マジカル冒険譚・マジカルアイル

19.騎馬より速く

 一晩にして『難民』になってしまった彼らは、その町でやるだけのことをやったら次の町への移動を始める。
 歩きの旅では5つの宿場を経てつくような距離だが、さすがは魔法の力だ。昼頃にはもう次の町に着いた。いい時間なので、少し長めの休憩を入れることになった。
 サマカルドには一つすべきことがあった。そのために、一人馬で引き返そうかとも思っていた。
 大臣はバンフォの民の口を封じ損ねたことを知らない。首尾よく事が進んだと思っているはずだ。うまくいったと思えば、味をしめる。都合の悪いことが起きたとき、また同じようなことが起こるかもしれない。だから、大臣にその企みが失敗したことをしらしめてやらなければならない。そう考えていた。
 グレックはそのことを打診してきたサマカルドに、わざわざ足を運ぶ必要はないといった。遠い場所を繋げる魔法があるように、遠い場所に姿と声を届ける魔法もある。それがあれば、ここにいながらにして大臣と話をすることもできるのだ。
 その魔法もゲートの魔法ほどではないがやはり距離が伸びると難しくなる。やるなら今のうちだ。
 クレイとエリアにも手伝ってもらい、準備が始まった。グレックの幻視により、相変わらずラフォルクの駐屯地にとどまっていることがわかった。大臣の目を盗んで抜け出したサマカルドをまだ探させていたのだ。
 魔法により、大臣の姿がサマカルドの前に現れる。まだこちらの姿は送られていないので、大臣は何事もなくただ苛立たしげに書類に目を通している。
「君たちもこの顔を覚えておくといい。この男が魔法使いに関わる一切合切を取り仕切っているハーブレス国防大臣だ。君たちを捕らえる命令を出したのも、護送中の拷問を命じたのも、処刑を取り仕切ったのも全てあの男だ」
 その言葉に幻影を保持していたエリアも動揺し、大臣の姿が揺らめいた。エリアは慌てて集中する。再びはっきりとした姿になった大臣の幻に二人は険しい顔で熱い視線を送った。
 大臣にもこちらから幻を送った。だが、熱心にに書類を見ていて気付かないようだ。
「大臣」
 声をかけると大臣は飛び上がって驚いた。閉め切った部屋で扉が開かれてさえいなかったのに、突然声をかけられれば当然だった。
 大臣は目の前に音もなく現れたのがまさに今探している人物だと判り、怒りに満ちた顔で立ち上がった。
「貴様!よくもぬけぬけと私の前に……?」
 言いかけた大臣に疑問の表情が浮かぶ。目の前に立っている人物があからさまに実体でないことに気付いたのだ。
 大臣には事態が把握できない。サマカルドは勝手に話し始めた。
「魔法使いの襲撃を受けていると報告のあったバンフォの町にて、公会堂に閉じこめられていた住民千人あまりを救出しました。話し合った結果国内は危険であると言う結論にいたり、住民を国外に逃がすことになりました……なぜ危険なのかは、大臣殿が一番よくご承知かと」
 大臣の顔がひきつる。この言葉が本当ならば、考えうる最悪の事態と言える。口封じは失敗だ。それどころか、口を封じて隠そうとしたこと以上に致命的な秘密が千人もの人間に握られ、それが国外にまで伝わろうとしているのだ。
 だが。
「ふ……、ふん。信じることができんな。貴様のその姿は何だ。見るからに幻ではないか。グレックの魔法が生み出した幻なのだろう」
 あからさまなその事実に気付くべくして気付き、大臣は強気に笑った。だが、事態は何一つ変わっていない。サマカルドにとってはむしろ好都合だ。
「いかにも。私のこの姿はグレック殿の力添えでこうして大臣に届けております。バンフォ住民の救出も私は見届けただけ、全てはグレック殿によるものです。しかしながら、バンフォの住民が救出されたという事実は変わりません。……大臣、あなたの計画は筒抜けだったのですよ。今後同じ事をすれば、同じように先手を打たれるでしょう。いや、あらゆる企てがグレック殿に嗅ぎつけられていると考えた方がいい。すでにいくつかの計画はあなた方に悟られないように阻まれている」
 そこに、テラーファングが割り込んできた。
「よう、大臣。俺のことを覚えてるかい?……ああ、あんたは俺の顔なんか知らないか。ラフェオック……この名前で思い出せないかい?」
 大臣は必死に思い出そうとしているようだ。
「やれやれ、これじゃだめか。一昨年ブデギオ山で魔法使いにやられて転落事故を起こして死んだ……そういうことになってると思うんだけど?」
 思い当たることがあったらしく、大臣の顔がさらに引きつる。
「やっと思い出してくれたかな?あんたの差し金だった連中は俺にしっかりとどめを刺したつもりだったみたいだが、実際はこの通りさ。顔はこのザマだけどな」
 テラーファングはいつもの牙を剥きだしてのニヤニヤ笑いを堪えている。大臣には大けがで顔を隠しているただの男にしか見えていないだろう。つまりは、死んでいなかったと思ったはずだ。
「こうやって助けられたのは俺が最初ってわけでもない。助けられた後、俺は俺で随分と手伝いもした。あんたの部下は随分と大忙しだったようだな。そのおかげか、仕事の後始末は結構適当だったぜ。……あんたらの思い通りにことが進んでいたことが実際にはどのくらいあったろうな?今まで気付いてなかったのかい?報告だけ聞いてりゃあ、そりゃあうまく行ったと思うだろうけどなぁ」
 テラーファングの言葉はほとんどハッタリだった。実際命を救えたのは今回が初めてだ。特命部隊の動きに気付けず後手に回ることばかりだった。だが、目の前には偽物ながら彼らの失敗“実例”がいる。このハッタリに相当な真実味が持たされた。
 すでに国の威信にとって、今回のような致命的な出来事が幾度となく起きていた。そして、真実を知るものを揉み消すつもりで、揉み消し損ねて新たに生み出し続けていた。それは衝撃以外の何物でもなかった。大臣は脂汗にまみれて目を剥いている。
 もう十分だろう。サマカルドは最後に言う。
「我々は国を守るためあなたに従ってきました。ですが、不思議なことにこの国では国を守ることと民を守ることは等しくないようですな。私は国よりも民を守りたい。そのための手段を探そうと思います。少なくとも、そのために戦うべき敵はセドキアでも魔法使いでもない。……大臣。またいつか、あなたに直接会える時を楽しみにしていますよ」
 サマカルドが合図を送ると、大臣の前から幻影が消え失せた。テラーファングは大臣の幻影をこちらに見せる魔法を使っているエリアに言う。
「そっちのはもうちょっとの間残してくれないかい?泡を食った大臣の取り乱す様をゆっくり眺めたいんだ」
 今まで我慢していた分、思う存分牙を剥きだしてにやける。心から悪そうな表情だ。そこに牙まであるのだ。そんな笑顔を向けられたエリアの背筋はぞくぞくした。
「は。はいいっ」
 集中するふりをして慌てて目をそらすエリア。サマカルドはテラーファングに言う。
「いいご趣味だな」
「あんただって興味はあるだろ?」
「……まあな」
 大臣はしばし頭を抱えたまま歯噛みしていたが、やおら立ち上がり部屋を飛び出していった。エリアが呪文を唱えると幻の視界は大臣を追って動き出す。
 大臣は寄宿舎も飛び出し、どこかに行こうとした。不意に大臣は足を止め、振り返り、顔をひきつらせた。大臣が何を見たのか、窺い知ることはできない。
 視界を動かして確かめた方がいいのかエリアが迷っていると、いきなり何かが視界に飛び込んできた。黒い影が大臣に襲いかかる。それは一羽の黒い鴉だった。
 鴉はその鋭い爪で掴みかかり、嘴を突き立てた。大臣の禿げ上がった頭に一筋の血が流れる。鴉の体は膨れ上がり、醜い怪物に姿を変えた。
「奴もグレック殿に救われたおまえの仲間か?」
 サマカルドの問いかけにテラーファングは両手を広げてかぶりを振った。
「こいつは救いようのないろくでなしだったからこうしてやったらしいね。これはこれで新しい生き様を満喫してるみたいで癪に障るんだが、憎しみが大臣さんの方にも向いてるおかげでこうやって潰し合ってくれている。どんな姿になってもろくでなしなのは変わってねえ」
 そうこう言っている間にも怪物と大臣は取っ組み合いを続け、大臣の傷は増えていく。騒ぎを聞いて駆けつけた兵士たちが怪物を追い払い、大臣は命辛々逃れることができた。そんな様子を、サマカルドは冷めた表情で、テラーファングは相変わらずのにやけ顔で見守っていた。
「何とも敵の多いお人だ」
「日頃の行いの賜物だね」
 そんなことがあったせいで、大臣は部屋に逃げ帰った。結局大臣がどこへ行きたかったのかは判らずじまいだ。
 部屋に戻った大臣は、椅子に掛けて指で苛立たしげに机を叩き始めたが、すぐにその動きが止まる。机の上の書類にその目は向いている。慌てて立ち上がり、また部屋を飛び出していった。再びその動きを追う。
 今度は外には出ず、詰め所で待機している兵士に向かって言う。
「誰か、新聞社に行ってバンフォの事件の記事を差し止めさせろ!急げ!」
 ただならぬ剣幕の大臣に、くつろいでいた兵士たちは一人残らず飛び出していった。
 その様子を見ていたサマカルドは先程の大臣の様子に思い当たる。
「机の上の書類がその記事じゃないか」
「あー、そうかもなぁ。なあ、部屋に戻ってさっきの書類を見せちゃくれないかい」
「はいっ」
 エリアはテラーファングに言われた通りにする。
「素直でいいねえ。これがなぁ、大人になるとそろいもそろって素直じゃなくなるんだよなぁ」
 テラーファングの軽口に反応する余裕は、今のエリアにはいろいろな理由でなかった。
 誰も居ない部屋。机の上には書類が広げられている。
 サマカルドは書類を手に取ろうとした。だが、その手は書類ばかりか机をもすり抜けていった。実体の伴わない幻というわけだ。一番上に置かれている書類しか見られそうにない。
 新聞記事の草稿のようだ。バンフォの大火災についての記事だ。そこにはサマカルドの見た物と全く違う事実がかかれている。
 まず、最初に書かれている事件の概要からしてまるで違う。無数の怪物が町を襲って住人を一人残らず食い殺し、
その血と魔法の炎で町が深紅に染まったなどと書かれている。
 そんな怪物など住民たちの話には出ていない。いや、バンフォに兵士たちがやってきたとき、住人たちには魔法使いが怪物を引き連れてやってくると話していたはずだ。どうやら、最初からバンフォの町がいかにして壊滅させられるかというシナリオが用意されていたようだ。
「これ、号外の記事だろ。差し止めなんて間に合うはずがねえ。奴らの情報伝達は軍隊以上だぜ。企業秘密の手法を使って、たちの悪い伝染病だって土下座するほどの早さで情報を伝えていける。まして号外はスピードが命だ。もう配り始めてるんじゃねえか?」 
「我々の移動とどちらが早い?」
 サマカルドはテラーファングに尋ねた。
「新聞屋なら追いつけるだろうな。新聞屋の連絡網は交代制で昼夜問わず動いてる。光を使うんだ。俺たちが寝てる間に追いつかれるのは間違いねえ。早けりゃそれまでに追いつく。見てな、そのうち誰かが号外を手に入れてくるさ」
「企業秘密の割には詳しいな」
「国の流そうとしていたインチキ記事を邪魔したことがあってな。光の通り道を煙で遮ってやったんだが、馬が手紙を運ぶ当たり前の方法であっさりと出し抜かれたよ」
「それは……当たり前の対応だな」
「当たり前っちゃあ当たり前だったが、素早く対応されてなぁ。……軍隊だったら上に報告して次の指示を待ってってのがあったからな。とろくさい軍隊の相手をしすぎてて、新聞屋を舐めてかかったのがまずかったよ。対処マニュアルもあったんだろうが、規律に縛られてない分連中は身軽だった。あいつらよりは軍の方が単純で相手にしやすいね」
 突然の軍批判にサマカルドは面食らうが、もう軍に戻れる立場でも、軍に戻る気があるわけでもないサマカルドには関係ない話だった。
「そんな感じだからさ、今更大臣が慌てたところで、すでに手遅れだろうな。出来上がった記事はあとでゆっくり読ませてもらおうぜ」
 そこに突然大臣が現れた。サマカルドは狼狽えるが、これは幻。大臣は机の前にいるサマカルドとテラーファングに気付くはずもなく椅子に腰掛けた。
 大臣は机の上の草稿を手に取る。めくって二枚目を見せてはくれないかと期待するが、そのまま破り丸めてくずかごに叩き込んでしまった。これではもう読めやしない。
 大臣はまた苛立たしげに指で机を叩き始めた。ただ苛立っているだけの大臣を眺めていても仕方がない。大臣の幻は消え去った。

 次の町、その次の町。旅は順調に進んでいく。
 たどり着いた町で何人かが食事をし、何人かは買い出しを行う。
 そうこうしているうちに、本当に新聞社の情報が一行に追いついたようだ。何人かがバンフォの惨劇を書いた号外を街角で仕入れて戻ってきた。版を組んで印刷する時間も考えれば結構早い時間に話は伝わっていたという事だろう。
 人々は早速号外に群がり、回し読みする。
 そこに書かれていたことは事実とはかけ離れていた。その内容に怒りを露わにする者もいれば、思った通りと呆れる者もおり、反応は様々だ。
 サマカルドたちが盗み見した草稿にもあった、町が怪物に襲われたという話には続きがあった。一歩間に合わず、住民は食い殺し尽くされ町は炎に包まれていたが、そこに遅ればせながら軍隊が駆けつけて怪物の群は残らず討伐された、心配は不要だ、我が国の軍はなんと頼もしいことかなどという話になっていた。先に軍が来て住民を避難させたなどと言う話はどこにも書かれていない。
 一人残らず殺されたというその瞬間を、まるで見てきたかのように書いているが、それにもちゃんと理由付けがされていた。町の情報局に常駐していたハーブラーという新聞記者が最後の瞬間まで書き続けた手記を兵士が見つけたということになっている。
 その記者に敬意と哀悼の意を表して記事が終わっているが、その記者は創作の人物ではない。実際に情報局に勤めていた記者だ。死んだことになっているだけあって、まさに全てを目撃し、今ここにいた。
 国の用意した筋書きを元に事実と異なる記事が書かれるのはいつものことなので今更驚きもしない。とはいえ、勝手に死んだことにされた上に書いた覚えのない手記まででっち上げられた記者が、記事を読んで憤慨したのは言うまでもない。それに、こうして死んだものとして記事に書かれるということは、ハーブラーが死ぬことも計算に入っていたということになる。大臣にとってはまずい情報を確実にため込んでいるだろう新聞記者という存在は、真っ先にもみ消しておきたかっただろう。無理もない。
 しかし、ハーブラーもそのまま黙って死んだことになってやる気はなかった。最後っ屁の準備がある。
 新聞に書かれていない真実があり、その代わりに嘘の記事を書く。記者は少なからず事実を知っているものだ。新聞に書かれない事実も、人々に情報を伝える仕事をしている身として黙って抱え込む気など彼らにはない。記事にするまでは口が堅いが、すでに記事になってしまったことと記事にできないことについては口が軽くなる。その性分が鎌首を擡げてきた。
 ハーブラーはそこから新しい町に着く度に新聞社の情報局に立ち寄り、真実をぶちまけてくるようになった。最初はこのまま逃げきったら今回の出来事を本にして一山当ててやろうと目論んでいたようだが、儲けを度外視してでもとっととぶちまけてやりたくなるほど腹に据えかねたようだ。一応、本を書くことも諦めたわけではないらしい。
 話を聞いた記者は他の情報局に立ち寄ったときに記者仲間にその話を伝える。そこから他の記者に、記者の家族に、行きつけの店にと広がり、そこからさらに噂話として町中に広がっていくのだ。
 そんな話を聞いたサマカルドは、ハーブラーに他にどんな話を知っているのか尋ねてみた。
「こいつはもう、大きな騒ぎになったんで御存知でしょうがね」
 そう前置きして話し出したハーブラーのとっておきの隠しネタは、サマカルドも居合わせたバラフォルテの処刑の話だった。
 記事では死刑囚の消失は魔法使いが見せた幻影で、死刑執行人に扮装した魔法使いが打った芝居だった、その魔法使いはすぐに捕らえられて間を開けずに処刑されたことになっていた。
 その記事によって、捕らえたという子供の魔法使いに逃げられたことが知られてしまうが、真相を知られるよりはずっとましだ。それに、逃げられたということにすればまた何か不都合な出来事の濡れ衣を着せられるという目算もあった。
 その一方で、巷に密かに広がっていた噂ではこうなっている。世間を騒がせた子供の魔法使いなど本当は最初からおらず、騒ぎを収めるために子供を使って一芝居うち、事態の収束を計ろうとした。しかし手違いで子供たちを死なせてしまい、子供たちは死なずに逃げたことにされた、と。これはこれで事実とは随分違うが、魔法で見せた幻などと言う話よりは信じられている。
 元々この辺りは田舎であることもあって魔法使いの仕業にされる大きな事件が少なく、魔法使いに対する恐怖心が薄い。ニュースも冷静に、客観的にみることができる。それに加えてこのような“噂”も入ってくる。首都の辺りではそんな噂を流せば魔法使いの疑いをかけられかねないが、国も田舎までは目が届きにくいので監視も緩い。噂もすんなり広がっていく。そんなこんなで魔法使いの存在については割と懐疑的だった。
 バンフォの一件はこの辺りでは貴重な魔法使いによる大事件だった。その事件の実態が知られてしまえば人々はますます魔法使いが起こした事件の話など信じなくなる。その一方で信じられていなかった魔法使いはこの一件の裏で確実に暗躍しているのだから皮肉なものだ。
 ハーブラーは他にも魔法使いが起こしたことになっている出来事についての裏情報を持っていた。サマカルドの知らない事件も多かったが、テラーファングの方には覚えのある事件もあるようだ。
 そういう事件はグレックが裏で動いていた出来事。実際に何が起こっていたのかテラーファングも知っている。新聞記者たちが想像力を膨らませて尾ひれを付けた話を直してやるが、尾ひれ程度の違いなのは確かだ。
 新聞記者たちは国から命令が出るまではできるだけ事実に近い記事を書くために情報を集めている。行き場をなくしたその情報が噂となって流れているのだから、それなりの正確さは持っているということだ。
 こんな噂が庶民の間に流れているというのは、軍にとってはまさに由々しき事態だった。サマカルドもこんなことになっているなどと言う話は聞いたことはなかった。だがそれも無理はない。サマカルドがいた軍はそういった噂を取り締まる側。取り締まる側に気付かれないように噂は広まっていく。言ってみれば、サマカルドたちが一番そういう話が入りにくい場所にいるのだ。
 魔法使いを追い回していたつもりの軍や、魔法使いに深刻な被害を与えられていたつもりの首都近郊の市民、つまりは当事者たちが一番何も知らず、遠いところで好き勝手言い合っていた門外漢の方が事実を知っていた。何とも皮肉な話だった。むしろ、この状態でよく首都近郊で秘密を守れていると感心したい。いや、国や軍が気付いていないだけで、すでに市民には噂が流れているのかもしれない。
 何かきっかけがあれば、市民の不信感に火がつき燃え上がるかもしれない。何とも際どいバランスの上で平穏が保たれていたようだ。
 そして、グレックはそのバランスを崩すべく動いている。国は隠すにはあまりにも大きな秘密を抱えていた。崩れるのも時間の問題だろう。

 そして、崩壊の火種はバンフォの民たちが抱えていた。その火種をばらまいたのはハーブラーだ。
 翌日の新聞に、バンフォの民が立ち寄ったカロシキの町に魔法使いが現れたという記事が出た。ハーブラーから話を聞き、好奇心丸だしで様子を見に来た記者が、我慢しきれず記事に書いてしまったようだ。
 記事では、カロシキの町でたくさんの人が消える事件が起きたと伝えられた。町外れに魔法使いが現れたと聞いて駆けつけた記者が、物陰から人々が消える様を見たという。
 大嘘だ。この記者はハーブラーに連れられてやってきて、目の前で人々が消えるのをのんびりと見ていたはずだ。
 記事にはさらに、この出来事の後に行方不明になった人はいないのでカロシキの住民が連れ去られたわけではなさそうだ、壊滅させられたバンフォに居た知人らしき人物を見かけたという目撃談もあり真相の究明が急がれる、などと白々しいことが書かれている。
 この記事では相変わらず魔法使いが悪さをしているように読みとれる。それは新聞記者の姑息さの表れでもあった。
 魔法使いに関する記事は国からの要請を受けて書くことはほとんどだが、魔法使いを悪者に仕立てあげたい国側としては、そういう結論になる記事はいくらあってもいいくらいだ。そのため、魔法使いが犯人だと言われる事件などはどんどん記事にしてもいいと言われている。これは魔法使いが起こした事件。そして、見るからに国にとってまずそうなことは書かれていない。
 バンフォの民のことは国にとってまずいことだが、その事実は記者たちを含めて誰も知らないはず。本来ならまずいことだと知りようがない。まずいことだと記者が知らなかったと言い張れば、この記事を咎めることができないのだ。むしろ、咎めてしまえば何かまずいことがあったのだと知られてしまう。そんなことを国ができるはずもなかった。
 さらに新聞記者の姑息さはこれにとどまらない。その記事が新聞に載った翌日は町に到着するとすぐに記者がやってくるようになった。魔法使いが来る上、それが危険ではないと分かっている。記者の取材者魂が黙っているはずもなかった。
 口の軽いお調子者のテラーファングが取材に応じる。その恐ろしい牙を見ても、記者は珍しい物が見られたと言わんばかりに目を輝かすばかりでテラーファングも拍子抜けだ。
 次の町に着けば、次の記者が来る。驚いたのはそのやってきた記者が前の町で受けた取材の内容をすべて知っており、前の町の続きの取材をしてくることだ。まるで魔法でも使っているかのようだが、これは例の光を使った通信だろう。
 横の繋がりを活かした抜け目ない取材。国民にとっての、そしてそれ以上に記者たちにとっての関心事である魔法使いについてを調べ尽くす気構えは十分だ。
 国が隠蔽した事実もこの機を逃すまいと言わんばかりに裏をとってきた。さすがにこんな話を根ほり葉ほり聞いても記事にはできまい。そう高を括っていたが、翌日の新聞にはテラーファングの話がほとんど掲載されていた。
 取材の時、テラーファングは記者に「こんな牙を生やした怪物の話を聞こうなんて、あんたらも物好きだねえ。とんだ大嘘かもしれねえぜ」と前置きしてから話し出した。記事も「記者に気付いた怪物は、にわかには信じられぬことを話し出した」と言う前置きで始まっている。
 昨日の取材のほとんどは記者が噂として流れていた話の真偽を確認しただけだったはずだが、全てテラーファングの教えてくれたことのように扱われている。その上で、噂として流れていたことに加えて取材で得られた新たな情報まで紙面の許す限り掲載していた。
 怪物が言った真偽の分からない出任せということにすればそれが抜け道になると言うことだろうが、バンフォの町はそれをきっかけに隠滅されたので心配になる。
 だが、その辺も抜け目はない。そのバンフォについても同じ紙面で取り上げている。すでに報道されている国の言ったとおりの内容と並べてハーブラーがばらまいた“事実”が掲載されている。それに加えて廃墟になったバンフォの町の現地取材が行われていた。
 記事では煤と灰にまみれた町の様子が伝えられていた。そしてそこには、軍が退治したという怪物の骸も、怪物に食われたという住人たちの骨のかけらさえも見つからないことが書かれていた。
 そして、公会堂は入り口が焼け落ちた木箱で塞がれ、裏口が開け放たれている。これはハーブラーの話を裏付ける事実だ。これにより、この出来事は軍の仕業だと考える読者が多くなるだろう。
 この事がどのように新聞社の保身につながるのか。それは後日起こる出来事に現れている。

 大臣は苛立っていた。記事は差し止められず、当事者のバンフォの民にもあの記事が目に留まってしまったかもしれない。彼らが立ち寄る先々で彼らの身に起きたことを言い触らしているかもしれない。その上であの記事が広まったならば。
 幸い、大臣の耳には今回の件について目立った反発が起きていたという話は届いていない。
 サマカルド少将の捜索から戻ってきた特殊部隊には、すぐさまバンフォの状況確認を命じた。
 それはその直前に新聞記者が潜入取材をして目撃したものと同じだった。開け放たれた公会堂裏口の扉、そしてその中はもぬけの殻。町中を探っても骸の一つも見つからない。
 逃げた。それ以外の結論はなかった。
 追うしかない。追いついたところでどうすべきなのかは分からない。それでもとにかくこのまま逃がせはしない。
とにかく、一緒にいるグレックとその手下たち、せめてサマカルドくらいは捕らえておかねばならない。
 グレックは恐るべき相手ではあるが、魔法でできることは高がしれているはずだ。少なくとも、これほどの数の人をあっという間に国外に連れ去るような芸当はできないだろう。
 奴らがいくら急いで逃げたところで、三日でアテルシアの東西を結べる高速船ならば追いつける。大臣はすぐさま高速艇を使って後を追うように命じた。
 それから半日も経たないうちに最初の報告があった。
 居場所の目安は付いたという報告ではあったが、それとともにもたらされたものは、まさに目を疑う代物だった。
 それは新聞だった。そこには大臣が隠していたことが一面まるまる使って書かれていた。
 この辺りで発行されている版とは違うので掲載されている記事も当然違う。この辺りの版では魔法使いが現れたなどという記事は出ていなかった。だが、報告のためにやってきた兵士が携えてきた新聞の記事を読んだ感じではこんな記事がすでに何度か掲載されているらしい。
 もはやバンフォどころの話ではない。大臣は兵士数人を見繕って新聞社へと急いだ。
 大臣はまた鴉の怪物に襲われやしないかと、上ばかり気にする。鴉の声がすればその姿を探し足を止める。
 しかし、ただの鴉ばかりで怪物は現れなかった。それもそのはず、鴉の怪物はこの慌ただしい動きに目を光らせていた。魔法使いたちは国境に向けて進んでおり、特殊部隊はそれを高速艇で追う。それを聞き、高速艇に便乗すべく特殊部隊を追ったのだ。
 居もしない怪物に小動物のように怯えながらの大臣の移動は終わった。屋根の下に来ると大臣は急に猛獣のように猛々しくなった。
 情報局長の部屋に怒鳴り込み、新聞を叩きつけた。
「これはどういうことだ!説明しろ!」
「は。あ、あ、あの。これはその。よ、余所の地方の版の記事のことは我々には何とも。それに、我々は情報局でして、記事を書くのは編集部でして。その、我々には何とも」
 しどろもどろの情報局長。大臣は机をドンと激しく叩いた。
「貴様!記事に目を通しもせずにその慌てよう……。この記事のことを知っていたな!」
「はっ!?いえ、いや、あの、ええまあその、こみ、小耳には。しか、しかし我々は大臣も居られますことですので記事にすることは見送らせました」
「私がここにいなければ記事にしたのか!」
「は。いやいやいや滅相もございません!それに記事を書くのは編集局の……」
 大臣はその言葉を遮るように再び机を強く叩いた。
「ええい、貴様では話にならん!記事を書いた記者のところに乗り込んでやる!」
「え。あ、それは……お言葉ですが」
「何だ!」
「いや。何でもありません」
「言いたいことがあるならいってみろ!」
「はっ、はいいぃ。その……出向くのは、お止しになった方がいいかと」
「何だと」
「いやその。もう話も広まってしまいましたことですので……。下手に出向かれますと、その……安全が、保証できません」
「どういうことだ?」
「バンフォに火が放たれたのが大臣の差し金ということになってますので……。大臣は今、魔法使いと同じような目で見られますでしょう。魔法使いなら恐ろしくて手出しはできないでしょうが、相手が大臣なら、その。ただの人ですから、……恐れることなどないと」
 つまりは、市民に襲われかねないと言うことだ。
「この私が、魔法使いどもと同じ目で見られるだと……?馬鹿な!いったい、なぜこんなことに……」
 しかし、原因となった記事に書かれていることはあながち根拠のない出鱈目でもない。間違いなく身から出た錆だ。
「……この記事を書いた記者を連れてこい!……この町をバンフォのようにしたくなければな!今度は魔法使いの邪魔は入らぬぞ!」
「は……はいぃ」
 局長は部屋を飛び出し、大臣が呼び出していることを通信員に伝えさせた。
 記者を呼びだしたところで、殺されに来るようなものだと思うだろう。来るはずなどない。
 この町がバンフォのようになるなどと言うのはただのはったりの脅し文句だろうとは思いたいが、少なくとも局長自身にはとんでもない処罰が下りそうだ。
 局長は後悔した。大臣に忠告などしてしまったことを。黙って現地に行かせ、袋叩きにでもしてもらった方がよっぽどよかったのではないか。
 そうだ。今からでも遅くはない。この辺りでもあの記事を出させるのだ。そうすればこの町も大臣にとって安全な場所ではなくなり、尻尾を巻いて逃げ出すはず。
 局長は今し方後にしたばかりの通信室に再び足を運ぶ……。

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