マジカル冒険譚・マジカルアイル

16.すれ違い


 黄昏に染まった町に夕闇が夜の帳を降ろし始めた頃、家路を急ぐ人の流れに逆らうように町を離れてゆく二つの小さな影があった。
 町から離れた所で身を隠し、薄闇がその色を濃くするのをじっと待つ。そして星が瞬き出した頃、その影は再び動き始めた。
 その手によって背負い鞄から引っ張り出されたのは、闇としか形容し得ないものだった。
 クレイとエリアは先刻グレックの手紙に従い、赤い糸で呪文の刺繍を施した黒い衣を用意した。エリアが刺繍の最後の一針を入れた途端、黒い服から空気に色が染み出すかのように闇が広がった。呪文の通り、それは光を払い、闇を呼び寄せる魔法だった。
 二人は驚き、闇を放ちだした服を慌てて荷物の中に隠した。夜の闇の中なら目立たないかもしれないが、昼間は逆に目立って仕方ない。
 しかし辺りが闇で包まれた今なら、もう問題はない。
 背負い鞄の中から引っ張り出されたそれは、とても服とは思えなかった。ぼんやりとした闇に覆われ、形さえはっきりしない。手探りで形を確かめながら羽織った。
 まるで毛足の長い黒い毛皮でも纏っているかのようだ。首を窄めると顔がすっぽりと闇の中に入り、黒髪と一続きの闇となる。クレイの服は丈が短いのでしゃがまないと足が見えてしまうが、これはご愛嬌だ。なるべく黒っぽい色のズボンに履き替えてごまかすことにした。
 遠くからなら目立たないだろうし、見つかっても一体なんなのか判らないだろう。
 二人は闇を纏ったまま、闇に包まれた空に舞い上がった。
 少し距離が開くと思いのほか互いの姿が見えなくなった。足が少し見えるクレイが前を飛び、エリアはそのうっすらと見える足の影を頼りについて行くことになった。
 クレイも後ろから聞こえるエリアの呪文の詠唱が離れないように速度を合わせて飛んだ。闇の中で、極力抑えたお互いの声を頼りに飛ぶ。
 やがて、空が白み始め、うっすらと空に光が広がると、二人の姿もうっすらとその光の中に浮かび上がり出す。二人は地面に降り立ち、闇の衣を脱ぎ去った。そして取り残された夜を荷物の中に押し込む。
 地平線の上に星団のように輝いていた街明かり。その町は今、すぐ近くに見えていた。

 サマカルドにもバンフォでの騒動の知らせが届いた。
 魔法使いに繋がる重要な手掛かりがあるかもしれない。だが、バンフォに赴く気は起こらなかった。奪われた密書の件があるためだ。
 あの書状の内容が怪物によって読み上げられ、民衆に知られてしまったという報告を受けている。魔法使いを捜していることが知られ、それを隠していた民衆にも、そのことで信用を失った兵士たちにも合わせる顔などない。
 それに、怪物は町を飛び去り、こちらに向かったとの話だ。それならここで様子を見た方が得策だと判断した。
 まさかその怪物が、まさに自分の頭上でただの鳥を装って羽を休めているとは思っていなかった。サマカルドはただ、黒い半人半鳥の怪物としか聞き及んでいなかったし、たとえ完全に鳥にに姿を変えられると聞いたところで、ただの鳥と見分ける術はない。
 今まで各地で目撃例のあった半人半鳥の怪物、彼らが知る由もないが仲間内ではスカイウォーカーと呼ばれる者は、この辺りでは見かけない大型の猛禽の姿をしている。色も黒ではない。鳥の姿になっていても、その姿はとても目立つ。
 今回の物は黒く、よくいる鴉のようだと伝えられた。新手が現れたのだとサマカルドは理解していた。それも、グレックの手先だと。怪物のはなった言葉が全て伝わっていれば、そのようなことは思わなかっただろうが、サマカルドに伝えられた情報はまたしても断片的でしかなかったのだ。
 一方、大臣の元には子細まで報告がなされていた。
 命令どおりサマカルド本人がやってくると思っていた大臣だが、本人は現れず、やって来たのは書状だけ。さらに機密事項が多々記されたその書状の内容が、魔法使いの手下と思われる怪物によって民衆に漏れてしまったと聞いては、黙って待ってなどいられなかった。
 大臣は自ら高速船に乗り込み、サマカルドがいるだろう町を目指した。

 クレイとエリアも町にたどり着いた。目の前に見えた町だが、歩いて行くと結構な時間を要した。やはり歩きでは時間ばかりかかってしまう。
 夜通し飛び続けた二人は、また夜に備えての一眠りの前に空腹を癒そうと軽食屋を探した。
 町は徐々に活気づこうという時間だった。
 その時、二人の耳に大きな声が飛び込んで来た。
「魔法使いだ!魔法使いが出たぁ!」
 驚き、肩をすくめる二人。だがそれは二人のことを言っていた訳ではないとすぐに分かる。
「バンフォで魔法使いの手先が騒動を巻き起こしたぁ!国軍の兵士が一名死亡!」
 号外を高く掲げてそう言ったのは、もちろん号外売りだった。号外売りの周りには人々が押し寄せた。
 クレイとエリアは自分たちのことではないと解り、ちょっとほっとした。ほっとすると、その魔法使いのニュースが気になり始めた。
 クレイはエリアをその場に待たせて号外売りに近づいた。大人たちに混ざって号外を買いに来る子供を特に怪しがるでもなく、号外売りはクレイに号外を手渡した。
 早速号外を読もうとしたが、文字だらけなのでちょっとだけ嫌気がさし、先に何か食べ物を仕入れようということになった。
 焼きたてのパンの匂いに誘われ、パン屋でパンを買い、そのまま町外れの丘に向かう。パンを齧りながら号外を回し読みした。
 号外にはバンフォの町に現れた鳥の怪物について書かれていた。かねてより各地で目撃されていた怪鳥とは異なり漆黒の翼を持ち、より凶暴で凶悪、そして嘘ばかりをよく喋ると書かれている。スカイウォーカーとは別人らしい。
 国の息のかかった新聞だ。国家にとって都合の悪いことだらけの怪鳥の発言内容はごっそり割愛され、代わりに最近の魔法使いによる、あるいはそうであるとの推定を含む事件や、現在活動中の魔法使いが羅列されている。
 現在活動中となっている魔法使いの筆頭にはグレックが掲げられ、世界を手中に収めんとする凶悪無比の魔法使いと書き添えられていた。それ以外は聞いたこともない人ばかりだ。
 クレイとエリアという名目の処刑で騒動を起こした処刑人もリストに入っており、似顔絵も添えられていたが、あの処刑自体なかったことにしようとしている国家の命令で処刑に関する一切は伏せられ、国家に対する謂れもない悪評を流布し混乱を呼ぼうとするものとし書かれていない。二人も顔ははっきり覚えていないせいもあり、ほかの手配者同様ただの悪そうな人としか認識されなかった。
 クレイとエリアはもう死んだことになっており、さらにその死すらなかったことにされようとしているので、二人に関する記述は全くなかった。なぜ自分たちのことが書かれてないのか事情が分からない二人は訝るが、いずれにせよ手配されていないと思うと少し気が楽だ。
 怪物が出現したというバンフォはここからそう遠くはない。……もちろん、飛んで行けばの話だ。バンフォを過ぎてもう少し進めば国境。近くの町で話を聞き、あまり物々しい様子でないか少し様子を見て見ようということになった。
 腹も膨れ、文字だらけの号外を読んで疲れたうえに指名手配の一覧に自分たちが触れられていないことで安心もした二人は、そよ風と暖かな日差しの中で眠りについた。
 その二人に忍び寄る影があった。極力気配を消し、物音もなく歩み寄る。
 獣のようなしなやかな足取り。当然だ。今の彼は獣そのものなのだから。
 テラーファングだ。二人の前には姿を現そうとしないが、グレックの頼み通りあれからずっと二人を影から見守っていた。
 テラーファングは丸められ筒になってクレイの荷物に突き刺さっている号外を音もなく抜き取り、来たときと同じように音もなく去って行った。

 サマカルドは逃亡した魔法使いを追っている。あの日、処刑されたことになっている二人の魔法使い、クレイとエリアを。そして、そのサマカルドの頭上を飛ぶ一羽の鴉。
 今は鴉となった男の手により処刑されたあの子供たちは一体誰だったのか判らない。ただ、あれは自分に呪いをかけて幼く戻ったのだという大臣の言葉を真に受けてしまった。
 もっとも、あの二人が濡れ衣を着せられた無関係の子供たちだとしても、同情する気など起こらない。魔法使いと呼ばれるものであればすべてが憎かった。
 あのガキどもが炎の中で泣き叫んでいたときは爽快だった。大臣のでっちあげだと知って興ざめこそしたが、罪の意識などは感じない。
 むしろ、更なる喜びが味わえるかもしれないのだ。サマカルドが追っているのは正真正銘の魔法使いだ。拷問をし、そのことを確かに自分の耳で聞き出したのだから間違いない。
 あの二人が生きているというのなら、もう一度魔法使いをこの手で殺せるのだ。処刑のような型にはまった殺し方ではなく、思うままに残虐な殺し方ができる。苦しまぬように早々に止めを刺すなどごめんだ。
 何はともあれ、サマカルドが魔法使いの情報を掴むのを待つのが得策だ。連中が動き出したら先回りし、魔法使いたちを掻っ攫う。
 だが、サマカルドは朝から動こうとしない。駐屯地の兵舎にいるのは間違いない。地元の兵士とは身なりが違う国軍の兵隊が度々出入りしている。この辺りにいるという情報でも掴んだのだろうか。
 動きがあるにせよないにせよ、今一番魔法使いに近い場所にいるのがサマカルドのはずだ。サマカルドに張り付いていることが一番の近道だろう。じっとしているのは得意ではないが、大鴉はただ待つことにした。

 ほとんど動きが無いまま時だけが流れた。そして日も暮れかかるころ、駐屯地に一台の馬車がやってきた。
 降りてきた人物を見て、大鴉は小躍りでもするように羽ばたいた。まさに小躍りしたい気分だった。
 それは大臣だった。
 ロズ・フォートでは奇妙な眠気に阻まれて大臣に近付けなかったが、今日は阻む物はない。襲いかかるにはいい機会だ。
 だが、急ぐこともない。一体何をしに来たのかを見届けてからでもいいだろう。魔法使いの居場所に関する情報でももってきていればしめたものだ。
 大臣は兵舎に入って行く。そして、ほどなく外にまで聞こえるほどの怒声が響いた。

 兵舎で思案に暮れていたサマカルドのもとに、心頭の怒りを隠す様子もなく大臣が押しかけてきた。
 よもや大臣が御自ら乗り込んで来るとは思っていなかったサマカルドは面食らったが、来てしまった以上仕方がない。腹を決めて応対するしかないだろう。
「貴様は何をしたか判っているのか!私の命令に従わなかったばかりか、不用意な行動で機密情報が民衆に漏れたのだぞ!」
 ひとまず、大臣の感情を逆撫でしないように素直に謝っておいた方がいいだろう。
「申し訳ありません。以前こちらに入ってきていた処刑に関する情報の件もあり、何者かがこの捜索の任務を妨害しているのではないかと警戒しておりましたので」
 書状に書いたことを通すサマカルド。
「そうだ、そもそもなぜ貴様が処刑場に現れたのだ!?」
「魔法使いが捕らえられ、予定通り処刑が行われるという情報が入ったためです」
 捕らえられたとは聞いていないが、予定通り処刑が行われると聞いて第三者が捕らえたのだろうと考えたのは確かだ。替え玉を立てての処刑だと知っていれば、勘違いすることもなかった。
「魔法使いの捜索をしていたのは貴様だけだ!貴様に覚えがないなら見つかっているはずはない」
 大臣は全ての責任をサマカルドに押しつけるつもりらしい。それならば考えがある。
「そう思ったので兵には探索を続行させ、私自身が事実の確認を行ったのです。……しかし、なぜ処刑の情報を私に伏せていたのですか?最初から処刑に関する話が伝わっていればこのようなことになりませんでした」
 そう言いながらも、サマカルドは理由を大方察している。
 魔法使いが逃亡して未だにそれを追っていることを知っているのはサマカルドたちだけ。民衆には逃げたことさえ知られていないし、気付かれぬように替え玉を立てて無事捕らえたということにすれば、もともと捕らえられていた魔法使いの顔など知る者はほとんどいないのだから、ごまかし通せただろう。後は処刑さえサマカルドの知らない所で行いさえすれば、魔法使いが逃げたということをなかったことにできる。
 魔法使いが逃げたことももちろんだが、その代役が何の罪もない子供だと言うことは、断じて知られてはならない。サマカルドたちさえ処刑のことを知らずに終われば思惑どおり、すべて無かった事にできた。だからこそ、サマカルドたちには何一つ知らせがなかった。
 だが、サマカルドは処刑を知り、その処刑も国の想定通りの展開にはできなかった。
 大臣にとって、この処刑のことは大変な弱みであるはずだ。大臣に付け入る弱みがあるとすればここしかあるまい。
 だがそれは、大臣にとってこのことは触れてはならない逆鱗であることも意味する。大臣も、サマカルドが大方を理解したうえでわざとらしい質問を投げてきたことなどお見通しだ。見る間に大臣の顔が紅潮する。
「余計なことを詮索するな!貴様は命令どおりに動いていればよい!」
 大臣は処刑について言及する気はないようだ。だが、サマカルドが事情を把握したと察したことで、大臣もあまり強気には出られなくなった。サマカルドがこれ以上情報を漏らせば、大臣とてただでは済まない。
 大臣の意のままに動き、黒い仕事を任せられる集団は、今は連れてきていない。そう言った手合いを伴ってきていれば、今ここでこの男を黙らせることもできた。むしろ、そうすべきだった。
 サマカルドに身の危険を感じさせてはならない。危険を察すれば重大な秘密を洗いざらいぶちまけかねない。処刑人、処刑人と同一だという得体の知れぬ怪物、そしてサマカルドまで余計なことを言い出せば、もみ消し切れなくなる。
 大臣はこれ以上責任を追及することはせず、軽はずみな行動を避けることと、この任務の全権は大臣にあり、決定には大臣への伺いを立てることを念押しするにとどめた。
 バンフォの揉み消しが済んだならば、次はこの男を揉み消さねばなるまい。
 兵舎の出口をくぐりながら、大臣は心の中でそう呟いた。

 サマカルドは西側から東進し、魔法使いを正面から迎え撃とうとしており、その動きは大臣にも伝わっていた。大臣は今日もサマカルドが速い動きで東へ向かっていると思っていた。
 大臣にとって、サマカルドがまだバンフォから遠くないこの町にいたことは好都合であり、そしてまた不都合でもあった。
 今、バンフォでは情報が漏洩した件の揉み消しが行われようとしている。その仕事が終われば、大臣の手の者をすぐにここに連れてきてサマカルドを任せることもできるだろう。
 ただ、そのバンフォ揉み消しの動きも、これだけ距離が近いとすぐにサマカルドに伝わる。サマカルドに余計な疑念を持たれると厄介だ。知られてもどうせすぐに始末するが、バンフォでの動きを見て警戒心を高めるかもしれない。
 大臣は馬車の側に待たせている護衛兵に、バンフォに送った部隊への伝令を言付けた。
「バンフォでの一件が済んだら速やかにここに来るように伝えよ。一人、消さねばならぬ者ができた。私は奴がここを動かぬよう引き留める」
 護衛兵は頷き、早馬をバンフォに向けて走らせた。それを見届け、大臣は再び兵舎に入って行く。
 その頭上で鴉が愉快そうな声で鳴き、留まっていた枝から飛び立った。
 鴉は兵舎の窓を巡り、とある部屋の窓枠にとまった。部屋の中ではサマカルドが苛立たしげに机を指でこつこつと叩き続けている。鴉が一声挙げるとサマカルドは窓に目を向けた。その目に一羽の鴉が映る。その鴉が、見る間に気味の悪い半鳥半人の姿になった。サマカルドは驚いて立ち上がる。
「あんた、大臣を怒らせたな。消されるぜ?」
 耳障りな声で怪鳥は言う。黒い羽根の怪鳥。バンフォの町に現れ、サマカルドの密書を民衆の前で読み上げた怪物か。
 怪鳥はその声以上に不愉快なにやけ面でサマカルドを見つめた。
「何者だ?グレックの使い魔か?」
 怪鳥は不機嫌そうに床を踏みならしながら言う。
「あんな忌ま忌ましい爺の手先にされちゃかなわねぇぜ。あんた、この間の処刑を見に来てたんだって?あの時、最低最悪の処刑ショーにしてやった処刑人が俺よ。わざわざ高い金を払ってまでガキが殺されるのを見に来た悪趣味な暇人を喜ばせてやろうとしたんだが、どうやらあんまり喜んでくれなかったらしくてな。大臣に魔法使いの手先呼ばわりされたうえに指名手配、兵士に槍で刺し殺された挙げ句、そのグレックっていう魔法使いの呪いで俺の死体を啄んでた鴉と融合してこのざまよ。……あんたも大臣に狙われたらいつまで生きてられるかわからねぇ。これから大臣はてめぇに余所へ行くなと命令しに来るはずだ。その通りにここにいたらてめぇは大臣の手先に寝首を掻かれておしまいよ。とっとととんずらするこったな」
 鴉は笑い声だろうか、一際不快な声でぎゃぎゃぎゃぎゃと鳴く。
「お前はグレックの手の者ではないのだな?なぜ私にその話をする?」
「言っただろう、俺は大臣に大っ嫌いな魔法使い呼ばわりされたうえ、指名手配までされたんだ。俺はあんたが殺されようがどうなろうが知ったこっちゃあねぇ。ただなぁ、あの大臣の思いどおりに事が運ぶのは気に食わねぇのさ」
 その時、部屋の扉がノックされた。怪鳥は鴉の姿になり飛び去る。
 扉を開けると大臣が立っていた。
「何やら話し声が聞こえたが?」
「隣室でしょう」
 惚けるサマカルド。大臣は窓の外も覗き込むが、人影は無い。目の前の木の枝で一羽の鴉がギャアと鳴いただけだ。
「今、バンフォの町で私の手の者が怪物についての情報を集めている。その報告があったら伝えよう。急がせてはいるが、恐らく今宵か明日になる。彼の怪物を懲らしめれば比度の失態は帳消しにしてやる」
 そう言うと大臣は部屋を去って行った。
 羽音がし、また窓枠に怪鳥がやってきた。
「あの大臣を信じてここに残ればてめぇの命はねぇ。だが、俺の言うことも罠かも知れねぇ。俺の言うことが魔法使い共の罠なら、大臣の言い付けに背いたてめぇは反逆者として大臣に指名手配よ。俺を喜ばすのが嫌か?それなら大臣に従って寝首を掻かれてみるか?大臣が吠え面かくのも、俺を信じなかった石頭が犬死にするのも、俺にとっちゃ愉快な見世物だ。あんたの決断、楽しみにさせてもらうぜ」
 そう言い、飛び立とうとする怪鳥。ふと、動きを止め振り返る。
「そうそう、てめぇに一ついい事を教えてやるぜ。あの大臣、今頃バンフォの町で手先に何かをやらせてるみたいだな。ここで死ぬ気がないなら、行ってみたらどうだ?」
 怪鳥は飛び去った。

 あの口の悪い、ふざけた態度の怪物を信用してよいものか。
 だが、大臣とて信用のできる相手ではないことは身に染みて判った。
 あの怪物の言った通り、大臣はサマカルドにここを動かぬことを勧めた。いや、先刻のやり取りの後ではそれは命令に等しい拘束力を持つと言っても過言ではない。
 バンフォの様子を見に行かせているので、報告を待てとのことだが、そんな情報など使いを寄越して知らせればよい。わざわざ引き留める必要など無い。むしろ、探索のために檄を飛ばしてこの駐屯地から追い払ってもいいくらいだ。引き留める理由など、そうそう思いつきはしない。
 サマカルドは多くを知り過ぎた。それは自分でもよく分かっている。そこに来て、大臣に対して反抗的な態度を見せたのだ。見切りをつけて切り捨てるくらいのことはしてもおかしくはない。
 そうとなれば、大臣の出方を見ている暇など無い。それに、バンフォに様子を見に行かせた兵が未だに戻らないのも気掛かりだ。サマカルドは腰を上げた。
 窓から外を見るが、怪鳥も黒い鴉も姿が見えない。
 代わりに兵舎でくつろいでいるはずの、用の無い兵士が皆兵舎前の広場にいる。訓練をする訳でも無い。ただ、手持ち無沙汰にうろついているだけだ。
 理由はひとつしか考えられない。大臣だ。
 休憩中の兵を外に追い出すような士気を下げる真似はしないだろう。それに、大臣の命令で外に出たならすることもなくふらつくことは無い。
 皆、自主的に階下の休憩所を出たのだ。露骨に機嫌の悪い大臣が休憩所に陣取っているのだろう。大臣がいるだけでも緊張するだろう。大声で怒鳴り散らした後の大臣ではなおさらだ。
 兵舎の出入り口は一つだ。そこに陣取り、サマカルドがどこかに行かないように見張っているのか。
 その時、一匹の早馬が兵舎に向かってきた。サマカルドの部下のロゼフだった。
 ほどなく、ロゼフはサマカルドの元にやってきた。何やら訝しげな顔付きだ。
「隊長、なぜ大臣がここに?」
 やはり、下に大臣がいるようだ。
「……大臣はどんな様子だ?」
「大変険しい表情で休憩所の椅子にお座りになられておりました」
「やはり、か。して、何かあったのか?」
「はっ。デンザ街道で大きな狼が西に向かって行くのを見たという話がありました。例の狼かどうかは分かりかねますが、この辺りで狼が見られるのは稀だという話ですし、向かっていた方向がバンフォ方面だということなので、なにかあるかも知れないと思い報告に上がりました」
「なんだと。……大臣にもそれは知らせたのか?」
「尋ねられましたので。ただ、バンフォ方面に魔法使いの手先と思しき怪物が向かっているとの情報があったとだけ伝えました」
「そうか」
 これはここを離れる口実になるかもしれない。サマカルドはロゼフを連れて部屋を後にした。

「どこへ行く?」
 案の定、大臣は入り口の側の席に掛けて、兵舎の出入りに目を光らせていた。
「バンフォの町に魔法使いの手先である怪物が向かっているようです。調査に向かいます」
「言ったはずだ。バンフォなら私の手の者が調査しておる。何かあれば奴らが対処してくれよう。お前は報告を待っていればよい」
「しかしながら……」
「くどいぞ。この期に及んで私に逆らう気か」
 大臣はサマカルドを睨みつけた。
「……分かりました」
 サマカルドは引き下がった。
 一度は部屋に戻るサマカルド。大臣はサマカルドをここから出す気など無いらしい。案の定、と言った所だ。大臣がそこまで頑なに引き留めようとするなら、あの怪物の言葉もいよいよ現実味を帯びてくる。いよいよもってここでじっとしている訳には行かないだろう。
 サマカルドは窓から外を見下ろす。大臣から逃げるように外に出た兵たちが見えた。大臣から見える正面は避けるように広場の隅に移動している。建物の正面にいるのはロゼフが乗りつけ繋がれている馬だけだ。
 向かいの部屋の窓から建物の裏手の外を窺う。裏手は林になっており、人気は無い。道具やがらくたがいくつか転がっている。
「ロゼフ。馬を厩舎に入れるとと言ってここを出、裏手に回り窓にその梯子をかけろ」
 サマカルドは兵舎の裏手に置かれた梯子を指しながら言う。
「し、しかし……」
 ロゼフはサマカルドの意図を理解した。言いつけに従わず、窓からの脱走を試みるつもりだと。
「大臣の言うことなどあてに出来ぬ。事実はこの目で確かねば」
 ロゼフもサマカルドとともに処刑を見ている。大臣への不信の念は強かった。
「了解しました」
 ロゼフは言われた通りに建物の裏手に回ってサマカルドの覗く窓に梯子をかけた。梯子は薄汚れていたが頑丈に出来ており、問題なく使うことができた。兵舎を窓から脱出する。
「私は北を回り、皆にバンフォに集まるように伝えよう。ロゼフは南を頼む」
 厩舎から馬を出し、二人は北と南に向けて走らせた。

 馬の走り去る蹄の音が聞こえた。
 何げなく聞き流したが、思えば一体誰が馬など乗ってどこかに行くのだろうか。この町の兵士に余所に行くような用事があるとも思えない。
 もしや。
 大臣は立ち上がり、兵舎の上階に駆け登った。
 先ほど入った部屋の扉が不自然に開け放たれている。向かいの部屋もだ。
 覗き込むが、どちらにも人影は無かった。他の部屋にも、誰もいない。
 大臣はサマカルドに逃げられたと悟った。
 怒りに満ちた表情で大臣は兵舎を飛び出す。そして兵舎の近くをふらついていた兵士に詰め寄った。
「今ここを出て行った騎馬は何者だ!」
 怒りに満ちた大臣の表情にびくついていた兵士たちだが、自分たちがなじられる訳ではないと知り、心なしかほっとして質問に答えた。
「はっきりは見ておりませんが、逗留中のサマカルド少将だったのではないかと」
 大臣は怒りの色を濃くした。兵士の表情はさらに硬くなる。
 大臣はサマカルドの騎馬が走り去ったと思われる方向を睨みつけた。既に騎馬の姿は見えない。
「今すぐ連れ戻せ!戻らぬというなら反逆者として斬り捨てよ!」
 大臣の命で近くにいた兵士は、その場から逃げるように一斉に出動した。大臣は出動しようとする兵士を一人呼び止めた。
「貴様はバンフォにいる私の配下に書状を届けよ。馬を用意し、しばし待つがいい」
 大臣はそう言うと兵舎に向かって行く。大臣が兵舎の中に入ろうとした、その矢先。
 突然、頭上から羽音がし、黒い影が落ちた。
 見上げると、一匹の鴉が大臣目がけて飛びかかろうとしていた。
 身を守る暇も無く、鴉の嘴は大臣の顔に突き立った。額と頬に鋭い痛みが走る。大臣は転げながら鴉を追い払おうともがいた。
 鴉の重みが俄に増した。目を開けると、鴉は見る見るうちに人のような姿に変化していく。
 これが噂に聞いた鴉の怪物か!
「よう、大臣。無様な姿だろう?俺だよ、あんたが魔法使いとして指名手配した処刑人だ。惨すぎる処刑に魔法使いがご立腹でな、呪いをかけられてこのザマよ。処刑のお膳立てをしたあんたも、死んだら魔法使いがこういう惨めな姿にしてくれるぜ?」
 大臣は怪物が言い触らしたという悪言を詳細には聞かされていなかった。あまりの内容に報告する側も、いくらか内容に手心を加えたのだ。特に、処刑に関する話には、大臣が無関係の子供を処刑させているという話もある。本人になど言えたものではない。その話の内容が伝わってきていれば、この怪物と処刑人の関わりに気付けたかも知れなかった。
 この怪物が処刑人なら大臣に深い憎しみを抱いているだろう。殺すつもりか。怪物と処刑人の関わりに気付けていれば、多少は用心し、このように無防備になることもなかった。
 そこに馬に乗った兵が駆けつけてきた。先ほど伝令を頼もうとした兵だ。得体の知れぬ怪物に怖気づいたかのように動きを止める兵だが、大臣が何をしている、助けよ、と一喝すると抜刀しこちらに向かってきた。
 怪物は兵が駆けつけて来る前に鴉の姿に戻り、兵舎の屋根の上に飛び上がった。
「処刑されたガキ以上に苦しめて殺してやると言っていたな。その言葉、そっくり返してやる!あのガキを見繕ってきたのも、どこぞのガキで茶を濁すって言う筋書きもてめぇが考えたんだろう?あのグレックっていう爺はてめぇの事も許しやしねぇだろうよ!てめぇがどんな無様な化け物に成り果てるのか楽しみだ!」
 屋根の上からの罵声から逃れるように大臣は兵舎の中に入って行く。
「誰かが来るまで伝令は無しだ!」
 今、残った最後の兵を使いに出せば大臣は無防備だ。それを知れば怪物は喜んで大臣を嬲り殺しにしようと兵舎にやって来る。伝令を追い、書状を奪われても厄介だ。他に知られればサマカルドの書状など問題にもならないほど致命的になる情報を伝えねばならないのだから。
 伝令に出すにしても、あの怪物に書状を奪われぬよう、単騎での使いは避けねばならない。自分の警護を頼む兵も合わせて数人は必要だ。
 近くにいた兵は全てサマカルドの追跡に駆り出してしまった。警備に当たっている兵の交替の時間もまだ遠い。それだけの兵を集めるのにどれだけ時間がかかることか。
 今の大臣に出来ることは、ただ歯噛みしながら誰かの到来を待つことだけだった。

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