マジカル冒険譚・マジカルアイル

23.その背に揺られて

 サマカルドにとって待ち望んだ出発の時間がやってきた。
 若者たちは賑やかにはしゃぎあい、じゃれあっている。つい先日までのいかにも流民の群れといった重苦しい雰囲気はすっかり消え去った。ロゼフたちに任せた老人や子供を含む一団は、より重苦しい雰囲気になっているのだろうか。
 正直、サマカルドとして見ればそちらのほうにつけばよかったと思う。世代は同じなのだが、ノリが違いすぎてついていけないのだ。
 その一方で、これまでの旅路に辛いことも多く沈みがちだったクレイとエリアの表情はすっかり明るくなり、そこらへんの子供と何ら変わらなくなった。二人には悪いが、今日も馬車馬のようにこき使うことになる。港町への路程は半ばを過ぎ、数日以内に辿り着けるはずだ。その後の船旅ではゆっくりさせてやれることだろう。それまでは頑張ってもらうしかない。
 サマカルドに新聞屋のハーブラーが近付いてきた。近頃は流民たちの追跡ドキュメントルポを書き溜めているらしい。この男は故郷を焼き払われた怒りや国の不正を暴くという正義感よりも、自分の貴重な体験を文字にすることを最優先にしている節がある。真実を伝えたいという使命感だと言えなくもないが、自己顕示欲の方が強そうだ。自分が死んだことにされたことも、これで自分の名が知れ渡ったなどとと考えていそうだ。
「隊長さん、速報……いや、伝令が入ってますぜ」
 とうとう民間人にも隊長と呼ばれるようになったか。心の中でそう呟きながら、無表情で話を聞く。
「ええとですな。移民団の本隊にアテルシア軍の追っ手が接触したそうですぞ」
 重大なニュースを世間話のノリで語るハーブラー。
「なんだと。それで、彼らは無事なのか」
「それはもちろん。我らは今やセドキア国民。そしてこの国は第三国ですからな。手出しをすると言うことはすなわちワムンセルフォム領で戦争行為に出たということになります。そうなればワムンセルフォムが戦争に巻き込まれることになり、二国間の関係悪化は必至です。そんなことを言ってやったらすごすごと引き下がったそうです」
 その結果を知っているからこその軽さだったようだ。
「セドキアの兵か」
 民や元アテルシア兵にそんなことを言える人物はいないだろう。
「ええ。今もアテルシアに従ってあまつさえ他国でまで流民を追い回しているような兵士は、端から全て知っていて従っていた連中ですからな。自分たちに正義がないことくらい理解している。更に、万一これを機にワムンセルフォムがどちらかに肩入れするとしましょう。その場合、どちらにつくか。余所の大陸の教会の言いなりになって横暴を続けてきた挙げ句国民に反乱を起こされた小国に肩入れなどしませんわな」
「アテルシアは隣国からそんな風に思われているのか」
 無論、そのような話は民にも、そして腹心を除く多くの兵士にも届いてはいない。
「ええまあ。しかし、客観的に見ればそんなものでしょう。……ただ、だからといってワムンセルフォムがセドキア側につくこともないってことですが」
「そうなのか」
「ワムンセルフォムが隣で長らく戦争していても中立でだんまりを決め込んでいるのは、ひとえに関わりたくないからですよ」
「ワムンセルフォムからは結構な額の軍資金援助を受けていたはずだが」
 少なくとも、そう聞き及んではいたのだが。
「そんなの隣が応援しているって見栄を張りたい政府のハッタリですわな」
 魔法使いの仕業に見せかけて略奪を行ってきたのだから、その分の収入についても何らかの理由をつけておかねばならない。その点において、他国からの支援と言う口実は使いやすい。
「この国の情勢についてはここの記者さんなんかからも話を聞いてますがね。とにかく、関わりたくないって言うことですよ」
「我が祖国も嫌われたものだな」
「今でもあの国がお好きですか?」
「……いや」
 元国民、まして国に従ってきた兵士に嫌われているのだ。隣国という立場においてをや。
「そうでしょう。国の実状なんてのは中から見るより外からの方がよく見えるんです。あの実状を見ていればそりゃあ関わりたくなんかありません。セドキアの兵士さんの話じゃあ、セドキアもアテルシアをあっと言う間に攻め滅ぼしてしまわないのは自分たちの得にならないからだそうですな。アテルシアの後ろにいる教会ってのがどれほどの力を持っていてどう動くか全く分からんのです。セドキアですらそうなのですから、ワムンセルフォムなんてもっと慎重になるわけですよ。セドキアよりも教会のことを何も知らないんですからねぇ。敵対したら大陸中の軍隊を率いて攻めてくるかもしれない。肩入れしてもそのまま首脳陣が籠絡されてアテルシアみたいになるかもしれないってね」
「セドキアも教会とやらのことは把握できてないのか」
「そうらしいですな。そもそも、我々が教会と呼んでいるものはあっちの大陸で広く信じられている主要な宗教の最大宗派ですわな」
「うむ。メリル聖教と言ったな。この大陸には関わりのない話だと思っていたが」
 よもや大陸からもっとも遠く離れたアテルシアに教会の影があるとは。そもそも、教会の影があるとは言え、教会も布教を行うでもなく、首脳陣を抱き込んで民による魔法使いへの恐怖と憎悪を募らせていただけ。一体何の為なのか。
 メリル聖教は古の聖人メリルが興し、かの聖人を崇拝する宗教だ。善行を重ねれば死後その魂は聖地に導かれ安寧が待つとしている。信徒は教会を訪れて日々の善行を誓い、報告し、悪行を懺悔する。広く信仰されているだけのことはあって当たり障りのない教義だ。
 テラーファングから聞いたことを思い出す。教会には魔法と同じ力である奇跡を操る聖者たちがいるという。つまりは自分たちと同じ力を持つ魔法使いを排除しようとしているのだ。
 いや、生け捕りにしたクレイとエリアは処刑すると見せかけて身代わりを立てていた。そのまま大陸に聖者として連れていくつもりだったのかもしれない。
 何にせよ、全ての黒幕はメリル聖教の教会だ。大陸全土で崇拝される宗教だけに、敵に回さねばならないのであればあまりにも強大すぎる相手となろう。やはり関わらないのが得策なのだろう。
 ハーブラーからはさらにアテルシア国内の情勢について報告があった。新聞記者だけに、ハーブラーのネットワークはこういう話の方が得意だ。
 国内では各地でデモが勃発し、民主化運動が活発化しているという。今まで抑圧されてきた感情が大義名分を得たことで一気に爆発しただけではある。まして、強大な力を持った魔法使いの仕業だと言うことになっていたものが、軍隊の仕業と言うことが明らかになったのだ。これまでも不都合は魔法使いに責任を押しつけ、魔法使いの処刑という怒りのはけ口を作ることで市民の感情を抑えていただけだ。事実が明らかになり、矛先は変わった。
 得体の知れない魔法使い相手では民が力を合わせても勝てるかどうか分からないが、ただの軍人ならば数に物を言わせれば勝ち目はある。
 国としては自業自得だし、自分たちにとってはもう捨てた国。自分でも驚くほど興味が湧かなかった。サマカルドももううんざりしているのだ。
 港町はそう遠くない。とっととアテルシアのことなど思い出さなくてもいい遠い地に落ち延びたい。
「最後に、悪い知らせですがね」
 アテルシアの追っ手が流民に接触したことよりも、悪い知らせがあるらしい。
「なんだ」
「我々が港に向かっていることで、アテルシアの軍も高速艇全隻投入して我々を追跡するつもりだそうですよ」
「なんだと」
 それはアテルシア自慢の海軍が、総力を挙げるに等しい。
「今彼等も国内に居場所がありませんからな。公海上なら好き勝手できますし」
「厄介なことになったものだ」
「セドキアの軍人はこちらがその動きを把握してる以上何の心配もいらないといっとりますがね。……まあ、本当に心配いらないなら皆さんを変に不安がらせてもいけませんし、そうでないなら知らせたところで手の打ちようなんぞありませんわな。ここは一つ、オフレコってことで」
 癪に障る言い方ではあるが、確かにその通りだ。心配いらないと言っている以上、何か手を打ってあるのだろう。何か問題があれば輸送船の船員にも伝わるだろう。危険のある海に出航することもないはずだ。今はそう信じて前に進むしかない。

 今日も移動が始まる。昨日と同じようにクレイはサマカルドの馬で先行する。
 エリアは男の背中にしがみついて移動するのが嫌で先行係を固辞しているが、それならば前に男の乗り手などいない狼の背中に乗ってみる気はないかいとテラーファングから提案があった。
 確かにそれなら前に男の乗り手など居なくても目的地まで素早く移動できる。しかし、見た目が狼なだけで結局男の背中にしがみつき、あまつさえ跨ることになる。いや、それどころかいかにもした心がありそうな、中身まで狼のような男。それにそもそも狼の背に跨ると言うだけで怖すぎる。その背中にも、そんな手にも乗るものかと突っぱねた。結局、昨日と同じだ。
 少し昨日と違うところと言えば、クレイに女二人がまとわりついていること。もちろんザイーとロッフルの二人だ。
 サマカルドもクレイがその二人と仲良くなった経緯についてはクレイから聞いた。二人きりで馬上にいると、特にクレイはおしゃべりくらいしかする事もないのだ。
 クレイとエリアは一行の中でも最年少。のんきなクレイはともかく、エリアはまだバンフォの人たちにも心がいまいち開けていないところがあり、一人になりがちだ。ようやくできた友達もしゃべる小鳥。人間の友達はいまだにクレイくらいだった。ザイーなどはいかにも気さくで面倒見も良さそうな姉御肌の女性だ。エリアのことを見かねて声をかけたのだろう。クレイはそう考えている。
 二人はエリアがあちらでゲートを開くまでしゃべり相手になり、ゲートが開いたら真っ先に入って今度はクレイのところにくるのだ。
 しかし、クレイはゲートを維持することで手一杯。結局、暇な二人の相手をさせられるのは手持ち無沙汰なサマカルドだ。軍に入ってからは男ばかりに囲まれる生活を送ってきたサマカルドにとって、二人とは言え女に囲まれるのはかなり久々。まして、陳情以外で話しかけられることなどほとんどなかったし、その話題が恋の話題などと言うのはこれまでに想像すらしていない。そんなサマカルド相手では恋の話題など長続きするわけがなかった。斯様な恥辱は初めてだと心の中で歯噛みしながら幼少期の初恋のことを話す羽目になったが、それ以上の話題がない。
「ねえロッフル。この人どうよ。堅いけど誠実そうよ」
「うん、でも顔が怖いもん……。あっ、ごめんなさいごめんなさい」
 謝るならなぜ口にするのか。そもそも、頼んでもいないのに一方的に近付いておいて、挙げ句一方的にフるのはいかがなものなのか。なぜ自分がこんなことに巻き込まれねばならないのか。和やかな雰囲気の中でいつもにも増して険しい顔になるサマカルド。
「やっぱり本命はクレイちゃんなの?」
「うん。やっぱり男の人って怖いもん。あのくらいが安心する」
「あんたさ、男を見る目なさすぎるのよ。いつも顔だけで選ぶからあんなことになるの。クレイちゃんだってさ、いい子そうってだけで選んでるでしょ。あんたさ、クレイちゃんの歳考えなさいよ」
「ザイーに言われたくなーい。クレイちゃんがあんたの子なら何歳の時に産んだ子になるのよ」
「ちゃん付けするような相手に迫ろうなんてのが間違ってんのよ」
「ザイーだってロイドのことローちゃんって呼んでたじゃない」
「新婚の時ののろけは大目に見てよ」
「いいもん、あたしクレイちゃんのお嫁さんになってザイーのことお義母さんって呼ぶもん」
 自分のことなど忘れて勝手におしゃべりを始める二人に心底ほっとするサマカルド。このまま彫像であるかのように気配を消し、風景に溶け込んでしまおう。それにしても、ひどい話をしているような気がする。まったくもって世も末だ。近くにいるとは言えクレイの耳には届いていないようだし、聞かなかったことにするのが一番か。
「あんたのことだから、どうせまた話なんて聞きゃあしないんだろうけどさ、さすがに道ならぬ愛にもほどがあると思うわ。だからさ、お試しでいいからこの人とつきあってみなさいって」
 忘れられてはいなかった。お試しでつきあわれるような気軽な男だと思われるのは心外だ。
「いかにも堅苦しい顔してるけど、隊長さんだってそろそろ身を固めた方がいい歳でしょ」
 余計なお世話だ。そしてとんでもない世話焼き女だ。
 さらにこのややこしいときに、追い打ちをかけるようなことが起こる。女二人に絡まれているのをテラーファングに見つかってしまった。
「いよう。何、今日はモテてるんじゃないの」
「うるさい。頼んでもいないのにフられたところだ」
「なんか面白いことになってそうだねぇ、見たかったなそれ」
 サマカルドがクレイとともに先行するので、テラーファングは最後まであちらに残って追っ手を警戒する。こちらでサマカルドが下らない何かに巻き込まれたところでテラーファングは知りようがない。
「そっちの女性の恋人探しをしてるらしいぞ。相手したやったらどうだ」
「ケダモノでよければ私でいかがですか、お嬢さん」
「ヤです」
 気持ちよくフられるのを目の当たりにし、サマカルドも幾分気持ちいい思いだ。
「……だろうね。最初から期待はしてないさ」
 確かに、あまり本気でもない口説き方だった。
「ロッフルってさ。あんたみたいな男に度々引っかかってんのよね。もうちょっと早ければ食い物にできたんじゃないの」
「おいおい、まるで俺が散々女を食い物にしてきたような口振りじゃないか。そいつはとんでもない思い違いだぜ?こう見ても昔は隊長と同じ軍人でな」
「俺を隊長と呼ぶならもう少し敬意を払え、雑兵」
 苛立たしげに口を挿むサマカルド。
「軍人は昔の話さぁ〜。とにかく、堅苦しい連中に混じってて女遊びなんかできなかったし、これからって時に死んじまって蘇ってみりゃこの顔さ。この顔でもその気になりゃ十分女が寄ってくるって気付いたのは最近のことよ」
「顔以前に、魔法使いの手下じゃ逃げられるに決まってるな」
「そりゃそうか。とにかくさ。俺だって似たり寄ったりの化け物に囲まれた生活で寂しかったんだぜぇ。これからは遊びまくってやるって決意したところよ」
「ふん。ろくな決意じゃない」
 一々突っかかってくるサマカルドにやれやれと言いたげに首を振ってみせるテラーファング。ロッフルに向き直り、既にフられている事をいいことに失礼な発言をした。
「それにしても、あんた身持ちの堅そうな顔してる割には遊んでるんだな」
「遊んでるわけじゃないわ。騙されて弄ばれただけよ」
「ちょっと待て。俺みたいな男に引っかかったって言ってたが……俺は弄ぶために騙したりなんかしねえぜ」
 ザイーに向けた言葉だが、返ってきたのはまたサマカルドからの茶々だった。
「その牙剥き出しのにやけた面で優しい言葉をかけたところで誰も信じやしないからな」
「まあな」
 返す言葉は特にないようだ。
「ザイー、遊んだげたらぁ?」
 ロッフルは友人にこの迷惑な男を押しつけようとする。
「どうせなら本気の人がいいんだけど。できちゃったらちゃんと責任とってくれる?」
 近くに子供もいるというのになんという話を始めるのか。
「ああ、そういうのも考えなきゃいけないんだなぁ……。俺の小遣いならおやっさんにもらえるし、腹が減ったら狼になってウサギでも追いかけりゃいいが、家族を養うとなったら……」
「週一で鹿くらいの獲物は捕まえてきてくれなきゃね」
「ただの猟師だな、そりゃ。手に職つけなきゃダメか……」
 遊びだけの相手はお断りのようだ。
「ねえクレイ。なんか取り込んでるみたいだからあっちいってましょうか」
「そうかなぁ。なんか大した話してなさそうだよ」
「大した話じゃないけど私たちが聞いてていい話じゃないと思うの」
 テラーファングは最後まであちらで見張りを担当している。と言うことは、テラーファングがこっちに来ればほどなくエリアもゲートを畳んでこっちに来るのだ。そしてクレイも手が空いてこっちに来る。
「よし。それじゃあ次の目的地に行こう。すぐに行こう」
 サマカルドはクレイの手が開いたことを理由に速やかに行動を始めようとするが。
「あーん。クレイちゃんとお話したかったなぁー」
 ロッフルがごねた。しかし、こんな女のわがままで旅を遅らせるわけにもいかない。
 だが、ここでテラーファングが提案する。自分の背中の上なら子供一人と女一人くらいなら乗れると。
「後ろの安全を守るんじゃなかったのか」
「俺は市民の安全と女なら断固女を選ぶぜ。それに俺が前に行くならあんたが後ろを守りゃあいいのさ」
「それもそうか」
 テラーファングは女性二人に問う。
「男に跨るのと狼に跨るのに抵抗がないなら悪くないと思うが、どうだい?」
 エリアに拒絶された理由は一応先に提示しておく。さすがに乙女というわけでもない二人だ。前者については今更さしたる問題にはならない。後者についても問題にすべきは乗り心地のようだ。つまり、実質問題はない。
「乗り心地の保証はできねえが、馬と違って多少の融通は利かせてやれるさ。レディへの配慮を忘れないのが男ってもんさ」
「だってさ、聞いてた?クレイ」
「男を振り回すばかりの暴れじゃじゃ馬はレディじゃねえけどな」
 しばしエリアに追い回されるテラーファング。暴れじゃじゃ馬と言う言葉がぴったりだった。
「先を急ぐ。どちらが奴に乗るのか決めてくれ」
 サマカルドが女二人に決断を促す。先に名乗りを上げたのはロッフルだ。
「私が先でいい?」
「うん。いいよ」
「よし。おい、ラフェオック。乗り手が決まったぞ」
「へいへい。それじゃあ、好きなように乗ってくれ」
 好きなようにと言っても、あまりいい加減な乗り方だと振り落とされてしまう。鞍も手綱もないし、そもそも馬術の心得など無い素人だ。首にしがみつくのが無難だろう。
「できればお嬢さんが首にしがみついてくれると嬉しいんだけどね」
「そうは行くか。クレイ、奴の首根っこを押さえつけておけ」
 ザイーはそこに口を挟む。
「ちょっと待って。クレイちゃんが前だとロッフルがクレイちゃんに掴まることになるんでしょ。バランス崩したときにはロッフルの重さもクレイちゃんにかかる訳じゃない。いくら男の子でもきついんじゃない?」
「むぅ。それはあるかも知れんな。……一度試してみよう」
 クレイが前、その後ろにロッフルが乗るスタイルをやってみた。ロッフルの豊かではないが人並みの胸がクレイの背中に押しつけられる。
「なに赤くなってんのよ」
「なってないよ」
 茹で蛸のような顔で反論するクレイ。とにかく、落ちそうになったときのシミュレーションをしてみることにした。テラーファングが体を捻ってみると、その首を掴んでいたクレイの手はあっさりとはずれた。
 次に、逆も試してみる。ロッフルが前になってテラーファングの首を掴み、クレイはその腰に手を回す。いろんな意味で、こちらの方が楽かも知れない。またテラーファングが体を揺さぶってみるが、今度は持ちこたえた。
「クレイ、だらしなーい」
「そう言ってやるな。これは力と言うよりも体勢や体格の問題だよ。クレイの方が体が小さくて腕も短いから首にしっかりと腕を巻き付けることもできないし、娘さんが掴まる位置が高いからその重みを腕だけで支えることになる」
 一方ロッフルは腕もしっかりテラーファングの首に回せているし、クレイの重みは腰でも支えているので安定するのだ。
「そう言うことかぁ」
 エリアも納得したところで、そのままテラーファングは出発した。見えなくなるところまでは何事もなく走っていけたようだ。この先も問題ないだろう。
 その姿を見守るサマカルドにザイーが声をかけた。
「行かせちゃって大丈夫だったの?ちょっと心配だなぁ」
「奴もああ見えて割と律儀だからな。言い寄ってくる女にしか手は出さないはずだ」
「それに、もっと色気のある女性が好みでしょ、あの人。ザイーさんは気をつけた方がいいわよ」
「わからないわよー?ロッフルだってあれで結構小悪魔なんだから。でもあたしが心配してんのはクレイちゃんの方ね。ロッフルがあれだけ積極的に前に出るってことは……本気でクレイちゃんを狙ってそ」
「はー、ロッフルさんってやっぱりクレイの事狙ってたんだ。……どこがいいんだろ」
「その言い方だと、本当にクレイちゃんに気があるわけじゃないのね」
「ないですよぉ。悪いところもあまりないけど、いいところもあまりないもの」
 二人の会話が自分の苦手な分野になってきたので、石のようにだんまりを決め込み風景に溶け込もうとするサマカルド。それにしても、話を聞いていると少なくともロッフルという女がクレイとエリアに近付いた目的は、エリアよりもクレイの方にあるような気がする。相変わらず、ろくな友達がいないようだ。
「二人きりで島を抜け出すほどの仲なのに、ずいぶんな言いようなのね」
「駆け落ちだって思われちゃうみたいですけどね。そんなんじゃないんですよ」
「ただのお友達ってこと?」
 エリアは少し考えていたのか黙っていたが、おもむろに口を開く。
「クレイはきっと私のことを友達だって思ってるんでしょうね。でも……なんて言えばいいのかな。んー、きっと私にとってクレイは子分なの」
「え。子分……?」
「うん、そう。最初に島から出ようって話を持ってきたのはクレイ。クレイは好奇心からだったみたいだけど、私が止めたんです。でも、そのあと私の勝手な理由で島を飛び出す気になって……一度はダメって言っておきながら、クレイを無理やり連れだして。クレイの事をいつも振り回してたのは私なんです。外に出て、ひどい目にあうたび巻き込んだクレイには申し訳ない気持ちでいっぱいなんです」
「でも、好きになることは……?」
「ないですね」
 何とも報われない。そして、エリア以上にろくな友達がいないようだ。
「じゃあ、ロッフルにあげちゃうってのもありなの?」
「うーん。それはそれで嫌なんですよねぇ」
「あら、もったいなくなった?」
「そういうんじゃなくて。……クレイがモテるなんて気に入らないっていうか……。私を差し置いて彼女ができるなんて許せないというか……。あー、私もいい男見つけたいなぁ」
「そういうことなの。じゃあさ、隊長さんとかどうなの」
「ええー。さすがに歳が離れすぎですぅ」
 その点についてはまったくもって同意だ。だが、サマカルドとしては一言言っておきたい。
「さっきからなぜ何もしていないのにフラれなければならないんだ。勘弁してくれ」
 せっかく存在を消していたのに結局巻き込まれている。
「ごめんごめん。……じゃあさ、ついでにもう一人増やしてあげる?」
「好きにしろ」
 そんな時、クレイが目的地に着いたという合図が届いたようだ。一番ほっとしたのは言うまでもなくサマカルドだった。

 全員転送終了し、休む間もなくクレイは次の目的地に向かう。
 クレイにとっては馬やテラーファングの背に乗って移動している時が休んでいるようなものだし、そのテラーファングはクレイがゲートを開いてからは暇だ。
 しかし、テラーファングは小柄とはいえ二人分の重さを乗せて長距離を走ることを舐めてかかっていた。まだまだ休み足りない気分で一杯だ。
「大丈夫?あたし、ロッフルより重いわよ」
「……頑張るよ」
 ザイーは見るからにロッフルよりも背が高く、胸も大きい。体は引き締まっていて贅肉こそ無いが、密度の高い筋肉が満遍なくついている。言われるまでもなく重いだろう。
 そして、テラーファングにとって残念なことがもう一つある。ザイーはクレイを前に乗せるという。
「こいつの腕じゃあんたの体を支えきれないだろ」
 ロッフルさえ支えきれなかったクレイが、一回り重いザイーを支えられるはずなどない。
「ふふふ、あたしには秘策があるのよ」
 ザイーの秘策は体格と体力を活かすものだった。長く力強いその腕でクレイを抱き込みつつ、テラーファングの首にしがみつく。
「いいなぁ」
 そんな芸当ができるザイーを羨ましがるロッフル。
「俺としてもいいなぁって言いたいねぇ」
 自ずと、クレイはザイーの胸にうずもれることになる。
「あーもー真っ赤になっちゃって……クレイったらいやらしいわ」
 エリアの言葉に反論さえなかった。
「その胸押しつけられるの、楽しみだったのになぁ。しゃあねえ、とっとと行くか」
 坊主の頭を押しつけられながらテラーファングは走り出した。
「どう?重くない?」
 走り出したテラーファングに気遣う言葉を投げかけてくるあたり、気配りの出来る女性だ。
「そうだな、ずしっとは来るね。だが、乗り方がうまくて安定してるからかな、走りやすいぜ」
 ロッフルは背中の上で振られることも多く、落とさないように気を遣わされた。
「走りながら喋って大丈夫なの?舌噛まない?」
「この体の時は口で喋ってるわけじゃねえ。魔法の力で言いたいことを声にしてるのさ」
「へえ、そうなんだ!」
 ザイーでもクレイでもない声が言う。クレイの鳥の巣のような頭の中に隠れているダグだ。
「ありゃ。おまえもいたのか。さっきもずっとか?」
「うん」
「それじゃあ、さっきの嬢ちゃんの話も聞いてたのか」
「うん、ずっと」
「子供に聞かせられる話じゃなかったんだが……まあ、その話されてるのもクレイだ、ガキンチョなんだけどな」
「どんな話をされてたの?」
「内容には触れないことにして、まあそいつがさっきから一言も喋れなくなるような、そんな情熱的な大人の話さ」
 確かに、先ほどからクレイは一言も言葉を発していない。だが、それは精神的な理由ではないことにザイーは気がついた。
「ちょっと。クレイちゃん、息してる?」
 ザイーの胸の谷間でクレイの頭が微かに縦に動いた。息はできているようだが。
「どうした、何があった」
「クレイちゃん、挟んで潰してたわ。喋れないわけよ」
「どこに挟んでたんだよ。……いいねえ、俺も息ができねえほど挟まれたいよ」
 とにかく、あまり動ける状況ではない。ザイーとテラーファングの体の間には隙間がある。その隙間に顔が来るようにすれば、息苦しくもないし多少は喋れるくらいになるはずだ。
 言われるままに横を向くクレイ。先ほどまで後頭部に当たっていたものが、頬に当たるようになった。今度は精神的に喋れなくなりそうだ。
「いい乗り方だと思ったんだけど、やっぱり駄目ねぇ。クレイちゃんと喋れないんじゃつまんないわ。目的地まで急いで頂戴」
「へいへい。……これが女の尻の下に敷かれるってことか」
「さっきまでロッフルの尻に敷かれてたでしょ」
「いいや、あの子は俺にしがみついてる感じでなぁ。落っことさないようにやさしーく乗せてやってる感じがしたもんさ。あんたはどっしり落ち着いていかにも乗りこなされてるっていう感じでさ。……乗馬の経験でもあるのかい」
「馬はないね。牛車の牛なら何度か乗ったよ」
「それでか。そのおかげなんだろうな、いかにもこっちが屈服させられてるような気分になる。……不思議と、こっちのほうが落ち着くけどな」
「あら、尻に敷かれるのが性分に合うのかしらね」
「勘弁してくれ。でもまあ、やさぐれてみたところで所詮自分は兵卒、お偉いさんの駒になるだけの存在って事かも知れねえ。まして今は狼の体。狼もまた群を作りボスに従う本能を持ってるからな」
「やっぱり尻に敷かれる性分なんじゃない」
「家庭でくらいボスでいさせてくれ」
「家庭以外でボスになる気無いの?そんなんじゃ嫁の尻の下から一生抜けられないわよ」
「結婚生活というものへの期待や憧れが消え失せたよ、嫁という夢から醒ましてくれてありがとよ」
「こら。あんたの夢なんかどうなっても知りはしないけど、クレイちゃんの夢まで壊れたらどうするの」
「こいつも嫁をもらったら尻に敷かれるしかなさそうな性分だ、覚悟はさせておいた方がいいさ。すでに嫁の候補がいるんだし」
「もしかして、ロッフルのこと?」
「そんな感じの名前だったな。なあ、あのロッフルって女、病んでないか」
 ロッフルは本気でクレイのことを口説き落としに掛かっていた。さすがのテラーファングも引くほどに。
「無理もないわよ。言ったでしょ、あんたみたいな男に散々騙されてきたって」
「だから俺は誰も騙しちゃいねえっての。男に傷つけられて無垢な子供に癒しを求める気持ちは分かるけどさ、色目使って誘惑するのはどうかと思うぜ」
「男が傷つけるからあんな風になっちゃったんでしょ、責任取りなさいよ」
「俺のせいじゃねえし」
「男全員の責任だわ」
「それじゃあ男の代表としてクレイが責任取るのも間違いじゃねえな。がんばれよ」
 胸を押しつけられて発言できないのをいいことに、とんでもないことを押しつけられるクレイだった。

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