マジカル冒険譚・マジカルアイル

39.残党狩り


 魔王一行はその夜のうちにアテルシアに帰って行った。現支配者の魔王や先王親子を宿泊させられるほど立派な設備もないし、そもそも一瞬でここに現れたように一瞬で帰ることもできるのだ。無理に泊まることもない。日帰りの国外旅行。魔王に相応しい所業と言えよう。
 エリアとナミリエはソノラと友達になった。ラルフロイはすっかり打ち解けている3人を見て、またここに来る時にソノラを伴うことになっても二人に押しつけられるとほくそ笑んだが、甘い考えである。ここにソノラの友達ができた以上、その友達に会うために実質唯一の移動手段であるラルフロイに同行するのを断りにくくなっただけだった。
 ただラルフロイについて行きたいというだけならラルフロイの一存で撥ね付けられるが、友達に会いたいというのはラルフロイが口出ししていい話でもない。そこまで縛り付けるからにはそれなりの代償があって然るべきだし、縛りつけられるくらいには親密な関係性だって築いておくべき。そして、友達と会った後ラルフロイに付き纏おうがそんなのは本人の自由なのである。
 そのようなことを、ナミリエの発案でラルフロイに吹き込んでやると顔を引きつらせていた。あの小憎らしいラルフロイがたじたじである。ちょっと気持ちいいエリアだった。
 翌日には早速話題になっていた魔王城の建築プロジェクトが動き始めた。町の中心に建つ予定だった公会堂や悪魔教会、役場などを一纏めにするので結構な敷地が確保できた。半分以上を庭園にしても結構な大きさの建物ができそうだ。
 話し合ううちにさらに魔王城の機能が増えることになった。いくつかの建物を建てる予定で確保されていた広い土地だが、結局建つのはそれをまとめた一つの建物だけ。階層も増えるので、小さな町の公会堂をさらに組み込んだところで消費しきれないスペース。大都市なら行政施設だけでも結構なものになるが村に毛が生えた程度の田舎町にでかい建物を建てても詰め込むものがないのだ。
 最初はエリアたちにもここに住まないかと打診があったのだ。エリアとしてはたまにしか来ないとは言えどもラルフロイと一つ屋根の下などお断りだ。クレイは別にそこにはこだわってないしナミリエはクレイの近くに住めるとなればたまにしか来ないラルフロイなど眼中にすらない。
 しかし、そもそもの話である。クレイたちはここに永住する気はない。今ならそれも悪くはないと思えるものの、すぐ帰るつもりで外の世界に出てきたのだ。それに今はナミリエいる。幼いナミリエはちゃんとおうちに帰さねば。つまり、ここは家ではなく、滞在場所なのである。
 滞在と言えば、宿である。有り余る魔王城の一角を観光ホテルとして整備することになった。結局、エリアの滞在場所もここにせざるを得なくなり、結局魔王の手から逃れきれなかった。

 世界の裏側にもすぐたどり着けると思っていて、こんなに世界が広いとは思っていなかった。世界の裏側の大陸にようやく少し近付けたところ、まだまだ遠い。この調子だと幼いナミリエも島に帰れる頃には素敵なレディーになっていそうだ。であればますますここでのんびりしている場合ではないのだ。
 早速クレイたちがラッカ・ラ・バノンセドキアを出発する時が来た。とは言え世界の裏側への旅路ではない。ちょっとした野暮用である。
 今やすっかり悪魔教団の教祖として馴染んできたカーパイノスとその従者たちだが、彼らがここにいるのは勘違いと人違いである。天使を引き連れたアテルシア軍の残党が迫っているとの情報を元に、無関係だが天使を連れていたカーパイノス達が向かい撃たれたのである。
 そのお詫びに保護した結果が今の有様なのだが、そもそもその天使を連れた残党と言うのを未だに見かけていない。元々あやふやな情報ではあったが、その後の調査でその一団は確かに存在することが確認されていた。
 アテルシアから高速艇で追いかけてきていた残党の一団だが、セドキアからすれば敵国の軍船だ。海の上では速くて自由自在に動けよる。ソーニャはその機動力で先回りすることを警戒していたが、先回りできるのは海沿いだけだ。敵扱いなのだから上陸するために接岸するのは一苦労だ。開拓団一行が鉄道で内陸に向かった時点で詰んでいた。
 だからと言って海上に居続ける意味はないし、燃料だって限りがあるのでいつまでも居られない。動けるうちに頑張って上陸しないと高速艇も漂流しながら沈没を待つ鉄の檻に成り果ててしまう。
 そして上陸してもその先の移動手段があるわけではない。そこで路銀稼ぎのために山賊紛いのことでもしていればすぐに見つかったのだろうが、高速艇を乗り捨ててからは目立たぬように動いていたようだ。
 最後に目撃されたのは貨物列車への集団無賃乗車騒動だった。貨物列車に紛れ込んだ人に気付いて機関士が怒鳴りつけたところ、十人をゆうに越える集団がぞろぞろと列車から飛び降りたという。その時足を負傷した者は見捨てられたらしく死体で見つかり、怒鳴りつけた機関士は申し訳ない気分になったそうである。
 それが数日前のこと。その後も決死の無賃乗車を繰り返していればもっと近くに来ていただろうが、犠牲者が出てさすがにそれは諦めたようだ。今は街道も避けてひっそりと移動している。
 ひっそりと移動しているのに居場所が筒抜けなのは彼らに助力してくれている有り難い聖騎士様のおかげである。魔力だけで存在しているものなので、魔力が駄々洩れなのである。その魔力を辿れば見つけるのは簡単だった。聖騎士を連れていて勘違いされて襲撃を受けたカーパイノスたちといい、聖騎士がいるとろくなことがない。
 彼らは近々ガラファナに至るだろう。しかし所持金もほとんど使い果たしているので町に入ってもできることは何もない。畑で野菜泥棒ができるだけ郊外の方がましな有様だ。
 そんな調子でラッカ・ラ・バノンセドキアに到達したところで何ができるというのか。最悪畑泥棒で食い繋ぐことがない森を抜けられず全滅、森を抜けても魔王城建築のための工具を持った町人にボコボコにされるのがオチだ。可愛らしいお姫様や無能の王と違いこの軍人崩れどもはバンフォ焼き討ちの実行者に近しいのだ。元バンフォ住民の前で少しでも敵意を見せようものなら容赦などされまい。
 こんな先の暗い旅はとっとと幕引きにしてやろう。クレイたちのミッションは彼らの保護、もしくは捕縛である。始末することになってしまったらラルフロイを呼び寄せることになるのでそうならないように祈ろう。

 出撃するメンバーを決めるのだが、ソーニャはカーパイノスの時にやらかしている。交渉すると言いながら自己紹介を魔女丸出しの浮遊状態で行い警戒させ、即交戦状態に導いた。戦力としても微妙なので今回はお留守番である。
 戦端を開いたナミリエも同罪だが置いていくと拗ねるのでやむなく連れて行く。これでまた何かやらかしたらお仕置きとして一週間ラルフロイに預けることになるだろう。そうなったらラルフロイもいい迷惑だろう。誰も得しない。
 相手がアテルシア軍なので護衛も兼ねた交渉役としてサマカルドとロゼフも同行。交渉が決裂した場合の恫喝役にテラーファングもつけた。クレイとエリアに加えてこの4名の計6名で迎え撃つ。
 ガラファナまでは転移ゲートで一っ飛びである。このゲートのおかげで日帰りの買い物が実現しているのだが、ガラファナの住人には内緒だ。
 街道を避けて動いているようなのでルートの特定が難しいが、天使から駄々洩れの魔力の位置を探れば天使の現在位置は簡単に割り出せた。街道の隣の田舎道を歩いている。その道からさらに逸れた林の中に誘い込むことにする。
 相手の人数や武装、戦意などが不明なのでこの6名で足りるかどうかは不明だが、いざとなったらすぐに逃げられるように準備しておく。こちらは待ち伏せなので準備する時間があるのも有利だ。罠を仕掛けておくこともできるだろう。おびき寄せて誘い込むつもりだ。
 おとり役にはナミリエが名乗り出た。天使が子供を食うのはわかっているしナミリエは実際一度食われかけている。釣り餌としては十分魅力的だろうし、食いつかれたときに自力で対処だってできるのである。もちろん、一人で行かせるような無謀なことはしない。おもり……否護衛としてテラーファングが付き添う。クレイとエリアは林の中で交渉が決裂したときのための罠の準備を始めた。
「しかし、大丈夫ですかねぇナミリエちゃん。この前も先制攻撃を仕掛けたのあの子でしょう?今回も暴走しなけりゃいいけど」
 おもりには向いてても護衛には頼りなく、待機組になって手持ちぶさたなロゼフがぼそっと言った。今更ながら、ナミリエの場合は自身の身の安全と同じくらいそっちの心配も必要であることを思い出す。あの時は一緒にいた大人がソーニャだったが、ナミリエを止めようともしなかった。なので今回はお留守番に回されたが、テラーファングなら。……だめだ、止めようとする姿がイメージできない。
 ソーニャが手順を間違って結果として煽ってしまうタイプならテラーファングは意図的に煽るタイプである。自己志願と消去法だがそれにしても最悪の人選だった。しかし、改めて考えても他の選択肢もないのだ。いや、サマカルドが出向くという手はあったか。おびき寄せるより先に交渉になるのが難点だが。
 できるだけ穏便にここに連れてきてくれることを祈るばかりだが……。ナミリエの悲鳴が聞こえた。願いは虚しかったようである。

 ここまでは苦難の道のりだった。
 アテルシアが誇る海軍でも戦艦部隊と双璧の花形と自負する高速艇部隊だったが、その誇りはずたずたに傷つけられた。海の上にいる間に国内の情勢は一転していたのだ。
 気付かない間に軍の悪事が暴かれて軍に逆風が吹き荒れていた。海軍にとっては身に覚えがないことだ。海軍は主にセドキアとの戦いに明け暮れていたのだから。しかし主ではない任務の方が問題であった。戦艦部隊も捕らえた魔法使いの尋問に当たった兵士が問題ありで、間違った正義感と嗜虐性でいきすぎた拷問を行ったのが発覚したが、高速艇部隊は高速艇部隊で大臣お抱えの秘密部隊とやらを各地に送り出し、その秘密部隊が悪事を働いていたのである。
 確かに、大臣の命令で部隊を運んだ記憶はある。しかし彼らの仕事はその機動力を活かして部隊を迅速に送り出すだけ。送り出した部隊が何をしているのかなど関知していない。まして相手が秘密部隊であれば当然なのだろう。
 しかし秘密部隊の存在とその所行が暴かれた。そうなると輸送しかしていない高速艇部隊も市民からみれば同罪として扱われることになる。ある日突然港から追い出されるようになった。その理由を突き止めるのに人目に付かぬ海岸から上陸し、変装して町に潜り込みまでしたのである。新聞を読むだけで大体の事情はわかったが頭の痛い問題だった。
 栄光ある高速艇部隊は逃亡者そのものの日々を強いられた。国内の情勢はどんどん荒れて各地で暴動が起こる。こうなるとますます自分たちの正体を知られるわけにはいかなくなった。高速艇部隊だとバレれば袋叩きに遭うだろう。
 そんな中近付いてきたのがアウズ教会の一団であった。アウズ教会は王に協力し暴動を抑えようとしたがあまりうまくいかず、体制側の協力者として市民に敵視されるようになった。各地に派遣されていた天使を含む司祭団は、連携もとれず各個撤退や逃亡を決断していた。高速艇部隊に接触してきたのもその中の一つである。アウズ教会の一団の目的は国外逃亡である。それにより高速艇部隊も国外に逃れる決断をする。
そうなると問題なのは物資である。食料も燃料も心許ない。高速艇部隊は誇りも正義もかなぐり捨てて略奪行為を行った。こうして準備を整えるとアテルシアをさっさと後にした。
 彼らは実は危なかったのである。ちょうどそのころ魔王ラルフロイが出現していた。まもなく魂を抜き取る生け贄を求めて罪人を集めるところ、アテルシア国内にもう少しでも留まっていれば絶好の獲物にされていた。まあ人の命を奪うのは踏み止まったので、ラルフロイもまた命までは取らなかっただろうが。
 アテルシアから逃げ出したが行き先は決まっていなかった。行き先で迷うことになるが、議論の末意見がまとまった。こんなことになったのはバンフォの一件が騒がれたのが原因だ。そのバンフォの死に損ないはよりによって魔法使いの手引きで敵国に逃れようとしている。これは放置できない、追うべきだ。教会勢にとっても天使狩りの魔法使いに仲間がやられた仇のようなもの、さらにはアテルシアの魔法使いを確保するように密かに言われていたのでその提案に乗ったのである。
 だが、敵国に入り込んで行動するのが簡単であるわけがない。特に入り込むのが一苦労だ。敵国の軍船が堂々と港を使えるわけがない。人目を避けて人里から離れた海岸に上陸した。上陸そのものはすんなりできたがその上陸場所を見つけるまでが大変だったし、上陸してからもまず道に出るまでが大変だった。その後もずっと徒歩だし、目立つ街道は避けていた。汽車で内陸まで移動した流民たちに追いつくはずもない。
 自分たちも汽車が使えればどれほどよかったか。しかし、良心的な運賃さえも払えないし、宿代どころか飯代さえ持ち合わせていないのだ。街道を避けて田舎道を歩いていたおかげで沿道の畑から野菜泥棒で食い繋げたようなもの。
 もはや旅の目的すら記憶は朧だ。今の目的はただ生き延びること。だがそんな忘れかけていた本来の目的が向こうから近付いてきたのだった。
 人気のない田舎道だが、一つの人影があった。小さな子供だ。子供が一人で遊ぶような場所でもないし、迷子だろうか。子供は林に続く小道に入っていく。ますます子供が一人でいくところではない。あの林の中に家でもあるのだろうか。
 と、林の中で怪しい影が動いた。木陰に隠れていた男がこそこそと動いたのだ。片目を黒い眼帯で隠したいかにも怪しい悪人風の男である。風体だけでも怪しいのに動きまで怪しいのだ。完全に怪しい。
 子供は小道の途中で振り返りこっちを見たまま足を止めた。なるほど、林の小道に行こうとしたわけではないのか。歩いていたら見慣れない男の集団が前から近づいてきたので脇道に逃げたのだ。ならばこのまま通り過ぎてやるのが正しいのだろう。ただし、その背後に身を隠す怪しい男の存在がないのなら。敵国民だからといって敵意のない民間人を進んで傷つけようという気持ちはないし、ましてそれが子供なら。ただでさえ自分たちのせいで自国民に危害が加えられたことが発覚した後である。少しセンシティブになってるのだ。
 どうするのが正解なのか。このまま通り過ぎて子供がこの道に戻ったところをあの男が襲ったとして、すぐに引き返せば間に合う。下手に小道に向かえば子供は林に逃げ込もうとして男の思うつぼになりかねない。そう結論が出かけたのだが。
 そもそも、子供の目的地が林の中である可能性も消えていないと指摘があった。見慣れぬ来訪者を足を止めて眺めているだけで、通り過ぎれば怪しい男の潜む林に入ってしまう、そんな可能性。それがある以上、やはり捨ておけはしない。子供を怖がらせてしまうとしても林に向かいあの怪しい男を何とかせねばならない。
 あの手の悪党は単独なら特に人目のあるところで悪事を働こうなどとは思うまい。ましてこの人数で向かっていけば尻尾を巻いて逃げるはず。しかし先に逃げ出したのは子供のほう。林に逃げ込んだ子供を怪しい男も追いかけて走り出す。
 あれ。もしかしてあの子の関係者?親御さんとか?それとも我々利用された?人攫いの片棒担がされた?そんな疑問が渦巻きだし少し混乱した彼らの目の前で異常な出来事が起こる。怪しい男が突然犬いや狼に姿を変えたのである。何が起きたのか理解不能であり大混乱である。しかし、すべきことはむしろ明確になった。子供を咥え込み今にも一飲みにしそうな狼を退治する、それだけだ。

 テラーファングをお供に意気揚々と囮作戦に乗り出したナミリエだが、その実ノープランである。自分のような天使にとって食べ頃の子供がいれば絶対に食いつくという、実体験が根拠の予測だけを頼りに動いていた。子供を襲わずカーパイノス達についてきていた武装天使・聖騎士が存在していた時点でその根拠は破綻していた。
 テラーファングは最悪子供を狙う悪党か化け物としておびき寄せることも考えていたが、敵国で事件が起ころうと知ったことかと思われたら空振りに終わるだろう。その時はナミリエに「助けなさいよ!」と一発ぶちかまさせればいい。ソーニャ達のお留守番が無駄になるが目的だけは果たせるし、子供を見殺しにするろくでなし達へのお仕置きということにすれば言い訳は立つ。認められるどうかはともかく。
 幸い、そんな無茶な策を弄するまでもなく餌に食いついてくれたようである。逃げるナミリエとそれを追う男達。いくらお転婆娘でも子供の足、訓練された軍人の足ではすぐに追いつかれる。しかしこんな時のためにテラーファングがいるのだ。
「俺の出番だな!さあ、乗りな!」
 狼に変じナミリエの前で伏せたテラーファングの背に恐る恐るまたがるナミリエ。テラーファングは立ち上がり、駆け出す。
「んにゃっ」
 あっさりと振り落とされるナミリエ。
「何やってんだ、あーもうしょうがねえな!」
 もう一度背中に乗せる余裕はない。テラーファングはナミリエの足を咥えて引っ張り上げ、空中に投げ上げる。
「ひゃ!?」
 そして大口を開けてナミリエの腹を咥える。落ちないことを確認すると猛ダッシュを始めた。ナミリエの鼻先を地面が高速で流れていく。
「んぎゃああああああ!」
 クレイの前で服が透けたとき以来の大絶叫をあげるナミリエ。あっという間にクレイたちが待つ場所に戻ることができた。
「もう大丈夫だぜ」
 地面にナミリエを置くとそう呼びかけるテラーファングだが、もう大丈夫と言うよりとっくにもう駄目だったようで、ナミリエはぴくりともしない。うん、調子に乗ってやりすぎるよりは寝ててくれた方がましだな。テラーファングは気にしないことにする。

 追っ手たちの前に立ちふさがったエリアが準備して置いた魔法を発動させた。道の横に生えていた木がめきめきと音を立てながら折れ、倒れ込んで道を塞いだ。タイミングがあまり良くなく、倒れる木が何人か巻き込みそうになったが、どうにか避けてくれたようで怪我人はいない。
 ただでさえ人間が狼に変じる怪現象の後。混乱しかけていたところに自分たちを狙うように倒れ込んできた木。明らかにこの場所はおかしい。逃げようとする高速艇部隊。しかしその背後にはクレイが潜んでいた。
 木を切る魔法も石を切る魔法も同じものである。原理的には物体の連結を解いていくらしい。当然硬さによって必要な力が変わるのだが、ある程度硬い方が切断しやすい。人体に使えば肉より先に骨が切れるだろう。
 もちろんクレイが人体にその魔法を使おうとしていたわけではない。確かに血を流させずに骨だけ切って動きを止められるので有効な手段だが、今回クレイが切るのも木である。
 石切でこの魔法を使い慣れていたクレイは制御も上達していた。エリアより太い木をあっさり切り倒して退路をきれいに断つ。そしてここからが真骨頂だ。目の前にあるものを切るのは簡単だが距離が離れるとより多くの魔力も必要だしコントロールも難しい。それでもクレイはやってのけた。
 退路を断たれた高速艇部隊の頭上から木の枝が落ちてきた。青々と葉の繁るそこそこに立派な枝だ。直撃を受ければ大怪我しかねないが流石に訓練を受けた兵士にこの程度を避けられない様な鈍間は――いたが、直撃されるほどついてない者はいなかった。鼻先を落下する枝が掠めて腰を抜かすに留まる。なお、枝先の葉っぱを躱しきるものは少なかったが、それで怪我をするほどの軟弱者もいない。
 肉体的なダメージは大したことない。せいぜいかすり傷で骨を折った者は皆無だったが、大部分の者の心は折れていた。折れても挫けないほどの確固たる決意で動いている者などいない。悪事の片棒を担がされ追われた鬱憤をその悪事の被害者にぶつけようとしているのだ。悪しき魔法使いを討伐するするという大義名分こそあるが、その魔法使いが国軍の悪事を暴いたわけだし、亡命者に同行してしている魔法使いは被害者寄りというか完全に被害者だった。たまたま本当に魔法使いだったくらいの者。そんな行為に決意や信念など持てるものか。
 そして魔法使いの力を思い知った。こともなげに巨木――実際はそれほどでもない――をへし折って見せたのである。同じくらい気軽に人間の胴体もぽっきりとへし折れるに違いないのだ。実際それは能力的に見れば可能である――やろうと思わないだけで。
 さらには魔法使いに対抗できると思っていた心の支えであった天使が光を失い消え失せたのである。
 クレイたちにとってこれはちょっとした実験だった。ここ最近は悪魔教団信者すなわちファンクラブの崇拝パワーで魔力をブーストして魔法を行使してきたが、目の前に信者がいないここではその手が使えない。正確には少しだけパワーが届くが効率的には頼りになるほどではない。
 一方、ここには遠くから関知できるほど魔力を垂れ流している天使なる存在があった。垂れ流すほど囲い込みの甘いその魔力を奪い取って使えないかと試してみたのだ。
 結果から言えば大成功であった。エリアとクレイに魔力を吸い取られ力を失った天使は今、翼も光も失いただの本になって落ちてきた木の枝に埋もれているのだった。あの混乱の中その様をじっくりと見ていた者など高速艇部隊にはいない。輝かしい天使はいつの間にか消え去っていたのである。まるで彼らを見放すように。
 動きを封じたところでサマカルドとロゼフが降伏勧告を行った。従わねば魔王に引き渡し最悪魂を抜かれるという脅し付きだったが、既に心の折れている彼らにそんな脅しなど不要だった。
 せっかく切り倒した木だ。このまま転がしておくのはもったいないしそれ以上に通行の邪魔である。ちょうど人手もあることだし、分割して材木として運ぶことにする。分割している間、高速艇部隊の人たちには散らばった枝の片づけを任せた。気軽に丸太を魔法で真っ二つにする子供たちに高速艇部隊は萎縮するしかない。逆らって丸太のように正中線から裂かれるくらいならこんな軽作業ごとき文句は言えない。
 クレイたちは枝葉の下敷きになった一冊の本の回収も忘れない。高速艇部隊も同行していた司祭たちもその本があの輝かしき天使の成れの果てだとは知らないし気付かない。光はすっかり消え去っているが、わずかに魔力が残っている。上から落ちてきた枝で叩かれたりはしているだろうがそれがとどめになったりもしていないようである。
 この天使も人の魂が封じ込められているとなると殺してしまうのは寝覚めが悪いし、ラルフロイのような魔王的感性は抜きでも研究はしてみたいとも思っていたのだ。ラルフロイに頼めば一冊くらい分けてはくれそうだが、特にエリアはラルフロイに借りなど作りたくなかった。天使の方から捕まりにきてくれたのは重畳だ。早速魔力を吸い取る実験の実験台になってくれたことである。もうちょっと、いろいろな実験に付き合ってもらうつもりだ。

 邪魔な枝の片付けも済んだし、後は材木を運び出すだけだ。切断ではクレイが活躍したので運搬の手伝いはいつも通りエリアにお任せだ。目を覚ましたナミリエもそのくらいなら余裕で手伝える。このちびっ子も恐るべき魔法使いだったと知る高速艇部隊。無邪気に人を燃やすような恐るべきちびっ子なのでその認識は正しい。ついでに言えば狼男もそのまんま恐ろしかった。
 疲れ果てた体には過酷すぎる材木運びだが、あり得ない軽快さで目的地であるラッカ・ラ・バノンセドキアに到着した。もちろん、魔法が切れると反動で立ち上がることもできなくなる。あれだけ体を酷使したことに対する当然の代償だが、活力あるいはいっそ命の前借りみたいなことができることも恐ろしい。
 そしてたどり着いた小さな町は、魔王城を建築中の悪魔教会総本山の地。そこで高速艇部隊を待っていたのは尋問であった。
 尋問に当たったのは堕落した聖女なる魔女。堕落しても元聖女というだけに教会の内部事情をよく理解していた。同行していた聖職者たちとは外回り布教団にありがちな不満で話が合う。たまにやってくる悪魔教団なる連中とも意気投合し、司祭団があっさりと悪魔教団の仲間になった。
 高速艇部隊の面々も元アテルシア軍人のサマカルドやロゼフ、テラーファングなどが話し相手になったが、それより恐るべきグレックの出現ですっかり屈服した。陸軍はまだ現実を知らずグレックに勝てると思っている。しかし前線でグレックに挑み続ける海軍にとってグレックは遭遇したら負けは確定、逃げれば見逃してくれるからこそ被害は小さいものの、単身で艦隊を追い払える化け物だ。そんなものが目の前にいて怖くないわけがない。
 こうして町に新たなる魔法使いの下僕が加わったのだった。

 あっさり洗脳された司祭たちも、逆らう気力などない元兵士もこうなればクレイたちの興味を引くことはない。
 今はむしろ、入手した天使である。ラルフロイはこの天使からいろいろヤバい魔法を獲得している。そんな魔法は使いたいと思わないが、これからいろいろ関わることになりそうなアウズ教会とやらのやり口は知っておいた方がいい。それに、クレイたちにも使えそうな魔法もあるかも知れない。いざとなったらもう堕落しちゃってる聖女が汚れ役になって使うかも知れないし、色々な可能性を想定し是非詳しく調べておきたい。
 現在、天使には何かすることはできないが存在を維持するには問題ない程度の魔力が与えられている。その状態で本を開こうとすると恥ずかしいのかちょっと嫌がるのだった。特にクレイに開かれるのを嫌がるのでこの天使は元々女の人だったのかも知れないとエリアは思った。
 その点についてテラーファングの意見は逆だった。
「男として、女の子に撫で回されるのはちょっと嬉しいくらいだが野郎にいじり回されたくはねえな」
 やーねえとその時は思ったエリアだったが、考えてみればクレイ程度に触られるのを嫌がるような初な女性が魂だけになってこんな本に縛り付けられていると思うと切なくなるので、テラーファングの意見を尊重したい気持ちだ。
 なお、クレイは自分が天使にちょっと嫌がられていることに気付いていない。今も天使の本体である聖書を開いて書き写しているところだ。
「はあ。なんか勉強してる気分……」
 気分というか、実質聖書に書かれている魔法を勉強しているようなものである。ざっと読み解いた感じ、最初の方には天使の存在を支える術式が記されていた。例えば、本に魂を繋ぎ止めておく術式、その魂の意志で天使の動作を操れるようにする術式、本の周りに光と輝く羽の幻影を映し出す見た目に関する術式。
 使いやすそうなものは周囲に漂う魔力を取り込む魔法陣か。天使や聖騎士に祈ると力を捧げられる、その基本原理だ。祈りによって自身の周りに漂う魔力を取り込むことができる。その魔力をさらにかき集めて直接利用できるクレイたちにはあまり必要ないが、無駄に放出される悪魔教団の祈りのパワーを溜め込んでおけるかも知れないし、魔力が弱いソーニャには福音になるかも知れない。
 中盤以降は天使が行使できる魔法とそれを行使すべきシチュエーションが記されていた。一種の命令書にもなっており、この文章で天使の行動をある程度制限できるようだ。この天使に与えられた命令でアテルシアで暴れていた天使のような攻撃的なものになるとは思えないので、アテルシアのは別な命令が書かれていたと思われる。より攻撃的に異教徒に天罰を与える死の天使と言ったところだろう。一方この天使は同行者を守護することに重点を置いていた。優しい天使なのだ。恐らくはカーパイノスらに同行していた天使も同様であったことだろう。容赦なく焼き払ってしまっているが、実に申し訳ないことである。全ては似たような天使をアテルシアで暴れさせていた教会が悪い、ということにしておこう。
 守ったり助けたりが主な目的だけに記載されている魔法もそのような魔法が多く、クレイたちでも使いやすそうな魔法が多い。その一方でそういう魔法は学校で習ったものとかぶりがちだった。
 得られるのはやはり学校で教えてくれなそうな危険な魔法か。同行者を守るという目的のためには外敵を排除する魔法が必要になる。それに、敵が多かった場合や多くの負傷者を治癒する必要があった場合など、魔法を何度も使うには魔力が足りない。そんな時のために誰かを生け贄にする魔法があった。さすがにこんな魔法を使う事態にはなって欲しくはないが、いざという時のために覚えておいて損はない。
 天使の核になる聖書の構成が解れば新たな天使を作り出すこともできるし、この天使を自分たちの思い通りに改造できる。今のところ、護衛より作業の手伝いの方がこの町には必要だ。その辺の魔法を中心に再構成してやるとこの天使も出番ができる。
 そして新しい天使の当てもあった。なにも、誰かを殉教させる必要はない。身近にちょうどいい人物がいた。ダグとフェリニーだ。
 火炙りにされた罪無き子供達。人の肉体は失われたがせめて最期くらい自由であれとグレックによって小鳥の体を与えられた二人。そこまでは良かったが、クレイとエリアに懐いて結局ここまでついてきていたし、小さな体では空を飛び回るのは危険すぎた。ちょっと大きな鳥が近くを飛んでいるだけでドキドキで、結局クレイの髪の毛に埋もれているのが一番安全という自由とはほど遠い日々を送っている。
 それに、おなかが空くと宿主の本能で虫を食べてしまうのも困りものだ。本能が出る前に肉や魚を食べさせてもらうことで持ちこたえてはいるが、それでも気を許すと虫を捕まえて食べている。だんだん慣れてきたとは言え気分は良くないのだ。
 とどめとして小さな小鳥は寿命が短い。テラーファングのように人間の肉体があれば寿命も人間に引っ張られて延びるのだがこの二人にはそれがない。もっと生きたかったら新しい肉体が必要なのだ。天使なら小鳥のように無力ではない。みんなの役にも立てるしそれどころか頼もしい存在にすらなれるかも知れない。
 ダグとフェリニーの新しい体の為に、捕まえてきた天使には実験台になってもらうことにした。聖書に書かれている内容を直接書き換えても天使をカスタマイズできる。まずはひとまずわかりやすく見た目を調整してみる。
 白い光の玉に鳥のような純白の羽。それが元々の姿だが、色を赤くしたり、羽を蝶の翅に変えてみたり。ここまで順調である。
 その様子を見たグレックからアドバイスもあった。動物などに死者の肉体を融合させ生前の姿を一部再現させる、そんな魔法を何度か使っていたグレックには生前の姿の再現が可能だった。これでダグとフェリニーも自分の姿を取り戻せることだろう。そして散々実験台になってもらった天使もまた。……これも実験なのだが。
 現れたのは若い女性である。美人とは言い難い素朴な顔立ち。どのような経緯で天使に殉じたのか気になるところではあるがとりあえず今はそれどころではない。
「これって服を着せることはできないんですか?クレイ、じろじろ見ないの!」
 エリアはクレイの頭に袋をかぶせた。
「羽や尻尾を付け加えるときと同じく文言を加えるだけだ。とりあえず白き衣とでも書いてみるといい」
「幻影の魔法みたいなものですね」
 エリアは尻尾もつくんだなどと考えつつそう言った。
 幻影の魔法は言葉の通り幻影を映し出す魔法だ。何の幻影を出すかは言葉による指定とイマジネーションによる補完で作られる。強くはっきりとイメージさえすればそれだけで映し出したい幻影が出せるのだが、大概は雑念が混ざり思い通りにいかない。
 たとえばざっくりと『人の姿』と指示を出したとして、自分の姿になればいい方。自覚なく強く意識していた思い人が現れてしまったりすることもざらだ。しかもそう言うときは大概美化されて出てくるので密かな恋心がバレるような事故に繋がる。本人の前でそんな幻影が裸で出てきたら最悪である。島では有名な笑い話だが、実際にいくらでも起こり得ることだ。幻影の魔法を使うときは面倒でもしっかり指定を行うのが通例である。一人でこっそり使う分には大丈夫だろうが、自分すら気付いてなかった思いや性癖に気づかされて悶絶することになるので禁断の遊戯となっている。
 この天使の場合、本に書き込んだエリアが術者と言うことになるので、そのイメージに影響を受けることになる。裸で出てきたのはイメージとは無関係に、誰かも判らない人の生前の姿というもののイメージがないので、『生前の姿』と言う指示の持つ最低限の状態が適用されたにすぎない。一方服というものにはイメージがある。
「もういいわよ、クレイ」
「ふう。……あ、おそろいだ」
「あら、本当」
 具体的なイメージを持たないまま書き込んだことで、今日のエリアの服装と同じ形の、色だけ白いものが天使の白い衣になった。ちなみに実験で書き換えて以来手付かずなので彼女の背中にはずっと赤い蝶の翅が生えている。天使というより妖精のようだ。
「動いたり喋ったりはしないの?」
「それも本に書くしかないだろうな。書いておけば魂に自我が残っていればその意志で動かせるはずだが……。声を出させるのは難しいかもしれん、念話の魔法を使うことになるかな」
 話しながらグレックもだんだん天使というシステムに興味を持ち始めていた。見た目を自由にできるということはどんな醜い姿にでもできるのだ。悪党への罰や脅しにも使えそうである。死後の魂までも冒涜する邪法だが、そんな邪法をもたらしたのが神聖なる教会様なのが笑い所か。
 最終的には自分の意志で行動できるようにしたい。天使はまだしばらく実験や研究が必要そうだ。このお姉さんにはもう少し付き合っておもちゃになってもらわねばならない。