者の引き抜きが今のところの一番の目当てになるだろう。ソーニャのように教会に不満を持つ聖者は多そうだ。交渉で引き抜ければ苦労して探すまでもなく魔法の使い手を増やせる。
 もう一つ、魂の入手先の確保だ。ラルフロイの頑張りでアテルシア国内の治安は大幅に良くなった。ここは小さな国だ。人口も多くないので元々罪人も多くはない。長引く戦争と政治への不満で荒れていた国内は見違えるほど穏やかになった。
 そもそも元々はその荒れた国内を沈める生贄として罪人を魔法使いに仕立てて処刑してきたわけで、余計な不満を掻き立てるだけの悪人は急いで摘み取りがてら有難く利用されていた。僅かに残っていた大罪人もラルフロイが粗方狩り尽くし、罪があっても死を以て償わせるほどの者はそうそう居ない。その恐ろしい末路を知れば悪事から足を洗う者も多い。ラルフロイだって最低限の良識はあり罪無き市民を生贄にする趣味はないし、こいつならいいやと思えなければ魂を戴けないのだ。おかげでおもちゃにできる魂もなかなか手に入らない。
 近隣の国に頼んで罪人を捕まえさせてもらうという手もあるが、アテルシアほど国内情勢が荒れていた国はそうそうなく犯罪者の取り締まりごときに他国の手を借りる必要はない。罪人でも国民の命を他国に売り渡すような交渉には時間が掛かると思われた。何せ、魔王なんて訳の分からない者に支配された国など信用されない。引き渡した罪人を自国に嗾けて来ないという保証を誰ができるのか。そして、その交渉の間罪人の面倒を見なければならない。食事や警備の人件費も掛かれば脱獄の不安まである。それを考えればそんな交渉をするよりさっさと首を刎ねてしまった方が後腐れがない。
 それならば国交を結ぶ可能性の低い別大陸の国にお邪魔しこっそりやる方が確実だ。バレて問題になってもどうにもできないし、もちろん国がわざわざそいつらのために動く価値のなさそうな、むしろ感謝されるくらいの人間を選ぶつもりだ。どうせ天使を撃退したことで教会は魔王を敵と認定するだろう。その方が口実ができて助かるというものである。
「遠かろうが一度行ってみる価値はあるな。このプルタラスとかいう国に限らず、お隣の大陸にな」
「あんなところにも行けるの?魔法ってすごいのね」
「魔法だけじゃさすがに面倒だぜ」
 ラルフロイは考えていることをソノラに伝えた。
「男の子ってやっぱり機械が好きなのね」
 少し呆れ気味に言うソノラ。
「言うほど簡単じゃないわよ?この国の技術者だって、恥ずかしながらセドキアから奪って研究した船の真似と改造だから一から作り上げる技術はないと思うし」
「今ある奴を複製して改造することならできるってことだろう?それで上等だ」
 話を聞いていたスカイウォーカーも口を挟む。
「高速船は軍事技術だ。軍事技術として秘匿されていたが、その新しい船は別に隠すつもりはないんだろう?」
「まあな。引き抜いてきた聖者とか発掘した魔法使いに運用を任せるつもりだし、貨物船だろうが客船だろうが、使えそうな分野にはケチくさいこと言わずにガンガン投入してやるつもりだ」
「それなら研究にも開発製造にも人海戦術か使えるだろうよ」
「そうだな。せっかく支配者になったんだし、支配されている民衆を遊ばせておく意味もないしな」
 権力に興味がなかったラルフロイが、ついに権力を振るい出す時が来たのだった。

 こちらではついに。「うしのおねえさん」が言葉を話す時が来たのだった。
 ここまでの道のりは長かった。ただのエネルギー媒体としてしか機能していなかったほとんど自我がない状態の魂に、自我を戻すところから始めなければならなかった。意識を奪い夢現の状態にする魔法が聖書に書き記されていたのだが、これがいざという時に悪者を眠らせるためにではなく天使にされた魂を眠らせるために書き込まれていたことに気付き、その文言を消してみたのだ。
 変化はとても明確だった。それまでずっと目を閉じたまま立ち尽くしていた「うしのおねえさん」が目を開いたのだ。……まあ、目を開いただけなのだが。時々エリアやクレイのいる方向に目を向けるがそれ以上の行動はない。まだ敵意が残っていた場合に備えて殆どの魔法を使えなくしているからというのもあるが、行動を起こす理由やきっかけもないのだ。無駄な身動き一つにも魂の力を浪費する。今でこそ祈りの力で常に満ち満ちているとは言え浪費は避けるように設計されている。
 もちろん喋ることもないが、それはそもそも喋る機能を盛り込まれていないせいでもある。そもそも本なのだから喋ったらそっちの方が怖いのだ。喋らせるにはそのように書き加える必要がある。
 音を出させるというのは意外と難しい。まして声というのは無から作り出すのは至難の業なのだ。魔法で声を届けるとなると概ね自分で喋って発生させた声を離れた場所で再現することになる。今回はそもそも声が出せないのだから問題外だ。物質に干渉して鳴らすという手もある。近くにあるものを動かして物音を立てるわけだ。だがそんなのは合図くらいにしかならない。モールス信号のような手法は使えるだろうがさすがに面倒すぎた。
 手っ取り早い方法として心に直接言葉を届けるという方法である念話を採用した。頭の中に直接声が響くような感じがするので、使われるとすごくびっくりするやつだ。名乗ったりしないと誰からの念話なのかもわからず混乱する。
 誰かバレにくいのでいたずらにぴったりの魔法なのである。勇気が無くて思いを伝えられない相手に正体を隠して「好きです」と伝えたりすることもある。もちろん誰からのメッセージなのかは判らないが、だからこそだ。誰かバレないからそんな大胆なこともできるというわけだが、例えば念話が届いて見回したら目が合ったその発信者だけが慌てて目を逸らすみたいに態度などでバレることも多いのはご愛敬。そして三分の一くらいは友達からのただのいたずらだったりもする。誰かは分からないが好きだと言ってくれる人がいると思ってそわそわしてしまうわけである。まあこれもやけにニヤニヤしている友達がいたりして態度でバレがちだ。
「あなたのお名前はなんて言うんですか」
 グレックに言われた通りエリアが念じながら話しかける。念じないとこちらの声は届かないかもしれないのだ。
『私はカタリナ=アインリヒトです』
 穏やかそうな声がエリアの頭に響いた。この声がこの人の生前の声――というわけではない。エリアの頭に届くのは言葉ですらなく彼女の伝えたいニュアンスだけだ。それが頭の中で言葉そして声として構築され認識される。最初に名乗っておけばその人の声で再生されるが、それがないと”そういうことを言いそうな人”の声で再生されることになる。
 この場合、見た目からこの人はこんな声だろうとエリアのイメージした声なのだ。なのでクレイには別な声で、喋り方すら違って聞こえているかも知れないのだ。
「あなたのことをもっと教えてください」
『ソンバイク村で生まれて15歳からアルマンダムの教会に奉仕しました。少しでもみなさんの役に立てるように司祭様の提案を受け、身を委ねることになりました』
 地名などが全くピンと来ないのは仕方がないとして、身を委ねるというのは天使になるということを指すのだろうか。
「これから何がしたいというような希望はありますか」
 まだ自主的に行動するようなことはないので、質問しないと何も喋ってくれない。どのような天使――もとい悪魔にしていくかを聞き出していくのだが。
『みなさまのお役に立てればそれが何よりです』
 悪魔として見た目や呼び方をいくら弄ってみたところで中身は天使のままだった。と言うか、ラルフロイが捕まえて調べた天使の中身は欲に塗れた生臭坊主で魂を抜かれても仕方がないような輩だったはずだが、この人からは純粋で清らかな感じしかしない。ラルフロイのように心根まで読みとれたら何か違うのかも知れないが……ますますなぜ天使にされたのか気になる。
 悪い人ではなさそうなのでもう少し色々できるように調整するとして、最後に。
「何か質問はありますか」
『いくつか聞きたいことがあります』
「どうぞ」
『私はなぜこんな格好をしているのでしょう』
 感覚もないし当然開いたところで目も見えないはずだが、自分の姿は分かるようだ。
「今のあなたは悪魔ということになっているので、それっぽい角が」
『その辺の事情はなんとなく。それで角もそうですが、この破廉恥な服は……?』
 そうなのである。実はここ数日の間に外見をちょっとリニューアルしてあった。悪魔というものの認識不足を解消すべく、エリアは改めて聞き取りを行っていた。
 カーパイノスたちの意見は女悪魔と言えば聖職者をはじめとする男たちをその魅力で惑わし堕落させるものだという。全裸もしくは扇情的な服装が相応しいとのこと。さすがに全裸は可哀想だしクレイをはじめとする男の子に見せられなくなるので扇情的な服というのを着せることにした。
 問題は扇情的な服がエリアにはうまくイメージできなかったことだ。しかし身近な何人かに相談した結果、大体の人からソーニャの名前が出たのでとってもイメージしやすかった反面、ソーニャのお揃い以外イメージできない状態に陥った。まあ、仕方がない。
 そんなわけで今カタリナはソーニャのような服を着せられているのだ。この服を破廉恥だという事はすなわち、ソーニャの服装も破廉恥だと言ってるに等しいが気にしてはいけない。その通りなのだし。
「ええと、まあ悪魔ですから」
 意見を述べたカーパイノスやわかりやすく扇情的だったソーニャなどのせいにはできるが、結局はそういう意見を採り入れざるを得なかったエリアの至らなさのせいだった。なので全力で誤魔化す。
「と言うか、自分の姿が見えているんですか」
『何となく感じるんです』
 この辺はまだ誰も検証したりしていないので初耳である。
「私たちのことも分かるんですか。どこに誰がいるとか、この部屋の様子とか」
『人がいればその魂を感じるみたいです。そこにいる男の人も感じます』
 ギクッとするクレイ。色っぽい服装の――服装以外の色気が足りないが――女性を前に、感覚がないと言う言葉を信じて息を潜めていたが丸バレだったのだ。
『考えていることも少しは伝わってくるみたいです』
 何を考えていたのかクレイが慌て始めた。
「クレイが何を考えてるかわかるの?」
『私のことを色っぽくないとか、エリアさんよりは大きいけどすぐに抜かれそうだとか』
「胸のことよね!?」
『はい、そうです』
 別にカタリナに聞いたわけではないが淀みなく答えた。平手打ちをかまそうとするエリアとクレイとの追いかけっこが始まった。
「エリアが何を考えているかも教えて!」
 追いかけっこで勝てるわけがなかったクレイがせめてもの反撃と質問をする。今のところカタリナの返答にさほど自由意志はないので女の子同士だからと肩を持ってくれることもない。エリアは対策を打つ。
『心を無に。心を無に。よし、成功』
 考えを読まれるなら何も考えなければいいのだ。そういいつつ心を無にとか考えていたのが伝わってしまっているがこのくらいは問題はない。
『クレイは一度お尻くらいは丸出しにしてやらないと気が済まない』
「あら」
「ひっ」
 もう終わったと油断した。まあ、自分の口からではなく脅しがかけられたので良しとしておく。
「ふう、考えていることを読みとれるのは何とかしておいた方がいいわね」
『できるならそうしてください。知りたくないことまで知るのはいい気分ではありません』
 カタリナに話しかけたわけではないが、カタリナの意思も確認できた。それなら何とかした方がいいだろう。そして、この話はとっとと終わりにする。
「他に聞きたいことは?」
『私、捕まったんですよね?』
「えーと、捕まったというか保護されたというか……」
 まあ、その後実験台にしている扱いからして限りなく捕獲寄りだろう。
『何をして捕まったんでしょう。というか私、何かしてしまいましたか』
「別に何かしたから捕まえた訳じゃないんですけど……」
 捕まえた事実は認めてしまった。追いかけてきた連中とセットだったので捕まえたというだけなのだが、話を聞いてみるとどうも自分が誰かを傷つけるような行為をしてしまったのではないかと危惧しているようだった。
 天使にされてからは意識がはっきりしていないし感覚もほとんどないが、魂だけは感じてきた。普通はぼんやりと近くに人がいると感じるくらいだが、至近距離なら感情くらいは伝わってくる。そして、特に敵意や害意に関しては結構な距離からでも感じるようになっていた。司祭団を守護するように設計された天使だったので、外敵を探す能力に長けていたのだ。
 もちろんただ敵意や害意があれば攻撃する訳ではない。異境の地では異国人や異教徒というだけで反感を持たれがちだ。無知であるならもちろん、異教徒狩りを行っていたアウズ教会の過去を知っていればなおさら。そう言った場合の交流は当然最初は交渉から入るが、天使が先制攻撃してしまえばその道は絶たれる。なので警戒はするが行動は相手が動いてからだ。
 一番激しい敵意を向けられたのはごく最近。どう考えても彼女を捕獲するに至った一幕だった。その時、定められた通りに反撃行為を行ったはずだという。
 確かに、行動は起こしたのだろう。ただし、クレイたちの先制攻撃で力をギリギリまで奪われた行動不能状態で。よって、天使に何かされた記憶はない。
 それ以前のことは知らないので司祭団の人にでも聞いてみればいいだろう。もっともアテルシアに居た頃から同じ司祭団に同行していた保証もないが。
 今日の所はこんなところでお開きにし、再びカーパイノス達に預けておく。とりあえず、喋れるようになったことは秘密にしておいた。断ることも逃げることもできないのにこの思いこみの激しい暑苦しいおじさん達の相手をさせるのは些か可哀想だったからだ。
 折角なので、天使の過去について一緒に旅をしていた新入り悪魔教団員に聞いてみた。足が攣った時に治してくれたとかそういう活躍はあるが、悪魔軍団の襲撃以外には危険に巻き込まれた覚えはないので反撃などの戦闘行為を見たことはないようだ。ただし、アテルシアでは複数の天使が並んでいる場面も見ているので、そういう時に入れ替わりが起こっても気付かない。ずっと同じ天使がついてきていたかはわからないらしい。
 そもそもアテルシアにくる前に何かさせられていることもあり得る。とりあえず、わかる範囲では何もしていないということだが、ちょっと不安は残る結果だった。

 さほど久々でもないが、ラッカ・ラ・バノンセドキアに魔王がやってきた。別荘地として休日を過ごすのにちょうどいいから来たというのに、休ませては貰えないのが魔王の辛い所である。歓迎の祭典が盛大に開かれる中、今回の訪問の本題について会談が開かれる。主役が抜け出しても祭典は勝手に続いていく。
 エリアとしては極めて複雑な気持ちだ。ラルフロイが来るのはあまり嬉しくないがソノラが来るのは嬉しい。ソノラとだけ遊んでいられればそれが何よりなのだが、今回ラルフロイが相談したい相手はエリアなのである。エリアが指名されたわけではなく、こちらで天使を主に預かっている人に話があるということでそれがエリアだったわけだ。仕方がない。それにちょうどラルフロイには頼みたいこともあったのだ。
 会議室には島出身者が一堂に会する。ほかにも数人同席者がいた。
 まずは天使に関するそれぞれの研究について報告しあう。エリア達の研究は一目瞭然だ。何せ実験台にされて悪魔になり果てた天使の現物がここにいる。ソノラが身を乗り出して眺めていた。
 ラルフロイは天使の過去、生前の記憶について。しかしそれについてはすでに報告されていたので軽く流す。天使そのものより、そこから想像を飛ばして思いついた魔法と技術の融合の研究への協力を切り出した。そこはさすがは男の子といった感じでクレイが食いついた。
 そして、ついでといった感じで用済みになった天使の扱いについて問われる。
「俺としては別にこんなものを改造してまで使うつもりはねえ。教会さんも生かしておく価値なしとしてこんな体にした野郎だ。そっちで何かに使いたいというわけじゃなければエネルギーとして利用するだけなんだが」
 ラルフロイは小さなナミリエもいるので表現をぼかしたが。
「殺して魂だけ搾り取ろうってことよね。好きにすれば?」
 配慮は無意味だった。ナミリエはこの通り興味も容赦もないが、エリアはさすがにそれはちょっとと思うのだ。
「ふう。何か使い道くらいはあるかも知れないし、貰っておくわ」
「いいのか?ゲスいオッサンだぞ」
 それはそうなのかも知れないが、決してゲスい兄さんが言っていい言葉ではない。
「いいわ。元がろくでなしでも与えられた命令だけさせる分には問題ないもの」
 自由意志さえ与えなければいいのだ。そして話の流れ的にもエリアの用件を切り出すにもちょうどいい。
「こっちも一つ頼みたいことがあるのよ。カタリナさん……この悪魔というか元天使の人なんだけど、話してみた感じじゃ普通にいい人っぽいのよね。でも、天使にされた以上何か事情があったと思うのよ。このオッサンの記憶を読んだようにこの人の事情も探ってほしいんだけど」
 カタリナも自由意志を持たせるには危険な本性を隠し持っているかもしれない。ラルフロイにこんなことを頼むのは癪だし何もなければカタリナにも悪いとは思うが念のためだ。
「そんなことか。お安い御用だぜ」
 早速この場でやってくれるようである。人の記憶も読める魔法のようだし、ナミリエが覚えてしまったりしたら……いや、杞憂だ。一回や二回聞いた位で覚えられるようなぬるい呪文ではない。
「何でこんな呪文を覚えてるのかしらね」
 呆れるエリア。それに応答するのはグレックだ。
「丸暗記ではなくある程度は自分で組み立てているみたいだぞ。それにしても心に関する魔法など学校で教えることはないだろうが。こんな魔法に関する文献が島にもあったということか」
 本人が口を挟めないことをいいことに言いたい放題である。呆れられるのは慣れっこなのでラルフロイも気にせず粛々と作業を行う。
「とことん真面目な女みたいだな……。平凡な信心深い村娘、村の教会でシスターとしての奉仕を始め、町の教会に。……給料安いな、やってらんねえだろこんなの」
「欲深いあんたの基準で考えたらそうでしょうね」
 念のために言っておくと教会の聖職者は修道士も含めて衣食住は提供されるし、自分のことをする時間はない。無給でも問題ないくらいだ。金が出るのは老後の積み立てや親兄弟への支援のためである。
「ふうん。町の教会ではさらなる出世のために司祭様の女になれって口説かれてたみたいだな。しかしこの姉ちゃんは信心だけで出世欲なんてものはなかったし、そんなもののためにおっさんに抱かれる価値はないとやり過ごしたみたいだな。天使にされたのもその腹いせなんじゃないか?」
 心を読む呪文よりこの話の方がよっぽどナミリエに聞かせられなかったがもう手遅れだ。
 実際のところ、彼女の記憶を辿るだけでは誘いを突っぱねたのと天使にされたことが繋がっているのかはわからない。しかし、悪徳生臭坊主の処刑にも使われているような天使化である。彼女がそこまでの悪者でない以上、他の考え方もできないのだ。
「どう考えてもその司祭の方が天使にされるべきだと思うんだけど」
 憤慨するエリア。ソーニャにも意見を求めてみた。
「町の教会の司祭くらいじゃ出世の口利きったってせいぜい修道長でしょ。聖女でもないなら子供を産んでも特別な価値なんてないし、不貞を働いた聖職者として追放されるだけ。父親の方が反省するようなタマなら一緒に追放だけど、まあ大体は子供ができたのバレる前に口封じされて行方知れずね」
 もちろんそれは極端な場合だ。そもそも妊娠されないように男のほうだって用心はする。万一妊娠してしまったときの口封じと言っても物の言えない体にしてしまうばかりではなく、子供が産まれるまで金を握らせて余所の町に隠れてもらったりと言った感じで対処されることが多い。司祭程度の小者なら人の命を軽んじるような大それたことをする悪党もそうそういないのだ。そんなことをしておいて揉み消すだけの力もないし、バレたらそれこそ自分の方が天使にでもされて存在を揉み消されてしまう。
 なのでソーニャの意見も参考にならないのだが、大した口利きができないというのは確かだ。ともあれ、悪いことをしたわけでもないのに天使にされたという事実は確定だと思っていいだろう。
 カタリナ本人から探り出せる情報をもう少し調べたところ、その司祭から天使になるかどうかを打診され、自分の意志でその道を選択したことはわかった。無理やりでないのはせめてもの救いだろう。
「魂を抜かれた体はどうなったのかしらね」
 ふとエリアが気になったことをそのまま口にした。
「そっか。無防備で好き放題できそうよね」
 子供が思いついてはいけないことをナミリエが言う。
「ははあん。それが目当てってことね……」
 ソーニャも納得したが、エリアが言いたかったのはそうではないのだ。魂を抜かれたことで死んでしまったのか、それとも魂を戻せば目を覚ますのか。これまで死んでしまうという前提で考えていたのだが、カタリナは死んでしまうことにも同意したのか、それともそこは伏せられて何も知らないまま受け入れたのか。そう考えていたら、そもそも本当に死んでしまうのかが気になったのだ。
 なお、どっちであったとしてもナミリエたちの言う体が無防備問題には大した影響はない。
「生きたまま魂を抜く方法があるかも知れないってか。そいつは……何かに使えるかもな」
 考え込むラルフロイ。エリアは思った。このメンバーに投げかける疑問じゃなかったと。
 そしてエリアは重大なミスに気付いていない。エリアはカタリナが人の考えまで感じられることにいずれ対処しようと思っている。つまり今はまだ未対処だった。今日の話し合いも丸ごと聞かれていたのである。女たちの忌憚無き会話で年頃の男の子らしく色々想像しちゃっているクレイのイメージまで込みで。
 あまりにも明確に、悪魔たちがカタリナにずっと信じていた教会への疑心を抱かせようとしている。そうだとは分かっているのだが、司祭の下心は純真な乙女ながらに察していたので、悪魔たちの言葉はカタリナの真っ白な心に黒い染みを作っていく。天使はこうして悪魔たちに堕落させられていくものなのだ。周りの悪魔たちにそんな意図はないにも関わらず。