マジカル冒険譚・マジカルアイル

32.超速の追跡者

 ついに、ロッフルの治療が終了した。実のところ、完治したかどうかははっきりと分からない。ソーニャの見立てでもういいだろうというのが根拠である。
 本当は万全を期して船旅の間は治療を続ける予定だったのだが、そこで事態が変わった。変えたのは、ソーニャの耳に実はクレイに思いを寄せていたんじゃないかという女の子の存在が伝わった事である。伝わったタイミングはその日の治療がお開きになり、クレイがエリアに引っ張られて艫に連れて行かれたそのとき。二人が部屋を出て行って最初の話題がそれである。口に戸は立たない。ましてや女同士なら。エリアがロッフルにしっかりと口止めしていないことに気付いていたなら、こうしてソーニャに伝わるどころか、夜のうちにルームメイトにまで知れ渡ることになるところまで想像できたことだろう。
 そして、そのことを知ったソーニャは『エリアちゃん親衛隊』の結成理由とも考え合わせ、爛れた恋愛遍歴のせいで腹の中が爛れたこんな女にいつまでも付き合わせていてはいけないと判断したのである。この治療はエリアを狭い部屋に閉じ込めたままにしてしまう。当然、出会いも何も無く恋が生まれるはずもないのだ。
 更に言えば、最近ロッフルがちょっと太ってきたというのも治療終了の理由の一つである。朝から夕方まで寝転がって過ごしているのだから太って当然と言ったところだが、一つ思い出してほしい。治療はされる方も、むしろされる方こそ体力を消耗するはずなのだ。実際、治療の初期はロッフルも激しく消耗していたものだ。それで太ってきたということは、消耗が収まってきている証拠。治療の魔法が素通りしているのだろう。完治と断言は出来ずとも、だいぶ綺麗になっている患部の見た目と併せて目安にしても良さそうだ。その綺麗になった体内の様子を最後にもう一度確認してみないかという誘いは、綺麗になっているからこそ男の子が女の人の体を見るのはよろしくないという今更すぎる理由で誘われなかったクレイをダシにして一人で見てもしょうがないと断り、エリアは自由になったのである。
 船旅もいよいよ終わりに近付いており、船内は陸路での移動に向けて荷物の整理などの準備が始まっている。その忙しい中ならエリアにだって手伝えることも沢山ある。そしてエリアが手伝い始めればファンクラブ会員憲章により会員たちはそのお手伝いを積極的にしなければならない。と言うか、手の空いていた女性会員数名がエリアの手伝いと言うことで付いてきている。
 そんな女性会員たちからの、せっかく男性との出会いの機会としてのファンクラブなんだからと言う勧めで、手伝う仕事のは男性のグループの仕事を選んだ。そうなると自ずと力仕事になってしまうが、その点は心配無用だ。女性陣もサマカルド隊長に訓練を受けている──シェイプアップのための俄訓練者が多いが──体力自慢。近頃は順調に脂肪が筋肉に置き換わっていて、このくらいの仕事は十分に手伝える。
 エリアには魔法もあるし、いざとなればそこにいるだけで元気が出るからということにして応援だけという手だってあるのである。手伝いを始めてみれば、エリアにも手伝えるようなことはもちろん、エリアの魔法が頼りになる場面も多々あり、力自慢な面々に引けを取らない活躍ぶりだった。
 女性陣は最近ようやく痩せ始めたか、元々男紛いの逞しさで女としての自分に自信のなかった面々であり、対する男性陣も垢抜けた風ではなく最初はぎこちなかったが、だんだん打ち解けてきたようである。
 モテないエリアちゃんの出会いの機会を作るファンクラブ活動が、会員の出会いを作る出汁に使われている気がしてならないが、それは結果論という物であろう。

「見えてきたわ、あれがブニンドールよ」
 ソーニャの指さす先にあるのは大きな港町。この船の最終目的地だ。ここより陸路で開拓地を目指す。
 セドキアの中でも特に名のある港ではない。少し離れた町では名前すら知られていない、セドキア全土地図には名前が載らないことさえある。そんな港だが、アテルシアの主要な港町に匹敵する規模であった。この町が比較的新しい町でゆとりある都市計画で設計されていることも大きく見える理由の一つではあるが、何より単純にセドキアがそれだけの国力を持っているということである。
 上陸してみればブニンドールの活気はそれなりだった。さほどではないが、まあまあ賑わってはいる。多くの商船はここでやりとりする積み荷は多くない。ここで新たに積み込まれるのは燃料や船員たちの食料などが大部分だ。
 開拓民──元バンフォの住民たちが開拓するのはこのブニンドールに農産物を供給する新たな町。すでに農村に囲まれたゼールテン=ドアムという市場の町が近くにあるが、そこからだけでは年々増えつつあるブニンドールで必要な食料が賄いきれず、セドキア国はさらに奥地の草原地帯を開墾しようとしている。そのための足掛かりとなる町であり、開墾された土地からの農産物の輸送拠点であり、当面は山向こうから新たに延ばされた街道の宿場となる町である。
 船は港に到着し人々と荷物を降ろし始めた。慣れ親しんだ船とも、その船員とも、そして多くのものが初めて見た海ともお別れである。名残惜しさからか作業も滞り気味だ。
 そこに、伝令の兵士が馬を飛ばしてやってきた。サマカルドにとって見慣れた兵装。そして見知った顔であった。
「ロゼフじゃないか。お前は後発組の引率をしていたはずだが」
 かつてサマカルドと共に魔法使いを追跡し、サマカルドが離反したことで巻き込まれた若い兵士の一人だ。
「本土の方で動乱が起こっていましてその報告と、それと一人同行者がおりまして、お連れするべく高速艇にて先回りして船の到着を待っておりました」
 動乱とやらについても気になるが、サマカルド達が国を後にした時の状況が既にあのざまだ。動乱の一つや二つ起こるだろう。それよりも気になるのは。
「同行者?」
「実は動乱の最中に新たな魔法使いが現れまして。島を出た恋人を追ってきたと」
 その声はエリアにも届いていた。島から出て追わなければならない相手など島の住人だったエリアとクレイしかいない。エリアは嫌な予感がした。

「動乱とは市民が起こしている反乱か?」
 話に加わってもいないエリアなど当然のように置き去りにして話は進んでいく。
「それもありましたが、そこから続いている一連の騒動です。市民の反乱は教会が動いたことで鎮圧されました」
「何だと?」
 バンフォの焼き討ちから飛び火し各地で発生した市民の暴動。本来それを鎮圧すべき軍隊も、民のために戦っていたはずだった下級兵と国の利益のために暗躍していた上層部が分裂し、兵の一部がクーデター派につくなどして軍そして王国の力は瞬く間に消失した。
 そこからは酷いものであった。大臣は王に全ての責任を押しつけて逃げようとしたが、魔法使いを隠れ蓑にやりたい放題してきたのはその大臣だ。そのことが元兵士たちから広まっていたので真っ先に捕らえられ、首を切られた。その大臣に全てを任せ好き勝手を許した暗愚な王も赦されはしなかった。民の命を蔑ろにした国のトップはそれまでの報いを受けてこれまでに見合うだけの血腥い末期を迎えた。
 残すは軍隊上層部、さすがに手練れの集団が籠城すればなかなか落ちない。手を拱いていたところだが、そこにさらに現れたのが教会の手先であった。それはまさに奇跡と呼ぶしかない存在であった。
「天使?」
「ええ、そう呼ばれていたそうです」
「ああー、アレね……。噂には聞いていたけど、実用段階まで行ってたんだ」
 その会話に横合いからソーニャが口を挟んだ。
「私は掻い摘まんだ話を聞かされただけなので詳しくはないのですが。何なのですか、その怪物は」
「私も話しか聞いたことないけど。……怪物なの?」
「私も目撃者から聞いた話だけですけど。見た目は神々しい感じでしたが、見た目がなければ所業は悪魔だったと。空に浮かぶ光の中にうっすらと人影が見えていて、そいつが空の上から火の玉をばらまいたり、子供を空の上に連れ去ったかと思うとそのまま地面に落としたり」
 正体不明の存在のことだ。伝聞の情報だけで話していても、ただの怪談にしかならなそうだった。
「後半のは確かに悪魔の所業ね……。その光に包まれた人影って、薄っぺらくなかった?」
 伝聞を伝えているだけのロゼフにするには詮無い質問である。
「いえ、なにぶん空の上でよく見えなかったと」
「情報が足りなくて断言できないけど、天使っていう呼び方からして教会の新兵器ね。神の使いなんてとんでもない、その正体は空飛ぶ板っ切れ。人が操ってるのよ。教会も魔法使いの集団みたいなものだからね、そのくらいのことは出来るって訳。で、そういういかにも奇跡みたいな物が出てくればすごそうに見えるでしょ。それを狙ってるのよ」
 折角の新兵器も、呆気なく正体をバラされて形無しである。
「そういうことだったんですか」
「そんなことより新しい魔法使いっていうのが気になるわ」
 挙げ句、そんなこと呼ばわりであった。
「そうそう、その魔法使いが天使を追い払ってくれたんです」
「へえ?どんな魔法を使って?」
 これにはエリアも聞き耳を立てた。どんな魔法を使ったかで、エリアのいやな予感が確信に変わるかも知れない。そして、ロゼフは言う。
「石を投げて、ぶつけたんです」
「……魔法じゃないでしょ、それ」
「いやいや魔法ですよ。何せ相手は矢すら届かない空の上、しかも逃げる天使を追いかけてぐっと曲がって当たったんですから」
「ああ、それは確かに魔法ね……」
 ソーニャ自身も多分同じ魔法をよく使っている。例えば投げナイフにかけてやると、遠くにいるターゲットに確実に当てられるのだ。聖女にふさわしくないのでなるべく使わないようにしていたが、最近は気兼ねなく使っている。確実に当たると分かっていても当たればとてもスカッとするのである。しかし、そのようなスカッとする魔法を自制していた聖女時代の方が圧倒的にストレスは多かったのだから世の中うまくいかないものである。
 エリアは我慢できず問いかけた。使った魔法のチョイスが微妙すぎ、誰かの確信が持てなかったのだ。
「それでその魔法使いって……、神経質そうな、それでちょっと偉そうで鼻持ちならない男の子じゃありませんでした?」
「うーん、神経質とかそういうのはわからないけど……。若い男ではあったな。偉そうっていうのは……そう言っていいのかな」
 これはかなりの確率で。
「うわあ、ラルフロイだ……」
「あ、そうそう。そう言う感じの名前だったと思う」
 少し煮え切らないがほぼ確定である。あまり期待はできないがその煮えきらなさからバルモイとか若作りしたファルドギあたりという可能性くらいには賭けても……いや、よくない。無理がある。
 エリアの中には少しうんざりする気持ちとともにちょっと見直す思いが芽生えた。禁忌を犯してまでエリアを追ってくる一途な思い。ここ最近のクレイばかりが保ててエリアが置いてけぼりな状況の中、ちょっとした救い。しかしこういうときこそ気を引き締めないとうっかりラルフロイを受け入れて後から大後悔なんてことになるのだ。
 そのとき、クレイの叫び声が響いた。

「あーっ!」
「……あーっ!」
 クレイの叫び声にもう一つ声が重なる。聞き覚えのある声。エリアは声の方に駆け出す。その声はエリアが予想していたラルフロイのものではなかった。それどころか男ですらない。
「クレイ!」
 彼女が名を呼んで駆け寄ろうとしたのと。
「ナミリエ!?」
 エリアが彼女の名を呼んだのはほぼ同時であった。
 ナミリエはエリアの声に足を止め、こちらに目を向けた。クレイをみる。エリアを見る。そして。
「エリア姉ちゃん!」
 向きを変えて走ってきた。抱き留めようと手を広げたポーズのまま所在なさげに佇むクレイの代わりにナミリエを抱きしめた。
「何でこんなところにいるの?……いや、理由はもう聞いたんだっけ。好きな人を追いかけて来たんだよね」
「んなっ!?」
 仰け反って真っ赤になるナミリエ。しばらくおたおたした後、つかつかとロゼフに向かって歩いていき、思いっきり蹴っ飛ばした。か弱い少女に鎧の上から蹴られてもあまり痛くないだろう。蹴った方も足の裏なので痛くない。
「んもー!何で言うかな!言っちゃうかな!」
「えっ、何を?」
「ううーっ。もういいっ、何でもない!」
 膨れっ面のまま戻ってきた。その間にごまかす手が浮かんだようである。
「えーとね、そうなの。大好きなエリア姉ちゃんを追ってきたのっ」
 ロゼフは正確には恋人と言っていたのだからまるで誤魔化せていないのだが、黙っておくことにした。これ以上追い込むことはない。そんなことよりもだ。
「なんか、話を聞いた感じだとラルフロイがあたしを追いかけてきたんだと思ったんだけど」
 と言うか、ラルフロイ以外であるごく僅かな可能性に希望を託す段階だったのだが。
「来たよ、ラルフロイ。でもここには来てないの」
「……どういうこと?」
 詳しい話を聞いた方がいいだろう。

 ここからの話はナミリエが見聞し感じた出来事だ。ラルフロイについての事情は彼女にとって知り得ない部分も多いし、すでにバレているがナミリエ自身にも隠したい事情もある。本人が隠せてると思っている限りその辺の真情を吐露することはない。そのような霞とフィルターの掛かった話である。
 話はクレイとエリアが島を飛び出してすぐに遡る。まだ長老は何も話さず、他の者達にはまだ二人は島のどこかにいると思われており、大人たちは子供が隠れそうな場所を片っ端から探していた。そして、子供たちはじっとしていろと言われながらも独自に調査を始めていた。そんな頃の話。
「パッチ。あんたさ、クレイと仲いいんでしょ。あいつが隠れそうな場所、聞いてない?」
 パッチはナミリエが子分にしているモッチの兄だ。ナミリエよりは年上だが、これも子分みたいなものだと思っている。それにパッチはクレイの子分。ならばやっぱりナミリエにとっても子分であろう。
「聞いてるぜ。つーか、アニキには俺が教えたんだけどな」
「へえ、どこよ」
「森の奥の小屋でさ。最近アニキはすっかり入り浸っててさ。その小屋ってのが、ずっと魔法で隠されててな。最近それが切れたんじゃないかってアニキは考えてるみたいだぜ。だからあの小屋は俺とアニキくらいしか知らねえはずだ。誰かが住んでたところみたいでな、そこそこ広いしベッドもあるし、しばらく隠れられるかもよ」
「まさか、二人で住む気じゃ。ありそうだわ……!」
 ナミリエは完全に二人が駆け落ちだと思っていた。パッチはヒヒヒと笑う。
「二人は無理さ。何せベッドが一つしかねえ。まして小さなガキじゃねえんだ、ベッド一つに男と女はキツいぜ」
「そんなことを言ってるうちは大きくてもガキなの。大人の男女は一つのベッドで抱き合って寝るものよ!」
「マジかよ。大人ってすげえな」

「待って。ちょっと待って」
 エリアは始まったばかりのナミリエの話を遮る。
「なんて話してんの。違う、違うから」
「分かってるわ、一般論よ」
 一般論でもこんな話をしている時点で問題ありだとは思う。それでもエリアは一般論ならいいかと思ってしまった。
「それにね。この頃のあたしはまだまだモッチよりちょっと背伸びしただけのガキンチョだった。今はエリアねえちゃんにまた一歩近付いたの。今のあたしは知ってるのよ。大人はただ抱き合うんじゃなくて、ハダカでそうするんだって」
「待ってー!」
「分かってるってば、一般論よ」
「一般的なナミリエ位の子はそんなこと知らないのっ」
 まあ、エリアは知ってるのだが。ナミリエよりは大人だから。エリアが一般的じゃないからではない……はずだ。
 それより、クレイの近くでこんな話をしたくないのだが。……いない。クレイはとっくに逃げてしまったようだ。ついでに言うと、最初の方はナミリエの話を聞いていたロゼフとサマカルドも居なくなってしまっていた。

 話を戻す。とんでもない話をしていたマセガキ共はグレックの庵に向かった。
「ありゃ。絶対ここだと思ったのに、いねえや」
 中を覗き込んだパッチがぼそっと言った。
「上は?階段があるじゃない」
 ナミリエの言葉にもっちが素早く反応する。
「兄ちゃん。おいらは上はパスだ」
「この階段のせいでちびったもんな」
「思いださせんなよ!あとアネゴの前でそういう話すんな!」
 そして見つける。クレイの残した日記の解読メモを。
「げえっ。ここに書いてあることが本当なら、アニキたちの行き先は島の外じゃないか!」
 そんなとんでもない情報を抱えたまま翌日学校に行くと、クラスメイトたちからこれまた驚きの情報を知らされる。
「ナミリエ!知ってた?エリアって、婚約してたんだって!」
 年はバラバラだが仲のいい女の子の集団が噂話の輪にナミリエを引き込んだ。
「えっ。なにそれ知らない。クレイと?」
「まっさかー。ああでも、その相手もまっさかーって感じだけど」
「ラルフロイよ!エリアが居なくなった理由って、絶対これよね!」
「それにしてもクレイと一緒に逃げるなんてのも意外だったけど」
 衝動的に島を飛び出したエリアがずっと漠然と抱いていた、クレイと駆け落ちだなんて思われていないだろうかという不安は現実の物になっていた。しかも、その翌々日にはである。プライドの高いラルフロイなら誰にも知られないようにもみ消すだろうと思っていた、婚約を決めた相手がその日のうちに逃げたということがあっさりバレたことで連鎖的に推考されたのである。
 ナミリエの話を聞いていたエリアがここでも色々と口を差し挟んだが、詳細は割愛する。そのやりとりの中から一つだけ。
「エリアねえちゃんがクレイと二人で逃げたなんてすぐには信じられないからね。むしろクレイを人質にとって婚約解消を迫ろうとしてるんじゃないかって考えてた子もいたよ」
 クレイと駆け落ちだと思われるのを嫌がるエリアに安心して欲しいと思って言ったのだろうが、フォローになってないばかりかなお悪い。
「へえ。それって誰?」
 そしてエリアはナミリエが答えた名を心に刻み込んだ。そして島に帰るんだという心意気を新たにするのだった。
 それより、ナミリエはエリアが島の外に行ったんじゃないかという情報を持っている。早速そのことを口にした。それによってクレイ人質説は実質消滅である。そして、子供たちの間に島の外の世界という秘密があっという間に広まった。
 もはやこうなっては長老にも手の打ちようがない。しかし、今のところ旅立ったばかりのクレイとエリアはもとより、グレックといいこれまでに島を出た人間は誰一人帰ってきていないのだ。クレイとエリアさえ、今この時の安否が知れない。それで島の外を目指そうとするものなどいないはず。……だった。
 しかし、子供というのは得てして無謀かつ好奇心旺盛である。ナミリエはすぐに動き出した。だが、彼女には行動力はあったが欠けているものがあった。知識である。子供でも分かることの半分くらいしか分からないお年頃だ、無理もない。
 クレイとエリアがグレックの庵に残した解読メモはただでさえ断片的で、加えて最後の一番大事な部分は書き込みもせず確かめに行ってしまったので、ナミリエが腰巾着のモッチとおまけのパッチを引き連れてきたところで首を傾げることしかできなかったのだ。
 そこに頼もしい助っ人が現れた。それがラルフロイだった。正直、庵に突然入ってきたときは来るなと怒鳴りたいくらいだったのだが、ただでさえ役に立っていなかったパッチとモッチが逃げてしまったところでもあった。そこにいる誰よりも年上でその上成績も優秀となれば解読を手伝わせない手はない。実際、一人であっという間に解読を終えてしまった。
 解読さえ済んでしまえばラルフロイなどお役御免。後は出し抜いて一人で島を飛び出せばいい。最初はそう思っていたのだが、解読の結果現れたのは満月の夜に湖に行けという指示。そこでラルフロイと再び鉢合わせることになる。むしろ、ナミリエが危うく出し抜かれかねない状況だった。ラルフロイは満月を待つ間に湖にボートまで用意していたのだ。
 そのボートに乗り込んだのはいいが、湖が突然凍り付き動けなくなった。やむなく氷の上を歩き出したところをナミリエが見つけたのだ。
「何でこんなロマンチックな状況であんたと一緒にいなきゃならないのよ」
「奇遇だな。俺も同じことを考えていたところだ。何もついてこなくてもいいだろう」
「一人で行かせてなるもんですか。本当はあたし一人で行こうと思ってたのに」
 思いを寄せるクレイの側では素直になれず意地悪な言い方をしてしまいがちなナミリエだが、嫌いな奴が相手ならシンプルに口が悪いのだった。勘違いしないであげて欲しい、普段はよい子なのである。
「ちっ。自分でやろうとしていたことなのに、他の奴にやられると腹が立つな、まったく」
「それはあんたが腹の立つ男だからでしょ」
「お前もな」
 などと話しているうちに湖の中心に着き、氷の階段を下り始める。謎の小部屋で、書見台にて不思議な本を手に入れて……。

「あれっ。ちょっと待って。その本ならまだぼくが持ってるはずなのに」
 いつの間にか戻ってきて話を聞いていたクレイが驚いて荷物を引っかき回した。そして、例の本を取り出す。一方、ナミリエも自分の本を取りだした。クレイのものとは全然デザインが違う。
 クレイは自分の本を開いてみて、驚いた。
「あっ。真っ白だ」
 どのページも、クレイの言葉通りになっていた。
「どういうことなの……?」
 覗き込んだエリアも首を捻る。
「それなら、そっちの本に書かれてた文字がこっちに移ってきたんじゃないかしら」
 つまり、ナミリエが持っている本は元々真っ白だったことになる。なぜそんなことがわかるのか。それはその本が元々ナミリエの持ち物だったからである。
 その表紙をみれば正体は明らかである。女児受けする愛らしい字体でこうかかれている。『日記帳』と。
 ナミリエは満月の夜、家を抜け出した時点で戻らない覚悟が出来ていた。ラルフロイが満月までの間にボートを用意したように、ナミリエは旅立ちの準備をしていたのだ。身辺整理もその中に含まれる。
 そして、その日記帳である。その日記帳は最近新しく下ろしたばかりで置いていくにはもったいない。加えてここ最近の甘酸っぱい恋心がしこたま綴られていた。置いていって家族に見られたらただでさえ恥ずかしい上に、旅だった理由まで明け透けになる。それもまたものすごく恥ずかしい。かといって自分の気持ちを綴った日記を処分するのも忍びない。だから持ってきていたのだ。
 書見台に荷物の中にあるはずの見慣れた日記帳が乗っかっているのをみて、ナミリエは悲鳴を上げながら日記帳を掠め取った。その悲鳴で長老に見つかってしまうのだが。
 お前たちも島を出るつもりかと怒気を孕んだ声で問いかける長老。それに対するラルフロイの反応は意外なものであった。いきなりナミリエに抱きついてきたのである。驚いて上げた悲鳴がラルフロイの作戦を後押しする形となる。
「分かっているなら話が早い。この小娘の命が惜しいなら知っていることを全て話せ」
 ナミリエは人質ということになったようだ。ナミリエにはそんな芝居に合わせる演技力などないのだが、ラルフロイとしては自分さえ島の外に出てしまえばいいので言葉通り情報を引き出すためにナミリエを殺しかねない。そんな実状もそうだが、とにかくこの男と体が密着しているこの状況だ素直に嫌である。演技など必要ない。心の赴くままに振る舞えばよかった。
「貴様っ!このような痴れ者が島にいたとは……!いずれにせよ秘密を知った者を生かして帰せはせぬ。二人ともこの場で始末してくれよう」
 ナミリエとしてはええええっと心の中で喚くより他ない。と言うか実際声も出た。こういう場合、普通は人質を助けようとするものではないだろうか。なぜまとめて始末されなければならないのか。
「へえ、面白い。人質を見殺しどころか手ずから葬ろうとはね!おい小娘。抵抗しないとどうやら殺されるぜ?」
 しかし、そのことさえもナミリエには好都合であった。なにせ、先に進むには長老を何とかしないといけない。それに、この状況からして長老は何かを知っている。情報は聞き出したい。となれば明らかにナミリエを始末しようとしている長老を、たとえ誘拐犯として現れたラルフロイと協力して押さえつけようとしても何ら不自然なところはないのだ。確実に殺される相手よりは、もしも本気だったら殺されるかも知れない程度という相手の方がマシだし、長老さえ何とかなれば殺されることはないはずである。
「分かってるわよ、やるわよこうなったら!ワルタカンマ!フォルマスファイ!」
 魔法を習い始めたばかりのナミリエには初歩的な練習用の魔法しか使えない。とりあえず水を使って溺れさせるのがナミリエの使える魔法で一番効きそうだ。水が球体を作り長老の頭を包む。
「フロズアンダフォルマサークプトゥーンワルタセパラヴァルチカドゥトゥーンフォルマサキュラフロズ」
 そこにラルフロイがとっさに便乗した。ナミリエの作り出した水の塊の底面が凍結し氷の首輪になり、そのまま長老を吊り上げると残りの水を両腕に伝わせ氷の手枷を生み出した。ここまで淀みなく詠唱したラルフロイは一呼吸おき、呪文を続ける。
「ワルタカンマセパラフォルマピラスエンコルンポインタルグ」
 巨大な水柱が吹き上がるとそれは瞬く間に凍り付き、氷の柱に長老を磔にした。同時に氷の槍が長老の喉元を狙う。こんな使い道の無さそうな魔法をとっさに淀みなくすらすらと詠唱できるのはそれだけ高い能力があるか、この魔法を使い慣れているか。どちらにしてもドン引きである。
「喧嘩のセオリーとしては相手が仕掛けるのを待った方が言い訳になっていいんだがね。この場合待ってたら殺されちまうからなあ。一番殺される謂われのない奴をけしかけさせてもらったぜ。身を守っただけなら何も悪くない。そうだろ?」
 ナミリエは思う。この戦いはなんと荷担したくない戦いなのか。どちらが勝っても正義とは言えない。
「ふん。喋らねば喉を突き殺すか。構わんよ、どうせ老い先短い身。好きにすればいい」
 長老は表情一つ変えない。一方ラルフロイは楽しそうにクククククと笑う。
「ああ、これ?ただ雰囲気を出してみただけさ。脅したり痛めつけたりするまでもなくあんたは嫌でも喋ることになる」
 ラルフロイは何かを詠唱し始めた。当然、ナミリエに理解できる語句は殆ど無い。
「む?貴様、まさか心を操る術を……!」
 ラルフロイは詠唱を止めず目を細め口の端を吊り上げた。ナミリエとしては今は一応味方している形なのだからあまり悪役っぽい振る舞いは控えてほしいのだが。
 長老の体から力が抜けてぐったりとした。眠らせる魔法だろう。さらに詠唱は続く。それが終わると長老がゆっくりと顔を上げた。目は虚ろだ。
「……何をしたの?」
 怖い物見たさというか聞きたさと言うか。聞かない方がいいんだろうとは思いつつも誘惑に負けて聞いてしまうナミリエ。
「俺に逆らえなくした。どんな質問にだって素直に答えるし、戒めを解けば俺の操り人形にして何かをさせることも出来る」
「あんた、そんな怖い魔法使えたの……?女の子にかけてエッチなことしたりできるわよね」
「ああ、そうだな。だが、生憎魔法に掛かってる間のことも忘れちゃくれないからな。解けたらバレバレさ。こんな魔法を使えることを知られたらただじゃ済まない。役に立つ機会が来るなんて思ってなかったね。……さて」
 ラルフロイは長老に改めて向き直る。
「まずはここがどこで、なぜあんたがここにいるのか喋ってもらおうか……」

 魔法の効果で長老はラルフロイの質問に素直に答えた。ここは長老の家の地下である。長老が居て当然だった。さらに言えば長老の家の地下にこんな場所があるという訳ではなく、この場所の上に長老の家があるということらしい。長老たちは代々その座とともに重大な島の秘密とこの家を受け継いできた。長老は秘密の守人でもあったのだ。
 島の外に出る方法についてはここに置かれていた本に書かれてあったが、長老も詳しくは覚えていないという。その本はクレイ達が持って行ってしまったのだが……。
「本か。さっきそこにあったな。見せてみろ」
「いやっ!これ、あたしの日記帳だもん!」
 本あるいは日記帳を両腕で押さえ込むナミリエ。
「そんな馬鹿な。じゃあ、その日記帳の使ってないページに本の内容が書き込まれてたりしないか」
「そんなわけ……うええ」
 ちらりと開いて見てみたら、本当にその通りだったので呻き声を上げるナミリエ。
「見せろ」
「いやっ!」
 最初の方は日記のまんまなのだ。乙女の秘密てんこ盛りである。好きな男の子には絶対見せられないが、好きでもない男の子にもまた絶対見せられない。
「おまえの日記になんて興味ねえし、見ねえよ」
「ううう。信用できない……」
 しかし、ラルフロイには奥の手がある。絶対服従の魔法だ。あっさり取り上げられ目の前で読まれることだろう。今のナミリエにはこれ以上の辱めは思いつかないほどの結末である。
 日記は絶対に読まれずに、本すなわち日記帳を読ませる手段が必要だった。手っ取り早い方法がある。日記の部分を破ってしまうのだ。これで安心して本を紐解ける。そしてラルフロイは言葉通り、破り取られた日記のページには全く興味を示さなかった。
 ナミリエとラルフロイは本に従って森の奥から崖下の洞窟に辿り着いた。二人ともこのまま島を出る準備万端だったため、揃って直行であった。長老がまたもや岩で洞窟を塞いでいたが、それを予想していたラルフロイには目印でしかない。ラルフロイが岩をあっさりとどけたので洞窟の中で灯りを点し前を歩く役目はナミリエに押しつけられた。ラルフロイを出し抜いてここに一人で来ることができても入口の岩はナミリエにどけることはできなかったろう。半べそをかきながらでもこのくらいやっておかないと示しがつかない。
 そして洞窟奥で見つけた小舟に乗り大きな海へ漕ぎ出した。いや、漕がなくても勝手に進む船だったが。そして、何もない絶海のただ中で気付くのだ。この逃げ場のない状況で、ラルフロイと二人きりになってしまったことに。
 こんな小さな船で、食べ物も水もなしで放り出されたのだからおなかが空くまでにはどこかに着くだろうと思っていたが甘かった。船は三日三晩海の上を進み、気まずい日々が続いたのだった。
 エリアとクレイが駆け落ちだと思いこんでいるナミリエは、そんな二人がこんな状況になればものすごいことになるよね、などと幼いながらのありったけの想像力を働かせてため息をついていた。
 一方ラルフロイはと言うと、ナミリエの日記帳に浮かび上がった本が明らかに魔法によるものだったので、何かの弾みで消えてしまう前に書き写そうとペンを走らせていた。今のところナミリエの本は健在なので杞憂と言えなくもないが、本を持つナミリエはいまラルフロイと一緒ではないし、クレイたちの見つけた本は真っ白になってしまったのだからいい読みなのかも知れない。クレイたちも話を聞くやラルフロイに倣って真っ白になってしまった本にナミリエの本を書き写すことにした。
 クレイとエリアが島を旅立った満月の次の満月。一ヶ月遅れで旅立ったナミリエは、アテルシア国内での魔法使いに対する目の変化と情勢の混乱を追い風に国内を一気に駆け抜け、海上もまた高速艇で駆け抜けた。クレイたちが少しずつ辿った道のりを、半月ほどで追いついてきたのだった。