マジカル冒険譚・マジカルアイル

28.癒しのひととき

 クレイとエリアを引き連れてロッフルの部屋を訪れたソーニャは、扉を開けると息を飲んだ。
「……入らない方がいいわ。外で待ってて」
 二人にそう言い残してソーニャは部屋に入り、扉を閉めた。その間際、エリアは扉とソーニャの体の隙間から、部屋の中で折り重なるように倒れ込む人たちの姿を見てしまい、何か良くないことが起こったのではないかと不安に駆られた。だが、中から聞こえてきた声でそういうことではないことが判る。
「うぅわ、酒臭い。とにかくまず服着なさいな。……なんでこの動物がここにいるの」
「動物言うな。俺は人間だぞ」
 今叩き起こされたのがよくわかる寝ぼけたテラーファングの声である。
「人間の恰好してても怪しいのに、その恰好で何を言うのよ」
「う?……ありゃ、俺は何で狼になってるんだ」
 ドアからソーニャが顔を出す。
「エリアちゃん、入っていいわよ。クレイちゃんはまだ駄目」
 入っていいと言われたならば入らないという選択肢もあるのかもしれないが、この場合は入らないといけないのだろう。恐る恐る室内に入るエリア。聞いたとおり、室内は酒の臭いで満たされている。服を着なさいと言われた女たちも、素っ裸と言う訳ではなく下着姿の者が何人かいる程度だった。下着姿の女性たちと、何をしたというのだろうか。
「この子らの着替えのためにこのケダモノを連れ出しておいて頂戴な。もうすでに着替えを覗かれるのと大差ない位の姿は見られてるけれどさ」
「はい。……何です、このリボン」
「ん?……ギャッ、何じゃこりゃあ!」
 テラーファングのしっぽの付け根にはリボンが結び付けられていた。慌てて取ろうとするテラーファングだが、後ろ脚と口は届かず、前足も思うように尻尾の付け根に引っかからない。自分の尻尾を追いかけてぐるぐる回る姿は間抜けとしか言いようがない。しかも、おリボン付きである。ますますだ。エリアがずっと抱いていたテラーファングへの恐怖心が吹っ飛びそうなほどだ。
「こいつを取ってくれ!」
 毒虫にでも張り付かれたようなパニックぶりだ。
「そんなのいいから外に出なさいよ、スケベ」
「何がスケベだ、女どころじゃねえよ!くそっ、外に出たら坊主に取ってもらうか」
 エリアに尻を押され、部屋から出て行くテラーファング。
「昨夜、何があったんですか」
 軽蔑の目で見ながら問い詰めるエリア。
「俺自身何をしたか覚えてねえから恐ろしいんだよ。この体で姉ちゃんたちに手ェ出すとは思えねえが、あいつらの方からのしかかって……あ痛」
 振り返りながらしゃべっていたテラーファングは何かに蹴躓いた。水で満たされたタライである。
「何だぁ?なんでこんな所にタライが……まさか」
 自分の体の臭いを確認するテラーファング。仄かに石鹸の香りがした。
「ぐおおお、あ、洗われてる!やられた、畜生!」
 サラサラな毛を逆立てて石鹸の香りを振りまきながら激怒した。おそらく、女たちが下着姿になったのはこのタライでテラーファングを洗うためだったのだろう。いつの間にか体を洗われ、おリボンまで結ばれてしまったという事だ。酔っていたとはいえ、不覚の極みである。
 室内では、服を着ながら女達が昨日の出来事を説明した。やはり、女達はテラーファングの体を洗うために下着姿になっていた。酔いつぶれて眠り込んでいたテラーファングをたらいに放り込み、そっとぬるま湯をかけてみんなで洗ったという。お遊びの割には重労働で、終わったら女達はその場で服も着ずに寝入ってしまったと言うことだ。仲間の人肌や洗い立ての毛皮が毛布代わりになり風邪を引く者もいなかったのが幸いである。
「まったく。いつもこんなテンションなの?」
「違うよ、昨日は特別。お客さんもいたし、それと景気付け」
 そう言うロッフルはとろんと惚けたような顔をしている。しかしただでさえ寝起きだし、彼女はいつもこんな感じなので二日酔いなのかどうかは判断しがたい。少し上気した顔が二日酔いっぽいが、問題になるほどではなさそうだ。
 潰れるまで酒を勧める店の女給のような出で立ちのソーニャは言う。
「今日からその……大変なんだからさ、あんまり羽目を外さないでほしいわ」
 一応、ルームメイトたちの手前踏み込んだ話はせず事情はぼかしておく。そんなソーニャにロッフルは言う。
「真面目ねえ」
 それでこんな格好をしているのだからわからないものだ。見た目で確実に損をしていると思うのだが。いや、むしろ根が真面目だからこそそれを隠そうとこんな格好をしているのか。
 着替えと言っても、脱ぐところから始めなければならない者は多くない。そうでなくても何を着るか悩む場面でもないし、そもそも服の持ち合わせもあまりない。半裸に近い格好をしているのはソーニャだけという状態になるのに時間は要さなかった。
 その間に、仲間からの何が大変なのと言う発言から一通りの事情が説明された。ぼかしたソーニャの気配りは無意味だった。この部屋にいる仲間は男の所に泊まることがあればその時の報告もするような気が置けない間柄なのだ。悲しいことにそんな話になることは滅多にないが。ロッフルも、ソーニャにすらするような話はこの部屋の面々にはとっくに話してある。
「そんなのまで治せるの?魔法ってすごいね。ロッフルの男運の無さとか男の浮気性とかも治せるの?」
「治らないわよ、そんなの。……ああ、でも。浮気はさ、呪いをかけてやれば何とかなるかもよ。んー、そうねえ、例えば……」
 話を聞いてみれば直接浮気癖を治そうというわけではなく、浮気をしたら発動するお仕置きのような感じだった。あるいは自分以外の女相手には機能しなくなる呪い。さすが呪いだけに非情な手段だ。浮気はなくなるかも知れないが、それより先に自分への愛情が消し飛ぶこと必至である。そして冷酷な笑みを浮かべ嬉々としてそんな呪いについて語るソーニャを見て誰が聖女などと呼ぶであろう。
 呪い談義は楽しいが、部屋の外に待たせている人もいるし、彼女たちも暇ではない。本来は暇だが今はやるべきことがある。もちろんエリアちゃん親衛隊のことである。
 何も知らない渦中の人に手を振りながら部屋を出た彼女たちは、片付けねばならない当座の課題があることに気付いた。課題と言うか、タライである。そういえば昨夜は楽しく酔い潰れた獣をみんなで洗ったのだ。自分たちも潰れる寸前でそんな力仕事をしたものだから、いよいよ潰れて後片付けは後回しにしたのだ。
 この一画は女性の部屋ばかりで夜中に彷徨く男は滅多にいない。だからこそ気も大きくなっていたのだが、滅多にいないがたまにはいるのだからこんなところで下着姿ではしゃいでいたのは流石に無防備すぎだと反省する。言い換えれば女はよく通りかかる場所だ。無防備に女たちに洗われるみっともない姿をテラーファングがどれほど晒したか分かったものではないのだ。
 明るくなり酔いも醒めた今ならこの程度の後片付けは何の苦にもならない。野暮用はさっと片付け、今度こそ女たちはめいめいに散っていった。

 タライの片付けが始まるのと入れ違いで外で待たされていたエリアと男たちが部屋の中に招き入れられた。小さな魔法使い二人の後ろで人の姿になっているテラーファングはタライの片付けを始める女達に苦々しい視線をちらりと向けた。
「さあて。早速始めましょうか」
 ソーニャは宣言した。そして、その時他の誰もが心の中に抱いた疑問を、一同を代表してロッフルが口にする。
「どうすればいいの」
 どうにかされる側のロッフルはおろか、する側のクレイとエリアも何をどうすればいいのかを聞いていないのだ。二人が使うべき魔法は判っているしエリアはその魔法を大体どこに使えばいいのかも昨日その目で見たので解ってはいるが、それを体の中に使うに当たってどうすればいいのかなど、不安は多い。クレイに至ってはどこに使えばいいのかもはっきり判らないのだ。
「ええとじゃあ。脱ぐ?」
「いい、脱がなくて」
 ソーニャはおずおずと訊いてきたロッフルにびしっと答えた。最終的にはある程度出させるとは言え、この女の裁量に任せるのは危険だ。それに、今のロッフルの服装はわざわざ脱がさなくても軽く持ち上げるだけで腹を出させることができる。
「まずは横になって頂戴な。そしたら後は大人しくしてていいわ」
 壁に据え付けの収納式ベッドではやりづらいので適当な木箱を見繕って並べる。その上に毛布を敷き簡易ベッドをこしらえると、ロッフルはその上に言われたとおりに体を横たえた。
 ソーニャは矢庭にロッフルのシャツとレギンスの間に手を突っ込み、捲り上げずり下ろした。下着もまた邪魔にはならず隠すべき部分には掛かる程度までずらされ、臍下あたりの肌が剥き出しになる。容赦も逡巡もない動きだ。クレイは慌てて目を逸らし、テラーファングは表情も変えず見守る。
「やん」
「自分から脱ごうとしてた癖に、このくらいで変な声を出さないの」
 このくらいとか言ってしまうソーニャは今日も臍下丸出しのいつもの恰好なので無駄に説得力があった。
「だあって。いきなりだもん」
「んー。まあ、それは悪かったわ。……主にクレイちゃんに」
 確かに、一番精神的ダメージを受けているのはクレイだったりする。だが、クレイだってこの程度でへこたれている場合ではないのだ。
 その時、部屋の外でルームメイトたちとともにタライを片付けていたザイーが部屋の扉を開いた。男らしく豪快かつがさつにだ。反射的にレギンスを戻すソーニャ。入ってきたのがザイーだとわかり脱力する。そもそもここは女性の部屋、よほどのことがない限り男がノックもなしには入ってこないし、ノックもなしに男が入ったらよほどのことだ。
「このくらいで慌てちゃって。かーわいいー」
 ロッフルがさっきのをやり返すように言った。むっとしたソーニャはさっきより乱暴にレギンスを引きずり下ろす。
「やーん」
 わざとらしい声を上げるロッフル。
「何やってんの」
 ザイーの言う通り、何やってんのであった。
「やるのはこれからよ」
 ソーニャは筒状の道具を取り出し、ロッフルの臍下に立てるように押し当て、筒の中を覗きながらつまみを調節する。透視の魔法が込められた透視鏡だ。小型のものだが手のひらの長さほど位は透視できる。
「よし。これで体の中が見えるから覗いてみて。昨日見たとは思うけどエリアちゃんも一応ね」
 またあれを見るのかと思うと憂鬱になるエリア。それ以上に昨日と今のエリアの反応でクレイは見るのが怖くなるのだ。そしてそのクレイの反応でエリアの心に火がつく。自分だけこんな思いさせられて終わりにはできないと。
「でも。昨日は見ちゃダメって言ったのに」
 躊躇うクレイをエリアは引っ張った。昨日クレイがはずされたのは、やはり男の子には刺激が強いことに加えてどこを見なければならないかはっきりしていなかったことも大きい。患部の場所・広がりによっては少年に見せるのは憚られるようなことになるかも知れなかった。
 しかし、患部の位置的にもダメージの酷さ的にもそう言ったいやらしさは感じそうになく、見せて大丈夫という判断になったわけだ。それに今日は昨日のような突発的な話ではない。この通りちゃんと道具も準備できている。この道具をしっかりと固定しておけばクレイが余計な所を見てしまう心配もいらないのだ。
 覚悟を決めてクレイは筒を覗き込んだ。色のないヴィジョンで内臓が蠢いている。無色なので生々しさはなく、思ったほど衝撃的でもない。正直、筒から目を離したときに目の前に広がっている光景の方が正視に耐えない。
 クレイが何ともなさそうなのでエリアも覗いてみた。見えるものは昨日と変わらず、むしろ道具のせいで映像が鮮明だ。エリアは駄目だった。
「二人とも、状況は解ったでしょ。それじゃあ次にいくわね」
 クレイは状況を理解するような余裕はなかったし、エリアにしてみてもそもそもそこが本来どうあるべきかが判っていないので状況が解ったとは言い難いのだが、ここでノーとも言い難い。
 ソーニャは道具を外し、当てていた場所に筆で洋墨の印を付けた。
「やん」
「だからぁ。変な声出さない」
「だからぁ。いきなりはぁ」
「はいはい、覚えてたら次は気を付けるわ」
 筆に洋墨を付けた時点で覚悟しときなさいよ、と心の中で愚痴りながらソーニャは言った。

「呪文は覚えてる?」
「はい」
「うん」
 返事は揃わなかったが二人は揃って頷いた。短い間ではあったがかつて疲れ果てるまで何度も唱えた呪文だ。そうそう忘れはしない。
「じゃあ、印のところに手を置いて。後はひたすら呪文を唱え続けるだけよ」
「それで中まで魔法が届くんですか」
「そのはずよ。効果は手から放射状に出るからね。さ、ほらほら」
 促されて二人は手を置く。そしてロッフルも全力で声を我慢する。クレイが躊躇ってるうちにエリアが印の横に手を置いた。クレイもその隣、エリアと手が触れないぎりぎりに手を置いた。
「んー、そうなっちゃうか。印の上で二人の手を重ねるのが理想なんだけど」
 二人は全力で頭を振った。この動きはきれいに揃う。
「エリアちゃんの手の上に手を置けばこんな際どいところに直接触らなくてもいいのよ」
 お得な提案とばかりにクレイに持ちかけるソーニャ。この提案に何のメリットもないエリアの意見は聞かずに話を進める腹積もりだ。だが、クレイにとってもロッフルの腹よりエリアの手に振れる方が気恥ずかしい。
「よし。それなら嬢ちゃんの手の上に俺が手を置いて、さらに坊主が手を置くってのはどうだ」
「はい却下」
 当人たちの意見を聞くまでもなくテラーファングの提案は却下された。もちろんテラーファングも本気で言ってはいない。この提案が通るとテラーファングは手を挟まれたままじっとしていなければならない。
「でもよ、直接嬢ちゃんと手を重ねるのが恥ずかしいってんなら俺とかあんたみたいなどうでもいい奴の手を噛ますってのは悪くねえんじゃないか」
 提案としては確かに悪くないかも知れない。だがしかし、である。どうでもいいという言い方がソーニャとしては腑に落ちない。
「どうでもよくなんてないわよねぇ」
 ソーニャは穏やかな笑顔で問いかける。笑顔の裏に殺気めいた気迫を感じたクレイは素直にうんと答えた。クレイもどうでもいいとは思わないが、少なくともエリアのように嫌がったり照れたりしないだけソーニャの手を噛ますというのはありだったのだが。
「じゃあじゃあ、あたしは?あたしどうでもいいよね」
 クレイに手を握られるならどうでもいいと言われることをも辞さない覚悟のロッフル。ソーニャと同じ理由でクレイとしてはアリだったが。
「あんたは横になっておなか伸ばしてないとダメ。それに、間に他の手を噛ますくらいなら手を並べてても大して変わらないわ。こんなことでグダグダやってるくらいならとっとと始めて頂戴」
 ごもっともであった。詠唱を始める二人。ザイーが名乗りを上げる機会は失われた。
「あんたはやらないのかい」
 ソーニャに問いかけるテラーファング。
「このくらいの魔法をかけ続けるとなると、私くらいじゃ大して役に立てないのよ。ま、一、二回なら一緒にやってもいいんだけど。……二人とも、無理はしないで。疲れたら休憩を入れていいのよ」
 二人のことを気にかけているようだが、言い換えればこまめに気を回せるくらいには暇ということだ。治療が始まってしまえばもう彼女にできることはないらしい。そして。
「俺に何かできることはないのかい」
 このような言い方をしてはいるが、実際の所テラーファングは何かすることはないかを聞きたいのだ。ここから先、クレイとエリアが呪文を唱えさえしていれば事は進んでいくだろう。今更自分がここにいる意味があるとは思えない。
「言ったでしょ、男手が必要になるかもしれないじゃない」
「具体的に、これからどんな男手が必要になりそうなんだい」
 考え込むソーニャ。これは、別段用は無さそうである。今ロッフルのベッド代わりになっている木箱を並べていたのが今日一番の力仕事だった。ソーニャがあっさりと片付けた仕事である。
「ねえ。あたしも退屈」
 ロッフルが口を挟んだ。
 治療を行う人間として、患者に与える苦痛は最小限に押さえるべきである。そして苦痛と退屈はくつの音が共通などと言う言葉遊び以前にかなり近しいものなのである。苦痛から逃れるためにも、退屈から逃れるためにも死を選ぶ人がいるほどに。斬首、火刑に次ぐ罰が退屈な投獄生活であるほどに。そんなロッフルの退屈は速やか取り除くべきなのだ。ロッフルの場合、退屈を口実にクレイによからぬちょっかいを出すことも考えられるだけに。
「そうだ。あんたこの子の話し相手になってあげなさい」
「うげ」
 不承不承だが、それでもテラーファングとて退屈よりはましである。悪くない提案だとは思う。
「おしゃべりって言うかさ、遊んでてもいい?昨日の続きしようよ」
 昨日の続きとは何か。酔った勢いで何をやらかしたかわからないテラーファングは戦々恐々としたが、ザイーがロッフルに言われて取り出したものを見て全てを理解した。テラーファングがこんなことに巻き込まれる直前何をしていたか。きっかけとなったのはそう、カードゲームにつき合わされたことだ。取り出されたものはもちろんカードである。気は乗らないが……退屈よりはマシか。
「暇そうだし、ソーニャもやろうよ」
「んー。まあ、いいけど……」
 誘いに乗るのは吝かではないのだが、ソーニャとしては頑張っている子供たちを後目に遊んでいるのは気が引けた。
「そんなにすることが無いならさ、私やりたいことあるんだけど。それと、この人も借りてっていい?」
 そう言い、テラーファングの手を引っ張るザイー。
「んー。ま、いっか。この感じじゃ用なんて無さそうだしね……」
 遂に、それを認めた。
「頃合い見てちょくちょく顔は出すから。じゃっ」
「お手柔らかに頼むぜ」
「こき使ってあげるわよ」
 テラーファングはザイーに引きずり出された。
 残されたロッフルは残されたソーニャの前にカードを配り始めた。もうロッフルの相手をできるのはソーニャだけだ。自分しかいないなら、まあ遊びに付き合うのも仕方ないのではないか。
「魔法、使っていいよ」
「あら。見くびられたものね。ルールを覚えたての子供と同じ扱いは心外だわ」
 ソーニャの闘争心に火がついた。やがてこの炎はソーニャの尻にまで延焼し、一進一退の攻防の末に結局はじりじりとそれほど惜しくもない差を付けられて昼前のおやつ休憩になるのだった。

 薄暗い部屋の中で臍下を出した女同士の静かな戦いが繰り広げられている頃、太陽の降り注ぐ甲板では、サマカルドらによる朝のトレーニングが終わったところであった。トレーニングを終えた参加者たちがぞろぞろと食堂に入ってくる。
 テラーファングと一緒に朝食をとっていたザイーはサマカルドを見つけて立ち上がり声をかけた。
「今日は心配かけてごめんなさい」
「む?」
 サマカルドはしばし考え込む。何か心配させられるようなことがあったのだろうか。先ほどのトレーニングは滞りなく進んだはずである。彼女に何かあったような様子もなかった。いや、そもそも何もなかった様子があった記憶もない。何事もなければ記憶にも残るはずがないが、これほど存在感のある人物について何の印象もないというのはそこにいなかったということを示しているのではないか。であれば、心配というのは日課のトレーニングを休んだことに対するもので……。
「心配したぞ」
 今言われて居なかったことに気付いた、と言うか状況的に察したことが丸分かりのたっぷりとした間であった。当然、心配などしていなかっただろう。
「……いいんです。却って気を遣わせてすみませんでした……」
 そう言うザイーは更に気を遣わざるを得なさそうな様子であった。
「む。……まあなんだ。どうせまた昨日飲み過ぎて寝過ごしているんだろうと気にも留め……いやその、安心していたのだ」
 サマカルドのその場しのぎで咄嗟の言い訳が図星のさらにど真ん中を貫き通した。テラーファングは思う。今のサマカルドの口振りだとザイーはこれまでにも何度か飲み過ぎでトレーニングをサボっているらしい。……果たして、もしも居なかった事に気付いたところで心配などされようか。
「しかし、珍しい取り合わせだな」
 本気で話題を変えにかかるサマカルド。ザイーとしても望むところ、この話を続ければへこむだけであった。
「酒盛りのつまみにされた勢いさ」
 その言葉でサマカルドは自分の口走った言葉が図星をついていたことを知る。
「まあ、面倒事にも巻き込まれていてな。酒盛りもそこからの流れなんだが……。どうだい、一緒に巻き込まれてみないかい」
「御免被る」
 サマカルドに迷いはなかった。
「御免被らないで。あんたさ、巻き込みたいならせめて話くらい聞く気になるような誘い方してよ」
 テラーファングを睨み付けるザイー。
「そりゃごもっともだ」
「よし、奴の話なら聞く耳持たぬが君の話なら聞いてやってもいいだろう」
 朝食ついでの雑談として、事情を聞くことになった。

「親衛隊、か」
 ザイーがパンに齧り付く前に一言だけ口にした言葉をサマカルドが復唱した。テラーファングはそっちの話かと心の中で呟いた。まあ、巻き込まれたもう一つの話については自分どころかザイーの手すら必要なさそうだ。そこに更に人を巻き込む意味はない。
「親衛隊が必要と言うことは危険が迫っているというわけか。誰かに狙われているとか……」
「狙ってくれもしないからこその親衛隊よ」
 話を端折りすぎて理解に齟齬が生じているようだ。すれ違ったまま話が進むのも端で見ている分には面白いのでテラーファングは口を挟まないことにした。結局、実質ファンクラブのことであることはすぐにザイーの口から説明されたが。
「エリアちゃん……クレイちゃんもそうだけどさ、これまで魔法使いとして忌み嫌われながら旅を続けてきたわけだから、二人の方から誰かに気軽に誰かに声をかけるってのは難しいと思うの。でもってこっちはこっちで、助けられたとは言え元々魔法使いを恐れてたわけだし、やっぱり話しかけるには勇気が要るでしょ。声をかけてくるようなのがいるとすればこんなのよ」
 魔法使いに話しかけるのに勇気の要る一般市民ではないが、具体例として提示されるテラーファング。現に声を掛けてはいるのだから反論の余地など無い。
「ま、そういう事さえないからこの話が出たわけだけど。気軽に話しかけられるようなお友達グループを作りつつ、ついでに悪い虫がつかないようにも出来るって感じ?」
 クレイの方は既に悪い虫とも言えるロッフルがついている。その悪い虫の分、より焦りも生じるだろうし本当に悪い虫に引っかかりやすくなってしまうかも知れない。エリアにも早めに対策がいるだろう。話を聞いた感じ二人とも純朴な田舎の子供であり、それほど都会ではないが街の連中にはいいカモになりかねない。その一方で、悪い虫すら付かない現状にエリアは焦りを抱いている。状況は複雑だ。
 しかし、すべきことは至ってシンプルである。エリアに興味を持っていそうな、それでいてタチが悪くはない男をファンクラブに入れればいいのだ。
「誰かいい人いません?」
 ザイーもトレーニング参加者全ての顔を覚えてはいないし、どんな人なのかを知っている男となるとほとんどいない。やはり女は女同士で固まってしまい、男も同様だ。その気にならないと男女間のコミュニケーションは生まれにくく、ザイーはその気になったことはないし、その気になった男たちが避ける理由がザイーには多かった。そんなザイーを相手にしようとするほど追い込まれた男は少なくともまだいない。
 ファンクラブそのものは男女分け隔てなく入れるが、女友達ばかり増えて男がますます近寄りがたくなるのでは本末転倒だ。ならば、男集めはサマカルドに頼んだ方がいい。
 もちろん、懸念はある。ザイーはトレーニング参加者の男たちにどんな人かよく知っている人物があまりいないが、碌なのがいないことを知っているのだ。だからこそ、深く知る気が起こらないのである。最初にサマカルドに押しつけられた素行不良の連中はもとより、後から増えた分もスポーツバカやら軍事マニアやら。
 軍事マニアだから悪い奴ということもないだろうし、スポーツバカもそれ故に真っ直ぐだったり活発だったりでいい奴なのかも知れない。素行不良野郎も悪ぶってるだけで根は悪くないかも。知ろうとしていないザイーは知らないというだけ。男同士だからこそ、飾らない本性を見抜いていることに期待するのだ。その上でスカしかいなかったら……まあ、ザイーにできることはせいぜいがっかりすることだけだ。
「まあ、何人かに声をかけてはみるが……。声をかけてもそういう趣味があるかも問題だな」
「や、そんな真剣に検討してもらわなくてもいいですよ。熟考の上決めるような重いものじゃなくて、もっとこう気軽に。ひとまずは人が集まらないことには、なんですから」
「ふむ。ならば、エリアがモテなくて悩んでいるという話は省いておいた方がいいか」
 この話を出してしまうと、どうしても親衛隊の話にエリアの彼氏探しという側面が見えてしまい気軽さが損なわれてしまう。
「そうですね」
 そもそも、サマカルドにそこから話す必要もなかったのだが。まして矢この人の多い場所で。ただでさえ目立つ顔ぶれではなしているのだ、ぼそぼそと話してはいるが何人が聞き耳を立てているやら。
「しかし意外だねぇ。隊長さんがこんな馬鹿馬鹿しい話に乗ってくるとは」
 ザイーはパンでテラーファングの無駄口を封じた。
「遠慮からとは言え恩ある魔法使いたちに寂しい思いをさせるような不義理を見過ごすわけにもいかんからな」
 早速話が大きく解釈されているようだ。
「いや、別に気軽な話だと思わせて人を集めようとしているわけじゃなくて。本当に気軽な話なんですって」
 律儀なサマカルドのことだ。本人がどう思っていようがあくまで気軽な話として誘いをかけるだろう。だが、サマカルドが真面目な話だと思っていれば自ずと真面目な空気が滲み出て、真面目な話だと誤って取られかねない。
 少しだけ、人選を間違えたんじゃないかという思いがザイーの中に芽生えた。しかし、そもそも人選以前の問題だ。選ぶには選択肢が、選択の余地が必要だ。だが、そんなものは無いのである。エリアちゃんの彼氏探しなんかしている暇があるなら、まずは自分の彼氏ないし男友達ぐらい探した方がいいのではないか。次はそんな思いが芽生える。これは否定しようのない事実なのであった。

 様子見を兼ねてザイーとテラーファングが部屋に戻ってきた。その手にはパンと焼き菓子にお茶、サラダや肉の載った皿。食堂から持ってきたクレイたちのおやつ、そしてロッフルの朝食である。寝起きからそのまま治療が始まったので朝食を食べる暇などなかったのだ。
 それを受けて最初の休憩となる。ザイーとテラーファングは雑談混じりに朝食をとっただけなので、部屋から出て行ってからそれほど時間が経っているわけでもない。おやつにも少し早い時間だ。
 自分以外には女しか居なかった女たちの部屋に一応男のテラーファングが戻って来たことでクレイはほっとする。
「二人とも、大丈夫?疲れてない?」
「大丈夫だってば」
 この短い時間に何度か同じようなやりとりがあったことを窺わせる、労るソーニャに対するクレイの返答。
「俺が見た感じでも二人ともピンピンしてるようだな。あんまり同じことばっかり言ってると、その方が聞かされる身になりゃ疲れちまうぜ」
「こんな強力な魔法を立て続けに使ってれば相当消耗するはずなんだけど。あたしなら3回はへばってそう。……これが若さなのかしら」
 若さだけの問題ではなく基礎能力の差かも知れない。
「それによ。あんたの方が疲れてそうな顔してるぜ」
 テラーファングは素直な感想を述べた。
「そう?……ま、そうなのかもね」
 ソーニャは憂鬱そうに溜息をついた。嬉々として笑みを浮かべたソーニャも婀娜っぽいが、憂いに曇らせたような顔もなかなか魅力的であった。それに、ソーニャが笑みを浮かべている時など大体碌な時ではない。少なくとも、テラーファングの記憶では。
「ああ……。今、あんたのほぼ社交辞令の気遣いが骨の髄まで沁みたわ。これは自覚している以上に心がボロボロになってるわね」
「何かあったのかい」
「ねえ、あんた。あたしを癒してくれる?」
 問いかけの答えの代わりにいうソーニャ。
「癒すって、どうすりゃいいんだ」
「もふもふ……」
 横から口を挟むロッフル。
「それ以外で頼む」
「あたしの相手をしてくれるだけでいいわ。……弱いんでしょ」
 カードを切り始めるソーニャ。テラーファングは全てを察した。どうやらロッフルとの対決は芳しくなかったようである。もふもふとどっちがマシだったか、真剣に天秤にかけ始めるテラーファング。そんなことをしても無駄だ、もう賽は投げられた、ならぬカードは配られたのだ。

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