マジカル冒険譚・マジカルアイル

22.新天地

 国境は突破した。ここは既にワムンセルフォム共和国。
 門を突破した若者たち、迂回して転送ゲートを通った弱者たち。怪我をした者はいるが、欠けた者はない。二手に分かれた人々も合流し互いの無事を喜び合った。彼らもこれより国を捨てた亡命者だ。
 国境から少し離れた所でテラーファングは狼の姿になり、声高らかに吠えた。程なく近くの森から騎馬が数騎現れた。軍人のようではあるが見慣れぬ服装だ。
 彼らはグレックが手配したセドキアの軍人だった。ここからは彼らが道中を案内するという。
 そしてグレックはアテルシアに戻るそうだ。亡命者たちのことは気になるが、国外に出てしまえばかなり安全になる。もう大丈夫ということだ。グレックはアテルシアにもやり残したことが山積している。ましてや大きな騒動がいくつも起こったところ。動向を見守らねばならないことも、この機にやってしまいたいこともいくつもある。こうして国外に無事逃げ仰せるまでは、多くの民の命がかかったこの亡命が最優先だっただけ。これからはもう、遠くから成り行きを見守るだけでも大丈夫だろう。
 テラーファングはグレックからクレイとエリアがセドキアに着くまでのお供を仰せつかっている。まさか町一つぶんの同行者がついてくることになるとは思っていなかったが、今もまだセドキアへの旅の途中であることに変わりはない。二人が彼らと共に行くのであれば彼も一緒だ。
 クレイとエリアも乗りかかった船、彼らの亡命を手助けするのも吝かではない。それ以上に、彼らは二人にとって貴重な味方。今でこそアテルシアでも国への不信から魔法使いに肩入れする者が現れ始めているが、ずっと無縁孤立の苦しみを味わってきた二人だ。もう孤独な逃避行はごめんだった。
 魔法使いとしての大先輩でもあるグレックがいなくなってしまうのは寂しい。いろいろ教えてほしいこともあった。しかしグレックも本拠地はセドキア、教えてほしいことは後々そこでゆっくり教えてもらえる。グレックは言う。
「セドキアに着いたなら、魔法研究所に行くといい。私の設立した研究機関だ。私の留守中でも君たちの知りたいことを教えてくれるかもしれない」
「グレックさんのほかにも、魔法使いがいるんですか?」
 エリアは驚いて聞き返した。
「“魔法使い”ではないが、魔法のような力を持つ者が何人かいるよ」
 それはそれで会うのが楽しみだ。

 忙しいグレックはさっさと立ち去ってしまった。しかしエリアはグレックが言っていた魔法使いではないが魔法使いのような人々というのが気になって仕方ない。知っていそうなのはグレックの……エリアから見れば子分だと言うことになっているテラーファングだ。
 聞いてみたいところだが、テラーファングにはちょっと話しかけにくいところがある。まず、見た目が怖い。特に牙が。
 それでも、勇気を出して話しかけてみる。……のはやめにして、クレイに話しかけてもらうことにした。
「ねえ、おじちゃん」
 怒らせて食われるんじゃないかといきなりはらはらするエリア。
「お兄さんな」
 テラーファングは涼しい顔であしらったのでほっとするのも束の間。
「エリアが話したいんだって」
 挨拶だけでエリアを引きずり出してしまった。思えばクレイに頼んだ時『テラーファングさんにさっきグレックさんが言っていた魔法使いみたいな人のこと知ってるかどうか聞きたいんだ』と切り出した。代わりに聞いてきてよとはっきりと言ったわけではない。聞きたいことがあるから、一声掛けて呼んできてくれる。これはこれで間違った対応ではない。
「え、えーと。こんにちは」
 おずおずとテラーファングの前に出るエリア。クレイにはあとでしこたま文句をぶつけてやらないと気が済まない。
「よう、嬢ちゃん。照れなくていいぜぇ、もっと気楽に話しかけてくれよ」
 このいかにも女好きそうな軽さと積極性もちょっと苦手だ。そして、ちょっと見た目がいいのも困りもの。何となく、うまいこと口説かれてその気にさせられてしまいそうな怖さがあるのだ。
「あのっ。さっきグレックさんが言っていた魔法を使える魔法使いじゃない人たちについて聞きたいんですけどっ」
 とっとと聞きたいことを聞いてしまうのが一番だ。
「ああ。俺も直接拝んだことはねぇんだが……。さっきの国境突破の時、お前らがやったことを思い出してみな」
「転移ゲートを作っておじいちゃんやおばあちゃん達を壁のこっち側に連れてきたんだよ」
 クレイが口を挿むが。
「その前の事さ。下準備があっただろ?」
 エリアは思い出す。
「壁の上に登って、魔法陣の書かれた板を集めました」
「そう。その魔法陣さ。……何も思わなかったかい?」
「あっ。……魔法ですね」
 魔封じの罠。その正体は魔法そのものだった。
「アテルシアにも魔法使いがいるんですか?」
「アテルシアにはいねえさ。そもそも、魔法使いでもねえ。この魔法を使ってるのは教会の司祭様、そして使ってるのも魔法じゃなくて奇跡の力さ」
「教会……?」
 知らない言葉だ。
「この大陸じゃあ、あまり見かけない連中だな。アテルシアのお偉いさんは教会と繋がってるんだが、詳しくは分からねえ。ただ、お前らやおやっさんみたいにたまに島から出てくる魔法使いが流れ着くのがアテルシアだ。教会の目的は、そこで待ち伏せて魔法使いをとっ捕まえることらしいぜ。何の為にかはおやっさんでも分からねえみたいだがな」
「でも……その人達も魔法が使えるなら、魔法使いなんですよね?もしかしたら……仲間が欲しいのかも」
「そいつは無え話じゃないかもな。お前らがとっ捕まった時だって、お前らを死刑にせずにわざわざ偽物を立ててたんだ。そのまま教会まで連れて行く算段だったとしてもおかしくねえ。……ま、考えたって分かりゃしねえよ。どうせこの大陸じゃアテルシアくらいにしか出入りしてねぇんだ。もう関わることもねえだろ」
 そうは言われたが、魔法が使える人間が他にもいるとなれば気になる。それに、二人は他の大陸にも行くことになる。そうなれば、その教会と関わることになることだってあるはずだ。
 そう言えば、グレックは言っていた。グレックの魔法研究所とやらに行けば、魔法が使える人間がいると。もしかしたら、その教会の関係者なのかも知れない。たとえ彼らが教会と関係なくても、研究しているのであれば魔法と同じものである奇跡の力を使う司祭とやらについても調べているのではないか。詳しい話はそこで聞けるかも知れない。
「分かりました、ありがとうございました」
 用も済んでいそいそと立ち去ろうとするエリアだが。
「せっかくなんだし、もうちょっと色々話してみないかい」
 テラーファングは一歩近付き距離を詰めてきた。これが怖かったのだ。エリアは五歩ほど後ずさった。
「クレイ、お兄さんと話したいことない?」
「そうだね!」
 テラーファングをうまくクレイに押しつけた。困った顔のテラーファングを背に、エリアはいそいそと逃げ仰せた。

 休憩も終わり、出発の時が来た。セドキア軍の兵士達から今後についての話がある。
「話は聞いているとは思うが、君たちには自分の住む場所を開拓してもらうことになる。開拓地は内陸の山間、豊かな自然に囲まれた、それでいて街道も通る交通の要所だ」
 ただでさえ長くなりそうな説明だが、言葉を濁しているらしく回りくどい言い方もあり、更に話が冗長になる話をまとめると、そんな交通の要所に是非宿場としても機能する集落を造りたいのだが、資金もなければ人手もない。そこで、亡命者たちに開拓させようと言うことだった。
 住むところを失った者が自分たちの住むところを造るのだから、安い金でも働いてくれるし移住者も募るまでもない。国で大規模なプロジェクトを発足させ、工事が終われば帰ってしまう建築士を雇って町を造らせ、移住者を募集してその支援をすることを考えればかなり手間もかからず安上がりだ。
 セドキアにとって彼らは元敵国の民とは言え、事情が事情。すでに祖国への愛国心も薄れている。招き入れて外患となる危険性も薄い。一方セドキア国民のアテルシアに対する感情だが、敵対心と言うよりは相手にしていないと言った方がいい。長年にわたる戦争も遠洋での海戦中心で国土は極めて平穏、戦時中だという意識すら国民にはない。アテルシアからの亡命者だからといって攻撃を受ける心配もほとんどないだろう。
 移住後の心配はない。当座の懸念は、開拓地までの移動だ。
 クレイたちだけで大急ぎならば遠いセドキアにもひと月で着けるが、亡命者たちと共に行くのであれば倍以上かかるだろう。亡命者たちとしても、移動にあまり時間を掛けたくない。そこで今後の方針を話し合った。
 若者や働き盛りの者たちは急いで先に開拓地を目指し、すぐに開拓を始める。これならば最寄りの港町に半月ほどでつける。老人や子供は無理をせずのんびりと先に進めばいい。
 クレイとエリアも先行する一団に加わった。本当は体の弱い者たちの移動を手伝ってやりたいのだが、早く着きすぎて開拓の手伝いをさせることになるのもどうかということになった。老人たちがゆっくりと旅を続けていく資金もすべてセドキアにおんぶに抱っこというわけにも行かない。工芸品などを作ってそれを売りながら進むそうだ。ますます歩みは遅くなるだろう。
 年寄りや子供の面倒をみる若者も少なからずいるので、先行組は町を作ると言うには少し心許ない人数で落ち着いた。

 一行の雰囲気が若々しくなったことで、雰囲気も少し明るくなった。故郷を追われ彷徨う悲壮感は消え、いかにも新天地を目指す開拓者と言った前向きな空気に変わっている。
 彼らと世代は近いが立場や生きざまのせいもあり歳以上に堅苦しいサマカルドは、自分がえらく場違いなところに放り込まれた気分にならざるを得ない。逆よりはより力になれるだろうと若い部下たちを老人たちの共に回してしまったのも辛いところだ。やはり、逆の方がよかったのではないか。
 まして、今のサマカルドは立場が微妙だ。彼らが郷里を失い新たな土地を開拓せねばならなくなったのはサマカルドの所属していた軍隊、そしてそれを統括する国家のせいだ。そう思うと何とも申し訳ない。だが、彼らの大半は年端もいかぬ若造。ましてこの状況下での脳天気ぶりを見ると下手に出る気が起こらない。
 彼らの安全を見守る役に徹することができれば気楽なのだが、何分脳天気な連中だ。向こうから友達のような気楽さで話しかけてくる。そもそも、気に知れた仲間のように語らう若者たちも、この騒ぎで初めて顔を合わせた相手がほとんどだ。そんな状況なので、相手を選んでいる余裕もなく打ち解けるしかない。
 少なくともサマカルドが気にかけている国軍の所業についてはあまり気にしてはいないようだ。思えば、この一行の中には市民共々焼き払われそうになった駐屯兵たちも多数いる。一般市民にはサマカルドと彼らの区別もついていない。
 サマカルドも過ぎたことは気にせず、彼らとただの仲間として接することができれば気は楽になるのだろう。同じく門外漢である上に人間かどうかすら怪しいテラーファングですら、すでに彼らと馴染んであまつさえ気に入った女性を口説き始めている。全ては本人の気の持ちよう次第だ。
 クレイとエリアは島を出て以来行く先々で忌み嫌われ、散々酷い目に遭ってきた。そのせいもあってすっかり萎縮していたが、だんだん彼らと打ち解けてきた。しかし、その平和さから穏やかな気性揃いだった島の人たちに比べて、陽気で快活な人が多く、なかなかついていけない。そして、気さくだ。一行の中で一番若い二人なので気兼ねなく話しかけられる。
「ねえ、やっぱり二人はつきあってるの?」
 二人揃っているときにそんなことを平気で聞いてくるくらいに遠慮もない。気の強そうなお姉さんで、いかにも姉御肌といった感じの気っ風のいい女性だ。
「つ!つきあってないですっ!」
 クレイが同情の目を向けられるくらいの勢いで否定するエリア。当のクレイは別に何とも思っていないようだが。
「じゃあ、どうして二人は二人で旅をしてるの?駆け落ちじゃないなら、どっちかがどっちかを誘って出てきたんでしょ」
「駆け落ちって?」
 クレイがエリアに聞くが、エリアも知らなかった。お姉さんが教えてくれる。
「恋人同士が二人きりになるためにどこかに逃げることよ」
 島には駆け落ちという概念はない。狭い島だ。二人で逃げるといっても遠くまでは逃げられず、逃げる場所にも乏しい。隠れそうな場所は探す方もすぐに思いつくし、魔法でも探せてしまう。逆に魔法で隠れることもできるが、長い間隠れていられるわけでもない。二人で逃げても一夜の逢瀬がせいぜい、駆け落ちなどしようがないのだ。
 許されぬ恋の為に全てを捨てて逃げるのが駆け落ちで、身分などのせいで親などに反対されて想いを遂げられないときや望まぬ婚姻から逃れる時に二人で逃げることだと説明された。
 クレイとエリアの間には全く恋愛感情はない。そういう意味では全く駆け落ちではないのだが、エリアが出発を決めた理由はまさに望まぬ結婚から逃れるためだ。実に駆け落ちっぽい。
「最初に誘ったのはぼくの方だよ。でも、本当に外に世界があるのか、あったところで本当に戻ってこられるのか分からないからやめようって言われたんだ。その後急にやっぱり行くって言われて……。そういえば、何で行くことにしたの?」
 勝手に出発の事情を話し始めたクレイがエリアの痛いところを突いた。しかも、一番嫌なタイミングで。今本当の事情を話せば、まるっきり駆け落ちだと思われてもやむなしだ。そうなれば、まるでクレイのことを好きなように思われる。
 正直、ラルフロイと比べてならば少しくらいはクレイの方がましかなとは思うが、それ以上ではない。そもそもエリアはクレイとラルフロイからクレイを選んだつもりはない。ラルフロイとの婚約と逃亡から逃亡を選んだだけで、クレイはおまけだ。
 とにかく、今は適当にごまかした方がいいだろう。
「それは内緒」
 無難な先送りだ。
「ふぅん……」
 お姉さんはいかにも疑る目を向けてきた。誤解されていそうだ。やり過ごし方を間違えたか。この話はこれ以上掘り下げずここで終わりにしてくれたようだが、疑ったまま話を終わりにされるのはいまいちほっとできない。

 みんなで話し合った結果、旅路を急ぐためにもやはり魔法を駆使していくことになった。アテルシア国内と同じように転移ゲートを通っていく方法だ。
 アテルシアの時はグレックがいたので、一人が空を飛んで先に移動し、最後尾のものがゲートをくぐってまた空を飛んで先回りすることでゲートでの移動を繋いでいたが、今度は二人しかいない。
 一人が出口の場所に移動し終わるまで待つことになるのは仕方がない。前のゲートの入り口から次のゲートの出口の場所まで空を飛んでもいいのだが、距離が長くなり疲れるだろうと言うことでサマカルドとセドキアの兵士達が馬に乗せて運んでくれることになった。
 それはいいのだが、エリアにとってその提案はものすごく抵抗のあるものだった。何せ、よく知らない男の人の背中にぴったりとくっつき、しがみついていなければならない。しかも、その間二人きりだ。乙女としては身の危険も感じてしまう。
 元々警戒心も薄ければ男同士でもあるクレイはそんなのお構いなしだ。なので、馬に乗って先に行くのはクレイで、エリアは後ろのゲートを開く係に落ち着いた。
 だがそうすると、クレイが先に行ってゲートを開く場所にたどり着くまで、エリアは手が開く。手が開いていれば、また昨日の気さくなお姉さん達に話しかけられてしまう。側にクレイがいても遠慮がなかったのだから、女だけになればますます遠慮が無くなる。結局エリアは押し負けて、クレイには絶対内緒と言いながらラルフロイのことも全部話してしまった。
 しかし、そのおかげもあって彼女たちと一気に仲良くなることができた。魔法使いと言われていてもやっぱりただの年頃の女の子なんだという認識を持たれたことも大きい。
 そして、エリアがクレイに心からまったく気がないことが分かると、狙っちゃおうかななどと言い出す女性も現れた。エリアから見てもお姉さんと言える彼女たちが、エリアから見てもおこちゃまのクレイに興味を持つ理由がまるで理解できない。どこがいいのか聞いてみると母性本能をくすぐられるのかなぁ、などと言われたが、そんな気分にならないエリアには母性が欠けているのだろうか。
 一方、先行してゲートの出口を開く係になったクレイは必然的に馬に乗せてくれる兵士たちと話し合う機会が増えた。特に、若者たちのテンションについていけないサマカルドにとって、彼らと距離を置ける心休まるひと時となる。馬も休めなければならないので毎回とはいかないが、積極的にこの係を引き受けた。
 クレイもまた、テンションの高い若者の一人であったことは誤算であった。特に、エリアにお子ちゃま扱いされるくらいのテンションであることは、大いなる誤算であった。
「ねえ、兵士のおじさん」
 自分がさほど若くないのは分かっている。この呼び方は甘んじて受けることにした。
「何だ」
「おじさんはなんで他の兵士さんを裏切っちゃったの?」
 そう言うことを遠慮会釈もなく聞いてくる。しかもここは馬上。逃げ場はない。腹を決め、腹を割って話すことにした。
「……先に裏切られたのは私だ」
「そうなの?」
「私が守りたかったのは民だ。民を守ることが国のためにならないというのならば、そんな国は捨てるまでだ」
 実は、敢えて堅苦しい話をすれば少しは黙るかもという期待がなかったわけでもない。クレイは黙らなかった。しかし、これ以上この話を引きずる気もないようだ。
「うーん。……もしかして、エリアも何かに裏切られたのかなぁ」
「君の相棒の少女か?何かあったのか」
「だって、最初は帰ってこられるかどうかわからないんだから外の世界に行くのはやめようって言ってたんだよ。それなのに、突然行くよって言い出して。そういえば、村長さんに力ずくで止められた時もそれを超える力ずくで押し通って出てきたんだよ。よっぽどのことがあったんだろうなぁ」
 何か、エリアには重大な覚悟があったと思わざるを得ない。サマカルドは勝手に納得し、答える。
「故郷を捨てる決心をするに至るにはかなりの葛藤があったに違いない。さぞ、重大な心の闇を抱えているのだろう」
 サマカルドは割と本気で言っている。
「うわあ。全然そうは思えないんだけどなぁ。でも、最近確かに元気がないんだよなぁ。……ねえ、心の闇をどうにかするにはどうしたらいいの?」
 相手も悪い。クレイはあっさりと真に受けてしまった。
「そうだな。まずはその心の闇の理由を知らねば話にもならないだろう。一人で抱え込むほど闇は深くなる。だが、人に話せるようなものでもあるまい。難しいところだ」
「そっか……。とりあえず、聞いてみるね!」
 クレイは話を聞いていたのかいなかったのか。
 そして、そもそも根本から考えが間違っていることなど、乙女心を露ほども知らぬ二人が気付くはずもないのだった。

 日が暮れ、一日の移動も終わった。セドキアに向かうための船が出る港町は、近いようで遠い。魔法の力で風をも凌ぐほどの速さで進めてはいるが、それでもまだ半ばに差し掛かったところだ。
 彼らは宿代を惜しみ、町のはずれに野営する。町は近いので、買い物もできるし、公衆浴場にだって行ける。不自由はない。
 クレイはエリアが公衆浴場から帰ってくるところを狙い話しかけることにした。だが、クレイの前に二人の女が立ちふさがる。
「クレイちゃん、エリアちゃんより私たちとお話ししましょうよ」
 エリアに真っ先に話しかけてきた姉御肌のお姉さん、ザイーがその大きな胸を見せつけるように前かがみになりながら声をかけた。ただ単に目線の高さを合わせようとしているだけかもしれないが、相手が男の子であることを考慮すれば誘っているようにしか思えない。
 クレイはおおと声をあげながら遠慮なく胸元を注視した。エリアの裸はなるべく見ないようにしたクレイだが、これは見てもよいと判断したようだ。そして、胸を見るだけ見て言う。
「あとでね。今は大事な話があるんだよ」
 別に邪魔をしたいわけではないので、女たちも一旦はあっさりと引いた。
「何よ。今さら大事な話なんてあるの?」
 つい先ほど、女同士であんな話をした後だ。まさか愛の告白でもしてくるつもりではないだろうかなどとありえない考えがエリアの頭をよぎる。ちょっとだけ、緊張してしまう自分に気付いた。
「何で島を出ることにしたの?」
「またその話?ダメ、内緒。……でさ、どこが大事な話なのよ」
 やはりありえないことは起こらなかったことにホッとしつつ、さらに緊張はするエリア。何せ、その話については全部話してしまった相手がすぐそこにいるのだ。悪乗りしてぽろっと話してしまいやしないか、気が気ではない。
「だって、故郷を捨てる決断をするからには、何か心の闇があったんでしょ?抱え込んでると闇が大きくなるんだよ」
「心の闇って……誰よ、あんたに変なこと吹き込んだの。それじゃ聞くけどさ、あんたが最初に島の外に出ようって決めたときには何か心の闇があったの?」
「えーと。ない」
 クレイの心に闇などあるわけない。
「でしょ。闇なんかなくても、なんとなくどこか行きたい気分になる事ってあるでしょ」
「それもそうだね。……あれ、でも今まで行くのに反対してたのに、急にすぐに行くよって言い出すのはやっぱり変だなぁ。何かあったんじゃないの」
 妙に鋭い。いや、流石に普通は気付くか。
「何かあっても闇なんて程のものじゃないわよ。それに、心配しなくてもあんた以外に相談できる人がちゃんとできたからね。あんたの出る幕はないの」
「なぁんだ、そうなのかぁ。それじゃ安心だね!」
 あっさりと納得したようだ。話が一段落したところで、ザイーと一緒にいたのんびりした雰囲気の女性がクレイに話しかける。
「用はすんだ?それじゃあ、お姉さんと遊びましょ」
「うん、いいよ」
 クレイがお姉さんたちに何をされるのかがちょっと心配になるエリア。そして、それ以上にエリアが今までにお姉さんたちに話したことがクレイに漏れることのほうが心配になった。

 クレイは結局、夜遅くまでカードゲームとおしゃべりに付き合わされたそうだ。お姉さんたちの興味はもっぱらクレイに向いており、いろいろなことを聞かれたらしい。お姉さん達から話してきたことは自分の身の上話が中心だったらしく、特に余計なことを吹き込まれた様子はない。エリアは安心した。
 エリアについての余計なことは吹き込まれていないが、他のことについてはどうだろう。あんな色仕掛けをするようなお姉さんと夜遅くまで過ごしたのだ。何かこう、人に言えないようなことがあったりはしなかったのか。
「本当にカードで遊んだだけ?イケナイ遊びとか教えられてないでしょうね」
 単刀直入に聞いてみるエリア。人に言えないようなことでもぽろっと言ってしまうのがクレイだ。少なくとも態度にはモロに出るだろう。
「魔法を見せてとは言われたけど……。後はカードしながらおしゃべりしただけだよ。身の上話とかいろいろ聞かされたよ」
 それならばエリアもかなり聞かされた。ザイーもロッフルも恋多き女と言った印象だった。いかにも奥手に見えるロッフルも以外にもあの手この手で男を誑かしてきたようだ。こんなお子さま丸出しのクレイにもそんな話をしたのだろうか。
「ザイーさんに子供がほしいって言われたよ」
「ええっ」
「子供が2歳で死んじゃったんだって。ぼくを見てると思い出すみたい」
「……そう」
 これまでの話の流れのせいで壮大な勘違いをした。どうやらザイーはクレイを男としてではなく子供としてみているようだ。確かに、この一行の中では最年少。変に大人扱いしようとしてはいないようで一安心だ。しかしこの話はエリアも聞いていない。クレイにした身の上話はエリアの聞いたものとはカテゴリーが違うらしい。思えば、エリアと話していたときは恋の思い出話ばかりだ。辛気くさい話はひとまず置いておいたのだろう。
「あ、でも結婚はしてないって。子供が産まれてすぐに喧嘩別れして田舎に帰ってきたみたい」
 その喧嘩別れの話はエリアも聞いている。それで田舎に帰ったらこんなことになった、さんざんだわ、などとぼやいていた。一度は結婚も考えた相手だとは言っていたが、子供まで作っていたとは。それにしても、このいかにもお気楽そうなクレイを相手にそんな重い話をよくする気になったものだ。
「それでね。ぼく、ザイーさんに新しい子供ができるまでザイーさんの子供になってあげるって約束したんだ」
「ずいぶん無茶な約束したものね」
 今のところ相手が居そうな様子もないザイーに子供ができるのなど、いつのことやらだ。そもそも、2歳の子供の代わりとしては随分と育ってしまっているが……いいのだろうか。
「それで、ロッフルさんとは何を話したの?」
「ロッフルさん、ひどいんだよ。ロッフルさんは悪い男にずいぶん引っかかってきたから、ぼくみたいなもてなそうな男の子がほっとするんだって」
 こっちは……危なそうだ。何がということはないのだが。
「ロッフルさんからはお友達になってって言われたよ」
 本当にお友達で済むのだろうか。いや、済まなくなってもエリアには関係ないのだが。一応釘をさしておくことにした。
「ちゃんと男友達も作るのよ。クレイは女性に囲まれてるのなんて似合わないんだからね」
「わかってるよ。エリアもいい男の子見つけてね」
 友達として……というつもりで言っているのだろうか。この言い方だと普通は友達と言うことにはならないが、クレイはそこまで考えていない。どちらにせよ。
「余計なお世話よ」
 深い意味などなくて言ってるのだとしても腹が立つが、わかって言ってるのだとしたらますますだ。別にクレイがロッフルにどうされてもいいとは思っていたが、こんなクレイが自分をさておいて恋人持ちになるのはかなり癪だ。わざわざ言われなくても早くいい男友達を、できれば恋人を、見つけてやるとエリアは心に決めたのだった。

「隊長!市民の様子に異常はありません!出発も準備が整い次第可能です!」
「そうか。ご苦労」
 駐屯兵……一応、元をつけるべきか。その報告を受け、サマカルドは形通りの返答をした。
「あんた、いつの間に隊長になったんだ」
 元駐屯兵がいなくなったのを見計らってテラーファングが姿を現した。
「ラフェオックか。いつの間にか、気がついたら隊長と呼ばれていた。構わんさ、地位的にも相応しいし、面倒事は心置きなく押し付けてやろうと思っている。……若者たちの相手とかな」
「……あんた、言うことがすっかりおっさんだなぁ……。確か俺と5歳くらいしか離れてないんじゃなかったのか」
「住んでいた世界が違う、とでもいうべきなのかもしれない。堅苦しい人間関係にすっかりなじんでしまったからな。どうも、ああいう軽佻浮薄な連中とは馴染めん。……お前ともな」
「えー。一応同じ世界の住人じゃないですかぁー」
 一応、上下関係を重視する軍人らしさを出したつもりか。全くもってなっていないが。
「お前はもともと異質な存在だっただろう。……軍が使い捨てる兵士としてお前を選んだのもまったくもって肯ける話だよ」
「俺、そんな理由で死んだのか……?まあいいさ、あの堅苦しさにもついていけなかったのは確かだ。俺には一匹狼が似合ってたんだろうぜ。そういう意味じゃあ、この体はぴったりだ。そうそう、すっかり化け物になっちまったと思ったが、案外この体もモテるんだぜ。いやあ、こんなに女が寄ってくるとはな!これまでももっと人前にでときゃあよかった」
「どこが一匹狼だ……」
 こんなに群れたがる一匹狼などいるものか。
「おやっさんにこき使われてる時ゃあなんだかんだ言って自由がなかったからなぁ。久々に羽目をはずせるってもんだ」
「民がケダモノに食われないように気を配るのも兵隊の役目だな」
 監視をしておかないと好き勝手を始める。一匹狼とはそう言う意味ではないはずだ。
「そう言うなよ。俺だって紳士のつもりさ。向こうから言い寄ってくる奴か口説いて落ちた奴しか手を出さねえぜ。それとも何かい、悪いケダモノに付け狙われねえように気ィ付けなって言い含めて回るかい?」
「……連中に指示を出すことも検討しておくよ」
「自分でやれよ……。これだからお偉いさんはよぉ」
 ただ単に、理由はともかく若い女性に声を掛けて回るサマカルドが見たかっただけだった。
「自分の意志でケダモノの塒に潜り込もうとする物好きまで相手にする気はない。好きにしろ。……それで、こんな与太話をするために声を掛けた訳ではないだろう」
 話しかけてきた以上、本題があるはずだ。
「へ?ほかに用事なんてあるわけないぜ」
 きょとんとするテラーファング。どうやら、与太話が本題だったらしい。
「……」
「そんな顔するなよ。あんた、友達作るの下手そうだから淋しいだろうと思ってわざわざ話しかけてやったんだぜ。ま、余計なお世話だったみたいだがね」
「ああ、苦手な人種に話しかけられても迷惑だ」
「お。いいねえ、こういう軽口を言い合う感じ。俺は大好きだなぁ」
 この堪えなさ。やはり苦手だと思うサマカルド。
「そう言う意味じゃなくってさ、お仲間ができたみたいだからな」
「ああ、是非とも安心して関わらないようにしてくれると助かる」
「そう言うなよ。お互いこん中じゃ一番長いつきあいの腐れ縁だろ。ラフェオックっていう名前を知ってるのもあんただけだしなぁ。これからもよろしく頼むぜ、隊長」
「誰が隊長だ」
「あんた以外に隊長の器はいねえさ」
 手を振りながらテラーファングは去った。朝からまったくもって不愉快だ。同じように喧しく軽い人間の相手でも、まだ子供なら多少が心を寛く持てる。出発の時が待ち遠しかった。

Prev Page top Next
Title KIEF top