マジカル冒険譚・マジカルアイル

31.乙女たちの心模様

 ナミリエはエリアたちより少し小さい女の子で、学校ではエリアに懐きよく一緒にいて面倒をみていた。最近はずいぶんしっかりしてきたので一人でもちゃんとやっているだろうが、寂しい思いはしているだろう。何せ自分も寂しい思いをしたのだ。……もしナミリエがあまり寂しい思いをしていないのなら、それはそれでとても切ない。
「えーと確か。『エリアねえちゃんは年上の頼りになる男の子が好みのはずなのに、何であんたみたいのと一緒にいるんだろ』とかなんとか」
 そんなナミリエに言われた言葉を思い出すクレイ。
「なんか酷い言われようね。年下の……女の子よね、その子」
 苦笑するロッフル。
「うん」
「年上のお兄さんにそんな口利くなんて、生意気な子ね」
「ぼく以外にはいい子なんだよ……」
 その通りである。いい子じゃなかったらエリアだって可愛がって面倒なんて見てやらない。むしろそんなことを言っちゃう一面があったことに驚きだった。エリアの前では猫を被っていたのだろうか。いや、多分。
「クレイちゃんがナメられてるだけかぁ。他にどんなこと言われたの」
「『エリアねえちゃんは優しいからあんたみたいなのの面倒もみてくれるけどそろそろ迷惑だと思うのよ。だって、いい年の男と女じゃない。恋人でもないのにベッタリっていうのはどうかと思うのよね。そろそろ自立したらどうなの。まあ、無理よね。でもあんたの面倒なんてあたしでも見られるし、なんならエリア姉ちゃんの代わりにあたしが面倒見てあげてもいいんだけど』」
 言われてよっぽど凹んだのか、その言葉を恐らく一言一句正確に記憶し再現するクレイ。言葉通りに受け取れば大好きなエリア姉ちゃんに迷惑をかける厄介者を肩代わりしてやろうとしていると言ったところだが、どうもその裏にエリアからクレイをもぎ取ってやろうという思惑が見えるような、見えないような。
「なあにその子。クレイちゃんに気でもあるんじゃないの」
 ロッフルも同じことを思ったようで、ストレートに言葉にした。
「えーっ。そうかなぁ。好きだと思ってるならこんなヒドい事いう?」
「言う言う。素直になれない子なら言っちゃう。素直に聞くとヒドいことを言ってるようでも、ちょっとひねくれた聞き方をすると、エリアちゃんじゃなくて私と一緒にいて、私のものになってって言ってるように思えるじゃない」
「ええー?そう?」
 言われてもなおピンときてない鈍いクレイにどの辺がそう思えるのか説明を始めるロッフル。素直じゃないおませなちびっ子が精一杯本音を隠して紡いだ言葉を、解きほぐしてそこに込められた思いを詳らかにしてしまうのは、本人がここにいたら逃げ出したくなることだろう。もちろん言った本人のことだが、言われた本人だって同じだろう。同じはずなのだが。
「そういう風にも考えられるのかぁ」
 気のないそぶりでのほほんと言うクレイの背中を蹴り飛ばしたい衝動に駆られるエリア。ここにナミリエがいてこんな感じだったら本当に蹴っていたかもしれない。純情な女の子の本心を知ってなぜこんなに落ち着いていられるのか。ナミリエがかわいそうだという思いが半分、もう半分はクレイがエリアに向けていた気持ちを言葉に出す事になった時、「怖い」と言う言葉が出るまでの、あのドキドキ感。エリアですらああだったのに、それに比べてクレイのこの落ち着きぶり。自分が恥ずかしいやら、腹立つやら。言ってしまえば、自分がかわいそう。ナミリエも自分もかわいそうだ。
 いや、クレイだってナミリエがここにいないからこんなに落ち着いていられるのだろう。それに、これはクレイの記憶の中の発言を元に勝手に推測されただけ。本人が言ったわけではない。だからこその余裕だろう。きっとそうだ。
「ところで、何でこんな話してるんだっけ。……ああそうそう、エリアの好みかぁ」
 クレイは話の本筋を思い出したようである。
「それはぼくじゃちょっと分からないけど、結構好き嫌いの基準は厳しいんじゃないかな。結構エリアを狙ってる男の子はいたけど、みんなフられたみたいだし。アケニオとかラルフロイとかバジとか……あいてっ」
 今度は本当に足が出た。背中ではなく尻にだが。
「な、何さ!ぼく、何か変なこと言った?」
「じゃなきゃ蹴らないわよ」
 何が変だったのか問い詰めたいクレイだが、蹴りを放つくらいの怒りに反しての物静かな返事が持つ気迫に言葉を飲み込まざるを得ない。
「あーっ。今の中にエリアちゃんの好きだった子がいるんだぁ」
 しかしロッフルはお構いなしであった。斜め上の推測にエリアは怒りと焦りをない交ぜにして食ってかかる。
「ちっがーう!逆よ、思い出したくもない奴がいたのよ!」
「あ……。そっか、ごめんね。……クレイちゃんもダメよ、力ずくで何かするような男の名前出しちゃあ」
「そそそ。そこまでのことはされてません!」
 ロッフル基準で話をしないでほしいものである。だが、さほど著しくかけ離れているということもなかったりする。
 やなこと思い出しちゃったなぁと思いながら話はここまでと言わんばかりに呪文を唱えだしたエリアの隣でクレイが心の中での呟きを声に出した。
「それじゃあエリアがフられたのかな」
「クレイと一緒にしないで!逆よ、クレイの言った通りフってやったのよ!」
 呪文どころではなかった。そして、つい本当の事を言ってしまった。
「そうなのかー。エリアはモテるもんなぁ」
 今のエリアにとっては嫌味のようなことを何の悪気もなく言ったところで、興味がなくなったかあるいはさすがにこれ以上この話を続けるのはまずいと察したか、クレイは黙った。ロッフルも自分の知らない男の子の話題を掘り下げても仕方ないと思ったか、この話は終わった。今度こそ無事に呪文を唱えられる。
 しかし。ほっとしつつもエリアには一つの心残りができた。自分が島を出る決意を固めた理由。一度は自分で引き留めたのに巻き込んで連れだし、酷い目にも遭わせてしまったクレイにはエリアが島を飛び出した本当の理由を知る権利がある。
 エリアは今日の治療が終わったらクレイと二人で話す決意をした。

 そんな感じで無駄話を織り交ぜながらも、ロッフルの治療は順調に進んでいる。その日の終わりに久々にロッフルの体内を覗いたソーニャは、酷く爛れていた患部も目に見えてきれいになっていると太鼓判を押した。
 その治り具合を是非その目で見て確かめてご覧なさいという誘いをクレイとエリアは丁重に断ったので、実態はソーニャしか知らない。正直、医学の知識などない二人が内臓など見てみたところできれいなのか爛れているのかすらよく分からないし、当然ながらもうこれでいいという判断もソーニャにしかできないだろう。見ても仕方ないし、ならば見たくなどない。
 とにかく、このペースならばもういくらもない船旅が終わる頃には治療も終わるだろうとのことだった。
 ロッフル達の部屋を出てソーニャとも別れると、エリアはクレイに声をかけた。
「話があるんだけど、いいかな」
「うん、いいよ。なあに」
 ひとまず、エリアはまず誰もいないところにクレイを連れて行く旨から話さないといけないようだ。
 二人は船の艫に向かった。見える景色はこの船旅が終わりに近づいていることを実感させた。船は大海を渡りきり海岸を遠くに望みながら目的の港を目指している。陽は傾きつつあり、やがて空はその色を変えていくだろう。そうなってしまうとクレイと二人きりで話すにはちょっとロマンチックすぎる。幸い人の姿はない。今のうちに話を終わらせてしまおう。
 隣を見るとこの状況で女の子と二人と言うことをまったく意識していなさそうなクレイの気楽な顔が見え、エリアもただの話をするにはムードがありすぎる状況を気にする気が失せた。
「あのね、さっきの話の続き……なのかな。あたしが島を出た理由を話しておこうかなって」
「んー?そんな話してたっけ」
 首を傾げるクレイ。
「まあしてないんだけどさ」
「それに、理由って言っても外の世界を見たかったからだよね」
「根本的にはそうなんだけど……。ああもう、話が進まないから黙って聞きなさい!……ほら、最初はちゃんと戻れるかどうかもわからないんだから出るのやめようって言ったじゃない。でもその後急にやっぱり行くって言ったでしょ、あたしの方からさ」
「んー?そういえばそうだったかも」
「その理由。……あの日さ、あたし婚約したのよね」
「ええっ。それは……おめで」
 おめでとうと言い掛けたクレイをエリアが怒鳴りつける。
「おめでたかったらこんなところにいないわよ!おめでたいのはあんたの頭だわ!イヤだったから島を出ることにしたの!」
「そ、そうだったんだ……」
 エリアはいろんな感情が込められた溜息をつくと、話を続ける。
「あの時は頭の中がぐちゃぐちゃになっててさ。こんな島出てってやるーって。でもさ、後になって落ち着いてきたらとんでもないことしちゃったと思ったわよ。こんな理由なら島を出るのはあたし一人でよかったんだわ。クレイ、巻き込んじゃってごめんね」
 素直に謝って見せたエリアにクレイは笑顔で返す。
「先に外の世界を見に行こうって言い出したのはぼくじゃないか。それならこのことはお互い様だよ」
「気を遣ってくれるの?ありがと。でもさ、気にするなみたいなこと言われてもそんなに簡単には済ませられないよ。色々大変なことになったもの。……兵隊に捕まって連れ込まれた船の中のこととかさ」
 思い出させるようなことを言ってしまうのは心苦しいが、あえてエリアは言葉にした。クレイも複雑な表情をした。
「あれは不可抗力だよぅ……。それにじっくり見る余裕なんてなかったってば」
 その言葉にエリアは首を傾げた。クレイが何のことを言っているのか心当たりがなかったのだ。どうやら何かを見たらしいが……。エリア自身ももちろんあの時のことは何一つ思い出したくもないが、思い出してみる。荷物はすぐに取り上げられてしまったし、中を覗いて見られたりは……。
 そこでエリアは思い当たる。そういえばあの時、服をはぎ取られて下着姿どころか上半身だけとはいえ裸にされたのである。真っ当に年頃の乙女であるエリアは男たちの前で裸体を晒され恥辱に打ちひしがれた。しかし、その後の出来事でそんな恥など吹っ飛んでしまっていた。そして、思い出したくもないその時のことを振り返ることすらなくなった。だからその事をすっかり忘れていたのだが、その時にクレイが「見た」かも知れない。
 一応、そんな感じで思い当たりはしたが。
「何のことを言ってるの?ちょっとよくわからないんだけど」
 白々しく聞き返してみた。
「えっ。……な、何でもない」
「へえー?何でもないってことはないよねぇ?何のことかしら?」
 クレイもエリアとはつきあいが長いのである。知ってて聞いていることを察した。ならば隠し立ては無用、むしろ逆効果である。
「え、エリアの裸を見ました……。ごめんなさい」
 案の定だった。寄ってそんなに驚きはない。しかし自分から問い詰めておいてなんだが、こうしてはっきり言われてしまうとちょっとどころかかなり恥ずかしい。色々言いたいことはあるが、ひとまず呆れておくことにする。
「あの状況でよくそんな余裕あったわねぇ……。で、どういう感じで見えたのか、詳しく話してみよっか」
 正直なところ、見られた方のエリアですらその時の事をよく覚えていない。だからこそあの極限の状況で裸を見たことを憶えているクレイに呆れるのだ。
 それに。裸にされたところまではどうにか思い出したが、自分とクレイが痛めつけられたことで頭が一杯になっていたようで記憶が曖昧だ。更に恥ずかしくなる話を聞かされそうな気はするが、状況ははっきりさせておかないと気持ちが悪い。そう言えば二日目のあのひどい拷問吏はエリアをクレイの前に引き出して、くるまっていた毛布を無理矢理……。
「最初の拷問の後、心配してぼくに付き添ってるとき……」
「え?二日目じゃなくって?」
 思い出した場面と違う場面のことだったのでエリアは少し戸惑った。あの時はクレイとエリアの拷問は別々だったはず。それにあの時はまだ落ち着いていた。拷問室を出されるときに体に巻き付けていた毛布のちくちくする痛みも覚えている。
「二日目もだけど……」
「でも、毛布にくるまってたと思うんだけど!」
「ううん……でも、こうじゃない」
 クレイは外套の前を閉じるような手振りをした。毛布にくるまっていたとは言っても、あちこち痛む体にあまり触れないように背中に乗せて前を手で押さえていただけ。
「あの時、エリアが酷い目に遭ってるのが分かってるのに何もできなくてさ、悔しくて泣きながら不貞寝してたんだよ」
 言い訳のようにそう切り出すクレイ。実際多少でも心証を良くするべく言い訳である。
「そしたら、兵士が出てきて。ぼくのとエリアの服を放り投げてさ。エリアも裸にされたんだって思って」
「あたしが出てくるのをわくわくしながら待ってたわけね」
 ちくちく刺さりそうな刺々しい声でエリアは問い詰めた。
「ちち違うよそうじゃないよ!見ちゃいけないと思って目を閉じてたんだよ!」
 まだ言い訳パートは続いていたのだ。本題はここからである。
「そしたらエリアが呪文を唱えてくれてて。その時、毛布の前がはだけてて……」
 あの特、エリアは魔法が使えないのは分かっていても癒しの呪文を唱え続けずにはいられなかった。もちろん、毛布の前を押さえながらではなかったろう。前もはだけるわけである。普通に魔法を使うにしても手は直接触れるくらいに近い方がいい。傷だらけの体に触れれば痛むだろう。ぎりぎりのところで手を翳そうとしていたに違いない。至近距離もいいところだ。更にその時のエリアは眼前の傷だらけの体に注視していた。纏った毛布がどうなっているかとか、クレイがちゃんと目を閉じているかなんてのは二の次だった。
「ううう、油断した……。でも待って、初日からそんな有様ならその次の日なんかどうなってたの」
 クレイもさすがに気付いている。そもそもエリアだってもう“全部覚えてるけど覚えていないフリ”のフリをすることすら忘れているのだ。エリアは明らかに何も覚えていないのが明らか。
「あの時は酷い状態だったから何も覚えてないよ」
 ごまかそうとするクレイだが、気付くことに関してはエリアの方が上手である。何せ女には男のついた嘘を感知するスキルがあるのだ。いや、男に騙される女も絶えないのだからむしろ男の方に自分の嘘を悟らせるスキルがあるのかもしれない。クレイの嘘の見え見えぶりからしてこちらだろうか。
「いいから。何を見たのか正直に話そうか。話しなさい」
「…………はい。でも、痛めつけられてるときのことは本当に何も覚えてないんだよ」
 酷い状態だったからと言うのは半分本当である。
「じゃあ、覚えてるのはその後のことね」
「うう。はいそうです。……ええとね、たぶんそれまで気絶してたんだと思うんだけど」
 確かに、拷問室から引きずり出されたクレイはしばらくぐったりとして動かなかった。痛々しくて見ていられなかったが、胸がゆっくりと動いていたのを見て少しは安心していたのも覚えている。
「目を覚ましたらエリアが横にいて」
「う。ああー……。その時も前がら空きだよね……」
「うー。がら空きっていうか、毛布捨ててたし」
 自分の行動が俄に信じられないエリアだが、その時の詳しい事情はこうである。傷だらけのクレイを見ていられなかったエリアはクレイから離れた場所でうずくまっていた。クレイが目を覚まし声を上げ、それを聞いてエリアはにじり寄ろうとした。だが、傷口に擦れあるいは張り付き痛みを呼び起こす毛布は邪魔で、ほぼ無意識に投げ捨てたのだ。
「ぼくも思わずトイレに行くフリをして逃げたよ……」
「今はあたしが逃げたいわ。聞かなきゃよかった……」
 しかし、恥ずかしいのは一時だ。聞かずにもやもやした気分でこれからを過ごすよりはずっといい。そして。本当にすっきりした気分で話を終えるにはこれでは足りない。
「で、ほかにも何かあったんでしょ」
「……え?いや、ないよ。全然」
 この反応でエリアは確信を持つ。
「これだけだったら、二日目のこと隠そうとしないわよね。毛布なしの裸を見られたのは拷問室でもだし、間近で見られたのは初日もで、それは今こうして話したわけだし。何かあったんでしょ。さあ、話しなさい。話されて恥ずかしいのはこっちなの。それでも聞いてあげるんだから話しなさいよ」
 クレイは覚悟した。いっその事、思いっきり恥ずかしい話をでっち上げて大恥をかかせてやりたい気持ちになったが、バレたらお仕置きというしっぺ返しが自分に来そうだし、そんな話をするにしてもそもそも考えるのですら相当恥ずかしいのでやめておく。
「えっと。目が覚めたらすぐ隣にエリアが寝てて……」
「えっ」
 この話の流れからして、服を着ていたとは思えない。あの時は体中の痛みで毛布を乗せているだけで苦痛だった。その痛みに耐えてまで、既にさんざん裸を見られていたクレイの為に何かを着たとは思えない。それでも、自分がそこまで抜けてないと信じて言う。
「まさか、寝てるのをいいことにあたしを裸に剥いたんじゃ……」
「ままままさか違うよ全然違うよ。そんな度胸無いよ、むしろ毛布を拾ってきて隠したくらいだよ」
 クレイは嘘はついていないが、どうにも態度が慌ててごまかしている風になってしまう。しかし。
「……だよねー……」
 そんな度胸無いというのはエリアもよく分かっているだけに十分反論足り得た。エリアにしてみても自分がそんな無防備な姿でクレイの隣で寝こけるような迂闊な真似をしたとは信じたくなくて抗ってみただけである。尚、そうなった理由はこうである。
 一度は毛布をかなぐり捨ててクレイに駆け寄ったエリアだが、クレイがトイレに逃げている内に冷静さを取り戻し、毛布に身を包んだ。そしてそのまま一度は眠りにつくのだが、その眠る前の一幕。
 傷に沁みて痛いからという理由で一度は塗るのを拒んだ傷薬を、寝る前にちゃんと塗りなさいということになったのだ。一度はやっぱりいいと言ったクレイだが、エリアが背後に回って背中側だけ無理矢理薬を塗った。そして、「まさか前の方もあたしに塗らせたりしないわよね」などと身を守るように毛布をしっかりと合わせながら言われたら──そうすると自ずとエリアは前をはだけて向かい合うことになる──クレイは自分で塗るとしか言えなかった。それにどうせ塗るなら塗れるところは自分で塗った方が加減もできて痛くないと言うものだ。塗り終わった薬は自分の横に置いて、痛みも弾いてきたことでクレイは静かに眠りに落ちた。
 一方、エリアは一度は眠りに落ちたものの夜中に傷の腫れる痛みで目を覚ました。自分は大した傷じゃないと薬を塗らずにおいたことを後悔しつつ、今からでも遅くないと薬を塗った。背中も手の甲を使ったりしてなんとか自分一人で塗れた。
 眠る前にクレイに塗ったときの反応から覚悟していたくらいには薬は沁みた。身動きもままならないほどの痛みに“これは今夜寝れないや”と煩悶しつつ時を過ごすうちに、薬の効き目で痛みは急激に引いていき、あっさりと安らかな眠りに落ちていった。
 薬はクレイの隣にあり、その場で塗った。沁みる痛みでそこから動けず、もちろん毛布を被り擦りつけるような更なる痛みを味わうつもりもなく。そのまま痛みが遠のくと意識も緩やかに遠のき、いつの間にかそのまま眠っていた。だから、クレイの隣で無防備きわまりない姿で眠る結果となったわけだ。
 目を覚ましたら隣がそんなことになっていたクレイは、とりあえずそっと毛布を掛けることにした。目を逸らしたまましっかりと毛布を掛けられるほどクレイも器用ではなく、その時にまじまじとエリアの体を見てしまったのだ。……もちろん、こんなチャンスはないとまったく思わないほどの聖人でもない。
 そして目を覚ましたエリアも自分の体の上にしっかり毛布が被せられていて、クレイもとっくに遁走し部屋の反対側にいたことで、そんなことになっていたなどと知る由もなく、何事もなかったような朝を何事もなく迎えたのである。
「見られたのは分かってたし諦めてたけど、知らないところでもっと見られてたなんて……」
 しかし、クレイが痛めつけられたのを目の当たりにしたショックと自分の傷の痛みで意識がそちらにばかり行っていたエリアはそんな経緯を覚えてはいないし、クレイだって眠っている間に何があってそうなったのかは分からない。エリアにしてみても何があったのかは分からなくてもクレイが悪いわけではないことだけは分かる。
 そしてそれが自業自得なのだからクレイを糾弾など出来るわけもなく。それでも何かあったことを察してしまった以上、追求せずに放っておいてはもっともやもやしたのは間違いない。だから後悔はしていないが知りたくない事実であった。ましてこんな中途半端なところで追求を断念しなければならないのであれば。
「ごめんなさいっ。でも不可抗力なんだよぉ」
「わかってるわよ、あたしが迂闊だっただけ。あんたは悪くないわ」
 クレイはほっと胸をなで下ろした。
「ふうっ……。でも、あの酷い出来事のこともこうして笑って話せるようになるなんてね」
 ほっとしてこんなことを口走ったのはクレイにとって迂闊だった。
「裸を見られたことは笑えないんだけど。笑って済ませるような話でもないし」
「……はい、そうですね」
 今は笑えないかもしれない。エリアにとっては今知ったばかりの事なのだから無理もないのだ。でも、いつか。時が経てばきっとこのことも笑って許せるようになるはず。そんなことを考えたことがバレたらと無用にびくつくクレイだが、元々エリアの言葉のせいで縮こまっていたのでエリアに悟られることはなかった。
 そして。ショックで吹っ飛びかけていたが、本題はこんな話ではない。
「えっとね、とにかくよ。あたしの癇癪でクレイを連れ出して、結果あんな酷い目に遭っちゃったのに負い目を感じてたのよ」
「でもさ、先に誘ったのはこっちだし、僕はあんまり気にしてないけどね。どうしてもって言うなら……」
「裸を見たことはチャラにしないからね」
「……あ、そう」
 どちらが重いのかはわからないが、秤に掛けて釣り合う二つではないようだ。
「ま、今日は言っておきたかったってだけだから。ちょっとはすっきりできるかと思ったら……もっとすっきりできない爆弾抱える羽目になったけど」
 頭を抱えるエリア。
「このこと、誰かに言いふらしたりしてないでしょうね」
「してないよ、もちろん。……あ」
「なに?誰かに言ったの?テラーさんじゃないでしょうね」
 詰め寄るエリア。
「いや、その……」
 クレイは首の後ろにぶら下がるフードの中をまさぐる。
「やっぱりいた」
 クレイの手の中には二羽の小鳥、ダグとフェリニーが。
「大丈夫、なんにも聞いてないわ」
 開口一番、何かを聞いていなければ出てこない一言を言うフェリニー。そもそも、周りも見えないフードの中で、相棒のダグとおしゃべりもせずにいたのなら、することなどエリア達の話に聞き耳を立てるくらいだ。それこそ、寝ていないなら話を聞いていないわけがないのだ。
「大丈夫だよ、エリア姉ちゃん。フェリニーだって、この姿になってから服なんて着たことないんだよ。それに比べたら……いててて」
 何の慰めにもならないばかりかフェリニーの不興を買う発言によりつつかれるダグ。この二人は基本的にクレイたちと一緒にいるのだが、ここ最近は大人の話があるからともっぱらザイーに預けられているはずだ。
「なんでいるの!?いつの間に!?」
「さっきそこでエリアお姉ちゃんに引っ張られてるクレイお兄ちゃんを見かけたから、飛び移ったの」
 鳥ならではの身軽さである。もちろん、飛び移られたクレイはその事に気付いていた。しかし、そのときのクレイは話があるとしか言われていない。エリアが人のいないところを探しているとも知らず、ダグとフェリニーが飛んできたこともさほど気にしていなかった。そして話が始まるとクレイには二人がフードの中でくつろいでいることを気にしている余裕などなくなり、今ようやく思い出したわけである。
 フェリニーも何か二人の内緒話を聞けそうだとダグの頭を押さえながら聞き耳を立てていたが、いきなり盗み聞きしていいとは思えない話から始まり、話が変わればフェリニーのような幼い女の子には聞くに耐えない話になり、クレイが自分たちのことをすっかり忘れていそうなのをいいことにこのまま自分がここにいなかったことにしてしまおうと思えばクレイに引きずり出され。散々であった。
「ま、いいわ。とりあえず、言いたかった事は言えたし」
「言いたかった事って……婚約の話だよね」
 一応確認するクレイ。
「そう」
「エリアお姉ちゃん、最近もてなくて焦ってたもんね。ちゃんとモテてたてことアピールしておかないとね」
 フェリニーはフェリニーで、その辺りは心配していたのである。余計なお世話だった。そして。
「ちがーう!話聞いてたの!?」
 とは言えあまり聞かれたくなかった話だ。余りよく聞いていなかったなら幸いなのだろうか。いや、中途半端に聞いていて重要なところを勘違いしている方がよっぽど厄介だ。
 そもそもクレイにもちゃんと意図が伝わっているか怪しい。間で無関係なことを問いつめてしまったりしているだけに、特に。後でちゃんと意図が伝わってるか確認もしくは念押ししておいた方がいいかもしれない。
「えっ。じゃあ、僕が裸見ちゃったことって、別にしゃべらなくてもいいことだったの」
 クレイにとってはエリアの婚約どうこうよりもそっちの方が重要であった。
「クレイが変に口を滑らせなければあたしだって何も知らずにお互い幸せでいられたのよ」
 本当に、その通りだった。エリアとしても、聞いた所でなんともならない話だっただけに。
「でも、何で急に婚約のこと話す気になったの?」
「さっきのロッフルさんとの話でさ。ちょっとその話が出たから、これを機にちゃんと話しておこうと思って」
「そっか。フったとかそんな話してたもんね」
「まさかクレイはクレイで出がけに狙いを付けられてるなんて思わなかったけどさ」
「えへへへ」
 フェリニー達はその辺の話は聞いていない。興味津々で聞き耳を立てている……ように見える。人の心を持っていても小鳥の気持ちは分からない。
「へへへじゃないわよ。よく考えたらこれってあたしにとって最悪かも」
 顔を曇らせるエリア。
「え?エリアには関係ないことなんじゃないの?」
「そりゃあ関係ないわよ、クレイが誰にモテたかなんてさ。でも、ナミリエだってクレイのことをよく知った上であんなこと言ったはずよ」
 クレイが言葉の裏に秘められた本当の意味など考えたりしないこと。そしてエリアに関することなら口止めでもされない限りこんなこと言ってたと教えにくるだろうこと。ナミリエはその一言でエリアの気持ちを探ろうとしていたかも、あるいはいっそエリアへの宣戦布告のつもりだったのかも知れない。で、あればだ。
 ただでさえエリアはラルフロイとの婚約を聞いて飛び出した。その上ナミリエはクレイを狙っていることがそろそろエリアに伝わってると踏んでいたことだろう。このタイミング。
「ものすごく……駆け落ちっぽい!」
 エリアは頭を抱えた。これは島でどんな噂が立ってるかは想像を絶する。正直、島に帰るのが怖すぎるがかといって誤解を解かずにおくのもとんでもない。島から人が出るのは大事だ。多くの島民には秘密にされるが密かに記録が残される。そのときの理由が駆け落ちにされたら。それが遠い未来まで伝えられたら。それに秘密にされた島民たちの間でエリアたちはどうなったことにされるのだろう。妥当なところで心中で海に身を投げたといったところだろうが、エリアにとっては全くもって妥当ではない。駆け落ちとか心中とか、そんなことをするような関係では断じてないのだ。
 元々漠然とエリアの中に沸き起こりつつあった不安は今日の会話で確固たるものとなった。旅立つときはいっそこのまま帰れなくても構うものかと思ったものだが、今は島に帰りたい。だが、最低限たどり着かないとならない世界の裏側はまだまだ遙か遠い。
 せめて、ここからでも一言島にメッセージを伝える方法でもないのだろうか。もちろん、島にそんなメッセージが届いたなどという話は聞いたことはないのだが……。やはり帰らないと駄目そうだ。それもできるだけ早く。