マジカル冒険譚・マジカルアイル

36.魔王誕生

 セドキアの新聞に掲載された小さな記事が始まりであった。
 アテルシア王国にて、神の使いの軍団が撃退され魔王が支配したとの不確定情報あり。詳しい事実関係については調査中――。
 凡そ新聞に載るような真面目な話には聞こえない。それは新聞社も自覚していることが記事の申し訳程度でしかない大きさに現れていた。何よりも調査中という言葉の通り情報は少ないのだろう。詳細どころか大まかな事情すら分からない記事。それでも祖国の話だけに開拓民たちの目には真っ先に留まったのである。
「魔王?なにそれ」
 早速心当たりがないか確認してみるザイーに、クレイはきょとんとしている。
「いや、クレイちゃんの島の偉い人が出てきたんじゃないかと思って。王様とかいなかった?」
「長老さんかなぁ」
 女子二人と顔を見合わせるクレイ。
「どんな人なのかはわからないんだけどさ、魔王ラルフロイって言うらしいわ。知ってる?」
 その問いを放った瞬間、ザイーはクレイたちに心当たりがあることを察した。その何とも言えない微妙な表情で。
「何やってんの、あいつ」
 冷ややかな呆れ顔でエリアが呟いた。この感じ、偉い人ではなさそうだ。
「魔王って何?」
 クレイに問いかけられ、ナミリエは慌てる。
「え?何であたしに聞くの?」
「だって、ラルフロイはナミリエと一緒に来たんだし」
「そりゃあ、そうだけど。別れた後のことなんて知らないもん」
 クレイとナミリエの会話で誰なのかも大体察する。まだまだあどけないナミリエが慣れない世界に飛び込んでやっていけたのは年上のお兄さん的存在が一緒だったことはすでに聞いていたのだ。あんまり尊敬されていないお兄さん的存在であったという事も。
「お友達?」
 ザイーの問いかけに、クレイは頷き、女子二人は首を振った。女子に嫌われてるんだな、と思うザイー。
「変な事して島の評判下げないでほしいけど……」
 溜息をつくエリア。それを言ってしまえば魔王なんて言うのは既に悪名の極みにしか思えない。エリアの願いは既に叶いそうにないと言えよう。
 とにかく、何が起きたのかはまだ情報が少なすぎて把握できないのだ。しかし、続報は案外早く届くことになる。

 アテルシアの王城に数棟ある塔の一つ。その高い窓から一つの人影が覗く。まだあどけなさが少し残る年頃の少女――ソノラ姫は年頃や活発そうな見た目には似合わない物憂げな顔で城下町を見下ろし、溜息さえも漏らす。
 この城は、いやこの国は今魔王の支配下にある。魔王に囚われた身で見下ろす、魔王の手に落ちた城下町。数日前とはその雰囲気は大きく様変わりしていた。騒がしかった町が静かになっている。いや、むしろ数日前とは質の違う騒々しさが生み出されていた。
 もう一つ溜息をつきながらソノラ姫は呟く。
「違う。……雰囲気が出ないわ」
 怒号。混乱。悲鳴。
 町を包み込んでいたそういった声は魔王の出現により消え去り、町はかつての、いやそれ以上の活気を取り戻していた。魔王に支配された町に相応しいものではない。市民が不満を爆発させて荒れ狂っていた数日前のほうが世も末と言った感じだった。
 と、部屋の外から声がかけられた。魔王のお出ましである。魔王は短く用件だけを伝える。
「王に用がある。玉座の間に連れてきてくれ」
「あ、うん。今行くねー」
 ソノラ姫ははっとし、今の発言を悔いる。
 自分だって雰囲気出せてないじゃない。
 ま、いいか。
 改めて身だしなみをチェックし、ソノラ姫はいそいそと部屋を出た。

 夕方。クレイの荷物から一枚の紙がふわりと舞い上がった。それに気付いたエリアがそれを目で追う。クレイの前方にふわりと舞い落ち、紙の上に幻影が現れた。数日前にグレックから届けられた手紙の中身、幻影通話の魔法陣だ。
「あ。グレックさん」
『妙なことになった』
 苛立たしげな顔つきでグレックは開口一番にそう言う。こちらとしても妙なことには心当たりがあるのだ。エリアはそれを口にする。
「魔王ですか」
『うむ。……移動中か。足を止めて聞くほどの話でもない。紙を持っていてくれれば歩きながら話せる』
「ですって。ホーンちゃんお願い」
 ソーニャに命じられて素直に無言で応じるチックホーン。グレックがちらりと振り返る。
『むさ苦しいな』
「すんません」
 しかし、子供に掲げられている姿を想像してみればこっちの方がましかと思うグレック。後ろを見なければなんて事はないのだ。もちろん男としての理想はソーニャあたりが恭しく掲げてくれれば何よりなのだが、本人にその気がないなら無理強いまではしない。
『実はな。私も今朝新聞で読んでな。コーヒーを吹き出しそうになったわ』
 セドキアにアテルシアでの出来事が伝わるまでには少しタイムラグがある。今朝の新聞で知ったという事はグレックもまたセドキアにいたと言うことである。日頃からアテルシアにちょっかいを出しておきながら魔王が台頭しているこのタイミングで目を離し、優雅に朝のコーヒーを楽しもうとしていた事になるのだが、致し方ない話である。何せ、ここしばらくのアテルシアは平穏そのものだったのだ。各地で起きていった暴動もいつの間にか収まり、天使も見あたらない。
 ただでさえグレックは開拓民たちを密かに見守りつつ新たに現れた天使の情報収集、その合間にアテルシアの様子を見る感じである。それほど頻繁に様子を見ていられない。まして、町の様子が平穏ならばその頻度も下がるというもの。自力でどうとでもできそうだったラルフロイは好きにさせておき、心配だったナミリエもクレイ達に預けた。
 クレイ達が島の外にやってくるちょっと前からずっと忙しかったが、久々に急ぎの心配事のない状況だった。少しのんびりしたくなるのも当然の心情なのである。ここしばらくはセドキアの魔法研究所に戻って進行が滞っていた研究に手を出したりしていたのだ。
 そんな中降って湧いた今回のニュースである。度胸もあって機転も利き実力面でも問題ないラルフロイは、グレックがその存在に気付いた時には既に悪漢や兵士などを軽くあしらっていた。最後に見たラルフロイの姿はクーデター勢力に祭り上げられて天使の軍団を蹴散らしていく姿。これならこれからも大丈夫そうだと思って心配していなかったのだが、心配すべきは彼の身の安全ではなく彼の行動であったと悟る。と言うか、スカイウォーカーを同行させておいたのだが、何の報告もない。それも含めてどうなったのか、なにをやらかしたのか慌てて調べに行ったのだ。

 アテルシア王都に魔法で転移したグレックが目にしたのは、これまでに見たことのない王都の様子であった。過去の姿と比べ、本当に同じ町かと愕然としたのだ。
 世を乱す魔法使い、そして長引くばかりの戦争。グレッグが初めて訪れた頃からその暗い影に沈み込んでいたこの町が、活気に満ち溢れていたのだ。凡そ魔王に支配された町という雰囲気ではない。悪いことになってなさそうなのは重畳だが、これはこれでむしろ、どうやったのか気になって仕方ない。
 グレックは一日かけて調査することにした。まずは商人に化け正体を隠して町に潜入する。どうやら魔王ラルフロイが君臨しているのは確かなようだが、町はどう見ても歓迎ムードである。町の方々に魔王ラルフロイの彫像――よく見ると魔法で作られた幻影だった――が存在し、即位を祝福する横断幕がはためいている。しかし、このくらいは恐怖で支配する暴君でも無理やりにやらせるものだ。新支配者が台頭すれば当然の光景と言える。
 と、姿を変えているのにグレックに呼び掛けるものがいた。兵士である。なぜ正体がバレたと思う一方で、強烈な違和感を受ける。何せ、腰が低いのである。かと言って恐れをなしているという様子でもないし、そうであるならわざわざ声をかけたりはしないだろう。
「グレック様。ラルフロイ陛下がご招待したいと仰せです」
「お、う。うむ」
 流れで応じてしまったが渡りに船であった。相手がラルフロイであれば魔法を使っていると自分の居場所を知らせているようなもの。ラルフロイの差し金ならばバレるのも当然だろう。
 時折忍び込んで構造は理解している王城内に、正面から堂々と入る。案内された謁見の間には尊大な態度で玉座に掛けるラルフロイがいた。
「陛下!グレック様をお連れいたしました!」
 それを聞くとラルフロイは尊大な態度を崩した。その斜め後ろには極めて気まずそうに立つスカイウォーカー。こんな所に堂々と立つ彼の姿を見ることになるなど、予想がつこうか。いや、グレックの出現に気付いておどおどし始めた所ではあるが。
「お。よく来てくれましたね。ところで何でそんな格好を?」
「そりゃ、私だとバレないようにに決まってる。私はここでは散々暴れ回ってきたからな、大騒ぎになるわ」
「そうですか。それより、何で俺はこんなことになってるんですかね」
 それが聞きたかったのだが本人も分かっていないようである。これは、骨が折れそうだ。とりあえず、商人風の変身を解いていつもの姿に戻った。
「おい、スカイウォーカー。お前は何をしていた」
「え。いやその。陛下……いやラルフロイ君の頼みで天使の目撃情報を探してる間にこんなことに」
 眼光鋭く獲物を捕らえたら離さない、そんな猛禽の目を泳がすスカイウォーカー。とにかく、何があったのかは本人に聞いてみることにした。

 ナミリエと別れた後のラルフロイは、ひとまず天使狩りを始めた。天使がどのようなものなのかを把握したラルフロイは、その有用性も理解し、さらにはその有用性を失わせず捕獲する手段も考え出したのだ。こうなれば天使の襲撃はカモがネギを背負ってくるようなものである。
 天使の出現とともにどこからともなく現れ退治するラルフロイは瞬く間に英雄扱いになり、教会は彼を悪魔として恐れた。程なくクーデター集団にスカウトされ、協力するようになる。天使はデモ隊やクーデター集団を狙うのでラルフロイにとっても渡りに船だったのだが、彼にとって非常に残念な結果となる。その時にはすでに天使は打ち止めだったのだ。
 ラルフロイを加えたクーデターは順調であった。厄介な天使は現れなくなり、その憂さを晴らすべくラルフロイは派手に暴れた。いや、ラルフロイ自身は大したことはしていない。城兵を操って同士討ちさせ、操った兵士で王を取り囲んだだけだ。王は30代後半くらいの男である。なりは豪華だが、疲れ果てた顔をしていた。
「何が望みだ。余の命か、それともこの国か」
 ラルフロイは思った。何それ、別にいらねえ、と。なので、ラルフロイとしてはクーデター勢にパスである。
 クーデター勢としては王が狙いだが、問答無用と言うほどでもない。正義感から立ち上がったような若者らしく、抵抗する手段を失った王を相手に自分たちの手を汚す覚悟もない。ここまでに死闘を繰り広げて犠牲でも出ていればそれも変わったのだろうが、操られての同士討ちを眺めながら進んできただけではそうはならなかった。ましてや部屋の隅で怯える姫の目の前でそれを為す気には到底なれなかったのである。
 抜け目ない王はそんな様子を見逃さなかった。説得交渉を重ね自らの退位を条件に助命を取り付けた。最も危険なラルフロイの興味が天使やそれを引き連れる教会にあるのを知るや、王の知りうる全てを教えると提示したのもその一例だ。
 こうしてクーデター勢と王の交渉は進んでいく。国の話などどうでもいいラルフロイは手持ちぶさたである。操った兵士にダンスさせて暇潰しをしていると。
「あなたは魔法使いなの?」
 柱の陰から姫が声をかけてきた。恐怖と興味がせめぎ合い、この瞬間興味が恐怖に打ち勝ったのだ。
「ああ、そうだ」
「悪い人……じゃ、ないよね?」
「さあな。少なくとも、陰じゃあタチが悪いとか性格が悪いとか言われてたぜ」
 もちろんそれには自覚もあるのである。だからこそタチが悪いのだが。
「角とか尻尾とかはないみたいだけど……」
「お前等からの俺たちのイメージってどうなってんだよ?まあ、そういうのがお好みなら角くらいはサービスしてやろう」
 呪文を唱えるとラルフロイの頭に角が現れる。姫の心に恐怖心が沸き起こった。そしてそれをあっさりと吹っ飛ばす好奇心も。
「すごい!どうやったの!?触っていい!?」
「いいものか。やめやがれ。触りたければお前にも生やしてやるからそれでも触ってろ」
「本当!?」
 意外なことに乗り気である。それどころかノリノリである。
「それとも尻尾にしてやろうか」
「うん!早く、早く!」
 喜ばせる結果になったことに幾許か忸怩たる思いを思いを抱きつつもラルフロイは呪文を唱えた。
 姫に犬のような尻尾が現れた。ドレスの上からである。自分の意志で動かせたりはしないようだ。姫は尻尾を手でたぐり寄せた。手には柔らかな毛としっかりした肉と骨の感触が伝わるが、尻尾の方に感覚はない。犬から切り取った尻尾をくっつけたような感じであるがそう考えるとちょっと怖い。そしてこの尻尾の付け根がどうなっているのかはとても気になる。ドレスにくっついているのか、ドレスなどを貫いて体から生えているのか。しかし、人前でそれを確認するようなはしたない真似は流石にできなかった。
 姫は尻尾をなで回しながらラルフロイに問いかける。
「どこから来たの?何が目的?」
「どこかはよく知らないが、島だ。……目的か。目的ねえ……」
 世界地図を見たときに自分たちが来た島が描かれてさえいないことに面食らったものである。そして、目的は。当初は婚約したら冴えない男と一緒に逃げた女を追ってきていたのだが、そんなことを馬鹿正直に言えるものでもないし、実のところ今はそのことはそれほど執着していない。そうなると、だ。
「今のところ、目的と言えるものはないな。まあ、面白そうなものは見つけたし、退屈はしてないが」
「面白そうなものって何?」
 ラルフロイは”しまった、余計なことを言った”と思う。言ってしまえばこう聞かれるのは当然なのだ。しかし、面倒ではあるが今はこの姫と話をするくらいしかする事もない。
 どうせ理解はできないだろうとは思いつつもラルフロイは荷物から一冊の本を取りだした。姫はぱらぱらと本をめくる。
「これはエウロポリア大陸で使われてる文字ね。見たことはあるけど読めないわ」
 ほう、と思う。こんなただの物好きと喋ったところで何の役に立たないと思ってはいたが、早くも使えそうな情報は得られた。
 ラルフロイが見せた本はもちろん天使の核であった本である。本にはいくつかの魔法陣や呪文が書き込まれている。呪文はもちろん魔法文字で記されていて、ラルフロイなら読めるしある程度なら意味だって理解できる。その点は問題ないし読めないと断じた姫など問題にもならない。だが、この漠然と魔法文字だと理解していた文字がこの世界のどこかで普通に使われているということが解ったのである。もしかすると魔法のルーツが辿れるかもしれない。
 ラルフロイにとってはそんな歴史めいた話はどうでもいいのだが、ルーツを辿るうちに廃れたり隠されたりした秘奥を垣間見ることができるかも知れない。この天使の書ですらなかなかとんでもないのだ。これ以上のものがあるとすればどれほどのものだろうか。
「それは天使とやらが持っていた本だ。天使は俺たちが使う魔法と同じ原理で動いている」
「そうなの?魔法使い対策の最終兵器っていう触れ込みだったけど……。魔法には魔法っていう考え方なのかしら。民に知られたらまた反感買っちゃうじゃない」
「魔法使い対策って割には無関係の連中を襲ってたみたいだが?」
「暴動を鎮めるのに協力するって言うからお父上が任せたのよ。でも、失敗だったみたいね」
「俺が出てきちまったからな」
 居丈高に言い放つラルフロイだが、ソノラ姫はすぐにかぶりを振った。
「天使がやられちゃったことじゃなくて、そもそも教会に頼ったことがよ。あいつら、この国を支配下に置くつもりだったのよ!……ってお父様が仰ってたわ」
 どういう根拠で支配下に置かれると思ったのかはこの調子だと姫からは聞けそうにない。その後、王の口からその根拠が語られるがそれによると、天使が子供を平気で犠牲にしたことだったようだ。
 そんなことをすれば禍根が増えるばかりだ。この時点で穏便に事態を納めようというつもりはないことを察したという。子供にさえ容赦しないならば、大人などさらに苛烈な処遇もあることだろう。これは逆らう気を殺ぐ。そんな不満の当座の捌け口としては、教会が王の協力者だと公表するだけでいい。民は全てを王の指示だと思うだろう。怒りの矛先は分散し、何ならより下しやすい王が槍玉に挙がることだろう。
 そもそも。教会は王家と手を結ぶに当たり、本心かどうかはさておいて領土を望んでいるわけではないが多くの魔法使いが漂着するこの土地が重要だと言っているのだ。それが嘘で国土を占領しようとしているというならもちろんこのまま力で制圧するだろうし、本当だったとしてもこの土地が押さえられていればそこに住んでいた異教徒など粛正して本土の植民地にすると言う手だってあるのだ。要は、この土地が教会の意のままにさえなれば過程などどうでもいいと言うこと。それは最悪のケースだが、少なくとも失墜しつつある王家など切り捨てることに躊躇いなどないはずだ。
 しかし、ラルフロイたちの出現で風向きは大きく変わった。天使は撃退され、結局どのようなものだったのかさえ判らないままだが教会の目論見は潰えた。そしてクーデターは実現したのだ。
 王は全てを失うことになるだろう。それでも、安堵しているのだ。自らの招き入れた教会に国民が蹂躙される様をその黒幕の汚名を被りながら見届けるという事態は避けられたのだから。そして、まだ全てを諦めてはいなかった。クーデター首謀者の落とし所を油断無く探っていたのだ。
 その結果誕生したのが魔王ラルフロイだったのだ。

「……なんでそうなる」
 ラルフロイの話を聞いたグレックが抱いた感想は、話の重要な部分が欠けている、だった。しかし、それも仕方ないのだ。
「俺がソノラと喋っているうちに勝手にこういうことになってたんですよ」
 クーデターの首謀者であるスティーブン=ジーポックは正義感と情熱、そして行動力に溢れた男であった。しかし、王を弑する覚悟もその後のプランもない、勢いだけの男でもあったのだ。ラルフロイが手を貸しさえしなければクーデターなどうまくはいかず、身の丈に合わぬ責任を背負わされることもなかった。
 ましてや現在のアテルシアの疲弊し混乱しきった状況を改めて聞かされ、自分にどうにかできるものではないと悟ってしまった。斯くて王の口車に乗せられ丸め込まれクーデターも有耶無耶に、とはならなかったのは王もとっととこの状況を誰かに押しつけて逃げたかったからである。一番頭の良さそうな人物としてラルフロイが推薦されたのはレジスタンス側の人材不足を物語っていた。こんなクーデターを成功させてしまったラルフロイは、責任を取らされて当然と言えたのだ。
 しかし、こうなるとむしろこの国を長く観察し時には干渉もしてきたグレックの方が事情を察することができるというものだ。
「アテルシアは先王の時代から大臣の発案で都合の悪いことは魔法使いのせいにして誤魔化してきた。それに騙される馬鹿ばかりでもなかったとは言え、騒ぐだけの愚民を黙らせるには有効だった。賢い民も呆れながらそれを見逃してきたのだ」
 処刑される悪党に魔法使いの罪も着せるだけのことであり、善良な民に火の粉がかかることはないと思っての高みの見物だったのである。もちろん、様々な問題には目立った効果こそなくとも地道に対策も行っており、効果が目立たないことで不満になる理解の浅い連中を派手な処刑パフォーマンスで黙らせていただけ。問題は積み重なってはいたが、表面上はうまく回っていたのだ。
 こうして魔法使いは悪という構図が根付ききったところにグレックが現れた。悪を為す恐るべき大魔法使いの出現はある意味渡りに船ではあったが、問題はグレックが国の悪徳を暴くような動きをしたことだった。
「身に覚えのない悪事の濡れ衣を着せられて黙ってなどいられるか」
 ラルフロイもその意見に同意である。アテルシアの為政者達としてはグレックに罪を着せたらさっさと始末するつもりだったのだろうが、グレックはそんなに甘くない。クレイやエリアですら容易くは捕まらなかった。グレックはその何倍も強かで狡猾である。
 のらりくらりと逃げ回りつつ、反撃に出る。自分の無実を知らしめるには真実を詳らかにするのが効果的である。隠していた国政の暗部が少しずつ国民に晒された。これはさすがに拙いと思ったのかアテルシアもグレックに濡れ衣を着せるのはやめたようだが、それでグレックが矛を収めることはなかった。
「なかなか執念深いようで」
 にやつくラルフロイを見ながら密かにスカイウォーカーは似たもの同士だよなあなどと思うのだった。島とやらから来た魔法使いが皆こうでないのはクレイとエリアを見れば確かだが、ナミリエもいることだしあの二人が貴重な例外なのかも知れない……。
 とにかく。アテルシアの情勢は最初こそ魔法使いへの責任転嫁がうまくいって市井の不満をコントロールできていたが、それは手を出してはいけない麻薬のようなもの。味を占めた貴族や役人が方々で悪用し始めると事態は元より悪化。もちろんそんな貴族役人など魔法使いとして粛正するのに都合がいいくらいだったが、根本的な問題は残ったままだった。
 先王時代に先送りの限りを尽くしため込まれた問題ごと王座を受け継いだ王に事態をどうにかできるはずもなく、頭を抱えながら引き続き大臣に丸投げしていた。自分で始めたこととは言え大臣ももはや限界を迎えつつあり、やり口はだんだん雑になっていた。
 そんな中でのクレイたちの出現。しかもクレイとエリアの身代わりにされたダグとフェレニーは悪事を働いたわけではない。そしてそもそものクレイたちもそれほどの悪事を為したわけでもない。罪無きダグとフェレニーの処刑、そしてバンフォの焼き討ち。
 魔法使いとして処刑されるのが悪人だけではないとなれば、全ての市民にとって他人事ではなくなる。その状況で大臣が何者かに暗殺されたのだ。今更全て大臣がやったことですなどと言ったところで誰が信じるというのだろうか。たとえそれが事実だとしても。王としてももう打つ手など何もない。今まで事態をどうにかしてきた大臣は、もういないのだ。
「それで丸投げできる相手を探してたってことですか。しかし、何で俺に……。そこまで誰でもよかったんですか」
 ラルフロイはまだ子供といってもいい歳の上、国民ですらない。人の上に立つどころかこの国、ひいては島の外の世界のことをほとんど知らないのだ。
「そうなのだろうな。元々王もお飾りで国の運営は臣下が決めていた。優秀な臣下さえ見つかればよい。まあ、それが一番厄介なのだが」
 この国は小国ゆえに人材も多くはない。優秀な人材を育てる地盤さえないのが現状だ。
「というか、詳しいですね」
「まあ、この国のことはずいぶん調べたからな……。個人的な恨みからだし、裏事情ばかりだが」
「でも、俺よりこの国をどうにかするのに向いてるでしょ」
「何を言うか。私は国民の憎悪を買いまくってるんだぞ。表舞台に立てるわけがない」
「それなら裏から糸は引けますよね」
 すると黙って聞いていたスカイウォーカーも嘴を挟んできた。
「おお、それはいい考えだ。旦那が長年根回ししてきた計画も、強引に一気に進められるんじゃないですかい」
「いや、事態は大きく動いたんだしその計画ももう今更意味がないだろ」
「いやいや、目的は変わっても有効でしょう。この国の安定のために役に立ててラルフロイ君を楽にしてやってくださいよ」
 たとえそれが表情に乏しい猛禽の目であっても判る。その位にグレックを巻き込んでやろうというのが見え見えの目であった。
 そしてさらに追い打ちがかかる。
「これはこれは。お初にお目にかかりますな。折角の機会ですし、今のことも含めていろいろお話でもしませんか」
 ソノラ姫を伴っての王の登場であった。
 こいつら絶対物陰で見守りつつ登場のタイミングを見計らっていただろう。そう思い苦々しい顔をするグレックだった。

『おかげで私も顧問と言うことにされてしまったわ。飛んで火に入る夏の虫だよ、全く』
 溜息をつくグレックにテラーファングが言う。
「俺たちが聞きたいのはおやっさんの愚痴じゃなくて魔王の話なんですがね……。まあ、こっちも大概大事ですが」
『魔王か。大した深い意味は無いみたいだぞ。誰も知らない若造を王に据えられても納得してもらえないから、魔王に支配されたことにしてしまおうという思いつきでな。最初にソノラ姫がせっかく王になるなら魔王を名乗ってとノリで提案したのがきっかけだ』
「支配って……」
「ラルフロイならお望み通り暴力と恐怖で支配してくれそうね。……っていうか何歳なの、そのお姫様って」
 完全に他人事のナミリエ。その問いかけに複数の返答があった。
「15くらい?」
「10歳くらいじゃなかった?」
「13歳だ」
 この場合、曖昧な上自信もなさそうな一般市民の推測より国所属の兵士だったサマカルドの断ずる答えを信じるのが確実だろう。
「私より年上かぁ」
 エリアは何となく言った。
『そうは見えなかったがな』
 本人を目にしたグレックの感想である。エリアが大人びているのかソノラが子供っぽいのか。あるいはその両方か。こちらではまだ歳の近い友達ができていないエリアとしてはお近づきになりたいとも思うが、そんな機会があったものかどうか。
『暴力と恐怖による支配ならすでに始まってるぞ。魔王の名を知らしめるために即位の発表をかねて血の粛清が行われてな。数名がラルフロイの生贄になっておる。もっとも、腐敗ぶりが目立っていた貴族・官僚や凶悪犯だから、市民からは喝采だったようだが』
「生贄って……何をしたの」
 ナミリエが嫌そうな顔をした。
『そこにいる、と言っていたから生かしてはいそうなのだが……何とも言えんのがな。詳しい話は聞いていない』
 今回は魔王誕生の事情を探りに行ったのだ。魔王の所行を知りたいわけではない。しかし王やソノラ姫から魔王とはどのようなものかも聞かされていたラルフロイは、そのイメージに従って行動している向きがある。粛清もその一環なのは言うまでもない。
 何はともあれ、グレックとしても顧問に仕立て上げられたからにはラルフロイが目に余る行動をとらぬように指導する必要がある。何せ、そんな厄介事に首を突っ込むことにしたのも粛正などと言う話を聞いたからだ。放っておいたら何をやらかすか分からない怖さがあったのだ。
『そんなわけで、あまりこっちの面倒を見られなくなるかも知れん。こっちにはソーニャもテラーファングもいるし、今はチックホーンも……』
 グレックはそこで言葉を止め、少しおいて溜息をついた。
「なんすか、その問題児しか居ねえみたいな態度は」
「すんません」
 さすがはテラーファングである。噛みつくのが早い。そしてチックホーンは謝るのが早かった。
『自覚があるのがせめてもの救いか。チックホーンが押しこそ弱いが良識派なのもな……。ん?それよりそこにいるのはアウズの聖職者ではないのか」
 移民団の同行者に新顔が増えたところで、グレックとてその全員を覚えているわけではないのだから気付くことはない。だが、顔ではなく服装が特徴的な一団ならば話は別だ。出発時にこのような集団がいた記憶はない。
「そうなんですよぉ。ちょうどこの間天使が現れるとかそんな話をしたじゃないですか。そしたら次の日、早速遭遇したんですよ!」
 そしてソーニャは誇らしげに話す。ただ布教の旅をしていただけの宣教師団を、先制攻撃でボコボコにした顛末を。話の途中からグレックは頭を抱えていた。
『何という……。予想はしていたが本当に問題児しかいないのか』
「いやいや。真に受けるの早いですって。1割は誇張ですぜ」
 テラーファングの指摘も救いにならない。
『9割は事実なのか……』
 その通りなので反論はできないのだ。
「護衛役の聖騎士を壊しちゃったから、私たちが代わりに護衛を買って出たんです。ついでに教会の内情とか、いろいろ教えてもらおうかなと」
『聖騎士?また新しいややこしそうなものが現れたのか?』
「天使に鎧を着せただけみたいです。天使キラーのナミリエちゃんがあっさり焼き払ってたので心配無用ですわ」
 その過激で容赦ない対応も頭痛の種なのだが……。
 長らく魔法使いに敵対的で話も聞こうとしないアテルシア国民をどうにかしようと頑張ってきたグレック。その原因が国政にあると気付いてからは多少強硬策ながらもその事実を国民に知らしめるために動いてきた。自分自身が恐ろしい魔法使いだと思われるのは構わない。強硬策に出たのだから、この認識に否やはないのだ。
 しかし、魔法使いの島が恐ろしい人類の敵の巣窟だなどと思われるのは心外なのだ。クレイやエリアのような善良な魔法使いまで、自分と同じだと思われてはかなわない。だが、ラルフロイやナミリエが自分よりも過激なことをすると、島の評判が下がってしまう。折角諸悪の根源だった大臣が身を滅ぼし国民の目が覚めたというのに、さらに厄介な問題が起こったようなものである。しかも、原因は身内だ。
 しかし、ここには善良で大人しいクレイとエリアがいる。彼らに任せておけばそんなに悪いことにはならない。大人しすぎてナミリエやグレック配下の問題児のやりたい放題を止められないかも知れないが、流石にそこまで困った事態にすぐにはならないと信じて、厄介なアテルシアの問題に取り掛かるべくこちらは任せておくことにしたのだった。