マジカル冒険譚・マジカルアイル

24.女難の男達

「クレイちゃん。行きましょ」
 ロッフルに声を掛けられ、クレイはびくっとした。嫌ではない。嫌ではないのだが、ちょっと怖いのだ。何か素敵なことが起こりそうでそれはわくわくするのだが、何かちょっと怖いのだ。
「それなんだがな」
 テラーファングが口を挿む。
「悪いが、流石に疲れた。一回休ませてくれないか」
 いくら体力のおかげで安定していて乗せやすいとは言え、ザイーはその体力を生み出す筋肉の分、ロッフルより重い。そうでなくても人二人を乗せて走るのは予想以上に体力を使う。テラーファングの体が悲鳴を上げていた。
「ならば、また私が連れて行こう」
 これで女に絡まれずに済むとほっとするサマカルド。そして、クレイもまたほっとした。サマカルドはどうせ出先に転送されてきた女二人に結局絡まれることになるのかも知れないが、女が二人セットになっていれば女同士で喋る方に勤しむだろう。
 港町は近付いている。早く到着したいところだ。

 日が傾いてきた。港町も目の前と言うところまで来ている。今日はここらで休息し、明日の朝港を目指すか。それとも夜になるのを押してでも港町への到着を急ぐべきか。
 体力の有り余っている若者達だ。荷物を担いで歩き続けているとは言え、さらなる行軍も厭う気はない。クレイとエリアも二人きりで逃げ回っていた頃よりはずっと楽な旅路。このくらいはへっちゃらだという。ただの強がりという様子でもない。
 今夜中に港町・ニーゼルアルブンを目指すことで話が纏まった。そして、誰かが一足先にニーゼルアルブンに向かい、現地で彼らの到着を待っているだろうセドキアの船を探し、話をつけなければならない。そのような重要な役目は隊長と呼ばれているサマカルドに至って自然な流れで押しつけられることになる。
 クレイを運ぶ役目はテラーファングに任せればよい。サマカルドも大手を振って一人になれる。
 実際、新聞記者のハーブラーからはアテルシアの高速船が待ち伏せているという情報が入っている。状況は確認しておかねばならないだろう。その辺は伏せつつも危険がないか見極めるのも自分の役目のうちだなどと嘯きながらそそくさと一団から離れた。
「しかし、後ろを守る奴が誰もいなくなっちまうな。今まで追っ手は無かったし、大丈夫だとは思うがね」
 誰となしに言うテラーファングにザイーが言う。
「エリアちゃんの安全くらいはあたし等が守るわ。穴が繋がれば向こうからもあんたを呼べるしね」
「あんたがいなくなればエリアちゃんに危険はないでしょ」
 ロッフルも横から口を挟んだ。
「言いたい放題言ってくれるじゃないの。俺に跨ったときは覚悟しておけよぉ。揺すりまくってやる」
 実際そんなことをしたらかなり疲れるだろうからやりはしないが。
「ほらほら、隊長の背中が見えるうちに出ようぜ。追い抜いてやる」
 テラーファングは狼の姿になった。ロッフルとクレイがその背に乗る。
「ロッフルも軽口を叩くようになってきてるし、あんたに気を許してきてるみたいね。でもだからって変なことしちゃだめよ」
「しないっての。信用ねえなぁ」
 そう言い残し走り出すテラーファング。もう届きはしないが、その後ろ姿に向けてザイーは呟く。
「心配はしてないわ」
「私は心配ですぅ」
 エリアが心配しているのはロッフルの身ではないだろう。そのロッフルがクレイに牙を剥かないかが心配なのだ。
「あの……なんて言ったかしら。ラフェオックだったかしらね」
「テラーファングさんのことですか?」
「そう呼べばいいの?あの人がついてるんだからあまり変なことはしないでしょ」
 エリアの想像が及ばないレベルの変なことは心配ないのかも知れないが、すでに先ほど誘惑としか言えないやりとりがあったと聞いている。テラーファングも笑って済ませる程度であれば焚き付ける側に回りそうな気がする。もしもクレイがロッフルに落とされてエリアの前でいちゃつくようなことになったら……間違いなく、腹が立つだろう。

「ねえ、クレイちゃん。さっきザイーと一緒だったときの乗り心地はどうだった?」
 当のロッフルはクレイに嫉妬心剥き出しの質問をしているところだった。
「えっ。ど、ど、どうって」
 とても分かりやすく狼狽えるクレイ。
「おっぱいに挟まれて楽しかった?」
 痺れを切らして言い方がストレートになるロッフル。クレイとしてはますますコメントに困るわけだが。テラーファングはそれを聞いて浮気を詰っているようだと思う。実際、ロッフルにしてみれば浮気されてるような気分なのだろう。
「楽しんでる余裕なんか無かったよなぁ。胸に挟まれて息をするのがやっとさ。おかげで俺に彼女とゆっくりおしゃべりするチャンスが回ってきたぜ」
 テラーファングの……これは助け船なのだろうか。とりあえず、テラーファングには助けるつもりは皆目無いようだが。
「あんたの胸くらいなら隙間も多くていいんじゃないか。挟んでやれよ、うひゃひゃひゃ」
 すでにフられているのでレディとしての気遣いも無しだ。ロッフルも今更そのくらいで騒いだりもしない。ただ、クレイが困るだけだ。
「手が届かないのよ」
「二人まとめてロープで縛り付ければいいんじゃないのか。荷物みたいによ」
 クレイが短くうえっと声を上げた。そんな反応に見て見ぬ振りしてロッフルは言う。
「んー。それ良さそうね」
「いいのかよ」
「だってこうやって掴まってるのだって楽じゃないもの。縛りつけられれば何もしなくても済むじゃない」
「しっかり縛り付けられてりゃ落とす心配はいらないしな」
 テラーファングも同調し始める。クレイは無言で首を振り始めるが、テラーファングの背に乗ったロッフルの後ろでのこと。誰も見ていない。
「いいことずくめじゃない。次はそうしよう」
「お生憎だが、そろそろ港につくはずさ。俺だってそんなに走りたかねえよ。次なんてあってたまるか。次の順番があったとしても坊主一人だけ乗せていくね」
「あ。意地悪」
 人知れずほっとするクレイだが。
「これが最後なら絶対クレイちゃん前に乗せる!今から乗せる!」
 ロッフルはわがままを言いだした。
「ロープなんてねえだろ」
 しかし、女のわがままに答えたくなるのは男の性。それは言い過ぎだとしても、少なくとも女好きの男の性だ。人の姿に戻り、腰を据えて知恵を絞りアイディアを出してやる。
「この状況なら服をロープ代わりにするしかねえだろ」
 しかし、季節がらもありロッフルは脱げるほど着込んでいない。おまけに服は見るからに薄っぺらくて丈夫そうではない。
「ちっ。口車に乗せて服を脱がせようと思ったんだがね」
 テラーファングは本気なのかどうなのか分からない発言をした。
「脱ぐのなんて構わないのよ。でもこの服お気に入りなの。着られなくなったら困るわ」
 一方、ロッフルは割と本気らしい。
「そう来たか。んー、そうねえ。坊主、お前のズボンなら丈夫だし長さも十分だろ。貸してやっちゃあくれないかい」
「えええっ!?なんでさ」
「いいじゃねえか減るもんじゃなし。ほらとっとと脱げ」
 力ずくで脱がしにかかるテラーファング。
「あんた、今までも何人もの女の子にもそうやって……」
「男にしかこんなことしねえよ。あんたのためだ、手伝え」
 ロッフルも手伝いクレイのズボンをはぎ取った。
「今更だけどなんかひどいことをしてる気がしてきた。……ごめんね」
 謝っても手遅れだろう。
「男だけなら別にいいんだけどさ。女の人と一緒なのがやなんだよう」
「あんたということが逆よね」
「俺が女の前で脱ぎたがってるようなこと言ったってのか。言ってないから、少なくともまだ!」
「これから言うんでしょ」
「少なくともあんたにゃあ言わねえよ。ほれ、いいからとっとと背中に乗れ」
 テラーファングは狼の姿に戻った。
「うひゃあ。脚がチクチクする」
 太股露わにその背に跨ると毛先が突き刺さった。だが、それはクレイに限ったことではない。ロッフルはクレイを誘惑するためだろう、季節的にもまだ少し早すぎるような薄着だ。ズボンも短めで、ずっと脹ら脛にはチクチクしてきたはずだ。ロッフルがそれを耐えてきたのだから、男としてこのくらいで音は上げられない。
「あたしの服、使う?貸したげる」
「えっ。別にいいよ」
 さらに薄着になった体を押し当てられては堪らない。だが、現実はクレイの想像の斜め上を行っていた。あろうことかロッフルはズボンに手をかけていたのだ。穿けというのか。
「い、いいよいいよいいよ」
 全力で拒絶するクレイ。
「そう?」
 ロッフルはズボンから手を離した。ほっとするクレイ。なんて疲れる人だろう。クレイは思う。テラーファングさんみたいにスケベになれたらこんなやりとりも楽しいんだろうな、と。この思いを言葉にしていたなら、俺を変態扱いするんじゃねえと怒られるところだ。
 むしろ変態はロッフルであり、彼女の攻勢は解かれてはいなかった。
「ねえ、クレイちゃん」
 声を掛けられただけで嫌な予感しかしない。
「どうせ紐で体が固定されるんだからさ、こっち向いて乗ろうよ」
「ええっ」
 それがどういう事かクレイは冷静に分析してみる。当然、ロッフルの方を向いて乗ればクレイが掴まるのはテラーファングの背や首ではなくロッフルの体になる。抱きつけと言うことだ。
 さらにはクレイの体が落ちないようにロッフルは自分とテラーファングの体の間にしっかりとクレイを挟み込むことになる。
 先ほどザイーにやられたが、首筋を胸で挟み込まれて何とも言えない気分になった。今度は顔を胸に埋めることになるのか、それとも頬を擦り合わせることになるのか。
 何よりも困るのはそんな状況でズボンを穿いてないことだ。クレイもまだまだ子供だが、男として体はそれなりの反応をする。薄い下着だけではそれが丸バレだ。
「やだよ、普通でいいよ普通で!」
 当然、クレイは全力で拒否した。
「なんでよ。いいじゃないの。そんなに変わらないでしょ」
「違うよ!全然違うよ!」
 さらに何か言おうとしたロッフルの目の前に、体を捻ったテラーファングの鼻先がつきつけられる。
「いいから、とっとと乗りやがれ。……な?」
「……はい……」
 狼の顔で凄まれては従うしかなかった。

 目的地に着き、クレイは無事ロッフルから解放されズボンも穿いた。
 ロッフルのやりたい放題を最初は面白がって見ていたテラーファングもさすがに苦言を呈する。
「あんたさ。坊主が好きなのは分かるが、相手はまだおこちゃまなんだぜ。女を弄び慣れた下世話な好色男ならともかく、あんまりグイグイ迫っても引かれるぞ」
 クレイにロッフルが迫っている状況に問題は感じていないようだ。
「いいの。愛されないのには慣れてるから。私はただ愛したいだけ」
「最初から愛されない前提か。愛する男に自分も愛されたいと思うのが普通だろ。ゆっくり愛を育てていこうとかさ、思わないのかい」
「できたらいいなとは思うけど。私とあの二人は目的地が違うじゃない。開拓地がクレイの通り道にあればそこまでは一緒に行けるかもしれないけど、早ければ船があっちの港についたらお別れでしょ」
「まあそうだな」
 クレイたちが行くべき場所はまだはっきり示されていないが、おそらくセドキアの首都ホリア・ゼネドキリアになるのだろう。一方、開拓地はセドキア内陸の山間。港についたら陸路での移動になる。
 開拓地からもっとも距離の近い港で降りるとすればクレイたちの船旅はもう少し続くことになるかもしれない。そうなればそこでお別れだ。二人が開拓地までの移動を手伝うことになったとしても、このペースで移動できるのなら一緒にいられる時間が数日延びるだけ。到底ゆっくり愛を育てられるようなものではない。
「それにしたって体で迫りすぎだろ」
「なによ。やってるのはザイーと同じようなことなのに」
「やってることは似てても坊主に求めてるものが違いすぎんだ。ザイーはガキのクレイにガキとして接しているが、あんたは男と女として接しているだろ。押しつけようとしてるものが母性か女性かって違いさ。まだ男になりきれてねえガキに男を求めるもんじゃねえよ」
「私、男を求めてるかなぁ」
「気の引き方が完全に色仕掛けだぜ。ザイーの場合は男勝りをアピールしようとした結果で坊主を胸で挟み込んじまったが、あんたは最初から胸を押しつけるのが目的だったろ」
「そんな!クレイちゃんが楽に乗れるようにしたいって気持ちもちゃんとあったもん」
「……も?」
「え?……あ」
 そっちはおまけだと言っているようなものだった。
「嘘のつけない女は嫌いじゃないぜ。なんにせよ、ザイーのやってる母親のまねごとは母親の経験が無いあんたにゃ早かったんだろうさ。……実はザイーと同じで子供を亡くしてるなんて事はないよな?」
 言ってからその可能性もあることに気付いて尋ねてみた。
「……子供を産んだことはないわ」
 少し間があって、暗い表情になるロッフル。何かはあったようだ。しかし、わざわざそこをつついてみるほど野暮ではない。
「そうかい。それならば、子供をからかって遊ぶ前に子育ての経験をしておくことだな」
 ロッフルの顔が警戒で満ちる。
「俺の子種を仕込ませろって話に持っていくわけじゃねえって。安心しな。そもそも、ザイーの前じゃあんな事を言いはしたがな、この体は子供を作れねえんだよ」
「そうなの?」
「ああ。こうやって中途半端ながら人間の姿をしちゃいるが、この体は狼の借り物だ。子種を仕込んだところでそいつは狼のもの、人間を孕ませることは出来ねえらしい。そう聞いたってだけで試しちゃいねえから本当かどうかは分からないがな。さらに言えば理性で押さえ込んでいるがこの体は狼の本能で動いてんのさ。その本能の中にゃ人間に欲情する本能はねえ。俺の理性の部分が“いい女だ、いい体だ”と思ったところで、本能に支配された俺の体の方はぴくりとも反応しねえのさ。きれいなお姉ちゃんが素っ裸で『私を好きにして』なんて言ってたら、俺の本能はそいつを食おうとするだろうぜ。もちろん、死ぬほど腹が減ってるわけでもないなら、もったいねえから理性で止めるがね」
 本来、テラーファングたちに掛かっているのは人の意識を持ちながら獣の姿で獣の本能に支配されながら生きる苦しみを味わわせる呪い。理性を強くし姿を極力人に近付けたところで本能には抗いきれない。
「何が言いたいのかって言うとな。ケダモノの下半身ってのは言葉のイメージに反してレディには優しいって事さ。あんたが俺の子を産む事態ってのは絶対にねえよ。……むしろ上半身は何をするか分からねえがな、ぐひゃひゃひゃ」
 テラーファングの下卑た笑いにロッフルは冷めた笑いだ。まだ眉を顰めず笑えるだけいい。
「あんたもさ、遊び相手ばかり求めてないでまじめに結婚相手探した方がいいんじゃないのかい」
「やーよ。一生遊んで暮らすー」
「何だよ、人が折角説教めいた話までしてやったってのにそれはよ……。ガキかよ」
「ガキっぽいならさ、あたしクレイちゃんとお似合いじゃない?」
 まだ諦める気はないようだ。
「ガキらしいつきあい方をすりゃあな」
 クレイがもう少し大人なら邪魔だてすることもないのだが。いずれにせよ、クレイが困ったところでテラーファングが困るわけでもない。それに、クレイも男なら今は少し困っても後々いい思い出になるのではないだろうか。これ以上、立ち入る必要はないだろう。

 月明かりの中、麦畑の中をこちらに向かって走ってくる騎馬があった。サマカルドがニーゼルアルブンから戻ってきたのだ。町の入り口でセドキアの使者が待っており、移動の船の準備が進んでいる事を伝えられ、それを知らせに戻ってきたという。
 転移ゲートからエリアが現れ、全員の移動が終わった。
 サマカルドが戻ってきたことでテラーファングはもう人を乗せて走らずに済むと、クレイは女性から解放されるとほっとするが、そうはいかなかった。馬も走りっぱなし、休ませなければならないとのこと。
 クレイはまたテラーファングに乗って先行。今度の同乗者はザイーだ。ザイーはさっさとクレイとともにテラーファングの背に乗り、先ほどと同じようにその体特にそのとある一部を使いがっちりとクレイをテラーファングの背中に固定した。ここまでも手際よく、走り出してからも安定している。多少重いのを我慢すれば走りやすい乗り手だ。
 ザイーが乗って行った時とロッフルの時とではクレイが目的地に着くまでの時間が違う。それにしても先ほどはやけに時間が掛かっていた。明らかに何かがあったと思うのだが、エリアがクレイに聞いても何も言わないし、テラーファングなどはいかにも口が軽そうだがエリアから話しかける勇気はない。ロッフルに聞いてみるしかない。
「クレイちゃんと一緒に乗れるの、さっきので最後になりそうだったからさ。なんとしても前に乗せたくて、いろいろ試してたの。ザイーばかりずるいもん」
「はぁ。それで、乗せられたんですか」
「うん。ヒモをこんな風に狼さんの首に回して、ぐぅーって」
 ジェスチャーを交えて説明するロッフル。
「ええっ。それ……テラーファングさんの首、締まりません?」
「大丈夫だったわよ。首、強いんじゃないの?……ああ、そういえばそんなに細いヒモじゃなかったもんね」
「何のヒモ?」
「クレイちゃんのズボン」
 一瞬考えるエリア。
「ズボン脱がしたんですか!?」
「ほかにヒモになりそうなもの、無かったんだもん。大丈夫よ、それ以上変なことはしてないから」
 これだけ変なことをしていれば十分だった。
「もうちょっといろいろしてみようと思ったけど、狼さんに怒られちゃった」
 怒られるレベルの変なことをやらかそうとしていたと言っているような物だった。
「そういえばさ。狼さんって……テラーファングって言うんだっけ」
「そうですね」
「いかにもかっこつけた名前よね。おっかない牙だもん」
 その言い方だとあまりかっこよくはない。敢えてだろうか。
「そういえば、隊長さんってテラーファングさんを別な呼び名で呼んでましたよね」
 やおら話しかけられる隊長さん。横で余りにひどい会話をしていたので気配を消して背景にとけ込んでいたサマカルドだが、巻き込まれてしまった。酷い話題は終わったようで、その最中に巻き込まれてないのは幸いだ。
「ラフェオックか。これは奴が生きていた、人間だった頃の名前だよ。今の奴はいわばテラーファングという狼にラフェオックという亡霊が取り憑いている状態だ」
「なんか酷い言い方……」
 これが正確と言えるのかどうかは分からないが、少なくともサマカルドはそう言うことだと認識している。
「とにかく。取り憑かれているものの名で呼ぶか、取り憑いているものの名で呼ぶか。それだけの話だ。私は取り憑いている方に馴染みがあったのでその名で呼んでいるだけだ。そうでないなら、今を生きている者の名で呼んでやるのが筋だろう。奴は昔の名前で呼ばれたくないようだしな」
「なんでですか?」
「さあな。無様に死んでいった男の名を名乗りたくないか、或いは化け物になり果てた姿を自分の名で呼ばれたくないか」
 サマカルドも事情を聞き出すほど野暮でも、暇でもない。
「でも。それが分かっているのになんで隊長さんは昔の名前で呼んでるんですかぁ?」
「嫌がらせに決まっているだろう」
「はぁ。そうですか」
 真顔で答える割には以外と大人げない理由だった。
「私も嫌がらせで呼んだげよっかな、昔の名前」
 にやけるロッフル。そんなロッフルに、エリアはテラーファングとの距離が縮まっていることを感じ取る。
「ロッフルさん、テラーファングさんと何かあったんですか?」
「んー。まあねー。興味はわいたかな」
「えー。なんでですかぁ」
 いい機会だ。テラーファングにロッフルをくっつけてクレイから引き離してしまおう。こんなに可愛い自分さえ声を掛けてくる男すらいないのに、クレイごときに目の前でいちゃつかれてたまるか。
「似たもの同士っていうか、同類っていうか。同病相哀れむっていうか。そういう感じかな」
 どこら辺がどう似てるのか。考えてみても分からない。聞いてみるしかない。
「あの人ってさあ……」
 ロッフルは声のトーンを落とし、先ほどテラーファングから聞いた話をエリアに耳打ちする。その話の内容にエリアは赤面した。
「なんて話をしてるんですか」
「まだエリアちゃんには早かった?」
「そういう問題じゃありません!……でも、それ本当なんですか?」
「少なくとも本人がそう言ってたのは本当。私を油断させるための嘘じゃなければ……ね」
「へぇ……」
 エリアの中でテラーファングの怖さが一つ瓦解した。いくつもある理由の一つが消えただけなので、まだまだ怖い。ただ、ひとまず男としてエリアに本気で手を出してくることはなさそうだ。
 それはともかく、それがどうロッフルと繋がるのか。ロッフルは小声で言う。
「私さぁ。何人か前につき合った男の子供をおろしてからアレが来なくなっちゃってさ」
「えっ」
「私、もう子供産めないの」
 まだどうすれば子供ができるのか知ったばかりの年頃であるエリアにはついていけない話だ。とにかく、そう言うこともあるのか、としか言いようがない。
 先ほど話しかけられ、その話題も終わって自分に関係のない、関わりたくもない話になってきたが何となく聞き耳を立てていたサマカルドも、これは自分が聞いていい話ではない、聞かなかったことにしようと静かに離脱を始めた。だが、もう手遅れだ。しっかりと聞いてしまった。
 それに、エリアとクレイが開いたゲートに民を誘導するのもサマカルドの役目。民ももう手順に馴れて誘導せずとも勝手にやってはくれるだろうが、だからといって居なくなるのは示しがつかない。立場上、あまり遠くには行けない。結局、二人の話をみっちりと聞かされる羽目になった。
 ロッフルは数年前につき合っていた男の子供を身ごもったが、まだ結婚はできないと中絶を要求され、それに従った。それをきっかけに不妊になり、男との関係もこじれて破局。親との関係も微妙になって田舎を去って町に出てきたそうだ。
 バンフォに来た後もロッフルは何人かの男性と交際。気軽な遊び相手としてすぐに捨てられるような付き合いだったが、すでに傷ついていたロッフルにとっては遊んでくれるだけでもいくらか支えになるような有様。その頃の男たちは今の開拓団の中に居るそうだ。ロッフルとしては再会を懐かしみたいところだが、相手としては相当気まずいらしく、寂しい思いをしているとか。向こうにしてみればいいように弄んで手酷く捨てたような気分だろう。無理もない。
 そんな中、つき合っていた男が二股をかけていたザイーと出会う。立場が立場だけに当初は殴り合いの喧嘩もしたが、子供を亡くしたザイーはロッフルの境遇を知るととたんに優しくなり、結局二人で男を袋叩きにした後、姉妹のように仲良くやっている。ザイーの提案で、交際相手として子連れの男を探しているところだったそうだ。
「でも、町があんな事になっちゃってさ。ホント、男運ないわ」
 別にロッフルの男運のせいで町が焼き討ちにされたわけではないだろう。しかし、確かに男運はないようだ。
 まだろくに恋をしたこともないエリアに延々とそんな気の早い話を聞かせたのも、これからエリアがろくでもない男に引っかかって自分のような人生を歩んで欲しくないからだという。いかにも後付け臭いが、そう言うことにしておいてやろう。
 それはいいとして、巻き添えでいらぬ話を聞かされたサマカルドはどうすればいいのか。遊び捨てて女を泣かせるような性分でもないから悔い改めるべきこともないし、気まずい思いをするだけで全く聞かされ損だった。

 その頃。クレイたちの行く手に微かな光の帯が見えてきた。
「あれじゃないの、目的の港町って。えーと、名前なんて言ったっけ」
「さあな、通り過ぎるだけの町の名前になんざ興味ねぇぜ」
 適当な大人二人。
「ほら、クレイちゃん。町よ、町!」
 そんなことを言われても、クレイは頭を動かして前を見ることができない。
 狼が町に突っ込むわけにもいかない。ある程度町に近づいたらそこからは歩きだ。
 テラーファングも人の姿になり、真っ正面から町の門をくぐる。
「港町ニーゼルアルブンにようこそ、異邦人さん」
 頭の上から声がした。振り返り見上げると、門の上に若い女が腰掛けていた。
「あたしはセドキアの使者よ。だからあたしも異邦人なんだけどね」
 女は歌うように呪文を唱えるとふわりと飛び上がり、クレイたちの前にゆっくりと降りてきた。
「あんたも魔法使いか」
 テラーファングが牙をむき出してニヤリと笑うと、女はぎょっとした。
「さすが、悪い魔法使いの手先になるといろんなのに出会うわ」
「おやっさんのことかい?悪い魔法使いって言うが、あんたにとっても親分なんじゃないのかい」
「そうよ。あっちじゃ悪い魔法使いやってるんでしょ」
 あっちとはアテルシアのことのようだ。
「んー。まぁな」
「あたしはソーニャ、聖女よ。よろしくね」
 テラーファング、そしてザイーの心には同じような思いが去来した。こんな清らかさを微塵も感じない、ショーパブの踊り子のような聖女など居るものか、と。
 ソーニャは下着のような服に薄い透けたマントを羽織っただけの、隠れているところの方がいくらもないような服装だ。化粧も濃く、立ち振る舞いもどこか扇情的。魔女と名乗れば違和感はないのだろうが、聖女だと言われると首を傾げざるを得ない。
 だが、初対面の相手にそんな失礼な本音をぶつけない程度には二人とも大人である。大人ではないクレイは、聖女という聞き馴れない言葉に特にイメージを持っておらず、違和感を抱くこともなかったようだ。
「あなたがクレイ君ね。そして、エリアちゃん。ちょっとお姉さんだって聞いてたけど、思ってたより年上なのね」
「僕とエリアは同い年だよっ」
 つっこみ所の多い発言だったが、クレイが最優先で突っ込んだのはそこだった。一番大きな間違いについてはザイーが訂正する。
「私はエリアちゃんじゃないわ。エリアちゃんならゲートの魔法のためにあっちに残ってる」
「ああ、そう言うこと。……あっちとこっちに一人ずつでその魔法が使えるのね。さすが、すごいわ」
 こちらの聖者と呼ばれる魔法使いにも同じことはできるが、転送先、転送元とも数人掛かりの大魔法になる。聖者たちの力は、島ならば魔法を諦めてただの人として生きることも考える程度の力であることが普通なのだ。
 港で船が待っているそうだが、町の入り口からそこまでは結構な距離があるようだ。ひとまずここにゲートを開いて流民たちを呼び寄せておくことにした。
「それでさ。移民団って何人くらい居るのかしら?さっきの人、詳しい話をする暇もなく行っちゃったからさ」
 その様子を想像して、テラーファングはクックックと笑う。
「サマカルド隊長、あんたみたいな女は苦手そうだもんな。人数は全体だと千人以上居るぜ、何せ丸ごと町一つだからな。これからここにくるのはそのうちの若い衆さ。二百人くらいかな」
「もうちょっと居るわよ。女の子の顔しか覚えてないんじゃないの?三百……四百はさすがにいないかな」
 テラーファングだって、さすがに女しか数えていないなどと言うことはない。それにしても、意外と大人数だった。
「なるほど、先発と後続に分かれてるのね。運びやすくて助かるわ。それにしても、全員乗るかどうか微妙なところね。こっちもさぁ、まさか魔法まで使ってさっさと移動してくるなんて思ってなかったから船を用意するのもてんやわんやよ」
「そりゃあすまなかった」
「謝ることじゃないわ。開拓が早く始まってくれるのはこっちだって助かるんだし。のんびりしてたこっちのお偉方が悪いの。むしろおかげで速い船を出してくれたわけだし、いいんじゃないの。……あっ。ゲート開いた。すごいなー、ねー、通っちゃだめ?」
「邪魔さえしなきゃ構わねえさ、好きにしな」
 テラーファングがそう言うと、ソーニャは嬉々としながらゲートの向こうに消えていった。
「力は確かにありそうだが、あれが聖女ねえ……。せいの字が違うんじゃねぇの」
「教会も人手不足なのかしらね。人柄まで選り好みできないのよ、きっと」
「使者としてよこすセドキアもな。実は厄介払いとか?」
 姿が見えなくなった途端言いたい放題だ。
 ソーニャの消えたゲートから流民が出て来始めた。目の前に現れた町のゲートに安堵や歓喜の声が出る。
 夜も更けてきたが、若者たちにとっては宵の口。最後の移動に向けての気力は十分だ。

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