マジカル冒険譚・マジカルアイル

35.受難

 カーパイノス宣教師団。セドキア国内でアウズ聖教を布教して回る一団である。そんな彼らの旅は苦難の連続であった。
 教会は大陸の各地において布教活動を行っていた。航海技術の進歩により本格的な布教が始まったこの大陸では全土でまだ異教に当たる。それだけで布教の難度は高い。それに加えて、セドキアでの布教を難しくする事実がある。セドキアにとって敵国であるアテルシアが教会と手を結んだのだ。
 魔法使いの島から一番近いアテルシアは、その魔法使いの確保を目論む教会にとって重要な土地であった。しかし、島から漂着した魔法使いたちの旅立ちの地になるアテルシアは、島の外での常識をまだ知らない魔法使いたちが生き延びるためとは言え好き勝手なことをするだけして通り過ぎていく場所。大人しい者でも食べるために盗みを働き、追い回されて牙を剥く。中には最初からその力を躊躇いもなく揮い略奪の限りを尽くす者もいる。長い歴史の中で魔法使いを嫌うようになり、近年では悪いことは全て魔法使いの仕業にして政治への不満を押さえ込もうとまでしていた。最近では行き過ぎた魔法使い嫌いにより魔法使いというだけで追い回されるとか。そんなアテルシアに魔法使い捕獲への協力をちらつかせながら接触をはかると、見事政府との繋がりを得られたのだ。
 一方セドキアもまた教会にとって重要な国であった。何せ現状もっとも有力な魔法使いであるグレックが拠点としているのだから。しかし、セドキアにとって教会の印象は芳しいものではない。敵国アテルシアと手を結んでいるのもその理由の一つだ。
 そもそも、セドキアとアテルシアが敵対している理由も魔法使いなのだ。元々セドキアは魔法使いに対しそれほど敵対的ではなかった。アテルシアでの洗礼によって外界での常識を思い知った魔法使いたちは、隣国に逃れた辺りから多くが常識的に振る舞うようになる。そしてアテルシアから少し離れたセドキアなどで落ち着き腰を据えるのだ。そのため、セドキア近辺では困っていたら魔法使いが助けてくれたという話の方が多い。
 グレックもそんな魔法使いの一人だった。アテルシアでは魔法使いというだけで迫害を受け、気性の激しさからそれなりの態度でアテルシア人に接した彼もまたセドキアに流れ着いた。アテルシアもグレックがいなくなったことを素直に喜んでいればよかったのだが、グレックはグレックで多少やり過ぎていた。アテルシアはグレックを匿うセドキアを敵と認定し宣戦布告を行ったのである。
 しかし、セドキアから見ればアテルシアは小国だ。端から相手にならないのである。それにアテルシアの狙いはあくまでグレック。民へのメンツのために宣戦布告はしたものの、国としては勝ち目がないセドキアと本気でやり合う気はない。あくまで国民向けのパフォーマンスのようなものだった。
 しかし攻め込んでくる艦隊は本気だ。兵士はパフォーマンスされる国民に近い立場であり、自国で好き勝手に暴れたグレックを討伐しようと士気は高く、一方で自分が命がけの戦いに駆り出されている本当の理由など知らない。知ってしまえば士気の下がるようなものならなおさらである。国としても、兵士から民にこの場当たり的な処置のことが伝わってしまうのを避けるために真実を明かせずにいる。落とし処としてはグレックの身柄引き渡しだが、セドキアはそれに応じず、小競り合いは継続されていた。
 とにかく、アテルシア軍としては敵と定めたものと全力で戦う、それだけだ。そして、それを迎え撃てばいくら圧倒的に強いセドキアの艦隊でもそれなりに被害が出る。自国に被害を与えるものに好感を抱くものなどいない。況やそんな敵国と結びついておきながら自分たちにもすり寄ってくる教会になど。
 それでも、最近は状況は好転していたのだ。アテルシアで内乱が起こり、教会がそれを調停した。実際には武力介入による制圧だったが、この騒動でメンツのために戦っていた王家や政府の権威は失墜し軍部も混乱しており、もはやセドキアとの交戦は継続できそうにない。終戦に教会が一枚噛んだようなものだ。おかげでセドキアの国民も彼らの話を少しは聞いてくれるようになっていたのである。
 長かったが、彼らによる布教活動もようやく始まるのだ。ここまでが長かったが、彼らの度は今始まったばかりと言える。
 そう意気込んだところで、あの悪魔達の襲撃を受けたのである。

「いたわ、あいつ等よ」
 前から近付いてくる一団を見つけてソーニャは一行を振り返った。
 しばらく前から移民団一行の行く手の町で教会の聖職者たちが活動しているという情報を手に入れ警戒していた。そして、その聖職者達がいるその隣の町に到着したこの日、聖職者達もまた動いたという情報を得たのである。
 さらに、クレイたちもまた異常な魔力が少しずつこちらに近付いているのを感じていた。それを出迎えるため、精鋭のみで待ち受けることにしたのである。こうして対峙してみるに、恐らく魔力のその出所は聖職者に付き添う全身鎧で巨躯の騎士。
「本当に戦うの……?」
 心から乗り気でない様子でチックホーンが呟いた。
「大丈夫、これだけいるんだから怖くないわよ」
 チックホーンにしてみればこれだけで大丈夫なのと言いたい人数だったが、ソーニャは自信たっぷりである。
「怖けりゃすっこんでたって文句は言わねえよ。数も少ないみたいだしよ。まあ、お前さんはその見た目だけでも十分はったりにはなりそうだしな」
 怯えるチックホーンをにこやかに励ましてやろうとするテラーファングだが、笑うと剥き出しになる牙が却って怖がらせていることに気付いては──いや、これは分かっててやっている。
「わ、わかりましたよ……」
 会話だけ聞いていると後ろで威圧だけしててすっこんでていいという言葉をそのまま受け取ったようにしか聞こえないが、これは言外の圧力への返事である。
 そんなやりとりの間にも先頭で浮遊しているソーニャが速度を上げて一団に声を掛ける。
「今晩は、良い夜ですわね」
 ただの挨拶にしか聞こえないし、実際ただの挨拶である。だが一団には明らかに緊張が走る。そりゃあそうだ。何せ、夜道で飛んでる女に声を掛けられたのだ。怪しすぎる。
「な、な、何者だ!」
「あたしはね、あなた方の元・お仲間よ。聖女……今は堕落してるけどね、んっふふ」
「あいつ、自分で堕落してるとか言ってやがんぜ」
 誰何に答えたソーニャの言葉に呆れつつ、テラーファングは敵の様子を窺う。誰何の声からして震えていたが、先頭の聖職者は腰を抜かす直前くらいまで足も震わせている。露骨に大したことはなさそうである。となると、危険がありそうなのは鎧のデカブツくらい。しかし、テラーファングにとって鎧は難物である。持ち前の牙や爪は鎧に通じない。剣を抜くしかない。願わくば出しゃばりな魔法使い達が相手をしてくれれば……。などと思っていると、もっと出しゃばりがいたものである。
 覚悟を決めたらしいチックホーンがやおら上着を脱ぎ捨てると、その肉体を変化させた。全身が暗褐色の毛に覆われ、顔立ちが牛になっていく。目に付くのはその名の通り頭に突き出す一対の角。ただでさえ大柄だった図体がさらに一回り大きくなり、毛だけではなく筋肉にも覆われていく。隣で見ていたテラーファングもちょっとビビるくらいの見た目である。
 目を爛々と光らせてふんと鼻息を撒き散らすと雄叫びを一つ上げた。そして立ちすくんだ聖職者達の前に出ようと歩き始めた鎧の騎士に向かって突進、頭突きをかました。
「俺の相手はどこだ、出てこいやー!」
 鼻息荒く吼えたくるチックホーン。ぶちかましてから言う科白ではないが、そんなことより。
「おい、なんだあいつ」
 先程まで怯えて今にも逃げ出しそうだった人物だとは思えない、殺る気に満ちあふれた立ち振る舞いである。
「ホーンちゃんはね……。ちょっと合体させる動物のチョイスを間違えられちゃった気の毒な子なのよね……」
 テラーファングはこの後落ち着いてからソーニャから詳しい説明を受けることになる。それによると、チックホーンは見ての通り、気は優しいが力持ちという男だった。そんな彼に相応しい、大きな牛を復活の寄り代にしたのである。だが、後から気付いたのだがその牛が実はとんでもない猛牛だったのである。そのため、獣化したチックホーンは普段と真逆の猛々しい性格になってしまうのだ。
「しかしいくら獣の性格に引っ張られるったって、あそこまで変わるもんじゃねえぞ」
「それはホーンちゃんが元々、普段は大人しいけど怒ると怖いタイプだったんじゃないかしら」
 などと結論を出したが、実のところはどうなのか本人もよく分かってないので考えても詮無いのだ。
 それよりも。チックホーンが体当たりした騎士がバラバラになってしまった。それを見た聖職者達はいよいよもって腰を抜かしたが、ソーニャ達もこれには驚く。中に入ってた人の四肢が引き裂かれたと言う感じではない。明らかにがらんどうの鎧が吹っ飛んだ勢いで分解したのだ。
 胴鎧の中から光が零れ、中から光の塊がひょっこりと現れた。それは光の翼をふわりと広げる。光の中には四角い影が朧に見えている。
「こいつ、こいつよ!こいつが天使!天使ならあたしにおまかせっ!」
 ナミリエがふわりと舞い上がりチックホーンの肩に降り立ちながら叫んだ。最寄りの安定した場所としてチックホーンの角の間、すなわち頭の上に腰を下ろして呪文を唱えだした。今し方の荒ぶり具合を目にした上でのこの行動は大した肝の据わりようである。
 ナミリエが唱えたのは、正体が本である天使に最も有効でありナミリエのマイブームである炎の魔法だ。翳されたナミリエの手から炎が放射されて天使を狙う。その狙いは正確にはほど遠い。それでも荒れ狂う炎の大蛇が天使を掠め、本を包むのが純白の光から紅蓮の炎に置き換わった。
 残すは雑魚のみ。と言うか、最初から戦意など持たず怯えるばかりの敵と呼ぶのも烏滸がましい腰抜けである。実際先ほどからずっと腰を抜かしている彼らに、大人の中でもっとも温情ある人物が優しく声をかけた──。

「今晩は、良い夜ですわね」
 すっかり日も落ち、それでもようやく次の町の近くまでたどり着くところだったカーパイノス宣教師団の行く手に怪しすぎる一団が立ち塞がった。まず目に付くのは見上げるほどの巨漢だった。暗い夜道ゆえに顔恰好は判らないが、その大きさだけで目を引く。そして声をかけてきた先頭の女性。巨漢以上に目を引くのは何と言っても杖に座ったまま宙に浮いていることである。
 断じてとは言い切れないが、扇情的なその服装に目が行く訳ではないのである。
 恐る恐るカーパイノスが誰何の声を上げると聖女だと答えた。堕落したとも言ったが。
 確かに、聖女であるなら空中浮遊の奇跡を起こすものがいても不思議ではないだろう。聖女が来たというのは教会による出迎えだろうか?しかし、宣教師団は特にスケジュールなどを決めずに行動している。旅の行程もその日程も、現地で情報を得ながらその場で決めている。スケジュールを立てて動けるほどにこの地の情報がないせいだ。それほどこの地での地盤が固まっていないアウズ聖教会に彼らを出迎えるほどの行動力も期待できない。
 そもそも目の前の女性は聖女の見た目ではない。堕落したせいか。では、堕落とは。
 考えていると、巨漢がいきなり服を脱ぎ捨て、それと同時にそのただでさえ大きな体がさらに膨れ上がった。同時に頭に二本の角が生えた。彼が人間でないのは明らかだった。人の姿をしながら角を持つ者。そう、それは悪魔。つまり堕落とは悪魔の手先に墜ちたということに他なるまい。
 実際の所、悪魔っぽいチックホーンが気分的にはソーニャの手下みたいな立場なのだが、カーパイノスの理解がそもそも根本的に間違っているのでもうどうでもよかった。
 絶望寸前のカーパイノスたちに、最後の希望が立ち上がる。前回布教本部に帰ったときから同行してくれている聖騎士である。その聖騎士は、背後からカーパイノスたちを庇うように前に飛び出し……悪魔に瞬殺された。バラバラになって吹っ飛んだのである。最後の希望も呆気なく断たれて一同腰が抜けるほど脱力する。
 圧倒的な悪魔の力。聖騎士は鎧を残し中の肉体は消失してしまった。彼らには鎧の中に人などいないという発想は出るはずもない。ソーニャたちは自分たちは筋肉バカが突っ込んだだけで他は何もしていないと知っているから、鎧の中が空っぽだったという結論に至ったのだ。そうでなければ、何かをされて中の人が消えたとしか思えないのである。相手が悪魔だと思っているならなおのこと。
 いや、カーパイノスたちも聖騎士については薄々気付いていないでもなかったのだ。紹介されたときに無口な騎士だとは言われたが、共に旅を続ける中で彼が一言だって言葉を発したことはない。食事も口にせず、睡眠をとっている様子もない。ローブで隠された足元は足音さえ立てない。人間ではなさそうだ。これだけ条件が揃っていればそのくらいは察するのだ。
 もっとも、その正体については全く見当がついていなかった。彼らの常識で、これらの条件を満たす存在と言えば幽霊くらいだった。そのせいもあって怖くて正体を考えるのも敬遠していたのだ。だからとりあえず、悪魔によって跡形もなく消滅したと考えた方がいくらかマシ……なのか、跡形も消すような悪魔に遭遇したと思うより同行者が幽霊だった方がマシ?──悩ましいところだ。
 鎧の中から羽の生えた本が飛び出しても大した驚きはなかった。もはや起こる全ての出来事にただひたすら困惑するのみ。幽霊ではなかったが、出てきたものも幽霊よりも理解不能だ。しかし、その正体を言葉にした者がいた。天使だ、と。その言葉を口にしたのは天使のように愛くるしい少女だった。
 とは言え、一瞬でも天使のようだと思ったのはとんでもない間違いであった。角の悪魔の頭の上に乗った少女は、その手から地獄の業火を無邪気な顔で撒き散らしたのである。その炎はカーパイノスたちの身を焼き焦がした。それは大袈裟でも、服の端が焦げたり髪の毛が数本チリチリになったり腕の毛がなくなったりはしたのである。そして荒れ狂う炎が収まった気配に顔を上げれば、得意げにふんぞり返る少女と光の代わりに炎を纏う天使と呼ばれた本が見えた。
 聖騎士の中身が天使で、その正体が本で。それがすでに理解の範疇を越えていたが、そんなのに驚いている余裕はない。悪魔の一団は未だ健在なのである。それも、理解を超えた存在である聖騎士を一蹴した上で。
 と、混乱の極致に陥っていたカーパイノスの肩に何者かが手を掛けた。
「あんたらさ、刃向かう気がありそうにも見えねえし、このまま大人しくしていてくれるんなら悪いようにはしねえぜ。……多分」
 何者かはそう言い、にっこりというかニヤリと微笑んで見せた。……牙を見せつけるように。やはりと言うべきか、どう見ても悪魔である。
「ひ。どうか命だけはお助けくださいっ……」
「おいおい。そういうことは言うもんじゃあねえぜ?命以外は奪っていいと思われちまう。交渉ってのは高くふっかけてから少しずつ譲歩していくのが基本よ」
 などと狡いことを吹き込んでくるあたり、いよいよ悪魔であった。

「なに言ってんの。やめなさいよ、怖がってるじゃない。あんたの顔は怖いんだから近付けちゃ駄目。あと、ホーンちゃん?あんたね、これから交渉しようって時にいきなりぶちかますんじゃないわよ。台無しじゃない」
「すすすすんませんっ」
 ソーニャに説教されたチックホーンはもちろん気弱な人間に戻っている。頭の上に座ったままのナミリエも一緒にしゅんとなっていた。カーパイノス達は悟る。堕落した聖女は悪魔に従っていたのではない。悪魔達を引き連れてきた首魁なのだと。まあ、それも強ち間違ってはいないだろう。
「ぼくたち、出番なかったね」
「そうね」
 クレイとエリアは顔を見合わせる。出番などない方がいいとは思うのだが、かと言ってナミリエにこんな風に出番を作ってしまうのはいかがなものかとも思えた。それなら自分が動いた方がいいんじゃないかな、ナミリエより加減もできるだろうし。クレイがつまみ上げようとして粉々になってしまった、天使という本であった灰の塊を横目にエリアはそんなことを考えるのだった。

 保護という名目で町外れのキャンプに連行されたカーパイノスたちへの聞き取りは、クレイとエリアが受け持つことになった。見た目でアウトなテラーファングはもとより、ぶちかましちゃってる上に聞き取りが出来るほど賢くもないチックホーンとナミリエも話にならない。クレイとエリアならそんなに怖がられずに落ち着いて話が出来るのだ。
「は?あたしのどこが怖いっての?何か怖がられるようなことした?挨拶しただけじゃないの!」
 ソーニャはご機嫌斜めだ。
「こえーよ」
「お姉ちゃんこわーい。ねぇ?」
「……ノーコメントで」
 チックホーンに至っては怖すぎて正直な意見を述べられもしなかった。挨拶されただけとは言え、カーパイノスたちから見れば悪魔の軍団を率いてやってきた魔女にしか見えない。怖い悪魔たちに説教まで垂れているのだからまさに悪魔軍団のボスだ。怖がらない訳がないのだ。当然、カーパイノス達はご立腹のソーニャに震え上がっている。
 やがて簡単な聞き取りも終わり、カーパイノスたちも落ち着いてきたので改めて会議室にて話を聞くことになった。
 クレイとエリアが聞き取ったことをまとめる。
「そ、そんな。魔法使いを討伐するために派遣された刺客じゃないの?」
 一通り聞いたソーニャは慌てふためいた。
「めめ滅相もございません!ただ、皆様に我らの教義を知っていただくべく我らは各地を旅している次第でありまして!」
「じゃあ、あの天使は?」
「聖騎士様のことですよね?あのお方は道中の危険がないようにと教会の方から派遣された護衛だったのです」
 その護衛のせいでいらぬ危険を呼び込んだ形になっていたが。
「この人たち、あの聖騎士とか天使について詳しい話は何一つ聞かされてなかったみたいだよ」
「アテルシアからこっちに向かってるって言う軍の残党と手を組んだ天使のことも知らないみたいです」
 クレイとエリアの言葉にカーパイノスが何度も頷いた。ただ、聖騎士が普通の人間ではないことはうっすら感付いていた。怖いので、気にしないようにはしていたとは言えだ。
「えっと。あたしはただ挨拶しただけだからね」
 ソーニャは責任逃れの発言をする。自分は挨拶するだけで手下達に聖騎士を始末させた手腕はボスのそれであった。
「でも、活動するために生け贄が必要なんじゃないの?アテルシアで暴れてた奴は子供を食ってたんでしょ?」
 ソーニャの問いかけに頷くナミリエ。このやりとりで自分たちの護衛を任されていた存在もまた恐ろしい化け物だった可能性を知るカーパイノス。しかし、その話をしているのが悪魔なので自分たちの信仰心を蝕ませる口車なのかも知れないとも思っている。
「聖騎士様はより神に近しい存在のため、聖騎士様を通して神への祈りを捧げれば聖騎士様にも奇跡の力が与えられると言われておりました」
 従者の一人がそう言った。
「もしかして、その祈りで魂を吸い取っていたんじゃないかしら」
「それよ、きっとそうだわ」
 エリアの意見にソーニャが同調する。悪魔が騙そうとしているのだと思いつつも寒気がするカーパイノスたち。従者が思わず呟く。
「魂を吸い取られると、どうなるのでしょうか」
 普通に考えて死ぬか心を持たぬ抜け殻として生きることになりそうだ。だが、そうでもないらしい。
「程度に拠るけど、ちょっとくらいなら疲れるくらいよ。一休みすれば回復するわ。ご飯食べて一眠りすればなおよし。あたしらが普通に魔法を使ったときと同じね」
「ぼくたちの魔法って、魂削ってたのか……」
 クレイすら知らない事実だが、だからといって恐れる必要はない。回復はするようだし、今まで知らずにいられたくらい影響がないのだ。
 カーパイノス一行に同行していた聖騎士は、道中も平穏でこれまでただ同行してきただけで戦うことはなかった。必要な魔力も維持と移動の分のみ。宣教師団の人数なら、頭割りすれば魂の負担も大したことはない。もし戦闘が発生して魔力の使用量が増えてもそれを補う魂の代償はせいぜい翌朝寝坊するか夜食が欲しくなる程度だろう。それで対処しきれないような大集団に襲われたところで、聖騎士の奇跡でも対処しきれず魂を食い尽くされるより先に全滅するはずだ。
 ひとまずここまでの話をまとめると、カーパイノスたちはただ教えを広めるために行脚しているだけであり、戦う力などまるでない。むしろだからこそ盗賊などに備えて護衛に聖騎士をつけてもらった形である。魔法使いを狙った刺客どころか魔法使いがこの国に来ていたことも知らなかったようだ。
 アテルシアからの難民が開拓地に向かっていることはニュースにもなっているので知ってはいたが、その一行に魔法使いがいるというのは初耳だったそうである。さらに言えばアテルシアの方で教会が動いていることについても自分たちの活動にはさほど関係なく、小耳に挟んでいる程度だったようだ。
 むしろアテルシアで活動している教会が先に結果を出したことでカーパイノスたちは苦労させられたのだ。そして更に今回の出来事。アテルシアの連中のしたことで自分たちがとばっちりを食ったのだ。カーパイノスたちもアテルシア教会に怒り心頭に発した。もちろん、勘違いしいたとはいえ襲ってしまった魔法使い一行の方が悪いに決まっているが、本人たちを前にそれを言うのは恐ろしすぎた。ここにいない連中に擦り付けるのが最善なのだ。
 一方、追われたとはいえ祖国で暴れた連中を悪し様に言われたことで開拓民たちの溜飲も下がった。護衛を失ったカーパイノスたちを一行に加えることになったのである。カーパイノスたちもこれからの行き先については特に決めていない。立ち寄る町で布教さえできれば吝かではない。
「布教してよろしいのですか」
「教義の中に魔法使いを捕まえろなんてのはないでしょ?当たり障りのない内容なら広めていいわよ。ついでだし、あたしもアウズ聖教の教義について学んでみようかしら」
「おい。教義も知らずに聖女様やってたのか?」
 ソーニャの口ぶりにテラーファングが口を挟んだ。
「そうよ?あたし等は奇跡の力さえ行使してればいいんだもの。教義を憶えようとするほど志が高かったら今もまだまともな聖女様やってるわよ。教義と一緒に男の体を教えようとするような司教と出会ってなければ今頃そうなってたかもね」
 というわけで、アウズ聖教の教義や内情についてさわりから聞いてみることにしたのである。

 大聖者アウズ。全ての聖者たちの祖であるとされる人物である。アウズ聖教とはその大聖者の教えだ。
 その広まりや時代によって様々に肉付けされてはいるが、基本的には神の代行者たる聖者たちを尊重しつつ正しい生き方をせよというのが根底にある。言うなれば聖者たちが自分たちを信奉させるための教えなのだ。もちろん聖者たちにも聖者たるに相応しい行動と心構えで人々の模範となることが求められる。
 正しい生き方というのは時代や社会情勢、地域によって変遷していく。まつろわぬ者を力でねじ伏せるのが正義だった時代もあったが今はそれをよしとしない。古き土着神が悪魔に貶められたこともあれば神の使いだったとされたこともあった。教えの細かい部分は伝来した地域によって受け入れられやすいように変化している。
 アウズ聖教の本質は聖者の統率と発見なのだ。実のところ、神の存在すらどうでもいい。民衆への受けと分かりやすさのために概念だけ存在しているようなものだ。
 発見されていない聖者は民衆に紛れて普通に生活している。自分が聖者でありそんな奇跡の力があると気付きもせずに。そんな隠れた聖者を捜し出すのも教会の目的の一つである。埋もれているだけならよいが、自分の力に気付き悪事に用いるものも現れる。できるだけそうなる前に管理するのである。
 カーパイノス達は聖者ではない。このように聖者でない者も教会には多くいる。むしろ聖者と言えるほどの力を持つ者は貴重だ。数の少ない聖者はその力を見せつけて教会の権威を高める役目を受け持つ。一方力を持たぬものは教会の運営や布教などの実務を担当する。
 例えばカーパイノス達はセドキアなどを中心にこの大陸で広く通じる公用語を流暢に扱えるため宣教師団として選ばれた。中でもカーパイノスは教会での地位も高いエリートだった。聖者ではなくてもそれなりに出世は可能なのだ。それでも教会で最高クラスの権力者層は当然のように聖者で占められているのだが、そういった雲上人はおいておくとしても聖者以外でもなかなかの地位まで上り詰めることができる。とは言え努力だけで上り詰めるのは限界があり、人脈などが必要になるのは俗世と何ら変わらないのだ。
 なお、聖者についてははっきりと二極化されていた。教会上位の権力者層と各地を行脚させられる実務者層だ。聖者探しで見出された聖者の大部分である実務者層。希少な聖者として認められた時点でそこそこの地位が与えられるのだが、各地を行脚させられることで大きな功績が残しにくい。自分の行脚に随行していた見習い一般僧が出世して地位的に追い抜いていくこともよくあることだった。それでもその出世をもたらしたのが聖者だという感謝と敬意があるので聖者達にもまず不満はでない。表面上だけでもそのくらいの態度をとれぬ傲慢な者はそもそも出世できないだろう。むしろ出世した者が便宜を図ってくれるので聖者達に得になる方が多いのだ。
 そんな実務者層の聖者も横並びというわけではない。神秘の力すなわち魔力が高ければ地位は高くなる。その場合、権力者層から何らかの干渉を受けることになる。多いのは権力者が優秀な跡継ぎを得るために婚姻関係を以て取り込まれるケースだ。ソーニャのケースがまさにそれだった。玉の輿や逆玉の機会が降ってくるようなものである。ただし、もちろん容姿や性格などでかなりの我慢を強いられるケースがある。ソーニャは受け入れられず逃げたが、地位のために我慢して受け入れる者は多い。
 実力に野心も備わった者なら警戒した実力者によって潰される。聖者に野心というのも変な話だが、聖者の実態を考えれば何の不思議もないだろう。力を見出されただけの人なのだから。もちろん潰しに来た上位者を返り討ちにして下克上に成功する者もいるが、海千山千の老獪な上位者に立ち向かい続けるのは愚策だ。それに気付いて下位に甘んじた者も優秀な新人聖者に追い落とされぬよう潰す立場に回ることになるだろう。
 要は、教会も特に上の方はドロドロしており、俗社会と何ら変わらないのだった。
 そんなアウズ聖教にとって、この大陸への到達は長きにわたる悲願だったのである。この大陸に稀に出現する魔法使い。アウズ聖教の聖者とほぼ同じ存在であり、そこら辺で見つかる血の薄まったなまじの聖者より強い力を持つ彼らを取り込むことで教会の権威を高められるだろう。
 直接魔法使いを確保してもいいし、セドキア辺りで落ち着き定住した魔法使いの子孫を発掘しても普通の聖者くらいには十分なれるだろう。この大陸は宝の山なのだ。
「魔法使い嫌いのアテルシアで魔法使いの捕獲に協力しているのは、捕まえた振りをしつつ実質保護しようとしてるのかしら」
「他国のことは私にはちょっと……。でもまあ、そんなところだと思いますよ」
 ソーニャの問いかけにカーパイノスは首を傾げつつも推測ながら肯定した。
「じゃあ、天使が暴れ回っているのはどういうことなのかしら?そうすることに教会に何かメリットがあるってことよね」
「ですから私にもそれは何とも……。まあ、あるとするなら協力者である政府の要請に従ったか、アテルシアでの布教の方針が魔法使いを退治する正義の使者を名乗る方針なら魔法使いを擁護する市民を排除するのもあるでしょう」
 何ともとは言いつつもやっぱり答えるカーパイノス。そんな彼でもさすがにこれは心に浮かべるだけに留めておこうという意見もある。
「あのお国柄では過去の魔法使いはみんな国外に逃れたか火炙りにされているでしょう。アテルシア国内に今後出現する魔法使いだけ確保できればよいなら、聖者に等しい魔法使いを害する恐れのある連中などまとめて駆逐してしまおうとしているというのも有り得ないわけではありませんな」
 従者の一人がいくらか過激に脚色した感じで言ってしまったが。
「確かにねえ……。魔法使いを擁護して暴れているとはいっても実際には政府の方針への反発であって、魔法使いへの嫌悪が消えてるとは言い切れないものね。それに、暴動を制圧しているという体面で暴動に参加していない人たちを敢えて巻き込めば、本当はそっちが狙いでもバレないし」
 さらに悪魔的発想をするソーニャ。先の発言をした従者については保身のため敢えて悪魔を喜ばす発言をしようとしたのだと解釈しておくことにした。
「おいおい、いくら何でもそりゃねえだろ」
 牙があってもテラーファングの方がいくらか良識的だったが、カーパイノスとしても強く否定はできないのだ。何せ、アウズ聖教も昔は異教徒を武力で屈服させ、従わぬものは排除さえしてきたのだ。時代の変化でそれができなくなったとは言え、権力者層には古い意識が残っているかも知れないし、未開の地の民は蛮族だと思っていても不思議はない。運上人の考えなど中堅どころの知るところではないのだ。
 そんなことを考えるカーパイノスの様子から、それはない、ということもない。そう言うことだと理解したテラーファングは溜息混じりに「おいおい……」とだけ呟いた。
 ひとまずアテルシアでの振る舞いはとにかく、教会はクレイたちに目を付けるとしても目指すのは取り込みであって命を狙うことはなさそうだ。セドキアほどの大国で後ろ盾もなく派手な行動もできない。クレイたちを捕らえるために開拓民一行を襲撃することもないだろう。
 そもそも、現地で活動してきたカーパイノスすらクレイたちのことを知らなかったのだ。教会がクレイたちのことを知るにも時間がかかるはずだ。
「クレイちゃんたちのことはアテルシア側から教会本部に伝わるんじゃないの?」
 ソーニャの発言に言われてみればその通りだ、とは思ったが。
「大洋を渡って話が伝わるのに数ヶ月掛かるでしょう。それから準備をして、行動を起こし、また海を渡って……と、動いたとしてこちらに来るまでに1年は掛かりますな」
「それを待つ義理はないわね……」
「じゃあ、アテルシアにいる天使たちをこちらに仕向けてくることは?」
「セドキアを怒らせない根回しさえできれば可能ですかな」
 カーパイノスも今までに何もしてきていないエリアにはそんなにビクつかない。でも子供相手には思えないくらい腰は低めだ。
 この話し合いで、今後の方針は定まった。
 教会の本部はまだアテルシアやセドキアで起こっていることの子細を知らないだろう。セドキアの教会が攻撃的な手段に出る可能性も低い。
 警戒すべきは現在向かってきているという集団の、本物の方だ。勘違いされた宣教師団や平和的に布教することだけを考えているセドキア教会は脅威になるまい。
 そう決まり、再び開拓地への決して長くはない旅路を再開した、その矢先に早くも事態は動くこととなる。
 魔王の出現という、異常事態によって。