マジカル冒険譚・マジカルアイル

08.逃避行

 タバロックの虫の居所は相当に悪かった。服を焼かれて裸にされたうえに、財布の金が半分近く無くなったのだ。金こそ人生というタバロックにとって、金がなくなったことは人生を失ったに等しい。新しい服を着てもその怒りは収まるはずも無かった。
 そこに、落とした金を探しに行った仲間が帰って来た。ついでに、魔法を食らってひっくり返っていたのを見捨てて来た仲間も連れて来た。
 仲間が見つけて持って来たコインはたったの五枚だった。
「何だこれは!こんなに少ない訳がねぇ!」
「魔法使いのガキどもが拾い集めてたぜ。上着に残ってた分だけは見落としたみたいだ。そいつはその分な」
「盗っ人の上前刎ねるたぁ、なんてガキどもだ。しかも強盗じゃねぇか。流石は魔法使いだ、悪党だ」
 見捨てられていた仲間も慌てて自分の財布を捜す。全額無事だったのでほっとしたようだ。
「しみったれた額だが、約束通り一割もらうぜ。パンも買えねぇがな」
「ロールパンなら買えるだろうが。……あのガキめ。ただじゃおかねぇ」
 腹の虫が治まらないタバロック。周りの仲間達はと言うと、パンの話で昼飯がまだであることを思い出し腹の虫がいっせいに鳴き出していた。

 クレイとエリアは奪った金でランチを済ませ、今後について考えていた。
 今日はひとまず時間も遅いのでこの町に留まるとして、その後どうするか。なにせ、この町からは何本もの街道が伸び、その数だけ町と繋がっている。どっちに行くとよいのか。
 世界の裏側を目指しているのだから、方向は当然そちらを目指すことになる。海沿いのルートなら町が多く、旅も順調に進みそうだが、少し遠回りになる。一方、内陸のルートはほぼ真っすぐ進めるが、町がまばらだ。馬車でも一日では着きそうにない長さの道もある。
 結局、二人は海沿いの道を選んだ。決め手はエリアの持っていた観光ガイド本だった。通過線上にその本にも載っている風光明媚な美しい岬の町アラスルタサがあったからだ。添えられているイラストからして、相当に美しい景色が見られそうだった。料理もおいしいと言う。せっかく外の世界に出たのだ。どうせ急いでもものすごい長旅になるだろう。それなら楽しまなくては損だ。
 問題は、タバロックが落とした分でいくらか増えたとは言え、今後お金をどうするかだ。
 いずれにせよ、当分は大丈夫だ。あまり先のことを考えて不安になるのはやめにすることにした。

 結局その日の午後はのんびりと過ごした。魔法も使い物になるようになったし、この世界にも慣れてきた。ようやく人心地と言ったところだ。
 真夜中。いや、もう明け方と言ってもいい時間だ。
 二人の泊まっている宿の屋上に蠢く怪しい集団。もちろん、しつこいタバロックたちだ。
 二人の泊まっている部屋は目星が着いている。仲間の一人が屋上からロープを垂らした。そのロープを仲間の一人が降り、窓の鎧戸を音も無く外し、そして窓を蹴破った。
 この時間、熟睡していればこの音でも目覚めない人もいる。だが、この日は二人とも昼間や今までの疲れが出、いつもより早めに眠りについていた。お陰で、その物音でいち早く跳び起きた。
 割られた窓から入って来た見覚えある男に二人は身を寄せ合った。そして、ドアから部屋を出ようとする。
 カギを開けドアを開けると、部屋の前にはタバロックたちが待ち受けていた。
「お招きありがとよ」
 挟み撃ちだ。逃げ場は無い。二人は呪文を唱え始める。
「押さえろ!その口を塞げ!」
 盗賊たちは先手を打って二人に飛びかかり口元を押さえた。
 クレイは盗賊の手に噛み付き、怯んだ隙に抜け出す。エリアが捕まったままだ。
 クレイは力を集めるのもそこそこに電光の魔法を放った。口を塞がれる前に唱えていた分でそこそこに力が集まっていたらしく、強烈な閃光と、狙われた盗賊に激しい電撃が襲いかかった。エリアは解放された。
 エリアも急いで呪文を唱える。火の魔法。こちらは大した威力では無かった。
「魔法使いだ!」
 突然声がした。騒ぎの物音に隣の部屋の客が起き出し、呪文の詠唱と魔法の発動を目撃したのだ。部屋の中の騒ぎと部屋の外の闇でそれに気づかなかった。
 何人か駆けつけて来た。
「女の声だ!呪文を唱えていたのは女だ!」
 今ここに女はエリアしかいない。
「俺達ゃ魔法使いを捕まえに来たんだ。あんたらも手伝うんだ!」
 勝ち誇ったように言うタバロック。だが、魔法が怖いのか誰も手出しをしようとはしない。
「ちっ。まあいい」
 二人は瞬く間に取り押さえられ、猿轡を噛まされ、手足を縛られた。
「兵隊に突き出すのは後だ。その間、今までの分何倍にもして返してやる」
 盗賊たちは二人と二人の荷物を抱え、悠々と宿を出て行った。
 ここまではタバロックも勝ちを疑っていなかったが、事態は一変する。屋上から窓を破って侵入する怪しい人影を見たと言われた兵士が駆けつけたのだ。
 そんな兵士たちが、縛られた子供を担いで歩くガラの悪い男どもを見てどう思うかは想像にも難くないだろう。
「ややっ!人攫いか!」
 兵士は槍を構え、仲間を呼ぶべく笛を吹いた。
「ちょっと待て!こいつらは魔法使いであんたらに預けようと……」
「下手な言い訳はやめろ!誰が信じるか!」
 タバロックたちは逃げるしかない。だが、二人を担いだ盗賊と二人の荷物を持った盗賊の四人はすぐに追いつかれてしまった。
「さあ、子供を放すんだ」
「どうなっても知らねぇぞ」
 渋々二人は解放された。
「その荷物も置いて行け」
「これは俺達のだ」
 だが、中身を改めると女の子の服が出てくる。
「どう見てもその子の荷物だな」
「でも財布の金は紛れも無く俺の仲間の金で……」
「そんな訳がないだろう」
 これに関しては嘘は言っていないのだが、信じる方が無理というものだ。
 結局、盗賊はすべてを取り上げられたばかりか、人攫いとして捕まってしまうのだった。
「ありがとうございます」
 エリアとクレイはお辞儀をしてその場をいそいそと去って行った。
 その後、改めて宿に調べに入った兵士が、子供が魔法を使ったという話を聞かされ、自分たちが助けたのがその魔法使いと気づくことになる。だが、責任をとらされる事を恐れ、これは無かったことになってしまうのだった。
 ただ、翌朝の新聞には魔法使いは男の子と女の子の二人連れと大きく書かれた。
 二人は新聞ことまでは知らなかったが、自分達の方を見てひそひそと何かを言い合う町の人達の反応から、自分たちが何かを疑われていることをひしひしと感じずにはいられなかった。
 早くこの町を出よう。そう決意し、トラベラーズギルドに向かう。だが、そこにはタバロックたちが待ち受けていた。朝方兵士に捕まった四人も解放されたようだ。実際に縄で縛った子供を担いでいたのだから言い訳もできるはずは無いのだが、魔法使いを逃がしたことをばらすぞと脅されては仕方ない。特例という訳だ。
「いよう。どうだ?正体がばれて追われる身になった感想は。もう町のあちこちに子供二人は魔法使いかもって貼り出されてるぜ?こりゃ、馬車にも乗れねぇなぁ」
 本当にそんなものが貼り出されているのは見ていないが、二人が行った所も喫茶店だけだ。他の場所のことは分からない。
 いずれにせよ、ここで馬車に乗ろうとしても、二人のそばでタバロックが何か言い出して邪魔をするだろう。
「おまえらは頑張ったよ。でもガキが大人に勝とうなんて百年はえぇ。いや、おまえらには百年どころかこの先一年もねぇがな」
 盗賊たちは声をそろえて笑った。
「そうね。でも、あんたらみたいな悪い大人が英雄になれるなんて思わないことね。あんたらには捕まってやらない。それなら自分から名乗り出るわ」
 エリアが強がりなのか破れかぶれなのか分からない言葉を放った。
「そうかい。それじゃ、おまえらを生かしておいても金にはならねぇな。せめておまえらが俺たちからくすねた金は返してもらうぜ」
 盗賊たちはいっせいに向かって来た。二人は逃げ出す。
 魔法使いやら怪物やらが続出して警戒を強めている兵隊がその姿に気づいた。普通なら追われている方を助けるところだが、今警戒中の子供二人の組み合わせなので迷う兵士。
「魔法使いだ!捕まえろ!」
 タバロックの声で兵士が動き出した。もちろん、二人を捕まえるためだ。
 子供の足では兵士からもタバロックからも逃げ切れない。
 クレイは走りながら呪文を唱える。二人の後ろに火柱が巻き起こった。追っ手たちは怯み、足を止める。
 だが、兵士たちは方々から現れては二人の行く手を阻む。思うように逃げられない。二人は広い町の、どことも知れない場所に追い込まれて行く。
 橋に差しかかった。大きな川だ。
「飛び降りよう!」
 クレイはエリアに呼びかける。エリアはうなずいた。二人は橋から川に身を踊らせた。
 兵士たちは鎧を着込んでいるので川に飛び込めない。悔しそうに流されて行く二人を見送った。
 一方、クレイたちも溺れまいと必死だ。背負っている荷物が思ったより沈む。エリアは必死に呪文を唱え、浮かび上がろうとする。クレイの荷物には重いコインも入っている。息さえままならない有り様だ。
 エリアはようやく浮かび上がった。クレイが溺れていることに気づき、慌ててクレイを浮かび上げる呪文を唱えた。
 浮かび上がったクレイは、飲み込んでしまった水にむせながらも「ありがと」と言った。
 岸にたどり着いた二人は、すっかり水を吸って重くなった荷物を下ろした。
 だいぶ流されたらしく、町は遠くなっている。
 水を吸った地図を慎重に広げる。恐らくこの大きな川はベデルザークを横切り、海に向けて流れる川だろう。このまま川を辿って行くと海沿いの町ノレスにつく。だが、今までの情報の伝わりの速さを考えると、ノレスにたどり着くころには二人の話が近くの町にまで届いてしまうだろう。しばらく町には近づかない方がいい。
 順調に思えた二人の旅は早くも行き詰まってしまった。

 何に使うつもりなのかとエリアに訝られた、クレイの買ったロープが役に立つ時が来た。
 日の当たる木の間に渡し、濡れてしまった服を並べて掛けて干しているのだ。
 クレイは着ていた物も脱いで干してしまったが、エリアにはそんなことはできない。びしょ濡れのままの服を着ていると日なたにいても川辺の強い風に体がどんどん冷えてくる。
 クレイが枯れ枝や枯れ草を集めてくれたので、それを燃やして暖を取った。
 エリアは相当落ち込んでいるようだった。何かあったときもいつも強気なエリアだが、その後落ち込むことが多い。島の学校でも、何かあってもその場は強がるが、帰り道、人気の無い所でしょげているのをよく見た。
 こういうとき、どう声を掛ければいいのかクレイには分からない。島でもそんなエリアを遠くから見守ることしかできなかった。
 いつも、次の日にはけろっとした顔で学校に来ていた。みんなの前では強がりたがるエリアだ。何でもないように振る舞っていただけかもしれない。
「エリア。干してある服、随分乾いてきたよ。こっちに着替えたら?」
 勇気を振り絞って声を掛けてみた。
「うん」
 エリアは返事はしたがうつむいたまま顔も上げようとしない。
「風邪引いちゃうよ」
 大丈夫よ、と強がる言葉を返してくるかと思ったが、黙ったままだ。
「何か食べる物探してくるね」
 こんなエリアを一人残して行くことは気が引けたが、何分お腹は空いている。
 近くに食べられそうな実がなっている木は無い。川が近いのだから魚はいるだろう。釣りの道具も何も無いが、見つけたら魔法で引き寄せれば捕まえられる。
 川は大きく水はあまり澄んでおらず、魚の姿は見えない。
 見えない魚を捕まえる呪文でもあればいいのに、と考えるが、クレイの覚えている呪文の語彙ではそこまで複雑な事はできない。エリアなら思いつくかなぁ、などと思うが、エリアがあんな状態ではそうも行かない。
 などと考えていると、大きな鳥が川に突っ込み、大きな魚を咥え上げて来た。
 いいなぁ、と思うクレイだが、閃いてしまった。すぐさま呪文を唱えるクレイ。
 鳥が、まさに飲み込もうとしていた魚がひゅーいとクレイの方に飛んで来た。鳥はポカンとした顔でこっちを見ている。
「ごめんね!」
 鳥に言葉が通じる訳がないが、クレイは鳥が捕まえた魚を横取りしてしまったことを謝った。
 まだ暴れる魚を何度も落としながらもどうにかエリアのところに持って行った。クレイがいない間にエリアは着替えていた。
「大きな魚捕まえたよ!」
 エリアは少しだけ顔を上げた。
「ほんと、大きいね」
 まだ元気がないが、さっきよりはましになったようだ。
「元気だしなよ」
「うん。……クレイ、ごめんね」
「えっ、なにが?」
「ごめんね」
 何についてごめんと言っているのかはエリアにしか分かりそうにない。
「謝るようなことなんて何も無いじゃない」
「いつも偉そうにしてるのに、こんな大変なときに何もできなくて、クレイに頼り切りなんて。私ってだめだね」
「そんな事無いよ。そうだ、ねえエリア。この魚を焼くのにたくさんたきぎがいると思うんだ。一緒に集めようよ」
「……うん」
 エリアは一呼吸置いた後、ゆっくりと立ち上がった。
 クレイはエリアの手を引き、林の中に入って行く。
「クレイ、何か生臭いよ」
「あんな大きな魚抱えて来たんだからしょうがないじゃないか」
 そう言うとエリアは少しだけ笑った。

 薪を集め、魚のところに戻るとカラスが魚の目玉をつついていた。
 カラスを追い飛ばし、薪を積み上げ、魚を焼き始めた。
 魚は外がちょっと焦げ、中は生焼けだった。仕方ないので魔法で焼き直す。食べるとちょっと泥臭く、決しておいしいとまでは言えなかったが、二人は夢中で食べた。
 日は傾き出しているが、荷物をまとめて二人は歩き始めた。島の湖の幅ほどあるような川沿いに。
 川は地平線まで広がる草原を横切る。
「ねえ、クレイ。世界って広いね」
「そうだね」
「こんだけ広いんだもの、私たちが居られる場所だっていくらでもあるよね」
「うん。そうだね」
「どこかに、魔法使いだって事を隠さなくても生きて行ける場所、あるよね」
「うん。きっとあるよ」
「もし、このまま帰れなくても、外の世界に来てよかったって思える日が来るよね」
「僕はずっとそう思ってるよ」
「えっ?何で」
「だって、僕たちの知らなかったことがこんなにある。島の人間でこの世界を見たのは僕たちだけなんだよ。早く帰ってみんなに自慢したいよ」
「……そうね」
「あっ、そういえばエリアはラルフロイの事があったんだっけ。帰りたくない?」
「ううん。帰りたい。またラルフロイがしつこくして来たら、今度は外の世界に行ったきり帰ってこないって言えば、もうパパだってラルフロイの事、近づけもしなくなると思うわ」
 そう言い、エリアはくすっと笑った。
「帰ろう。絶対島に帰ろう」
「うん!」
 クレイが力強く言うと、エリアも力強く頷いた。

 日が暮れ、夜が訪れた。町はまだ見えない。
 辺りは何も無い原っぱ、河原は風が冷たい。二人は草の上に寝転び、昼間乾かしたばかりの服を全部引っ張り出して布団代わりに体の上にかけた。
 見上げると満天の星空だった。島に居るときと何一つ変わりない星空。
 やはり風は冷たく、夜露が二人の頬を濡らした。クレイは昼間長い間濡れた服のままだったエリアが風邪を引いていないか心配した。
 クレイは体を起こした。
「眠れないの?」
 エリアの声がした。エリアも眠れないようだ。
「寒いの?」
「ううん。これからのこと考えたらやっぱり不安になっちゃって」
 いつも姐御肌で強気だったエリアだが、本当はとても傷つきやすくて臆病で、それを隠すために虚勢を張っていたのだ。人一倍努力もした。自信をつけることでいつも前向きでいられた。
 実を言えば、男の子で才能もあるはずなのに今一つ頼りないクレイを、男の子の中では一番の友達にしていたのも、私の方ができる子なんだと思えるからだった。
 案の定、男の子の中では一番エリアに対して突っ張る事なく素直に接してくれていた。いや、高飛車なエリアは女の子同士では少し浮いていたかもしれない。
 エリアが外の世界に行こうと決めたとき、クレイを無理やり連れ出したのも、クレイも行きたがってたからと言う訳ばかりではない。一人きりで知らない世界に飛び込む勇気が無かったのだ。
 こんなことになってしまい、エリアは激しく後悔していた。癇癪にクレイを巻き込んだあげく、危険な目に遭わせ、塞ぎ込んで何もできなくなり面倒を掛けてしまった。
 できる子だと思い続けて来た自信が打ち砕かれてしまった。私はだめだ。さっき呟いた一言は本音だった。
 星空を見ながら、姿の見えない隣のクレイにそんな思いを、すべて語った。
「さっきのごめんねは、それ。巻き込んじゃってごめんね。本当はだめなのに、いつも偉そうでごめんね。きっとこれから、また一杯迷惑掛けちゃうけど、ごめんね」
 声は震えなかったが、エリアの目からはいくつも涙が落ちた。
 エリアが黙り込んだので、クレイはエリアに語りかけた。
「エリアは頑張って来たんだね。ずっと頑張ってなんとかしてきたんだね。それならこれからも頑張ればきっとどうにかなるよ。いつか、頑張らなくてもどうにかできるようになるまで、頑張れ」
「そうだね。私頑張る。頑張るよ」
 失いかけていた自信を取り戻せそうな気がした。ただ頑張ればいいのだ。頑張るのは得意だ。
 それに今は一人じゃない。頑張れそうな気がした。

 暖かな朝日が二人を包む。クレイは眩しさに目を覚ました。
 エリアはまだ眠っている。
 昨日鳥から横取りした魚は、夕方に食べ尽くしてしまった。また食べ物を探さなければならない。だが、昨日のような幸運は立て続けに起こるものでもないし、かといって近くに木や何かがある訳ではない。
 クレイは考え、ふと閃いた。
 空を飛ぶ魔法。
 呪文を唱え、ひょいと空に舞い上がる。高い目線で辺りを見渡すと、遠くに町が見えた。地図にあった、下流の町ノレスだろう。
 魔法が唐突に切れ、クレイは落ち始めた。
 地面に叩きつけられる直前、一瞬だけクレイの体が止まった。
「もう、何やってるのよ、危ないなぁ」
 エリアがクレイを止めてくれたのだ。高さは落ちてもせいぜい痣ができる程度の高さだったが、痛い思いはせずに済んだ。
「まさかこんなに急に魔法が切れると思わなくてさ。あ、そうだ。町、見えたよ」
「町、か」
 エリアはふっと寂しげな顔をした。
「ねえ、考えたんだけどさ、子供二人は魔法使いだって思われてるんだよね?それなら一人だけで行けば魔法使いだって思われないんじゃないかな」
「なるほどね。クレイにしては冴えてるじゃない」
「僕にしてはって何だよぉ」
 クレイは拗ねた。まあ、この位の減らず口が利けるなら、いつも通りだ。

 町がはっきりと見えるところまできた。
「私はここで待ってる。クレイ、行ってきて」
「うん」
「絶対帰ってきてよ」
「大丈夫だって」
 クレイは小走りに行ってしまった。
 自分で行くのが怖いからクレイを行かせてしまった。
 これで、もしクレイに何かあったらどうしよう。
 不安や後悔がエリアの胸に渦巻き出す。
 だめ、がんばらなきゃ。
 エリアは頑張った。
 だが、クレイはなかなか戻っては来なかった。
 エリアがそろそろ頑張り切れなくなりそうになったころ、大きな袋を持ったクレイがよろよろしながら帰ってきた。
「何やってたのよ、ばかぁ!」
 エリアは泣きそうになった。
「ごめんごめん、しばらく買い物できないかと思って食べ物たくさん買ってきたんだ」
 その、たくさんの買い物と、買いまくった荷物をよろよろしながら運んだせいで、こんなに時間が掛かっていたのだ。
「こんなに買ってどうするのよ。重くて持てないじゃない。それに果物なんて早く食べなきゃ傷んじゃう」
「あ。それもそうだ」
 別な意味でやっぱり自分が行けばよかったと思うエリア。
 しかし、いいアイディアを思いつく。フルーツはドライフルーツにすればいいのだ。
 何も干したりしなくても、魔法でたちどころにドライフルーツができあがる。これで日もちもするし、かさも減ったし軽くなった。
 他は干し肉に魚の干物など、ちゃんと保存食を買ってきている。これで食べ物の心配は当分無さそうだ。

 このまま道なりに進めば海沿いのルートになるが、こうなっては遠回りは得策ではない。コンパスを使い、最短距離の道なき道を進むことにした。
 さらに、ただ歩いていては丸っきり埒が明かない。せっかく魔法も使えるのだし、人目もない。魔法で飛んで行けば馬車よりも速い。
 ただ、そうそう簡単な話ではない。
 力を集める呪文を唱え、飛ぶ呪文を唱える。飛び続ける呪文を唱える前にまた力を集める呪文を唱えなければならない。
 早口言葉のように呪文を唱え続けなければならない。呪文を噛んだり間違えたりするとすぐに下草に顔を叩かれたり、草むらに頭を突っ込んだりする。そのたび詠唱が止まり、そのまま墜落してしまうのだ。あまり高く飛べないが、高いところから落ちて大ケガをする心配はないので、その方がいいのかもしれない。
 呪文の唱え過ぎですぐに舌と顎が疲れ、口が渇いた。
 口が疲れたら歩き、足が疲れたら飛ぶ。それを繰り返しているうちに、横手に町が見えた。向かっているはずの町だろうか。真っすぐ向かっているつもりだったが、少しずれていたらしい。少しなので気づくことができたが、大きくずれていたら何もない原野を延々と飛び続ける羽目になっただろう。
 また自分が行くと言うクレイを引き留め、今度は勇気を出してエリアが町に行くことにした。
 昨日の夜は寒かったので、毛布でもあれば、と思っていたが、もっといいものを見たことがあるのを思い出す。
 トラベラーズギルドにちゃんとそれは置いてあった。寝袋だ。中は綿なのでそんなに重くはないのだが、思ったよりもかさ張る。本当は何か軽食でも買って行ってあげようかとも思ったが、もう持てそうにない。
 よろよろと歩きながら町外れに来る。クレイがいる辺りにきているのだが、クレイの姿はない。エリアはまた不安になった。
 よく探すと、茂みの中で昼寝しているクレイを見つけた。無性に腹が立ったエリアは、寝袋をクレイに投げ付けた。クレイは驚いて跳び起きた。
「あっ。お帰り」
「お帰りじゃないわよ!いないかと思って心配したじゃない!もう、行かせても待たせても心配ばっかり!」
「ごめんごめん」
 エリアは買ってくるつもりだった軽食を買うため、改めて町に向かった。クレイは買ったばかりの寝袋の寝心地を試すことにした。

 トルティーヤで空腹の癒えた二人は、次の町に向けて飛び立った。寝袋の分重くなり、飛ぶのが大変だ。やっぱり毛布にしておけばよかったかなとも思うが、寝心地のよさはクレイの太鼓判付きだ。
 大草原はやがて森になる。木を飛び越えるほどの高度は出せない。頑張ればどうにかなるかもしれないが、危ないし無理をすることはない。森を避け、草原の上を飛ぶ。お陰で二人は自分の居場所がどこか分からなくなった。
 ここがどこなのかは分からないが、日が暮れたので寝ることにした。
 クレイが言うほど寝心地がいいとは思えなかったが、夜風に晒されて眠るよりは遥かにましだ。
 野宿二日目の夜明けは雨だった。顔に当たる雨の滴に目を覚ます。ぱらぱらと降り出した雨は夜が明け切るころにはざあざあと降るほどになっていた。
 雨の中、傘をさして飛ぶ訳にも行かない。飛べないことはないが、足や荷物が濡れてしまう。
 二人は飛んでは入れない森の中を突っ切ってみることにした。
 島の、グレックの庵のあった森を思い出す。もっともこの森は島よりも広いのだ。だから当然島の森よりも広い。
 自分がどちらに進んでいるのかさえ分からなくなる深い森。コンパスだけが頼りだ。
 あちこちで何かの気配がする。何がいるのか姿は見えない。
 辺りが真っ暗になっても森を抜けることはできなかった。
 夜の森はより気味が悪い。得体の知れない声がし、何物かが木の枝を揺らす。
 結局、余りよく眠れなかった。
 夜が明け、ようやく木々の合間から広い平原が見えたとき、心から安心し、胸を撫で下ろした。もう二度と森には入らないと二人は心に決めた。
 まだ、ここがどこなのか分からない。
 真上に高く飛び上がってみると、遠くに町が見えた。
 町は前の町の隣だった。森の中は歩きだったので距離は稼げていない。大損だった。
 それでも自分たちの居場所が分かっただけでもだいぶよかった。
 この町では小さな鍋と調味料を買った。荷物はまた重くなってしまうが、干した肉や魚、ドライフルーツを齧りながら水ばかり飲む食事に飽きてしまったのだ。
 そろそろ魔法使いの噂が薄れて来ているころか、と思って町の中で様子を見てみる。
 町の掲示板に、魔法使いに注意と言うポスターが貼り出されていた。この近隣で目撃された魔法使いとして、クレイとエリアのことらしい子供二人と、ぎょろ目髭面悪党顔のタバロックのことが書かれていた。髭は剃ったがまだ疑いは晴れていないらしい。クレイたちのことも、ぼさぼさ頭の少年と長髪の少女と、見た目の特徴が書かれていた。
 他に、その親玉とおぼしき初老男性魔法使いの情報ありとも書かれている。ベデルザークに現れた魔法使いのことだろう。仲間だと思われているようだ。
 いずれにせよ、こんな離れたところにまで知れ渡っているようではまだまだ堂々と町中を歩くことはできなそうだ。
 クレイは町の外で待っていたエリアのところに戻り、そのことを伝えた。
 エリアはそう、とだけ言いため息をついた。

 地図を開き、今までの道程を確かめる。国内の半分のそのまた半分ほどは移動して来た。世界から見ればほんの少しだが、それでも着実に進んでいる。
 海も近い。二人は海を目指した。
 日が暮れるころ、海が見えた。ゴツゴツした岩の崖に砕ける、波の荒い海だ。
 海岸に沿い、夕日を背に進む。
 海岸で網を引いている漁師たちが見えた。漁師たちもクレイたちの姿に気づいた。動揺したエリアは落ちそうになる。
 少し過ぎたところで二人は一度地面に降りた。
「見られたよね?」
 エリアは不安そうに言った。
「うん。でもきっと大丈夫だよ。先を急ごう。早く遠くに行こう」
 エリアは頷いた。二人はまた飛び上がった。

 翌日。二人は町には寄らず先を急いだ。二人を見たという噂が広まるよりも早く離れて行けばいい。そう思ったのだ。
 飛べるだけ飛び、疲れたら歩き、また飛ぶ。できるだけ、遠くの町へ。
 次の町が見えて来た。
 もう大丈夫だろうか。二人は町の近くに降り立った。
 エリアが町に向かって歩き始めたとき、町の方から何かが向かってくるのが見えた。馬だということは遠目にも分かった。
 二人は急いで逃げ出す。飛んで必死に逃げる。だが、追っ手はどんどん迫って来た。速い。とんでもなく速い。
 飛べば馬車よりも速い。確かにその通りだった。
 だが、早馬の速さを二人は知らなかった。早馬で伝え、昼夜を問わず伝えられればすぐさま別な馬が出て隣に伝える。そんな伝令の速さも二人は知らなかった。
 昨日姿を見られた後、その話はすぐさま近隣に伝えられ、瞬く間に広められた。
 知らせを受けた町は見張りを立てた。ベデルザークから逃げ、次に見られた場所。その二つの点から、二人が向かっている方向は予測され、案の定の場所に、案の定の方向から飛んで来たのだ。望遠鏡を使って見張っていた兵士は、遠くてもその姿をしっかりと見ていたのだ。
 その姿を見つけた兵士たちは騎馬に跨がり、一直線に向かって来た。
 猛烈な勢いで駆けてくる騎兵に二人は見る見る距離を詰められた。逃げ切れないと察したクレイは地面に降り立ち、迫り来る騎兵の足元に炎を巻き起こした。だが、騎馬はまるで怯まない。突っ込んで来た騎兵の槍の柄がクレイを叩いた。クレイは倒れ込む。
 エリアも雷撃を浴びせる。これには騎馬が驚き、暴れて近くの騎馬を巻き込んだ。
 騎兵たちはエリアに狙いをつけた。今度は起き上がったクレイが雷撃を浴びせた。馬ではなく兵に電光は飛んだが、音と閃光に騎馬が混乱し、暴走を始める。
 その隙に二人は宙を駆け、逃げた。まだ追っ手は来る。
 目の前に川が迫っていた。二人は川の上に飛び出した。ようやく追っ手は諦めた。
 川の対岸に渡り、一息つく。少しだけ休んだ後、その場所を離れて薄闇の中を飛んだ。
 辺りが闇に包まれたころ、二人は見晴らしのいい場所に降りた。
 もう、鍋を使う気力もなかった。ドライフルーツだけを食べた後、寝袋に包まった。
 疲れのためにクレイはすぐに眠ってしまったが、エリアは不安でいつまでも眠れなかった。

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