マジカル冒険譚・マジカルアイル

29.海の恵み

 ただでさえ憂鬱な気分だったテラーファングだが、配られた手札を開いて見てそれが決定的になる。
「うっひょー。クソみたいな手だ」
「どれどれ」
 ソーニャは呪文を唱えた。
「あら悲惨。ご愁傷様」
「ちょっと待て。魔法で覗いたのか」
「ええそうよ」
「卑怯だろ。いや、こそこそしてねぇんだから卑怯とは言わないのか。ったく、弱いと思ってる割には容赦ねえな」
 吼えたくる狼。しかし負け狼の遠吠えなので怖くない。
「狼だって兎を狩るときでも全力出すでしょ」
「勘違いしてるようだが、兎相手に手を抜いたら実にあっけなく逃げられるぞ。ありゃあ手強い獲物の部類だ」
「あらそう」
「丸腰の人間が一番狩りやすいね。狩ったことはねえがな」
「そんなことはどうでもいいのよ。要はこれは勝負よ。そんでもって、憂さ晴らしなのよ。全力でいたぶらせてもらうわ」
「うへえ。人間は狩りやすい反面、武装すると娯楽で命を弄ぶから狼よりも恐ろしいんだよな」
「あら。丸腰よ、あたし」
 腰のラインを見せつけるソーニャ。色々と違う気はするが。
「心に投げ槍と投げ縄を持ってんだろ」
「そんな原始的な狩りなの?銃くらい持たせてよ」
「殺る気満々じゃねえか。どこが丸腰だよ」
 そんな話をしている間にも最初の勝負がついた。勝敗については言うまでもないだろう。
 その後も容赦のないワンサイドゲームが続く。その中でテラーファングは気付いた。意外と、負けても悔しくないのだ。何故なのか考えてみる。相手はただでさえそこそこの強さであるのに、魔法でズルまでして勝ちにきている。対等の立場で勝負して負ければ悔しいのだが、端から勝てるわけなどなく負けて当然だと思って勝負していれば、当然の結果が訪れたところで何ともない。先ほど話題に挙がった兎を例に取れば、飛び出す前に物音を聞きつけて逃げ出した兎がそのまま逃げおおせたところで悔しくない。慌てた兎が運良く石か木の根にでも蹴躓いて転がってくれるのを期待して追いかけはするが、トップスピードに入る前に向こうが逃げ出している時点でほぼ負けなのだ。
 これは勝負ではない。負けてやってこのお姉ちゃんの機嫌を取る遊びなのだ。そう割り切れば、この時を乗り切れそうである。

 一方、疲れていそうな人物がもう一人いた。寝っ転がっているだけで、カードでも勝っていたはずのロッフルだ。
「何だろ、体が重い……」
 ザイーとテラーファングが運んできた朝食を食べようとして体を起こすなりそう呟くロッフル。
「ご飯食べてないからでしょ。只でさえ酒が抜けるのにも体力使ってるんだし」
 ザイーの言ったことも半分は正しい。残りの半分はちょうど憂さ晴らしのカードゲームを始めたところのソーニャが補足する。
「今使われてる魔法は魔法の力に加えて掛けられてる人の体力も使うからね。病気を治そうと体が体力を使って怠くなるのと同じよ。そのせいで益々疲れるわけ。だから、ご飯はしっかり食べておきなさいな」
「ああ、やっぱりおなかも減るんだ……。三回くらいおなかが鳴って、恥ずかしかったんだよ」
 ロッフルのおなかが鳴れば、その振動がおなかに乗せられた二人の手にもダイレクトに伝わる。誤魔化しようもない。
「ああ、そっか」
 ふとクレイが呟く。
「前に自分の傷を治した時に比べて全然疲れないのって、あの時は体が傷を治す分も疲れてたからなのか」
「なるほどね、そっかぁ」
 それで納得できるくらいにエリアも疲れていないと言うことだ。ソーニャもさすがに二人との差が若さだけではないことを認めざるを得ない。
「どうやら、疲れてないか心配しなきゃならないのはあんたの方みたいね」
「え?なあに、あたしもう若くないの?」
「そうじゃなくて。思ったよりも魔法の効きが強くて受ける方が消耗するみたいなの。大丈夫、まだまだあんたは若いわ」
「それ、若くないときに言われるやつ……」
「矍鑠たるものよ」
「あ。ひどっ。それって老いてなお盛んって奴じゃない」
「お盛んでも老いちゃあいねえわな」
 牙を剥き出してテラーファングは笑った。
 そんなやりとりをしつつソーニャは考える。治療を受ける側が疲れるという理屈については説明が付いたが、もしこの仮説が正しいのだとしたら。
 同じ魔法を教会が使ったことがあった。有力な将校が腕に骨まで達するような深手を負い、その治療が行われたのだ。治療には名だたる司教たち総掛かりで半月を要し、傷は辛うじて塞がりどうにか動かせるようにはなった。将校は体力もあったので丸一日の治療にも疲れは見せなかったが、司教たちは疲れて日に日に痩せ細り、儀式のために毎日身動き一つせずに楽ちんに過ごした将校は肥え太った。今目の前で起きていることとは逆である。
 単純に考えれば同じ魔法でもクレイたちはより少ない負担で使え、より高い効果を生みだしていることになる。将校が疲れを見せなかったのは将校の体力に加えて将校を疲れさせるほどの力を司祭たちが持っていなかったと考えてもよいだろう。確かに、今心配すべきはロッフルの体のようだ。
 なお、その将校は傷こそ治ったものの、脂肪を落としその脂肪に置き換わった筋肉を取り戻すのに半年を要し、結局その戦いが終わる前に復帰することはかなわなかった。そして、将校が引退するまで次の戦いは起こらず、奇跡は中途半端な結果を残したのだ。鳴り物入りでぶち上げた割に復帰が間に合わなかったため、当時は教会の失態としてこのことは機密として箝口令が敷かれ、無かったことにされた。しかし、将校にしてみれば腕が使えるだけでも十分奇跡である。程なく箝口令は解かれ、今では名声欲に駆られての考え無しで無茶な治療を戒める教訓として、そして笑い話としてソーニャの耳にも届くようになったのだ。
 その将校の治療に当たったのがクレイとエリアだったなら肥えるほどの期間は要さなかったかもしれないし、肥えるどころかやせ細ったかも知れない。同じ魔法だからと同じように使わせない方がいい。

 テラーファングをカードで思う存分なぶり倒したソーニャは、休憩終わり前に一度ロッフルの体内を覗くことにした。
 一晩かけてためた透視鏡の力はほとんど使い切っていた。昨日のようにクレイかエリアに手伝ってもらって透視をしてもいいのだが、今ならもう一つ方法がある。彼らに透視鏡の魔力を込め直してもらうのだ。
「そっちの方がいいかも。楽そうですもん」
 そして、自分は体の中を見なくて済む。そんな理由でエリアは込め直しを推した。この方法にはさらにエリアにとってのメリットがあった。これはロッフルの体に触れる必要もなくクレイがやっても何の問題もない。だからこそ、昨日はエリアちゃんがやったんだから今度はクレイ君ねとお鉢がクレイに回ったのである。
 教えられた呪文を唱えるだけの簡単な役目だ。それもシンプルなもので教えてもらうほどのものでもなく、考えれば思いつく程度のものだった。
「呪文って、考えて分かるものなの?」
 ソーニャはエリアに問う。
「ええ。簡単なものなら組み立て方を学校で教わりました」
「私等は教典に書かれていたものを丸暗記して暗唱するだけね。偉い人だと違うのかしら」
 その間にもクレイの最初の詠唱が終わる。
「どれどれ、見せてみて」
 ソーニャは透視鏡の魔力を調べる。
「確かに私よりは早そうだけど……やっぱり時間がかかるかしら」
「んーと。それならさ」
 クレイは透視鏡を受け取り呪文を唱える。今し方そんな話をしたばかりだが早速アレンジを加えてきた。
「これでどう?」
「えーと。……すごいじゃない。どうやったの」
 最初と比べると段違いの魔力が溜まっていた。
「周りから力をかき集める呪文を先に唱えてるんですよ」
 クレイが自慢げに言おうとしていたことをエリアに言われた。仕方ないので他の事を言う。
「グレックさんに教えてもらったんだよ」
「そんな方法があったんだ。……何で私には教えてくれないのかしら。ケチねえ。私もやってみよう」
 本来の目的を忘れて知りたての方法を試し始めるソーニャ。まず二人に詳しく呪文を聞いてみると初めて聞く呪文ではない。朝から何度も唱えてきた治療の呪文の前に毎回添えられていた呪文だった。二人の使う治療の呪文がより強力でいっそ劇的な効果をもたらしていた理由も合点が行った。
 その事実にソーニャの期待は高まる。この方法を覚えれば自分もものすごい魔法が使えるのでは。使えてしまうのでは。その試金石たる透視鏡への魔力充填は、だがしかしとても残念な結果だった。どのくらい残念かと言うと、いつもと同じくらいだったのだ。
「なんでよ……。何がいけないの……?」
 落胆し何も考えられなくなったソーニャに代わりクレイとエリアが原因を分析した。
「魔力が弱いから魔力が集まらないんだろうなぁ」
 正論なだけにソーニャとしては一番認めたくないことをクレイがさらっと言った。
「ケチで教えてくれなかったとか、信用されてなかったとか。そういう事じゃなかったのね。そりゃあ教えてくれない訳よ。無駄だもの!あははははは!」
 泣きたい気持ちのソーニャだがもういっそ笑うしかない。
「ここ、上の方で海面から遠いから海に届いてないのよ」
 見かねたエリアがフォローする。
「海?」
「ほら、魔力って水に溶け込んでるじゃないですか」
 それについては初耳だ。いや、そういえば聖水のことがあったではないか。教会がよく使う聖水。祝福の言葉で奇跡の力を与えた水だと聞かされていたが、その祝福の言葉は単なる魔力移動の呪文でその正体は魔力を溜めただけの水だった。この場合、自分の魔力を聖水にプールしておいて自分の力が回復してから聖水の分と併せて使うことで強力な魔法が使えるのである。
 クレイたちは魔力をかき集める力も強く、ここから少し離れた海からも魔力を吸い上げられた。吸い上げて魔力の涸れた水は波で混ざり合いすぐに魔力で満たされ、そうでなくても船は動いているので常に海の魔力の高い部分から吸い上げられるのだ。対して今のソーニャは海の分は抜きで、しかも直前のクレイですでに吸い尽くされている空間の魔力をかき集めたに過ぎない。残念な結果になるはずである。
「それなら、水の側でやればもしかしたら、ってことよね」
 部屋の中に水があるわけもなく、あったならばあったですでに魔力は吸い尽くされているに決まっているのだが、手近な水を求めてソーニャの視線は室内を泳いだ。そして、今は湛えられていた水を失ったそれに目を留めた。朝、まだ水を湛えたそれを目にしたテラーファングは絶望の淵に沈んだ。そして今、水を失ったそれにソーニャは期待と希望に満ちた視線を注いでいる。水を抜かれ、すすいで壁に立てかけられたタライに。

 流石にこんなことのためにタライに水を満たすような手間はかけていられないし、そんな暇もない。それ以上に、わざわざタライに水を溜めるくらいならその溜められる水のある場所で魔法を試した方が早いに決まっているのでタライの出番はなかった。
 そして、既に透視鏡にもソーニャがちょっと覗くだけなら十分すぎる魔力が溜まっていた。まずは本来の目的を済ませてしまう。ロッフルの体の中を調べてみると、心なしか朝よりきれいになっている……ような気がする。まだ始めてそれほど経っていないのだし、見てはっきり判るほどの劇的な変化は起こらないか。この程度の変化でクレイとエリアの二人まで覗かせる必要はまるで無い。
 次の休憩は昼だ。それまではまたクレイとエリアは同じことの繰り返しになる。もう、二人とも勝手はよく解っているはずだ。ソーニャには今更ここですべきことは無さそうである。できることがあるとすれば、もう二度と二人の貴重な休憩時間に野暮用を押しつけることが無いように自分でやれるはやっておくべきなのである。
「ってなわけで。ちょっと船底で試してくるから」
 やれることは自分でやるという大義名分もありつつロッフルのカード相手からも逃れられる名案であった。いそいそと部屋を後にするソーニャ。
 ザイーにもちょっと用事があった。しかもそれにはテラーファングも連れて行きたい。ここでソーニャがいなくなったので、ここでさらにザイー等がいなくなってしまうとここを見張る大人が居なくなってしまう。ロッフルが何をしでかすか。なお、ロッフルは大人だが見張っておかないといけない大人である。
 見張っておかないといけないロッフルに何かしでかされる相手はクレイに決まっている。それならエリアが止めるだろう。エリアが止めないことなら放っておいて大丈夫だ。なお、テラーファングもまた見張っておかなければならない大人に該当し、この場合被害を被りそうなのはエリアである。クレイではテラーファングを抑えきれるかどうか不安だが、見張っておかないといけないロッフルがいる分には、お互いが抑止力となることだろう。いずれにせよ、テラーファングには用があるのでザイーが連れて行ってしまうのだが……。

 三人きりでも治療は粛々と続く……かに思われた。
「エリアちゃんってさ。クレイちゃんのことをどう思ってるの。好きなの?」
 何の前置きもなくロッフルが口にした言葉で二人の呪文詠唱が同時に止まった。当然だった。
「本人の前で言える訳ないじゃないですか!」
 これまた当然のことを語気荒く叫ぶエリア。好きなら好きでこんな状況で言えるわけがなく、嫌いだとしてもはっきり言ってしまえるような人間ではない。普通であったならそれはそれで、普通などと言ってしまうのは嫌いというのに等しく傷つけそうに思える。と言うか、今のリアクション。これはともすれば、好きだけどそんなこと言えない、そんな風なリアクションに取られかねないのではないか。
 そもそも、エリアは別段クレイのことが好きというわけではない。近頃クレイがロッフルやザイーにちやほやされているのを見ると嫉妬してしまうのは確かだ。だがそれは、クレイにべたべたしている女たちへの嫉妬ではない。自分を差し置いてモテているクレイへの嫉妬、クレイはモテているのに何で私は、そんな思いだ。
 もちろん、クレイの事を嫌いではない。嫌いであったならこんな傍目に駆け落ちと勘違いされるような逃避行の相手に選んだりしない。旅の道すがら色々ありはしたが、それで嫌いになったりもしなかった。そして、こんな旅を共に乗り越えてきたのだ。普通などと言う言葉で片付けてしまえるものではない。でも、好きというほどだろうか……?
 思えば、クレイについてこんなに深く考えるのは初めてだった。二人きりの旅で恋人のように肩を並べて眠った夜にだって、こんな事は考えなかったのに。
 色々考えているうちにどんどん顔が上気してきた。これは非常にまずい。好きなんじゃないかと勘違いされる。いや、赤面ならロッフルが質問してきた時点でしていたと思う。自分はまだまだ初な子供だ、こんな話題で赤くなるのは当たり前なのだ。バレない、バレない。当のロッフルは「そりゃあそうだよねぇ」などと言ってもうすでにそんなエリアの様子に気付いてもいないのだが。
「そういうことはクレイに聞いてくださいよ」
 言ってから、クレイだってそんなこと自分の前で言えるわけがないと気付いた。そればかりではない。もしも、言えてしまったらどうするというのか。
 さらっと好きだなどと言われたらどんな顔をすればいいのか。かと言って、照れながら言われたり、思い詰めたように言われたりしたらもっとどうしたらいいのかだ。かと言って、嫌いだとはっきり言われたら立ち直れる自信がない。せめて、普通と言ってくれるのが。いや、でも。普通って。普通って……。
 自分の発言でさらに戸惑うエリアを余所にロッフルは言う。
「でも、クレイちゃんからは聞いたし」
「え」
 エリアだって、本人の前ではどう思っていても言えやしないが、ロッフルと二人だけならどう思っていたとしても言ってしまうかも知れない。いや、好きだという思いなら言い渋るかも。まして、異性が相手なのだとしたら。と言うことは、クレイのエリアに対する感情もロッフルに言えてしまう程度の物と言うことか。いやしかし、纏わり付くロッフルを遠ざけるために心にもない好意を告げると言うことも……。
「なんて……言ってました?」
 出口の無い迷路になった思考を彷徨うより、聞き出してしまった方が早いに決まっている。
「やー。さすがに言えないけど。……言っていい?」
 ロッフルに問いかけられて、全力でかぶりを振るクレイ。エリアのハートに火がついた。なにせ、好意を持っていることを告げたような反応ではない。あまり良くない本心をぶっちゃけた、そんなクレイの態度。
「そうねぇ。本人から聞くべきよねぇ。……さあ、どうなのクレイ」
 エリアは詰め寄る。一瞬エリアの中に自分の直感が外れていきなり告白されたらどうしよう、と言う不安がちょっと巻き起こる。
「あたしのこと、好きなの嫌いなの、さあどっち」
 先手を打って質問することで、「いきなり告白」されることはなくなった。が、選択の幅を狭めることで好きと言われて困惑するか嫌いと言われて落ち込むかの両極端しかなくなったことに気付いた。気付いたところでクレイが口を開く。
「好きだよ。あ、もちろん人間としてだけど」
 最初の一言で不覚にも一瞬ドキッとして仰け反ってしまった。すぐ後に続いた言葉のせいでいっそ屈辱的である。
「なによもちろんって。もちろん女としては見られないって言いたいの?」
 その悔しさも相まって詰め寄るエリア。
「えええええ。そんなこと言ってないよ!えっ何、女として見てほしいの?」
「ななななな。何を言ってるの!」
 もはや感情だけで言葉を紡ぐエリアは発言ごとにどツボにはまっていく。
「あははははー。なるほどね、クレイちゃんの言ってたこと、分かるわー」
 ロッフルが笑った。
「人として好きだって言っちゃった後なら、別に言っちゃっていいでしょ」
「うわわわわわ」
「クレイちゃんね、エリアちゃんの事……怖いって言ってたのよ」
 クレイは首を竦める。対するエリアの首は伸びあがった。
「私のどこが怖いのよ!」
「うわーこわーい」
 間髪入れずに放たれたエリアの怒声にロッフルが言った。この状況はまさに言うとおりであり、返す言葉もない。クレイとしては早くこの話が終わってほしい所だが、ロッフルはさらに弄る構えだ。クレイはできるだけ黙ってやり過ごすことにした。
「こんな怖いのに嫌いにならないんだから、怖くないエリアちゃんになれればきっと好きになってくれるはず!」
「別にクレイに好かれてもあんまり嬉しくないから!」
 ちょっとは嬉しいんだ、と思いながらロッフルは言う。
「クレイちゃんはもちろんだけど、みんなにも、ね」
「みんな……?」
「みんなにモテモテのエリアちゃんになれるかもー?」
 言い換えればエリアがもてないのは怖いから、そういうことだった。だがしかし待ってほしい。島では自分は決して怖いとか思われるようなキャラではなかったなかったはずだ。実際、学校ではみんなに好かれる女の子だったのだ。それがなぜ、こんなことに。
 クレイにはつきあいの長さ故の気の置けなさで多少ビシビシいってた感は確かにある。だが、学校のみんなには明るく優しいみんなに好かれるエリアだったのだ。今この船には、そんな日頃を知る友達は居ない。ここに居る人たちの殆どが知り合ってそう長くも経っておらず、あまり打ち解けきれてもいない。積極的に声を掛け合う所までは行っていない。よく話しかけるのはここに居る面々と今ここに居ないザイーくらいになる。
 女同士ならば、まあ仲良くやっていると言えるだろう。だが、男はついついきつく当たってしまうクレイと邪険にしておくくらいが丁度いいテラーファング。つまり、男相手にはキツい自分しか見せていないのである。ただでさえ近寄り難い魔法使い、そこにこれではナンパの一つもされないのも致し方ない。
「誰か、私のかわいらしいところを見せつける相手が必要だわ……」
 クレイとの接し方を改める気は無さそうである。そして、ロッフルはここで親衛隊の出番だわと心の中で拳を固めるのだった。

 ソーニャが戻ってきた。いかにも何かをやり遂げたような満ち足りた表情からして思うように行ったようである。嬉しそうに結果を報告するソーニャだったが、その最中に一つ気付いてしまったことがある。
 今まで得意な魔法だと思っていた水の魔法。しかし、水と魔力の関係と言う理屈が解ってしまえばなぜ得意だったのかも説明が付く。水の側にいれば水から魔力が供給される。そりゃあ、水の魔法は使い易いに決まっているのだ。きっと、ソーニャのみならず誰でも。
 軽くアイデンティティーを喪失しつつ、それでも今回身につけた知識は役に立つと確信するソーニャ。とりあえず、暗くて機械音が喧しく居心地の悪い船底がお気に入りの場所となりそうだ。
 そしてやがて昼になり休憩を入れることになったのだが、ロッフルの体が大変なことになっていた。立つだけでふらつき、膝が笑い、まっすぐ歩けない。寝転がっていたので立ってみるまで実感はなかったが、足に来るほどに消耗していたのだ。
 これでは食堂にも行けない。食べ物をここまで運ぼうかという提案も出たが、ロッフルは食堂に行くことを選んだ。ただし、クレイにしがみついて行くと。
 こんなになるまで頑張ったご褒美としても却下である。そもそも、こんなになる前に気付けと言ってやりたい。やむなく、ソーニャが肩を貸して連れて行くことになった。こういう時のために男手を確保したのだが、肝心な時にどこに行ってしまったのか。そんなことを考えていたソーニャの目に留まる物が居た。
「おーい、男手ー!ちょっとこっち来なさーい!」
 ソーニャの呼びかけに答えてのこのこと歩いてきたのはもちろん確保済みの男手だったはずのテラーファングであった。ついでに、男が一人増えている。サマカルド隊長だ。
「この子を連れて行きたいんだけど」
 そう言うソーニャに担がれ、具合悪そうに歩くロッフルを見てサマカルドは大きく頷いた。
「よし。今すぐ担架を用意しよう」
「いやっ……やめてぇ……」
 担架で運ばれる自分の姿を想像し、慌てて止めるロッフル。
「肩を貸すだけでいいから。ついでに連れてく場所は食堂だから」
「疲れた。お腹空いて動けない」
 端的に事情を説明するソーニャとロッフル。
「そういう事か」
「どうせなら安全安心な隊長さんの肩がいいな」
 それを聞いてテラーファングはほくそ笑んだ。
「よし、わかった」
 サマカルドは姫君に傅く騎士よろしくロッフルの眼前に跪き、そっとその腰に手を添えると……すっくと立ち上がりロッフルを肩に担ぎ上げた。
「肩を貸すって、そうじゃないでしょ」
「人攫いかよ」
 ソーニャとテラーファングの二人掛かりでツッコまれた。だが、下ろすつもりはないようだ。
「あんたじゃないんだし、ギリギリ人攫いには見えないけど」
「へいへい、どうせ悪人面ですよ」
 どんな悪人でも牙はさすがに生えていない。いっそ悪人に失礼である。
 そして担がれたロッフルは。
「ん。んん……。楽ちんかも」
 それはそうだろう。多少息苦しいのを我慢すれば全く動かないでよいのだから。そして、ふらつくロッフルを支えながら自分の足で歩かせるよりは段違いに歩みも早いのである。
 しかし。時折呻き声をあげる女性を担ぐ屈強な男に率いられた狼男と魔術師三人という一団は、さながら何かの儀式の生贄でも運んでいる邪教徒のような異様さを醸し出すのであった。

 食事を終えると少しはロッフルの体力も戻ったが、消耗ぶりを鑑みて今日の分の治療はこれで終わりとし、午後は自由という事になった。
 食堂を出ると、船内が慌ただしい。何かあったのかとサマカルドは甲板に向かって駆け出した。ソーニャも後に続き、クレイとエリアもそれについていく。テラーファングはロッフルと二人きり残されたことに気付いた。どちらが面倒かを秤にかけ、甲板に向かって駆け出す。
「やああ。置いてかないでぇ」
 駄目だった。しかし、無理もない。自力で歩くくらいならできるところまで回復はしたが、何かがあった時に全力で逃げたり対応はできそうにない。仕方ない、連れて行くか。だが、サマカルドよろしく担いでいくのは人攫いっぽいと言われたばかりで抵抗がある。
「よし。おんぶかお姫様抱っこか、好きな方を選べ」
「お姫様抱っこ!」
 即答である。そしてテラーファングもとっとと行動に移した。
「……重いな、おい」
「ひどっ。これでも軽い方よ、あたし」
 ロッフルは背こそ高いがひょろ長い感じで、比べる相手が細マッチョのザイーだとしても確かに軽い。二人をそれぞれ乗せたことのある背中が覚えているのだから間違いない。お姫様抱っこを選択肢に入れてしまったことを後悔する。そして、目の前に階段が現れたことでギブアップした。ここからはさすがにおんぶ、と思った所で名案を思いつく。
「狼になりゃあいいんじゃねえか」
 足も速く、力強く、背中に乗せやすい。いいことずくめだ。ロッフルもお姫様抱っこが終わってしまうのは残念そうだが、もふもふできるので異存は無いとのこと。その言葉でテラーファングの方が少しやる気を削がれた。
 狼になって全力疾走すると、前を行っていたサマカルド達にも追いついた。
 甲板の上では男達が駆け回っていた。その男達に混じって駆け回っていたザイーがサマカルド達の姿を見つけ、声を張り上げる。
「隊長!いいところにー!大物ですよー!」
 大物。つまり、大きな獲物が見つかったようである。思ったよりも大したことではなかった。
 と思った瞬間、船が大きく揺れる。いっそ衝撃が走ったと言ってもいい。その大物がぶつかってきたようだ。そして、その大物の本当の狙いはこの船ではなく、隣を航行する船だった。
 船の側で水柱が上がり、その中からどす黒い触手が伸びた。船の尻にしがみついたそれは、自分より大きな船をたぐり寄せようとして船に引き寄せられ海面に姿を現す。
「あれは……港町で食べた……」
 サマカルドが息を呑む。そしてソーニャが叫んだ。
「あれはクラーケンじゃないの!逃げてえええええ!」
 絡みついた相手が巨大な船であるせいもあってさほど大きく感じないが、触手を含まずとも人の背丈の3倍くらいはありそうだ。内陸でほとんどの者が海すら見たことがなかったバンフォの民はクラーケンの恐ろしさを知らない。ついでに、港町で食べたのはもちろん普通のイカである。
 逃げてと言われても既に隣の船はがっちりと触手を絡みつけられている。そもそも隣の船だ。こっちで叫んでも聞こえはしない。そして、こちらの船の乗組員達も手には銛を持ち、狩る……いや漁る気満々だ。少なくとも、仲間の船を見捨てるつもりはないのだ。となれば、逃げろと言ったソーニャとて手伝わないとは言い出せない。
「しかし、どうする。こちらからできるのは銛や矢を撃ち込むことくらいだ」
 それで、追い払うことはできるかも知れない。だが、逃げられては漁にならない。
「あの、矢印みたいになっている頭の中に心臓があるよ」
 テラーファングの背中から降りながらロッフルが言った。料理の手伝いで新鮮なイカを何度か捌いているので覚えているのだ。なお、そこは頭ではなく腹である。
 サマカルドは言う。
「……なんだ、そのリボン」
 テラーファングは思い出す。そう、体を洗われていた事を知ったショックですっかり頭から消し飛んでしまっていたが、尻尾に結ばれたリボンをまだほどいてもらっていないのだ。
「うわああああ。誰か取ってくれえええ!」
「今はそれどころじゃない」
「そりゃ無いだろ。うおおおおおおおん!」
 遠吠えがうっとうしいのでソーニャはほどいてやりながら言う。
「心臓を止めてやれば大概の生き物は死ぬわ」
 言うまでもなかった。
「でも、イカの足って足だけになってもしばらく動いてる……」
 実体験に基づくロッフルの発言。
「虫の足もそうだよね。頭がもげた虫が暴れてるのよく見るし」
 ロッフルとクレイの言葉にソーニャは肩を抱いて身を震わせた。
「いやな想像させないで。そもそもクレイちゃん、首のない虫なんて普通そんなに見るもんじゃないでしょ。虫の首をもいで遊ぶのは感心しないわ」
「あたしたちの島には花の中に潜んで密を吸ってるところを襲う虫がいて、ブラルーニが咲いてるところにいくと結構……」
 エリアがクレイをかばった。野生生物の生態には流石に文句が言えない。なお、その虫は密を吸っていた虫の頭を押さえ込んで頭と羽をもぎ、地面に落とす。するとそこに下で待っていた幼虫が次々とかじり付くのだ。クレイがそんなことを話すのをソーニャが遮った。今はそんなことを話してる場合ではないし、何より聞きたい話ではない。聞きたくなんてないのである。そして、そんな虫が潜んでいる花には、島の女の子もあまり近付かない。摘んであれば愛でるのは吝かではないが、生えているところに近付くのは危険だ。精神的に。
「確かに心臓を止められてもしばらくは暴れるでしょうね。でも、暴れてるのと襲ってくるのとでは全然違うわ。それに、いつまでも暴れられないし」
「どうやって心臓を止める?凍らせるか?」
「難しいんじゃないかな。イカの心臓って結構でっかいもん。鰓と一緒になっててさ」
 料理担当と。
「周りも中身も塩水だしね……。塩水って凍りにくいのよ」
 水魔法のベテランが言ってるのだからそうなのだろう。
「むしろ温めた方が効きそう。お湯の中に放り込むとすぐに堅くなるし」
 なんか既に料理の仕方を話し合ってるようにすら聞こえるロッフルの意見。
「あいつの体の中の水を沸かそうってことね。でも、どうやって?」
「あれを使っちゃあどうだい」
 テラーファングが指し示したのは船の煙突だ。
「あそこから熱々の煙を吹き込んでやりゃあ、中の水もいい湯加減になるんじゃないか」
「そうね……。やってみる価値はあるわ」
 ソーニャはきっぱりと言い放ち、なぜか手に持っていたリボンで髪をきゅっと縛り上げた。
 そしてもちろん、やるのはクレイとエリアであった。


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