マジカル冒険譚・マジカルアイル

14.呪い

 クレイとエリアはフェネロアプキという町に着いた。海岸沿いに走る街道もここにはなく、田舎道が町の主要な道路として縦断しているような平野の小さな町だ。
 地図で場所を確認すると、山脈からいくらも離れていないことが分かった。
 振り返っても山脈の高い峰は見当たらないというのに。
 しかし、それは山脈から続く小高い丘の陰に隠れているからだと気付く。丘はまだ大きく見える。やはり、いくらも進んでいないのだ。
 この町は訪う旅人も稀な静かな町。近隣の農村で取れた農産物を大きな町に運ぶことを生業とする人々が多く、町にいる人の多くは休暇を楽しむ人か、働きに行っている者の帰りを待つ家族だ。
 あらゆる物資は他所の町で揃えられ、仕事の馬車に積んで町に運ばれる。そのため、町には大きな店は無く、傍目には活気のない寂れた町に見えるのだ。凶悪で狡猾な盗賊も、この町にはやってこない。
 そのお陰で、この町は警備の兵士さえ緩みきっていた。クレイとエリアを見つけた巡回の警備兵は、見慣れない子供二人に、どこから来たのかなと笑顔で話しかけてきた。
 不審なほど怯えるエリアを庇うように不自然なほど緊張しながら、ゴルから来たんだと適当な事を言うクレイの話を、特に不審がることも無く聞く。
 クレイは思い切ってトラベラーズギルドの場所を聞いてみた。兵士は笑いながら言う。
「この町は馬車も来ないし小さな町だから、トラベラーズギルドは無いんだよ。宿屋も無いしね。泊まるところが無いなら、兵舎に泊めてあげようか」
「いやいや、いいですっ」
 慌てて断るクレイ。町で宿屋が無いのは珍しいが、野宿なら慣れている。兵士のそばでなんか眠れない。
 二人はいそいそとその場を離れた。
「そんなに嫌わなくてもいいのに。ゴルの方じゃ、兵士はそんなに信用無いのかなあ。都会じゃしょうがないか」
 そんな二人の様子を見て、兵士は呟いた。
 はるか遠方の地で子供二人組の魔法使いが現れて騒ぎになったことも、その二人が捕らえられ処刑されたことも、まして実はその二人が逃げ出してここにいることも知ってはいるが、まさかこんな辺鄙な町に関係ある話だとは思っていないのだ。
 一方、クレイとエリアは町で店を探していた。
 外食屋など無い。食べ物は全て食材のまま食料品店に売られていた。パンさえ無く、小麦粉が売られているだけだ。
 干物を買い足し、そのまま食べられる果物と燻製肉を買った。
 それを食べながら、地図を見る。隣の町はとても遠い。まだ日は高いが、今日はもうこの町でゆっくりすることにした。

 処刑人は処刑観覧帰りの民衆に紛れて馬車に乗り込み、ロズ・フォートからアルバサズにやってきた。遅くとも明日には、彼を指名手配する布令と、彼の話を信じるなという勧告が発せられるだろう。そうなる前にやるだけやってとっととこの国とおさらばしよう。
 そんなことを考えながら馬車駅のある広場から通りに入ると、大通りに面した新聞社の前で慌ただしく人が走り回っているのを見つけた。こんな時間にこんな慌ただしく新聞屋が動くのは号外でも出るのだろうか。
 覗き込むと、案の定刷り上がりたての号外が包み紙に包まれて机の上に置かれていた。
 人目が無いことをいいことに包みを破り中を見る。
 やはり話は処刑のことで、処刑人は魔法使いが化けていたなどと書かれている。一番目につくのは、自分の似顔絵だ。城の兵士だった彼の似顔絵は軍がしっかりと管理している。それに、処刑人本人であることが確認できるようにロズ・フォートにも持ち込まれていた。まるで鏡でも見ているかのような、見紛いようのないほどの似顔絵がすぐさま用意できたのだ。
 この号外が出回る前に話を広めておいた方がいい。自分が言い触らしたことが後から号外となって伝わればこの号外の話を信用すべきかどうか迷う人も多いだろう。だが号外が出てしまえば、号外を見てそこから話を適当に広げただけにしか見えない。まして、似顔絵の顔を見れば、魔法使いとして指名手配された人物だと一目で分かる。
 処刑人は号外の束を運び出し、近くの池に放り込んだ。今も続々と号外が刷り上がっていることを考えると、ちょっとした時間稼ぎにしかならないだろうが、上等だ。後ろの方で号外が盗まれたことに気付いた新聞屋が騒ぎ始めたが、誰が犯人かは分からなかったようだ。
 広場では主婦たちが所々で輪を作り、立ち話をしている。そんな中から、魔法使いの処刑について話し合っている一団を見つけ、話の輪に加わった。
 最初は突然話しかけてきた得体の知れぬ男に怪訝な顔をしていた主婦達だが、処刑を見てきたところだと言うと、不信感をかなぐり捨てて食いついてきた。
 早速、処刑は泣き叫ぶ子供をじっくりと時間を掛けて苦しめぬいて殺す悲惨な内容で、揚げ句その悲惨な処刑を仕組んだ大臣が処刑人に全ての罪を被せて魔法使いとして指名手配するつもりだと言う話、そしてその処刑された子供は魔法使いでもなんでもない、ただの子供らしいという話をした。周りの人にも聞こえるような大声で話したため、周囲にいたほかの人達もすぐさまその話で持ち切りとなった。
 そうこうしているうちに号外売りがやってきた。もう十分だろう。処刑人は乗り合い馬車に乗り込み、町外れのトラベラーズギルドと行き先を告げた。
 広場で号外売りが号外を配り出すと、書かれている内容と添えられた似顔絵で先程話していた男のことだと皆気づいた。
 そんな民衆をよそに処刑人を乗せた馬車は悠然とその場を離れる。……はずだった。
 馬車は広場の中心で停まり、その場で突然鐘を鳴らし始める。非常事態を知らせる鐘だった。
 それを聞き付け、巡回や立ち番の兵士が駆けつけて来る。
 号外で顔が知れ渡る前に逃げてしまおうとしていた処刑人だが、考えが甘かった。新聞の号外が刷り上がるずっと前に馬車の御者たちには手配書が回っていたのだ。
「魔法使いだあ!処刑人の魔法使いが出たぞぉ!」
 御者は駆けつけた兵士に向かって言った。
「生け捕りだ!足を狙え!」
 兵士は槍を構え向かって来る。
 処刑人は御者を蹴落として馬車を奪い、馬の尻に鞭を叩き込み馬車を全速力で走らせ始めた。
 だが、広場から出るためのゲートは既に全て閉じられており、もはやこの広場の中を逃げ回ることしかできなかった。
 観念した処刑人は民衆の集まる広場の真ん中に戻る。民衆は逃げ惑いつつも事の成り行きは見届けようと遠巻きに輪を作った。
「聞けぇ!俺は大臣の言うとおりに処刑を行ない、その大臣に魔法使いとして処刑されようとしている処刑人だ!俺がその紙に書かれているような魔法使いなら、こんな無様に取り囲まれて捕らえられるはずが無いだろう!?お前らもせいぜい気を付けることだ、俺やあのチビどもの様に身に覚えの無い罪で処刑されたくなければな!」
 処刑人は馬車の上に立ち、号外売りを指差しながら民衆に向けて言った。その間にも兵士が馬車を取り囲み、処刑人は引きずり降ろされ、取り押さえられた。
「これから俺を火あぶりにして、その肉のの焦げる匂いを酒の友にして王様や貴族様は宴会を開くんだろう?魔法使いよりもたちの悪い連中だぜ!」
 処刑人はなおも言う。王への侮辱に兵たちは容赦なく殴る蹴るの制裁を加えた。その時だった。号外売りを指差していた処刑人の手が、何の前触れも無く火に包まれたのは。
「うああ、ああああああああ!」
 魔法を使ったのか!?やおら騒然となる兵士たちをよそに、処刑人は喚き立て、暴れだす。
 事態が飲み込めぬが、とにかく火を消さなければ。兵士たちは水を汲み、処刑人に掛けた。だが、まるでその水が油だったかのように炎は大きく燃え上がる。水を掛ければ掛けるほどに炎は大きくなる。炎は処刑人の体を包み込み、火柱となり空をも焦がした。
 辺りは混乱に包まれた。もはや水を掛けることもやめた兵士たちは、ただ炎を呆然と見つめることしかできない。
 炎を纏いながら、処刑人は助けを求めるように兵士たちににじり寄ってきた。兵士たちは距離を取ろうと後ずさりをする。
 すると、炎に包まれた処刑人は民衆の輪目がけて走り始めた。民衆は逃げ惑い、蜘蛛の子のように散っていく。処刑人はそのまま閉じられたゲートに向かって疾走した。
 ゲートを封鎖していた兵士は火柱に容赦なく槍を突き立てた。
 処刑人は倒れ込み、やがて炎は唐突に消えた。そこに処刑人の姿は無かった。炎と共に消え去ったのだ。
 呆然とする追っ手の兵士たち。
 封鎖されたゲートの内側には処刑人の姿は無かった。
 ゲートは開かれ、厳重な警戒の中、人々はいそいそと広場から去って行く。
 その中にいた、誰も気に止めることも無い商人風の初老の男。それは商人に化けたグレックだった。
 グレックは人気の無い路地に入り込み、呪文を唱える。地面に光とも闇とも言えぬ輪が現れた。グレックはその輪の中心に立つと、輪と共に消え去った。
 程なく、先程まで人々でにぎわっていた広場は不気味なくらい閑散とし、静まり返った。

 そこは墓地だった。広場からは遠く離れた、町外れの寂しい場所。そこにグレックは現れた。
 グレックは小脇に抱えた革袋を逆さにして振った。中から一匹のヒキガエルが出てきた。腹に小さな穴が開きそこから血が流れ出ている。ヒキガエルは死にかけていた。
 呪文を唱えるとそのヒキガエルは人の姿になった。いや、ヒキガエルの姿にされた人間が元の姿に戻ったのだ。
 それは処刑人だった。槍で突かれた腹の傷は深く、血がとめどなく流れ出ている。
 あれほど炎に包まれていたのに、火傷は最初に燃え上がった手だけだ。それもそのはず、本物の炎はあの炎だけ、全身を包んだ炎はただの幻だった。身を隠すために纏う隠身の幻影と同じで、中からは何も見えない。処刑人は自分が炎に包まれているように見えていたことさえ知らなかった。
 水をかけられ、炎は消えた。だが、兵士達は飛びかかってくるでもなく、遠巻きに見つめるばかり。今のうちに逃げ出し人混みに紛れれば、行方をくらませられるという思いつきも、目立つ炎の柱を身に纏っていては虚しい。生け捕りが条件なら兵士も多少攻めあぐねるだろうという期待も、ただの炎の怪物と化していては何の意味もなかった。巨大な火柱を人々は避け、兵士は果敢に迎え撃ち、躊躇なく槍を突き立てたのだ。
「仲間であるはずの兵隊に殺されかけ、忌み嫌う魔法使いに助けられる気分はどうだ」
 グレックは足元に転がる処刑人を見下ろしながら言う。
「助けただと……何のつもりだ……」
 血を吐きながら処刑人は呻く。
「国は罪無き幼子に罪を着せ、処刑を命じた。許し難いことだ。救ってやりたかったが、結界があっては手出しはできぬ。せめて、あの子供たちが苦痛の少ない死を与えられることを願っていた。だが、貴様は徒にあの幼子らに苦痛を与えた。貴様は王や大臣のように卑劣で、王や大臣より下卑た男だ。たとえ貴様があの王や大臣に刃向かうことになろうと、貴様を助ける気にはならん。しかし、かといって貴様如きにこの手を汚すのも癪なのでな。兵隊たちに手伝ってもらったまでよ」
 兵隊を操ったというわけではない。うまく誘導して思い通りに、いや、思ったよりもうまいように動いてもらった。それだけだ。
「私が欲しいのは貴様の骸よ。知っているか?死は終わりではないのだ。……生憎、死者を蘇らせる魔法は存在しない。だが、死後の魂と語らうことは出来る。絶望の中息絶え、死してなお彷徨える死者の魂に語りかけて安らぎをもたらすことも出来る。そして、苦痛と屈辱を与えることもな。貴様におぞましい呪法を見せてやろう。貴様は己の骸を喰らいに来た獣と融合し、その獣として生きるのだ。半ば貴様の姿を残し、半ばその獣と成り果てた、おぞましい姿でな」
 生前はラフェオックだった男も、決して生き返ったというわけではない。この、死者を冒涜し屈辱を与えるための忌まわしき呪法を応用したに過ぎないのだ。半ば獣と化し、人の姿を失う。融合した獣の命に寄生しながら生き長らえる存在。
 死者の骸が損傷していれば、そこは人にはならない。ラフェオックも今際の際に左目の上に投石の直撃を受け、大きく損傷した。そこだけはどうしても狼の顔のまま、戻ることが出来ない。だから眼帯で顔を隠している。
 そして、スカイウォーカーと呼ばれる怪鳥も、元は人だった。やはり魔法使いとして処刑された男。彼は火あぶりで全身を焼かれた。そのため、人としての姿をほとんど失ったのだ。そのため、今でも彼は兵士のことを憎んでおり、元兵士のラフェオックとも今ひとつ反りが合わない。
 彼らは自らの意志で、人の姿を失い怪物と成り果ててでも蘇ることを望んだ。本来ならば骸を弄び、魂を辱める穢れた呪いだが、別な形で活用したと言うことになる。
 だが、この男は恐らくそのようなことは断じて望まないだろう。まして、忌み嫌う魔法使いによってそれが為されるというのはまさに屈辱以外の何物でもあるまい。だからこそ、グレックはその呪いをかけるのだ。逃れられぬ死を前にし、その後のさらに逃れられぬ屈辱を予告され、恐怖と絶望を味わわせるために、このようにその運命を告げたのだ。
 処刑人の顔が恐怖と絶望に歪むのを確認すると、グレックはどこかへ消え去った。
 あとは、この男がこのまま野垂れ死に、屍肉を獣が漁るのを待つばかりだった。

 サマカルドはアルバサズを発ち、港から高速船でルホのさらに先を目指すことにした。魔法使いたちが国境に向かっているなら、国境付近から道を逆に辿れば正面から遭遇できるかも知れない。
 彼らを見つけ、王国に突き出してやろうという気はすでにない。だが、話をしてみたかった。
 聞きたいことはたくさんある。本当に魔法使いなのかどうか、噂の悪事は本当なのか。他にも、いろいろ。
 港町に着いた頃には日も傾き、高速船は明日を待たねばならなかった。
 その時、騒がしいラッパの音が鳴り響いた。
「速報ー!ロズ・フォートに魔法使いが現れたー!」
 新聞の号外売りだ。内容が内容だけに、近くにいた人達が一斉に群がった。サマカルドも近寄り、一部もらう。
 目を通してみると、聞いたような話が並んでいた。
 処刑場に処刑人に化けた魔法使いが現れ、苦しみながら時間をかけて殺される悲惨な処刑の幻を見せた。魔法使いは本当は処刑される二人を取り返したかったようだが、巧妙に隠された死刑囚を見つけだすことはできず、その腹いせと捜し出すための更なる時間稼ぎのためにそのような幻を民衆に見せた。そして、結局死刑囚を救い出すことはできず逃亡、処刑場の裏手からは本物の執行人の死体が見つかった。国民の感情を鑑みて処刑は内々で改めて行ない、今後も当分公開処刑は行なわない方針だと伝えている。
 さらに、このような事態を起こした魔法使いを王国は断固として許さず、国内全土に指名手配するとし、似顔絵が添えられていた。先程見た男の顔だった。
 何から何まで、得体の知れぬ男が話したということそのままだった。あの話を聞いた人達にこの一報が伝われば、その多くがあの男の言った通りだと思うだろう。すると、その男が言ったという処刑された子供は魔法使いでもなんでもない、無関係のただの子供という話も真実味を帯びて来る。
 あの話が噂としてでも人々の間に広がることになれば、王国の信頼はさらに揺らぎかねない。
 これからのことを思うと頭が痛かった。

 自分が聞いたままの話が王国から発表され、しかも指名手配された魔法使いの顔が、その話をした男そのものだったのだから、これはどういうことだと問い詰めたくなるのは道理だ。だが、先刻サマカルドに食って掛かってきた民衆も、武装した兵隊相手にあれこれ言うだけの度胸は無かった。
 しかし、何も行動を起こさない訳ではない。何も問いつめられるのは兵士ばかりではない。民衆が向かったのは号外を出した新聞社だ。
 いかにもうるさそうな人達が何か言いたげな様子で押し寄せてきては新聞社側も些か萎縮するしか無い。さらに彼らの持ってきた話が耳を疑うようなとんでもない話だ。どういうことなのか調べて記事にしてほしいと言われ、ひとまず黙って話を聞き、慌ててまだロズ・フォートにいる大臣のところに駆けて行った。
 処刑が終わった直後にその話で号外を出せるような新聞社だ。当然のように政府とは相当太い繋がりがある。新聞社の男は大臣に先程聞いた話を伝えた。
 大臣は特に慌てもせずに言う。
「手配されたと言う男の似顔絵とそっくりの男がそのようなことを言ったのであろう。ならば単純なことだ。手配された魔法使いが混乱させようとしてそのようなことを言っておるのだ」
「処刑された子供が魔法使いでもなんでもない子供だというのは……」
「処刑は知ってのとおり全て幻だった。そもそも処刑された子供などいなかったのだ。魔法使いは要塞の地下牢に幽閉されておる」
 あの男の口からこのような話が出るのも予想通りだ。大臣は涼しい顔で答えた。
「処刑を妨害した魔法使いが、自分への指名手配令を利用して処刑についてのデマを流している。そのデマを真に受け、さらに流布する者は魔法使いの手先となったに等しいとでも布令を出しておこう」
 新聞社の男はその発言を書き留めた。
「発表の直前に、半分ほどは事実を述べていたその話の内容を、軍が出所の分からない益体もない話だと一蹴したそうですが、それについては……。処刑を担当した軍が否定した話を、正式発表として出したために国民は疑念を抱いております」
「なんだと?おかしな話だな。処刑に関わった兵は皆ロズ・フォートから離れておらん。軍人を装った狂言者なのではないか?」
「市民によると、その話をしたのはサマカルド少将だとのことですが」
 サマカルド。今、逃亡している魔法使いを追跡しているはずの人物だ。それがなぜこのような所にいるのか。
 そう言えば、何日か前に魔法使いの処刑について使者を寄越してきた。自分が追っているはずの魔法使いが予定通りに処刑されると聞きつけ、慌てて引き返しでもしたのだろうか。だが、使者には事情を伝えた。事情が伝わっていたのなら、疾うに任務に戻っているはず。このような所でぐずぐずしていたとなれば、事情は聞かなくてはならないだろう。
「サマカルド少将は今回の処刑には関与してはおらん。事情を知らないのは道理だ。近くにいれば皆事情知っているという訳ではない。事情を知らぬものの発言に左右されるなと書き添えておけ」
 新聞社の男は去って行った。これであの男が何を言おうが魔法使いの奸智に満ちた戯れ言ということになるだろう。後は魔法使いを追跡しているサマカルドが魔法使いを捕らえれば問題は無いのだ。
 大臣は落ち着き払っていた。
 そこに伝令の兵士が駆けつけてきた。
「アルバサズに指名手配の魔法使いが現れました!民衆の前で妄言を吐き散らした後、忽然と消え去りました!」
「消え去っただと?むざむざと逃がしたということか」
「申し訳ありません!ですが、一体何が起こったのか……」
 あの男が魔法使いなどでは無いことは大臣が一番よく知っている。自分たちの失態を魔法のせいにしようというのか。それとも、あの男が思ったよりも狡猾で、魔法のように巧いこと雲隠れしてみせたのか。いずれにせよ、情けないことだ。
 どっちみち手は打ってある。あの男がどう足掻こうが、世間を惑わそうとする魔法使いの妄言など信じようとする者はいない。信じようとすれば魔法使いの手先として罰を受けることになるのだ。
 大臣は多くを伝えられていなかった。だからこそ、その場に居合わせた者が見た光景を知らなかったし、それを見た市民がどう思ったかも考えようが無かった。

 翌朝。サマカルドは高速船に乗るべく港に向かっていた。
 その道すがら、風に乗って噂話が聞こえてきた。中年女性が路地で話し込んでいる。
「それが魔法使いだって話なんだけど、どうだか」
「で、どうなったの」
「それがね。兵隊さんがみんなで取り囲んだらしいのよ。その後、その魔法使いがいきなり燃え出して」
「燃えたって、どうして」
「知らないわよ。そしたら兵隊さんがみんなして油をかけて一気に火だるまですって」
「まあ、何それ。ひどいことするわね」
「公開処刑を中止にするって発表したら、代わりに町中で焼き殺して見せようって事かしらね。どっちにせよ、見せしめよ」
「怖いわねぇ」
 サマカルドもその話は朝の新聞で読んで知っていた。記事ではその魔法使いは炎と共に消え去ったと伝えられている。だが、サマカルドとてそんな話は信じていない。とは言え、いくら尾鰭背鰭がつくのが噂の常とは言え、ここまで恣意的な噂がすんなりと受け入れられ、広まろうとしているのだ。
 サマカルドに付き従っているロゼフもスカダももはや、この聞き捨てならないタチの悪い噂に憤り、食ってかかることさえなかった。
 さらに噂話は続く。
「そもそも、処刑された魔法使いってグレックの一番の手先って言うけど、そもそもそのグレックってのがいるのかどうかも怪しいもんだわ」
 グレックはアテルシア軍に甚大な被害を与え、国内でもさまざまな工作を行なっている。だが、それは市民の目に届かない場所での出来事。国や軍がいくら声高にその恐ろしさを説こうと、国民には全く実感の沸かない話だったのだ。
 アテルシア王国が、魔法使いに仕立て上げられた犯罪者をグレックの手先としてその恐ろしさを喧伝するのは、国家が戦っている敵の存在、そしてその恐ろしさを国民に植え付ける目的もある。だが、ただでさえ信頼が薄れつつある国の言い分。民には見えぬ存在のグレックの名を掲げても、国民は王国の期待どおりの感情は抱いていなかった。揚げ句、グレックが架空の敵なのではとまで思われていた。そこまで国の信頼は揺らいでいたのだ。これはグレック、並びにセドキアの策略のなせる業でもあった。
 かつて強大な海軍をもつアテルシアに制海権を奪われていたセドキアだったが、どこからともなくやってきたグレックと結託することで、アテルシア海軍を打ち破り、海を取り戻した。大津波の魔法一つでアテルシア海軍は甚大な被害を受けた。陸の国境は同盟国のワムンセルフォム共和国しかなく、敵と言えば海を挟んだセドキアだったアテルシアは、海軍に軍事力の大半を海軍につぎ込んでいた。その海軍が壊滅的な被害を受けるというのは軍事力のほとんどを失ったと言うことに等しかった。
 セドキアも、その隙にアテルシアを攻めることもできただろう。だが、セドキアはそうしなかった。アテルシアに上陸し、侵略する意味がなかったためだ。セドキアは侵略者ではない。侵略行為は徒に民を苦しめ、憎悪をかき立てるだけだ。セドキアはそれを望んではいなかった。
 アテルシアはセドキアのそう言った態度を逆手にとり、事実上の敗戦を国民に隠し続けた。軍の再建のためあらゆる方法で資金を調達し始める。罪人を魔法使いとして処刑し、それを見世物にして観覧料を取り出したもその頃だ。
 この頃はまだ、グレックもアテルシアの民の前に現れ、魔法の力を見せつけていた。それでも、極力民に危害を加えることは避けていた。彼らにとって、敵とはアテルシアの軍であり、国家であったが、国民ではなかったからだ。その頃のグレック、そしてセドキアの目的はアテルシアの混乱と、戦争資金調達の妨害。力を蓄えれば、アテルシアはまたセドキアに攻めてくるだろう。それを遅らせ、出来れば諦めさせることだった。
 やがてアテルシアは、魔法使いに罪を被せた国民からの略奪に手を染め始めた。軍の中で、軍資金の調達に貢献した者に褒賞を与えるようになったのが始まりだった。褒賞目当てで些細な罪で民を捕らえる者が現れ、そのような些細な罪で突き出されたくなければ金で話をつけようと持ちかける強請り紛いの事を始める者が現れ、中には兵士という身分を隠し略奪を行なう者まで出始めた。
 グレックがもたらした混乱と、正体を隠した軍の悪行で治安は乱れ、盗賊の類いも跋扈し始めた。
 それは却って軍にとって好都合だった。賊を討伐することで軍の威厳と信頼は回復する。それに、討伐した賊の財産を没収することで軍資金も手に入る。国の混乱と共に軍は力を取り戻し始めた。
 アテルシアに潜入していたグレックはその動きを察知していた。もはや自らが手を下すまでもなくアテルシアは混乱していく。
 魔法使いに全てを被せてやりたい放題を続けるアテルシアの様子を見て、グレックは一計を案じた。
 グレックは表立って民の前に姿を現すことをやめた。軍の妨害をするにしても、民の目の届く場所で行なう必要はない。グレックの思惑どおり、民にとってグレックの存在は王国や軍の発表の中だけに登場する者となった。
 軍は相変わらずグレックの脅威に晒され続け、そのことに気付けなかった。国民には、軍がグレックと言う姿の見えない敵を相手に独り相撲をとっているように見えている。
 グレックによる妨害工作の対策で軍は多大な出費を強いられ、軍資金は思う様に集まらない。延々と軍による横暴が続いた。
 だが、不満を言おうとする国民はいなかった。軍に表立って不満を言えば魔法使い扱いされかねないからだ。
 圧政。姿勢の不満は半ばねじ伏せられ、国には届かない。民も、大人しくしていれば不自由はなかったが、ぶつけようのない不満だけは確実に胸の内で膨らみ続けていた。
 民意はすでに国にはなかった。軍にいるとそのような実態は見えない。
 サマカルドも全てを知ったわけではない。だが、国民は国と軍を信頼して従っているという訳ではないことがあの噂話から察せられる。国家の言うことを信用していないが従っているというのは、いわば屈服。国民から見れば圧政以外の何物でもないだろう。
 処刑の後、サマカルドに食ってかかってきた市民は、サマカルドが私服だったと言うこともあったのだろうが、それでも軍人相手に直訴するというのは半ば死をも覚悟の行動だっただろう。国民の憤りはそれほどだったのだ。
 この国に今後も従うべきかどうか、心の揺らいでいるサマカルドにとっては、その事実を知ったことはさらなる追い打ちとなった。

 町外れの廃屋に寝袋を置いて夜を過ごしたクレイとエリアは、しばらくぶりの屋根のある朝に、いつもよりゆっくりと目を覚ました。
 町は相変わらず静まり返っている。二人がもう少し早い時間に目を覚ましていたなら、仕事場となる町に向かって次々と出発する馬車を見ることができただろう。
 夕食をとれる店は無かった。当然、朝食をとれる店も無い。町での朝食なのに、野宿の朝のように干物と果物だけの朝食。
 今日はいい天気だ。こんな青空の下、もう少しましな朝食ならどんなにおいしかっただろう。
 そんなことを思いながら干物をかじっていると、晴れ渡った青い空から何かが落ちてきた。いや、落ちてきたのではない。それは空を飛び、クレイ目がけて舞い降りてきたのだ。その何かは手紙だった。
 手紙は読んでくれと言わんばかりにクレイの鼻先に止まった。宙に浮いている。こんな空飛ぶ手紙も、島では当たり前のように飛び交っていた。もっとも、わざわざ手紙を飛ばすのは暇な物好きか魔力の弱い者。力があれば幻を送って声で語り合ったり、自ら瞬間移動で話をしに行ったりできる。
 クレイは手を伸ばし、手紙を受け取った。送り主はグレックだった。グレックほどの魔法使いがわざわざ空飛ぶ手紙などと言うものを送って来るのは、やはりそれだけ外の世界では魔法が使いにくいのだろうか。そんなことを思いながら手紙を開く。
 手紙には、今まで構ってやれなかったが、用事が一つ片付いたので少しは君たちのために時間を割いてやれると書かれていた。ただ、片付いた用事は一つ、忙しいことに大きな変わりは無く、常時見てやれる訳ではないそうだ。何かあったときはテラーファングが助けてくれるだろうと書かれている。
「テラーファングって誰だろう」
「そもそも、人の名前かどうか分からないわよ」
 二人の状況がよく分かり次第、アドバイスもできるだろうと書かれていた。そのときまでこの手紙は捨てずにとっておくようにと書かれていた。もっとも、捨てたりなくしたりしても、破いたり燃やしたりしなければすぐに手元に戻るだろう、とも書かれていた。どういう意味だろう。
 とにかく、朝食を終えた二人は出発することにした。
 また長い旅路が始まる。

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