マジカル冒険譚・マジカルアイル

33.ガキンチョ達の餓鬼道

 ナミリエとラルフロイもまた当然のようにアテルシアに辿り着いてからも大冒険だったようだが、その辺の話は後でゆっくり聞くとして。
「それで……ラルフロイはどうしたの?なぜここに来てないの?」
 来たら来たで嫌ではあるが、来ていないというのも心配である。その内容によっては聞くのを後回しにしているアテルシアでの大冒険がラルフロイの最後の活躍ということになってしまう。さすがにそれは後味が悪すぎる。
「ラルフロイはね……。やらなきゃならないことがあるからここに残るって。エリア姉ちゃんのことなんかより大事だって」
 無事なようで何よりではあるが。
「なんか、ねぇ」
「あ。それはラルフロイが言ったんだからね」
「でしょうね」
 ナミリエはいい子である。エリアのことをなんか呼ばわりなどするまい。
「よかったじゃない」
 そして、エリアがラルフロイのことをあまり良く思ってないことも察していたようである。まあ、婚約が決まったら島から逃げてしまったのだ。お察しか。
「そうだけど。……やっぱりあたし、ラルフロイは嫌いだわ」
 自分のことを追いかけて島まで飛び出してきたことでちょっと見直したところだけに、あっさり他のことに興味を奪われてしまったのはさすがにプライドが傷つくのだった。

 かくて、一行にナミリエとロゼフが加わった。移民達にとってロゼフは二手に分かれて旅立つ前に面識があった者も少なくないがナミリエとはみんなお初である。各グループの代表者の前で自己紹介をすることになった。
 ただでさえ初対面の、しかも大人たちに囲まれガチガチだ。その中でもただでさえ一際強烈なプレッシャーを放つテラーファングが静かな怒りに満ちた目を向けているのである。萎縮しないわけがない。
 なぜテラーファングはこの幼気な少女にそんな目を向けているのか。
 テラーファングはサマカルドにここに呼び出されるとき、こんなやりとりをしたのである。
「一行に新たに魔法使いが一人加わることになった。顔見せをするからついてこい」
「ソーニャの仲間か?女?」
「クレイたちの方の仲間だ。女だ、それも若い」
「ほう。そりゃあ楽しみだ」
 そしてナミリエを目にする。
「おい、隊長さんよぉ。……嘘はついちゃあいねえがよ、もっとこう、相応しい表現ってもんがあんだろ」
 そこにいたのは間違いなく女である。そして確かに若い。だが若すぎる。女かと聞かれたのだからわざわざ『の子』をつけず女と言ったのは仕方ない。しかし、若いではなく幼いとか小さいと言うべきであった。それによる期待との落差でこの顔である。
 しかし、実際のところナミリエにとってそんなテラーファングも際だって怖い相手ではない。クレイやエリアにとってもそうだったが、外の人間という時点で大概よく分からない存在だ。牙の生えた人間や羽の生えた人間がいたところで、“さすが外にはいろんな人がいるなあ”程度のものなのだ。実際にはそんなのほとんどいないのだが、知らないのだから知ったことではないのだ。
「は、はじめまして。ナミリエといいます」
 そう名乗ってぺこりと頭を下げるのが、テラーファングと同等によく分からないと思っている人々に囲まれているナミリエにできる限界だった。
「あたしの妹分みたいなものです。魔法はあまりうまくないけど、いい子だから可愛がってあげてくださいね」
 エリアが紹介を引き継いだ。実はこの紹介には一つ誤りがある。ナミリエがここに至るまでの旅路は決して楽なものではなかった。市民の暴動、その鎮圧に動いた教会。ナミリエの前に立ち塞がった障害はそれだけではない。ラルフロイは役立たずには厳しい。見捨てられぬように、ラルフロイの役に立とうと意地もプライドもかなぐり捨ててラルフロイに教えを請った。期間こそ長くはないが、それこそ寝食もともにしたのだ。そして学校のような生ぬるい教え方ではない。まさにスパルタである。
 常時修羅場の日々をくぐり抜けたナミリエは、新たな目標を見いだしたラルフロイと結局道を違えることになったが、見捨てられたわけではない。むしろナミリエが用済みのラルフロイに見切りをつけたと言ってやっても差し支えはないだろう。
 とにかく、魔法使いとしてはもはやエリアたちの知っているナミリエではないのである。

 その頃。ロゼフはやっと人心地と言った風情である。
「はあ。きっつい船旅だったなぁ」
 ナミリエにとっては高速艇に乗ってからと言うもの、海と空を眺め、飽きたらおしゃべりでもしつつ寝っ転がって過ごしいていればいい安全で楽ちんな船旅だった。ロゼフとて危険や恐怖を感じることはなかった。しかし、疲れたのである。
 生真面目が鎧をまとったようなサマカルド隊長とは比べるまでもないとは言え、その部下のロゼフも真面目な男だ。女と狭い空間に二人きりなどこれまでにないシチュエーションである。
 女と言っても相手が子供なのがいくらか救いになったような、そうでもないような。何せ、子供とは言ってもクレイを追いかけて島を飛び出してきたような女の子だ。おませな女の子が初恋の男の子を追いかけて飛び出し、口うるさい同行者からも解放されて想い人にももう少しで逢えるのである。舞い上がりまくりだ。すさまじい惚気であり毒気である。当てられる方はたまったものではない。
 ナミリエがこれでただの恋する女の子なら惚気話も聞き流しておけばいいのだからまだよかった。しかし、ただの女の子では済んでいないのである。
 ここまで乗ってきた高速艇はロゼフの目の前でナミリエが一人で奪取したものだった。無茶だと言って止めようとするロゼフを振り切って7人の乗組員がいた軍の高速艇に潜入し、腕っ節の強そうな乗組員の一人を操って暴れさせ、混乱に乗じてもう一人、さらに一人と操り、同士討ちで倒れたものが操られた人数と同じく3人、最後の一人が操られた連中にすでに伸びている連中共々船外につまみ出されたところで悠々と乗り込んだのである。
 そんなのを目の当たりにしたせいで、ナミリエの機嫌を損ねたら恐ろしいことになるのではないかという恐怖がつきまとっていたのだ。そちらは浮かれきったナミリエが常時上機嫌だったおかげですぐに払拭されたが。 それが払拭されなかったらナミリエのとんでもないお願いを撥ね付けることができなかっただろう。ナミリエはこんなことを言ったのだ。
「ロゼフ兄ちゃんってつまらないけどいい人よね」
「それは……ええと」
 誉められたと思っていいのか、貶されたのか。わかりやすく帳消しと考えるべきか。そんな所で迷っているうちに本題がきた。
「ねえ。エリア姉ちゃんは知ってるんでしょ。すてきなお姉さんよね?つきあってみない?」
「は?」
 何を言い出すんだ、としか思えなかった。確かに面識はある。だが、関係といえばそのくらい。向こうがロゼフのことを覚えていればいいところである。
「恋人同士なんて最初はみんな他人じゃない。今なんてどうでもいいのよ、これからどんな関係を築いていくかが全て。口説いちゃいなさいよ」
「何を言い出すんだ」
 今度ははっきり声にでた。そもそも、ナミリエから見ればエリアはすてきなお姉さんなのだろう。しかしロゼフから見れば、素敵かどうかは保留にしておいたところで”おじょうちゃん”である。お嬢さんですらない。そんなのを口説いたりしたら社会的に終了であろう。
「うーん。そっか。それもそうね」
 わかってくれたようで何よりだ。そして、ナミリエがそんなことを言い出した理由も察しがつく。何せ、クレイへの熱い思いを散々語ってきているのだ。エリアをクレイから引き離してクレイを独占しようとしているのが見え見えである。
 結局、エリアが成長して大人になってきたら前向きに検討してみるというところで話が付いた。きっとその頃にはこの話もきっときれいに忘れられているだろう。
 この件で一番不利益を被っているのは、本人の関知しないところでロゼフにそういう仲だと認識されたクレイとエリアだった。

 ブニンドールからは鉄道で開拓地最寄りの都市まで移動する。
 アテルシアにも鉄道はあったが、長引く戦争の為に燃料となる石炭も、車両やレールの敷設に使う鉄も不足気味だ。駅も首都近辺の主要都市にあるばかり、民間向けの便の運行数も少ない。もちろんバンフォにも鉄道などなかった。
 開拓民たちはこれが鉄道かと素直に感心しつつ、やはりアテルシアとの国力の差を感じざるを得ない。もちろんセドキアとしてもそのつもりでの大盤振る舞いである。わざわざ遠回りまでして大きな町を通ってまでいるのだ。
 そして、やはり初めて機関車を見るクレイたちは。
 初めて見るものがよくわからない物なのはいつものことなので物珍しさ以外特に感じる物はないのだった。
 しかし、男の子と女の子では反応が違う。
「ねえ、機関室見せてもらおうよ」
「あたし見たーい」
 クレイの誘いに瞬時に乗ったナミリエも、その実は機関室などに興味はないのだ。とてもわかりやすくクレイと一緒に居たいだけだ。
「……ところで機関室ってなあに?」
 これである。
「この乗り物がどういう仕組みで動いてるのかわかるところだよ」
「へえー」
 動かしている機関が見えるわけではないので見学したところでクレイの言い方ほどこの乗り物の動く仕組みがわかるわけではない。そんなことなにも知らないナミリエには知る由もないが、それはさておいても少しだけ興味があった。少しなので、この乗り物の仕組みを余すところなく知るほどではなくても不満は出るまい。
「船のとそんなに変わらないんでしょ?あたしはいいわ」
 エリアにはせっかくなら二人きりにしてあげようかという思いもあったりする。だが、ナミリエの頭の中は目まぐるしく動き出した。確かにこれはクレイと二人きりになるチャンスであるが、素直にこれを喜べるほどナミリエはこなれていない。恥ずかしくてとんでもなかった。
「ええー。じゃあどうしようかなー」
 だいぶ腰が引けたところに。
「二人でいこうよ」
 この一言で腰が抜けそうになる。エリアも少し驚いた。今のところナミリエはクレイに自分の好意をさらけ出すような発言はしていないので、まだナミリエ自身は自分の恋心が想い人には悟られていないと思っているはずだ。そんな思いをそれとなく伝えようとしたいじらしい強がりで包み隠した言葉は、当初こそ狙い通りクレイ本人には包まれたままの意味で解釈されていたものの、計ったように最近になって丸裸にされて伝わったので、クレイもナミリエがどう思っているか知っている。その上でこんなことを言ってのけるとは。クレイも案外やるじゃない、とエリアは思う。
 実際のところはどうしようかとためらうナミリエを見て、好きならばこんな時には喜んでついてくるはずであり、彼女がぼくを好きだといっていたエリアたちの勘違いだと結論づけて安心して放った言葉だったりする。さらに言うなれば再会したときも逃げられたし、もしかしたらむしろ避けられているのではないかとも思う。実際、避けられてはいる。女の子に避けられるのは切ないので何とかしたいとも思うのも男の心情というものである。そのためには二人きりでないとしにくい話もあるだろうと思っての発言だ。
 男と女が二人きりでないとしづらい話がどんな話かなど、クレイはまだよく分かっていないのである。もちろんナミリエにとってクレイと二人きりで話しやすくなることなどないのだ。二人きりになった時点で頭と目がグルグルになってしまうのだから。その辺をエリアは察した。
「ナミリエが行くならあたしも行っていいかな」
 このくらいならつきあってもいい。別に用があるわけでも行きたくない理由があるでもなし。機関室に興味もなく面倒だというだけだ。
 だが。
「いいっ。無理に来てくれなくても大丈夫だからっ」
 やや強めに拒絶された。そう言えば、エリアはクレイと駆け落ちしたことにされていたのではなかったか。であれば、ナミリエにとっては恋敵ということになる。これに関して拒絶されても不思議はない。
「一緒に行こう、ねっ」
 結果はどうあれナミリエの背中を押せたのならよかったのかな、とは思うが。どうやらエリアにこそ一度ナミリエと二人きりで腹を割って話す必要があるようである。

 頭がくらくらしそうなほどに体が火照っているのは憧れのクレイと二人になれたから、だけではない。よくわからないまま連れ込まれた場所は顔が真っ赤になってしまうような場所だった。
 大量の石炭が燃える凄まじい熱気に内側から赤くなった頬を盛大な炎が外からも赤く照らす。照れて染まった頬など容赦なく上書きで塗りつぶしてしまう。緊張で手や額に浮かんだ汗も暑さによる汗が押し流してしまった。
 クレイによれば、これでも船のエンジンに比べれば随分と小さくかわいい代物らしい。だが、その分こちらの方が近くで色々と見られるそうだ。そして暑さは船の機関室を上回る。船の機関室は火力の強い炉そのものは分厚い隔壁の向こうだったが、こちらは炉が小さく換気も良いこともあって目の前の炉に石炭を放り込む造りになっている。炎が目の前で燃えているのだからそれは暑い道理である。
 国の要請により運行している便とは言えども鉄道自体は民間のものだ。軍艦に比べればだいぶ大らかである。蒸気機関の構造も事細かに説明してくれる。炉に負けず劣らずの熱の込めようで。
 機関士のおじちゃんには悪いが、長話は涼しいところで聞きたかった。とは言え、ナミリエにとってもなかなかに興味深く面白い話だった。いつの間にか隣のクレイのことさえ忘れて話に聞き入っている。
 見学が終わって機関室から出ると涼やかな風が気持ちいい。いっそ寒く思えるほどだ。
「はあ、暑かった……。やだ、クレイったら汗塗れ」
「それはナミリエもじゃないか」
 そりゃそうか、と思いながら自分の体を見下ろすナミリエ。汗で服が透けて下着が透けていることに気付いた。
「んギャー!」
 何とも可愛くない悲鳴を上げるナミリエ。
「えっ。何、どうしたのナミリエ」
「ギャー見るな見ないでギャー!」
「ええっ、見るなってなにを」
「いいからあっち向きなさいよスケベ!」
 クレイもさすがに何となく察してようやくそっぽを向いた。もうすでに吹き付ける風で乾き始めていた。
 襟を引っぱって首元を大きく開けると、服の中に風が吹き込み清々しい気分になる。こんな無防備な事は普段なら男の子の側でなど絶対にしないが、今はこうしていた方が、服と肌が離れて透けなくなるのでずっと良い。
 服もだいぶ乾き、いろいろとクールダウンしたところで二人は落ち着いて話し始めた。
「火を燃やすだけでこんな大きな乗り物を動かせるなんてすごいわね。なんか魔法みたい」
「そうだね。魔法が使えないからこそ発達した技術だっていうけど」
「そうねえ。むしろ島じゃこっちの方が無理でしょ。鉄も石炭もこんなにないもの。ま、そもそもここまでして行かなきゃならないほど遠いところもないんだけど。……こういう技術と魔法を組み合わせるとすごいことになりそうだわ」
「そういうことができそうなのが教会ってことかな」
「ラルフロイが戦おうとしてる敵ってすごいのね……一人で大丈夫なのかしら」
「えっ。そんなことしてるの、ラルフロイ」
「うん。ほったらかしておくと邪魔くさいから、アテルシアを拠点にしてぶっ潰しておくんだって」
 強大な敵に立ち向かうには些か雑な理由である。
「え?一人で?」
「さすがにそこまで滅茶苦茶なことは言い出さないわよ。力を貸してくれてる人たちがいてさ、その人たちと一緒にお城を占拠するあたりまではあたしも手伝わされたんだから」
「……大変だったね」
 もっと気の利いた事は言えないものかと自分で思いながらクレイは言った。
「大変だったわよー。そっちはいいわよね、パートナーがいいもの」
 クレイのパートナーがエリアであることももちろんだが、その逆も然りである。誰であっても性格のきついラルフロイよりはクレイと旅をしたいだろう。ましてナミリエであればエリアのことが羨ましいどころかいっそ妬ましい。
「こっちだって楽じゃなかったよ……。ぼくたちが旅してた頃はアテルシアじゃ魔法使いは悪の権化みたいな扱いだったんだよ」
「そうなの?」
 クレイはエリア共々人里を避け野山を渡り歩きながら、兵隊に追い回された挙げ句に捕らえられ拷問までされたことを話した。もちろんエリアが裸にされたことやそんなエリアに抱きしめられたというような余計な話はしない。
「みんな、我々は騙されていたとか言ってたけど、そのせい?それをクレイたちがどうにかしちゃったってことでしょ。すごいじゃない」
「やったのはほとんどグレックさんだけどね」
 クレイ達の登場が確実に大きな動きの引き金にはなっていたが。
「あの小屋に住んでたっていうすごい魔法使いのこと?その人が助けてくれたの?」
「うん」
「なんかいいなぁ。あたしの時は変な鳥の人よ」
 鳥の人にはクレイも思い当たる節がある。
「スカイウォーカーさん?」
「そういえばそう名乗ってたかも。あの人は何なの?」
「グレックさんの……手下、かなぁ?」
 もっといい言い方はありそうだが、一番しっくりくる言葉がそれだった。
「そっかぁ、一応構ってはもらえてたのね。安心した」
「もうあんまり危険はないから直接手を出さなかったのかもね」
「そうかしら。結構ひどい目にはあったわよ」
 ナミリエたちがアテルシアに上陸した頃。市民たちはすでに魔法使いを嫌うより国や軍に怒りを燃やしていたし、その軍は国に付くか民に付くかで分裂し混乱していた。軍は魔法使いに構っている余裕はないし、市民たちにとって魔法使いはもう憎むべき相手ではなかった。ナミリエたちはむしろ温かく迎えられた。ナミリエたちの行く手を阻んだのはアテルシアの混乱を鎮めようと乗り出した教会である。
 そのあたりの話は戻ってからエリアを交えて聞くことになった。

 ナミリエたちが最初に訪れた町もベルネサだった。まだ混乱の余波が及んでいない田舎町。穏やかなものである。しかしそのような町でもいい人ばかりではない。子供二人だけで歩いていれば、悪い奴に狙われるのは当然だった。
 悪い人などほぼいない島育ちの二人から見ても見るからに悪そうな男たち数人に取り囲まれ、裏路地に連れ込まれた。
「金さえさしてくれりゃ命は取らねえよ。まあ、嬢ちゃんはちいっと小さいが体も差し出してもらうがね」
 ナミリエを守るかのように抱き寄せ顔を伏るラルフロイを見上げ、男たちを振り返るナミリエ。
 まさにカモであった。ナミリエたちが、ではない。ナミリエたちにとって、である。
「くくく。その言葉、そっくり返すぜ。まあ、あいにくそちらにゃ嬢ちゃんはいないようだが」
 ラルフロイの発言に男たちは色めき立つ。先ほどラルフロイに目を向けたナミリエの目に映ったのは目を細め口の端を吊り上げた、露骨なまでにろくでもないことを考えている表情。何をされるんだろ、と哀れむ目で男たちを振り返ったナミリエの顔は、男たちには恐怖に歪んだ顔にしか見えなかっただろう。
 これまでの旅路で二人はこちらでは魔法があまり強くないことに気付き、この町でなにをするにもお金が必要なことも知っていた。ラルフロイが島では子供が使うことを許されない高位魔法のために必要な魔力をかき集める法を知っていたので魔力の点はあっさりクリアし、問題はお金だけというところだった。
 こういうろくでもない手合いからなら、金や物を力ずくで巻き上げても心が痛まない。わざわざ自分たちから人目の届かないところに入ってくれたのだ。この上ないことであった。
 ナミリエは先ほどラルフロイに囁かれた作戦通りに動く。ナミリエの詠唱と同時にラルフロイも詠唱を始めた。男たちはまずい相手を襲ったことに気付いたが、もう手遅れだ。
 大した術を使えない故に大した魔法ではないナミリエの詠唱が当然のように先に終わった。水の塊が呼び出され、そこから触手のような物が男たちに伸びて絡め取る。しかし、ただの水だ。しかも、伸びきってとても細い。とても自由を奪う力はない。一瞬慌てた男たちも、虚仮威しかと気を抜いた。
 そこに、閃光。男たちを中心で繋ぐ水の塊からそれぞれの触手に電光が駆け抜けた。純粋な水は高い電気抵抗を持つ。だが、ナミリエの魔法で呼び出されたのはそこら辺のドブ水。導線のようなものであった。
「全力でこの程度か……。先が思いやられるな」
 痙攣しながら地べたに這い蹲る男たちを見下しながらぼやくラルフロイ。気絶した者が半分、残りは意識を保っている。
「起きあがったら……適当に頼むぞ」
 ナミリエにそう伝え、ラルフロイは意識を保った連中の始末に取りかかった。やめておけばいいのに、立ち上がろうとする者がいる。しかし、それも仕方ないことだろう。多くの物が倒れたこの状況でいいかにもとどめを刺しに来そうな追加の詠唱が始まっているのだ。逃げなければ跡形もなくなってしまうのではないか。そんな恐怖に駆られて逃げる出そうとする。仕方なく、本当に仕方なく、ナミリエは適当にあしらうことにした。
 立ち上がった男の上半身が炎に包まれた。ラルフロイに教わった炎の魔法。できればこんなところで試し撃ちはしたくなかった。人に使うなど、とんでもないことである。……でも、ちょうどいい機会なので遠慮はしながらも実験台になってもらった。ちゃんと火がでたので気分も盛り上がる。男はパニックになり倒れ込む。起きあがろうとしていた他の男の動きも止まる。
「火遊び、楽しいかも……。おじちゃんたち、もっと遊ぼうよ」
 可愛らしくも妖艶で、実際の意味合い的には無邪気ながらも恐ろしいだけの呼びかけに反応はなかった。冗談ではない。だが、じっとしていてもラルフロイの魔法の餌食になるのを待つだけであった。
 催眠の魔法。蹴っ飛ばしたり踏んづけたりしたくらいでは目覚めない、ちゃんとしたコンディションで使えば開腹手術だってできる程の深い眠りに落とす魔法だ。身包みを剥いで持ち物を漁るくらいなら何ら問題もない。消されると思っていた男達にとって、この程度で済んだのは僥倖であろう。
 ナミリエとて乙女である。汚いおっさんの体にはあまり触りたくない。ラルフロイが男たちの上着を剥いてまとめてくれたので、その中に金目の物がないか改める。その間にラルフロイやズボンのポケットや下着の中を漁った。今夜の飲み代だったのか、それとも誰かから巻き上げたものか、それなりの金を所持していた。
「ちっ。しけてんな。見窄らしい見た目相応か」
 それなりはそれなりである。だが、当面は持つだろう。

「どっちが悪党だか分からないね」
 話を聞いて、素直な感想を述べるクレイ。
「ナミリエも荷担させられたのよ。そんなこと言っちゃ可哀想よ」
 庇うようにナミリエを抱きしめるエリア。ナミリエとしては結構のノリノリでやっていたのである。それこそ、むちゃくちゃなラルフロイの振る舞いで溜まった鬱憤をぶつけるように。そんなことを言い出しにくくなった。
「そんな感じでお金を稼いでだんだん大きい町に移動してさ」
 町で悪そうな奴を見つけては金を巻き上げる。そうやっていつしか一財産を築いてもいたが、遊び回る気はない。何せ二人は先を急いでいる。探しているクレイたちの情報も入ってきていた。大きな事件が起こったバンフォ。その事件の中心人物がクレイたちだったことを突き止めていた。
 クレイ達を追って西を目指す道中、首都に近付くに連れて社会の混乱も大きくなっていく。そして、教会が動き始めた。
 首都上空に突然現れた“天使”。それは天罰と称し首都を破壊していた。空の上から雷を落とし、炎を撒き散らし、空から岩を落とした。そして、風で子供を巻き上げて食らった。
 近くにいたナミリエたちは首都に押っ取り刀で駆けつけた。別に助けてやろうなどと殊勝なことを考えていたわけではない。ただ、話を聞く限り天使とやらの下す天罰が余りにも魔法めいていたのでその目で確認しておきたかったのだ。
 首都に到着すると、逃げまどう市民の流れに逆らい天使の元に駆けつけた。光に包まれ、その姿は見えない。天使は雷も炎も振りまいてはいなかった。ただ、逃げまどう人々を空の上から追い回している。距離を置いて二体。
 まず動いたのはラルフロイだ。物陰で、足下の石を拾い魔法を込めると高く投げ上げた。天使とはまるで違う方向に投げられた石はあり得ない軌道を描いて天使めがけて飛び、ど真ん中に命中した。光は消え、何かが落ちた。
 残った天使がナミリエを見つけた。足下から巻き起こった風にナミリエの小さな体が巻き上げられる。スカートがめくれたことを全力で罵りたい気持ちをこらえ、呪文を唱える。天使に衝突する寸前、魔法が発動する。今のナミリエは火遊びしたいお年頃だ。なにせ、子供は使っちゃいけない火の魔法を覚えてばかりなのである。なのでとりあえずとっさに火を起こしてみた。
 意外なことに効果は覿面だった。光の塊だった天使は炎の塊になり、同時に翼も掻き消えた。火の玉はゆっくりと地面に落ちていく。ついでにナミリエを巻き上げていた風も収まりナミリエも落下し始めたが、何の問題もない。なにせ突然空中に飛ばされても落ち着いて火の魔法を使えたのだ。落ちるだろうと分かっている状況なら冷静に対処するだけである。いざとなればラルフロイも何か手を差し伸べてくれるだろうが、あいつに助けられるのは癪である。一人で何でもできるようになりたい。もちろん、助けてくれるのがラルフロイでなければ甘えたいのだけれど。
 ナミリエの焼き払った天使の残骸はすっかり灰になってしまったが、それでも燃え残った部分からその正体が一冊の本であることが見て取れた。ラルフロイの投石で打ち落とされた天使はより原形を留めていて本の中身まで読める。
 中身は魔導書だった。ナミリエを巻き上げた風の魔法、実際に使うところを見られはしなかったが天使の天罰として噂で聞いていた雷や火の雨の魔法などの術式が記載されている。大部分はナミリエの使っている教科書にも載っていそうな簡単な魔法だった。しかし、一つだけ複雑で長大な術式があり、それを読み解くとラルフロイの顔が邪な笑みに歪んだ。
「これはこれは。神の御使いの名は伊達じゃあないぞ。まさに神の領域に踏み込んだようなとんでもない魔法だ」
 それは人間の魂、もしくは生命力を魔力に変換する魔法だった。とは言え、人の命を奪い尽くすには相応の術者の力量か反復発動させる十分な時間が必要になるだろう。また、このくらい強力な魔法は対象に接近しないと使えない。完全に相手の動きを封じる必要があるし、術中は無防備にもなる。
 その弱点を克服するための方法が、対象を他の者には手が出せない空の上に攫っていくというものだった。体の軽い子供くらいにしかそんなことはできないようで、つまりは天使が子供を攫って食らうと言われていたのはこれである。ナミリエは食われようとしていたのだ。
 そんなただの本がさも意志があるかのように動き回っているのは何らかの術がかかっているからなのだろうが、ひとまず正体は分かった。空の上から降りて来ないのも納得である。魔法でブーストされていたとは言え石をぶつけられただけで傷ついて壊れてしまうような脆さ。矢を射かけられれば絶体絶命だ。ましてそれが火矢なら。
 対策は分かった。だが、ナミリエたちが始末した物以降、新たな天使が首都に現れることもなかったと言う。