マジカル冒険譚・マジカルアイル

09.虜囚

 朝。クレイが目を覚ましたとき、隣のエリアは仰向けに寝ころんだまま目を開いていた。一足先に目を覚ましたという訳ではないことが疲れ切ったままの表情から読み取れた。
「眠れなかったの?」
「うん。なんだか怖くて。夜、またあいつらが来るんじゃないかと思うと眠れなかった」
「じゃ、僕が見張ってる。だから安心して眠って」
「うん。ありがと」
 クレイは寝袋から抜け出し、エリアのそばに座った。しばらくすると、エリアが寝息をたて始めた。
 お腹が空いたクレイは荷物から干物の缶を取り出した。買ったときは買い過ぎだとエリアに怒られたが、いつの間にか随分残り少なくなってしまっている。
 これを食べ尽くしてしまったらどうしよう。お金はあるが、町に近寄れなければ買い物もできない。
 どこまで行けば安心して買い物ができるだろう。そこまで、たどり着けるだろうか。
 エリアが不安に思っていたことをクレイも不安に思い始めていた。

 エリアが目を覚ました。
 眠り初めてからそう長くはない。やはりよくは眠れないようだ。それにお腹もやはり減っているらしい。
 もう少し休んだら、と言うクレイの言葉にエリアはかぶりを振った。
「もう十分……とは言えないかもしれないけど、もう眠れそうにない」
 二人は、出発することにした。
 呪文を唱えて空中に浮かび、あまり目立たないように低い場所を飛んだ。高く飛んで目立つのは避けたかった。
 だが、それが却って仇になろうとは。
 視界のよくない低い場所のせいで、辺りに潜んで二人の行方を探っていた兵士の姿に気付くのが遅れたのだ。
 笛の音が響き渡り、その音を合図に騎馬たちが向かってくる。
 騎馬は四方八方から迫って来ていた。逃げ場などなかった。
 昨日逃げられたことがいち早く近隣に伝えられ、応援の兵が駆けつけて来ていたのだ。その数はちょっとした戦のようであった。
 二人は瞬く間に取り囲まれた。逃げることも抗うこともかなわない。二人ともがっくりと膝を落としてうな垂れ、されるがままに捕らえられた。

 二人は猿轡を噛まされ、手足を縛られた。軍用馬車に乱暴に投げ込まれ、どこかに連れ去られた。
 馬車の荷台に横たわっていると空しか見えないが、やがて賑やかな町の雰囲気が感じられた。
 姿の見えぬ町の人が、魔法使いを捕らえた兵士たちへの賛辞や魔法使いへの罵声を馬車に投げかけるのが聞こえた。
 波の音や汽笛が聞こえてくる。海のそば、港だ。やがて、その空しかなかった視界に黒い影が飛び込み、馬車が止まった。
 二人は馬車を降ろされ、兵士たちに担がれたまま、港に停泊していた大きな船に連れ込まれた。軍艦だ。魔法使い出現の知らせを聞いて待機していたのだ。
 船の中に入ってからだいぶ奥深くまで連れ込まれてようやく行き着いた部屋に二人は叩き込まれた。
「この部屋は魔法を封じ込める特別な部屋だ。何か企んでも無駄だぞ」
 兵士はそう言いながら二人の猿轡を外しロープを解いた。そして入り口の頑丈そうな扉を閉め、鍵をかけてしまった。
 厚い壁越しに微かに汽笛が聞こえ、船が動き出すのを感じた。
 以前港でこんな感じの大きな船を見かけてから、一度くらいは乗ってみたいとは思っていたが、まさかこんな形で乗る羽目になろうとは。とても船旅を楽しめる状況や気分でもない。
 この部屋には入り口の扉の他にも二つの扉がある。一つはトイレだった。もう一つは鍵がかかっていて開かなかった。
 クレイは試しに呪文を唱えてみたが、何も起こらなかった。魔法を封じる部屋だというのは確かなようだ。
 クレイはため息をついてへたり込んだ。エリアはさっきから俯いたままだ。また落ち込んでいるようだったが、クレイにも励ます気力などなかった。

 窓もない部屋で、時間の経つのさえ分からない。
 二人とも押し黙ったまま、どれほどの時が経っただろう。
 朝方、残った食べ物の量をみてどれだけもつだろうなどと悩んだことは、もう遠い昔のことのようだ。ここでは食べ物の残りなど関係ない。二人には食べ物さえ与えられないのだ。
 空腹はひどいが、それでも眠気は襲って来た。クレイは堅く冷たい床に用意されていた毛布を敷いて、寝そべり眠ろうとしたが、とても眠れそうにない。体を起こし、壁に寄りかかって寝た方がましだった。
 いつの間に眠ったのか。クレイが目を覚ますと、エリアがクレイに寄り添い、体を預けて眠っていた。
 トイレに行きたかったが、エリアを起こしたくはなかった。クレイは限界まで我慢することにした。
 我慢が限界に近づき、そわそわし始めると、それでエリアが目を覚ました。クレイはごめんとだけ言い残し、トイレに駆け込んだ。
 用を足し終わったクレイは、手洗い場で水を飲めることに気づいた。蛇口からちょろちょろと出る水を手に取り、飲んだ。海の水を使ってないかと警戒したが、真水だった。
 クレイはエリアにトイレで水が飲めることを教えた。エリアも入れ違いにトイレに入って行った。
 エリアがトイレから出て座り込むと、また長い静寂が訪れた。

 静寂を破ったのは入り口の扉が開かれる音だった。
 食事を運んで来たのか。それとも目的地についたのか。
 そのどちらでもなかった。二人の兵士が部屋に入ると他の兵によりまた外から鍵がかけられた。
 クレイは兵士に無理矢理抱え起こされた。もう一人の兵士が鍵のかかっていた奥の扉を開け、クレイはその中に連れ込まれた。
 部屋に明かりが灯されると、嫌な感じの器具が目に付いた。何に使われるのかクレイには見当もつかない。
 クレイは上半身裸にされ、手を鎖で繋がれ天井に吊られた。
「お前には聞きたいことがある。素直に話せば痛い目は合わずに済む。だが、強情を張ればそれだけひどい目に遭う」
 兵士は怖いことを淡々と言い放った。
「おまえらの親玉のグレックは今どこにいる?」
 どうやら二人はグレックの手下だと思われているらしい。
「し、知らない」
 本当に知らないのだからそうとしか答えられない。だが、兵士は信じるはずもなかった。鞭がクレイの肌を打つ。クレイは痛みに声を上げた。
 その声は隣の部屋に取り残されたエリアにも届いた。エリアは心配そうに扉を見つめていたが、繰り返される鋭い鞭の音と苦痛の声にやがて耐え切れなくなり、扉から目を逸らし耳を塞いでうずくまる。
 エリアの心には「ごめんね」と「私のせいだ」の言葉が渦巻き、エリアを押し潰した。
「お前が素直に言わないのなら女の方もこういう目に遭うぞ」
 クレイは顔を上げた。
「やめろ!」
「そう思うなら素直に白状しろ。ベデルザークではお前達とグレックが一緒に目撃されている。あまつさえ、お前達はグレックに助けられてまでいる。いまさら言い訳のしようがない。グレックについて知っていることを白状するんだ」
 白状するにも、白状できることなどないのだ。だが、このままではエリアに危害が加えられる。
 嘘でもいい。何か言わねば。
 だが、外の世界のことなどまだ何も知らないクレイにとって、つける嘘にも限りがある。
 グレックについて、グレックが知っていることと言えば。
「セドキアに、いる」
 兵士の鞭がうなった。
「そんな誰でも知っていることなど聞いてもどうにもならん」
「今は帰ってるんだよ!」
「お前達を置いてか?」
「そうだよ」
「……確かに。あれだけお前達を追い回し、捕まえて船に乗せてだいぶ経つが奴は姿を現そうとしない。あり得ない話ではないがな。まあいい。時間も十分だ。女の方からも同じ証言が得られれば間違いないだろう」
 クレイは顔を上げた。
「言えばエリアには何もしないって言ったじゃないか!」
「俺を恨むなよ。俺は上に言われた通りにしているだけだ」
 クレイは降ろされ、部屋に荒っぽく叩き込まれ、倒れ込んだ。エリアは傷だらけのクレイに駆け寄ろうと立ち上がった。そんなエリアの腕を兵士がつかみ、拷問部屋に引きずり込む。
「やめろぉ……」 
 クレイは弱々しく言った。叫んだつもりだった。立ち上がろうとしたが、長いこと縛られ吊り下げられていた腕に力は入らなかった。クレイの眼前で拷問部屋の扉が閉まり、鍵がかけられた。
 エリアもクレイと同じように服を脱がされた。エリアは女の子、相手は男だ。エリアは抵抗したが敵うはずなどなかった。
 エリアは露わにされた胸を隠そうとしたが、その手も引き離され、縛り付けられた。恥ずかしさで涙が出た。
 だが、恥ずかしさも長くは続かない。それ以上の苦痛と恐怖と絶望がエリアに訪れるからだ。
 兵士はクレイと同じ質問をエリアに投げかけた。エリアは何も言わず、ただ嗚咽だけを漏らす。
 兵士の鞭は容赦なく唸った。それでもエリアは何も言わなかった。何を問われようと、何を言われようと、鞭で痛め付けられようと、言葉は何一つ発しなかった。
 問いに対する答えなど持たないのはもちろん。エリアの心には自分がこうされることでクレイの身代わりになれるならという思いもあった。
 何も言わぬエリアに無駄だと察した兵士はエリアへの拷問を早めに切り上げた。
 エリアもクレイのいる部屋に戻された。クレイは床に突っ伏したままだった。ただ、呼吸に合わせて体がゆっくりと上下に揺れている。
 エリアは慌てて毛布をつかみ裸のままの体を包み隠した。毛布に触れた傷がズキズキと痛んだ。

 拷問室の鍵がかけられ、兵士たちが部屋から出て行く。
「明日の係は俺みたいに優しくないぞ。覚悟しておけ」
 兵士はそう言い残し、扉を閉めて鍵をかけた。
 改めて見てみればクレイの傷はエリアの傷よりも明らかに酷かった。やはり上半身裸のままのクレイに毛布をかけてやるべきかと悩むが、この傷では毛布が触れただけでも相当痛みそうだ。
 無駄だとは分かっていたが、エリアはひたすら癒しの呪文を唱え続けた。
「ねえ、エリア」
 クレイが体をゆっくりと起こし始めた。時々顔を歪めて動きを止めている。エリアは毛布の合わせを直し、しっかりと押さえた。
「グレックさんの居場所、聞かれた?」
「うん」
「なんて答えた?」
「何にも。知らないもの」
「そっか……」
 クレイは、自分がグレックはセドキアに帰ったと嘘をついたことを教えた。
「それじゃ、今度聞かれたときはセドキアに帰ったって事にすればいいのかな」
「分からない。セドキアに帰ったって言って、明日にでもグレックさんが近くに出たら、嘘ついたのがばれちゃう。そうなったら二人ともどうなっちゃうか分からないよ。僕も、もう何を聞かれても答えない。本当のことを言っても信じてもらえないし、嘘をついても何も変わらないみたいだ」
「そうね。私、何も答えなかった。本当のことも言ったのに、クレイのほうが酷いことになってる」
 エリアは声を詰まらせた。
「ううん、エリアが僕みたいに酷くやられなくてよかったよ」
「でも。クレイは私が巻き込んで、それでこんなことに」
 エリアの頬を幾筋もの涙が流れ落ちた。
「自分を責めちゃだめだよ、エリア。どうせ僕は酷くやられてたんだ。エリアがこれ以上やられなくて済んだならそれでいいじゃない。……本当はさ、僕が嘘をついたのってエリアをかばおうとしたからなんだ。ちゃんと答えたらエリアに酷いことをしないって言われたから。でも、本当のことを言っても信じないし、それらしいことを言ったらエリアが同じことを言うか聞いてみるって。僕が知らないって言い続けていれはエリアは何もされなくて済んだかもしれない」
「そうだったんだ……。でも、クレイが嘘ついたの、よかったよ。もしもクレイばかりやられてたらきっと私耐えられなかった。体が痛い方が、心が痛いのよりましだもの」
「僕も。散々やられてエリアまで困らせたんじゃ割に合わないや」
 エリアはクレイの言葉に、口元だけに微笑みを浮かべた。クレイもそんなエリアを見てほっとできた。

 どれほど時が経っただろう。眠れたのだろうか。痛みで眠れなかったのだろうか。ただじっと痛みに耐えていた二人にはそれさえも分からなかった。
 ただ、あの拷問がもうすでに昨日の出来事になったということは分かった。今日の拷問係が部屋にやって来たからだ。
 クレイを殊更乱暴に拷問部屋に引きずり込む兵士。
 クレイを鎖で天井に繋ぎ終えると兵士は隣にいたエリアを連れ込みに来た。羽織っていた毛布を引きはがして投げ捨て、腕を引っ張って拷問室に引きずり込む。胸も露なまま引きずり込まれて来たエリアからクレイは目を逸らした。エリアも兵士が手を放すと急いで胸を隠した。
「魔法使いの癖にいっちょ前に見られるのが恥ずかしいのか?下もひん剥いて坊主の前で大股開かせてやろうか?」
 兵士は下劣な言葉を吐いた。
「やめろよ。そういう言葉も記録にちゃんと残さなきゃならないんだぞ」
 部屋の隅で、交わされた言葉を書き取っていた尋問官が文句を言う。
「そんなのお前の判断でもみ消すなりしろよ」
「記録官は俺だけじゃないんだ。無理を言うな」
 いきなり口論を始める二人。馬鹿馬鹿しい、と思った記録官の方が先に折れた。
「まあいい。お前らがグレックの居場所について口裏を合わせていることはしっかりこっちも分かってるんだ。だからもうその話は聞かないぞ。残念だったな」
 二人の捕らえられている部屋の会話は、巧みに隠された壁の覗き窓から夜通し監視している兵により、一言一句残らず記録されている。この拷問部屋も同じように外部から見張られ、記録されている。念には念をというのもあるが、それ以外の事情もあるのだ。
 もちろん、そのことは二人には伏せなければならないのだが……。余計な事を漏らす拷問官に、記録官は頭を抱えた。
「今日はお前たちがどこから来たのか教えてもらおう。セドキアから来たなんて言うなよ。セドキアでも魔法使いを他所から迎え入れた事は明言しているんだ」
 クレイは何も言わない。
「昨日の夜、何も言わずに黙っていれば早く終わるとか話し合ってたらしいな。馬鹿め。リーマスが相手ならともかく、俺が相手ならそんな甘い手は通じないぜ」
 兵はクレイに鞭をいれた。エリアは目を背けた。
「喋れよ、何か言うまで俺はやめないぞ」
 兵はクレイに何度も鞭を入れる。
「俺は昔魔法使い呼ばわりされたことがあるんだ。昔は悪くてな、いろいろ馬鹿なことをやったもんさ。そんなこんなで近所からも疎まれてたんだろう。ある日俺の目の前でどこぞのじいさんが突然胸を抑えて倒れてな。それを見ていたババァが俺が魔法で殺したんだとか抜かしやがった。俺は町を追われて、いじけながら生きてたよ。そしたらこの国が魔法使いの軍隊と戦争おっ始めたって言うじゃないか。喜んで兵隊に志願したよ。魔法使いに復讐するためにな。お前ら魔法使いが世界にいなければ俺は惨めな人生を送らずに済んだんだからな」
 余計な自分語りだ。記録係はうんざりした顔でその言葉を文字に起こしている。魔法使いへの憎しみも的外れだ。どう見ても自分が悪い。だが、相手が魔法使いだというだけで、こんな的外れな憎しみも同調されてしまうのがこの国だった。こんな国で魔法使い呼ばわりされるというのは相当な侮蔑であり、すべてを否定されたに等しいのだ。
 的外れで独りよがりな恨みでも、本人にとっては根深く、激しく、呪わしいものだった。
 その恨みは、目の前にいる小さな魔法使いたちに容赦なく向けられていた。
 憎しみに燃えた目で、口元にだけは狂おしい笑みを浮かべながら兵は鞭を振るった。時には殴り、蹴った。何度もやり過ぎを諌められたが、改める様子はなかった。
 目を背け、胸を隠すことも忘れて耳を塞いでいたエリアもついにこらえ切れなくなった。
「やめて!」
 兵にしがみつき懇願するエリアを、兵士は乱暴に突き飛ばした!
「触るな!」
 倒れ込んだエリアを強く足蹴にする。記録官はまた諌めなければならなかった。記録を取っている暇も無い。もううんざりして来た。
「この記録を上に見られたらお前は軍を追われるぞ。いい加減にしないか」
「上等だ。魔法使い相手にこれだけやれれば満足さ。この仕事を任されてからは、除名されてもいいから痛め付けてやるんだと心待ちにしていた」
 記録官はため息をつく。
「殺すなよ。お前の身分でこいつらをどちらかでも殺しでもしたら、お前の首も飛ぶ。魔法使いのために死にたくはないだろ」
「ああ。分かってるさ」
 兵士はまた鞭をクレイに打ち付けた。尋問も何もあったものではない。クレイも、痛みのために何を訊かれていたのかなどとうの昔に吹き飛んでいた。
「やめて!」
 またエリアは叫んだ。
「みんな言うから、もうやめて!」
「ほう。言ってみろ」
 エリアにクレイが拷問される様を見せつけるべくこの部屋に連れ込んだのは、まさにこれを狙ってのことだった。昨日の夜の二人の会話のことを知り、クレイが痛め付けられる様は、エリアにとっては自分が痛め付けられるより辛いことだということを察し、そこを突いたのだ。
「私たちが来たのは私たち以外その存在を知らない島よ」
「ほう。その島はどこにある?」
「私たちがこの世界に来て、初めてついた町がベルネサっていう所だっただった。だからその沖合だと思うわ」
「ベルネサ?聞いたことないな」
「一連の魔法使い騒ぎの発端になった町だろ。田舎町だとは言え、そのくらい覚えておけ。確か、資産家の家が魔法使いに襲われ焼けたんだったな」
 記録官が口を挟んで来た。
「それ、私たちの仕業じゃありません。ぎょろ目で髭面の盗賊の仕業です」
 エリアは強い口調で訴える。
「盗賊?魔法使いじゃなくてか?」
「私たちを兵隊に突き出して大儲けするんだって付きまとってたんです、そのお陰で魔法使いに間違われていたみたいですけど」
 突然、兵士の鞭がエリアを打った。
「質問しているのは俺なんだよ!俺を見て話せ!それに今聞いているのはお前がどこから来たかだ!」
「まあ待て。どこから来たかについては大体の話は出ているだろ」
 記録官が横槍をいれた。
「こいつらの言うことなんか信じられるものか。昨日だってそうだ。こいつらの言ったことは嘘っぱちだったろうが」
 記録官は頭を押さえた。
「言うことが何一つ信じられないのに、拷問にかけて証言を引き出そうとしているっていうのか?」
「どうせ、今言った盗賊ってのも作り話で罪もない人に魔法使いの疑いをかけて楽しんでやがるんだ。こいつらはいつもそうだ」
 どうやら彼の過去の苦い思い出にも重なるこの出来事がよほど気に障ったのだろう。
「島は地図にも描かれていないし、外からは誰も入れない魔法が掛かっているから場所を聞いても無駄よ。私たちでさえ、帰れなくなる覚悟で島を出て来たんだから」
「ふん。ウソ臭い話だ。まあいい。お前はよく話してくれた。だから……」
 兵士は突然吊り下げられたままのクレイの脇腹に拳を叩き込む。
「お前を拷問にかける分までこいつをいたぶってやる!」
「やめて!」
 エリアの声などもう届かない。兵士は鞭を振るった。
「やめないか!」
 記録係もまた諫める羽目になる。
「まだ時間はあるぜ」
「そいつは気を失っているだろ。意識の無い者を拷問にかけて何を聞き出せる?」
 そう言われ、兵士はクレイの頬を叩いた。何の反応も無い。
「ちっ。もっと俺を楽しませてくれよ」
「お前が激しくやり過ぎたんだ。手加減を知らないのか」
「そうだ。もう一つ聞くことが残っていたな。続きは女でその質問にしよう」
 答えを早く引き出せた場合、次の質問を投げかけるのはよくあることだ。だが、この兵士の場合不安ではある。
 クレイの鎖を解き、床に倒れ込んだクレイを足で乱暴に蹴りながら部屋の隅にまで転がす。降ろされてもない痛め付けられているクレイを見て泣きじゃくっていたエリアを掴んで立たせ、鎖で吊り上げた。エリアはおとなしくそれに従う。抗う気力も無いというべきかもしれない。
「さて。最後の質問だ。お前たちの目的は何だ?どこを目指していた?」
 エリアは答えない。鞭が幾度となくエリアの体を打った。それでもエリアは答えなかった。
 詳しく答えれば、世界の裏側から島に行けるかもしれないということが知れてしまう。
 もっとも魔法の使えない者には聞くだけ無駄な話かもしれない。言ってしまっても何もできないかもしれない。それでも、エリアには答えたくない理由があった。
 クレイがこれだけ酷い目にあわされたのに、自分だけ大して痛め付けられずに済んでしまっては心が苦しいのだ。
 体の痛みで心の痛みを紛らわせられるなら。そう思ったのだ。
 甘んじて鞭を受け続けるエリアに、兵士は満足しなかった。
「やはりお前の口を割らせるにはこいつだな」
 兵士はクレイに向き直り鞭を振り上げた。エリアは顔を上げ叫ぶ。
「私たちが向かってたのは世界の……っ」
 言いかけたエリアを鞭が襲う。
「ん?何か言ったか?」
 兵は続きを話そうとするエリアに鞭を叩き込み続ける。エリアから答えようとする素振りが無くなると、兵士はまたクレイに鞭を振るった。
「やめて……言うから!世界の裏ッ……!」
 エリアが言いかけると兵は向き直り、またエリアを打った。だが、エリアは続ける。
「世界の裏側でっ……魔法を使え……使えば、島に帰れるかも知れないの……うう」
 エリアの言葉を断とうと幾度となく鞭が打ち付けられたが、エリアは耐えて話した。
「悪いが何を言ったか聞こえなかったな。もう一度言ってもらおうか?」
 にやけながら兵が鞭でエリアの頬を軽く叩く。
「俺には聞こえた。しっかりと記録も取っておいた。質問は終わりだ」
 記録官が口を挟む。
「俺には聞こえなかったぜ?」
「話してる最中にそれだけ鞭を打ち付けてればな。詳細についても訊かなければならないのだろうが、お前には任せられない。切り上げるぞ」
 兵は不服そうにエリアを引きずり降ろした。
「さっさと出ろ」
 兵はエリアにそう言い、身動きのないクレイを引きずって隣の部屋に運び込んだ。エリアは落ちていた毛布を拾い上げて羽織る。傷口に触れ、少し滲みた。そのまま、ふらつく脚で拷問室をあとにした。

 拷問室の鍵を掛け、無言のまま兵は部屋を出て行った。
 エリアは恐る恐るクレイに近づく。胸が動いている。息はしている。だが、その体は傷だらけで、痛々しくて見ていられなかった。
 程なく、外でばたばたと音がし、見たことのない男たちが入り込んできた。ずかずかとクレイのほうに歩み寄っていく。エリアはクレイを庇うために立ち塞がろうとしたが、足元がふらつき思うように動けなかった。
 男たちはクレイを取り囲み、傷の様子を見ているようだ。
「傷は酷いが命に別状はないだろう。傷薬を塗っておこう。多少滲みるがな」
 そう言い、瓶に入った薬を塗り始めた。嫌な臭いのする薬だった。薬の染みたガーゼをクレイの体に押し当てるたび、クレイは短く呻いた。
 男たちが出て行くと、部屋は再び静寂に包まれた。塗り薬の決して心地よくはない臭いだけが残された。
 拷問は苛烈だったが、その分すぐに終わっていた。光も差し込まない部屋で、食事すら与えられない、外との関わりを絶たれた二人には、今の時間を知る術もなかった。
 それからの時間がとても長く、まるで永遠であるほど長く感じられた。
「いててて……」
 何も考える気力もないまま、部屋の隅で膝を抱えてうずくまり、その膝の間に顔をうずめていたエリアは、クレイの発した呻きに顔を上げた。そして、思うように動かない体を引きずり、上体を起こそうとしているクレイの肩に手をかけた。
「あいたたたた」
 手を触れたとたんに喚き出したクレイに驚き、エリアは手を引っ込めた。
「大丈夫?」
 恐る恐るそう尋ねることしか出来ないエリア。
「うん。平気だよ。でも、喉がカラカラ」
「水、汲んで来てあげるよ」
「大丈夫」
 エリアを心配させたくないからか、強がってみたいのか。クレイは気丈に立ち上がり、ふらつく足でトイレに歩いて行った。
 水を飲み、部屋に戻って来たクレイは、さっきと同じ場所に座った。
「薬、塗ってあげようか?」
 エリアはさっきの男たちが部屋の隅に残して行った傷薬に目をやりながら問いかけた。
「いや、いい。その薬、すっごく滲みるんだよ。でもやっぱり効くのかな。だいぶ痛みが引いたよ。エリアも塗ったら?」
「そんなに滲みるんじゃやめとく。あたしの傷はそんなにひどくないし」
「そうだね、やめといた方がいいかも」
 クレイはそう言うとニッと笑って見せた。どこか引きつった笑いだったが、クレイが徹底的に痛め付けられたことで心の痛みの方がひどくなっていたエリアにとって、それが一番の薬だった。

 時間を知る術を持たない二人は知る由もないが、長い夜が明けていた。
 眠ったのだろうか。それとも起き続けていたのだろうか。それさえ分からなかった。
 エリアの傷は、夜のうちに腫れてきていた。痛みに耐えかねたエリアは試しに薬を塗ってみたが、クレイの言う通りかなり滲みた。だが、時間が経つと痛みがかなり引いた。薬の効き目も、滲みるのもクレイの言った通りだった。
 ぼんやりと時の過ぎるままに過ごしていると、扉が開いて兵士が入ってきた。昨日の非道い兵士ではなく、最初に来た方の兵士だ。
「あー、こりゃひでぇな」
 兵士はクレイの様子を見てそう呟いた。クレイの傷は実際以上に酷く見えるのだ。
「あいつが俺の分まで訊問しちまったからな。もう聞くことがなにもない。明日の朝にはセレヌート港に入港する。それまでもう用はないだろう」
 そう言い残し、兵士は去っていった。
 時間も分からぬ殺風景な室内で、痛みに耐えながら過ごす時間の何と長く感じられることか。
恐らくはあの兵士が来た時間は朝、もしくは昼前だろう。二人の心の中で、それから何度の朝を迎えたころか。だが、まだ船はまだ遠く沖合にいた。

 その船が目指している港町よりももっと遠く、この国の首都、そしてその首都の中央にそびえる王城。
 その謁見室に使者が通された。
「陛下、ゼヌペス号は予定通りサラカサの港を出発し、セレヌートを目指しております。何事も無ければ明日には港に着くことでしょう」
「万事、恙無く進んでおるな」
「左様でございます。……ときに。巷では魔法使いの手先とされる魔物が頻繁に現れるようになりまして、報復があるのではないかと恐れる声も出ております。特に捕らえた魔法使いを輸送する中継点となっている町村は不安を募らせておるようでございます」
「捨て置け。そう言った町村が襲われる様であればむしろ好都合だ。スルティウムの丘では公開処刑の準備が整っている。何かあったときの対策まで含めてな。その公開処刑さえ予定通り行われれば市井は落ち着きを取り戻すだろう」
「では、御意のままに」
 使者は恭しく頭を垂れて下がった。
 国王は側近の一人を使いに出し、司祭を呼び出した。
「捕らえた魔法使いは予定通りに港に着くようだ。そちらの準備は整っているか?」
「は。棺は今頃届けられたころかと。城内の準備も整ったところでございます」
「あい分かった。教皇がこの件に気付かずにいることを祈るばかりよの」
 国王はそう呟いた。

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