マジカル冒険譚・マジカルアイル

37.旅路の果て

 開拓団の故国たるアテルシアが魔王に支配された。
 しかし、話を聞いた限り大した問題ではなさそうである。魔王などに祭り上げられたラルフロイとそれを本当に大した問題にならないように調整しなければならないグレックには頭と胃の痛い話だろうが、国を追われた開拓団にとってはもはや関係のない話であった。
 彼らを国外逃亡に駆り立てた国はもう無い。ならば、彼らもアテルシアの地に戻ることができただろう。しかし、長い旅路はもうすでに終わりを迎えようとしており、今から引き返すには遠すぎた。それに、どうせ一から町を作り上げねばならないのは同じなのだ。見る影もなく焼け落ちた故郷を更地に戻して復興させるより、新天地を開拓する方が気が楽だ。
 それに、この国は豊かで先進的だった。変化の時を迎えたアテルシアも閉塞的な停滞から抜け出して変革するだろう。しかしここならば時を待たずして革新的な技術や文化に触れられる。今ここに集められた者の多くが若者であり、そのことへの期待感は大きかった。
 もはや、振り返るなどありえない。今日も、開拓団は前に進む。

 彼らが感じたのは大国セドキアの国力であった。地方都市の一つでさえ彼らが訪れたことのないアテルシア首都と同等の規模である。文化や技術の程度など比べるまでもない。
 アテルシアがセドキアに戦争を仕掛けたのも、勝てると思っていたからではないのが見え見えだった。アテルシアごときがちょっかいを出したところで軽く追い払うくらい。大船団を率いたり同盟国でもない国を経由し軍を送り込んでまで本気でやり返す価値すらない。下手すれば訓練がてらつきあってくれてたのではないかとさえ思える。
 なればこそ、敵国から来た開拓団が迫害を受けるのではないかという不安も杞憂になるのではないかと思える。一部の心狭い者やアテルシア軍に家族を奪われた遺族くらいは迫害を加えてくるかも知れないがその程度だろう。だからこそグレックも難民を開拓団として受け入れることにしたのだろう。
 もはや彼らに不安はない。この先進的な大国で始まる新たな生活への期待に表情を輝かせている。ただ一つ、開拓地での生活の始まりは彼らを導いてきた大切な仲間との別れの時でもあるのだ。

 カーパイノス宣教師団。アウズ聖教の教えをこの大陸でも最大の国家であるセドキアにも広めるために旅を続けてきた。
 長い歴史の中ではアウズ聖教は異教徒の排斥や異境の国への侵略も行っていたが、もちろん今の時代にそんなやり方はふさわしくない。この新天地でも平和的な布教活動を行っていた。だからこそ国からの布教許可も得られているのだ。道中も平穏そのものだった。彼らの前に悪魔が現れたあの日までは。
 角を持つ凶暴な悪魔。日頃は図体だけ大きいが気弱な青年の姿を取っているが、「すんません」などと謝られたところであの時の恐怖が消えるものではない。
 火遊び好きの小悪魔。無害な幼女にしか見えないが無邪気に人を焼き払う恐ろしい悪魔だ。カーパイノスは残りわずかな大切な髪の毛をかなり失った。あの時に焼かれたのか、その後のストレスで抜け落ちたのかはよくわからない。
 比喩的な意味で火遊び好きの小悪魔と呼べる妖艶で蠱惑的な魔女。しかし見た目によらず身持ちは堅いとのこと。堕落した聖女であり、カーパイノスたちに堕落を勧め悪魔の秘術を教え込もうとする。悪魔の従者たちはそれを見て、お姉さんは相変わらず世話好きだなぁなどと言うのである。美女にレッスンを受けられるなら悪魔の手先になってもいいかなとさえ思える、恐ろしい魔女なのだ。
 気軽に従者扱いをしたが、開拓団メンバーであるらしい彼らとて常人とは思えない。角の悪魔さえ怯える狼男をあろう事かわんこ扱いできる連中なのだ。彼らを護衛している隊長と呼ばれる戦士も狼男とかつて同僚だったとの話も出ており、悪魔なのは間違いないのだ。
 そして。強烈な悪魔達の中においては目立たない存在でしかない少年と少女。しかしその正体は魔女など歯牙にも掛けず、小悪魔さえも凌駕する力を秘めている。アテルシアの地を支配したという魔王と同等の存在であるのだ。更にはその魔王を陰で操る、かつてアテルシアを混乱の坩堝に陥れた大魔法使い。言うなれば、魔神だろうか。魔王と同等の少年たちをしてすごい人と言わしめる絶対的な存在。気苦労が多くてよく愚痴を言いにくると聞くが、あの絶対者のこと、そんなのジョークに決まっていた。
 そんな恐ろしい悪魔の軍勢にカーパイノス達が襲撃を受けた理由は遠くアテルシアで起こった出来事が関係していた。アテルシアでは混乱が起こっており、それを押さえるべくアウズ聖教会は天使の力を借りた。しかしそれが魔王を呼び寄せるきっかけとなった。聖戦と呼ぶに相応しい戦いの幕開けである。
 遡ること僅か。布教中のカーパイノス達の元に本部より道中の安全を守ってくれる聖騎士が派遣されてきた。この国は治安もよくて道中もさほど危険はない。しかしアテルシアの情勢悪化についても聞き及んでいたのでそれを受けてのことだろうと大して気にもしていなかった。
 むしろその聖騎士が常に鎧姿で睡眠どころか食事をとっている様子すらなく、祈りだけ捧げておくようにとのことだったのが気にはなっていた。ちょっと怖い想像すら浮かぶので極力考えないようにしていた。
 その聖騎士が、悪魔を呼び寄せた。聖騎士は鎧で騎士に扮した天使だったという。その天使を狙って悪魔達が襲来したのだ。悪魔達の言い分も加味するのであればカーパイノス達をてっきり天使を引き連れて彼らの行く手を阻もうと送り込んだ刺客と勘違いしたのだとか。ただの宣教師なら相手にもしなかった、そのはずだった。天使さえその場にいなければ。
 聖騎士ーー天使は突然の襲撃者に自動的に対処した。勝手に敵対状態に移行させたのだ。天使一柱で相手にできる戦力差でもないのに。どう考えても護衛どころか聖騎士のせいで危険に、聖戦に巻き込まれていた。何をしてくれたんだと言ってやりたい。
 天使の正体は一冊の聖典ーー悪魔たちは魔導書と呼んだーーであった。どのような仕組みでそれが聖騎士として動いていたのかはまるでわからないが、奇跡の力の集大成なのはわかる。悪魔たちはその仕組みもある程度は推測しているようだ。悪魔とは得てして墜ちた天使だったりするものである。悪魔の力も聖なる奇跡もその根本は同じなのだろう。
 悪魔を深く知ることはすなわち神を知ることにも繋がるのではないのか。そう信じ、悪魔たちに屈服することを甘んじて受け入れることにしたのだ。決して若々しい女性がたくさんいるからではないのである。

 避難民、亡命者、そして開拓民。その立場を少しずつ変えてきた者たちの旅路はもうそろそろ終着点に到達しようとしている。しかし、一行には開拓民に含まれないものもいる。
 ソーニャは開拓民たちの面倒を見るように言いつけられているが、それも開拓地に到着するまでの話である。到着して開拓の目処が立つくらいまでは手助けすることになるかも知れないがその後はどうなるか分からないし、到着後のことも正直に言うとはっきりはしない。グレックからの指示次第だ。
 チックホーンはしばらく開拓も手伝うように言われているらしい。ソーニャへの指示もそうなりそうな気はするが、ここ最近は情勢が大きく動いている。特に魔王出現が厄介だ。ソーニャくらいデキる部下はもっといい使いどころがあるかも知れない。ソーニャは自分でそう思っている。
 テラーファングはクレイたちの付き添いを命じられていたが命令が出たのはずいぶんと前だ。この先どうなるかは分からない。ソーニャと交代になることもありそうだ。
 クレイとエリア、そしてナミリエは魔法研究所を目指すことになる。その道案内はアテルシアから出るのも初めてのテラーファングにはできないだろう。だからこそソーニャと交代かもと思うのだ。
 どうでもいいが途中で拾ったカーパイノスとか言うおっさんの一味はそれぞれの自由にしてある。聖者の才能の片鱗くらいはある従者は魔法研究所で修行なり研究なりさせてやってもいいと思う。人手が増えるのはこちらとしても助かるのだ。その他とカーパイノスは開拓地にて布教を行うようだ。
 聖女として見いだされた時点で即戦力だったソーニャなどは実用的な祈りの言葉ーー即ち呪文ーーを覚えたら即座に連れ回されて各地で奇跡を見せて回っていた。移動の合間などに学ぶのも医学が主で教義については後回しであった。この機に少しくらいは教義を学んでおかないと堕落した聖女どころかただの魔女である。カーパイノスたちに至っては悪魔とか言っている始末だ。これはよくない。さすがに危機感を抱いたソーニャもこのところはアウズ聖教の教義を真面目に学んでいるのである。
 アウズ聖教も教え自体は害のあるものではない。かつてのように異教徒排斥などの過激なことはしてないし、基本的には神に祈り聖者に感謝し日々真面目に生きろと言うようなことを回りくどく言ってるに過ぎない。
 ソーニャやテラーファングなど一部耳が痛いと感じる者もいるが、一般の民への教えなど当たり障りのないものだ。まじめに生きろ程度のことなら言わせておいて問題もないし、その言葉を拠り所にみんなが真面目に過ごしてくれればこの上ない。カーパイノスは何なら悪魔教団にしてしまってもいいと言っていたが、意味が分からないので却下しておいた。
 祈ることで力をもらっていたらしい聖騎士の例もあるので、祈りでどこかの天使や海の向こうの大教会に力を送ってしまわないかという不安はあるが、その辺は天使などの研究の結果待ちだ。
 クレイとエリアも一緒になって学んでいる。これからの旅路に必要になるかもしれないからだ。島に帰ろうとすればこの星で島の真裏に当たる場所を目指さなければならないが、地図を見た感じではアウズ聖教が信仰されている大陸のど真ん中。そんなところを歩き回るのであれば聖者や聖女として潜り込むのがもっとも効率がいい。そうでなくてもいざというときは聖者のふりができる。敵について知っておくのは悪くない。できれば敵対せずに済ませたいところだが。
 一応ナミリエも一緒になって学んでいるが、理解できているかは謎である。ソーニャなどと同じく真面目に生きろと言われると耳が痛い人種であるのでソーニャと同じ苦しみを味わっていると思われた。そんなナミリエを、ソーニャは憐れむ。だから私のことも誰か憐れんで。ソーニャはそう願わずにいられないのだった。

 そして開拓地に到着した。
 開拓民たちはセドキア政府から派遣された担当者から指示を受けながら早速開拓作業に取りかかっている。
 近くに小さな湖があるザブロングレイス大森林の中。森はそのまま山に繋がっている。ガラファナとセブロボンド・バノッスという大きな町を結ぶ線上にあり、これまでこの二つの町の間は森を迂回するルートしかなかった。森を突っ切る道が開通すれば最短距離で繋がることになる。開拓地はその途中にある。
 予てよりこの二つの町を繋ぐ街道の計画は進められていたのだが、予算などの関係で一度頓挫していた。当初は建築用の材木の調達も兼ねての伐採でメリットもあったのだが、森が拓かれ道が延びていくと、材木の搬出コストが嵩みだし釣り合わなくなる。
 今も森の中に造られたイェスタ・ザブロングレイスで伐採からの製材まで済ませて出荷をしているが集落を維持するのが精一杯という状況だ。街道さえできあがれば発展が約束されているのだが、それが子孫の代になるのが見えているため移住希望者などいない。こうなったのも単純に森を舐めていたということである。
 現状、小さな集落の奥に行き止まりの小道があるだけで木材の運搬にしか使われていない道だが、湖まで繋がれば漁業や観光地として多少の可能性は生まれる。そううまくいくかどうかは未知数な上、それがいつのことかも分からない。国や領地の財産を投入してまで進めるのはリスクだらけだ。しかし、難民の開拓者を使うことで人手の心配もなくなるし領主は補助金で潤う。最悪でも難民を出ることのできない森の奥に閉じこめておけるが、グレックの後ろ盾があれば事業の成功率もあがるだろうからそのような結末もまずないだろう。
 開拓民たちがすることは、まず必要な土地を切り開くこと。湖までの道、そして町になるスペース。切り倒した木はすぐに掘っ建て小屋の材料に使われ、数日でちょっとしたーーイェスタ・ザブロングレイスなどとはすでに比べものにならないがーー集落ができあがった。
 そして、グレックからの指示はーー未だない。
 クレイたちも開拓を手伝いながら、しばらくのんびりすることにしたのである。

 クレイは石切の仕事を請け負っていた。もちろん、魔法を使っての石切だ。
 クレイの周りでは切り出した石を運ぶ作業員たちが祈りを捧げていた。祈りの対象はクレイである。
 カーパイノスが連れていた聖騎士が祈りの力で動いていたのにヒントを受けて、魔法を使うときに周囲で祈っていると魔法の力が高まるのではないかという思いつきでやってみたのだが、案外うまくいったのだ。そして、こうなった。
 何でこんなことを思いついちゃったんだろう。そう思ってしまうくらい、やりにくい。それでも魔法の力は確かに増大しているので助かるのは助かるのである。
 なお、エリアの方はエリアちゃんファンクラブがエリアちゃん教団として祈りを捧げてくれている。さすがにファンクラブを教団に名称変更するのは断固阻止したようだが実体はもう教団である。それを考えればクレイはまだ落ち着ける環境であろう。
 見上げるような大きさの岩がけたたましい音を立てて二つに割れた。島でならこのくらいの魔力は普通に出せたが、外では無理だと思っていた。もっとも、島でこんないたずらをしたら木に三日は縛り付けられるだろうから絶対にやらないが。だからやれるとは思ったが当然こんなことは初めてであり、自分でやっておいて自分でびっくりである。特にこの腹に響く音には。頼まれればまたやってもいいが、頼まれないなら二度とやりたくないくらい心臓に悪い。
 確かに、こんなのは奇跡そのものである。そろそろ慣れ始めている開拓民はともかく、イェスタ・ザブロングレイスから手伝いにきた者たちは目を皿のようにして呆気にとられた後は、本気でクレイを崇め始めていた。
 そんなことをされても対応に困るので、お祈りする人繋がりでカーパイノス達に後を任せたのだが、大失敗であったのは言うまでもない。おかげで今のこの状況である。
 クレイたちが居心地の悪さに耐えて手伝ったおかげで石材も大量に確保でき、開拓地について真っ先に建てられた丸太小屋はすぐに解体されて住宅の建材にすべく製材された。こうして一ヶ月と経たずに集落はイェスタ・ザブロングレイスよりも立派な町となった。イェスタ・ザブロングレイスからの移住者まで現れる始末だ。逆にイェスタ・ザブロングレイスに住み着き製材に携わる開拓民もおり、イェスタ・ザブロングレイスも数十年ぶりに栄えてきた。後を追ってきていた子供や老人の一行も到着する頃には道の整備も終わり観光客すら訪れるようになっていた。
 開拓地はラッカ・ラ・バノンセドキアの町として栄えることになる。

 ところで。クレイとエリアはいつまでこの開拓を手伝えばいいのだろう。この町は居心地もいいし、自分たちの手で作り上げたので愛着だってある。ずっとここに住んでもいいとも思えるくらいだ。だからこそ、あまり長居してしまうと旅立ち難くなってしまう。
 というか、日一日毎にクレイ等への信仰心が高まっていくのが困りものだ。魔法に慣れてきていたはずの開拓民たちまでである。このまま居続けるといよいよ持って祭り上げられる。まあ、いなくなったらいなくなったでどちらにせよ神格化が進みそうな気がするのだが。
 クレイたちだって島の外に出ても帰れると思って出てきているのだ。まさか帰りたいという意識が薄れるくらい帰れなくなるとは思っていなかった。このままでは帰る気すら失せそうで怖い。兵士に追い回され、捕まった辛すぎる日々はそういう意味ではまだよかったといえる。あの頃はもう、帰りたくて仕方がなかったのだ。今の楽しい毎日は危険だった。
 ましてエリアなどは島を飛び出した原因が島から出て追いかけてきていた。原因たるラルフロイは今のところ他のことにかまけて動いてもいないが、それはともかくこうなると島を出た意味もない。ラルフロイと一緒に島を出てきたナミリエも連れて帰らないとならない。一度は帰ることを優先すべきだろう。
 それにもとにかくグレックの手が空かないとどうしようもないのだ。全くもってラルフロイにも困ったものである。まあ、そのラルフロイもどうなったのかが伝わってこないのだが……。

 比較的楽な仕事である井戸の水脈探しをなぜか水のイメージが固定したソーニャが独占しているので、エリアが受け持っているのはクレイ同様力仕事だ。とは言え、魔法を使えば子供でも大人顔負けの仕事ができる。それに実際に力を振り絞るのは大人の男だった。
 エリアが手伝っているのは木材の運搬だ。切り倒された材木を担ぐ男たちに魔法をかけてやると普通の半分の人数で運べる。それも軽やかな足取りで。
 一見無駄なほど軽やかな足取りで運んでいくのにも理由はある。魔法が効いている間は驚くほどの力が出せるが魔法が解ければ潰れる。持ち上げる力が出なくなるのみならず、疲れが一気に襲って立ち上がるのもままならなくなるのは、潰れると言うに相応しい有様だ。そうなる前に目的地まで運ばなければならない。だからこその早足である。丸太を運び終わっていれば何の問題もなく思う存分力尽きられる。
 午前中に一回、午後に一回の一日丸太二本。これが一人が関われる丸太の数だ。一見すると普通に運ぶ方が何往復もできるので効率が良さそうに思えるが、細い丸太なら二人、太くても三人で運べるし、速さも段違いだ。一日に運べる丸太の量に大差はない。その一方で各人にできる空き時間はへばって動けない時間を差し引いても圧倒的だ。疲れが取りきれないので激しい運動や力仕事はできないが、ちょっとした作業や趣味の時間になら当てられる。別に寝ていてもいいし各自自分の思う有意義なことをすればいいのだ。
 ついでにいえば、ここに集まっているのはエリアちゃん教団もといファンクラブの人間が多いので、目の前でエリアちゃんが魔法をかけてくれるだけでご褒美である。その後払わされる代償など安いものと言えよう。
 エリアにしてみても自分が手伝う時間もぎゅっと詰まっているので、空き時間は多い。その間のんびりできるし、信者の崇拝も短くて済むのである。もっとも、暇なときに一緒にだらっと時間を過ごす友人はファンクラブすなわち教団の幹部なのだが……。

「さあ、あたしにひれ伏しなさい!崇めなさい!」
 クレイもエリアもちょっと居辛さを覚えている状況をノリノリで楽しんでいるのはナミリエである。ちびっ子のナミリエだからこそ、こんなクソ生意気な態度でふんぞり返っていてもなんだか微笑ましく思えて許せるのだろう。強健な青年中年で構成された開拓団において、ちびっ子はナミリエだけだ。性格はちょっとヤバいがそれでも愛されキャラとして人気が出てきている。
 ナミリエの眼前では炎が踊り狂っている。炎の上には巨大な釜が怪しげに湯気をくゆらせている。いかにも魔女という感じではあるが釜の中身はただのスープだ。
 開拓地の開発が始まったばかりの頃はここにいたのは若者ばかりだった。男ばかりか女さえも料理の腕前は怪しい者が多い。船で移動していたときは料理に自信がある者たちが料理担当を買って出ていたが、今は掘っ建て小屋でも各自分かれて生活をしている。そうなると、結構いる独り身で生活能力に乏しい者は食うに困るのだ。何せここにはまだ店すらないのだから。
 なので、料理の腕はあるのに手料理を振る舞う相手がまだ見つかっていなかったり店が建てられるまでその腕を遊ばせていたりする者が、存分にその腕を振るいつつ飯にありつけない者たちに振る舞う炊き出しが毎晩行われているのだ。
 料理に携わるのは上手な者ばかりではない。もっと上手になりたい者も多く手伝いにきており、そういった者たちはごった煮料理の下処理をし、煮込むのがナミリエである。なお、ナミリエもちょっと気が早い花嫁修業を兼ねて包丁の使い方を特訓中だ。こんな小さい子に刃物を持たせるのは気が進まないが、どうせ危ない火は使いまくっているので危ない刃物を持たせても今更だと判断された。
 覚えたての火の魔法を使いたくてしょうがないナミリエだが、火遊びをさせるのは危ない。すでにカーパイノスなどの被害者も出ているのだ。ちゃんと役に立ち、あまり危なくない感じで火を使わせるべくこの役目が与えられたのである。ただ、調子に乗ったナミリエの言動がちょっと危ないのはご愛敬だ。

 ゆっくりと移動を続けている高齢者や子供の元バンフォ住民、後続の移民団が近付いてきている。家族を迎えられるように掘っ建て小屋ではない家を建てていかねばならない。
 湖に続く道は開通した。ついこの間までは森だった場所である。立ち並ぶ木々は建材として次々に伐られ、切り株は根に付いた土ごと引っこ抜かれた。土の中に魔法で直接水を送り込み、柔らかくなったところをてこや滑車を使った、それでも結局は魔法も併せた力業で引き抜く。引っこ抜いたまま置き去りの切り株は最後にまとめて水ででこぼこの土ごと押し流してまとめ、さらに地面を均して製材で出た端材を敷き詰めて道らしくした。ゆくゆくは石畳にしたいところだ。
 これで漁業の目処も立ったが、本格的な漁業の経験者はいない。釣りなら船の上で経験した人も多いが、安定的な漁獲を狙うなら熟練者を呼びたいところだ。漁師の住居、そして湖畔の景観を活かした景勝地としての利用のために湖畔の開発も始まった。移住者や観光客の呼び込みもそうだが、まずは自分たちでこの景色を楽しみたいのだ。
 それだけではない。安定的に確保できる水資源としても湖は重要だ。湖からラッカ・ラ・バノンセドキアさらにはイェスタ・ザブロングレイスまでの水路も造られた。湖よりやや標高が高いラッカ・ラ・バノンセドキア間では何カ所か薪を使った蒸気機関の揚水ポンプが設置されている。
 ポンプを設置したガラファナの技術者が噂を広めてラッカ・ラ・バノンセドキアやイェスタ・ザブロングレイスに観光客も来始めた。移民の町であるラッカ・ラ・バノンセドキアはまだ近寄りがたく思われているようだがイェスタ・ザブロングレイスには移住希望者も現れた。
 セブロボンド・バノッス方面への道も切り開かれ始めている。以前は挫折した計画だが、丸太の運搬に使えるのが人力や牛馬だけの時代はとっくに終わっているし、魔法だってある。道が開通し宿場として機能する日もそう遠くはないだろう。

 湖畔のロッジの窓から外を眺めながら茶で一服しているのはアテルシアでの厄介事が一段落して一息つきにきたグレックだ。政治面での課題がだいぶ片付き、暫くはラルフロイに任せておいても良さそうなところまできたのだ。
 そのラルフロイこそ見張っておかないと何をし始めるか分からない怖さがあるのだが、前王が見守っていればまあ大丈夫だろう。その前王も娘が甘えると弱いのが不安だが……。その娘も何かと悪のりしがちで変にラルフロイを焚きつけるのが心配だが……。早めに戻った方がいいとは思われる。グレックの威を借りねば強気に出られないスカイウォーカーには期待できない。
 そういうことを考えると気が休まらないので煩わしいことを考えずに済むようにここに来たのだった、と気持ちを切り替えるグレック。
 開拓は問題なく進んでいると報告は受けていたが、目にしてみれば思った以上に順調であるようだ。地元と言うべきイェスタ・ザブロングレイスの住人ともうまくやれているようで、そのおかげで木材の加工や取引にも協力してもらえているという。ガラファナの職人などを紹介してもらったりもして発展が著しい。
 このロッジも居心地がいい。……と言い切れないのは視界の隅にロッジの前で魔神様とか言いながら祈りを捧げている一団が入り込んでくるからだが、ただの観光客ならそのようなことはなく良い休暇を過ごせるのではないか。セブロボンド・バノッスまでの道が開通する前でも観光地として賑わいうる。
 久々にのんびりするなどというのはここに来た理由のついででしかない。開拓の順調ぶりを見るにのんびりを主軸に持ってきても大丈夫そうであるが、それでも今後の身の振り方に気を揉んでいる者達もいるので方針は伝える必要がある。
 クレイやエリアなどは当事者である。テラーファングとソーニャにとっても今後に関わる。それどころかここにすむ開拓者達みんなに関わってくる話である。島出身の子供達、魔法研究所の関係者は全員。開拓者からもリーダー格の者を呼び集めた。いつものメンバーに加えて新設された部門のリーダーと言ったところだ。イェスタ・ザブロングレイスの村長まで駆けつけてきた。
「初めまして、イェスタ・ザブロングレイス村長のパブロ=ディフ=トラディムと申します。グレック様とお呼びすればよろしいですかな」
「それで結構です。まあ他に呼びようもないでしょうし」
 魔法使いということで不必要な恐怖感を抱かれないように気さくな感じで笑いながら返すグレックだが、言ってからああそうかと思い当たる。グレック殿とかグレックさんとかもあるではないか。むしろ自分の部下でもない人物に様付けで呼ばせるのも高慢ではなかろうか。グレック殿に改めるべきかもしれない。などと考えていると。
「いや、魔神様と呼ぶべきかと思いまして」
 先程から外で祈りを捧げている集団と言い、何でそんなことになっているのかについては後でソーニャあたりを問い詰めるとして、その呼び方は却下であろう。そして、魔神様扱いを回避するのが精いっぱいでグレック殿に改めてもらう機を逸した。それは諦めることにする。
「今日はもちろんこの教育に悪いワンコロをクビにして私が子供たちの先導役になるっていう話ですよね」
 ソーニャが何か勘違いした発言をしているので無視する。いや、ここから計画通りクレイたちを魔法研究所に連れて行くことになるのならソーニャの提案はアリだと思う。テラーファングが教育に悪いかどうかはともかく、またソーニャが教育上どうかもともかく。アテルシアでは荒事が耐えなかったしテラーファングにとっても地元だったので適任であった。一方ここからの旅路は大した危険もなさそうだし、テラーファングにも初めての土地で案内役には向かないだろう。
 しかし、クレイたちを魔法研究所に招いてから、状況が二転三転した。今、魔法研究所からそう遠くないこの場所にいることの方が驚くくらいだ。そして、クレイたちの状況もさることながらこの場所を確保できたことが最大の変化なのだ。よって、今回伝えるべき事項は。
「魔法研究所への移動はナシだ。魔法研究所をここに移すことにした」
「ええっ……うええええええ!」
 ソーニャがだいぶ驚いている。他の面々はいまいちピンと来ていないのか大きな反応はない。と言うか、ソーニャは驚きすぎだと思う。
「一応こちらは支所と言うか分所のようなものになると思うが、いい建物ができれば本部を移転するのも吝かではない」
「で、でも。あの大人数を引っ越しさせるんですよね。大仕事になるんじゃ……」
「転移ゲートを開けば造作もなかろう」
「あ。それはそうですね」
 ソーニャからすれば信じられないような大魔法だが、島出身の魔法使いにとっては連発できるような魔法に過ぎないのだ。
「幸い、教会が面白い手法を教えてくれたのでな。……あまり使いたい手段ではないが、利用できるなら利用するまでよ」
 グレックのボヤキについてはよくわからない。とにかく、今後の指針は示された。
「それじゃあ、僕たちはしばらくこれまで通りこの町のお手伝いをしてればいいんだよね」
「まだまだ、みんなと一緒にいられるのね」
 クレイとエリアもホッとしたようだ。
「ねえ、おじちゃん。魔王はどうなったの」
 ナミリエがあまり関わりたくないことに触れた。元国民の開拓者たちには気になる話ではある。ちびっ子の事なのでおじちゃん呼びは誰も気しなかった。
「国の方は落ち着いたと言っていいのだろうな。他はまあ、成る様にしかならん。前王もいるしラルフロイも頭はいいし、あまり関わらないようにしてやりたいようにやらせている」
 そこでテラーファングが口を挟む。
「深く関わりたくないって顔ですね」
「わかってるなら余計なことを言うな」
 そう言いつつ顔に出ていたことを少し反省するグレックであった。
「魔法研究所もだが、アテルシアにも転移ゲートで簡単に往復できるようにするつもりだ。行きたければすぐに行けるようになるぞ」
「うわあ……。それは困るかも」
「別に会いたくはないわね。行きたくはないし来なくてもいいし」
 女子二人には不評である。そしてクレイはノーコメントであった。なんと人望のない魔王であろうか。
「女の子に振り回されて疲れているようだからな。一人になりたいとも言っていたし、会う気はないかもしれん」
 エリアとしては会いたくないのは確かだ。しかしラルフロイはエリアを追いかけて外に出てきたはずなのである。なのに既にエリアのことなどどうでもよくなっていそうな風情。ここにラルフロイが来たのに顔も見せないのはそれはそれで癪である。来ないのが一番だ。……と言うか。
「女の子に振り回されてるって、誰?」
「あ、エリアちゃん妬いてる」
「妬いてなんかないわよ!」
 ニヤニヤしながら言ったザイーに強く反論するエリア。自分から乗り換えたことになるので気になるのは確かだが、別に妬いてなんかいないのだ。少なくともエリアはそう思っている。
「アテルシアの姫だ。魔王の生みの親と言ってもいい。思い付きでいろいろ提案してくるからいつも振り回されているよ」
「ソノラ様か……。えっ、グレックさんも会ったんですか?どんな感じでした!?」
 王族など会うどころかあったことのある人から話を聞くのも稀なこと、ザイーも噂話好きな普通の女性として興味津々だった。そして、それはこの場に居合わせた女性もそれは同じである。若い娘に群がられてグレックもまんざらではない。
「相手がお姫様じゃ流石に手ごわいわね」
「手ごわいって何がです?別に張り合う理由もないんですけど?」
 真顔で心配するように言うソーニャにも全力で反論するエリア。
「むしろラルフロイが嫌がるなら魔王除けに呼び寄せたいくらいだわ」
「いいわね、それ!」
 お姫様を見たいだけの連中が食いついた。それだけの話である。
 それだけの話のはずだったのだが……。それは貴重な意見として、参考にされることになるのである。