マジカル冒険譚・マジカルアイル

20.立ち上がる民

 逃亡中の魔法使いとバンフォの民の追跡のために高速船に乗った特殊部隊は、新聞記事で魔法使いが出たと伝えられた場所に近い港町ルバーフに寄港した。
 今日の所はこの町の駐屯兵宿舎に身を寄せることになる。急な指令なので連絡は行っておらず、急な訪問にはなったが、寝台くらいは確保できるはずだ。
 軍の駐屯所に着くと、多数の兵が整然と並んで出迎えた。彼らに気付いた番兵か巡回兵が知らせを入れたのだろう。だが、出迎えにしては様子がおかしい。盾を前に掲げ、槍を構える。これは出迎えと言うよりは……。
「魔法使いの尖兵め!ここで討ち取ってくれよう!」
 特殊部隊は迎え撃たれようとしていた。
「待て、待てえええええい!我々は大臣直属の特殊部隊だ!」
「問答無用!貴様らがバンフォを一夜にして壊滅させた魔法使いの部隊であることは調べが付いている!全軍っ……突撃いいぃぃ!」
 話が通じないかのように迎え撃っている駐屯兵たちも、この青い胸甲の兵士が大臣直属の特殊部隊であるということはここ数日囁かれている噂でながら耳に届いている。だが、彼らの立場も実に微妙だった。
 バンフォを壊滅させたのが軍隊だったということになれば、同じ軍隊である彼らは市民の敵のような目で見られる。それに、特殊部隊がバンフォで始末しようとしたのは市民だけではない。兵隊までも殺そうとしているのだ。万が一、特殊部隊がこの町もバンフォのように焼き払おうとしているならば、彼らの身も危ない。この町にも大臣や特殊部隊に関する記事が掲載された新聞が出回っている。バンフォが得体の知れない怪物に真偽の知れぬ噂をばらまかれただけで焼き払われたという噂が本当ならば、この町も些細な理由で焼き払われてもおかしくないのだ。
 この町を守るためにも、そして揺らいでいる市民からの信頼を取り戻すためにも、彼らは特殊部隊を迎え撃つのだ。
 攻撃を受けることなど考えていなかった特殊部隊は逃げ惑うしかない。そんな特殊部隊に駐屯兵は容赦なく襲いかかる。ここで逃がすわけにはいかない。ここで逃げられて大臣に告げ口でもされればますます立場が危なくなる。こうしてしまった以上、なんとしてもここで討ち取って口を封じなければ。
 戦う気満々の駐屯兵に対し、特殊部隊が有利な点はその身軽さだ。槍と盾を手にした駐屯兵はどうしても動きにくい。剣すら抜いていない特殊部隊は追い立てる駐屯兵たちとの距離を引き離していく。
 だが、ほっとしたのも束の間。特殊部隊の前に新たな敵が立ちふさがった。有り合わせの棒や仕事道具で武装した市民たちだった。
 駐屯兵たちのようにしがらみに捕らわれていない市民たちから見れば、特殊部隊は明らかに敵だった。駐屯兵以上に容赦はない。騒ぎを聞きつけた家の中の主婦まで生卵を投げて攻撃してきた。
 港まで帰らなければ。特殊部隊はやむなく市民に対し剣を抜かざるを得なかった。
 さすがに、剣を抜き振り上げれば庶民など尻尾を巻いて逃げ出す。そう思っていたのだが、むしろ逆効果だった。やはり自分たちを殺すことなど何とも思っていないのだと解釈し、市民はますますいきり立った。既に、完全なる暴動である。
 特殊部隊のほうにはそんなつもりはまるでないのだが、市民たちは彼らを生かしておけば町が焼き払われると本気で思っている。自分を、そして家族を守るために死に物狂いだ。
 特殊部隊の方も生半可な応戦ではどうにもならないと悟った。元々民を殺すことに何の抵抗もない。邪魔だてする者は容赦なく切り捨てる。背後からは駐屯兵たちが迫っている。追いつかれては命が危うい。
 暴徒と化して次々と襲いかかってくる市民だが、特殊部隊にとっては敵ではない。それでも足止めには十分だった。港までもう一歩と言うところで背後から迫っていた駐屯兵が追いつき、特殊部隊に攻撃を仕掛けた。
 特殊部隊の何人かが決死の覚悟で反転し駐屯兵を迎え撃つ。忽ちのうちに駐屯兵たちの槍で串刺しにされて討ち取られるが、時間稼ぎには十分だった。その間に特殊部隊は市民の包囲を突破して高速船に向けて疾走する。
 特殊部隊は高速船に飛び乗るやすぐに船を出した。何人かは間に合わず乗り損ねて海に落ちた。燃料の補給もいくらも進んでいない。燃料を節約してゆっくり航海すれば次の港にはどうにか着けるだろう。次の町では船を下りずに過ごした方が良さそうだ。

 夜が明けた。
 その日の新聞では新たな事件が伝えられていた。ルバーフの惨劇と名付けられたその事件は、大臣の差し金とも魔法使いの手先も言われる青い兵団の起こした事件だった。
 平和だったルバーフの町に現れた青い兵団が、市民に無差別に切りかかり64名の死傷者を出したと伝えられている。
 死亡したのは二人だが、そうは書かれていない。その二人の遺族と、大怪我を負った二人の談話が載せられているが、残り60名の安否ははっきりと書いていない。転んで擦りむいただけでも数に入れ、さらに水増しもしている……そんなところだろう。国の命令で事件を大事に見せたいときに度々使っていた方法だ。国も国にとって不利になる記事に使われるとは努々思っていなかっただろうが。
 青い兵団は地元の警備兵によって撃退されたが軍の高速船に乗って逃走したと書かれている。先に攻撃を仕掛けたのがその地元の警備兵であることや死傷した市民も返り討ちであることには一切触れていない。
 その記事は大臣の居るラフォルクが含まれる地域の紙面にも大きく掲載された。そして、今まで掲載を見送っていたバンフォの惨劇の真相や魔法使い一行への突撃リポート記事も特別紙面として大々的に取り上げられている。
 大臣は顔を真っ赤にしながら記事を読んでいたが、記事の最後の方を読んで顔が真っ青になった。記事にはあろうことか大臣の現在の滞在先まで書かれていたのだ。散々これが国と大臣の悪行だなどと言うことを書き散らした挙げ句に大臣の居場所など公表したら、大臣を襲おうとする馬鹿も出てくるではないか。
 大臣は滞在しているホテルの窓から外を見下ろした。ホテルの庭や前の通りにはちらほらと怪しい人影が散見される。こんな疑心暗鬼の状態では足を止めているだけで怪しく見えてしまう。ただ立っているだけかも知れないが、大臣を待ち伏せている手合いがいないとも限らない。
 何はともあれ、居場所を知られてのんびりと滞在もしていられない。いつも通りの時間に大臣を迎えにやってきた兵士に、このまま町を離れるので護衛としてもっと多くの兵士を連れてくるように伝えた。
 敬礼し退室した兵士は、途端に口元に笑みを浮かべた。彼はこの町の駐屯兵。大臣はただでさえ目の上の瘤と言いたくなるようないるだけで落ち着けない存在だ。それに加えて新聞記事のことは彼らの耳にも当然届いていた。ますます扱いに困る厄介な存在になっていただけに、この町から居なくなってくれるのは願ったり叶ったりだ。
 とっとと居なくなっていただく為にも、速やかに兵を集めてホテルに舞い戻った。
 ホテルの前にはやはり新聞を見てきた者たちがいた。説明を求めてきた市民に、小隊長が言う。
「記事に書かれていることが事実かどうかは我々の知る所ではない。だが、ここに大臣が居られるのは事実だ。しかし!大臣は今すぐお帰りになられる。今ここで大臣に何かありお怒りを買うようなことがあれば、バンフォの二の舞もあり得ないことではない。その事態を避けるためにも、ここは穏便に願いたい!」
 面倒事を避けるためとはいえ、記事の内容は有りうると言わんばかりの口振りだった。記事を否定しては自分たちも不信感を抱かれてしまう。どうせこれから尻尾を巻いて逃げようとしている大臣を悪者のように言っておいた方が得だと踏んだのだ。
 集まっている市民とて、そう言われてしまうと一時の義憤のために町を滅ぼされるのは割に合うものではない。いろいろ言いたいことをぐっと堪えて、猫の前を横切るネズミのように彼らの目の前をいそいそと通り過ぎていく大臣を大人しく見送った。
 何事もなく大臣を港まで送り、軍も大臣もほっとする。だが、港では問題が起こっていた。
 新聞には青い兵団が高速船で逃げたと書かれていた。そのせいで、高速船が入港を妨害されていたのだ。高速船など何隻もあり、方々の港に常に出入りしている。とは言え、民にとっては高速船などどれも同じだ。まして、この町には大臣がいる。逃げ帰ってきた青い兵団の行き先としてはここほどふさわしい所もなかった。
 この調子では、高速船が港に着けられたとしてもそれを使って帰るのは危険だ。時間がかかっても普通の目立たない船で帰った方がいいだろう。
 大臣のために急遽船が用意された。おかげで大臣もどうにか帰途につくことができ、この町の駐留部隊も厄介者を無事送り出せて胸をなで下ろした。

 バンフォの民と魔法使いたちは、国境までもう少しと言うところまで迫ってた。彼らのアテルシア脱出も大詰めだ。
 そして、新聞記者の取材も大詰めになっていた。世論を味方に付けて、すでに軍や自治体さえ新聞の論調に合わせている。記者もやりたい放題だ。
 しかし、記者のやる気に反して取材を受けるテラーファングにも話すことがなくなってきた。グレックは面倒事が嫌で早々に姿を隠してしまう。サマカルドら軍人たちに話せるようなことならば記者たちはすでに掴んでいるばかりかさらに詳しい情報を出せる。
 自ずと取材の手はクレイとエリアに伸びた。お調子者のテラーファングが受けてきた取材をずっと見てきたクレイは、取材がどんなものかは分かっている。元々人懐っこい性格のクレイは取材を了承した。
「こいつらは俺みたいな半端な化け物じゃなく正真正銘の魔法使いだ。心して話を聞けよ」
 いつものように牙を剥きだした笑顔でテラーファングが言い、クレイとエリアを記者の前に押し出した。
 記者は身を乗り出して聞く。
「じゃ、いきますよ。坊ちゃん、嬢ちゃん。……まずは」
 まずは名前を聞かれた。二人は名乗る。記者にとっても初めて聞く名前ではなかった。
「おや。それじゃ、あの処刑された魔法使いってのは本当に……おっと」
 二人が顔を曇らせたのを見て記者は口を噤んだ。
 身代わりの処刑が行われていた頃、二人は人から遠ざかって逃げ回っていた。処刑が行われていたことも、もちろんその裏で何が起こっていたのかも知る由もなかった。記者相手にぶちまけるテラーファングの話を立ち聞きして全てを知ったのだ。
 国は当初、身代わりの子供たちを処刑して見せて魔法使いは死んだという事にし、二人から情報を引き出したりグレックとの交渉材料にしようと考えていた。しかし二人に逃げられたことで身代わりの使い方を少し変えた。逃げられたことを隠すために、さも魔法使いを捕らえて連れてきたように振る舞い処刑を行った。
 つまりは、二人が逃げようが逃げまいが身代わりは処刑される運命だった。だが、そんなことは大臣や王など少数の人間しか知らなかった。二人が心の奥に抱いた、自分たちが逃げたせいで無関係な子供たちの命が奪われてしまったのではないかという悩みを打ち消せる者はいない。
 この何とも気まずい空気を払拭するため記者はインタビューを始める。
「おほん。えーと、やはりお二人は伝説の通り東の果ての海に浮かぶという魔法の島から?」
 記者の質問に二人は驚く。まさか、外の人間が島のことを知っているとは思っていなかったのだ。
「教えちゃっていいのかなぁ」
 クレイはテラーファングに助けを求めた。
「島の場所を知られて、この国の軍隊が攻め込んだりしないか心配してるなら取り越し苦労だぜ。魔法使いの島があるって事は子供の絵本にすら書いてある。国は島の大体の場所だって分かってるさ。分かった上で誰も手出しができねえ。……お前らだって、帰るに帰れねえからここにいるんだろ」
 外の人間も長い歴史の中では幾度と無く魔法使いの島を目指して、軍あるいは冒険者などが海を渡っている。しかしただでさえ広大な目印も乏しい海のただ中にぽつんと浮かぶ小さな島。航路がわずかでも逸れれば通り過ぎてしまう。
 おまけに幾重もの障壁に阻まれて島にたどり着いた者はいない。島から放射状に広がってゆく、船を近付けない激しい海流。それを越えても常に荒れ狂う海と常に猛り狂う嵐の領域を抜けなければならない。島を目指して無事に帰った船はなかった。そして、記録にある限り島に外からたどり着いた者がいないことはクレイとエリアがよく知っている。これらは全て魔法によるもの、島に近付こうとする者を退ける巨大な結界の力だ。努力と偶然で島のある海域を見つけることができても、島にはそれ以上近付くことができない。魔法使いの島のある場所は分かっているが、誰も手出しができないのだ。
 今更クレイがそこに島があると明かしても、やっぱりそうかで終わるだけ。島の外には彼らの島に攻め寄せようとしているものたちが居ることなど露ほどにも知らずに、島の人たちは穏やかに過ごしていたのだ。なんと危ういことだろう。
 記者は問う。
「魔法使いでも島に戻ることはできないんですかい。軍や教会も血眼になって島にたどり着く方法を探してるみたいだけど、そりゃだめだなぁ」
 ある方法で島に戻れるかもしれない……そのことは伏せておいた方が良さそうだ。
「それでも島から出てきたという事は、お二人には何か目的があったんですな。それは一体?」
 そう言えば何故だったろう。クレイは少し考える。
「島の外にも世界が有るって知って、見てみたくなったんだ。でも……帰れないのはやだし、一度はやめようって。でも、エリアが急に行こうって。……そう言えば、何でだっけ?」
「えっ。そ、そりゃあ……好奇心よ」
 いきなり振られてエリアは少し慌てた。いや、いきなり振られたからと言うだけではなく、エリアが唐突に旅立ちを決めた理由も慌てた原因のうちだ。
「そうだよね。ダメだって言われると、出たくなっちゃうもんね」
 納得したようだ。自分が婚約させられそうになったという話もぶちまけたはずだが、クレイにとっては忘れてしまうくらいどうでも良かったらしい。
 あまりのくだらなさにクレイはきれいさっぱり忘れてくれていたようだ。勝手に決められた婚約。しかもその相手が嫌なラルフロイだ。腹を立てて家を飛び出した勢いで島まで飛び出してしまった。冷静になれば、あまりにも下らない理由だった。一晩の家出くらいならともかく、二度と戻れないかも知れない旅の切っ掛けには些か相応しくない。そんな理由はクレイに知られたくなかった。恥ずかしいのはもちろん、そんなくだらない理由のためにクレイまで散々ひどい目に遭わせてしまっている。申し訳なくて言えるはずもなかった。
 それに、婚約を勝手に決められてそれに反発して男の子を連れて飛び出すなど、端から見ればどう見ても駆け落ちだった。たとえその男の子が、相手の女の子が婚約させられたことを聞いたはずなのに忘れてしまうくらいどうでもいいと思っていたとしても、そして、こんな大事な話を忘れてしまうクレイにエリアはまったく腹が立たないくらいだとしても、そんな事情は記者にまで伝わらない。懇切丁寧に説明するのはどんどん墓穴を掘りそうだ。もう、とぼけるに限る。
「ふむふむ。家庭の立ち入った事情に踏み込むつもりはありませんのでね」
 勝手に事情を悪い方に理解したつもりになった記者は話を変える。魔法使いの島とはどのようなところなのか。
 二人は島での暮らしについて記者に話した。学校に通い、遊ぶ。全員の名前を諳んじられるほどの数の島の人々は、一つの大きな家族のように助け合って暮らしている。それはこのあたりの田舎でもよく見られる平和な風景だった。
 違いがあるとすればやはり魔法の存在だろう。島での暮らしの中の魔法の役目についても聞かれ、それも話した。
 料理のための火を起こし、泉の水を汲み上げ、時計の針を動かす。
 こちらの人々が考える魔法とは、町を焼き払い、人々を濁流で押し流し、人を操って殺し合わせる。そんな恐ろしいものだった。しかし、島では日常の暮らしの中で便利なものとして魔法を使っていた。
「島って、思ったよりもずっと小さいんですな。ところで、島で一番偉いのって誰です?」
「長老さんだよ。島で一番すごい魔法使いが選ばれるんだ」
「どんな人です?」
「優しいいい人だよ。島を出ようとしてるのを知ったときだけ、とても怒っててすごく怖かったけど」
「戦いの訓練とかは……してませんよねぇ」
「ないよ。何と戦うのさ」
「ですよねえ」
 人々の抱いていた、言うなれば国によって抱かされていた魔法使いのイメージとはまるで違う魔法使いの姿だった。
「では。お二人から見てこの国の人たちはどんな人たちですかねえ」
「えーっ。どんな人って言われてもなぁ。いろんな人がいるよね」
「魔法使いと言うことで酷い目にも遭わされたんでしょ?」
 要は、争いもなく穏やかに暮らしている魔法使いに比べて我々はなんと愚かなことかという結論に持っていきたいのだ。
「酷い目にはずいぶんあったけど、魔法使いだってバレなければ平気だよ」
「バレて追いかけ回されたりしたんでしょ」
 記者としては二人が酷い目にあった話があれば都合のいい記事が書ける。なんとしてもそういう話を引き出したいところだ。そして二人にはそんな都合のいい体験談ももあった。
「うん。兵隊って言う人たちがたくさん追いかけてきて、囲まれて捕まっちゃって。あの時は酷かったなぁ」
「なるほど、その後逃げ出して……まあ、その。一騒動あったわけですな。お二人とは関係なく」
 処刑の事を遠回しに言っている。だが、記者としてもまだその話をする気はなかった。
「捕まってる間はどうでした?あー、言いたくないような事があったならいいんですけどね」
 クレイはちらりとエリアの方を見て言う。
「えーと。あんまり覚えてないや」
 クレイは特に痛めつけられたので、確かに所々意識が朦朧として覚えていないことも多かった。でも話すことが何もないほどではない。
 そんな中でも、はっきりと脳裏に焼き付いていることがある。クレイだって年頃の男の子だ。クレイの脳裏に焼き付いていたのは、拷問の最中に上半身を裸にされたエリアの姿だった。
 特に、散々いたぶられて意識も薄れ身動きすらできなくなっていたクレイをそのままの姿で抱きしめてきた時は、傷を押さえつけられた痛みも相まって目が覚めたものだ。そんなこともあり、クレイはちょっと言い出せずにいた。あの時は散々辛い思いをしたが、そんなことはほとんど吹っ飛んでしまうほど、年頃の男の子にとってはものすごい出来事だったのだ。
 そのエリアは顔を曇らせて少しうつむき加減になっていたが、不意に顔を上げた。
「あたし、覚えてます」
 そう言い、エリアは捕まってからのことを話し始めた。拘束から、拷問。
 エリアは、クレイのよく覚えていないと言う言葉を、あまりにも辛すぎて意識さえ朦朧としていたせいだと理解した。だからこそ、よく覚えている自分が代わりに伝えなければ、と決心したのだ。エリアにとっては、自分が裸にされたことやそのままクレイに抱きついたことの方が吹っ飛んでいた。
 話しているうちに辛い記憶が次々と蘇り、その目から涙が溢れ出す。思い出したことは全て話した。話が進むにつれ、話を書き留めていた記者の手が止まりがちになる。テラーファングもこんな話を聞いてはさすがににやけては居られない。極めて居づらそうな顔をしている。
 エリアが語ったことはとても子供に対する仕打ちではなかった。そもそも、この国では罪人にも捕虜にも拷問など行われないことになっていた。しかし、話の中では手慣れた感じで拷問が行われている。この国で罪人のように扱われる魔法使いは“罪人”ではない。あくまで“魔法使い”だ。罪人に拷問を行うことはなくても、魔法使いに対して拷問を行わないなどとは憲法でも言っていない。罪人を魔法使いとして捕らえればいくらでも拷問できるのだ。
 クレイが気にして船の中での出来事そのものに口を噤むことになった、エリアが裸にされたことも記憶が甦った本人の口から語られた。クレイに裸を見られたことは、クレイが気にするほど本人も気にしていないようだ。実際、さっきは忘れていたほどだ。まさにその時はそれどころではなかった。
 エリアが話し始めたことで、クレイも思い出した振りをして話し始めた。エリアが裸にされたあたりの話は言葉を濁したが。
 話を聞き終えた記者は言う。
「よく話してくれました、お辛いでしょう。……この話、本当に記事にしちゃっていいんですかね」
 エリアは頷いた。
「ええ。あたし……本当のことを言っただけですから」
「ええと、少将。拷問が行われていたという事についてどう思いますか?」
 黙って話を聞いていたサマカルドに話を振る記者。
「……魔法使いと目されている罪人に対する拷問が秘密裏に行われているという噂はだいぶ前から聞いていた。実際に行われていたとしても何ら不思議はない。……しかし、仕立てあげられた偽物の魔法使いになど、拷問で聞き出すようなことなどあるのか……」
 今回のクレイとエリアはホンモノの魔法使いだ。だが、これまでに拷問を受けただろう魔法使いは、ほとんどが偽物のはず。サマカルドの疑問に対し、テラーファングは一つの可能性を挙げる。
「そりゃあ、あれだろ。国のでっち上げた罪状を無理矢理認めさせるためじゃねえか?」
「……あり得ぬ話でもない……か。よく思いつくな、そんなこと」
「俺はあんたみたいにクソ真面目じゃないからな。時には卑怯な手だって使うさ。だから卑怯なやり口だっていくらでも思いつく」
 テラーファングはまた牙を見せながらにやりと笑う。
「私もその卑劣なやり口を使っていたんじゃないかと言われた組織の人間なんだがな」
「別物さ。あんた等は衆愚向けの茶番劇を演じるための人形。卑劣なのは人形使いの大臣と惨劇の立役者たちだろ。自分らで略奪なり虐殺なりをやらかして、適当にとっつかまえた山賊に魔法使いの汚名と濡れ衣を着せて、拷問でそいつを認めさせて処刑ショーで全てが解決したことにする……完璧すぎて笑いが止まらないだろうぜ」
「やれやれ、頭が痛くなる」
「こんな国で盗人やろうなんてのが間違ってんのさ。もっといろんな事、隠してるだろうな」

 話は元に戻り、二人がグレックによって奪還されるとこまで進む。何せ、この間は何も起こらなかった。二人は鉄の箱に押し込まれ、闇の中で馬車の振動だけを感じていた。馬車を襲った盗賊が箱を開け、そこにスカイウォーカーが現れる。
「あんな鳥みたいな人が居るなんて、島の外はすごいなあって思ったよ」
「ああ、スゲえわ。世間知らずってのはな……。嘴や羽のある人間も、牙の生えた人間も普通は居ねえよ。怪物を見ても、色んな人が居るなぁですませちまうとはな」
 いつもに焼けているテラーファングも、この笑い顔は苦笑いだ。
「えへへ」
 クレイは照れ笑いを浮かべた。
「こいつらの救出については首謀者のこっちの方が詳しいぜ。話そうか?」
「ええもう是非」
 テラーファングは手近な椅子を引っ張ってきてどっかりと腰を下ろすと、その時のことを話し始めた。
 軍が子供の魔法使いを追っている。指名手配までされた二人のことはグレックの耳にもすぐに届いた。
 盗人や極悪人が魔法使いとして指名手配されるのはよくあることだ。そんなのは助けてやる気も起こらない。だが、今回はそういうわけでもなさそうだ。
 どう言った事情があるのかも気になる。グレックもこの一件について調べてみることにした。
 魔法使いとは言え、人々が考えるほど万能ではない。制限の多い力と数の少ない協力者では思うように情報も集まらない。結局二人を追い回す軍の後をつけ回し、動きが予測できるようになったところで先回りをする。そんなことしかできずにいた。
 やがて、軍は二人を捕らえるために規模の大きな作戦を実行した。数百規模の人馬が駆り出され、包囲網を敷いた。これについては指揮をしたサマカルドの方が詳しい。サマカルドも当時の状況などを話した。
 近辺の町の警戒が厳しくなり、人々も見慣れない旅人に疑惑の目を向ける。こうなるとグレックたちも手が出せない。
 事の顛末だけでも見ておこうと遠くから見守っていると、クレイとエリアの二人が現れた。その時、グレックたちは軍が追い回していた二人の子供が本物の魔法使いであることを知った。二人を取り囲んだ騎馬の兵士たちを飛び越えることすらできないが、確かに魔法で飛んでいた。
 大規模な作戦を展開する軍に二人が捕らえられることは阻止できそうにない。そう悟ったときから、捕まった二人を軍から奪い取る方向で方針は練り直されていた。二人が魔法使いであることが分かった事でその方針は変わらない。むしろ是が非でも二人を奪取して話を聞いてみたいところだ。
 軍の動きは分かりやすい。国防大臣や一部の上級士官を見張っていれば、軍はその指示の通りの動きしかしない。軍艦で移送された二人が、その後どう運ばれるのかを把握するのも容易かった。単純な思考の山賊を誘導して馬車を襲わせることもうまく行きそうだった。
 その頃、もう一つの動きがあった。大臣が孤児を連れてきて本物の魔法使いの身代わりにしようと目論んでいたのだ。それも阻止しなければならない。グレックはそちらの情報集めに動き回り、クレイとエリアの救出にあまり時間を割けない状況だった。そちらは山賊とスカイウォーカーに任せておいて大丈夫そうだとグレックは踏んだ。山賊は思惑通りに動き、宝と勘違いして二人を軍から奪い取る。あとは山賊を追い散らしてやればいい。
 そんなとき、グレックも隙を見て様子を見に来た。ちょうど山賊が追い払われたところだった。グレックは二人の姿を見て拷問が行われたことを知った。時間が許せば二人の傷を治療したかったが、グレックには時間がなかった。二人が魔法使いならば、癒しの魔法を教えておけば自分たちで何とかしてくれるだろう。実際、全身ボロボロだった二人は、数日後グレックが再びその姿を見たときはだいぶ傷も癒えていた。
「見えるところだけすぐに治したんだよ。あんまりひどいと買い物するにも目立っちゃうし」
 服の下は相変わらずボロボロだったわけだ。
 結局処刑は行われ、二人の孤児を救い出すことはできなかった。グレックの妨害に感づき始め、対策を強化してきたのだ。処刑場には強力な結界が貼られ、中では魔法が使えない。魔法も無しに子供たちを救うことは出来なかった。
「そいつらも俺みたいに何かの生き物の命を借りてどこかで生き返ってるはずだな。俺は会ったことねえけどさ」
 グレックたちによる今後の妨害は難しくなると思われた。当然、対策も強化されるはずだった。だが、その後政府の隠していたことが次々と明るみに引きずり出されることで政府が動けなくなったのは幸いだ。
 クレイとエリアは救出された後、人目を避けながら隣の国を目指し旅を続けたことを話した。
 二人は既に処刑されたことになっている。逃亡した事実はサマカルドらごく一部の軍人と政府のお偉方しか知らない。二人の行く手を阻むものは居なくなっていた。とはいえそんなことは露ほども知らず、二人は相変わらず人目を避けて山脈に沿って移動していた。そんなところにいたのならサマカルドがいくら街道沿いを探し回っても見つかるがはずがない。サマカルドはえらく無駄なことをさせられていたものだと思う。

 そんな最中、逃亡中の二人は遠くの町が燃えているのに気付いた。バンフォだ。巨大な狼煙に引き寄せられ、バンフォにあの日最後の役者が駆けつけた。
「結局、町の人はグレックさんがみんな助けた後だったよ。グレックさんの魔法ってやっぱりすごいって思った」
 テラーファングも当時を振り返る。
「ずいぶんと大がかりなことをやってくれたからな。こっちとしても手を打つのにたっぷり時間をかけられたよ。蒸し焼きなら焼きあがるまでオーブンの中を覗かないのは基本だしな。オーブンの中で、好き放題やらせてもらったぜ。問題は一足遅れでやってきたゲストたちさ」
 公会堂の中にいた人たちは外に脱出した。だが、外ではまだこの中に人が居ると思い救出のために悪戦苦闘している連中がいる。門外漢であるサマカルド、そして駆けつけたクレイとエリア。
 彼らを放ってはおけない。退路くらいは確保してあるのだろうが、炎をかいくぐっての脱出よりはゲートをくぐる方が楽だろう。それに、テラーファングは住民の救出を一足先に終えたことを外に伝えることができなかった。住民を閉じこめるために外側を固められた公会堂から外に出ることは当然できない。窓から外に向かって叫んでも、怒号を飛び交わせながら作業に気を没頭している彼らにその声は届きそうにない。性分的にも、気長に待つしかなかった。
「間に合わなくなるころにはおやっさんも来るだろうし、あんたらならそれまでに何とかすると思ってたぜ」
 とはいえ、炎に包まれた公会堂の中はかなりの暑さになってきており、のんびりと待つにはいささか向かない環境だった。ゲートで中と涼しい外を行ったり来たりしているうちに人の気配がし始めたときは、ようやくこの蒸し風呂から解放されると思いほっとしたものだ。
「確かになんとかはなったがな。あのぶちまけるような雨が降ってこなければどうなったことか」
「雨?ああ、あれか。あんな月がきれいな夜に雨が降ると思うか?」
「あ。そういえば……。あの夜は雲一つなくて星がとてもきれいでした」
 エリアが当夜のことを思い出した。
「確かに、町の外に出た後は雨など降っていなかったし、月明かりで辺りが照らされていたな……。あの雨も魔法の力か」
「そんなところだ。あの晩、開かれたゲートは一つだけじゃなかった。もう一つ、公会堂の屋根の上と水路の底を繋ぐゲートが開かれてたのさ。そこから公会堂にしこたま水を浴びせてやった。時間稼ぎにはなっただろ」
「その水で町の火を消せなかったのか」
「火の手が多すぎてそいつは無理だ。水と魔力が足りたとしても、それはそれで町が流れちまうよ。そもそも、そんなことができるなら最初に兵隊どもを流しちまった方が手っとり早いね」
「……そのようだ」
 とにかく、クレイとエリアにとっては自分たちが逃げ回ってる間になにが起きていたのかが、サマカルドにとっては自分の追いかけていた相手が実際どうなっていたのかがこのやりとりを通して分かる結果となった。

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