
11.二人を追うもの達
「クレイ、大変っ!」
エリアはクッキーの缶を小脇に抱えて急いでクレイの元に駆け戻り、スカイウォーカーが見られていたことを伝えた。
「僕たちが一緒にいるところ、見られちゃったかな」
クレイは落ち着いている……のか、それでどうなるのか分かっていないのか。
「お店の人も、あたしのこと見てもなんとも言わなかったから、多分それは大丈夫。でも、魔法使いが近くにいると思われてると思う。早くここを離れた方がいいよ」
二人は急いでゴルの町から離れる事にした。
馬車は出ているが、まだ馬車を使うのは不安だ。歩いて町を離れ、人里を離れたら飛ぶことにした。ただ、捕まった時のように、とんでもない所に人が住んでいて見られるかもしれない。そう思うと、町を離れてもなかなか飛ぶ踏ん切りはつかなかった。
そこは見晴らしのいい場所だった。遠くに見える山脈、反対側に広がる海。街道は海沿いに走る。馬車の行き交う街道を避けようとするなら、山に向かうことになる。
しかし、ゴルの西は広大な麦畑、畑には時折人影もある。こんなところを飛んでいてはたちまち見つかってしまう。飛ばなくて正解だった。だが、ほっとしてばかりもいられない。地平線の向こうまで続いているような道をのんびり歩いてはきりが無い。
地平線の向こうにはまた地平線があった。その向こうにようやく小さな村を見つけた。地図にも載っていないような小さな漁村だった。
村にはトラベラーズギルドも無かったが、駅馬車の駅があった。馬車が来ればここで乗せてもらうことができる。二人は諦めて馬車を待つことにした。
厩舎番のおじさんは、二人を不思議そうに見た。しかし、町から田舎の曾祖母でも訪ねてきていた子供だろうと勝手に解釈したおじさんは、二人にそういう事情かと尋ねた。どぎまぎしながらおじさんに話を合わせると、おじさんはあっさりと納得してくれた。
二人はサザロクから田舎を訪ねてきた姉弟と言うことになった。同い年なのに、一目でおじさんに弟と断定されたクレイはちょっとしょげた。
とにかく、馬車はやってきた。馬車に乗り込み、サザロクを目指す。
サザロクにはあっと言う間に着いた。とても近いところにある町だったのだ。もう一つくらい向こうの町に行けたかもしれないが、サザロクに帰るということになっていたのでそこまでの料金しか払っていないし、馬車の中でも話しかけてきた見知らぬおばあさんにもサザロクに帰るということで話をしてしまったので、降りるしか無い。
駅馬車はトラベラーズギルドの前から出発し、トラベラーズギルドの前に停まる。だが、トラベラーズギルドが馬車を出している訳ではない。
この馬車は国営だ。その国営馬車の駅には多くの旅人が立ち寄る。だからそこにトラベラーズギルドができた。やがて、トラベラーズギルドが駅の待ち合い所に使われるようになり、駅とトラベラーズギルドが一緒に作られるようにまでなる。だが、やっぱり馬車は国営で、トラベラーズギルドは民営だ。
馬車が国営なら、逃走中のクレイとエリアを見逃すだろうか?
二人は兵に捕らえられ、軍艦で護送された。その間に多くの兵士が二人の顔を見ている。その二人が逃げ出した。それならば、似顔絵でも配って指名手配しそうなものだ。国営の馬車なら、真っ先にその似顔絵が出回ってもおかしくない。
なぜ、そうならなかったのか。
脱走したとき、二人は傷だらけだし、一文無しだ。そんな状態で馬車に乗れるはずが無いと思ったからだろうか?
実は、もっと深い事情があったのだ。
セレヌートにある軍の基地。そこでは逃走した魔法使いたちを巡り、密やかに、慌ただしい動きがあった。
魔法使いを護送していた馬車を襲った山賊は、山狩りにより発見された。山賊は魔法使いが逃げたということを誰にも言っていない。魔法使いが逃げたことを知っているのは軍だけだ。
軍としては、捕らえた魔法使いが逃げたということは軍の威信に関わるので隠しておきたい。市井にこのことが漏れていないのは幸いだった。
しかし、二人が逃げたままでは、いずれまた魔法を使うところを誰かが見て騒ぎになるだろう。
だが、軍はそのことには危機感を抱いてはいなかった。魔法使いに逃げられたということは知られていない。そこに魔法使いが現れたとしても、それは別の新しい魔法使いだと言い張るだけだ。国民は疑いもしないだろう。
しかし、やはり捕らえた魔法使いに逃げられたのはやっかいな問題だ。捨て置くことはできない。報告を受けた軍も速やかに行動を起こしていた。
軍はサマカルド少将に密命を与えた。その密命に従いサマカルド少将はセレヌートに小隊を率いて訪れた。
秘密裏に逃走した魔法使いを捜索し、捕らえること。それが密命だ。
そして、情報を待っていたサマカルド少将の元に、今朝のゴルでの騒ぎの知らせが届いた。
「やはり西に向かっているか。奴らの狙いは国外への脱出だろう。ならば我々も西に向かうまでだ」
サマカルド少将はそう言うと立ち上がった。そして、西に向けて出発した。
その頃、王城でも動きがあった。
魔法使いに逃げられたという知らせは、つい先刻王のもとにも届いた。準備が整っていた魔法封じの結界を施した牢は、捕らえるべき相手を失った。
「逃げた魔導師の事は国民には漏れてはおりませぬ。後は事を予定通りに執り行うだけ。何の問題も無いでしょう」
大臣の言葉に王は頷いた。
「方針は変えなければならないが、大きな問題にはなるまい。逃げた魔導師がまた騒動を起こしてくれればなおさらよい」
「それから。例の兵士ですが」
大臣は少し声を落として言う。
「ふむ、例の。何と言ったかな」
「さあ。尤も、名を憶えた所で今後呼ぶことは二度とありますまい」
「つまり、そちらも思惑どおりと」
「左様で。まあ、些かやり過ぎてくれたようですが。魔導師どもに大変な手傷を与え、早急な治療が必要との判断がされました」
「それなのに逃げ出した、と。野垂れ死にされては困るな」
「その心配は無いでしょう。野垂れ死ぬのであれば、身動きもとれずに山中で見つかっておるはずです。彼奴等も魔導師と言うことです。魔術で傷を癒したのでしょう」
「ふむ。とにかく、あの魔導師は何としても捕らえよ。奴との取引材料にするためにも、手に入れねばならない」
「存分に心得ております。既に追っ手は差し向けてあります。空を高く飛ぶこともできない魔導師では国境は越えられますまい」
「うむ。では、よい知らせを期待しておるぞ」
「御意に」
大臣は一礼し去って行った。
王や大臣にどのような策や目論見があるか。それはゆくゆく明らかになる。
サザロクはゴルよりは大きな町だった。
トラベラーズギルドで町の地図を確認する。念のため、エリア一人でだ。
手配の似顔絵などは見当たらなかったが、代わりに気になる張り紙を見つけた。
“魔法使いの公開処刑。ベルネサを皮切りにベデルザークなど幾多の町々で悪の限りを尽くした魔法使い。我らが王国騎士団の働きにより捕らえられた、その狡猾で邪悪な者の無様な最期を見届けよ!”
おぞましい顔の魔法使いが火あぶりにされている絵が添えられたポスターだ。
ポスターの一番下には処刑の場所と観覧料の案内が書かれている。場所はロズ・フォートの処刑場、入場料は席によって変わり、一番高い席だとグレックにもらったお小遣いを全て使っても半分も払えないほどの金額だ。一番安い席でも、一日馬車に乗ってそこそこの宿に泊まった分くらいの額になっている。
島には処刑という言葉は無い。そんなに悪いことをする人は滅多にいないし、いても島を追放されるだけだ。
しかし、言葉の意味はなんとなく分かった。最期という言葉、そして火あぶりのイラストで。
ベルネサ、ベデルザーク……。これはエリアたちが──ほとんどタバロックのせいだが──騒ぎを起こした町。間違いなく、処刑されるのはクレイとエリアだ。火あぶりになり、殺されようとしていたのだ。そして、大金を払ってそれを見に来る人がいる。
エリアは恐怖を感じ、気分が悪くなった。
エリアは宿を探すのもそこそこにトラベラーズギルドを後にした。
戻って来たエリアが青い顔をしていたことに、さすがのクレイも何かがあったと察した。
どうしたの、と聞いてみたが、エリアはなんでもないと言って話そうとしなかった。クレイも話したくないなら無理に聞かなくてもいいやと思う。
エリアが見つけてきた宿は、安いだけが取り柄の酷い宿だった。それでも、降り出した小雨を避けるには十分だし、湿ったベッドも野宿や戦艦の冷たく硬い床の上よりは随分ましだ。
二人は早々に床に就き、久しぶりのそこそこの寝心地を味わった。
その頃、ゴルに騎兵数人の小隊が到着した。サマカルドたちの追跡部隊だ。
かなり難しい任務に思えた。ただでさえ相手は軍が手を焼いた魔法使い。そこに来て、逃亡したことが知れないようにしなければならないという条件付きだ。ということは、市井の協力は殆ど期待できない。
ただ、足掛かりはある。件の魔導師たちとともに目撃されていた怪鳥が、セレヌート近辺の山道で魔導師たちの馬車を襲った山賊たちに引き続き、ゴルでも目撃されている。
それは捕らえられる前の魔導師たちが向かっていた方角と同じ西への進路だ。魔導師たちは西の国境を目指している可能性が高い。
国境でも、魔導師対策を進めているらしい。だが、その対策が本当に効果的かどうかは保証できない。それに、処刑が伸びれば市民も不審がるだろう。急がなければならない。
この町では、ひとまず怪鳥についての情報を集めることにした。堂々と集められる、魔導師に繋がる数少ない情報だ。
日は落ちていたが、市民は兵たちに快く協力してくれた。
彼らが怪鳥が降り立つのを見たという海岸では、焚き火と捨てられた貝殻が見つかった。野営の跡か。
そこに、商店のロゴの入った紙袋があった。中は空だ。まだ真新しい。
早速その商店に向かい、話を聞いてみることにした。
「店ならもう閉めたよ……」
そう言いながら出て来た店主は、扉を叩いたのが兵隊だと知り戸惑った。
「私はサマカルド陸軍少将だ。今朝の怪物騒ぎについて調べている。今朝、変わった客は来なかったかね?」
「へえ。どこだったか、えらい遠い町へ帰る途中だって言う女の子が来ましたな」
「それはこの娘か?」
サマカルドは拷問官によるエリアの顔のスケッチを見せた。
「そうそう、この子です。……この子、どうかしたんですかい」
「……例の怪物に襲われた少女だ」
まさか、本当のことを言えるはずもない。サマカルドは適当な話をでっちあげた。
「だから早目に出発しろと言ったのに。……しかし、そんなことがあったなんて聞いてませんぞ。旅人とは言え、そんな誰かが食い殺されたなんて話があればもっと大きな騒ぎに……」
それはごもっともだが、サマカルドも殺されたとは一言も言っていない。雑貨屋のおやじの早合点だ。
「いやいや。襲われたと言っても命を奪われた訳ではない。荷物をひったくられただけだ。その……この店で買ったものを」
「ああ、あのクッキー」
クッキーなのか。サマカルドは魔法使いが買った代物があまりにも他愛もないものだったことに驚いた。まあ、いずれにせよ重要では無さそうだ。
「怪鳥も腹が減っていたのだろうな」
苦しいが、まあそういうことにしておけば問題はないだろう。
「どこで襲われたんです?乗っていた馬車が襲われたんですかい?」
馬車という言葉が出るということは、魔導師たちは馬車に乗ると言っていたのだろう。自分たちをただの人だと思わせるための嘘だろうが、こちらもそれに話を合わせないといけない。あの少女が怪しいと思われると、あの少女が逃げた魔法使いだと感づかれかねないからだ。
とにかく、馬車が襲われて被害がクッキーだけで済むはずがない。それに、馬車が襲われたということになると、大騒ぎになっていないとおかしい。
「馬車が駅で馬を替えている間、時間潰しに散歩をしていた際に襲われたそうだ。少女のほかにその怪鳥を見た者はいなかった」
店主はちょっと考え込む。
「駅って言うと、バヌドイの駅ですよねぇ。あんなにぎやかな所で誰も見てないとは……」
サマカルドは慌てた。バヌドイは東にある駅、セレヌートとの間の駅だ。そこは大都市セレヌートの衛星都市の一つで、それは賑やかな町。店主は魔導師にどこか遠くの町に帰ろうとしていると言われていたらしい。魔導師たちは西を目指している。だからここでも西に向かっていると言っていたのだろうと思い込んでいた。だが、バヌドイの名が出るということは東に向かっていると思われているということだ。目的地としてどこか東の方の町の名前を挙げたらしい。
嘘つきの話を信じている相手に合わせようと嘘をつくのは難しい。この店主から得られる情報は、魔法使いがついた嘘の話ばかりだ。怪鳥が現れたこの町に魔導師たちも現れた。それが確認できただけで収穫だ。これ以上この店主と話し込むと、もっとぼろが出そうなので、とっとと切り上げることにした。
朝が来た。昨晩早めに眠りについたため、クレイもエリアも早めに目が覚めた。
二人は朝一番の馬車に乗ることができた。と言うより、早く起きすぎて朝ご飯を食べられる店がどこもなく、馬車に乗るくらいしかすることがなかったのだ。朝食は、馬車を使うときの昼食がいつもそうであるようにどこかの駅で買えばいい。
馬車に他の客はいなかった。御者もこんなに早い時間の子供二人の客に不思議そうな目線を送ったが、特に何事もなく出発した。やはり、子供二人の魔法使いのことは伝わってきれいないのだろうか。
馬車は霧で煙る平原を軽快に走っていく。霧のために、行く手はよく見えない。そして、後ろもよく見えない。
クレイも、エリアも、そして御者も、馬車を遠巻きに追跡する影には気付かなかった。
一方、サマカルド率いる小隊も朝早くゴルを発っていた。魔法使いの二人が西に向かったという確証は得られなかったが、セレヌートからゴルと西に向かっている。また西に向かったはずだ。
一行は昼前にサザロクに到着した。
サザロクで話を聞いてみたが、怪物を見たという話も、魔法使いが出たという話もない。
以前金を目当てに魔法使いを追い回していたという盗賊が、魔法使いたちは馬車を使って移動していると話していたと聞いている。所持金はすべて没収したはずだが、雑貨屋で買い物をしていると言うことはどこかで金を手に入れているようだ。また馬車を使っているかもしれない。
念のため、馬車駅となっているトラベラーズギルドで話を聞いて見ると、朝早く馬車に乗った子供二人がいたことをよく覚えていた。朝早くに子供だけでトラベラーズギルドにやって来たので印象に残っていたのだ。
その二人を家出した名士の子供たちだということにしてさらに詳しい話を聞くことにした。
その馬車はロッペルハルにまで行く。朝一番に出発する馬車だけに、夕方まで乗れば遠くまで行けるのだ。駅馬車だけに、途中で停留する時間もある。そんなに急いで疾駆させる訳でもない。こちらがそこそこ急げば途中で十分追いつけるだろう。
一行は、自分たちの馬が疲れてしまわないペースで先を急いだ。
霧は昼には晴れ、雲の合間から見える太陽は徐々に傾いてゆく。それにつれて馬車はロッペルハルに近づいていた。そして、それを追うサマカルドも目の前にまで迫っていた。
遠くにロッペルハルの町並みが見える。そして、そこへ続く道の上に馬車の姿も見えた。
サマカルドたちの馬は速度を上げた。
その時、近くの茂みから何かが飛び出して来た。馬が驚いて足を止める。
道を塞ぐように一匹の狼が立ち塞がっていた。灰色の、人の胸くらいまではありそうな大きな狼だった。狼は唸り声を上げながら、じりじりと距離を詰めてくる。馬たちは恐がり、後退りを始めた。
狼がこちらに向かってくると、馬たちは勝手に向きを変えて走り始めた。乗り手達の言うことも聞かず、闇雲に走り、四散していく。
サマカルドがようやく馬を落ち着かせ、散り散りになった全員が戻って無事を確認したとき、馬車は既に町に到着し、狼の姿も忽然と消え去っていた。
仕方なく、ロッペルハルのトラベラーズギルドで話を聞くことにした。
御者は、始発から終点までずっと乗っていたこの二人のことをよく憶えていた。特にこれといった印象はなかったが、やはり早い時間からずっと馬車に乗っていたので気にはなっていたようだ。
二人は間違いなく、この終点までずっと馬車に乗っていたという。馬車を降りた後どこに行ったのかは分からないが、恐らくこの町にまだいるだろう。
サマカルドはこの町にある宿屋を手分けして調べるように命令を出した。そして、自分は数ヶ所あるトラベラーズギルドに対して、明日以降は子供だけで馬車に乗ろうとしたら止めるように、そして出来ればそのような者を見かけたなら知らせて欲しいと伝えて回った。
やはり魔法使いだとは言わずに、名士の子供だという触れ込みにした。見つけたらお礼くらいは貰えるかも知れないと言ってやると、ギルドの店主はかなり乗り気になった。名士の子供というのは嘘っぱちだが、実際魔法使いたちを捕らえるのに協力したとなれば、王国も多少の褒美は出すだろう。その名目をその名士からの礼と言うことにすればいい。
宿屋を調べていた部下が帰って来たが収穫はなかった。彼らは自分たちが焦り過ぎていることに気付いていない。彼らは馬を使って町中の宿屋を手分けして調べたが、その頃クレイとエリアは町の大通りをのんびりと歩き、町の反対側の宿を目指していたのだ。
この町はそこそこに大きな町。町の西と東に馬車駅とトラベラーズギルドがある。町の反対側の宿に泊まった方が明日の朝、出発するのに都合がいい。一駅分、馬車代が安くなるからだ。
日もとっぷりと暮れたころ、クレイとエリアは宿に着いた。
暗くなってからやって来た小さな旅人に宿屋の女将は驚いた様子を見せた。
女将が驚いたのはそれだけという訳ではなかった。
「兵隊さんが探してたの、あんたらかい?あんたらくらいの男の子と女の子が泊まってないかって聞きに来たよ」
宿帳に適当な名前を書いていたエリアの手が止まった。
「あの……やっぱり今日はいいです!」
エリアはそう言い、クレイの手を引っ張って宿屋を飛び出した。
「ど、どうしたのさエリア」
宿屋の外に引きずり出されたクレイはきょとんとした顔でエリアに聞いた。
「兵隊が私たちのこと探してるのよ。また捕まっちゃう」
「それはやだなぁ。どうしようか」
こんなときでもクレイの喋り方はのんびりとしている。でも、そのお陰でエリアも少し落ち着いてくる。
さっきの行動は、露骨に怪しかった。怪しんだあのおばさんが兵隊に告げ口するかもしれない。
「この町を出た方がいいのかな」
いずれにせよ、夜中に町中をうろついていては目立つ。ここは町のへり。少し歩けば辺鄙な町外れになる。逃げるには都合がいい。
だが、町から出ようにも警備兵や自警団の見張りや巡回が厳重で身動きがとれなかった。
実は、彼らは別にクレイやエリアを捜し回っている訳ではない。夕方にサマカルドたちを襲った大きな狼のことがあるので警戒を強めているのだ。
とは言え、こんな夜中に子供二人で出歩いているのを見られては怪しまれる。見つからないに越したことないのは変わりない。
おまけに、物陰に身を潜めているうちに雨が降って来た。二人はそのまま物陰で夜を明かすことにした。
翌朝。サマカルドたちは改めて宿屋への聞き込みを行なった。
昨日クレイとエリアが泊まろうとしていた宿屋の女将は再び現れた兵隊に、待ってましたと言わんばかりに昨夜のことを話した。
兵士はすぐにサマカルドを呼び、さらに詳しい話をさせた。女将は二人が泊まろうとし、兵士たちが探していると言った途端に逃げ出したことを話した。
「あの子たち、何者なんだい?」
「うむ。あの子たちは名士の子でな。家出しているのだ」
サマカルドたちは二人についてはこの路線で行くつもりだ。わざわざ兵隊が子供二人のために動いていることも、このくらいの理由があれば納得されるだろう。
「そうなのかい。やっぱり、軽はずみなこと言ってまずかったねぇ。やっぱり、悪い奴に付け狙われてるんだろう?あの子らが出て行った後、いかにも怪しい男があの子たちのことを聞きに来たし」
「なんだと。それはどんな男だ!?」
魔法使いのグレックかも知れない。サマカルドは息巻いた。
「若い男だったよ。眼帯みたいなもので顔が半分隠れて見えなかったね」
初老のグレックとは別人のようだ。誰なのかが気になる。さらに詳しく話を聞いてみた。
男は、兵士たちと同じように子供二人が泊まっているはずだと聞いてきた。
いや、兵士たちとは聞き方が違う。兵士たちはここに子供二人が泊まっていないか、と聞いている。その男はまるで二人がここにいることが分かっているような口振りだった。ここに子供が泊まっているだろう、と。
女将は泊まっていないと言った。それは本当のことだ。泊まらずに帰ってしまったのだから。すると男はこう言った。
「隠し立てすると為にならねぇぜ。ここに来たのは分かってるんだ。言わねぇってんなら、一つずつ部屋を調べてやろうか」
そんなことをされてはたまらないし、女将はその時恐ろしいものを見、逆らえなくなってしまった。
「あの男はそう言うとにやっと笑ったんだよ。その時、悪魔か獣みたいな恐ろしげな牙が見えたんだ!」
どうやら男は歯並びが悪いようだ。女将は怖くなり、そう言う子供たちなら確かに来たがすぐに帰ったと、本当のことを言った。男も嘘はついていないと思ったらしい。何事もなく男は去って行った。
「兵隊たちに話そうと思ったんだけど、あんたらがどこにいるのか分からないし、狼も出たって話だからねぇ。結局言いそびれちまって」
とにかく、分かったことは魔法使いと思しき二人が昨夜ここに来たということと、得体の知れぬ怪しい男がその二人を捜しているということだ。
夜、兵隊が探していると聞いた二人は宿を飛び出した。となると、夜のうちにこの町を抜け出してしまったかもしれない。町の東側から入り、西側の宿に泊まったということはやはり西に向けて出発する気だったに違いない。急ぎ出発すべく基地へと向かった。
基地には中年親父が待っていた。見覚えのある男だ。この男は確か……。
「あ、兵隊さん。あっしゃあトラベラーズギルド・ロッペルハル西支店の支店長です。昨日言われた、子供だけで馬車に乗ろうとした客がいたんで知らせに上がりました」
その話を聞き、サマカルドたちは急いで荷物をまとめ、トラベラーズギルドに向かった。
クレイとエリアは馬車に乗り町を出ようとした。兵隊が探しに来た後だ。すんなり馬車に乗れるかどうか不安だったが、乗れなかったら逃げればいい。物は試しだ。
馬車のチケットはすんなりと買えたが、御者が寝坊しているので、呼びに行く間ちょっと待ってくれと言われた。
トラベラーズギルドの店主もよく考えていた。二人を家出中の名士の子だと思い込んでいる店主は、ただここで待っていなさいと言うと誰かに知らせてると感づいてしまうと思ったのだ。幸い、他の客もいない。奥で休憩している御者にしばらくそこで待つように言い、二人に嘘をついて兵隊に知らせに行ったのだ。
クレイとエリアは疑う事なく広場の隅に停められた馬車で、御者が来るのをおとなしく待っていた。
そこに一人の男が馬車を覗き込んで来た。男は二人に向かってニヤリと笑って言った。
「よう。始めてお目にかかるな、魔法使いのお二人さん」
魔法使いと言われ、二人はどきっとした。男はいかにも企みがありそうな笑みを浮かべながら二人を見ている。
ぼさぼさの頭は清潔な感じはしないが、そこそこには整った顔をしている。何よりも目立つのは、左目を覆う眼帯だ。目だけではなく、顔の左半分を広く覆い隠している。そして、にやにやと笑みを浮かべるその口元には、人の歯とは思えない鋭く尖った牙が見えた。
「なんのことですか?」
エリアは白を切ろうとする。
「お前らが魔法使いだってのはとっくにバレてんだ。兵隊がお前らを探し回ってるのはもう知ってるだろ?処刑の日までにお前らをとっつかまえようと血眼だぜ?」
そう言うと、得体の知れないこの男は、またにやりと笑った。
エリアは、まだ処刑について知らないのできょとんとしているクレイを引っ張って、馬車を飛び降りて走り始めた。町の外へ。
まだ自警団などが見張っているが、朝になり、視界もよくなったので人数が減っている。それでも、町はずれに向かって走っていく子供二人は流石に目立つ。自警団は二人を見つけ、駆け寄ろうとした。『町の外は危ないよ、狼が出るからね』と言うために。
その時、町の中で叫び声があがった。
「狼だ!狼が出たぞー!」
そう言われては子供二人など構っている場合ではない。自警団はその声を聞きつけ、急ぎ町に駆け込んだ。
広場の真ん中に狼がいた。人々は遠巻きに狼の姿を見ている。
サマカルドたちは、その騒ぎのまっただ中に到着した。昨日自分たちの前に現れた狼が再び現れた。しかも町の中だ。
魔法使いが待たされているという馬車は、狼に驚いて逃げまどい、御者もいないまま町の外に向かって走り出していた。狼もそれを追うように走り出す。サマカルドたちも、狼を、そして馬車を追った。
馬車を引いた馬たちはあっさりと狼に追いつかれる。狼が馬車の前に回り込むと、馬車は止まる。
サマカルドたちもそれに追いつこうとしていた。狼はそれに気付いたように馬車を諦め、草原を突っ切って走り去っていく。
サマカルドたちは残された馬車の中を覗き込むが、そこには人の姿も何もなかった。
魔法使いたちはどこに消えたのか。町に戻り、狼が現れる前後の話を聞いてみたところ、自警団から町の外に走り去っていく子供二人がいたという話を聞くことが出来た。
ならば、目指すは西の町だ。サマカルドたちは西に向けて出発した。
エリアはクレイの手を引っ張ったまま、ロッペルハルの町を飛び出した。
後ろが騒がしくなった。二人は近くの民家の陰に隠れた。
馬車や馬に乗った兵隊が駆け抜けていくのが見えた。ちらりとだけその様子を見てすぐに身を隠した二人は、狼にまでは気付かなかった。
兵隊は馬車を引き連れて町に帰っていく。二人はほっとするが、これからのことの方が心配だ。
馬車には乗れそうもない。また山奥を飛んで行くしかないのだろうか。
だが、地図を開くと山脈はもういくらもなく、国境までは広い平野が広がっている。大きな町は多くはないが、小さな町がそこかしこにある。国土東部の田舎と違い、首都も近いこの辺りは人が多く、農村もまばらではなく平野を埋め尽くすように農地が広がっている。こんなところで空を飛んでは自分たちがここにいると知らせるようなものだ。
とにかく、人の多い街道から離れ山地を目指すことにした。
サマカルドの部隊は西の町ルホに到着した。
魔法使いは馬車では来ていないはずだ。あの後、いつもの時間より少し遅れて出発した馬車はまだ、この町よりずっと手前を走っている。魔法使いたちがサマカルドたちよりも速い移動手段を使っていなければ、サマカルドたちは魔法使いたちに先回りをしているはずだ。
念のため、町の各所で話を聞いてみたが、やはりそれらしい人物を見たという話はなかった。これから魔法使いはこの町に現れるだろうか。
サマカルドの期待を他所に、到着する馬車には怪しいところのない普通の客ばかりが乗っている。
最後の馬車がやってこようとしている。それに先駆け、ロッペルハルの次の駅を見張っていた兵士がやって来た。いい知らせはなかった。
やがて、日は傾き、最後の馬車がやって来た。そこにも魔法使いたちの姿はなかった。
念のため町の入り口に交替で夜通し見張りを立て、これで今日は切り上げることにしようと手筈を整えていたとき、夕暮れの町角で号外売りが声を張り上げていた。
「先日軍の活躍で捕らえられた魔法使いの公開処刑の期日が決定!尋問により得られた驚きの証言!詳しくは紙面で!」
サマカルドは号外売りに声をかけた。
「ちょっと見せてくれ」
「あ。兵隊さんで。どうぞどうぞ」
魔法使いを見事捕らえ、国民の平和な暮らしを守ってくれている兵隊相手に、号外一部の値段などと言うしみったれた額を取り立てようとする商売人はいない。まして、彼らにとっては飯の種でもある。もっとも、それだけにサマカルドたちもよもやその魔法使いを逃がしてしまい、探しているが見つけられずにいるなどと知られる訳にはいかないのだが。
紙面によると処刑は明々後日。急いで捕まえないと、連れ帰る日数だけで予定日を過ぎてしまいそうだ。
尋問によって明らかになった衝撃の事実とやらは、移送中の軍艦内で拷問官が聞き出した内容にいくらか脚色された内容だった。執行の日時だけでは記事がもたないだろうから、その穴埋めのようなものだろう。国としても、魔法使いを捕らえておきながらその後音沙汰なしでは国民が騒ぎだすので、持っている情報を小出しにしたと言ったところか。
とにかく、期限は突き付けられた。あらゆる手を打ってでも魔法使いたちを捜し出さねばならない。明日が勝負になりそうだ。
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