ラブラシス魔界編

33.公国の英雄

 まだ時間は早いが、どこか他の所に行くほどの余裕はないのでさっさとコロシアムに行くことにした。
 今日のコロシアムはグライムスに合わせた特別プログラムとなったそうだ。本来なら複合部門個人と魔法部門個人それぞれのトーナメントとなる予定だったが、急遽日程を入れ替えて複合部門のみにされている。
 複合部門個人戦は本来魔法も近接戦闘もこなすオールラウンダー達による戦いだが、魔法か格闘のみで参加してもよい。つまり誰でも参戦できるのだ。間口を広げて多くの人にグライムスとの戦いを体験してもらおうという企画である。
 ほかにもグライムスとのコラボ企画は展開されていた。講演会、武術教室。ルスランたちが到着した時はその武術教室の真っ最中であった。しかし、何を教えるのかまではほぼノープランで企画が進んだらしい。まあそりゃあ企画会議を行う余裕すらないのだから無理からぬ話なのだが、これで引き受けるグライムスも無責任であろう。集まっている受講者も見るからにベテランの戦士からちびっ子まで。これだけでも何を教えていいか悩むところである。まして時間の短い中でできることには限度もある。
 しかもグライムスくらいになるとほぼ歴戦の経験が元である勘を頼りに戦っているので、頭より体が先に動く感じでそれを言葉にして伝えるのも難しい。結局、ど初心者に軍仕込みの基礎訓練の仕方を教えその反復練習をさせると、そちらは放置して強者数人を見繕い彼らを相手に技を披露。観覧者に立ち回りなどを解説しつつ、相手になっている強者たちは攻撃を食らいながら技を盗めというコンセプトで展開している。
 選ばれし強者たちは身に余る光栄に打ち震えていたが、今は手に余る役者不足を実感し心を打ち砕かれ震えていた。まあ、強そうに見えても戦い方を教えてもらおうとしていた程度の連中なのだから無理もない。
 そんな見本が使い物にならなくなってきた所にルスランがやってきた。とても、ちょうどよく。どんな運命が待っていたかは言うまでもないだろう。
「攻撃を防がれた時は速やかに次の攻撃に移るか反撃に備える必要がある。ではやってみようか」
「やってみようって、いきなりかよ」
 つい先ほどまではこのような攻撃がきたらこう防御するというのをゆっくりと実演していた。どのような攻撃が来るのかは明示されていたのである。それを言われた通りに防御するだけ。動きを覚えたところで、多少実践的な動きで実演。この時の迫力と衝撃、それらによる恐怖だけでこれまでの見本相手は心を折られていたのだ。
 ルスランに対してはさらにハードルが上がっている。グライムスの構えはルスランに打ち掛からんとする構え、ルスランが防御しろと言うわけだ。どんな攻撃が来るのかさえ示さず防御するのを前提の実技を見せようとしているのだ。ふざけた話である。
 しかし、さすがに相当手加減はしてくれているようで楽々と打ち返せる。しかしこの後どうしろと。反撃に備えるとか言っていたし、何となく隙を見せている感じがするのでそこに打ち込めばいいのだろうか。
 などと悩んでいたらその隙をついて打ち込まれた。危ないところである。容赦もクソもない。さすがに一発はやり返しておきたいので次は迷わずこちらから打ち込むも、あっさりといなされた。しかし連撃チャンスっぽいのでもう一発。グライムスもあっさりとそれを弾き返す。その動きのまま反撃に移った。それもまあ、どうにかはなる。
 こうして見ると王国軍の兵士同士で打ち合うのとは勝手も違って新鮮だ。カンナやゴウキの太刀筋も独特だったがあれはさすがに特殊すぎた。グライムスの公国流剣技くらいの方が意表を突かれる。それはいいとして、これっていつまで続ける気なんだろう。
 お互いゆるゆるとやっているのでそんなことをぼーっと考えながら続けていたが、不意に鋭い一撃が来た。それはルスランを狙ったものではなく木剣を強烈に弾きルスランの体勢を崩させた。その直後喉元を狙った突きが繰り出される。直前に体を捻って躱すが、一瞬前までルスランの喉があった手前で突きが止まっていた。何のことはない、きりがないので撃ち合いを終わりにしようと決めに入ったらしい。そんなのは口で言って欲しいものである。
 とにかく打ち合いも終わったのでほっとした。見回すと観客の多くがどん引きといった青ざめた顔をしている気がするがこの程度のことでそこまではなるまい。気のせいだろう。
 グライムスは今の打ち合いの内容を振り返って解説し始めた。よく覚えてたなぁ、と言ったところではあるがちゃんと解説したのは最初の数合くらい。後はさすがに覚えきれなかったか、似たことの繰り返しだったので割愛したか。
 次にカンナにもお声が掛かり、嬉々として飛び出していった。同時にレミはそっと姿を消した。
 防戦一方になった時の対応と言うことでカンナの猛烈な連撃をひたすら受けるグライムス。元気な子供と遊ぶパパみたいな光景でちょっと和むがこの元気な子供は少なくともアミアより年上なので油断はできない。そして、この激しい連撃を見て和めるような変人は決して多くないのだった。
 よきところでグライムスは受け止めたカンナの木剣を強烈に押し返しカンナを空高く打ち上げた。容赦ないな、などと思うルスランだが、自分も似たようなことをやってたことを思い出す。端から見ればなるほど、鬼畜とか言われるのもやむなしな姿である。
 「ほわあっ」とちょっと気の抜けた声を上げつつカンナは吹っ飛び、それでもトンと天井を蹴って鮮やかに着地した。ルスランの時は油断もしていたのだろうがあのまま地面に叩きつけられたのだ。ますます鬼畜に見えたことだろう。

 それからもう少しつきあったところで武術教室も終わりを迎えた。今回の内容を参考に午後のコロシアム出場者は頑張れと締めくくったが、正直この武術教室の受講者は心が折られているので出場しないと思う。何せ後半で受講者の心を折った一人であるカンナも出場を避けたのである。しかしグライムス相手に心が折れた訳ではない。
 何でも、豪輝師範代がグライムスへのリベンジに燃えているとのこと。他にもグライムスの噂を聞きつけたハイクラスの冒険者が仕事を切り上げて引き上げてきており、今日の出場者のレベルはえげつないことになりそうだとか。その中にエントリーするほど身の程知らずではない。今日は最初から出る気はなかったのだ。
 そう聞くとルスランもちょっと不安になるが、昨日一昨日よりは全体的に手応えのある相手になると思うとむしろ楽しみでもある。一方、受講者たちはその幸運を噛み締めることになる。グライムスの強さやその相手をする怖さはもう十分味わえたし、今得た事前情報も含めてエントリーする気など殺がれた。勢い込んで試合にエントリーして絶望を味わわずに済んだのである。何も知らずにエントリーした連中を生温かい目で見守ってやれる。それだけでも金を払って受講した価値があったというものだ。
 そうやってエントリーを取りやめた者は多かったのだが、身の程知らずは少なからずいるのだ。いや、勝てると思ってエントリーしているわけではないのだろう。折角だからグライムスと当たって散りたい、くじ運でグライムスと当たれれば勿怪の幸いということだ。
 運営側としてもそんな手合いまでまともにエントリーさせる義理もないのだが、せっかくの機会なのでグライムスと手合わせする機会くらい作ってやりたい気持ちはある。何より、タダではなくエントリー費用が取れるのだ。
 コロシアム側が打ち立てた企画が、予選バトルロワイヤルだった。勝ち残ればグライムスと戦える――のではない。全員グライムスと戦うチャンスがある。そう、グライムス参加のバトルロワイヤルである。

 バトルロワイヤルが始まる。もちろん、ここで敗退すればグライムスだって予選落ちということになってしまうのだが、そこはコロシアム運営が本戦エントリーに回さなかった選ばれざる者、あるいはいっそ選ばれし有象無象である。
 グライムスを中心に規則正しく並んだ選手たち。開始の合図とともに真ん中に近い数人がグライムスが乱暴に振り回した剣によって吹っ飛んだ。その剣を地面に突き立てると衝撃波がうねりながら走る。それに巻き込まれた数人も頽れた。
 如何にグライムスでも腕力でこんな衝撃波は起こせない。この戦いは複合部門、魔法が使用できるのだ。地属性近距離攻撃魔法、アースバイト。このような近距離魔法は一般的な魔術師が使うにはリスクが大きいが魔法戦士には使用者もいる。何にせよなかなか見る機会のない魔法だろう。なお、属性は違えど特攻型魔術師であるマイデルは好んで使っていたタイプだ。
 剣で吹っ飛ばされた者にぶつかられて倒れ込んだ者の多くが起きあがれない。この程度で立ち上がれないほどのダメージになることもないのだが、立ち上がればどうなるかは自分にぶつかってきた者や頭上で鈍い物音を立てた者を見れば明らか。巻き込まれて倒れてしまったことで、このまま起き上がらずにいれば酷い目に遭わずに済むのは幸いなのだ。先程のアースバイトの餌食になった者も然り。グライムスの魔力もルスランよりちょっとマシ程度、そんなに強力であるわけがない。なお、起き上がってでもその一撃を身に浴びて玉砕したいという変態はいたようで、そういう者はお望み通りにボコられ至福の表情で昇天した。
 未だ立っている者も多くが戦意を殺がれている。近くにいた者は硬直しながら、状況判断もできず無謀にもグライムスに突っ込んでいった勇気だけは称賛に値する馬鹿諸共にグライムスの無造作ながら無慈悲なる一撃の餌食となる。少し離れていればそれで吹っ飛ばされてきた者に潰される。
 そこよりさらに離れていた者には逃げるかどうか迷うだけの猶予が与えられた。せっかくのグライムスと戦う機会を活かすべきか。迷う時間はあっても答えを出すだけの時間は与えられず、戦う機会はしっかりと活かされた。尤も戦ったと言えるかどうかは意見が分かれるところだ。
 グライムスの進行方向と逆に配置された者だけが逃げることを許された。誰も彼らを笑わないだろう。何せ笑えない暴威を目撃したのだから。こうして戦いとは呼べそうもない何かが終わった。グライムスにとって準備運動くらいにはなったか。これでグライムスが負けたらどうするんだ――などと考えていたのが馬鹿馬鹿しい。実は運営側も冷や冷やしてはいたらしい。しかし現実としては何人集まろうと有象無象には勝てる見込みなどまるでなかったのである。

 本戦出場者に選ばれたのは、そんなグライムスの暴れぶりを見ても怖じ気付かないと思えるくらいには実力を認められた者たちばかりである。実際の所何人かはビビっているのだが、エントリーしたのは自業自得なのだ。
 そんなビビってる程度の連中が相手でもビビってしまうのがレミである。もちろん参加などしていない傍観者だ。ルスランやもちろんグライムスだってこの町の冒険者などの知識はない。情報源としてレミの身柄を確保させてもらったのである。レミはセリーヌも巻き込もうと必死に探し回ったが、見つからなかったらしい。
 レミだって全ての冒険者を網羅しているわけではない。自分よりちょっと上くらい、先ほどグライムスが蹴散らした有象無象くらいだと数は多いのにどちらかというと遠い存在で余りよく知らないのだ。しかし心配はいらない。今日の出場者くらいになるとレミでも知ってるくらいの有名どころだ。まあ、だからビビっちゃうのだが。
 くじ引きでトーナメントの組み合わせが決まっていく。グライムスの第一試合の相手はルスランも聞いたことのある人物だった。ラウラ・アニシモワ。フォーデラスト王国出身の英雄、20年前の戦争では風の巫女として知られており、その英雄伝は数少ないタイタニウム級の冒険者として今なお続いている。
独眼暴風――サイクロン――!」
 レミが息を飲みながら二つ名を呼ぶ。その名の示すとおり、眼帯が左目を覆う隻眼の女戦士。美しいブロンドを後ろで束ね日に灼けた男勝りの逞しい首を露わにした野性味溢れる美女だ。山賊の女首領だと言われても違和感がないほどの傲岸で鋭い眼光はとてもマリーナと同じ巫女の一人とは思えない。マリーナと同じくらいなのは年齢くらいか。しかも驚くべきことに、これで元王族――お姫様なのである。まあ、王国ではよく見るタイプではあった。
 そのラウラが当たったグライムスの方に歩いてきた。屈強な男たちが逃げるように道を開ける。
「いよう、懐かしいねえ!初っぱなから当たるとはついてるのかついてないのかわかりゃしないよ」
 その目はルスランの方にも向く。
「坊や。マイナソアってことはルークの息子だろ。頑張りなよ、あたしら以外大したのいないし」
「そ、そうっすか」
 そりゃあ、あんたから見りゃそうだろう。そう思いながら曖昧に返事をしておいた。マリーナやライアスなど王国の英雄たちの現況なども問われた後、またグライムスとの雑談に戻った。そうこうしているうちにルスランの籤の順番だ。まだ相手は決まらないが、とても嬉しいことにグライムスならびにラウラとは違うブロックである。決勝まではこの二人と当たることはないことが確定したのだ。準優勝までは可能性が残されたと言える。
 妻を亡くしたグライムスをラウラが口説き始めたのを見て見ぬ振りしているうちに対戦相手も決定した。ラウラにビビって小さくなって息を殺していたレミさんの出番である。
「ジェファーソン=プロケール。嵐の騎士――テンペスト――の異名を持つ、見た目は騎士だけど魔導師よ。風と雷を得意としていて、もちろん見た目通り武技の方もとんでもないわ。冒険者としてはミスリル級ね。結構イケメンらしいわ」
 らしいというのは全身甲冑でフルフェイスの兜を被っているので顔が見えないためである。
「顔を隠しているのは何か深い理由があったりするのか?」
「さあ?無いんじゃない?」
 レミが知らないだけかも知れないが、それならそれで大した理由でもないと言えよう。余裕があったらあの兜を狙って素顔を見るのを目標にしてみるのも面白いか。
 他に気になる相手としてはゴウキである。グライムスへのリベンジを狙っているがそれには決勝戦まで勝ち上らねばならない。つまり、ルスランと同じブロックである。準決勝で当たることになる。グライムスと同じブロックに行って欲しかったと切に思えた。
 ルスランの出番はだいぶ後だ。まずはグライムスとラウラの一戦を観戦することにしよう。

 開始と同時に激しい攻防が繰り広げられた。先に仕掛けたのはラウラである。大きく跳躍してグライムスに飛びかかる。普通ならば空中に躍り出たことで制御不能になり軌道を読まれるところだが、さすがにひと味違う。軌道こそ読み通りだがあり得ない加速でグライムスに迫った。
 それでもグライムスは的確に攻撃を弾き返す。弾き飛ばされたラウラだが、何もない空間を蹴って身を翻し再度グライムスに迫った。魔法を応用した技である。
 飛びかかっては弾き返され、時にグライムスの方から弾き飛ばされたラウラに迫り。そんな攻防が数度繰り返された後、一端ラウラが地面に降り立った。試合開始直後の跳躍以来久々の地面だが、何かを感じ取ったラウラは再び空中に踊り出す。その直後、地面が崩れ去った。グライムスの魔法である。
「グライムスってあんなに魔法うまく使えたんだなあ。魔法なんか使わなくても強いのに反則だろ」
「そりゃ、公国出身者としてはあのくらいはねえ?にしてもパパとあれだけやり合えるなんて流石は英雄よねー。パパの本気なんて久々に見たわぁ」
 歓声を上げるのさえも忘れて呆然と見守る観客の前でルスランとアミアがのんびりと話している。
 グライムスは地属性魔法の使い手だ。ラウラは地面から離れた空中戦が有利と踏んだようだ。その選択は間違ってはいないが、正しくもなかった。グライムスは魔法で地面をせり上げて空中のラウラに肉薄したのだ。流石にこの一手は意表を突かれたか、あるいは単純に迫力に気圧されたか、ラウラが目を見開いた。しかしグライムスの攻撃をどうにか躱したラウラには余裕の表情が戻る。
 グライムスの魔法の効果が切れてせり上がっていた地面が崩れる。そこに立て続けにラウラの風魔法が叩き込まれた。鎌鼬の翼を持つ燕がグライムスを狙う。しかしその行く手は土の壁に阻まれた。地属性魔法の本領は防御なのである。
 更にラウラの魔法で竜巻が呼び起こされた。これは土壁程度は容易く乗り越えていく。しかし、これも前段階に過ぎない。土壁と竜巻の壁で視界を塞いで、その向こうで本番の攻撃を仕掛けるのだ。
 と。竜巻をすり抜けて小さな光の玉が飛んでいくと、ラウラの頭上でそれは弾けた。見た目は地味だがそのヤバさに気付かないラウラではない。なお、観客の大部分はヤバさどころかその光にさえ気付いていない。
 グライムスが得意とする魔法は地属性のみではない。自身の活力を破壊力に変換する無属性魔法である。体力の有り余るグライムスにとって、むしろこちらの方が得意なのだ。目立たぬまま弾けて消えた光球だが、その効果は劇的だ。まず誰にでもわかる効果として爆音が轟く。光に気付かず心の準備をしていなかった者にはその音で失神したものが多数いた。
 その音も副次的な結果でしかない。本当の効果はその爆音の原因となった衝撃波だ。とは言えステージに立っていたとしても音ほどの効果はなかっただろう。空中のラウラを狙い澄ました一撃。しかもあえてラウラの頭上で炸裂させたのだ。
 とっさに障壁を張って防御したラウラだが、障壁はあっさり粉砕されラウラは衝撃で叩き落とされた。障壁のおかげでダメージはほとんどない。そしてラウラはこの攻撃の狙いがなんなのかも見抜いていた。だからこそ、焦る。頭上に注意を引きつけた上、地面に引きずり降ろす。つまり下に気をつけねば危険だ。
 視線を下に向けたラウラはグライムスの姿を捉えた。竜巻をやり過ごし消えゆく土累を踏み台に跳躍し、落ちるラウラに肉薄していた。ガードには成功したが、落下の勢いも加算され、腕が痺れるほどの衝撃となる。
 ラウラの顔には美人が台無しの悪鬼めいた凄絶な笑みが浮かんでいた。同郷のルスランには解ってしまう。あの表情はラウラが楽しんでいる証拠であると。
 その後も一進一退の攻防が続いたが、数分後に決着の時は訪れた。苛烈に攻めたラウラだが、その分消耗のペースも速かった。勝負を懸けて放った大魔法も凌がれた。グライムスは強力な魔法は使えないが内包した魔力は結構大きなもので継戦能力が高いのだ。ラウラが温存を考えず序盤から一気呵成に猛攻を仕掛けていたら押し切れていた可能性はあった。
 全てを懸けた一撃を阻まれたラウラは諦め悪く特攻し、玉砕した。王国人らしい終わり方である。
「今日ってこんなレベルなのかよ。きっついな」
 ルスランはひとりごちた。レミが呆れ混じりに言う。
「そんな訳ないでしょ。あの二人が飛び抜けてるのよ」
 周りで黙っている出場者たちこそそれを強く言いたいし、そうであってもらわないと困るのである。自分以外全員このレベルの中に放り込まれていたら一回戦負け確定だ。
 とは言え他の試合のレベルもなかなかに高い。そんな中ルスランの出番もやってきた。対戦相手は嵐の騎士――テンペスト――ジェファーソン=プロケール。

「話題の人と合間見えることができて光栄ですよ、マイナソア君」
「それはどうも。俺も昨日の騒ぎで冒険者デビューしたものでしてね、ミスリル級の実力を見せてもらいますよ」
 プロケールにつられて喋り方がちょっと丁寧になるマイナソア君。
「ほほう。ちなみに階級は?」
「アイアンですよ」
「ほ。いきなりアイアンですか……」
 最初から高めのランクで認定する場合、ゆとりあるランクで冒険者の仕事になれてもらうべく見かけの実力より低めに認定するのが常だ。最低でも互角くらいの実力はあるものと見なすべきである。プロケールはルスランへの警戒レベルを引き上げた。
「そう言えば、グライムス様も冒険者になられたのですかな」
「その通りです。シルバー級だったかな」
 シルバー級ならプロケールのミスリル級より格下だ。その格下が目の前で現在最高峰のタイタニウム級を降しているのである。何の冗談だと言いたい。認定の目安になった事件の危険度がその程度だったと言うだけの話ではあるのだが、そんな事情まで知らないプロケールはルスランの警戒レベルまでさらに引き上げるのだった。
 挨拶は終わり、戦いが始まる。先に仕掛けたのはプロケール。優雅さなどかなぐり捨てて雷撃による速攻で勝負をかけたのだ。だがその一撃はルスランによって切り払われる。ちょっとパニクったが冷静に考えれば種は簡単だ。その一撃に雷の天空属性を相殺できる地属性が込められていたということ。
 ルスランとしては、レミからプロケールが風と雷を使うと聞いていたので対抗するためにとりあえず地属性をエンチャントしておいたのだ。いきなりの攻撃をとっさに切り払ったらうまいこと相殺できただけである。魔力としては相手の方が圧倒的なので相殺しきれずちょっと痛いがこのくらいは気にしない。
 いきなりの攻撃にはびっくりしたが、対処したら相手もびっくりだ。それでできた隙はありがたく利用する。一気にプロケールの懐に飛び込み攻撃を繰り出す。惜しい感じに弾き返された。しかし成果がないわけではない。距離を詰めたことで小声で唱えていた呪文がルスランの耳に届いたのだ。もしかして、イケメンとされる顔をすっぽり覆う兜は詠唱する口を隠すためなのかな、と思ったりもしたがそれどころではない。何の呪文か判別するほどの知識はルスランにはない。しかし、何かが来るのは確定なのだ。対策はしておいて損はない。
 恥も外聞も捨てた不意打ちをあっさり返してきた上それに怯んだのを見逃さず鋭い一撃を繰り出してきたルスランに、プロケールは焦っていた。実力不明の上今日の常軌を逸した出場者に混じっている新人だ。端から油断などしていない。なので手強いのは想定内だった。
 ならばせめて、もう少し粘らねば無様すぎる。雷撃からの追撃のために唱えていた呪文だったが、目的を変える。まずは距離をとるのだ。クルーエルガスト、ある程度離れた位置では渦巻き荒れ狂う風だが、そこに至るまでの中間地点でも強烈な突風になる魔法だ。至近距離で浴びせて後方に吹き飛ばしそこで荒れ狂う気流で嬲る凶悪な魔法、無慈悲なる風――本当に無慈悲なのは魔法使いにこんな接近する魔法の使用を命じる指揮官であろう。プロケールのように近接戦闘もできる者が使うのが正解だ。
 とはいえプロケールとて至近距離で浴びせて――というのを狙って使うことはしない。体力面も鍛え武装こそしているが基本は魔術師なのだ。ましてルスランは得られた情報では肉弾戦寄りの戦いをしてきた。自分から近付くどころか近付かれたくもない相手だ。この魔法を選んだ目的はあくまでも距離を置いての追撃。
 そして、この魔法を選んだ理由。それはもしも初撃を凌がれ距離を詰められた場合でもこのまま魔法を発動させれば対処できるからである。抜かりなく予防線を張っておいたら功を奏した形だ。
 魔法は発動し、ルスランは突風に吹き飛ばされた。一発逆転だ。踏ん張られれば背後の渦巻く暴風に巻き込み損ねるが、その心配もなさそうだ。
 と。大地がせり上がり荒れ狂うはずの風をかき消してしまった。吹き飛ばされてから対処しても間に合うはずがないのにだ。何のことはない、プロケールの詠唱を聴いたルスランはとりあえず防御魔法の土障壁(ダートバリケードを唱えていたのだ。クルーエルガストの発動中にダートバリケードも発動。遅ればせながら魔法を潰した。クルーエルガストの渦巻く暴風は鎌鼬のようなもので、障壁に弱いのだ。
 即座に体勢を立て直して突っ込んできたルスランの攻撃を再度混乱しつつも受け止めたのは流石と言うしかない。しかしすでに万策尽きている。さらに、ルスランはプロケールに聞かせるように呪文の詠唱をしていた。小声で詠唱するような技術も余裕もないだけだが不利になっているプロケールは悪い方に考えてしまう。まして、プロケールはある程度なら呪文で魔法の判別だってできるのだ。唱えている呪文を聞いて危機感を強めたのだから、わざと聞かせて恐怖させるのが目的と勘違いするのもやむなしなのだ。
 ルスランが唱えたのは、開幕に二択で保留にし地属性エンチャントにしておいた、もう一方の選択肢。全能力向上のブラッドラストである。ルスランの魔力であれば、あらゆる能力が微妙に向上するだけでしかなく、ほかにできることがあるなら後回しになるのも当然だ。しかし気分的にも実際にも追い込まれているプロケールはさらに追い込まれる姿を想像した。完全に心が折れたのだった。
 プロケールは運がなかった。あらゆる攻撃が絶妙なタイミングで対処され、気持ちがどんどん後ろ向きになった。速攻が成功していれば、それに対処されても強気に戦い続けられれば、勝機はあったはずである。しかし、気持ちで負けた。
 ルスランは強化された身体能力でプロケールをガードの上から突き上げて宙に浮かせると、頭を掴んで振り回す。大した抵抗もなく兜がはずれて素顔が露わになった。場外に放り投げようとして失敗した――と言う体で兜を取り上げたのである。中にあったのはナイスミドルと言うべき事前情報というか噂通りのイケメンであった。
 それが確認できればもう用はない。場外に叩き出して終わりである。
「やれやれ、とんでもない新人が現れたものですね。本格的に冒険者稼業を始めるつもりは……?」
 兜を渡しにいくと話しかけてきた。
「いや、俺は王国所属の軍人ですんで。まあ、暇ができたら小遣い稼ぎくらいはできればとは思ってますがね」
「それは一安心ですね。まあ、その小遣い稼ぎでどれだけ仕事を持って行かれるやらですが」
「俺はともかく、グライムスはなんかこっちに居着きそうですよ」
「はっはっは。あのくらいになると我々の仕事なんかとりゃあしませんよ。プラチナ級やオリハルコン級は戦々恐々としてそうですがね」
 格に差があると関係なくなるということだろう。そりゃそうだと思うルスランだった。そして、お互い讃え合ったあとプロケールは兜を被り直しもせず去っていった。別に顔を隠すことにこだわりがあるわけでもないようである。
 確かに、いつも兜で顔は隠れている。だが、普段から顔を隠したいわけでもない。ルスランが少し推測したように隠したかったのは詠唱する口元だ。魔術師にとってマスクを着けたり髭を伸ばして口元を隠そうとするのは常套手段だ。その手段としてプロケールは兜を選んだ。それだけに過ぎない。
 顔を必死に隠そうとしているわけではないからこそ、食事の時などに顔を見られて実はイケメンなどという噂が広がったわけである。もちろんオフの時だって顔など隠していないしむしろ鎧さえ身につけていない。そうなるともうただのかっこいいおじさまでありそれが鎧がトレードマークのプロケールだなんて誰も思わない。そういうことだ。

 戻り際、次の試合に出場する選手が声をかけてきた。
「タイタニウムとかオリハルコンみたいなヤベェのと当面当たらなさそうでラッキーだと思ったらとんでもねえのがいてくれたもんだぜ。次の試合じゃお手柔らかに頼む」
 早速レミが何者かを詳しく解説してくれた。……のだが。結局その人は負けてしまったので説明は割愛する。彼を破った美女が次の対戦相手である。レミの見立てではその男が対戦相手に勝てる見込みは低いとのことだったが、その言葉通りであった。
 今日のゴーレムはエキシビションでグライムスとやり合うのを楽しみにしているロエルである。だが、今日のレベルだとダウングレード型のゴーレムにはきつすぎたようである。あっさり敗退した。一方ゴウキの相手もなかなか手強そうであった。しかしまだ余裕を残したままゴウキが勝利した。
 一回戦はこうして終わり、二回戦が始まる。グライムスの相手はとんでもない強者だった。グライムスがいなければ優勝もあり得たのではないだろうか。いや、ラウラには勝てなかったかも知れない。無論、そのラウラに勝ったグライムスの手に掛かれば何でもない。そしてルスランに順番が回ってきた。