マジカル冒険譚・マジカルアイル

25.海戦

 皆にとって大変な旅路ではあったが、気力を一番使ったのはクレイとエリアだ。移動が終わり最後のゲートが閉じられると、緊張の糸が切れたかエリアもクレイもへたり込んだ。
 クレイの最後の移動はサマカルドの馬だった。いくら夜中とは言え町中を狼が走り回る訳にもいかない。そして、テラーファングはまだ気力はあるが体力が限界だった。クレイだけならともかく、女を乗せたのはやはり間違いだったか。
 クレイは馬に乗るなり居眠りを始めた。サマカルドはそんなクレイを自分の前に乗せた。これなら落ちることはない。
「それじゃ、船まで案内するわね。隊長さん」
「うむ、頼む」
 返事をしてからソーニャにも隊長と呼ばれていることに気が付いた。皆が隊長としか呼ばないのだから仕方ない。
「じゃあ、行きましょうか」
 ソーニャはマントを脱ぎだした。もともとほとんど隠れてはいなかったとはいえ肌の大部分が剥き出しになり、サマカルドは目のやり場に困る。
「何をしている」
「ちょっとした準備よ」
 マントを裏返しに羽織るとソーニャの姿が闇に融けた。裏地に隠れ身の魔法がかかっていたようだ。
「あのまま飛んだらさすがに目立つからね。このカンテラの後に付いてきて頂戴」
 歌声のような呪文とともにカンテラがふわりと高く舞い上がる。カンテラを持ったソーニャが宙に浮いたのだろうが、そのソーニャの姿が消えているのだから、そう表現するしかない。
 空を飛ぶ魔法使いよりは目立たないのかもしれないが、歌いながら空を飛ぶカンテラも傍から見ればかなり目立つ代物のような気がする。人目につかないことを祈るばかりだ。
 流民たちもサマカルドに続く。これなら、後ろの大人数に目が行って先頭の奇妙なカンテラになど気が向かないだろう。エリアはザイーに背負われて、クレイ同様に眠り始めている。
 やがて、波の音が聞こえ始めてきた。内陸の町・バンフォの民にはこれが初めて見る海という人も多数いる。そして、港には大きな船が多数見える。停泊しているもの、海上に浮かぶもの。
「あの辺の船がセドキアの船よ」
 ソーニャはそう言いながら、またマントを裏返して羽織った。煽情的な姿が港の明かりに浮かび上がる。
「あれが全部か!?」
 たまげたとしか言いようのないサマカルド。アテルシアにもそう滅多にはないような巨大な船舶だ。しかも、あれほどのものとなると軍船くらいしかないだろう。
「そうよ。急だったから、こんなのしか手配できなかったそうよ」
 しかも、事も無げにこんなの扱いだ。ちなみに、ソーニャのこんなのは船のタイプのことを指しており規模のことではない。
「貨物船だからあんまり人を運ぶには向いてないけど、ちょっとの間だから我慢して頂戴。たぶん、途中の港でもう少し乗り心地のいい船に乗り換えられると思うわ。速い船だから、それより先に目的地に着いちゃうかもしれないけどね」
「速いほうがいいだろう」
「その分乗り心地が悪いんだってば。ま、荷物が載ればもう少し安定するかもしれないけど……人が乗ったくらいじゃ安定するほどの重さにはならなそうねぇ」
 流民たちは早速乗り込み始めている。程なく船がいっぱいになったか、船は動き出し、入れ違いに海上で待機していた船が埠頭にやってくる。
「さあて。みんなが乗り込んでいる間にあたしはお仕事の準備をしなきゃ」
「酒でも注いで回るのか」
 この時間にその格好でお仕事といわれると、そういうお仕事にしか思えない。だが、もちろんそんなお仕事ではない。
「アテルシアの高速艇が、そこのところで待ち伏せてるのよね。ちょちょっと沈めるか、できれば戴いてしまいたいんだけれど」
「なんだと」
 さらっと言ってのけた言葉に驚くサマカルド。ワムンセルフォムに逃げ込みアテルシアからの追手はもう来ることはできないと思っていたが、公海上に出てしまえば彼らにもまだチャンスはあるのだ。
 この港から出ようとしていることが知られていることにも驚いたが、冷静に考えてみればそれを知るのはそんなに難しいことではない。まず、流民たちが越えた国境から最短距離にある港がここだ。ここを目指すだろうという事はすぐに思い当たる。更に、セドキアからの船が大量にこの港を目指していればもう決定的と言える。
 さらに驚いたのは、その高速艇を撃退するつもりでいるらしいことだ。確かにセドキアの船には軍船らしい船も見受けられるが、決して数は多くない。そもそも、高速艇はそのような軍船を機動力で翻弄するためのもの。このまま輸送船が出港すれば、軍船の隙を突いて輸送船を攻撃される。軍船だけで攻撃を仕掛けに行っても軍船の射程に入る前に逃げてしまうだろう。
 ましてや、沈めずに奪うとなると船自体を攻撃することはできない。乗り込んで乗組員を組み伏せなければ動きを止められないだろう。
「それを……一人でやる気か!」
「それを……一人でやらせる気なの?」
 船よりも先にサマカルドの言葉を戴いてソーニャは物欲しげな顔で見上げた。唸るしかないサマカルド。
「だが。私に何かできることがあるのか」
「相手の船に乗り込めればやれることはいくらでもあるでしょ。それに、あなた一人だけに手伝ってもらうつもりもないわよ。だって、これだけの人がいるんだもの」
 流民たちに目を向けるソーニャ。
 民を巻き込むわけにはいかないと一度は思うサマカルドだが、働き盛りの活気ある流民たちの姿を見ていると戦力にはなりそうだとも思える。サマカルドが決断しかねている間にもソーニャは流民たちに声をかけていた。
「ねえ、あなたたち。アテルシアの兵隊に一発お見舞いしてやりたくない?そこで待ち伏せてるのよねぇ。何とかしないと、安心して出港できないし」
 その言葉に恐ろしく士気が上がる流民たち。その兵隊たちに故郷を追われたのだから当然ではあった。
「もちろん、危ないわよ。覚悟がある人だけついてきて」
 そう言って有志を募ったが、覚悟とも怒りや憎悪とも取れぬ感情に突き動かされ、十分な人数はあっという間に集まるのだった。
 ソーニャは座り込んでいるクレイとエリアにも声をかけた。
「聞いてたでしょ。あなたたちも手伝ってくれるとうれしいわ。もちろん、疲れてるでしょうから無理は言わないけど」
「ぼくは大丈夫だよ」
「あたしも大丈夫です。……でも、何をするんですか」
 エリアも女の子、あまり荒っぽいことはしたくない。
「転移ゲートが使えるみたいだし、いい作戦があるわ。あなたたちはゲートを開くだけ。……どちらかがアテルシアの船に忍び込む必要があるからちょっと危ないかもしれないけどね」
 それでも、自分たちは直接戦う必要はなさそうだ。話を聞いてみることにした。

 港から船が出港した。まだ公海にも出ていないが、アテルシアの高速艇が近付いてくる。他国の領海上で小競り合いを起こしたと知れると後々ワムンセルフォムと揉めそうではあるが、そんなことを気にしていられるほどの余裕もないのだろう。だが、とっとと方が付いてくれるならこちらとしても好都合だ。
 こちらは中型の輸送船一隻と小型の軍船一隻。アテルシアの高速艇側は、自分たちが待ちかまえているとも知らずに出航した……そう思っていることだろう。高速艇は夜陰に紛れて気付かれないぎりぎりくらいの距離を保ちながら追跡してくる。よもや自分たちの存在が丸バレであるとは思っていない。昼間のうちに千里眼の魔法道具で高速艇の一団を見つけて魔法の目印を付けてあるので、その動きがソーニャには手に取るように分かる。高速艇は総攻撃をかけるつもりらしい。一網打尽にするのになんと都合のいいことか。ソーニャはすでに作戦の大成功を確信して笑いが止まらないのだった。
 高速艇が速度を上げた。動き始めたようだ。軍船と輸送船は速度を落とす。それと同時にクレイとエリア、そしてソーニャの詠唱が始まった。
 感付かれたと思ったか高速艇も一度は速度を緩めたが、今更気付いても遅いと言わんばかりに再度速度を上げ始める。だが、すぐにまた速度を緩めた。
 彼らの目指す輸送船と軍船は少し高いところに浮いていた。宙に浮いているわけではない。船の浮いている海面が少し高いのだ。船の下の海面がなだらかな丘のように盛り上がっている。
 高速艇の推進力なら、海面に出現した丘を駆け上るのは容易だ。だがそれが問題ではない。
 よくないことが起こる。そう思い、高速艇は一斉に向きを変えて離れ始めた。だが、それこそもう遅かった。
 盛り上がっていた海面がゆっくりと本来の高さに戻った。そこを中心に大きな波が同心円に広がり、高速艇を襲った。輸送船と軍船も反動で上下に動く海面に揺さぶられたが、船の大きさ故に影響はそれほどでもない。しかし小さく軽い高速艇は次々に打ち寄せる波に翻弄された。その軽さと小ささ故あっさりと沈むこともなかったが動くこともできない。
 船内で機を待つ流民達も揺れによろめきぶつかり合ったりしたが、高速艇の乗員達はそんなものではない。壁に叩きつけられたかと思えば反対の壁に向かって落ちていく。
 程なく波は収まったが易々と体勢を立て直せる状態ではなかった。そんな中、高速艇の一団に忍び寄る影。いや、影などない。半ば雲に隠れた半月の微かな明かりの中、間近でも目に見えない姿が空から降りてくる。
 ソーニャから借りた姿を消すマントをまとったエリアだ。一番最初にこっそりと乗り込むこの危ない役目はいかにも男の役目で見せ場でもあるのだが、ソーニャの脱ぎたてマントを借りねばならない辺りがクレイに任せてしまうにはよろしくない気がしたのでエリアがこの役目を買って出たのだ。
 狭苦しい甲板には誰の姿もない。元々風を切って海面を駆け抜けるような船、甲板に出るような船ではない。それに甲板に出ていたとしても先ほどの波で流されるか振り落とされるかしていることだろう。そういう不幸な人がいないことを願うばかりだ。
 エリアは悠々と甲板に降り立ち、詠唱を始めた。転移ゲートが開かれる。向こう側からは材木や農具で武装した流民達がなだれ込んできた。軍隊と戦う装備としてはあまりにも心許ないが、相手もこれから砲撃をしようとしていたところで乗り込むのはまだ先のこと、武器など手にとってはいない。まして、波に揉まれて床に這い蹲っていては立ち上がるのがやっと。あっという間に叩きのめされ、船は制圧された。
 エリアは次の船に飛び移り、同じように流民達を呼び寄せた。次々と高速艇が制圧されていく。こうして1艘ずつ占領されている事に他の高速艇から気付く方法はない。
 まだ無事な高速艇の乗員がそろそろ体勢を立て直すという頃、再び大きな波が高速艇を襲う。ソーニャ一人で起こした、先ほどの三分の一にも満たない小さな波だ。それでもその先ほどの波で散々な目に遭った乗員は腰を抜かし、そこまで行かなくとも警戒して身動きができなくなった。こうして時間を稼がれている間に残りの高速艇も占領されていくのだった。

「思った以上にチョロかったわねえ」
 縛り上げられたアテルシア兵を見下ろしながら高笑いするソーニャ。その様子を見ながらサマカルドは思う。やはり彼女には聖女ではなく魔女が相応しいと。
 アテルシア兵は言う。
「我々に勝ったくらいで喜ぶのはまだ早いぞ!程なく戦艦スパトニスが応援に駆けつけてくる。その時こそお前らは終わりだ!」
 その動きはソーニャの知るところではなかった。高速艇には魔法の目印が付けられてはいたが、付けたのはほんの数艘だ。目印のついていない高速艇が密かに仲間を呼びに行っていたということだ。
 サマカルドは思う。この一言のせいでスパトニスの接近は我々の知るところとなり、奇襲はできなくなった、と。こいつが自分の部下なら殴り飛ばしているところだ。
 戦艦スパトニスは中型の戦艦で、外洋の哨戒に当たっている。呼び寄せるには一番近い場所にいただろうし、動きも軽快だ。戦闘能力はさほど高くはないが、油断できない相手になるだろう。
「今からならば追いつかれずに済むかもしれないな」
 サマカルドは出発を急ぐように促すが、ソーニャはかぶりを振った。
「輸送船じゃ逃げ切れないわ。それに、ついでにアテルシアの軍艦を沈めておけば帰ってからご褒美が出るもの。むざむざ見逃すなんてもったいないったらありゃしないわ」
 沈める前提で話しているあたり、自信はあるのだろうが……。今度はどんな作戦で行くつもりなのだろうか。

 いくら来るのが分かっているとは言え、この夜の闇の中ではいつどこから来るのかを察知するのは容易ではない。それに対しこちらの位置は大体伝わっているだろうしそもそも相手は哨戒艇、敵船を探す装備は整っている。まして教会の後ろ盾があるならどのような“神秘の奇跡”を起こす魔法道具を隠し持っているやらだ。
 ならば、こちらもスパトニスの位置を探っておくに越したことはない。
 ソーニャが取り出したのはそこらで売っているような鳥のおもちゃだ。その表面には魔法の文様と呪文がびっしりと書き込まれ、水晶やらなにやら重そうな物が取り付けられている。ただのおもちゃのままなら投げればすいすいと滑空していくのだが、これだけ重りがついていてはすぐに墜落するだろう。もちろん、そうならないように魔法で強化した結果がこの姿だ。
「これは守り人の鷹と呼ばれる道具よ」
 その言葉に、サマカルドは素直な感想を述べた。
「どう見ても鳩だ」
「あぁん。だめ、地の色は見ちゃ嫌」
 こんな何気ない当たり障りない発言でこんなふしだらな気分になる反応が返ってくるとは思わず、不意を突かれた。
「そりゃあ、鷹の模型だってあったわよ。でもさ、大きいから重いし。値段も高いし。嵩張るし。何より、地が白い方がいろいろ書き込みやすいもの」
「うむ。事情があったのは分かった。……なんだかすまなかった」
 なんだか謝ってしまうサマカルド。
 クレイやエリアもこのような魔法道具はあまり見たことがない。時計などずっと動き続ける物や大掛かりな仕掛けなどはあったが、島では魔力が十分なので呪文だけで大体事足り、この規模の魔法道具が作られることはほとんど無い。
 一方、魔力の弱いこちらではちょっとしたことのためにも魔法道具があった方が便利だ。使うのは奇跡の力を操る聖者達、奇跡と言うからには大掛かりな準備や大勢による詠唱などを予め済ませておいて一挙動で一気に効果が現れた方が印象的でもある。そしてソーニャもそんな聖者達の端くれ、魔法道具の扱いは慣れていた。
 そこら辺で買える材料とその元の姿が丸見えの手作り感・即席感あふれる魔法道具は、その見た目通りソーニャの手作りだ。偵察用で、空に大きな円を描いて飛びながら取り付けられた水晶の目玉に映った映像を術者に送ってくる。
 この道具を使うのもやはり魔力が強い方がいい。さっきはエリアの方がおいしい役目だったからという理由で今度はクレイが選ばれた。エリアとしては特においしいという感じはしなかったのだが。
 クレイはソーニャに使い方を教わり、その通りやってみる。自分を術者として記憶させ、魔力を注ぎ込み、守り人の鳩に仕込まれた魔法効果を発動させる。簡単に作った物なのでその分使うには少し手間がかかるようだ。
 準備は整い、クレイは魔法を発動させる呪文を唱えた。
「うわっ」
 風が巻き起こり、クレイの服が派手に捲れあがった。それをみたエリアは思う。先ほど少し危険な役目を買って出た甲斐はあった、この役目が自分じゃなくてよかったと。自分なら丸見えである。
「ほら、掴んでちゃダメよ。飛ばさなきゃ」
「あっ。うん」
 クレイが手を離すと鳩は自ら巻き起こした魔法の上昇気流に乗り、錐揉み状態で闇空に吹っ飛ばされていった。些か、風が強すぎるようだ。
 守り人の鳩は最初に飛び上がる時、術者の魔力を借りて上昇気流を呼び空に舞い上がる。後は取り付けられた水晶玉から少しずつ放出される魔力と辺りの魔力で同じく上昇気流を起こして高度を維持するのだが、その最初の飛翔だ。上昇してクレイから少し離れると丁度いい魔力になったか体勢も安定し、海上を悠々と飛び始めた。
 クレイの脳裏には鳩に取り付けられた水晶玉に映る海上の様子が映っている。朧な月と微かな星でぼんやりと光る空、深い闇を湛えた海。その海にも疎らに星のような光が散らばっている。船の灯りだ。漁船、貨物船、客船。いくつもの灯り。中には灯台や離島の民家の灯りもある。正直、クレイが見ていても犬が星を見るようなものだ。
「どう?見えるでしょ」
「うん。見えるよ。見えるけど……」
 その言葉を遮るようにソーニャはエリアに向かっていう。
「クレイちゃんが見てるもの、見たくない?見たいでしょ」
「ええ、まあ」
 ちょっとだけ、見たいとは思っていた。そこに来てちょっと断りにくい感じで誘われ、エリアは何となく曖昧に返事をした。
「こうやって頭に手を置いて幻視の呪文を唱えるとクレイちゃんの見ている物が見えるの。ほら、やってみて」
 頭に手を置くというのが少しハードル高いが、今更断りにくい状況だ。仕方ない。エリアは渋々クレイの頭に手を置いた。そして、教えられたとおりの幻視の呪文を唱える。
「どう?見えた?」
「はい、見えました」
 エリアにもクレイと同じ映像が見えてる。いや、唱えた呪文から察するにクレイの魔力で作られた映像はエリアの魔力で幾分くっきりと鮮明になっているはずだ。
「じゃあ、私も見せて貰うわよ」
 ソーニャはエリアの頭に手を置いた。エリアは気付く。自分は映像の増幅器として使われたことに。何にせよ、ちゃんと映し出されている映像を役立てられそうな人に見てもらえるのは安心できる。
「うわお。夜なのにすっごぉい、こんなにくっきり見える」
 夜なら鳥目よろしく闇しか見えなくなるところだが、月明かりに浮かび上がり波まで見える。船の灯す明かりを頼りに探そうと思っていたが、これなら船の姿そのものを探せそうだ。
 海上を行くいくつもの船影。その中に一際綺羅星めいて光り輝く物がある。流民達を乗せた船を探し幾筋もの光を遠くの海面に投げかける戦艦スパトニスだ。

 スパトニスは思ったよりも近くに迫っていた。この様子ではまだ積み込みが行われている船が港を出て程なく遭遇するだろう。ならば、ここで待ち伏せるのも手だ。
 スパトニスを迎え撃つ作戦もクレイとエリアの力を全面的に借りる前提で立てられた。ソーニャもすっかり軍師だ。魔法に関する作戦など魔法を知らぬ者に立てられるはずもなく、当然の結果だ。
 しかし、ソーニャにとっても出会ったばかりのクレイとエリアの実力は未知数。使えることがはっきりしている魔法を中心に作戦を立てることになる。またしても転移ゲートの出番だった。
 スパトニスの前方に軍船に護衛された輸送船がいる。逃げる輸送船、追うスパトニス。
 スパトニスは行く手にいる船舶に最大限の注意を払っている。後方は疎かだ。逃げる民間人を追っているのだから、背後からの襲撃など注意していなかった。まして、目標を見つけたとあれば注意はさらに前に向く。そこを容赦なく突くのだ。
 奪い取った高速艇で背後から近付く。スパトニスは小さく素早い船の接近にまるで気付かない。
 スパトニスは軍船の死角に回り込み、輸送船に横付けした。縄を掛けて兵士を送り込む。兵士達は一気に甲板を駆け抜け、船内への階段を降りていく。
 階段は暗く、狭いのに樽まで置いてあり一気に大勢で降りられない。その先には微かな光が見える。光を目指す兵士達。
 闇の中で先頭を行く兵士が短く声を上げた。何かが起こったことを察して後続は足を止めたが、さらなる後続に押されて踏み出してしまう。
 まるで、地面がないかのような感触。足は空振りしたが尻をしこたま打ち付けたことで地面があることは間違いない。だが、体は奈落の底に吸い込まれていく。
 階段は凍り付いていた。階段が凍っているだけという生易しい凍り方ではない。段差は氷できれいに埋まり、滑らかなスロープになっていた。凍った部分は明かりが届かずまったく見えなくなっているので、滑り落ちた兵士達もなにが起きたのか知りようはない。
 最後尾の何人かは異常に気づいて踏み留まった。だが、その背後からゴンゴンといういかにも不吉な音が迫っていた。兵士達が甲板からの微かな光の中に見たのは、階段を転げ落ちてくる樽と、階段に置かれていた樽を蹴り倒す人影。
 迫り来る樽を目にした最後尾の兵士は慌てて階段を駆け下りようとし、前にいた兵士達にぶつかってまとめて突き落とした。闇に消える兵士達。当の本人はぶつかったことでそのまま落ちずには済んだが、樽に跳ね飛ばされて結局落ちるのだった。
 樽を蹴り落としたサマカルドは「ひどい作戦だ」と吐き捨てると、そこから立ち去っていった。
 階段はそれほど長くもなく、転がってきた樽も中は空で重くはなかった。兵士達にも大きな怪我はない。
 階段の氷もソーニャの強力とは言えない魔法で無理矢理固めたような氷でそれ故に表面はしっかり固まらずつるつるとよく滑ったのだが、魔力が切れると水風船が弾けるようにあっという間に溶けてなくなった。このまま死ぬまで閉じこめられるかと不安なひとときを過ごした兵士達は我先に階段を駆け上った。途中足が滑り、再びあの恐怖が甦るかと戦慄く一幕もあったが、ただ濡れているので滑りやすかっただけだったという。
 兵士達が甲板に出てスパトニスから掛けた縄を探す。繋いだ場所は見つけたが、縄は切れていた。スパトニスが離れたためだろう。海上にスパトニスの姿を探すが見つからない。
 いや、見つけた。
 船首を空高く聳えさせ、船尾は半ばまで海中に没した沈みゆくスパトニスを。

 スパトニスから輸送船に兵士が乗り移った直後。それと入れ替わりでスパトニスの甲板に降り立った者がいた。小さな人影。クレイだ。
 いくら他国の領海上で攻撃を仕掛けるほどに破れかぶれとは言え、さすがにいきなり大砲をぶっ放して船を沈めようとするほどの無茶はしないだろうと言うのがサマカルドの見解だった。港との距離を考えると目立ちすぎる。そんなことをしてアテルシア国民に知れれば、間違いなく更なる反発を生む。まずは目立たないように輸送船に乗り込んで制圧することを試みるはずだ。
 その読み通り、スパトニスは輸送船に横付けし兵士達を送り込んだ。もちろん、輸送船も軍船も囮だ。しかも、ソーニャが悪趣味な罠を張ってほくそ笑みながら待ち受けている。
 何も知らない兵士達が意気揚々と輸送船に乗り込んだところでクレイの出番だ。こっそりとスパトニスの背後につけていた高速艇から飛び上がる。
 甲板に降りたクレイは何ヶ所か気密扉を開け放ち、高い上部構造物の屋上に飛び乗る。乗員達の船室があるところだろう。
 その上で、クレイは転移ゲートの呪文を唱えた。今までに見たこともないような特大のゲートが開いた。ここ最近この魔法ばかり使っているせいでかなり上達したこともあるが、それ以上に反対側の距離が近いことが大きいのだろう。開かれたゲートからは大量の水が噴き出してきた。
 反対側のゲートを開いたエリアはクレイが乗ってきた高速艇にいた。開いたゲートはすぐ側にいるエリアにも見えない。ゲートがある場所に向けられた目に映る物は、黒々とした海面。ゲートは海の中だ。エリアの見据える海面は波に隠れて分からない程度に凹んでいる。ゲートには海の水が流れ込み、クレイ側のゲートから溢れ出ている。
 水は甲板に広がり、開かれた扉から船内にも流れ込んだ。外での異常に気付いて迂闊に扉を開けた船員達により水はさらにスパトニスの奥へと入り込む。それと入れ替わりに船員達が慌てふためきながら甲板に飛び出してきた。
 ゲートは閉ざされ、クレイは一旦船の上から撤退する。船は大騒ぎになり、次々と乗組員が甲板に逃げてきた。
 スパトニスの大きさから比べれば入り込んだ水の量は大したことないのだが、船底に穴が開いて下から水が入った時と違い上の部分に集中的に水が溜まっているせいで上が重くなり、船はとても不安定になった。波でスパトニスは大きく揺れる。実際以上に危機的状況に感じられた。
 大混乱のスパトニス船上に、クレイが戻ってきた。そして、ゲートを再び開く。
「もうこの船は沈んじゃうよ!さあ、ここから逃げて!」
 いくら害の無さそうな子供の言葉とは言え、どこに通じているか分からない魔法の穴になど怖くて入れるわけがない。しかし、その気持ちが大きく揺らぐ出来事が起こる。船上に火の手が上がったのだ。
 すっかり濡れそぼった甲板に燃え移るほどの火ではなく、そもそも燃え移りにくい魔法の炎だったが、パニックになった船員の尻に火を着けるには十分だった。度胸があるのかないからなのかは分からないが、乗組員のうち何人かがゲートに飛び込んでいった。
 飛び込んだ船員達を待ち受けていたのは武装した流民達だった。武装と言っても木の棒や農具・工具のような物だったが、丸腰の船員はもとより少数で逃げ込んだ兵士も抵抗できない。その気になれば一人か二人は道連れにできるかも知れないが、民間人相手にそこまでの覚悟はできなかった。それに、民間人だからこそ容赦なく殺すようなことはしないだろう。町ぐるみで故郷を追われた怒りの程によっては容赦の出る幕はなくなるかも知れないが、望みは十分にある。その望みにかけてあっさりと投降した。そして取り上げた武器で流民達は武装し、後続をさらに絶望的な気分にさせることになる。
 時同じくして、スパトニスの甲板にソーニャが現れた。高笑いとともに呪文を詠唱すると大きな波が巻き起こりスパトニスを揺さぶる。どう見ても恐ろしい魔女だ。この恐ろしい魔女の出現で、残された乗員や兵士達の心も大きく揺れた。得体の知れない穴に飛び込む恐怖に、今この場所に留まることへの恐怖が打ち勝つ。彼らにはもはやクレイが救いの手を差し伸べる愛らしい天使に見えるほどだった。
 スパトニスから人が居なくなった。最後の仕上げだ。ゲートにソーニャが入り、向こうにいるエリアに合図を送る。エリアは再び海中に、そしてクレイも船内にゲートを開き、水をたっぷりと流し込んだ。船は傾きだし、ついには横倒しになった。クレイも間一髪逃げだし、その後ろでスパトニスは藻掻くように船首を天に向けながら、無傷のまま海中に没していった。
 その頃、沈みゆくスパトニスの姿を呆然と見つめる輸送船に乗り込んでいた兵士達の背後で恐ろしい咆哮があがった。振り返ると、巨大な狼の姿。
 兵士達は逃げまどい、疲れ果てたところで流民達に船の中に引きずり込まれていった。

 後日、この出来事の知らせはアテルシア軍全体に届いた。ワムンセルフォム領海上で戦艦スパトニスを含む9隻が消息を絶ち、生存者はスパトニスを呼びに行った高速艇の乗組員のみ。他の高速艇と合流しようと待ち合わせ地点に向かうも高速艇の船団はなく、後ろにいたスパトニスも忽然と消失していた。
 ワムンセルフォムの報告によるとその時海上で交戦があった様子はなく、またその時間流民達の船はまだ港で荷を積んでいるのを確認されていたため、ただの事故だろうとのことだった。その船のうち二隻ほどが海上に出ていたことには面倒事に巻き込まれたくないワムンセルフォムの雑な調査では判明しなかった。
 アテルシア軍では魔法使いの仕業であることは揺るぎないということで纏まったが、その被害の大きさに戦意は発揚されるどころか萎縮し、とっとと国外に逃れてくれたことに皆密かに安堵するのだった。


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