マジカル冒険譚・マジカルアイル

15.翼


 クレイとエリアがフェネロアプキから発った頃、入れ違いにフェネロアプキにやって来た者がいた。
 クレイとエリアのお守をグレックに任された男、テラーファング。かつてはラフェオックという人物だった者。
 生前からの歯を見せてニヤリと笑う癖が、牙を持つ体になっても抜けないため、他の人に混じって馬車や汽船に乗ったりなどということはできない。狼の俊足でアルバサズからはるばる夜の闇の中を駆けて来たのだ。
 二人が山地を飛んでいた頃はともかく、ここ何日かは歩くだけだ。思ったより早く追いつくことができた。
 グレックから昨日二人がこの町に立ち寄ったという話を聞いたが、それ以来グレックとは話ができていない。
 テラーファングには自分からグレックに呼びかける手段はない。向こうから話しかけて来るのを待つしかないのだ。
 二人の痕跡を探る。狼の姿になればその鼻で臭いを辿ることもできるが、町の中ではそうもいかない。まして、今は昼間だ。目立って仕方ない。野良犬の振りをするにはテラーファングの体は大きすぎた。
 しかし、少し頭を使えば二人を捜すのは難しくない。二人は西に向かっている。町の西にある道を通るはずだ。この町は馬車だらけだが旅人を乗せる馬車はない。こんな人目の多いところで飛ぶような度胸もないだろう。歩いて西に向かっているのならば道に二人の臭いが残っているはずだ。
 西に向かう道を一つずつ狼の鼻で確かめる。二人の臭いはすぐに見つかった。後はこの道を辿って行けば、すぐに二人に追いつく。テラーファングは道から離れた藪に隠れながら二人の行方を追った。

 彼らは目を覚ました。いや、目を覚ましたという言い方が正しいのかどうかは分からない。彼らの眠りはただの眠りではなかったのだから。
 二人は互いの姿を確認する。よく見知った顔や姿はそこにはなかった。そこにいたのは一羽の小鳥。
「フェリニー?」
「ダグ?」
 互いの名を呼び合う。やはり、目の前にいる小鳥が幼いときから共に過ごしたフェリニーであり、ダグなのだ。
 言われた通りに人の姿は失ってしまった。それでもまたこうして生きることができるのだ。
 二人のここまでの人生は空虚で、辛いものだった。物心付いたころには既に孤児院とは名かりの座敷牢に閉じ込められ、遊ぶ物も学ぶための本も、着るものや食べるものさえ満足に与えられずに過ごしてきた。悪いことなどしてもいないのに、虐待としか言いようのないお仕置きをされることもしばしばだった。
 それでも、フェリニーが、ダグがいるからその辛さを忘れて生きてこられた。
 そんな二人の元を訪ねて来た者がいた。二人を引き取りたいという人がやって来たのだ。
 二人を引き取っていた夫妻は、国から払われる補助金目当てで二人を引き取り、今まで生かしていたようなもの。補助金数年分相当の大金を積まれれば、特に愛着があるわけでもない二人を手放すことに何のためらいもなかった。
 二人にとって初めて見る屋敷の外。初めて乗る馬車、初めて見るほかの町。初めて食べる甘い食べ物。二人の人生の中で一番楽しい時間が流れた。
 見る物、聞く物、手に触れる全てに歓喜する二人に、引き取り手は哀れむような目を向け続けていた。それはまるで、こんな当たり前の物にさえ喜ぶほど何もなかった二人の過去を哀れむかのようだった。
 だが、その人物が本当に哀れんでいたのは二人の未来だった。閉ざされた、早すぎる人生の終焉。
 よく分からないまま、引き取り手である大臣に連れられて大きな建物に入った。眼を輝かせながら最後の場所に導かれる。周りを取り囲むたくさんの人々。彼らは二人に身に覚えのない罵声を浴びせた。だが、世間知らずの二人には、その罵声の半分も理解はできなかった。
 訳も分からないまま、二人は炎に包まれた。苦しいことだらけだった短い人生は、謂われのない罪に対する罰である、その短かった人生ほどにも感じられるほど永い責め苦の苦痛と共に閉じられた。
“私は、何もできなかった”
 どこからともなく、声が聞こえた。
 気が付くと彼らは闇の中にいた。足元には奇妙な図形が描かれていた。降霊の魔法陣だった。
 二人は死に、その魂をグレックが呼び出していたのだ。グレックは二人に死を告げたが、二人は死の意味さえ知らなかった。
 二人の人生が終わり、未来は何もない。それが死だと知った。グレックは二人に問う。この死を受け入れるか、それとも人の姿を失ってでも生きたいか。
 二人は死ではなく、生を望んだ。辛いことばかりの人生だったが、それでも、いや、だからこそ、もっと生きたかった。そして、二人は今二匹の小鳥として甦った。
「お前たちは、その小さな鳥の命を貰い、ここにいる。その鳥の命が尽きればお前たちは再び死ぬことになるだろう。その時まで自由に生きるがいい。これが私がお前たちにしてやれる全てだ」
 グレックは窓を開けた。鎧戸が開かれると、部屋を包んでいた闇は太陽の光で一瞬にして追い払われた。
「戻りたくばいつでも戻って来るがいい。いつも付き合ってはやれんがな」
 二羽の小鳥は、その言葉に見送られ、自由な空に飛び立って行った。

 夕刻。ここにもう一人、翼を得たものがいた。
 彼はその復活を望んでなどいなかった。魔法使いの手による復活など、屈辱以外の何物でもない。それにその体は自分の骸を啄んでいた忌まわしい大鴉。こいつとその仲間共に食われ、彼の骸は人の姿のほとんどを失った。
 幸い、この鴉の姿になっていれば無様な怪物と成り果てた中途半端な人型の姿を晒さずに済むし、空を飛ぶこともできる。自分をこんな姿にした魔法使いは既に姿を消していた。
 これからどうすべきか考えると、大臣の顔が浮かんだ。鴉の姿なら誰も怪しまない。大臣はまだロズ・フォートにいるはずだ。挨拶ついでに目玉でも抉り出してやろうか。
 鴉は黒い翼を広げ、空に舞い上がった。
 アルバサズから馬車でも小一時間掛かるロズ・フォートまで、一息でたどり着いた。この素晴らしい翼を与えてくれたのが魔法使いでなかったらどんなに素晴らしかっただろう。
 ロズ・フォートに到着したが、途端に意識が遠のき始めた。処刑を妨害するだろうグレックを迎え撃つ為に仕掛けた罠の一つ、魔封じの結界の力だ。大鴉の肉体に意識と姿を結び付ける呪いの力が殺がれ、宿主である烏の意識に支配されかけているのだ。
 処刑場となったコロシアムに近づくと意識が遠のく。なるべくコロシアムに近づかないようにしながら砦の様子を探る。
 まるで運命が巡り合わせたかのように、大臣の声が聞こえて来た。大鴉は窓の上に留まる。薄れようとする意識を懸命に引き戻しながらその話に耳を傾けた。それは眠気に抗うのに似ていた。
「明日一番の高速船で奴の後を追え!任務を投げ出しここに現れた理由を問いただす!」
 語気粗く大臣が言った。兵士はその剣幕にまるで自分が叱責されているかのごとく縮こまっている。
「では、事情を聴いて伝えます」
 いそいそと立ち去ろうとする兵を、大臣は呼び止める。
「待て。込み入った話も出るだろう。直接ここに赴くように伝えよ」
「はっ」
 今度こそ兵士は去って行く。
 大臣は一体何をしようとしているのか。どうやら大臣が要塞の中にいる限り、得体の知れぬ眠気のせいでおいそれとは近づけないようだ。それならば、大臣が立腹している件が何かを突き止め、問題をこじらせた方が大臣を困らせることにもなる。
 大鴉は翼を広げ、慌てて砦を飛び出した兵の馬を追い始めた。結界が遠ざかり、あの得体の知れぬ眠気はもう感じなくなっていた。

 サマカルドは国境に近い港町に降り立った。
 この近辺で一足先に情報を集めさせていた部下たちから報告を受けるが、結果は芳しいものではなく、手掛かりに繋がるような情報は一切なかった。
 しかしそれは、逆に言えばそれはまだ魔法使いがこの近くに来ていない、先回りできている可能性が高いということだ。ここから東に向かって行けば正面から遭遇できるかもしれない。
 部下の報告では、国境はとても物々しい警備になっているという。ゲートはもとより、国境地帯の全域に魔封じの結界が張られ、配置されている兵も大幅に増強されている。今も司祭団により結界の増強が行われており、陸路での国外脱出は難しいだろう。
 海上は常にアテルシア海軍によって見張られており、その監視の目を逃れて国外に出ようとすることも到底できない。
 魔法使いたちは空を飛ぶこともできるらしいが、捕らえられたときは騎兵団による包囲網を破れず取り囲まれている。飛ぶ能力もそれほど高い訳ではないようだ。あの魔法使いたちだけの力では、この包囲網は突破できまい。グレックが力を貸せば分からないが、その時は既にアテルシア軍全軍挙げても手出しはできないだろう。
 ラフェオックの話では、グレックも彼らが何者なのか把握できていないようだ。ただ確実に言えるのは、もう決して彼らがアテルシア国を味方だと思うことはないということ。彼らがグレックを倒すためにどこかから送られた刺客でもない限り、グレックと手を結ぶのも時間の問題だろう。ラフェオックがあの二人の近辺をうろついているのもそう言った動きがあるためだと思われる。そうであれば、既にグレックの力を借りて国外に逃げた後かもしれない。
 どっちみちサマカルドたちの小隊だけでは成功させるのは難しい任務だ。元々成功させるつもりのない、厄介払いの口実の任務だったのではないか。
 そして、その一方で魔法使いを閉じ込めておくための対策は整いつつある。何も知らずに国境地帯の罠に飛び込めば、魔法使いたちは簡単に捕まるだろう。グレックが手を出せば、こちらはどうしようもない。どちらにせよ、サマカルドの出る幕などない。
 どちらに転んでも、役に立たなかったサマカルドに処分が下るのは避けようがない。
 考えれば考えるほど嫌気がさしてくる。あれほど信頼し、尽くして来た国家だが、一度疑心暗鬼に陥ると悪い考えしか浮かばない。上辺だけ国家に従い、内心では国家に疑念を抱いていた国民も同じ気持ちなのだろう。
 とにかく、魔法使いたちを見つけなければ。そして、近くにいるはずのラフェオックともう一度話をしてみよう。
 サマカルドは今後の方針を立てた。包囲網を敷き、東進。灰色の毛を持つ狼にも注意を払い、魔法使いなどを発見しても手出しはせずに報告するようにと伝令に伝えた。

 歩いての移動はやはり時間が掛かる。山脈から国境までの道程はまだ半ばにも到達していない。
 クレイとエリアは隣町のウバレクを目指していた。しかし、日暮れ間近だというのに町は見えてこない。今夜も野宿になりそうだ。
 隣の町がどんどん遠くなっていく。だんだん辺鄙な地域に差しかかって来たようだ。そろそろ、夜なら飛んでも良いのではないだろうか。だが、今日は一日歩き通した。明日は夜に備えて昼寝をしよう。
 二人でそう決めた時だった。エリアの荷物の中で何かが騒ぎだした。
 荷物の中に何かが入り込んだのだろうか。
「く、クレイ開けてよ」
 荷物をほっぽり出してクレイの陰に隠れ、その背中を押しながら荷物ににじり寄るエリア。クレイは恐る恐る荷物を開けた。
 荷物から何かが飛び出した。クレイの肩の上から様子を窺っていたエリアはまたクレイの陰に隠れた。
 飛び出して来たのは昨日読んだ、空飛ぶ手紙だった。
「何よ、驚かせて!」
 正体が判り急に強気になるエリア。
 この手紙は昨日読んだのに何なんだろう?そう思いながら改めて手紙を読んでみると、昨日とは手紙の内容が変わっている。
『今、君たちが向かっている国境では、君たちが通り抜けられないように罠を張っている。迂闊には近寄らない方がいいだろう。もっとも、君たちの居場所を考えれば気の早い心配だが。……人目につかないように飛ぶことを避けているようだが、そんなことではいつまで経ってもこの国から出ることはできないぞ。昼間姿を消す魔法は難しい。だが、夜に姿を消す魔法なら簡単に準備できる』
 手紙には、黒い服と赤い糸を用意して、この刺繍を施せと魔法陣と魔法文字による呪文が書き添えられていた。呪文は闇を呼び集め闇を放て、光を呼び集めて闇に溶かせ、と言う内容だ。
 早速試したいが、二人には黒い服も赤い糸も持ち合わせがなかった。しっかりと染められた服はどうしても値が張る。だから地味目で質素な白っぽい服が多くなってしまう。そして、そんな服を繕うにも赤い糸など使わない。
 ひとまず、この二つを手に入れるためには町に行かなければ。
 今自分たちがどの辺りにいるのかもはっきり判らないが、明日には町に着けるはず。そうしたら服と糸を買って、試してみよう。
 ひとまず、今夜はどこで眠るのかを心配した方が良さそうだ。

 一夜明け、朝がやって来た。
 クレイたちは谷にかかる陸橋を見つけ、その下で眠りについていた。そして、朝一番に橋を渡った馬車の駆け抜ける音で跳び起きた。
 まだ朝もやも晴れておらず、日も低い。まだ眠かったが、二度寝する気も起こらない。二人は歩き始めた。
 フェネロアプキからそう離れていないせいもあって、この時間はよく馬車が通った。二人は馬車の走る音が聞こえてくると林の木陰に身を隠した。
 時と共に朝もやも晴れ、林を抜けて見晴らしのいい場所に出ると、遠くに町が見えた。
 そのころ、朝一番の高速船で一人の兵士が、昨日サマカルドが降り立った港に到着した。そこから早馬でサマカルドの後を追う。
 その時、高速船のデッキから一羽の大鴉が飛び立った。こうしてロズ・フォートからこの兵士をつけてきたのだ。
 早馬に乗った兵は町の駐屯地に向かい、サマカルドが立ち寄ったか、行き先は判るかと問い合わせる。サマカルドは今朝ここを発ち、東を目指しているはずだと伝えられた。
 早馬もサマカルドを追い、東に向かって走りだす。出発したのが今日の朝だ。今頃は隣町についたところか。サマカルドの任務の詳細は誰も知らないようだが、何かの捜索の任務だという話なので、そこからすぐに出発することもないだろう。今日中には追いつけそうだ。
 そしてそのサマカルドはまさに隣の町に到着し、魔法使いの情報を集め出したところだった。
 昼頃、伝令の兵士はサマカルドのいるというラフォルクに到着した。
 頭上の黒い追跡者には気付かないまま、この町の軍駐留所に向かう。
「サマカルド少将はこの町にいらしてますか」
「いや。先刻任務のために到着され、この町に異状がないことを確認された後、すぐさまバンフォに向けて出発された。追うなら急ぐことだな」
「はっ」
 そんなやり取りを大鴉は屋根の上から窺う。兵士がバンフォに向けて出発すると大鴉も同じ方角に向けて飛び立った。

 伝令はバンフォでサマカルドに追いついた。日は傾きかかっている。
 この町でも異常はないことを確認し、駐屯地から今日最後の町に向けて出発しようとしていたところだった。
「少将。大臣から至急ロズ・フォートに戻り、処刑の日にロズ・フォートに居た件についての説明をせよとのご命令です」
 伝令の言葉にサマカルドは驚く。
「なに、大臣が?」
 ロズ・フォートにいたことが大臣に知られていたということも驚いたが、わざわざ呼び付けてまで事情を聴こうというのはどういうことなのか。嫌な考えが頭をよぎる。
「……しかし、今は任務の途中だ。そのロズ・フォートにいた一件での遅れもある。この期に及んで余計な時間をとるのは任務に支障が出るのではないか?事情なら今ここで口頭で伝えることも、書状をしたためることもできるが」
「大臣は面会をお望みです、少将」
 嫌な考えが膨らんでいく。任務を放り出して処刑場に現れたサマカルドを咎め、処分するつもりなのでは。町人たちが言っていたあの話がどこまで本当なのかは判らないが、大臣の言い付けに従い動いた結果、魔法使いの汚名を着せられ指名手配されたという処刑人のこともある。ありもしない罪を着せられやしないか。
 どうあれ、大臣の前に姿を出すのは気が進まなかった。
「妙な話だ。確かに任務の途中でロズ・フォートに向かったのは事実だが、その理由は大臣にも覚えがあるはずだ。伝えるべき事項を伏せて任務に送り出したのだからな。大臣がすべて余さず伝えさえすれば私も無駄足を踏まずに済んだはず。賢明な大臣がそれに気付かぬはずはない。この期に及んで呼び付けて時間をとらせようとは大臣らしくもない」
「少将、お言葉が過ぎるのでは……。確かに大臣は少将をお連れするようにとのことでした」
「それを証明する物はあるか?」
「い、いえ……」
 口頭で指示を受けただけの兵は困ったようにかぶりを振った。
「ロズ・フォートではちょっとした騒ぎになったが、それは魔法使いが出没し仕組んだことらしいな。多くは語れぬが、私の任務も魔法使いに関するものだ。魔法使いの仲間により妨害があることが考えられる。先日のロズ・フォートの一件もそうだ。処刑の情報が遠く離れた場所にいた私の所に届き、引き返す原因となったが、その情報が私に伝わったことに作為を感じないでもない。大臣が私に処刑についての情報を伝えなかったのも、処刑が行われることが私に伝わることはないとお考えになられたためではないだろうか。推測ではあるが、そのような事情を知っていた魔法使いの策略で処刑の情報が私に届き、陽動されたのではないかとも考えられる。大臣がお怒りになるようであれば、ますますこれ以上任務を放ってはおけん。大臣の元に戻ったはいいが、大臣に呼び出した覚えはないと大目玉を食らってはかなわん」
 サマカルドは出任せを並べた。自分でもよくもこんないいかげんなことが言えたものだと感心しながら。
 そして言われた兵士は動揺を隠せずにいた。サマカルドの言い分だと、兵士は魔法使いの手先として嘘の命令を伝えようとしていることになってしまう。冗談ではない。
 先日の処刑で処刑を担当した兵が魔法使いの嫌疑をかけられ指名手配をされていることは、兵士たちに少なからず波紋を呼んでいる。かの処刑人は態度が悪く好ましい人物ではなかったが、魔法使いを心から憎む人物で、魔法使いだとは到底思えぬような人間だった。あの男が魔法使いなど、どう考えても濡れ衣だった。
 濡れ衣で魔法使いに仕立て上げられ、有無をいわさず処刑されると言うようなことが、いつ自分の身に降りかかるかも判らない。兵士たちはそれを思い知らされた。あんな目に遭わされるは誰だってごめんだ。
 サマカルドは兵士に大臣の署名入りの命令書を持ってくるように指示を出した。しかし、兵士もこのままでは大臣の元に戻りにくいだろうし、自分で本当に大臣がそう言っているのか証明しろと言っておいて、自分がそのように命じたという証しを示さないのは道理が通らない。サマカルドは急ぎ大臣宛の書状をしたため、兵に持たせた。
 これでとりあえず、時間稼ぎにはなる。だが、これは確実に大臣を怒らせることになるだろう。
 この兵が大臣の元に書状を届け、大臣からの書状を持ってくるまで一日半と言ったところか。稼げた時間は大臣の怒りの大きさには見合うまい。まあ、ここまで来たらなるようになれだ。

 サマカルドも伝令の兵も、馬を走らせていた。
 サマカルドは複雑な思いを胸中に、予定通り最後の町を目指している。
 一方、伝令の兵は高速船に乗るため最寄りの港町を目指し、町を出ようとしていた。
 先程は少将相手に魔法使いの疑いをかけられ動転していた兵も、冷静になるに従い、怒りが込み上げて来た。
 兵は思いつく。大臣に書状を渡すとき、少将は大臣を魔法使いが化けた偽物ではないかと疑っていた事にすれば、大臣を怒らせることができるのではないか。そうすればあの少将は魔法使いの手先の罪を被せられ失脚するのでは。
 そう思い、兵士が口元に笑みを浮かべた時、その兵士の頭上に黒い影が広がった。
 背中に重みを感じ、兵士も異変に気付いた。馬も驚き暴れ始めた。
 振り返った兵士は背後に人外の異形の者の姿を見た。辛うじて人の姿をしているが、その体表には所々漆黒の羽根が生えている。
 驚き暴れだした馬を必死に制御しながら、剣の柄に手を伸ばす。だが、その手は虚しく空を掴む。剣が先程怪物に奪われていたのだと知ったのは、怪物がその剣で自分の胸を突き刺そうとする姿を目にしたためだった。
 胸を貫かれ、兵士は絶命した。怪物は兵士の所持品を漁り、サマカルドの書状を見つけだした。
 その時、異変に気づいた警備兵が駆けつけようとしていた。兵士が駆けつけるのと入れ違うように、書状を嘴に咥えた一羽の大鴉が空に舞い上がり、町の方へ戻って行く。
 大鴉は追跡する兵たちを嘲笑うように、高い鐘楼の屋根に降り立ち、そこで半人半鳥の異形の姿となる。その姿に気付いた住民は騒然となった。恐怖と好奇心の狭間で遠巻きに見守る町の人達、手出しもできずただ見上げるだけの兵士たちを他所に、羽の生えた手で悠然と書状の封を破り、書状を読み始めた。
 書状にはサマカルドの報告が綴られている。その内容は、彼にとってはまさに笑いの止まらない内容だった。人の物とも鳥の物ともつかぬ不快な声で高笑いする。そして、下から見上げている人々に向かってしゃべり出した。
「おい、そこの兵隊!知ってるか?平和そうなあんたらが警備しているこの町に魔法使いが潜り込んでいるかも知れねぇんだぜ?さっきまでいた軍隊はその捜索隊だ!」
 甲高い分よく響く声で言う怪物。
「おまけにその魔法使いってのが、この間処刑されたはずのチビの魔法使いだ!あの処刑のときにはとっくに逃げていて捜索隊が駆け回っていたんだってよぉ!」
 話を聞いた観衆はざわつき出す。
「魔法使いの手先の怪物の言うことだ、惑わされるな!」
 兵士たちが民衆に呼びかけた。その言葉に怪物が反応した。
「俺が魔法使いの手先だって?ついこの間まであんたらの仲間だったんだぜ?魔法使いの呪いでこのザマだがなぁ。あんたらと一緒に魔法使いをいたぶってたら怒りを買っちまったんだ。あんたらも気をつけるこったなぁ」
 高いところから甲高い声で撒き散らされる言葉はざわめく民衆にもよく届く。
「この逃げ回ってるガキの魔法使いを捕まえてどうするんだ?またそこらへんのガキを連れて来て処刑するのか?やめとけ、また俺みたいな化け物が増えるぜ?」
 このロズ・フォートから離れた町にも、処刑のニュース、そしてその処刑を巡るさまざまな噂は届いていた。それだけにこの化け物に好き勝手なことを喋らせておく訳にも行かない。しかし、いかにせん手が届く場所にはいないので手出しもできない。
 兵士たちにできることと言えば、あの怪物の言葉の届く場所から民衆を追い払うことくらいだった。
 しかし、そんなことは何の解決にもならない。相手は翼を持っているのだ。怪物は鳥の姿になり、兵士や民衆の頭上をひとっ飛びで越えて、背後の店舗の屋根に降り立つ。
「怪物の言葉なんて信じられないって?それなら軍隊のお偉い様の書いた密書ならどうだ?今し方そこでくたばった兵士が大臣に届けようとしていたサマカルド少将殿の密書だ。俺はその密書に書いてある事しか言ってねぇぜ?」
 そう言いながら、民衆の輪に密書を投げ付けた。民衆は一度逃げた後、恐る恐るその密書に手を伸ばそうとする。
「触れるな!触れれば国家の機密を盗み見ようとする反逆者になるぞ!」
 すごい剣幕で兵士がやって来て密書を掠め取るように拾い上げた。そして、隊長が密書を開き、中身を確認した。
「馬鹿馬鹿しい。益体もない落書きだ、こんな物」
 そういう隊長だが、表情は複雑だ。
「そう思うんならそこに放り投げるこった。別に見られても構いやしないだろ?」
「徒に混乱を招くような代物を民衆の目に触れさせる訳にはいかん」
 頭上の怪物に言い返す隊長。
「益体もない落書きなんだろ?何の影響があるってんだ。嘘っぱちだと判っているなら、周りの連中に読み上げて聞かせてやったって問題ないんじゃないのか?」
 その言葉に隊長は奥歯をかみしめ、書状を手に無言で去って行った。
「見たか、今の態度!書いてあることが嘘っぱちなら丸めて投げ捨てりゃいいだろう?少将の署名入りだからな、読み上げることも捨てることもできない、正真正銘の機密文書よ。はっきり書いてあったぜ、現在捜索中の魔法使いが予定通り処刑されると聞いて事実を確かめにロズ・フォートの処刑場に行ったとな!逃走中の魔法使いを捜している部隊がこの辺りをうろついてるって事は、この辺りに魔法使いが隠れてるって事だ。……知らなかったってツラだな。なにやってたんだい、兵隊さんよぉ」
 小馬鹿にした口調でとんでもないこと次々と暴露して行く怪物に、兵士は叫ぶ。
「貴様、魔法使いに呪いをかけられたと言っていたが、それならなぜ魔法使いに敵対する我々の妨害をしようとする!?貴様は単なる魔法使いの使い魔だ!」
 その言葉に、怪物も逆上したように喚きだした。
「俺はあんたらにも裏切られてるんだよ!魔法使いの敵なら誰にだって尻尾振ってついて行けって?冗談じゃねえぞ!処刑の話は知ってるだろう?あの時の処刑人が俺だよ!魔法使いとして指名手配され、魔法使いにはそれに付け込まれて呪いをかけられ、もう誰がどう見ても魔法使いの手先さ。素直にホイホイと軍や大臣の言いなりになって働いた結果がこれよ。魔法使いは気に入らねぇよ。絶対に見つけだしてぶち殺す。そして心臓を抉り出して食ってやる。だがな、軍の手助けなんて冗談じゃねぇ。魔法使い共の次はてめぇらだ!……兵隊のお陰で平和に暮らせるとか考えてる愚民共、せいぜいその兵隊に魔法使いの濡れ衣を着せられて焼き殺されねぇようにおとなしくしてるこったな!」
 言いたいことを言うと怪物は鴉の姿になり、翼を広げて飛び去って行った。
 あのような怪物の言うことなど信じるなと民衆に呼びかける兵士たち。だが、怪物の言葉は兵士たちの心にも影を落としていた。
 そして、兵士たちには警備隊長の手にした密書の内容が怪物の言ったとおりであることも伝えられた。住人たちに気付かれないように魔法使いへの警戒を強めるようにとの指示が出る。
 国からは何も伝えられぬまま、密書を盗み見てようやく事態を知るこの有様に、皆腑に落ちぬものを感じていた。

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