マジカル冒険譚・マジカルアイル

30.ボイスオブハート

 クラーケンとの戦い、いや漁が始まる。
 クラーケンは海に出現する巨大な怪物で、イカであると言われたりタコであると言われたりする。実はどちらも正しい。イカであれタコであれ、巨大であればクラーケンと呼ばれるのだ。しかし、タコのクラーケンとイカのクラーケンであれば、タコのクラーケンの方が有名である。何故か。それは近海に出没しがちだからだ。漁船が襲われ沈められるのも、主にタコのクラーケンの仕業である。
 イカのクラーケンの生息域は深海であり、外洋でなければ遭遇することはほぼ無い。そして、海の底から上がってくることもまた殆ど無い。しかし、まれに海流に流されたり、獲物や敵を追って上がってくることがある。今回もまた、海中での戦いの末に海面付近まで上がってきたのだ。そんな気の立っている状態でバンフォの民の船団を見つけたからこそ、大きさで既に圧倒的に不利な大型船に襲いかかってきたわけだ。まあ、イカ側の事情はどうでもいいだろう。
 今回の作戦で難しいところは、これが戦いであると同時に漁でもあるということだ。
 クラーケンは船の大きさと比べれば相手にもならない、何もせずに逃げるのを待ってもよい相手ではあるが、漁であるならば逃げられるわけにはいかない。そして、追い払って済まないとなれば危険は増えるのだ。
 こちらの船がクラーケンに襲われている船に向かって動きを変えたことで、作戦もまた動き出したことを知らせた。
 エリアが船内に駆け込み機関室を目指す。そして、クレイはソーニャとともに隣の船に飛び移った。甲板の上にまで触手の先端が届いている。
「気を付けろ、吸盤に爪があって触ると怪我するぞ」
 誰かからの警告。今の所怪我をさせられた者はいない。これはクラーケンを知る誰か、船員あたりからの入れ知恵だろう。
「でも、近付かないわけにはいかないわね。待って、今動きを止めるわ」
 打ち合わせ通り、クレイが海から魔力を吸い上げその魔力でソーニャが凍結の魔法を発動させる。ぬめぬめと絡みつけられていた触手が、急激に冷やされた船体に凍り付き張り付いた。
 突然の冷気に甲板にいた者たちは肩を震わせる。ソーニャもまた震えた。もちろん寒さのせいもある。いつも通り半裸と言っていい格好だけに寒さも一入だ。しかしそれ以上に、その体をそして魂をも震わせるのは、クレイの助けもあって実力以上と言っていい強力な魔法を使えたことによる興奮と快感、感動であった。
 触手が船体に張り付いたことでクラーケンは船から離れることができなくなった。そこにサマカルドの号令であちらの船から一斉に銛が打ち込まれる。クレイがふわりと宙に舞い、クラーケンめがけて降下し始めた。
 クラーケンの不気味な目がギョロリとクレイの方に向いた。クレイは甲板に逃げ帰った。
「怖いよ!」
 半ギレのクレイに、現物を直視していないので言う権利はなくてもなんとでも言えるソーニャが言い返す。
「なにが怖いよ、男なら根性見せる!」
「男じゃないよ、男の子だよ!」
「子がついてても男は男!」
 さすがは水の魔法が得意と言い張ってきたソーニャ、水掛け論でも優勢である。
「だって怖いよ、ほら!」
 ほらと言われれば仕方ない。ソーニャは身を乗り出し、怖いので見ずにいた、見ずに済ませたかったクラーケンの姿を恐る恐る覗き込んだ。
 目が怖いとのことだったが、目よりも問題のある事実を思い知らされる。クラーケンはイカである。足が揃っていれば10本あることになる。そのうち凍り付いて動けないのは高々3本でしかなかった。単純に考えれば自由なのが7本。元々どこかで失って出でもすればもう少し少ないが、自由に動き回っているので数えられないし数え切れない。どちらにせよ、半分も凍っていないのは明らかだ。元々凍り付いていなかったにせよ引き剥がされたにせよ、これでは足を凍らせたと胸を張って言えはしない。
 半数以上の足が動かせる状態で、そこに近付くのは怖いどころか危険である。凍り付いた3本も引き剥がされるのは時間の問題か。
「もう一回凍らせたいところだけど。この感じだと、海の中に沈んでる部分は何ともなさそうね」
「つまりは海から引き上げてやりゃあいいんだろ?」
 いつの間にかこちらの甲板に狼の姿あった。船同士が近付いたことで狼の跳躍力でなら跳び移れるようになったのだ。
「奴の体に銛を打ち込め!持ち上げて船体にくっつけるぞ!」
 男たちは指示に従い次々に銛を打ち込むと繋がった鎖を引き始めた。テラーファングも鎖にかみつきそれに加わる。
 一方、ソーニャはクレイの魔法の力で船の壁面に水面と平行に立っていた。クラーケンの体が船体に触れたその瞬間、その位置を正確に狙うためだ。幸いというべきか、クラーケンは体の先端をこちらに向けて引き上げられているのでクレイがたじろいだ恐ろしい目は見えない。だが、その威圧感だけで足が竦み、失禁までしそうである。
「その調子、もうちょっとで張り付くわ!張り付ければいいから引っ張りすぎないで!もういいわ、いいってこっちくるしひゃああああ」
 平静を装いきれなかった。そしてさすがに引き上げる動きも止まる。ソーニャは呼吸を整え落ち着きを取り戻すと凍結の魔法を発動させた。クラーケンを中心とした船体が見る見る霜に覆われ、クラーケンは船体に貼り付けられた。引き剥がそうとまだ自由な腕で船体に踏ん張るが、するとその腕が凍り付いてしまう。クラーケンの自由は完全に奪われた。
 満足な結果にソーニャは甲板に戻るが、胸を張っての帰還とはいかなかった。その胸は早鐘を打ち、震える足でまろび這い戻った。
「引っ張りすぎ!もういいって言ったのに引っ張ったの誰よ!」
 その怒声に一番退いた奴が一番引いた奴だ。文字通り、尻尾を巻いて逃げていった奴。テラーファングである。
「だだだだってよぉ。いきなり重くなったからよぉ。全力で引っ張ったさ」
 耳を寝かせ、尻尾を抱え込んで言い訳する。まるっきり飼い主に怒られる犬だ。
「重くなったんじゃない、張り付いてるところを引き離し始めてたのよ!パリパリ言ってたんだから!」
 ひとまずソーニャの出番は終わりだ。たっぷりと、テラーファングに仕返しができそうである。
 ひとまず、今は自分の髪を縛っているリボンをテラーファングに返すところから始めよう……。

 ロープの先端に作られた輪に足を掛けたクレイがクラーケンの方にゆっくり降ろされていく。近くに行くだけなら飛べば済むのだが、近付いてから魔法を使うのであれば近付くための手段に魔法を使わない方が望ましい。
 クラーケンの触手が届かないくらいの高さで降ろされる動きが一旦止まる。クレイが安全だと判断したら合図を出し、目的地まで降ろされる。多分安全なのは確認できた。いや、多分なのに確認などと言えるのか。多分なのに確かに認めてしまえるのか。ここからは確認より覚悟の問題だろう。
 覚悟を決めて合図を出すクレイ。ロープが降り始め体が揺れると、一度決まったはずの覚悟も早速揺らぎ出すのを感じた。
 クラーケンが身動きさえできなければ、不気味な目で睨まれたって怖くなんかない。いや、やっぱり怖い。怖いけど、それだけだ。危険はない。クレイは再度覚悟を決めた。目さえ見なければなんてことはない。目は見るな、見ちゃ駄目だ。見るなと言われると見たくなるものだ。言われてなくても同じようなものである。ちらっと見た。肝が冷える。凍り付いて船体に張り付いているクラーケンともども凍り付きそうだ。
 今頃、予想外の事態もそうそう起こらなければ怖い思いだってしなくていい機関室で、きっと順調にエリアが準備を進めている。こっちももたもたしていられない。何よりとっと終わらせて自分も逃げ帰りたい。
 二人の役目は転移ゲートの魔法で二ヶ所を繋ぐこと。クレイはクラーケンの腹の中・心臓の近く。そしてエリアは熱気溢れる機関室。繋がった瞬間、ゲートから熱気が溢れだしクラーケンを中から蒸し焼きにするのだ。
 言うのは簡単だが、やってみると存外に無茶な作戦である。特に、クレイの役割が。体の中にゲートを作ろうというのだから、それなりに接近しなければならない。安全のためにクラーケンの動きを封じるだけでも四苦八苦だった。そうやってどうにか近付けても怖いのはどうしようもないし、まだまだ危険がなくなったとは言い切れないのだ。
「準備できたよ」
 伝言の魔法でその言葉を伝えると、エリアからも「わかった、いくよ!」と返ってきた。クレイがいよいよ転移ゲートの呪文を唱え始めたその時。
 みし。
 何か聞こえたが気にせず詠唱を続ける。呪文は終わった。
 みしみし、ペリパリバリバリババババ!
 凍り付いた胴体が剥がれてクレイに迫ってきた。
「ひゃあああああああ!」
 魔法のために前に翳していた手でそのままクラーケンの体を支える。ソーニャが二度目の凍結魔法を掛ける時、みんなに引っぱられ伸びきった状態で張り付いた胴体の先端部分が、先端故の細さも相まって剥がれたのだ。剥がれて迫ってきたのは先端部分だけに留まった。
「だだだだ大丈夫!?」
 クレイの悲鳴にソーニャも恐怖を忘れて身を乗り出し見下ろした。垂れ下がりのし掛かるクラーケンの胴体に隠れてクレイの姿は見えず。クレイとしても何が起きたのかまだよく解っていないので大丈夫だと断じることもできず。答えがないのでソーニャとしては最悪のことが起こったと判断せざるを得ず。
「クレイちゃああああああん!」
「はあぁーい」
 これになら返事ができるのだった。
「さっさと返事しなさいよ!しん……配したじゃない!」
 死んだと思ったと言いかけたのを寸前で言い留まるソーニャ。
 そんなことをしている間にもゲートは繋がり、クラーケンの体の中に煙が満たされ始めた。のし掛かられそれを押し返すことで、クレイの意思だけでは怖すぎて無理なくらいクラーケンの体に密着できたのも功を奏した。……はずだ。そう思わないと割に合わない。
 このゲートをしばらく維持しなければならない。それがなければクレイだってとっとと逃げ帰りたいのである。まあ、それがあったところでとっとと逃げ帰りたい気持ちは微塵も変わりはしないが。
 突然、クラーケンが暴れ始めた。未だ体の随所を氷の糊で留められ大きく動けはしないが、その氷の随所がぎしぎしと軋み、いつまで持つか。
 出てくる煙は多くはない。それでも突然体内を、それも心臓の周りを満たす熱気にクラーケンは痙攣を始めた。その心臓も激しく脈動するのがクレイの手に伝わる。ここまでくればクレイにできることは成功を、それもできるだけ早めの決着を祈りながら、ゲートを維持することだけ。
「は、早く終わってえぇ」
 そんなことを言ってもどうにもならないし、ゲートの向こうのエリアにも届きはしないがついつい声に出た。誰にも届かないはずのその声はそれでも神には届いたのか、突然クラーケンが勢いよく煙を吹き出し始めた。
 ゲートの向こうのエリアが本当に煙や熱気がゲートから送れているのか不安になり、機関士にもふいごで手伝ってもらってゲートに直接熱気を送り込み始めたのだった。悪乗りした機関士が火のついた石炭までゲートに放り込み、クラーケンの体の中でランプのように炎が揺れている。この悪乗りは効果覿面であった。最初に放り込まれた石炭は、クラーケンの体内を満たす水に触れてすぐに炎が消えた。しかし熱されていた石炭はその水を熱する。クラーケンも体内にお湯を留めては置けずに全て吐き出さざるを得ない。鰓の周りの水が無くなり呼吸が出来なくなるリスクもあった行動だが、そこに追い打ちを掛けるように火のついたままの石炭が追加され、吹き込まれる煙も相まって体内はみるみる熱される。内臓が蒸し焼き状態である。鰓の付け根に一つずつ、そして真ん中にも一つある心臓も、まとめて蒸し上げられていく。
 早く終わってと言うクレイの願いが届いたと言うよりは、これらの追い打ちでクラーケンが暴れてクレイにあの科白を言わせたようなものだが、もはやクラーケンには意志を持って動くことはできない。身動きが取れなくなるのも時間の問題だろう。クレイが半ば祈るような気持ちで「もういいよね」と問いかけると、ソーニャも「もういいよね」と返した。クレイは脱兎の如く甲板に飛び戻ったのだった。
 やがてその体を船体に貼り付けていた氷も溶け剥がれてクラーケンが海に落ちた。それを機に甲板に引き上げられてもなおクラーケンは蠢いていたが、既に内臓は焼け爛れて焼きイカとなっており、心臓も止まっている。動くと言えども力なく意思もなく身悶えするのみでもはや近付く者を襲うことすらできない。人々はクラーケンに群がり斧や鉈、剣や包丁で切り刻み、次々と厨房に運び込んでいく。恐ろしかったクラーケンだが、今は人間の方が恐ろしく見える光景となっていた。
 その日の晩、そのクラーケンはこの世界から完全に姿を消す。そしてその最後の姿を人々に刻み込んだ。その目に、鼻腔に、その舌に。
 正直、味の方は大味であった。しかし鮮度は抜群、味付けで補えば十分美味と言えるレベルまで引き上げられた。それに食べ応えは申し分ない。イカゲソの輪切りステーキなど船乗りたちだって滅多に食べられるものではない。
 甲板上で銛を撃ったり鎖を引いたりしてクレイらと共闘した者たちにとってはその苦闘に対する十分な褒美となった。苦闘したのは彼らだけではない。甲板で切り分けられてなおのたうつ元気なゲソを運び、あるいは分厚く丈夫で巨大な胴体を切り分けるのも、厨房にて大味で臭みの強いクラーケンをどうにかおいしく食べられる料理や味付けを考え、それが決まったら膨大な量の肉を調理するのも大変な苦闘であった。そして、別段何をしたわけでもない者たちにとっては苦労もせずにありつけるご馳走なのである。部位によって有り余る歯ごたえはある種の苦闘だったかも知れない。
 海の男たちに恐れられるクラーケンだが、それは彼らの船が小さな漁船だからであって、大きな船であればそれだけでも転覆や沈没させるには至らず、さらに多数の乗員からの反撃にあえば容易く撃退されてしまうのだった。船舶は年々大型化の一途を辿っている。クラーケンの驚異は薄らいでいくことだろう。

 数日経ったある日。とある吉日。ついに迎えることになったこの日。
 エリアちゃんファンクラブ発足日である。
 本人へのサプライズという一面もあったが、他にもこんな恥ずかしいことだけに伝えることで止められる危険性が高く、なおかつ断行した上で頓挫したら恥の上塗りでしかないので、本人はここに呼び出されて初めてそんなことが裏で動いていたことを知ることとなった。
 エリアにとって幸か不幸か会員は順調に集まっていた。その数はおよそ50人に及ぶ。ザイー等の努力の賜でもあるが、何よりもファンクラブの活動内容が「エリアちゃんを温かく見守る。できるだけ仲良くしてあげる」という緩いものであることも功を奏したのだ。ひとまず人数確保、それっぽい活動はやる気にある人だけでやればよいというスタンスである。
 いきなりこの事を知らされ何でこんなことをと慌てるエリアを物陰に引きずり込むと、ザイーはエリアに出会いの機会を作るためという発足理念を耳打ちしたのだった。ここまでしないと出会いがないと思われていることにエリアはちょっとだけ傷ついたりもした。
 集まったメンバーはエリアちゃんと楽しくおしゃべりできたらなぁという女性が過半数であり、それが勧誘の中心メンバーであるザイー等男と縁がない女たちの限界であった。男は男でエリアちゃんを守ってあげたいというよりエリア様守ってくださいという感じか、こいつから守らないとという感じの男が多いのが何とも。
 なお、情報が伝わればそこからエリアにバレるポイントになりそうだったため、エリア共々内緒にされていたクレイも発足式にいきなり呼び出され、幹部待遇で強制加入させられた。サマカルドはこの件について話を聞くくらいでさほど能動的に動かなかったことが幸いして顧問という形でつかず離れずのポジションに踏み止まり、テラーファングも女性たちの判断で要職からは外された。女の子のファンクラブなのに中心メンバーが女ばかりである。それも、エリアに男を引き合わせるのが目的のファンクラブなのに男を見る目がない女ばかりである。誰も口に出しては言わなかったが、幹部クラスはみんな前途多難だと心で思っていたのだった。
 一般メンバーはそんなファンクラブの真の存在理由など知る由もないが、幹部クラスは当然知っている。知らないのはたった一人、たった今入会と同時に幹部になったクレイのみだが、すぐに知ることになる。
「何でエリアにだけファンクラブなんてできるのさー」
 不満そうに言うクレイに対し、エリアは不機嫌そうに言う。
「クレイはいいのよ、モテてるんだから。これさ、モテないあたしのために作ってくれたんだってさ」
 特にクレイには知られたくない惨めで恥ずかしい事実である。だが、黙っていてもいずれ誰かの口から伝えられることになるだろう。ならば自分で言ってしまうに限る。
「えー。モテないなんて。そんなことないのに。島じゃ人気者だったじゃない」
 島で人気者だったことは、島ではないここではもはや関係ない。大事なのはここでどう思われているかだというのに。
「あんた相手に!こんな感じだから!おっかない女の子のイメージが定着しちゃってんのよ!」
 半分くらいは自業自得だがもう半分はクレイのせいという思いを込めてクレイに掴み掛からんばかりの勢いで凄むエリア。なお、モテないなんて事は無いとか、島では人気者とか言われたことに対する照れ隠しもちょっとだけ入っている。『ファン』の前でこんな姿を晒すのはどうかとも思うが、日頃のこんなエリアを散々見た上でファンクラブに入ってくれた人たちだろうから、多分大丈夫だろう。
「う、うん。なんか、よく分かった」
 そしてそんなエリアにファンクラブのみんなにご挨拶をという無茶振りがされた。戸惑い、狼狽えながらステージに立たされる。
「えーと。今日はその、私のために集まってくれてありがとうございます」
 そんな感じで、誕生パーティのようなノリの挨拶から入るエリア。
 会ったら挨拶くらいはしてあげようというハードルの低さで集められたなどという裏事情は知る由もないし置いておくにしても、ここに居る人たちがエリアのために集まってくれたことに変わりはない。私もなかなかじゃない、などと思ったエリアはついつい「みんなに愛される私でいられるよう、頑張りたいです!」などと言い放ってしまい、挨拶を終えた後自分の発言を振り返り、いきなりステージにあげられて緊張していた挨拶前の三倍くらいは赤面してしまうのだった。
 その照れ隠しであり八つ当たりであり巻き添えとしてクレイにも挨拶させるようにザイーに耳打ちで頼み込むと、すんなり了承された。
「じゃあ次はエリアちゃんのご指名でクレイちゃんにファンクラブ幹部代表挨拶を」
 クレイがこっちを見ていないタイミングに耳打ちでこっそり頼んだのに誰の差し金かあっさりバラされた。
「ええーっ?ぼ、ぼく?なんでぼくが代表?会長とかいないの?」
「それがいないのよ」
 会長ともなればそれはそれはエリアちゃん大好きな人でないとならない。ザイーら幹部たちはもちろんエリアちゃんは大好きなお友達である。だが、このファンクラブの目的が恋人探しである以上、リーダーはその恋人こそふさわしいのではないか。そんな思いから、彼女たちは会長の座を辞退したのである。断じて、面倒だからやらなかったわけではない。よって、ファンクラブの幹部たちはエリアとの親密度にこそ差はあれど、地位的にはみなイーブンということになっている。クレイもまた然りである。クレイが誰を差し置いて挨拶をしようが誰も立腹などしないであろう。むしろ胸をなでおろす……などということはないにしても。
 クレイも、壇上に立たされてしまった以上退っ引きならない。やむなく口を開く。「えーと、本日はお日柄もよく」などと言ったところで幹部の誰かから「結婚式みたい」とツッコまれ、「ふつつかなエリアですけどよろしく」などと口走り「娘を嫁入りさせる父親か」ともツッコまれ。なんとなく形式ばった感じの挨拶をしようとするとどうしても結婚式っぽくなると悟り自分の言葉で語り始めたはいいが「エリアもこんな感じですが本当はいい子なんです」と言われて「いい子に見えないって言いたいの!」とエリアが怒鳴り、壇上から逃げ出してしまった。
 クレイも災難だったが、エリアこそ災難であった。そしてこれは完全に、クレイを巻き込もうと企てたエリアの自業自得であった。

 ファンクラブの主な活動は『エリアちゃんを温かく見守る。できるだけ仲良くしてあげる』だったが、発足式の中で早速新たな活動内容が追加された。メンバー集めのためのヌルい活動内容だけを掲げておく時期は終わったのだ。
 そして追加された内容は『エリアちゃんのやっていることで手伝えそうなことがあったら手伝ってあげる』である。見守り、話しかけるくらいじゃ乙女はときめかない。大変な時に手を差し伸べてくれればその可能性もぐっと高まる。言うまでもなく、女同士で苦難を乗り越えてもロマンスは生まれないし、生まれたら大問題である。手伝うのは男であるべきだ。そして男でも強制的に手伝わせてしまえば言われなければ何もしようとしないダメ男が混じっていても分かりにくい。強制しないことで積極的に手助けしてくれる優しい男性を集めるのだ。下心で手伝ってくれるような男も混ざってしまうがそれは後で考えよう。
 活動内容が追加されたのはよいのだが。今のところ『エリアちゃんのやっていること』はロッフルの下腹部に手を当てて呪文を繰り返すことなので、無関係の男達には手伝うことがないどころか近くで応援することすらご遠慮願わねばならなかった。
 男であってもこの局面で何か手伝ってもらうのも吝かではない人物は、そもそも男というべきか雄と言うべきかも定かでないテラーファングだけ、そして手伝わせることは何もない。テラーファングは晴れて野放し、いや自由を謳歌することを許された。現場総指揮のソーニャさえもまた最早すべき事などなく、ここにクレイとエリアが籠もっていることで二人が遭遇し損ね解決が遅れている困り事が船内にないか探し歩いている。退屈しのぎの見回りである。お散歩とも言う。
 ソーニャの見張りがなくても、ロッフルだってエリアがいれば変な気は起こさないだろう。ましてや真面目な子供達二人に監視の目など要ろうものか。この部屋には今、クレイとエリアそしてロッフルの三人しかいない。
 これまでは誰かがロッフルの暇潰しの相手をしている間にクレイとエリアは遮二無二呪文を唱え、たまに揃って休憩を入れていた。だが昨日あたりから休憩は一人ずつ入れてその間ロッフルの話し相手もするようになった。おかげで、大人二人は無責任にもこの場を離れられるのだ。
 口が休まらないのに休憩と言えるのかという疑問もあるが、少なくともエリアにとっては十分な安らぎの時間と言える。では、クレイにとってはどうなのか。少なくとも、昨日の時点では決して休まるとは言い難い心境だった。今日も実際のところは同じくらい休まらないのだが、昨日よりもいくらか楽に思えるのは交代で呪文を唱えることになるエリアの愚痴が止まるからだろうか。
 エリアは昨日からファンクラブについての愚痴ばかりだ。ファンクラブができたことには嬉し恥ずかし言った感じでそれほど文句はない。しかし人を集めるためにほとんど何もしないに等しい活動内容を設定したという裏事情をロッフルから打ち明けられ、しかも設立目的がエリアの恋のお相手探しであることも聞けば恥ずかしさが先に立つし、何よりも恥ずかしいのは昨日のクレイの挨拶だ。ファンクラブそのものの話を粗方ロッフルから聞き終わりそれについての愚痴も吐き出し切ると、その矛先はクレイに向いたのである。
「大体さー、何なの、昨日のクレイの挨拶は。誰が不束者よ、それに本当はいい子とか言っちゃってさ。いい子じゃないと思われてるみたいじゃないの」
 呪文詠唱中のクレイには言い訳する事さえできないが、そもそも言い訳が何も思いつかない。むしろ堂々と言い訳せずにいられるのは好都合だ。それに。
「でもさ。エリアちゃんも自分で言ってたじゃない。怖い子だと思われてるって」
 受け答えはロッフルが引き受けてくれるので楽だ。油を注いで焚きつけたりしないかが不安だが。
「そもそもそれって誰のせいなの。私を怒らせるのってだいたいクレイじゃない。……あと、テラーさん」
「よく話す男には大体怒ってるわけね」
 ロッフルは苦笑した。言われてみればその通りであり、返す言葉もない。だが、なんとか言い返す。
「まともな相手ならそうそう怒ったりしないわ。はぁー、私ってつくづく男運ないなぁ。そもそも私が島を逃げ出そうと思ったのだって……」
 エリアはなんとか男のせいにしたところで口を噤む。勢いであまり言いたくないことを言うところだった。
「でもま、いい機会だしファンクラブでいい男探してみようかな」
 そう呟いたところでクレイの詠唱が終わった。これでエリアの休憩は終わり、しばらくクレイと二人で詠唱する。そしてクレイが休憩に入るとロッフルがクレイに尋ねた。
「ねえ。エリアちゃんって何で島を出てきたの?」
 さっきエリアが言いかけたことが気になるようだ。
「ぼく、知らないよ。んー、最初はやめようって言ってたのに、急にやっぱり行くって言い出したんだよなぁ。何があったんだろ」
「さっきの話の流れだと男が絡んでるよね。失恋とかかな」
「えっ。そうなのかなぁ。エリアが誰かとつきあってたなんて話、聞いたことないよ。そこそこ人気者だったし、そんなことになってたらもっと噂になってたと思うもん」
 こんな話、して大丈夫なのかなぁとクレイは不安になった。しかし、まずければ目の前にエリアが止めるだろう。口を挟んでこないと言うことは別にいいのか。なお、そのエリアはそこそこって何よと言いたくてたまらない。口こそ挟まないがそんな気持ちが表情に出て、クレイは止められてこそいないがちょっと口籠もった。ロッフルは止まらない。
「片思いの失恋ってのはあるかもよー。好きだった人が誰かとつき合いだしたとか、告白したらフられちゃったとかぁ。あー、島からも出てみたいけど好きな人が居たから離れたくなくて、告白してみてつき合えたら行かない、フられたら行くって決めてたのかもー」
 そんな勝手な想像を垂れ流されてもエリアは口を挟んでこない。今の所、的外れだからではあるが……。
「エリアがフられるなんて考えられないけどなぁ。かなりモテる方だったもん」
 クレイにそう言われてちょっと照れるエリア。迂闊であった。ロッフルはそれを見逃しはしない。
「あ、エリアちゃん喜んでる。んー?もしかして実はやっぱりクレイちゃんのこと好きだったりするのかなー」
 さすがにエリアの詠唱が一瞬止まった。違うわよ、と言い放とうとしたその間際。
「それはさすがにないよー」
 クレイがのんびりと言った。確かにその通りである。例えば、こんな話に慌てもせずにこんな答えを返せるようなところが好きではない。特に最近は、クレイが自分をどう思っているのか聞かされるときにエリアは不覚にもドキドキしたり、ザイーやロッフルにちやほやされデレデレするクレイを見て苛立ったりする。二人きりで苦しい旅をし、時には身を寄せ合って夜を過ごした事もあったあの頃にさえ感じたことのない思いだった。
 クレイは頼りないのか頼もしいのかわからないところがあり、それでも真面目でいい子だとは思う。ただ、男の子として見るには顔が好みではない。内面もそれを帳消しにできるほど魅力的だとは思わない。あくまでも付き合いが長いお友達だ。時々感じる嫉妬心も自分を差し置いてモテているクレイに対するもの。同性の友達に感じるものと同じである。それでもやはり男の子だということは意識してしまう。
 何日か前にもしかして自分はクレイが好きになりでもしてしまったのではないかと不安になり、クレイの顔を思い浮かべてみて微塵もときめかないことにほっとしつつ、クレイ相手にこんなことをしている自分に腹を立てたばかりだった。
 クレイを何とも思っていないエリアですらこんな感じである。それなのにこんなやりとりを平然とできるというのはクレイは一体エリアをどう認識しているのだろうか。女の子だと思っていないのか。もしそうなのだとしたら……腹が立つ。
「じゃあさ、エリアちゃんってどんな男の子が好きなの?」
「内緒!」
 それだけ言って詠唱に戻るエリア。腹の立つ想像をしていたところだったのでかなり怒気を孕んだ言い方になってしまった。
 どんな男の子が好きかと聞かれても、正直自分でもよくわからないという感じだ。理想が高すぎるのか、島でもこの船旅でもこれはと思うような男の子には出会えていない。
 思えば島にはろくな男がいなかった。もちろんクレイを含めてだ。そしてクレイでもましな方だった。同い年でつきあいも多く気心が知れているし、いいところもたくさん知っている。他の男の子は何を考えているかさっぱり解らない。
 島から出てみれば、魔法使いは嫌われ者。追い回され、捕らえられ、拷問までされた。特に酷い目に遭わされた相手は揃って男、もちろん恋などできるわけがない。おまけにその時のトラウマでバンフォの民と移動を始めてからもエリアの方から話しかける勇気が出せず、ザイーとロッフルがそんな心の鍵をこじ開けてくれなかったらまだ誰とも話せずにいたかも知れない。そしてそれも女同士でのこと、男相手にはまだ内心びくびくしながら話している。この人はいいとかいまいちとか、そんなことを考える余裕などない。
 それにしても。この調子ではエリアがいないところでこの二人、加えてザイーあたりがどんな話をし、どんな勝手な想像を膨らませるやらだ。
「クレイちゃんはエリアちゃんの好みとか知らないの」
「知らないよー。あ、でも。ナミリエが何か言ってたかな」
 エリアの目の前でもお構いなしだった。すぐにでも話を邪魔してやりたい衝動に駆られるが、クレイがナミリエから何を聞いたのかは気になる。もう少し、聞いてみよう。

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