マジカル冒険譚・マジカルアイル

18.町が消える日



 バンフォの町に物々しい兵隊の一団が駆けつけたのは、その日の朝早くのことだった。昨日の怪物騒ぎで浮き足立っていた市民は、またしても何か起こるのかと囁き合った。
 そんな市民達に向かい、兵隊は声高に言い放つ。
「魔法使いがこの町に目を付けた!怪物の群を引き連れた魔法使いが迫ってきている!怪物どもは諸君の肉を食らい、魔法使いは諸君の血を使って忌まわしい魔法を使い、諸君の魂は新たな怪物となって多くの国民を死に至らしめるだろう!しかし、我々が来た以上はその目的が果たされることはない!」
 そのためには民が町に散らばっていては都合が悪いと言われれば、全くもってその通りだと思うしかない。守りの堅い公会堂に避難するのが良いというのも、あまりにも道理だった。
 ちょうど昨日、気味の悪い喋る鳥の怪物が町に現れたところだ。実際にその姿を目にした者はそれほど多くはないものの、既に噂は既に町中に広がっている。魔法使いに怪物にされるという話は、人々にすんなりと受け入れられた。
 市民は幼い子供から足腰の立たぬ年寄りまで公会堂に集まった。兵隊は見事な手際で市民を一人残らず公会堂に避難させた。公会堂の中にあった机や椅子は、一人でも多くの市民を公会堂の中に避難させるために運び出され、窓には頑丈な鉄格子が取り付けられていた。全ての市民を守ろうという兵士達の意気込みが感じられた。彼らに任せておけば安心だ。市民は皆そう思った。
 若者は怪物の進入を防ぐためのバリケードを築くために駆り出された。家の中の調度品や家具を運び出し、道を塞ぐ。これで容易に公会堂に近付くことも出来ないだろう。
 やがて夕方になった。子供達は空腹を訴え始めた。大人達も我慢こそしてはいたが空腹だった。この人数の食料など用意できるはずもないので仕方のない事だ。しかし、せめてこの近くから何か持ってくることはできないのか。公会堂の外の兵士に問い合わせてみよう。
 しかしそれはできなかった。許可が下りなかったというわけではない。問い合わせることすらできなかった。外にいる兵士に問い合わせるなら、当然外に出なければならない。それができなかったのだ。外に通じる扉が押さえつけられていて開かない。封鎖されているようだ。
 裏口のある部屋の扉も鍵がかけられている。外に通じる場所はどこも通れなくなっていた。
 外の様子が分からないのは不安だ。誰かが二階の窓から外を見ると、外では兵士たちが家具などを使って道を塞いでいるところだった。怪物の群を食い止めるためだろう。
 その様子を見て、安心感より先に不安を感じ始めた。ここまでするほどの怪物の群を迎え撃つ兵士の数ではない。それに、何かあった時に逃げることができない。
 日が沈み、暗くなってきた。公会堂の中で燭台が灯される頃、外では松明が燃え始めた。
 松明の明かりは切れ間なく並んでいる。忍び寄る怪物を見逃すまいとするかのように。
 この時はまだ、市民たちは兵士たちのことを辛うじてながら信じていた。

 気が付けばいつの間にか、町は炎に包まれていた。
 なぜこんなことになったのかは分からない。だが、炎が公会堂を包み込んでいるのがホールにいても見て取れる。
 考えうる最悪の事態が起きている。正面も裏口も開かない。このままでは蒸し焼きだ。
 途方に暮れ、ある者は誰彼構わず当たり散らし、ある者はただ泣き喚く。公会堂の中は騒然となった。
 誰かが言う。
「これは魔法使いの仕業なのか?」
「怪物を焼き払う為じゃないのか」
「怪物なんてどこにいるんだ」
 二階の窓から見ても、怪物らしい姿は見えない。ただ、怪物などより恐ろしい炎が身をくねらせているばかり。
「怪物をお探しかい?」
 窓から外を見ていた男は、後ろから声を掛けられた。振り返ると、そこに男が立っていた。目が合うと、男はニヤリと笑った。その口の中に人の物ではない牙が並んでいる。探すまでもなく、怪物は目の前にいた。男は腰を抜かした。
「安心しな、見るからに不味そうなお前さんなんざ、取って食いやしねえよ。……そんなことより、俺がどこから入って来たのかに興味はないかい?……俺が入って来たってことは、そこから出られるってことさ」
 怪物の口は見る間に耳まで割け、体は体毛に覆われ始める。その姿は大きな狼に変わった。狼は吹き抜けを一息に飛び降り、一階に降り立った。一階にいた市民は逃げ惑う。そんな騒ぎを気にも留めず、狼は再び人の姿をとると、奥の方に向かって歩き始めた。
「俺の使った出入り口はこっちだ。ついてきな」
 命知らずというのはどこにでもいるものだ。そして、命欲しさに怪物相手でもすがりつく臆病者も。
 狼男についていった何人かは、その先で奇妙な穴を目撃する。壁にぽっかりと開いた奇妙な穴。ただの穴でないことは明らかだ。まるで闇が滲みだしているように見える。
 狼男は何気ない足取りで穴に踏み込んでいった。その姿が炎のような赤い光に照らされる。この穴はいったいどこに通じているのか。ただ単に外に繋がっているだけには思えない。もしかしたら、地獄か怪物たちの世界に通じているのではないか。
 さすがの命知らずたちもここに踏み込むのは躊躇う。先陣を切ったのは見境の無くなった臆病者だった。
「おお……外だ、外だぁ……」
 穴の中と言うべきなのか、穴の外と言うべきなのか。とにかく穴の繋がっている先で、臆病者は安堵しヘたり込む。その様子を見て他の者たちも穴に入っていった。
 そこには地獄のような光景が広がっていた。
 巨大な炎が燃え盛っている。そこにあったのは、その巨大な炎に包まれた住み慣れたバンフォの町の姿だった。
 そのあまりの光景にしばし絶句するが、外に出ることができたことは中に残っている人たちに伝えるべきだろう。
 狼男がそこから入ってきたという言葉の通り、出たところからは入ることもできた。中に残った人たちに外に出ることができたことを伝えると、続々と出口に向かって人々が動き出した。
 程なく、公会堂の中はもぬけの殻になった。外で中に入ろうとしているクレイとエリア、そしてサマカルドたちを待つために、ただ一人中に戻ったテラーファングを残して。

「あの時空の穴を開けたのはグレックという魔法使いなのだろう?話はできないか?」
 テラーファングの話が終わったようなので、サマカルドが切り出す。
「悪いな。おやっさんもなかなかに多忙でね。あの穴を開けるだけ開けたら後は俺に任せてどこかに行っちまったよ。ここに留まったところでどうせ連中を止めることはできない。この火を消すこともな。……まあ、頃合いを見計らって戻ってくるだろうさ」
「魔法を使っても火は消せないのか?」
「家が一軒燃えてるくらいなら何とか消せるだろうが、これだけ火がでかいとさすがに無理さ。……なあ、あんた等はずいぶんとずぶ濡れだが、一体どうしたんだい?」
「これは雨に濡れただけだ」
「雨ねえ。空を見てみな」
 テラーファングはそういい、空を指さす。見上げると空には月が輝き、星が瞬いている。
「雨が降りそうに見えるかい?」
「……見えないな。それではあの雨は」
「そう、魔法の雨さ。そこの穴と同じもので川底と建物の上空を繋いで、川の水が降り注いでいたって訳よ。これが精一杯だった。時間稼ぎくらいにはなったしな。あんたらはおやっさんのことを強大な力を持った大魔導師だと思ってるんだろうが、実際のところはチンピラが10人もいりゃあ正面から行けない程度さ」
「我が軍の艦隊を壊滅させたというのは?」
「ああ、あれか。まさか、あんなのをおやっさん一人でやったなんて思ってるのかい?ありゃあ単純に敵の艦隊とやり合ってボロ負けしただけさ。あの時おやっさんも加勢してたってのは確かだが、おやっさんがやったのは船を数隻ばかり霧に巻いて道に迷わせただけだってさ。……俺もさ、話に聞いていた魔法使いにしちゃあいつもやることがしみったれてるから聞いてみたことがあるんだ」
「……そんなところだろうとは思っていたがな。……世に知られている魔法使いの話は話半分に聞いた方がいいか」
「話半分って言うか、十中八九は事実無根さ。何せ、魔法使いの仕業になってることの大半は国の仕業だからな」
 今目の前で燃え上がっているバンフォの町も同じことだろう。
 この街に火を放ったのは王国の兵士達。サマカルドは火が放たれたところを目撃している。
 サマカルドの目の前に現れた鴉の怪物は、それに先駆けてこの町に現れていた。サマカルドがしたためた文書を伝令から奪い、読み上げたという。確かにあの文書にはとても公にできない内容が書かれていた。あの内容が知られたとなっては国も黙ってはいられまい。しかしよもや読み上げるのを耳にしただけの市民を町ごと焼き払おうとするとは。
 驚くべきはその手際だ。たった一日ですべての住民を一ヶ所にかき集めバリケードを築いて住民を閉じこめ、火を放って風のように掻き消えている。まるで、とても手慣れているように。
 サマカルドはテラーファングに問う。
「このようなことは今までに何度もあったのか?」
「さあな」
「初めてにしてはやけに手際がいい」
「訓練でもされてるんだろう。こんな大火事の話は聞いたことないだろ?」
「それは……確かにな。だが、入念な訓練が行われていたとするならば、つまりはかねてよりそのような事態に対する措置として今回のようなことを行うことは決まっていたということでもある。……どちらにしてもろくなものではないな」
「ろくでもないのは分かりきったことさ。あんただって処刑の一件でイヤってほど分かったろ?この国は国家の威信や見栄のために国民の命を犠牲にする事に抵抗なんかねえ。何せ、すべて魔法使いの仕業にできるんだ。民を苦しめている魔法使いの正体はこの国さ」
「そのようだな。挙げ句、その魔法使いが民を救うために暗躍している……笑えない冗談だ」
 この国では古来より魔法使いを忌み嫌っている。この土地が魔法使いの“島”に近い場所であり、魔法使いたちが出てくれば必ず立ち寄る場所であることは一部の識者には知られていた。
 特に魔法使いを嫌っている教会はこの土地に目を付けた。この土地を押さえれば魔法使いを素早く捕らえられる。そのため熱心に布教を行い、民を魔法使い嫌いにしていった。洗脳のようなものだ。
 いつの頃からか、国はそれを利用するようになっていた。悪いことは居もしない魔法使いのせいにし、やがて居もしない魔法使いをでっち上げるようになった。そして、魔法使いのせいにして略奪を行い、その分税金を下げて国民を歓喜させたり、今回のように不都合な事実を知った者は魔法使いの仕業に見せかけて闇に葬る。たびたび伝えられる魔法使いの悪行に国民はさらに魔法使いを嫌うようになる。それを繰り返した結果が今の状況だった。
 島から魔法使いが出てくることは多くはない。それに、出てきたところで外の世界は魔法の力が強くない。騒ぎを起こすような本物の魔法使いは今まで居なかった。だから、この国はグレックの出現に戸惑っている。しかし、国民にしてみれば今までと大差ない、新しい魔法使いでしかなかった。
 真実を知らない国民と、真実を知られたくない国。グレックの戦い方は、国民を事実に気付かせることになった。
 その手段の一つとして、国によって奪われそうになっている命を救うことも有効だった。命を奪ってでも隠したい事実を彼らは知っている。
 連中もなかなかに狡猾だ。ターゲットを誘い出して罠にはめ、密かにかつ確実に消す。救出に成功することの方が少なかった。
 ただ救い出すだけでもいけない。生き延びたことが国に知られれば再び抹殺に向け動き出す。それに、グレックが妨害していることに気付かれれば警戒されるだろう。連中には“仕事”がうまく行ったと思わせる必要があった。
 今回の出来事は国にとっても今までにない規模の口封じであった。それだけに、付け入る隙も多かった。大規模な作戦だけに準備にも実行にも時間がかかる。その分グレックの方には考える時間も十分にあった。
 ゲートの魔法は外の世界で使うには大がかりな準備の要る魔法だった。発動に必要な魔力をかき集め、効果をより確実にするために魔法陣を描く。軍の特殊部隊が自分の仕事の準備を進めていく裏で、グレックも準備を進めていた。
 軍が予定通りに町に火を放って撤退した。グレックも予定通り最後の仕上げをした。ゲートはつながり、後のことはテラーファングに任せて去っていった。
 斯くて救出はうまく行き、一人の犠牲者も出ずに済んだ。皮肉なことだが、一人も逃がさないようにした国の周到なやり方のおかげで簡単に人々を救うことができたのだ。
「これからどうするかが問題だな。一人二人なら匿ってやることもできるが、なにぶんこの人数だからな」
「彼らはもう、正体を隠さねば生きてこの国に住めぬ……か。我々と同じだな」
 サマカルドも大臣に離反し飛び出した身。そうでなくとも口を封じられようとしている空気は感じていた。
「あんたはこれからどうするんだ?」
「さあな。とりあえずこの国からは逃げるさ」
「やっぱりそれしかないのかね。まあ、あんたらはいいさ。人数の多いこっちはどうしようかね」
「いつまでもここにいるわけにも行くまい。ひとまず隣の町に移動しよう」

 夜を徹しての大移動が始まった。町との名残を惜しみなかなか歩き出せないものも居たが、いつまでも立ち止まってはいられない。
 歩き出す前から市民たちの疲労はすでに頂点に達している。元々体の弱い者もいる。クレイとエリアは子供と老人を、テラーファングはか弱い女性たちを、兵士たちはその両方を助けながら歩いてゆくが、行軍はなかなか進まない。
 そのとき、前方に奇妙な輝く靄が現れた。靄は揺らめき、広がり、渦巻き始めた。そのあと靄は弾け飛び、そこには人影が残された。そこにいたのはグレックだった。
「おやっさん。町の人はみんな無事ですぜ。どうです、俺だってやる時ゃやるでしょ」
「そのようだな。……しかし、パンタードに向かっていると思ったが、なぜこの方向に進んでいる?この先にある町は些か遠くないか」
「国外に亡命しようとしている奴にくっついてきましたんで。この人たちもこの国に居ちゃ危ないでしょ。ただでさえ余計なことを知りすぎてるってのに、今回のことまであるんですからね。守りきるのは大変ですよ。逃がした方が早い」
「確かにその通りだが……国境を越えるのは難しいぞ。ただたどり着くだけでも頑健な者でさえ歩いていけば半月は掛かる。警戒の厳しい国境のゲートを避けようとすれば険しい山越え。海上もまた厳戒だ。どうするつもりだ」
「うーん。そうっすねぇ。……どうしよっか」
 困ったようにサマカルドを見るテラーファング。
「国境が接しているのは同盟国。警戒が厳重とは言ってもたかが知れている。強行突破も可能だ。アテルシア側を通ってきた人間を共和国側で改めて調べることもしない。アテルシア側のゲートさえ抜けられれば何食わぬ顔で国境を越えられるだろう」
「私は国境の警備については詳しくない。知っていることがあれば教えてはもらえないか」
 グレックはサマカルドに向き直り、話しかけた。
「私も詳しいわけではない。だいぶ前に話を聞いただけだが……。ゲートはパサンゾップ山道の両端にある。共和国側にはパサンゾップの宿場があり、地形の険しいアテルシア側は小さな宿屋と警備兵の詰め所があるだけだ。国境の警備に常時当たっているのは20名程度の兵。アテルシア側は山賊や野獣が多い。広い範囲に見張りを置かねばならず、人手が足りていないと愚痴を言っていたな」
 数年前の山賊掃討作戦の時に聞いた話だ。今は状況も変わっているかも知れない。山賊に備えて人手を増やしているか、時折行われる掃討作戦により山賊が減ったことでさらに人手を削っているか。いずれにせよ、山賊を見張る兵は広く配備しなければならない。
「それほど厳重ではないと言うことか。それならば、望みもあるだろうな。夜が明けたら私が様子を見てみよう。しかし、問題は国境までの道のりだな」
 頑健な若者たちだけならば歩き切れぬ距離ではないが、年寄りや子供も少なくはない。
「住民たちを町の外に転送したゲートとやらを使い隣国に行くことはできないのか?」
「あの魔法は繋ぐ二点の距離が遠いほど消耗が激しく、長持ちせんのでな。私一人が通り抜けるくらいなら何とかできるが、これほどの人数となると……あの山くらいの距離が限度だろう」
 グレックは町の向こうに見える山を指さす。なかなかの距離だが、隣国までには到底及ばない。いいところで隣町だ。
 その時、横で話を聞いていたクレイが口を挟んできた。
「グレックさん。僕たちがゲートのこっちとあっちで魔力を送り続ければもう少し距離を伸ばせるよ」
「ふむ。確かにそうだな」
 しかし、二人の力で伸ばせる距離はせいぜい元の二割くらいだろう。そのくらい長距離の転送魔法は消耗が激しい。潤沢な魔力に満ち溢れ、移動する距離も比べ物にならないほど短い島の中では、転移ゲートの魔法の距離による魔力の消費量など考える必要もない。そもそも、飛んでいけばそんな魔法がそもそも必要ないのだ。
 グレックとて、転移ゲートの魔法の距離による魔力消費量の増加に気付いたのは魔力が乏しく広大な外の世界に出てからだった。クレイとエリアがこのことを知らず、距離による魔力消費の激しさを甘くみているのも致し方ないことだ。
 二人の助けが得られるならば、もっと効率の良い方法もある。
「短い距離に分けて少しずつ移動した方がいい」
 グレックの考えた方法はこうだ。グレックは二箇所を繋ぐゲートの開通を、二人はゲートの維持を受け持つ。グレックが一足先にゲートの開通先に移動し、ゲートを開く。開いたゲートでクレイかエリアのどちらかが移動し、残った者とそれぞれのゲートを維持。市民がゲートをくぐり終わったら残った者も移動。少し経てばグレックが次のゲートを開くことができる。これを何度も繰り返していくだけだ。
 短い距離ならばゲートを開くために必要な魔力も少なく済んで大がかりな準備も必要ない。多少手間が掛かりはするが確実だ。
 二人にはグレックの案に異存はない。うまく行くかどうかもやってみなければ分からない。やってみる、それだけだ。

 先にどこかへと向かっていたグレックの力によりゲートが開き、遠くの地点とつながった。繋がった先も闇、どこに繋がったのかも分かりはしない。分からないとは言え、それほど遠くはないはず。今目の前に広がっている広大な平原のどこか、昼間ならば見える範囲内だろう。
 まずはクレイがゲートをくぐり、抜けた先で月明かりに浮かび上がる辺りの景色を見渡した。足下には一本の道が延びている。目で辿ると遠くには微かに町明かりらしい光が見えた。反対側には小さな明かり。市民たちを誘導する兵が掲げる松明だ。これが見える程度の距離と言うことだ。
 クレイがゲートの維持を始めるよりも先に何人かの兵士が様子を見に来た。安全を確認して一旦戻り、ゲートの向こうで誘導を始める。声は聞こえないが、その姿はゲートを通じて揺らめきながら見て取れた。
 揺らめきながらこちらに近づいてきた人々は、ゲートをくぐると実体となって鮮明な姿になった。次々とゲートから人が出てくる。
 移送が順調に問題なく進んでいるのを見届け、グレックは次の場所に向けて移動を始めた。市民はその間にもゲートを抜けてこちらにやってきた。やがて、サマカルドやテラーファングが現れ、エリアがゲートを抜けてきた。これで全部だ。
 維持を止められたゲートは少し時間が経つとだんだん萎んでいき、やがて急速に潰れて消滅した。
 次のゲートが現れる。今度はエリアが最初にゲートを抜けた。
 先程は遠くに見えた町明かりが、今度はすぐそばに見えている。もう歩いてもすぐの距離だ。
「今度はさっきよりも長い距離を繋いでいるぞ。多少厳しくなる。心してかかるのだぞ」
「はいっ!」
 グレックの言葉にエリアは気を引き締めた。確かに、気を抜いているとゲートがどんどん閉じてきてしまう。
 グレックはゲートを抜け、クレイにも同じことを伝えた。
「うん、がんばるよ!」
 クレイも気合いを入れた。
 ゲートは最初こそ僅かながら萎んだり戻ったりを繰り返していたが、だんだん安定してきた。周辺の魔力が十分に集まってきたようだ。
 先程と同じように兵士数名が様子を見に来た。人々が順に通り抜け、最後にクレイが通り抜けると、ゲートは先程よりも早く消滅した。
「ふむ。このくらいの距離ならば大丈夫のようだな」
 ちょっとだけ冷や冷やしていたクレイの横で、グレックはそんなことを言った。クレイとしては余り大丈夫じゃないような気がしていたが、まだまだ大丈夫の範疇だったようだ。

 とにかく、隣町に到着することができた。時間はまだ宵の口と言ったところ。先程まで朝までにたどり着けるかどうか分からないと言い合っていたのが嘘のようだ。
 町長がこの町の町長に掛け合って、公会堂を寝所として使わせてくれないか掛け合うことになっている。公会堂に閉じこめられた後だけに抵抗感を持つ者も少なくないが、背に腹は代えられない。
 バンフォに怪物が現れ大変なことになっているという話は、バンフォに近付いてはならないと言う警告とともに近隣の町に伝えられていた。フノーブルの町長も心配していたところだ。避難してきた彼らに協力するのも吝かではない。
 一晩の寝所として公会堂を貸すのはもちろん、近隣の住民たちの好意でささやかな食事まで与えられた。今や流民となったバンフォの住民たちにとってとても長かった一日は、どうにか穏やかに幕を閉じた。

 翌朝。バンフォの民の長い旅が始まる。
 隣の町と言うこともあり、バンフォの住民にはフノーブルに知人がある者も少なくない。そういった知人に招かれ朝食を振る舞ってもらえた者もいた。
 これが今生の別れとなるだろう。最後の歓談にも花が咲く。そんな中で、本当は一体何が起こったのかを話してしまう者もいた。大概は誰にも言うなと言い添えられたが、そういった話はやはり誰にも言うなと言い添えられながらも広まっていくものだ。
 さらに翌日には、茶目っ気のあるバンフォ住民のたちの悪い冗談やも知れぬ話に真実味を帯びさせる出来事が起こる。その事件を伝える新聞が町に届けられることになるのだ。
 その新聞ではバンフォの町で起きた事件が伝えられていた。邪悪な魔法使いグレック率いる数千にも及ぶ怪物の群がバンフォを襲い、住民は一人残らず食い殺されて町は血と魔法の炎で赤く染まったと。
 一人残らず食い殺されたはずの住民が大挙して押し掛けてきた公会堂近隣の住民は狐にツママレタような気分になった。やがて彼らの耳にも真相の噂が届くだろう。

 バンフォの民が出発する前、グレックが良い知らせを持ってきた。今グレックが身を寄せているセドキア国が彼らを受け入れてくれるという。国籍と開拓を予定していた土地を彼らに与え、そこへの永住を許可。落ち着いてきたら転出もできるようになる。自国民と同等に扱ってくれるということだ。
 さらに避難のための資金と、移動手段として輸送船数隻を派遣してくれる。輸送船は敵国であるアテルシアの領海には入れない。やはり国境は越えなければならない。
 受け入れると言っても、彼らにとってセドキアは憎むべき敵国だ。受け入れるふりをして皆殺しにされるのではないかという不安もあった。
 フノーブルをはじめとした国内のどこかの町に残るという手もある。人々は選択を迫られた。
 テラーファングは言う。
「あんたらがセドキアに抱いているイメージは、魔法使いに抱いてたものと同じモンさ。確かにこの国の海軍がメタメタにやられてるからおっかないイメージもあるだろうが、やんちゃなガキんちょが粋がって刃向かってきたらちょっとお仕置きするもんだろ?おとなしくしている一般市民まで憎みやしないさ」
 牙の生えた口の端を吊り上げてにやにやしながら言われても、今一つ信じる気にはなれないが。
 国内のどこかの町に移り住むなら、届け出が必要になるだろう。そのときにバンフォの生存者だと知れてしまうかも知れない。そうなると危険だ。着の身着のまま無一文ではその日の食べ物、それどころか寝所すら確保できない。知人に頼れる者はいたが、それは迷惑をかけるだけ、最悪巻き込んで共々命を狙われることにすらなりかねない。国外への逃亡が一番だろう。
 とにかく、問題の一つは解決しようとしている。グレックがセドキアから携えてきた資金だ。着の身着のまま逃れてきたバンフォの民には食べるものさえなかった。この資金があれば食べ物や最低限必要なものは確保できるだろう。
 さすがにこの町で全員分の食料を調達は出来ない。そんなことをすればフノーブルの人の食べ物がなくなってしまう。だが、心配は無用だ。出発すれば忽ちのうちに隣の町に到着する。いくつもの町で少しずつ物資を調達すれば十分な量が揃うだろう。
 そうとなれば、早く出発するに限るだろう。人々を次の町へ導くため、ゲートの準備が始まった。ゲートは町外れに開かれる。そこまではバンフォの民も歩いて移動する。
 ゲートが開かれ、人々がその中に入っていった。バンフォの知人から魔法のことを聞いた物好きが遠くの物陰からその様子を窺っている。数百という人たちが見る間にどこかに消え去るのをその目で目撃し、物好きの胸は躍り、その口は誰かに伝えたくて疼き出す。またフノーブルを駆け巡る噂が増えそうだ。
 すべての人が通りきり、ゲートは閉ざされた。バンフォの民は考え、一つの提案をしていた。ゲートを開くには、必要な魔力を集めたりといった準備が必要になる。その間ぼんやり待っているのも無駄だ。少しでも歩いて距離を稼げないかと考えたのだ。
 これはグレックたちにとってもいい提案だった。先程までゲートの出口が開いていた場所に次の出口に繋がる入り口を開こうとすると、今まで魔力をゲートを開いたり維持するために使った分だけ集まりが悪くなってしまい、ゲートで繋げる距離が短くなったりゲートが不安定になってしまう。少し場所をずらせばそのようなこともなくなるだろう。
 ゲートを抜けた先から、次のゲートの入り口までクレイとエリアは空を飛んで移動する。
 二人の体が空に浮かび上がると、見守る人々から感嘆の声が挙がる。飛ぶと目立って仕方がない。グレックは移動の際に小さなゲートを使っていたので、空を飛ぶ姿を見るのは初めてだった。
 こうして目の前で空を飛ばれて、人々は魔法使いを見ているのだろ改めて実感した。そのくせ、昨日までは魔法使いという言葉を聞いただけでも怯えていた人々だが、現物を目にしても恐怖心など微塵も涌いてこなかった。立場や状況の変化が大きな理由なのだろうが、クレイとエリアがかわいげのある子供であることもあるのだろう。かわいげのないグレックが飛んだらちょっと怖かったかも知れない。
 人々が歩き、魔法使いたちがゲートを開く。人々はそこを通り、次のゲートまで歩く。それを数回繰り返し、隣の町に着いた。日はまだ高くない。馬車などあっさりと追い抜くほどの早さだ。
 何人かが市場や店を回り、少しずつ必要な物を買いそろえていく。食料、テント、毛布。着替え、荷車、換えの靴。
 グレックが手伝えるのは国境を抜けるまでだ。グレックにも他にすべきことが山ほどある。さすがに数百という人命より優先しなければならない用はないが、国境を越えればさすがに彼らは安全だろう。そこからの旅は多少長くなるかもしれない。今のうちの備えが必要だ。幸い資金はある。
 着の身着のまま町を出た大勢の旅人達は、少しずつ旅人らしい装備を調えていくことになった。

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