魔竜船での旅は極めて快適であった。マイデルからは壮絶な船酔いに襲われるなどと触れ込まれていたのに、いい意味で話が違う。そもそも、その話は魔竜船の最初期の話なのだ。
魔法で航行する超高速の船というアイディアは良かったが、水上では水の抵抗や波の影響が大きすぎた。そして蛇行する河でそんな船を動かせば酔うに決まっていた。船に慣れない内陸国のラブラシス人ならばなおさら。その頃開発に協力していたアドウェンが試作の船に乗った者の体験談を聞き、マイデルと会った時に近況がてらの世間話で語った。つまり自分の体験ですらない。
安定度を増すために船を大きくしてもラブラシスにはそんな大きな船が航行できる海も大河さえもなく、宙に浮かせるという発想が出るまでそれほど時間を要さない。そして宙に浮かせれば大きなメリットがあった。海までのルートは起伏の少ない砂漠が大部分、浮遊する船なら通り抜けやすかったのだ。道やレール、水路などのインフラを整備する必要もないのも大きい。その特性のせいで森や崖など障害物の多い王国方面への航路が成り立たないデメリットはあるのだが。
なお、アドウェンの協力は浮遊する船としての原理を作り上げる段階までで、その先は順調に開発が進んでいることを聞く程度。なのでエイダにも初期の絶叫マシーンぶりとその後開発が無事終了し運用が開始されたという話しか伝わっておらず、それでもちゃんと運用しているなら流石に乗り心地はマシになっている……よね?と言う感じであった。
さておき、積み荷の入れ替えとメンテナンスが終わった真夜中、アナウンス通り船は出航した。それはその時間でも起きているかあるいは敏感な乗客でないと気付かないほどに静かな出航だった。ルスラン達は寝ていたがそんな敏感な乗客だった。出航した気配で目を醒ましはしたが、いつの間にか動いてた、と思ったくらいでまたすぐに泥のように眠りに落ちた。ゴードンだけは起きていたが、出航したことなど全く気にしていない。
船がちゃんと動いているのをルスラン達が確認したのは翌朝である。窓の外の景色が凄いスピードで後ろに流れていく。この状況で太平楽に寝こけていたことに驚愕するほどだ。
そして外の景色は既に一面の砂漠である。砂塵の切れ間に緩やかに流れるマナの川が見えている。これを辿った先にあるのがアズマだ。砂の海に浮かぶわずかな緑の大地に集う風変わりな民族の国。
暫く川沿いに進むと枯れた巨木の幹が見えてきた。あれこそアズマのシンボルとも言えるものである。千年ほど前はこの辺りもラブラシス周辺と同じく妖樹の森が広がっていた。しかし森の中で生まれた最悪の存在によって森は失われた。悪名高きダークドライアド・グリーディである。
厳密に言えばダークドライアドという種族は存在していない。悪人・悪党はいくらでもいるが、悪人・悪党という種族はいないのと同じ。本来自由奔放なドライアドのうち、特に性質の悪いものをダークドライアドと呼んでいるだけなのだ。マナにより変質し心を宿した木、それが妖樹であり宿っているのは樹妖精。それが木自体に受肉すればトレントとなる。そしてトレントの成長・進化した姿がドライアドだ。
グリーディは欲望と言うその呼び名の通り、貪欲に根を伸ばし葉を茂らせて水も養分も光さえも独占した。周囲の木々は痩せ枯れていく。そこに自分の子である種を落とし、芽吹いた苗木はやがて成長して同じように周囲から全てを奪い、落葉で少しずつグリーディに還元しつつ最後には枯れて自らもグリーディに取り込まれる。こうして森ばかりか周囲の平原さえも枯れ果て、手の届く範囲の全てを奪い尽くした。痩せ切った土地は農作物も育たず、グリーディを切り倒すことも焼き払うことも失敗した人間も去った。
そうなってからグリーディが真に欲していたものが失われていたことに気付く。意識されることで存在が維持される精神体であるドライアドにとって、忘れられることは死に似ている。今やその存在を誇示できる相手は鳥や獣ばかり、そこには孤独と永遠の時間しか残っていなかったのだ。
百年以上の孤独を過ごし、消えてもいないのに伝説だけが残り名前も忘れられたその大樹の元に、どこからともなくやってきたのがアズマの民であった。遙か西方にあった故国を滅ぼされた彼らは、信仰する太陽の昇る東に旅を続け、日の陰らぬ沙海の果てにて昼間であれば絶えることなく注ぐ陽光を一身に受ける神樹を目にした。人々はその地をそのまま東を意味するアズマと名付け定住を始めた。
彼らの間には三つ子の魂百までと言う諺があったが、それは肉体によって形を定められた魂だから大きく変化できないだけ。精神だけの存在は信仰する者たちの思いによって容易くその性質を変えていく。特に意志の薄い存在から成り上がったドライアドのような存在は。
一度忘れ去れてまっさらになった所にありがたい神樹として認識されたことで、そのドライアドも斯く在ろうとした。奪う妖樹だったグリーディは食料として実を、肥料として落ち葉を、薪として折れた枝を与える恵みの木となった。アズマの民がそういう物の利用に長けていたという性質もあったのだが、とにかくかつては人を寄せ付けなかった大樹とも共存したのだ。
しかしそれも長くは続かなかった。失われたのは大樹の方である。それが単に木の寿命だったのか、人々に与え奪われすぎて痩せて枯れたのかは分からないが、かつて伐ろう枯らそうと努力した人々を嘲笑い成長し続けた大樹は皮肉にも、大切に崇められ守られる中で静かに枯れていったのである。
今、アズマの地は枯れ果てた砂漠の中にある。大樹の実から採れた種が植えられ森になった湖の周りに町が広がる。しかし目立つのはやはり枯れ果ててなお威容を放つ大樹であった。と言うか、実は今この大樹の幹はくり抜かれていろいろと利用されていたりする。枯れ果ててもそれを恵みとして利用し尽くす、それが彼らの崇め方だ。
魔竜船がそのアズマに到着したのは夕刻。乗客の乗り降りや荷物の積み下ろしが終わったらすぐに出航である。ほんの10年前は人を拒む沙海に閉ざされた秘境だったが、今は金さえあれば気軽に来ることができる観光地として注目されている。
ルスランたちもカンナらの故郷ということで興味も湧くし、町並みだけでも不思議な雰囲気があり興味を誘う。立ち寄ってゆっくり見たい気持ちはいやが上にも沸き上がるが、今は観光をしている場合ではない。帰りに寄れたらゆっくり寄ろう。そう思いながら今回は素通りした。
アズマを出航した船は砂漠を更に進みメラドカイン連邦に入った。ブラマハド、ガントラと経由し海上に出ると魔竜船はここで進行方向を変えて海沿いに西を目指す。海の上に出たのなら素直に海面を進んでも良さそうなものだが、持ち味であるスピードのためにあくまでも空中を進んでいく。しかし水面ぎりぎりを一定高度で飛べるのはマナ節約の為に非常に大きい。
内陸育ちのルスランにとって海を見るのは初めてだ。馬での旅なら心行くまで海を満喫したいところであるがそうもいかない。魔竜船というのは急ぎの旅で乗るものだというのが身に沁みて解る。面白そうなところも素通りで生殺しだ。いつか自由に旅ができる立場になりたいものだと思えた。
例えば。
「うえっ!?なにあれ、どうなってるの!?」
アミアは思わずそう喚き、他の乗客も大いにざわめいたそれ。ムンシャ=アフマルと言う町がある、いやほんの少し前まであったはずの場所に聳える赤熱した山。事情を知るものから災禍があって町は滅び山ができたと聞いたが、そんな凄そうなものも横を通り過ぎることしかできないのである。
そして、マズルキに到着した。まずは情報収集からだ。それについてはとても頼もしい助っ人がいる。ゴードンが現地の特派員に状況を問い合わせればこの一帯の最新情報が一発で手に入るのだ。戦闘で役に立つ人物には見えないしここが彼にとっての一番の見せ場となるかも知れない。
大事件はすでに起きていた。言うまでもなくムンシャ=アフマルの町が壊滅した大事件だった。と言うか、これが災害ではなく事件だと言うことにまず驚く。
事件の切っ掛けはムハイミン=アルマリカが火の宝珠を手に入れようとしたことであり、それなら想定内の出来事である。ただ、その結果が想定を大きく越えた。ムハイミン=アルマリカは町で騒動を起こして精霊たちの注意を引きつけ、宝珠を奪い取る隙を作ろうとした。そのために炎の精霊ジン達にサタンのセグメントを取り込ませて洗脳したシャイターンを解き放ち暴れさせたと言う。
そこまでは問題なく進み、ムハイミン=アルマリカは宝珠を入手した。しかし、シャイターンは意図せず得体の知れないモノを呼び寄せた。ムハイミン=アルマリカさえもその暴威の前に逃げ遅れるほどに予期せぬ出来事である。これにはさすがにサタンのセグメントも異常を感じて、シャイターンを捨てて逃げ出したところを無事回収された。そのまま幹部衆だけは逃げ延びたようだが、他は騒動に巻き込まれ逃げ惑っている所を捕らえられている。
問題は呼び寄せられた得体の知れないモノだ。気が付けばさらに別の得体の知れぬモノと戦っていたとか言う話もあるが、ムハイミン=アルマリカの面々もこの時点ではすでに混乱しており、そもそも事態はすでに彼らの手を放れて動いていたので彼らを問い質すだけ無駄であった。
詳しい事情を知っていそうなのは炎の精霊や彼らと協力して戦っていた異国人だが、精霊たちはノーコメント、異国人は名も告げずに去ったとのこと。詳細は不明なまま、あからさまな結果のみが残されていた。
「よくわからないが、そこに行ってみるのが一番早いか」
取材陣には黙りの精霊たちもつきあいも長いグライムスたちには話してくれるかも知れない。そんな訳で、先程船で近くを素通りしたムンシャ=アフマルを目指すことになった。
行けば話してくれる、などと言うものではなかった。ムンシャ=アフマル行きの準備を進めているさなか、精霊の方からやってきたのだ。
突然、目の前で噴火が起こった――かと思った。炎が湧き上がり、それが揺らめきながらむくつけき人型をとり、筋肉を見せつけた。
「あー。お久しぶりー、元気してた?」
アミアの、と言うかルスラン以外の知り合いらしい。ルスランだってこの手の存在を見るのは初めてではない。精霊である。見るからに、炎の精霊。
『いろいろあって万全とは言えんがね、見ての通りぴんぴんしているわい。お嬢ちゃんもしばらく見ないうちに大きくなったなあ。今やミカールよりいいカラダしているぞ』
「またまたあ。そこまで育ってないでしょ」
『いやいや、ちょうどミカールの方も縮んでるんだわ』
「あら、そうなの?」
炎の精霊はグライムスに向き直り言う。
『そろそろ船が着く頃だと思って迎えにあがったんですがね、船が思ったよりも早く着いていたようですな。探すのに手間取りましたわい。多少無理をしてでも到着を手下に見張らせるべきでしたな』
魔竜船は航行時間の短さに加え、航路で起こりがちな気象現象の対策もしっかりと進んでおり、運行時間の遅延は起こりにくい。それでも不意の砂嵐や魔物との遭遇で迂回を強いられたりしての遅延は発生する。
いい例がルスランが乗り込んだ時だ。あの船は夕方には到着しているはずだったが実際に到着したのは暗くなってからだった。早めに到着していればムハイミン=アルマリカの連中もグライムスとニアミスして肝を冷やすこともなかっただろう。とは言え遅れた原因の一端もムハイミン=アルマリカだったりする。そいつらが出港間際に大挙して大慌てで滑り込み乗り込んだせいで出航に若干の遅延が発生したのだ。加えて火の宝珠を巡る騒動もあったことでマズルキから離れようとする商人などもいて同じように土壇場で乗り込む者も多かったし、そんな事態なので出航の安全確認もいつもより慎重になった。
普段でもこんな感じでもたつく客や、チケットは買っているのに搭乗の遅れる客などもいがちであり、そういうのも見越して余裕ある時刻設定になっているのである。
一方ルスラン達が乗り込んだ便の客はかなり減った。連邦に入ってからは特に優雅な旅行客は未曾有の災禍の起きたこちら方面への旅行など軒並みキャンセル、危険を顧みない物好きや身軽な傭兵がちらほら乗り込んでくるくらいだった。おかげで搭乗にかかる時間は短くサクサクと出航できた。早く到着する訳である。
『この地での最終決戦の準備は整ってますぜ』
着いたばかりなのにもう最終決戦をさせられるそうである。もっとゆっくりさせてくれても……。いや、船旅の間は急ぐのは船にお任せで十分のんびりしたのだ。最終決戦とやらをさっさと片付けて心置きなく羽を伸ばす方が得策か。
目的地に向かうまでの間に熱く暑苦しいその炎の精霊・イーフリートに詳しい事情を聞いた。
この地に呼び寄せられた得体の知れぬものについての情報も得られた。精霊たちはその情報を隠していたわけではない。素直に、さっぱり訳が分からなかったのだ。ただ、クトゥグアという生ける炎については心当たりがあったので問い合わせてみたところ、心当たりの通りであった。
『我らが尊敬してやまない灼熱の天使メタトロン様の因縁の相手、その人でした。いや、どうみても人ではないのですが』
ただ、そのメタトロンという天使も全く得体の知れない存在だと思いながら相手をし、その後もその正体を掴んだりした訳でもないので、聞いても何だか分からないことが判ったくらいである。メタトロンに迷惑が掛かるかも知れないので余計なことが言えないし、そもそも謎だ以上の情報を提供できない。よって口を噤むしかなかったようだ。
名も告げずに去ったという異邦人についても聞きたかったが、その前に目的地に到着した。そして、そこで異邦人の正体も判明する。この地で火が絡んだ尋常ならざる力を検出し魔法で先回りしていたマイデル一行であった。名乗るわけがなかった。何せ精霊たちとはエイダ以外顔見知り、そのエイダも大人二人と水の精霊からは何度も名前を呼ばれているので名乗る必要もない。
「うええええ、怖かったよぅ〜」
アミアの顔を見て緊張の糸が切れたのかそのまま泣きつくエイダ。こんな子供っぽい感じのエイダは始めて見たのでちょっと新鮮に感じるルスランだが、そんなエイダによって呼び出されたものによってムンシャ=アフマルがあんなことになったと言われて絶句する。
「ち、違うって!私が呼び出した訳じゃ……いや、そうなんだけど……」
違わないようである。
まあ、過ぎたことは気にしても仕方がない。めちゃくちゃ気になるのは確かだが、話を聞けば長くなるのは間違いないだろう。全てが終わってからゆっくり話を聞けばいい。それで、何を終わらせればいいのだろうか。最終決戦との話だったが。
マイデルが説明を引き継ぎ、イーフリートは筋肉を見せることに専念し始めた。その周りには他の炎の精霊もいる。目を引くのはエイダやアミアくらいの年頃の、一糸纏わぬ姿の美少女だ。目は引くが、見ていいものか悩ましい。本人が隠す気もなく丸出しでふんぞり返っているのだからいくら見ても文句は言うまいが、ここに居合わせる他の少女たちから白い目で見られそうなので見ないでおくのが無難だ。しかしそうすると自ずとイーフリートに視線がいくのだが……。いや、話し始めたマイデルを見るのが一番だ。
「お主等が来るまでの間にこの近辺にいたムハイミン=アルマリカの残党を、近隣の町や村にあった隠れ家から追い出し追い立て、そこの砦に追い込んである。それを駆逐してもらう。儂等は老骨に鞭打ち追い立てに奔走し疲れた。高見の見物をさせてもらう。……エイダ、お主は若いのだからもう一働きしてもらうがいざという時まで力は温存しておけ。くれぐれも魔法一つで皆殺しにするようなことの無いようにな」
「はい」
エイダは安堵したような困ったような複雑な表情を浮かべた。皆殺しにしろと言われても困るが、言っておかないと皆殺しにするようなキャラだと思われているのだろうか。
「先生、質問でーす。何でせっかく各地に散り散りになってたのを各個撃破せずにわざわざ集めたんですか?」
手を挙げながらアミアが問いかけた。
「一ヶ所に纏まってくれた方が叩き伏せた後の処置が楽だろう?それに烏合の衆など数が揃っていなくては手応えがない。違うか?」
その言葉にルスランが頷いた。
「確かにその通りですね」
そこ、納得しちゃうんだ。アミアとエイダは心の中で呟く。
「ところで、そこに集まっている主なメンバーはどうなっている?」
グライムスはイーフリートに問いかける。マイデルは烏合の衆と簡単に言ってのけるが、王国人目線というだけでその烏合の衆の基準がだいぶ上がる。ましてマイデルなど王国でもヤバい部類の人間だ。その感覚での烏合の衆に強者が混ざっていても不思議はない。そして、マイデルはムハイミン=アルマリカの構成も知らないのだから誰が強者なのか知るまい。自分ならまあ問題はないが、娘も送り込むことになるのだ。詳しい者にちゃんと確認しておいた方がいいと思うのは親心である。
イーフリートが今居る名のあるメンバーを羅列した。グライムスの知らない者も少なくないが、そこそこ古参のメンバーも居た。その名を聞いて、知らない新参者についても確認し、結論を出す。烏合の衆で間違いないと。多少気になる者もいるが、それは自分が相手にしてもいいし、ルスランなら何ら問題あるまい。アミアだってそのような難敵を含む数人に囲まれたりしなければ大丈夫。程良い練習相手になってくれればいい、その程度だ。
「ふむ。程良く手応えがあるかも知れん」
「であろうが。そのくらいでないと折角お主をここに送り込んだのが無駄になる。思ったより安く済んだとは言え結構な金が掛かっておるのだ、空振りで終わらせてなるものか」
マイデルの本音が出た。
『グライムスさんの動きにムハイミン=アルマリカが焦ってグダグダな行動に出て自滅に近い結果になったのは一応功績と言えると思いますけどね』
ウンディーネがフォローした。ルスランたちもここで何かが起こったというのは聞いているが、そのグダグダな行動とやらの結果町が一つ滅んだのであれば、それを功績と呼んでしまうのはどうかと思える。大部分の住人は避難したとの話ではあるが、命はあってもそれ以外は何も残っていないのだ。まあ、その責任はムハイミン=アルマリカに被せるまでだが。
さて。その濡れ衣を着せる連中を殲滅する時だ。
殲滅戦が始まってみれば、烏合の衆を攻めるにはあんまりなメンバーであった。
そもそも、大した強者のいない所にグライムスが乗り込んでいる、それだけで敵の戦意はいきなり挫かれた。勢いよく立ち向かってくる者も勇壮ではなく悲壮、破れかぶれなのは一目瞭然。さらにこの中でもいくらかはマシな方と言えるメンバーがグライムスに集中している。残り滓などルスランどころかアミアでも楽々叩き伏せられた。
怯えて動けない者にはエイダの魔法が飛んだ。マイデルからの魔法一つで皆殺しにするなという指示には言うまでもなく従う。そもそも、相手が人間なので最初から殺す気はない。脅かして退散させればいいかな、位のものである。まあ、逃げ場はないのだが。
選んだ魔法は噴水。地面から水が染み出す魔法で野営の時などに纏まった量の水を確保するのに便利な、地属性も帯びた水魔法だ。最寄りの地下水を引き上げることもできれば地中に水を送り込んで引き起こすこともできる。水の勢いは染み出すくらいから始まり上は魔力次第だ。
虚仮威しで放った魔法は床の石畳を弾き飛ばしながらめくり上げ、天井どころか屋根もぶち抜いた。
「わ、やっちゃった」
ただでさえこの所はウンディーネの加護を受けているし、加えて強力で得体の知れない存在と相対・接触しつつ手加減無用で魔法をぶっ放す機会が多かったエイダ。こう言った存在は垂れ流す豊富なマナに低級な精霊が群がっており、そこで大魔法を使えばそのおこぼれ狙いで魔法の発動を手伝った精霊が定着したりする。平たく言えば魔法がより強力になるのだ。その効果も大体は一時的なものだが、それ故に制御が難しい。魔法の威力が毎回ばらつく原因の一つである。
今回ももちろん威力が想定を上回った。何人かよろめかせて混乱させる程度のつもりが、何人か天井を突き破って空に吹っ飛ばされた。攻撃された怒りで動き出すのを期待していたが、これではむしろ恐怖で縮こまってしまう。
「アミアー、どうしよう。私何したらいい?」
エイダはアミアに泣きついた。現在の自分自身の魔力を掴み切れておらず下手に攻撃するとやりすぎてしまいそうである旨を伝える。エイダは魔法がすごい以外は普通の女の子、ぎりぎり王国育ちでも国境間際だし両親も公国生まれ、その価値観も王国的な普通ではなく本当に普通だ。人を傷つけることも争いごとも好きではない。そんな優しい子であることをアミアはよく知っている。向こうから何かしてきたならともかく、よく知りもしない相手に手荒な真似はしたくないのだ。
「補助に特化すればいいのよ。ブラッドラストでもかけたら?あと、動かない敵を動かすならいい魔法があるのよ」
アミアに告げられたその『いい魔法』にエイダは一瞬納得したが、少し考え難色を示す。
「強化されちゃうけど、大丈夫かな」
「ダメそうに見える?」
サポートの二人が相談中なので各々無縁孤立で戦うグライムスとルスランを顎でしゃくるアミア。敵はビビって向こうからはなかなか仕掛けて来ず一度に相手にする人数が少なく済んでるのもあるが、それ故に本気すら出してなさそうである。
「大丈夫そうだね。……じゃあ、それでいこっか」
気軽に下したこの決定でなかなかに悲惨なことになるが、もちろん知る由もない……。
エイダからルスランにブラッドラストの魔法が飛んできた。自分でもよく使う魔法ではあるが、さすが腕のいい魔法使いが使うとその効果も段違いだった。スピードだけでもコロシアムでの加速呪歌ユニゾンを凌駕している。力を制御するのも大変そうに思えたがそこは感覚も強化できるブラッドラスト、あっという間に現在の力量を掌握した。
ルスランは武器を仕舞った。この力があれば武器など不要、身一つで上等と踏んだのだ。舐め過ぎである。
さらにエイダが呪文を唱える。その詠唱が終わると同時に敵の数人が雄叫びをあげ、目を血走らせて突進してきた。破れかぶれにしては覇気がありすぎる。エイダの呪文の効果だ。
エイダが使ったのは狂戦士化、戦意と身体能力を大幅に引き上げる強化魔法の一種であり、普通なら敵に使う魔法ではない。しかし、味方に使うこともあまりない。なぜなら戦意を引き上げるといっても勇気凛々などという生温いものではなく、自我を吹っ飛ばしてただ敵に襲いかかるだけの狂戦士にしてしまうのだ。使うとすれば使い捨てにするつもりの手下に使って鉄砲玉にするか、勝機も逃げ場もない絶体絶命の場面にてせめて一矢報いて散る覚悟で使うか、そんなところだろう。
いくら身体能力が上がろうと、相手をするルスランとて身体能力が上がっているのだ。まして闇雲に向かってくるだけの無策の敵など手こずる理由がない。ガードががら空きのボディーにボディーブロー一発で壁まで吹っ飛ばされた。壁に打ち付けられて骨が折れたようだが心は折れることはない。這い蹲りながらもルスランににじり寄ろうとする。まあ、到達するまでに相当時間がかかるので一旦脱落ということにしておいて問題あるまい。
周りで見ていた者達の心は折れたが、出口は深入りを避け入ったところで立ち止まっているだけのエイダが塞いでいる。多分猛烈に突進すれば怖がって逃げるだろうが、その為には他の3人を迂回して、なおかつ捕まらないようにして出口を目指す必要がある。
そのエイダの魔法により、そんな折れ砕けた心に関係なくムハイミン=アルマリカの残留組は一人また一人と突進させられて返り討ちになった。実際には数人がバーサークの魔法の範囲に入りそれらが一斉に襲いかかってくるのだが、ブラッドラストで強化されたルスランにとっては到達に0.5秒差があれば余裕で各個撃破できた。その差がないほぼ同時に来る敵に関しては腕の一振りでまとめて薙ぎ払うだけである。
しかし、なまじのダメージでは行動不動にまではならない。骨が折れようが血に塗れようが、腕が失われても構わず再び襲いかかろうとする。足がもげても腕だけでにじりよってくる。手加減していては終わらない。ならばよく知りもしない相手に手加減などする必要もない。
さすがに頭を吹っ飛ばすのが最適解だとルスランが判断してからはエイダもバーサークは封印した。バーサークの下位互換で比較的よく使われる獅子の心なら恐怖心が押さえられる程度で自我がしっかり残るので死ぬまで突撃し続けるようなことはないが、今更恐怖心を除いたくらいで突撃してくれるとは思えなかった。精々、竦んで逃げることもできなかった者が逃げられるようになるくらいだ。死地に向かわせるにはやはり自我は邪魔なのだろう。
もう今更エイダにすべきことは残ってなさそうだ。と言うかもう見てもいられない、見るに耐えない。自分にライオンハートを掛けてここに留まる勇気を得るという事もなく、自分の振りまいた魔法の生む悲惨な結末を見届ける義務を放棄しエイダは一足先に退散した。おかげで出口に立ち塞がる者はいなくなったが、残党たちが出口に到達するための障害が減ったとはとても言えない。
強者たちに囲まれ、それを弄んでいたグライムスもそろそろ限界になっていた。――もちろん取り囲む強者たちの方が。有象無象は若い連中に任せておこうとこいつらを使って様子を見る時間を稼いでいたが、全ての攻撃が通用しないグライムスに心が折れかけていたのである。
最初はグライムスも極力攻撃を受け止めたり弾いて受け流していたのだが、去り際のエイダにかけられたダメ押しの強化魔法により、それすら必要なくなった。余裕綽々で全ての攻撃を躱せる。それどころか、強化された感覚で把握してしまう。防御もせずに攻撃を受けたとしても無傷に終わることを。
そんな姿を見せれば敵の心は確実に折れる。ますます攻撃を受けるわけにはいかなくなったわけだが、大きな見落としがあった。攻撃を避けるだけでも常人の域を超越した身のこなしを見せつけることになり、うっかり攻撃を受け止めでもすれば相手の手には骨に響くほどの衝撃を与えることになる。結局何をしても、それこそ何もしなくても敵の心は折れるしかないのだ。
それを悟ったので相手が逃げに回る前に叩き伏せてしまうことにしたのはいいのだが、先ほどからのルスランの戦いぶりを見るに気軽に攻撃するとやりすぎそうである。ブラッドラストをはじめとした強化魔法はそのままでは勝てない相手に勝つため、あるいはどうにか勝てる相手にもっと楽にそして確実に勝つために使うもの。使った上で手加減することなど想定されていない。
下っ端の有象無象など駆逐してもよいが、このくらいの実力者だと尋問あるいは拷問のために生け捕りしておいた方がいいのではないか。
そこまで考え、出した結論はアミアの方に投げつけることだった。アミアの攻撃くらいなら生き延びると信じたのだ。その投げ一つが十分やり過ぎだったのは誤算だが、今更である。
エイダが離脱したことで、これまで仕掛けてくる敵をその場で叩き返していればよかったルスランも行動の見直しを強いられることになった。バーサークで理性が飛んでなければこんな化け物どもに手出しをしようと思える奴はいない。何もしなければただ睨み合うだけだ。
来ないならこちらから行くだけ。この場所を離れたことでもし逃げる奴がいても追いつける。矢のような速度で敵に迫り、手近にいる数人を次々に殴り蹴る。それだけで大惨事になった。仕掛けても来ない腰抜けなど頭を吹き飛ばすまでもないと肩のあたりを軽く叩いたら肩がねじ切れて腕が飛んだ。足払いされた者は足が弾け飛んだ。最後の一人は手加減するのも面倒くさくなり結局頭を吹っ飛ばされた。
これまでに殴ってきた連中はバーサークで強化されていたから大怪我で済んでいたのだ。生身で受ければ良くて半殺しであった。別に殺してもいいやと思っているルスランはあまり気にしない。
しかしそこに救いの女神が現れる。アミアである。残党にはもはや有象無象しかいない、いや最初から有象無象しかいなかったが今なお残っているのは後回しで良いと判断される程度の有象無象の中でも下の部類。この状況ならアミアの魔法でも軽く一掃できる。強化されている今はアミアの魔法でもまともな魔法使いくらいの威力が出せるのだ。
アミアを中心に炎が渦巻いた。渦炎、近距離魔法故に広範囲なのに高威力なのが魅力だが、敵陣に突っ込んでぶっ放すか絶体絶命なくらい取り囲まれてないと無駄が多いのであまり使われない魔法である。中衛の魔法戦士以外では、いざという時の切り札として覚えている者がいるくらいだろう。
血の臭いが消え去り皮膚の焼ける臭いに置き換わって戦いが終わった。最後の魔法のみで仕留められた敵はいない。これで仕留められたのは元々痛めつけられていて魔法がとどめになったケースくらいである。まさにアミアの魔法がちょうどいい威力だったことを示していた。そのアミアはなかなか体験できない高威力の魔法をぶっ放す高揚感に酔いしれていた。