マジカル冒険譚・マジカルアイル

10.空からの救い

 翌朝、船は港に着いた。とは言え、船内深くの一室で時を過ごすクレイとエリアにはそんなことを知る由もない。それでもにわかに慌ただしくなった室外の様子に、二人ともそれを察した。
 扉が開き、多数の兵士が入り込んで来た。このまま連れ出されるのかと思ったが、二人を部屋から引っ張り出す代わりに室内に大きな箱のようなものが二つ運び込まれた。
 妙な文様が刻まれた黒い鉄板で覆われた、細長い箱。それはまるで棺であった。
 僕らはここで殺され、骸がこの箱に収められるころになるのではないか。クレイはそんな不安を感じずにはいられなかった。
 一方、エリアはその箱の姿に見覚えがあった。似たようなものを島で何度か目にしている。
 これは魔断筺だ。
 鉄には魔力の流れを遮る特性がある。そのため、世界に満ちる魔力に晒され続けると変質してしまう薬品などを鉄で出来た箱に収め保存するのだ。
 二人は兵士たちに縛り上げられ、猿轡を噛まされ、その箱に一人ずつ押し込まれた。
 この箱の中に閉じ込められていれば魔法は使うことができない。船のこの一室も壁を念入りに鉄板で固められた部屋だった。元々この船からして鉄の船なのだが、大変な念の入れようだ。それだけ魔法を恐れているのだ。
 魔断筺の蓋が閉められた。中は真っ暗になる。いくつもの掛け金が留められ、鎖で巻かれた。箱の中ではその音だけが聞こえる。
 箱が持ち上げられ、揺さぶられながらどこかに運ばれて行く。やがて、乱暴に馬車に積み込まれ、その馬車も走りだした。
 どこへ行くのだろう。お互いが側にいるのか、別々に引き離されているのかさえも分からないまま、闇の中で身動きさえできずに時が流れた。

「お頭、馬車です!軍の馬車が来ました!」
 馬車が通りがかる峠の道で待ち構える人相の悪い男たち。
「おお、あの馬車だ、間違いねえ!あの夢は正夢だったんだ!」
 お頭と呼ばれた男は崖の上から見下ろしその馬車の姿をまじまじと見ながら言った。
 彼らは山賊だ。そして山賊の頭はここしばらく、毎夜のように不思議な夢を見続けていた。まさにこの場所で、あの馬車を襲う夢だった。
 夢ではその馬車には二つの黒い箱を積んでおり、その中には上等な武具といくらかの軍資金、そして金の女神像が収められているのだ。
 そして、その女神像は訴える。王国は戦利品である私を熔かして金貨に作り替えるつもりだ、助けてほしいと。蒐集家に売り飛ばされることになっても、熔かされるよりは、と。
 最初はただの夢だと思っていたが、昨日も今日も同じ夢を見、しかもだんだん夢に現れる情報が、馬車の通る場所、馬車の通る時間と詳しくなってきた。さすがに何かあるのではと、期待半分疑い半分でここで待っていたのだ。
 そして今、夢の通りの馬車が現れたのだ。
 山肌の道を上り、馬車は峠に差しかかった。岩陰に隠れていた山賊たちが一斉に馬車に襲いかかる。
 乗っていた兵士たちが応戦するが、奇襲のうえに数のうえで圧倒的に不利だ。兵士は一人、また一人と倒れて行く。一人は蛮刀で切り裂かれ、一人は崖に追い詰められ転落し、一人は短剣を首に突き立てられ、一人は手斧で頭を割られた。
「お頭、箱がありました!」
 馬車には、夢の通り黒い鉄の箱が二つ積まれている。
「よし、馬車ごといただきだ!」
 山賊たちは馬車に乗り込み、山道を走りだした。途中で馬車の荷車を捨て、馬に箱を背負わせて獣道のような小道に入って行く。この先が彼らの隠れ家だ。
 隠れ家に着いた山賊たちは早速箱を開け始めた。掛け金を一つずつ外し、蓋を持ち上げる。
「お頭。女神像が人間になってますぜ」
 蓋を開けて中を覗いた子分が驚いて言った。
「そんな馬鹿な」
 お頭は箱の中を覗き込む。中には長い髪の女神像ではなく、傷だらけの長い髪の少女が縛られて転がっていた。
「こっちの箱も人間です!ガキだ、坊主だ」
 別な箱を開けた子分の言葉にお頭は舌打ちし、吐き捨てるように言う。
「たとえこのガキが女神様の生まれ変わりだろうが、こんな薄汚れたガキは娼館だって買いやしねぇ。坊主なんてもってのほかだ。その馬だけ売っ払えばいい、ガキは殺して捨てろ!」
 今度こそだめだ。二人がそう思ったとき、先行、そしてパァンという音とともに山賊の一人が悲鳴を上げた。
 山賊たちは一斉に振り返る。悲鳴を上げた仲間は地面に倒れ込み、体を痙攣させている。見渡しても人の姿は無い。何が起こったのか。クレイとエリアは数日ぶりの日の光に目が眩み、目も開けられずにいる。
「ご苦労だったな」
 頭の上から不快な声が降って来た。見上げると、木の枝の上に一羽の大きな鳥がとまっていた。その鳥がみるみる人の姿に変わっていく。
「ば、化け物!」
「こいつは魔法使いの、グレックの手先じゃねぇか!」
 騒ぎだす山賊たち。確かにクレイとエリアはその声に聞き覚えがあった。ガスプールで聞いた、鳥の怪物の声だ。
「そう。そのグレック殿の思惑通り、お前らは魔法で見せた夢に誘われて、有りもしない宝を目当てに軍馬車を襲ったわけだ。晴れてお前らも魔法使いの手先の仲間入りだぞ」
「な、なんだと。あれは女神様のお告げじゃなくて魔法使いの罠かよ!」
「そうだ。ちゃんと仕事をこなしてくれた礼として本当のことを教えてやったが、この通りに証言しても王国はそんな言い訳、信じはしないぞ。処刑台が嫌ならせいぜい逃げおおせるこったな」
 そう言いながら、足に掴んでいた宝石の付いた短い杖のようなものを、さっきまで翼だった手に持ち替えた半鳥半人の怪物は、その杖を高く掲げ振りかざす。杖の先の宝石が光を放ったかと思うと、その光が鞭のように山賊の方に伸びた。それは電光だった。
 電光を浴びた山賊は短い悲鳴を上げて倒れ込んだ。さらに一人、また一人と電光の餌食になっていく。相手が手の届かない高所にいるせいで山賊たちは何もできない。ただ一つできることは逃げることだった。
 電光の届かない場所まで逃げられた山賊は二人だけだった。だが、安心するのはまだ早すぎた。杖を嘴で咥え、再び鳥の姿に戻り空を飛んで追って来たのだ。さすがにこれでは逃げられるはずも無かった。
 残りの二人も上空からの雷撃に為すすべも無く倒れた。
 クレイとエリアもそろそろ光に目が慣れてきていた。だが、箱が開けられただけで縄はまだ切られておらず、縛られたままだ。
 二人の視界の隅に鳥が舞い戻ってきた。人の姿になりながら二人の側に舞い降りる。クレイはまたも、今度こそもうだめだと思う。
 だが、怪物は言う。
「安心しろ、俺は敵ではない。お前たちを助けに来た」
 そんなことを言われてもにわかに信じられるものではない。それに足元に落ちていた山賊の剣を手に取られては、助けるというのは苦しまないように一思いに、と言う意味かと思ってしまうでは無いか。
 だが、それは二人を縛る縄を切るためだった。縄を切られたクレイはふらつく足で立ち上がり、そのまま近くの林に走って行く。
「おい待て、仲間を見捨てて逃げる気か。お前らには話もあるんだ」
 クレイの背中に向かって怪物は言う。
「ご、ごめん。でもちょっとおしっこ」
 何か言いたげにエリアが呻く。猿轡を解かれると、エリアは言った。
「あたしも漏れそう!早く縄といて!早く!」
 呆れながら縄を解く怪物。
 エリアも、クレイの入った場所から少し離れた林の、クレイより少し奥の方に入って行った。
「お前ら、ちゃんと帰ってこいよ」
 怪物は林に消えた二人に呼びかけた。

 用を足して林を出た二人を待っていたのは二人を助けた怪物だけでは無かった。ガスプールの町で見た姿がそこにあった。
 生身の姿でないことは、後ろが透けて見えることや陽炎のように揺らめいていることからも見て取れる。幻影だ。白髪の混じった肩までの髪。蓄えられた口髭。顔付きは厳つい。
「ぐ、グレックさん……ですか?」
 勇気を出してクレイはその幻に話しかけた。
「いかにも。お前たちは魔法を操れると聞くが、本当か?見せてみよ」
「はいっ」
 クレイは簡単な呪文を唱える。小さな火の玉が現れ、すぐ消えた。緊張と焦りのため魔力をかき集めるのを忘れていた。だが、そのおそまつすぎる魔法でもグレックを納得させるには十分だったようだ。
「お前たちはどこから来た?」
「あなたのふるさとの島です、グレックさん!」
 エリアが答えた。そしてエリアはグレックに逆に問いかける。
「なぜ、エマさんを残したまま帰らずにいるんですか?島には戻ることはできないのですか!?」
 グレックは生きていた。それならば、なぜ島に戻らないのか。エリアの言葉で今更ながら島に戻ることができないから帰らないという可能性に気付き、クレイは青ざめた。
「エマはまだ私を待っているのか」
「はい」
 エリアは強く頷いた。
「そうか。だが、今更帰ることもできまい。私にはここで成さねばならないことがたくさんある。あり過ぎて、とても全ては為し得ないだろうがな」
「それなら、島に帰る方法がなくて帰れない訳ではないのですね?私たちは島に帰ることはできますか?」
 グレックが帰らないのは事情があるからだと知り、ほっとしていたクレイだが、エリアに対するグレックの答えが“残念ながら”で始まったのでまた青ざめた。
「残念ながら……、そう言った事情なのでな。試したことも、それどころか世界の裏側とやらに行ったことさえ無い」
 クレイはまた少しほっとした。
「世界の裏側って遠いですか?どんなところですか?」
 ほっとしたついでにクレイは聞いてみた。
「とても遠い所だ。そこは広大な砂漠が広がっていると聞く。人の立ち入ることの無いところだ。ただの旅人なら何十年かかるかわからん」
「グレックさんならどのくらいで行けますか?」
「今の私なら突風よりも速く飛ぶことができる。それでも一月はかかるかもしれん」
 この調子では、クレイとエリアでは何カ月、いや何年かかるやらだ。それでも前に進むしか無い。
「私も忙しい身でな。こうして話していられる時間もそう長くはない。とにかく、何としてもこの国を出ることだ。この国は魔法使いに過剰なまでに嫌悪感を抱いている。隣の国もにたようなものではあるが、ここよりはだいぶましだろう。また、そんな目に遭わされてはかなうまい?」
 傷だらけの二人の体を指しながらグレックは言う。
「その傷は放っておけばいつまでも残る傷になるだろう。だが、『クァーンド・レコンスタティトゥ・ザバダ・ザッラス・ザコルクタ・アピアレンシス』と唱えれば跡形なく治すことができる。この呪文は手足を失おうが元に戻せる呪文だ。但し、それなりの力は必要だがな」
 ややこしくて長い呪文だ。書き留める物をなにも持ち合わせていないエリアは慌てて地面に呪文を書き留めた。
 もうグレックには時間が無いようだ。怪物に後は任せた、と言い残し、グレックの幻はかき消えた。
「お前らにはいくつか渡しておくものがある。まずはこいつだ」
 怪物は、先程山賊たちを撃退するのに使った杖を差し出した。
「こいつは振りかざすと電光が飛んでいく杖だ。大体向けた方に電光がすっ飛んで行く。雷と一緒でその方向に余計な無ければ狙った物に向かっていくが、近くに何人か固まってたりするとそのうちのどれに飛んで行くかわからん。それに、狙った方向に何も無かったり狙った物が遠過ぎるとあさっての方向や自分のところに電光が行く。ちょっと使いにくいかもしれないが、とっさのときには狙いが外れにくい。こういうものに頼らずに自分の力だけで困難に立ち向かうのが望ましいが、どうしようもない時だけ使えとのことだ」
 クレイは恐る恐る手を伸ばす。触れてもびりっとはこなかった。
 次に渡されたのは小さな水晶の玉の埋め込まれたプレートだった。水晶玉を取り囲むように魔法陣が描かれ、裏側には魔法文字で呪文がびっしりと彫り込まれている。鎖が繋がれ、ペンダントになっている。受け取ろうとしたクレイから、エリアがもぎ取った。
 これはグレックにその居場所を伝え、さらにグレックの目として状況を見渡せる様にするための物だとか。
 エリアは乙女としてそんなものを胸元につけておく気にはなれない。クレイに押し付けた。
「あと、兵隊共がお前らから取り上げた荷物だが、検分が終わってゴミとして捨てられたのを仲間が見つけてきた。この山賊の小屋の裏手に隠してある。すぐに見つかるだろう」
「仲間ってグレックさん?」
「まさか。俺みたいな奴さ」
「ええっ怪物さんみたいのがたくさんいるの」
 クレイは怪物が反応するより早くエリアに引っぱたかれた。
「その呼び方は無いでしょ、怒らせたらどうするの!」
「怪物さんは止せ、一応仲間内じゃスカイウォーカーで通っている。そいつは俺よりもうまく人間に戻ることができる奴だ。そのうち会うことになるかもしれないな。これで伝えるべきことは全て伝えた。グレック殿の言うとおり、とっととこの国を出ることだ。やっかい事に巻き込まれてもそうそう助けてはやれないからな」
 鳥の姿になり、飛び立とうとしたスカイウォーカーにクレイは慌てて声をかけた。
「何か食べるものがほしいです」
「食い物だぁ?それなら小屋の中に山賊共の食い物があるだろうさ。ここに転がってる山賊共は気を失っているだけだ。目を覚ます前にとんずらしないと面倒だぞ。ぐずぐずするなよ」
 そう言うと今度こそスカイウォーカーはどこかに飛んで行ってしまった。
 小屋の中を見ると、鍋の中に冷め切ったごった煮の煮物がたっぷりと入っていた。味はともかく、二人はそのごった煮を貪るように食べた。
 小屋の裏手に回ると、薪の山の横に見覚えのあるバッグなどが並んで置かれていた。その荷物を背負い、とりあえず、山賊たちが目を覚ます前にここを離れることにした。

 助かるには助かったが、分からないことばかりだ。
 なぜグレックは自分たちを助けてくれたのか。魔法使いだからだろうか。しかし、こちらでは悪い噂ばかりのグレックだ。信用していいのか。だが、頼れる者が他にいないのもまた事実だ。
 そして、ここがどこなのかもさっぱり分からなかった。
 山道の岩に腰掛けて、戻ってきた荷物を調べた。中身が一度引っ張り出され、乱暴に詰め込まれたのか中身はグチャグチャだった。お金は全て取り上げられていたが、他に無くなった物は特に無さそうだ。
 大切な本も没収されず他の本と一緒にクレイの荷物の中にあった。この本も係官により検分されたのだが、この不思議な本は魔法を使える者にしか文字が見えず、係官たちにはまっさらな紙の、真新しい日記帳か何かに思えたのだ。
 お金が無くなってしまったが、食べ物をどうにかすれば旅は続けられそうだ。
 もう一つの問題はここがどこかということだった。山の上から見渡すと、遠くに町が見えた。あの町が何の町か分かれば、ここがどこか地図でも確かめられる。
 だが、飛んで行くのは少し怖い。かといって歩いて行くのは大変そうだ。
「姿を消す魔法を使ってみよう」
 クレイは呪文を唱え、ゆっくりとその姿を消す。だが、半透明になったくらいでまた姿が現れてしまう。もう一度呪文を唱え直すと姿が消えたが、その状態を維持するために呪文を唱え続けなければならない。そうなると、空を飛ぶことは出来ない。
「これじゃダメだよ。姿を消しながら飛ぶなんて無茶だ」
「そうね……」
 とにかく、歩いてでもあの町を目指すことにした。
 しかし、困ったことはまだあった。傷が痛み、まともに歩けないのだ。ここに来るまでは無我夢中だったし、傷が特にひどかったクレイは裸同然の姿だったので擦れることは無かったが、服を着ると擦れて仕方がない「そうだ、さっきグレックさんに教えてもらった呪文を試してみよう」
 と、思い立ったクレイだが、せっかく聞いた呪文をよく思い出せない。
「仕方ないわね、クレイは。えっと、『クァーンド・レコンスタティトゥ・ザバダ・ザッラス・ザコルクタ・アピアレンシス』よ」
 偉そうに言うエリアも、メモを見ながらだ。
 呪文の意味は概ね、“壊れた肉体を本来あるべき姿に”と言うようなものだ。
「よし、やってみよう」
 呪文を忘れないように自分もメモを取った後、クレイは自分に向けて魔法をかけてみた。
 かすかな光がクレイの胸の前で揺らめき、広がって行こうとする。だが、その光はそのまま消えてしまった。そして、クレイはそのまま倒れ込む。
「だ、大丈夫!?」
「大丈夫、かな?なんだかものすごく疲れた」
 強力な魔法だ。クレイの力ではまだまだ負担が大きすぎるらしい。
 服を脱いで体を見てみると、光が起こった胸辺りの傷が、円形にわずかに消えていた。確かに傷はきれいに消えるが、擦り傷ごときを治すのにこんなに無茶な魔法を使うことも無い。簡単な魔法で治せる物は治し、痕になって消えない傷にだけ使うのが無難なようだ。
 クレイはその後しばらく体に力が入らず、動くことさえできなかった。当然、歩くどころではない。とんでもなく逆効果だった。

 そのころ、クレイたちが名前を調べようとしていた町で、魔法使いの馬車が到着するのを待っていた役人が、その到着があまりに遅れていることを訝り、調査隊を送り出していた。
 調査隊は馬車が通る道の途中で兵士が殺されているのを見つけた。馬車に乗っていた兵士たちだ。
 馬車に乗り合わせていた兵士のうち一人は崖下に落ちていた。そのお陰で、足は痛めていたが命は助かっていた。
 生き延びた兵士から、馬車を襲ったのが山賊らしき一団であることが語られた。
 誰かの命令ですぐに山の捜索が始まった。だが魔法使いどころか山賊すら見つけることはできなかった。

 エリアとようやく立ち上がれるくらいにまで回復したクレイは、どうやってあの町に行こうかを考えていた。そのとき、その町の方からたくさんの馬車が山に向かって来るのに気づいた。いやな予感がした二人は山を登り始めた。
 馬車はどんどん山に迫っていた。
「私たちを捜しにきたのかな」
不安そうに振り返りながら言うエリア。
「エリア、飛ぼう!」
「でも、見つからないかな」
「山のてっぺんを越えれば少なくともあいつらには見つからないよ。今ならまだ馬車も遠いし、あっちからは見えないよ」
「うん、そうね」
 二人は呪文を唱え、宙に浮かび上がる。クレイはまださっきの後遺症でうまく浮かび上がることができない。それでも、足を岩にぶつけたりしながらも辛うじて峠にまで到達した。生傷が増えそうだ。
 峠を越えて見えた景色は山裾に広がる森、そしてその森の向こうの港町と広大な海だった。
 船に乗せられた二人はあの港町で船を降ろされたのだ。あの大きな船は既に出港したらしく、その姿は無かった。
 あの町には近づかない方がいいような気がした。二人の顔を知っている人がいる訳でも無いのだろうが、なんとなくそんな気がしたのだ。
 二人は尾根伝いに西を目指すことにした。今までナラトワム半島北岸を西に向けて旅をしていた。同じ方向に進んだ方がいい。
 道なき岩場も飛べば楽々越えられた。結果として、たとえ見つかったとしても歩くことしかできない兵士たちには手出しが出来ない場所を辿ることとなった。
 山肌を伝いながら進むうち、だんだんと日が暮れてきた。
 山の岩の上で久々に寝袋にくるまり眠った。山の上の風は冷たい。船の固く冷たい床よりは寝袋の綿の分だけ寝心地がよかったが、顔に当たる冷たい風と夜露はいかんともしがたい。
 まだ消えなかった不安と空腹、そして日の光の届かぬ狭い部屋で昼か夜かも分からず過ごした長い時間のために、よく眠れぬまま朝を迎えた。
 まだ日が横から差すころ、二人は動き出した。背に日差しを受けながら西を目指す。
 だが、暖かな日差しのせいで先程までは二人を避けるように遠のいていた眠気が一気に襲ってきて、今度こそ二人は先程せっかくまとめた寝袋をほどいてでも眠らずにはいられなかった。

 その頃。王城にも二人が逃走したことが伝えられていた。二人を乗せた馬車が山賊に襲われたことも伝えられた。
「なんと言うことか!このことはまだ民衆には知られていないのか」
 怒気を孕んだ王の声に戦きながら使者は頭を垂れた。
「はっ。今のところそう言った様子はございません」
「ならばよい。今後もこのことが漏れぬように通達を出しておこう」
 王はすぐに軍の少将を呼び付けた。
「至急セレヌートに派兵せよ。馬車を襲撃した山賊と逃走した魔法使い二人を捜索するのだ。よいか、魔法使いが逃走したことは民衆に知られてはならぬ。口外するでないぞ」
 命じられた少将は直ちに軍を率いてセレヌートへと向かった。

 二人の目が覚めたときには既に日が傾き始めていた。
 そして、空腹と喉の渇きも耐え難いほどになっていた。
 幸い、すぐ近くに小川が流れているのを見つけた。澄んだ水で渇きはすぐに癒された。
 川には魚が群れて泳いでいた。クレイは大喜びで川に飛び込み、魚を捕まえようと追い回すが、逃げる魚の方が圧倒的にすばしっこい。結局業を煮やしたエリアが魔法で川の水ごと浮かび上がらせ、まとめて捕まえた。そして辺りから枯れ木や枯れ草をかき集め、火をつけて蒸し焼きにすることにした。
 魚が焼けるまでの間に水浴びをしたいとエリアが言った。この所、体を洗うどころか下着さえ換えていない。せっかくきれいな水があるのだから、体を洗って行こうと思ったのだ。
「来ないでよ。絶対に来ないでよ」
 しつこく念押ししてエリアは川原伝いに上流の方へと歩いて行った。
 クレイもエリアに倣い体を洗おうと、素っ裸になって川の中に入って行った。だが、3歩ほど入ったところで水の冷たさに慌てて引き返した。
 もう一度覚悟を決めて川に入る。手で水を掬って肩にかけたところで、足元の冷たさと肩にかけた水の冷たさと、沁みる傷の痛さでまた川から飛び出した。
 そんなことを繰り返しているうちに水の冷たさにも慣れてきた。体を洗い終わると体が思うように動かないほど冷えきってしまったが。
 服を着るのも後回しにして魚を焼いている火に当たり谷間にはもう日が差さなくなってしまっている。体を温められる物はこの焚き火だけだ。
 体は温まりきらないが、火は消えかけてきた。魚はぱっと見焼けていそうな感じだ。
 クレイはなかなか戻ってこないエリアがそろそろ心配になり出していた。しかし、あれだけ念押しもされているし、様子を見にも行けない。
 どうしようと考えたクレイは、大声で呼びかければいいだけだと気づく。
「エリアー。エリアー?」
 呼びかけると少し間はあったが返事が返ってきた。
「なぁにー?」
「あ?いや、何でもなーい」
「えーっ、なによー」
「いや、なかなか帰ってこないからさぁ」
「そう?もうちょっと待ってー」
 しばらくするとエリアが帰ってきた。何のことは無い、冷たさを我慢しながら髪まで念入りに洗っていただけだった。クレイほど傷も酷くないので、それほど水が凍みると言うこともない。ただ、その分体は冷えきっており、唇が青くなっている。
 ちょうど、消えてしまったたき火をまた燃やそうとクレイは薪を集めていたところだった。
 焚き火に当たりながら少し冷めかけた魚を食べた。食べ終わる頃には、まだエリアの体は温まり切らないが、火は消えてしまった。このままもう一度焚き火をするより、谷間から出て日に当たった方がいい。
 谷間を出ると傾きかけた太陽の光が二人に降り注いだ。正面からの日差しは眩しかったが、焚き火と同じくらいに暖かかった。
 ほどなく日が沈む。夕闇が空を覆い尽くす。星々が瞬きだし、辺りは闇に包まれたが、さっき眠ったばかりだ。眠れはしないだろう。
 夜も深まり、空に半月が浮かんだ。その月明かりを頼りに二人は先に進むことにた。
 闇の中であることをいいことに高く舞い上がる。誰かに見られる心配は要らない。そもそも、こんな岩山に滅多に人もいないだろう。それに、あまり低いところを飛んでいると、闇の中から突然現れた岩の出っ張りに頭をぶつけてしまいそうだ。
 月明かりに浮かび上がった山脈は二人の行く手に向けて無数の山を連ね、どこまで続いているのか及びもつかない。
 二人は山麓に下りることにした。夜ならなにも山の上を辿らなくても人目につくこともない。
 空がうっすらと白みかけたころ、遠くに街明かりが見えてきた。小さな港町だ。周りに人がいないのを確かめながら慎重に近づき、程近い林の陰に降り立った。
 お金が無いので買い物も何もできない。ただ、町の名前と場所だけ分かれば、今の居場所がどこなのか分かる。
 トラベラーズギルドに行けば、地図の上に印がつけてあるだろう。
 二人が逃げたことがもうここにまで知られているかもしれない。まだ二人で動き回るのは不安だ。
 エリアを待たせて行こうとするクレイをエリアが引き留める。
「あたしが行くよ。傷、まだ痛いんでしょ」
「このくらい、へっちゃらだよ」
「だめよ、クレイは肝心なところで間が抜けてるんだから。せっかく覚えた町の名前を帰って来るまでに忘れてもう一回行くことになったら面倒でしょ」
「そんなことないよー」
 怒るクレイを置いて一人でさっさと行ってしまうエリア。今言ったことも本音だが、エリアが感じていた数々の負い目もエリアを突き動かしていた。
 この町には、どこそこへようこそ、などという看板などはなかった。トラベラーズギルドの看板を見つけたが、一緒に宿屋の看板とマレルドの雑貨屋と言う看板も一緒に出ている。見所もなく、大きな街道からも外れた小さな田舎町なので、めったに客の来ない宿屋とトラベラーズギルドを雑貨屋が兼業しているのだ。
 エリアは扉を開けて恐る恐る中に入って行く。年老いた店の主が見慣れない顔の旅客を物珍しそうに眺めている。
 まさか魔法使いだと感づかれたんじゃ、とドキドキしながら、気にしていない様に必死に装いながら国の地図で現在地の印を探す。
 ピンが刺さっているのはゴルと言う小さな町だ。セレヌートという大きな町の近く。
 以前二人が旅をしていたところからはだいぶ遠くにきていた。つらい船での旅だったが、その旅のおかげでかなり距離だけは稼ぐことができたのだ。
「お嬢ちゃん、用はなんだい」
 店主に突然声をかけられて戸惑いながらも、どうにか取り繕おうと必死に答えを考えるエリア。
「えと。セレヌートまでどのくらいか見て来てくれって、お父さんに頼まれて」
「そうかい、どこから来なすったね」
 これまた難しい質問だ。また必死に考えて答えを絞り出すエリア。
「ベルネサです」
 二人がこちらに来て最初にたどり着いた町の名前がとっさに出て来たのだ。よく考えればどの町も同じ方向だ。
「ベルネサ……最近聞いた名前だなぁ。確か魔法使いが出たって言う、ずっと東の町だったかなぁ。……と言うことは、今は帰り道だね」
「ええ、そうなんです」
 魔法使いという言葉が出てちょっと冷や冷やしたが、そう思ってくれたのならそういうことにしておくに限る。
「ここはゴルですよね?」
 ついでに確認しておく。
「ああ。ベルネサは遠いが、セレヌートならもう一息だ。急げば夕方までには着くぞ」
「そうですね、お世話になりました」
 いそいそと出て行こうとするエリアに店主は声かける。
「何か買っていかんかね」
「ごめんなさい、今はお金が無くて」
「そうか。そりゃ残念」
 今度こそエリアはいそいそと店を後にした。

 急いでクレイの元に戻る。すぐに地図を開き、目印のない地図でゴルを探す。まず、大きなセレヌートが見つかる。そのセレヌートの字に隠れそうな場所に、海岸の線にかかりながら窮屈に書かれたとても小さなゴルの文字を見つけた。セレヌートの名前も知らなければそうそう気づけなかったかもしれない。
「うわあ。こんなところまで来てたんだぁ」
 クレイもびっくりしたようだ。
 セレヌートというのが、恐らくは二人を乗せた船が到着した港だろう。そこから見るといくらも進んでいない。
 周りを見ると、すぐ近くに一際目立つ印でソルポーニャと言う町が書かれている。これがこの国の首都だ。二人を乗せた馬車はここを目指していた。
 島から出た二人がたどり着いたのはこの半島の東端付近。そこから半島の北岸を西に向けて旅をして来た。今二人が目指している国境は西。地図で言えば半ばをやっと過ぎた辺りだった。しかも、その旅程の三分の一はあの船での旅。歩いたり、少しずつ飛んだりでは今までの旅程の倍近くかかりそうだ。
 かなりうんざりするが、前に進むしかない。
 ところで、二人はお腹をすかせていた。だが、お金が無くては買い物もできない。
 近くは海だ。魚が捕れればいいが、川のように魚の姿がよく見える訳でもないし、釣り道具もない。
 二人は砂浜に出て貝を拾うことにした。
 波打ち際の砂を掘ると小さな貝がたくさん見つかった。鍋一杯の貝を集め、海水をを薄めた水で焚き火で煮る。
 かなり一杯集めたつもりだったが、貝殻ばかりで中身はほんの少しだ。しかも、砂を吐かせることを思いつきもしなかったせいで、噛むたびの口のなかでじょりじょりと言った。それでも、何も食べないよりはいい。
 砂を吐き出しながら時間をかけて食べたお陰か、少量でもそこそこの満足感を得ることができた。
 二人が出発しようとしていると、空の上から声がかけられた。
 見上げた二人の前に翼をもつ影が舞い降りた。
「あっ、怪物さん……じゃなくてスカイウォーカーさん」
「探したぜ。その様子だと飯は食えてたみたいだが」
「あんまりいい物は食べてないよ」
「はははは。だろうと思ってな。グレック殿がお前らに小遣いと差し入れだ。たまたま近くにいたんでな。もうあまり来てはやれないだろうから、大事に使えよ」
「うわあ。ありがとう!」
 差し入れはサンドイッチと言うにはいささか雑にパンに肉を挟んだものだった。お金は革袋に金貨が十枚ほど入っていた。
 食べたばかりではあるが、我慢できずにパンにかぶりついた二人を尻目にスカイウォーカーは飛び去って行った。
 エリアはさっきの雑貨屋で何か食べ物を仕入れようと町に向かった。
 町は相変わらず静かだ。いや、静かすぎる気がする。
 エリアは雑貨屋に入って行った。
「おや、お嬢ちゃん。まだこの町にいたのかい」
「ええ。お父さんにお小遣いをもらったのでおやつを買いに来たんです」
 さっきこの店を見た感じでは、キャンディやクッキーと言った軽食くらいしか食べ物は置いて無さそうだ。棚からクッキーの缶を取るエリア。引き換えに金貨一枚を渡すと随分とお釣りが来た。
 紙袋に入れたクッキーのカントおつりをダシながら、店主は言う。
「すぐにこの町を出た方がいいよ。魔法使いのしもべだという怪物がこの辺りを飛び回っているみたいだからねぇ」
「!……分かりました」
 スカイウォーカーさん、見られてたんだ。そう思い表情を曇らせるエリア。店主にはそれが怪物に驚き、恐怖を感じているように見えた。目の前の少女が、その怪物と平然と話していたなど考えも及ばない。
 エリアはクッキーの箱を抱え、店を飛び出してクレイの元へ駆け出した。



Prev Page top Next
TitleKIEF top