マジカル冒険譚・マジカルアイル

17.炎の輪

 部下数名と合流したサマカルドは、バンフォの町を目指し馬を走らせていた。
 間もなくバンフォと言うところまで来たとき、前方にバリケードが張られているのが見えた。
「止まれー!」
 見慣れぬ出で立ちの兵が警備に当たっている。地元の警備兵でないことは王国の紋章が物語っているが、青く塗られた胸甲は初めて目にする。どこの隊だろうか。兵士は言う。
「この先は封鎖されております。魔法使いの手先が現れたことは既にお耳に入っているでしょう」
 サマカルドはあの狼のことかと思うが、あの話はまだサマカルド自身も確認が取れていないような話だ。このように周知の事実のような言われ方をするのは、黒い怪鳥の方か。
「それは昨日のことだろう」
「一度は飛び去ったと思われた魔法使いの手先の怪物が、再びこの町に舞い戻ったのです。町は極めて危険な状態なのです。我々特殊部隊が封鎖し警備に当たっております。一般人はもとより、軍関係者であってもここを通すことは出来ません。この町に伝令があるなら我々が承りましょう」
 そんなはずは無い。その怪物ならサマカルド自身がつい先刻隣の町で見かけ、言葉まで交わしたのだ。
「怪物は今もいるのか?いつからこの町に?」
「昨日の話を聞き付けて今朝駆けつけたときには町の上で騒ぎ散らしていたのです。それ以来ずっと居座っております」
 だからそんなはずは無いのだ。この兵が嘘をついているか、嘘を教えられて信じ込んでいるか。
「危険なので今すぐここを離れて頂きたい。既に住人の避難も既に終わっております。なんの心配もいりません」
「……そうか。しかし、バンフォでで仲間と合流することになっているのだが。ここで待つことは出来るか」
「なりませぬ。それと思しき者が来たなら伝えておきましょう」
 この調子では正攻法でいくら頼んでも町に入れてはくれまい。
「分かった。しかし伝えるにも又聞きではなかなか信用しないだろう。同じ胸甲の兵がきたらこの書き置きを手渡してくれ」
 サマカルドは『ロゼフに告ぐ アルファンテ街道にてラフォルクに戻る サマカルド少将』と書かれた書き置きを手渡した。
 サマカルド達はその場を離れた。そして、バリケードが視界から消えたところで馬を止めた。
「ここで仲間を待ち、合流する」
 サマカルドとその部下達は近くの林に身を隠し、ロゼフ達を待つことにした。
 ロゼフ達はそれから程なくして現れた。やはりバリケードで止められ、書き置きを受け取ったのだろう。アルファンテ街道をサマカルド達と同じ方向に向けて辿ってきた。
 サマカルドはロゼフ達の前に姿を現す。そして、彼らを林に導いた。
 部隊が揃ったところで、サマカルドはラフォルクで起こったことを話した。そして、隊員に告げる。
「私はこれ以上この国に留まれぬ。そうでなくとも私はもはや大臣を信じることが出来ぬ。私に残された道は離反しかない。私についてくれば祖国を裏切ることになるだろう。それでも構わぬ者だけここに残れ」
 数人の兵が去っていった。だが、それを上回る数の隊員がそこに残った。彼らは祖国を裏切る道を選んだ。それもひとえに、サマカルド同様にすでに祖国に裏切られたと感じていたためだった。彼らはここまでの道中で、国民には明かされず、自分たちも今までは知ることがなかった事実を見せつけられてきた。
「私はこの町で何が起こったのか、そしてなにが起ころうとしているのかを探ろうと思う。闇に紛れて包囲をすり抜け、町に潜入しよう。事を荒らげるのは望ましくはない。警備している兵に気取られぬように包囲の隙を探りそこを突く。……まずは日暮れを待つ」

 日は傾き、空の色は淡くなり、だんだんと新たな彩りを加え、やがてその色が濃くなる。日暮れは近づいていた。
 日暮れを待っていたのはサマカルド達だけではない。西への旅を続けていたクレイとエリアも、闇に紛れて飛べる夜を心待ちにしていた。
 日は落ち、空は闇に閉ざされ、まばゆい太陽の代わりに空を無数の星が覆い尽くす。雲一つない星空に、闇色の小さな影が通り過ぎていく。闇夜の雲のようにひっそりと空を流れる二人の頭上にも、星が瞬いている。そして、二人の下にも星は流れていた。大地にちりばめられた無数の灯り。
 郊外の長閑な農業地帯は家の灯りも疎らだ。それでも、一つ一つが空の星よりも強く輝き、まるで光の粒が大地を覆っているように見える。
 夜が深まるにつれ、家家の灯りは消えていく。町であれば遅くまで点っている灯りも多いが、この辺りは夜の帳に飲まれるのも早い。やがて、頭上の星しか見えなくなる。
 どれほど空を飛び続けただろうか。二人の行く手、東の地平線の上の空がぼんやりと赤く光り始めた。
 朝か。そう思うが、違和感を感じる。そんなに時間が経ったとは思えない。しかし、町の灯りにしても強すぎる。この辺りにそんな大きな町もなかったはずだ。
 二人は何となく不吉な予感を憶え始めていた。

 サマカルドの部隊は、日暮れとともに動き始めていた。
 とはいえ、急いては事を仕損じる。まずはバリケードや警備の兵の配置を探るところから始めた。
 バリケードは即席の簡易なものだが、満遍なく敷かれている。入ることも出ることも一筋縄では行きそうにない。見張っている兵の数は多くないが、その警戒には隙がない。どこの隊かは知らないが見事なものだ。
 隙がないなら作り出すまで。闇の中でサマカルドは動き出す。林から枯れ枝を集め、火をつけてその場を離れる。
 不審な火に気付いた見張りが持ち場を離れて焚き火に近付いてきた。その見張りのいたところに隙が出来る。そこから一気にバリケードを越えた。
 バンフォの町は静まり返っていた。日が暮れてさほど時間が経っていないのに、町は寝静まったように闇に閉ざされている。空から降り注ぐ月明かりがなければ、明かりなしで動くことなど出来なかっただろう。
 それに、町の中にもバリケードが築かれていた。家の中にあった家具などを積み上げて道を塞いである。そのバリケードの中は特に警戒が厳しくなっていた。
 公会堂らしい大きな建物が見える。そして、それを取り囲んで無数の松明が燃え盛っている。ただ警戒しているにしては多すぎる気がする。この様子では影を探して進むことも出来ない。
 町の住人は公会堂に集まっているらしい。避難しているのだろうか。大げさなことだ。
 いや、様子がおかしい。公会堂の入り口には物が積み上げられている。侵入者を防いでいるようには見えない。むしろ、中の者を閉じこめているようだ。
 どうも、悪い予感がする。その予感は程なく現実のものとなった。
 身を隠して様子を伺っていると、積み上げられた家具の向こうで馬の蹄の音がした。
「配置が完了しました」
「よし。それでは撤収を始める。合図を送れ」
「はっ」
 笛の音が辺りに響く。続いて、何かを壊すような物音が方々で起こった。
 様子を見たいが、サマカルド達が身を隠しているバリケードにも兵士が近付いている。体勢を低くしてやり過ごさなければならない。そうして身を潜めていると、頭の上に火の粉が降り懸かってきた。
 あちこちで焚かれていた松明が倒され、バリケードに燃え移っていた。どうやら、この町を焼き払うつもりらしい。
 サマカルドの近くにいた兵の一人が剣に手をかけ、去っていこうとする青い胸甲の兵に襲いかかろうとするが、サマカルドはそれを制止する。
「待て!数からしてかなうはずがない。それよりも奴らをやり過ごしたら公会堂のバリケードを解体し、おそらくは中にいるだろう住民たちを救出する」
 隊を二つに分け、一つを退路の確保に、残りで公会堂のバリケードの解体に当たらせる。偵察の報告によれば、青い胸甲の一団はあっという間に去っていったという。速やかに作業に当たれそうだ。
 町の随所でバリケードとして積まれていたものは、建ち並ぶ家々から引きずり出してきたのだろう家具だった。椅子やテーブルは軽く、簡単に投げ捨てられる。食器棚や書棚は蹴り倒し踏みつぶした方が早い。退路の確保は難なく終わった。
 一方、公会堂のバリケードの方は難航していた。この中に人を閉じ込めるためのバリケードという読みは正しかった。乱雑に積まれた椅子などの奥には、重量のある箱が積まれている。一際激しく燃え上がるその箱……中身は石炭だろう。炎に阻まれ手出しができない。剣や槍で箱を崩してみると、崩れだした石炭で炎が広がった。
 どう手出しをすればいいのか、途方に暮れるばかりだ。正面の扉の突破は不可能だろう。
 ここはやはり、先刻報告のあった裏口に望みを託すしかないか。
 サマカルドが裏手へ移動を始めたその時、背後から声をかけられた。
「あの……何があったんですか?」

 地平線が不気味に赤く光っているのを見つけたクレイとエリアは、その方に向かい始めた。近付くにつれ、赤い光は強く大きくなってきた。近付いたからと言うだけではなく、光そのものが強く大きくなっていく。
 やがて、その赤い光の正体がはっきりしてきた。その光の中心にあるのは巨大な火柱。炎の中では黒い影が揺らめいている。何か大きな建物が燃えているようだ。
 さらに近付くと、その全容が見えてきた。町があり、町の至る所に火の手が上がっている。町の真上から見ると大きな炎の輪が幾重にも広がっているようだ。そして、その中心には巨大な火柱があった。
 一体何が起きているのか。二人は見るからに何かありそうな、輪の中心……火柱に近付く。
 炎の下にいくつかの人影が見えた。この炎は彼らの仕業なのだろうか。近くの物陰におり、その話し声に耳を傾けてみる。
「少将!裏手に扉を発見しました!」
「突破出来そうか?」
「現在バリケードを解体しているところです!もうしばらくかかるかと」
「そうか。我々はもう少し正面の突破を進めてみる。中の生存者は確認できたか」
「中から人の声が確かに聞こえました。やはり中に多くの人が閉じ込められているかと思われます!」
「そうか。急がねばならんな」
 どうやら、この炎に包まれた建物の中に人が閉じ込められているらしい。
 二人が半ば勢いで外の世界に出てから、味方のいない日々が続いている。魔法を忌み嫌うこの国の人々は、二人が魔法使いだと知ると憎しみの目を向け、命を脅かし、二人の恐怖や苦痛を娯楽にまでしていた。しかし、そんな彼らを二人は心から憎んではいない。二人が魔法使いだと知らなければ、あくまでも普通の子供として接してくれる。魔法使いを憎んでいるだけで、二人を憎んでいるわけではないからだ。
 そんな人たちが、目の前で危機に晒されているのを黙って見過ごせはしなかった。二人は子供だが、無力ではない。何か出来ることもあるはずだ。
 二人は炎の輪の中に降り立った。そして、炎の前で手をこまねいている兵隊に声をかける。
「あの……何があったんですか?」

 振り返ったサマカルドは、声をかけてきたのが子供であることに驚いた。
「こんなところで何をしている。ここは危険だ、早く安全なところに……」
 そこまで言ったところで、目の前にいる子供たちの顔に見覚えがあることに気付く。
 その顔を直接見たことはなかったが、今までに何度も手配書でその顔を確認した人物。逃走中の魔法使い二人組だった。
 散々探していたときにはその足取りすら掴めなかった。探す理由を失った今になってこうして向こうから近付いてくるとは皮肉なものだ。
 魔法使いの少女・エリアは言う。
「中に人がいるんですよね?何か私たちに出来ること、ありますか?……私たちのことは知ってますよね?」
「知っているのを承知で声をかけてきたのか。まさか、我々が魔法使いに救出を手伝ってくれと泣きついて助けを求めるとでも思っているのか?」
 サマカルドの言葉に、エリアは醒めた顔で言う。
「私たちだって、あなたたちの手伝いなんてしたくない。でも、人が死のうとしているのを黙って見過ごしたら、絶対後悔するから……。私たちは私たちに出来ることをする。……それだけです」
「……もっと綺麗事が返ってくるかと思っていたがな。……見ての通り、正面の入り口は使えそうにない。可能性があるとすれば、窓と今し方見つかった裏口のどちらかだ。あとは好きにしろ」
 クレイは炎に包まれた建物を見上げた。土台が高く作られているらしく、かなり高いところに一階の窓がある。ジャンプではとても届かない高さだが、空も飛べるクレイに何の障害にもならない。
 空を飛ぶのは難しいことではない。物を浮かせる基本的な魔法を自分にかければいい。浮いている物を水平移動させるのも初歩の魔法だ。空を飛び、遠くに行くのは初歩の魔法の組み合わせでしかない。
 問題は、空中に静止することだ。力のバランスをうまくとらないとふらふらして安定しない。クレイはその微妙な加減をとるのが昔から苦手だ。制御は重い物ほど難しい。そして島の外の弱い魔力では、クレイの大きくはない体でも大きな岩を持ち上げようとしているに等しい。島では考える必要さえなかった魔力の集積魔法を使い、増幅された力を使ってやっと飛んでいるのだ。つまりは実力以上の力、制御はさらに難しい。まして、先ほどから俄に降り出した激しい雨のせいで服は水を含み重くなっている。体重に加えて濡れた服の重さもあり、さらに制御は困難だった。必死に調節をするがふらふらと定まりなく飛ぶ。
 窓を眺めるだけならそれでも構わないが、こんな調子では中を覗き込むことは出来ない。一度鉄格子にしがみついて覗き込むのがいいだろう。
 まずは、鉄格子が熱くないかを確認しなければならない。上にふらふら、下にふらふらと落ち着きなく飛んだ挙げ句、ようやくの思いで窓の鉄格子に手を触れた。
 熱くない。大丈夫そうだ。
 クレイは再び鉄格子に手を伸ばし、しっかりと握った。
 浮遊の魔法の効果が薄れ、鉄格子を握る手にクレイの体重が掛かり出す。それに伴い、クレイは手に痛みを感じ始めた。
「あいたたたっ」
 思わず手を離してしまうクレイ。その体は窓の下に乱雑に積まれた椅子などの上に落ち、それら諸共崩れ落ちた。手に感じたものとは比べ物にもならない痛みが体のあちこちに走る。
「何やってんのよ」
 エリアは呆れ顔で言う。
「なんか痛いよ」
「それだけ派手に落ちればそうでしょうね」
「違うよ、あの棒だよ。掴んだら痛かった、ただの棒じゃないよ」
 クレイはもう一度飛び上がり、鉄格子をよく見る。それは円柱状の棒ではなく、たくさんの角がある星形の格子だった。握れば尖った角が手に食い込む。これは痛いわけだ。手を見ると、筋状の痕がついている。それでも血は出ずに済んだようだ。
 今度は上着を脱いで手に巻いて鉄格子を掴む。これなら痛くない。ぐっしょりと濡れていたのを軽く絞ったので軽くもなった。しかし、鉄格子を掴みにくい。あまり長くは掴んでいられないだろう。
 窓から覗き込むと、中ではたくさんの人が動き回っていた。話し声も聞こえるが、たくさんの人が口々に言葉を発しているので何を言っているのか間では聞き取れない。ひとまず、まだ生存者がいることは確認できた。
 この鉄格子を何とかしないと窓からは入れない。先ほどの兵士たちの話によると正面からも入れないと言う。それならば、その話にも出ていた裏口を見てみるのがいいだろう。

 裏手に回ってみると、たくさんの兵士たちが動き回っている。兵士たちは早々に標的をこの裏口に絞っていたようだ。
 薪代わりに積み上げられていた椅子や机などは、延焼を押さえるために取り払われている。その陰に半ば隠れていた裏口の扉も、今は全体が露わになっている。
 裏口の扉は鉄で補強された頑丈なものだ。この国はこう見えても戦争中、それにそれはここ数年だけのことではない。小競り合いも含めるとたびたび他国と争っている。
 そして、何かそのようなことが起きたときに住民たちが立てこもる為の建物がここだ。扉が頑丈なのも有事に備えての物。
 そんな扉を突破するのは一筋縄ではいかない。たくさんの兵士があれこれと試行錯誤を続けていた。
 エリアは先ほどの兵士・サマカルドに声をかけた。
「何とかなりそうですか?」
 サマカルドはかぶりを振った
「何ともなりそうもない。道具もなしではやはり難しいようだ」
「頑丈な扉なんですね……」
「ああ。中から閂を外すことが出来ればいいのだが、入れそうな場所はない」
 話を聞いていたクレイはふと思いついた。
「そうだ!中にいる人に開けてもらうのは?窓から呼びかければ話せるよ」
「あっ、それいいかも!」
「じゃあ、僕行ってくる!!」
 クレイは再び手に上着を巻き始めた。それを見てサマカルドは尋ねる。
「何をしているんだ?」
「あの窓のとことにある棒、ギザギザしていて握ると痛いんだ。それに、熱くなってるかもしれないし」
「……これを使え」
 サマカルドはクレイに手袋を差し出した。皮で出来た丈夫なものだ。使い込まれて薄汚く、クレイの手には少し大きいが、これなら少しくらい鉄格子が熱くても掴むことが出来る。
「ありがとう!」
 早速、それを手にはめて窓に向かって飛び上がるクレイ。間近でみた魔法に兵士たちもざわめく。
 クレイはしっかりと鉄格子を掴み、中に向かって大声で呼びかける。
「誰かー。おーい誰かー」
 しかし、中から返事はない。
「だめだよ、誰も返事してくれない。聞こえないのかなぁ……」
 クレイは中の声に耳を澄ます。先ほどは騒がしく飛び交っていた声が、今は聞こえない。中は暗く、どうなっているのかを伺い知ることも出来ない。クレイは下に降りることにした。
「中、静かになっちゃってるよ!さっきはあんなにみんな騒いでいたのに……」
「……急がねばならんな」
 この激しい炎だ。閉じこめられれば中は相当な暑さになっている。言ってみればオーブンのようなものだ。
 やはり、助け出すならこの裏口を突破するのが無難だ。エリアはサマカルドに問いかける。
「この扉、どうすれば開きますか?」
「おそらく、閂がかかっているんだろう。それを外すことが出来れば扉は簡単に開くはず」
「クレイ、私が幻視の魔法で閂の場所を調べるから動かしてみてよ」
 エリアの言葉にクレイは頷いた。
 エリアは呪文を唱える。目に映る扉の姿に変化が現れた。半透明の素材で出来ているように透けて見える。しかし、それも指で作った輪ほどの範囲。魔力が弱いため効果が弱くなるだろうとは思っていたが、これほどまでとは。
 それでも、閂を探すくらいはできる。視野を動かしていくとそれは程なく見つかった。扉全体をしっかりと押さえつける頑丈な閂だ。これだけの大きさだと動かすのは大変そうだ。それでもクレイに位置は伝える。
「ここに……こう。大きいのが一本見えるわ。重そうだけど……大丈夫?」
「分からないけどやってみるよ」
 クレイはエリアの言葉から目に見えぬ閂をイメージし、それを動かそうと試みた。持ち上げる動き。実際に動いているのかどうかはクレイには分からない。
 エリアの目にはその動きが見える。
「だめ、ぴくりともしない。今度は横に動かしてみてよ」
「うん」
 すると、こんどはあっけないほどあっさりと動いた。
「やったわクレイ!これで開くかな?」
 クレイは扉の取っ手に手をかけて引いてみた。扉は少しだけ動いて手くらいなら入る程度の半開きにはなったが、それ以上は開きそうにはない。
「だめだ、ちょっとしか開かない」
 そこにサマカルドが割って入ってきた。わずかに開いた扉の隙間に手を入れ、引っ張る。かなりの手応えだ。兵士たちも集まり、それを手伝う。屈強な軍人数人の力で扉はこじ開けられた。
 開かなかったのは、ずらされた閂が扉の裏に積まれていた木箱に突き当たっていたせいだった。閂を手で戻してやると扉はあっさりと開いた。
 だが、中に入ることはまだ出来ない。その荷物が裏口を塞いでいる。まるでバリケードのようだ。ここに立てこもった住民たちが、外から来ると思っていた“敵”に備えて積み上げた物なのかもしれない。
 積み上げられた荷物も兵士たちにかかれば見る見る取り去られる。その作業の間、エリアは扉の閂を調べていた。
 頑丈で太く大きな閂だが、閂そのものがレールのようになっており、扉に取り付けられた滑車の上を閂が滑るようになっているので簡単に動かせるらしい。有事の際に素早く扉を閉鎖できるように作られているのだ。
 裏口を塞いでいた木箱も撤去され、公会堂の中に入れるようになった。先陣を切って踏み込んでいく兵士たちに続いてクレイとエリアも恐る恐る入っていく。
 頑丈な石造りの建物は炎にも耐えている。しかし、熱はどうしようもない。公会堂の中はサウナのような暑さだった。こんなところに長い時間はいられない。果たして生き延びている人はいるのだろうか。

 窓からは夕日のような赤い光が射し込んでいる。しかし、夕日と違い光は激しく揺らめいていた。
 その赤い光に染められたホールの中に、生存者はいなかった。それどころか、死者さえも。
 公会堂の中には人影はなかった。
「あれー?さっきたくさん人がいたのに……」
 がらんとしたホールを見渡しながらクレイは言った。
「自分も先ほど多数の生存者の存在を確認しましたが……一体どこに行ったのでしょうか」
 兵士の一人がそう言って首を傾げた。
「どこかに脱出用の通路があったのかもしれないな」
 サマカルドが辺りを見回した、その時。
「よう、やっとお着きかい?あんまり来るのが遅いからおいしいところはとっくにいただかせてもらってるぜ。お帰りはこっちだぜ」
 奥の方から声が聞こえた。そこに立っていた人物を、クレイたちとサマカルドは別々の呼び名で呼んだ。
「テラーファングさん!」
「ラフェオック!なぜおまえがここに!?」
 テラーファング、もしくはラフェオックは牙を剥き出しにしてニヤリと笑う。
「ここは長話をするには暑すぎるだろ?場所を変えようや」
 そういって奥の方に消えていく。一同もそれに続いて奥に向かった。
 そこには光とも闇ともつかないものが蟠っていた。その中にラフェオックは歩いていく。
「それは何だ?」
 サマカルドの問いかけにラフェオックは振り返る。
「出口……穴さ。地面や壁じゃなくて、空間に開けられた穴だってよ。俺にはよくわかりゃしないがね。チビどもなら分かるんじゃないか?」
「転移ポータルの魔法……」
 エリアが呟く。力の強い魔法使いはよく使う、便利な移動手段の魔法だ。とは言え、狭い島の中しか移動しない彼らにとって、よほど急いでいる時かよほどものぐさしたい時にしか使われない。
「そんな名前だったかもな。とにかく、この穴に一歩踏み込めばそこはお外ってわけよ」
 ラフェオックに続き、転移ポータル魔法に何の抵抗もないクレイとエリアもゲートを通る。サマカルドと兵士たちも恐る恐るそれに続いた。
 ゲートを抜けると、闇と冷たい風に包まれた。その闇の中に、赤い光に照らされた無数の影が佇んでいた。
 赤い光は町を焼く激しい炎。先ほどまで彼らを取り囲んでいた炎を、今は外から眺めている。ここは町の外なのだ。
 佇んでいるのは老若男女入り交じった人々。町の人たちだろう。皆、盛大な炎に包まれた自分たちの町を呆然と見つめている。
「一体何が起こったんだ?あの青い兵士達は何者だ」
 サマカルドはラフェオックに詰め寄らんばかりの勢いで問いかけた。飄々とした顔でラフェオックは答える。
「連中は王命を受けて動く特殊兵団だ。そして、この国の連中が恐れる魔法使いの正体の一つさ。破壊、略奪、殺戮……凶悪な事件はほぼ奴らの仕業だ。俺がこんな姿になったのも奴らのおかげさ」
 ラフェオックを始末しようとしたのも彼らだったと言うことだろう。
「……それで、奴らはなぜこの町を?」
「おや、お仲間にそんな連中がいるってことに食ってかかってくるかと思ったが」
 冗談めかして言うラフェオック。サマカルドは醒めた顔でかぶりを振った。
「……今更だな。それくらいのことはやりかねないと思ってなければ、まだおとなしく大臣に言われたとおりに魔法使いを捜していただろう」
 ラフェオックは相変わらずの牙を剥きだしたにやけ顔で話し始めた。
「タチの悪い男がいてな。……あんたも知ってるだろう、ロズフォートの処刑人を。あの大臣すらなるべく苦しめずに死なせてやろうと考えた無実の死刑囚を、魔法使い嫌いの度が過ぎて心行くまで苦しめて死なせた筋金入りのクズさ。今はうちのおやっさんの呪いでただの化け物になり果てているが、それでも相変わらずろくなことをしねえ。憎悪の対象が国に向いてくれたからそっちと潰し合ってくれているが、国のほうは巻き込まれただけの善良な一般市民に情け容赦がなくてね。……奴が国の秘密をベラベラ言い触らしちまったから、それを聞いてたかもしれねえ住民を一人残らず焼き払っちまおうとした。それがこれさ」
 とばっちりにしてもあまりにも大事すぎる。
「事が済んだら魔法使いの仕業にしちまえば丸く収まるって寸法さ。この国はずいぶんと長いことこんな事を繰り返している。魔法使いの手先を名乗って略奪し、奪った分だけ税金を下げてやる。後は適当なこそ泥を魔法使いに仕立てあげて、焚き火の薪がわりにしてやりゃ国民は大喝采さ。よけいなことに首を突っ込もうとしていたあんただって、いずれ……な」
そう言い、ラフェオックはさらに口元を吊り上げた。
「にわかには信じ難い話だ」
 サマカルドは一度言葉を切り、続ける。
「しかしここ最近、思い当たるような出来事を見すぎている。まさか、全て魔法使いに見せられた幻と言うことはないだろうな」
「おやっさんでも起きてる人間にこんな大がかりな幻を見せるほどの力はねえよ。こんな長い夢を見せる暇もな。……この町の連中だって、魔法使いを憎んで生きてる連中さ。わざわざ助けてやる義理はねえんだが、あの化け物を造りだしたのは他でもねえおやっさんだし、魔法使いのせいでこんな事になったとも言えるからな。数も数だし、見捨てるには忍びなかったんだろう。それに、ここにいる連中は町を焼いたのが魔法使いだなんて誰も思っちゃいねえ。連中をここに集めたのも、入り口を塞いで閉じ込めたのも兵隊だ。まあ、兵隊は都合がいい。兵隊に危険だから避難しろと言われて従わないのはよほどの偏屈だからな」
「しかし、兵隊としてその全てを行ったのか?」
 兵隊が町の人を閉じこめ火を放ったとなれば、国家の威信にすら関わるだろう。だが。
「まさか生き延びる奴がいるなんて思っちゃいないからな、小細工なんかしてねえよ。町の住人を一人残らずかき集めて、家の中から物を運び出して積み上げて……。それだけのことをして、小細工や小芝居してる余裕なんかあるかい?」
「50人を超える一個小隊を引き連れてきても余裕などないだろうな。生かしておくつもりのない相手をだます必要もない、か」
「だから、連中も油断してたのさ。だが、こうやって助け出された。口封じは失敗さ。連中の顔が青くなるのが今から楽しみだぜ」
 どうやら、この国の闇はサマカルドが思っていたよりも深いようだ。表にいては見えない闇の部分。闇の中を暗躍してきたラフェオックは、その姿も随分と見てきているらしい。サマカルドはもっと話を聞いてみることにした。

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