ラブラシス魔界編

32.乙女たちの展望

 報酬を受け取ったついでにギルドの依頼を確認してみる。別に依頼を受けるつもりはないが興味本位だ。
「レミさん、いつもの入ってますよー」
 レミに窓口のお姉さんが声をかけてきた。ちょうどいいので依頼を受けるところまでお手本を見せてもらおう。と言うか依頼自体も日帰りで片付く簡単なものなので、ここまま依頼完了まで見学させてくれるという。女の子なら憧れそうな愉しい仕事らしい。依頼人とのしがらみで受けられる仕事の典型で、レミが初心者だった頃から繋がっている依頼人だそうである。言い換えれば相性次第で初心者でも受けられる程度の仕事という事でもある。
 親子で揉めてたリューディアとそれを混ぜ返していたリトルウィッチーズも手続きを見に来た。イサークも興味津々である。主に、これからリューディアが見学について行きそうな仕事とやらが危険なものでないかが。そして、イサークは去って行った。大した仕事ではなかったのでひとまず安心したのだ。
 依頼の手続きと言っても、この場合は名乗りを上げるだけである。このやり方も一様ではなく場合によって様々だ。今回は指名付きの依頼なので、係員から情報を聞いたら引き受ける旨を伝えてサインしそのまま仕事に向かうだけだ。
 一般の依頼であれば依頼リストから選択し受諾の名乗りを上げる。名乗りを挙げられるのは一チームではなく、既に他人が着手している仕事に横入りも可能だ。実力のない者が依頼を受けて手こずったり失敗しているうちに事態が悪化すると困る。それ故の処置だ。しかし横取りが起こるケースは多くない。急ぎでもなく確実に完了できる依頼を他人から奪えばトラブルの元だし、横取りできず先に完了されれば時間の無駄だ。メリットは少ない。それに届け物のような依頼は横入りのしようがない。先に依頼を受けた人物がその荷物を預かっているのだから当然だ。これに横入りするとなると先に引き受けた冒険者から荷物を奪うことになる。それは流石にただの強盗である。
 一方、討伐依頼だと多重受託が発生し早い者勝ちの奪い合いが起こりやすいが、こういうのは早めに討伐された方がいいのでむしろ積極的に奪い合う。奪い合いつつも情報を共有したり敵が想像以上に手強かった時に協力もできるのでメリットも多いのだ。他のチームをこっそり尾行して道中の厄介ごとや取り巻きを含む討伐対象との激闘も見守り、疲れ果てているそのチームを全滅させて手柄だけ奪うなんてこともできるが、そういうことをする連中は日頃の素行も悪いのでまあバレる。なんなら、そういうことをしそうな連中をこっそり見張る緊急依頼が発生したりもするのだ。

 と言うわけで、リストを見てめいめい自分のランクに合わせた依頼を確認する。ルスランはアイアンだ。このくらいの冒険者は層も厚く、同格数名とか上位者をリーダーにしたチームなどで行動することが多い。依頼自体もそれを前提とした内容になっている。
 アイアンランクで主にターゲットになるのはオークの山賊団だ。目撃情報を元にカッパーランク向けに捜索・偵察の依頼も出され、情報が出揃った所で討伐依頼が出る。捜索依頼を受けたカッパーの冒険者が案内がてら上位のチームに同行することも多いらしい。オークの山賊は発生数も多いので週に一グループ撃退しても枯渇しない。撃退されてその縄張りが空白地になると、新たに他の山賊グループがそこに乗り込んでくるのだ。
 山賊側としては冒険者に見つかる前に稼いで逃げ切ったり、偵察の冒険者をうまく騙してその情報に踊らされた戦力の足りない冒険者を返り討ちにしたりという勝ちパターンに賭けるような感じだ。危険すぎるし割のいい賭けではないが、豊かな森のあるラブラシス周辺だけに食うに困ってやるわけでもない。オークにとっては一獲千金のドリームであり、ものすごい名声となる。モテたくてやるのである。なので必死さがない。なのでグループもそれほど大きくないし、死に物狂いで刃向かって来ることもなくちょっと押されるとすぐに尻尾を巻いて逃げる。相手にする冒険者にとっても楽な部類の仕事だ。
 王国方面から流れてくるセントール盗賊団も少人数ならアイアン級の獲物だが、大きめのチームで受けないとリスクが高い。戦闘能力もオークより高いが、何より逃げ足が速いので取り囲める人数を揃えるか飛び道具や魔法で狙撃するなど確実に仕留めないと大体逃げられてしまう。
 ほかの亜人であれば、例えばオーガならばシルバーランクのチーム相当になる。ネルサイアがチームを率いてオーガを撃退していたのでネルサイアも少なくともシルバーには相当するだろう。ルスランだってネルサイアに負けはしない。やる気さえ出せばシルバーまではいけそうだ。
 ラブラシスは国土の大部分がエルフのテリトリーである通称迷いの森に覆われている。エルフの生まれた土地だけあって森の奥は濃厚なマナに満たされ、小魔境と呼ばれるほどに魔獣などの発生も多い。森から迷い出てこない限り問題にならないが、迷い出てくる数は決して少なくない。ユニコーンが畑を荒らしているとか、物置にいつの間にかヒメワイバーンの巣が作られてて物置が使えない、なんてのは郊外では日常茶飯事である。
 たまにいる気性の荒い個体ではない普通の大人しいユニコーンならちょっと痛い目に遭わせて追い返すだけでいいし、ヒメワイバーンも駆除するほどではない。家人が物置から物を出す間冒険者が囮になって親を巣から引き離せば済むので楽だし、子育て期間中に繰り返し発生することもあるおいしい仕事でもある。
 アイアン級ともなれば集団戦となるブラックウルフや魔法が厄介なエビルトレントなどの難敵を相手にすることになる。単独で挑むとすればエルダーリザードやウッドガーゴイルだろうか。正直、ルスランなら楽勝だろう。
 こうして見てみると、アイアン級というのは数多くいる有象無象の冒険者では上位という位置付けらしい。この位のランクから集団戦が必須になってきており、格下の有象無象を率いて難敵に挑むことが求められているようだ。仕事で派遣されたついでに一人でさくっと依頼をこなして昇級を狙うのは難しいかも知れない。まあ、小遣い稼ぎ程度ならこのランクで十分だろう。
「ちなみに、一番報酬のでかい依頼って何だ?」
「それなら文句なしであれでしょ」
 ルスランが問いかけるとレミは壁の高いところを指さした。そこには色褪せた古い張り紙が貼られている。
「えーと、討伐依頼、討伐対象魔王……なめんな」
 ルスランは5秒で読むのをやめた。その魔王の名前さえ確認せずに。
「しかも捕獲よ、捕獲」
 できれば生け捕りにしろと言うことだ。全力で殺せる普通の討伐依頼と違い、動きを止められる程度にとどめるべく手加減することが要求される。そして生きたまま連れてくるなり、確認する人が来るまで抑え続けなければならない。珍しい魔獣をペットにしたいとか言うときに出される依頼であり、事情を聞くと命がけでやるのが馬鹿馬鹿しくなるケースが多い。そういう意味でも、かなり余裕をもって獲物を圧倒できる実力者向けの依頼になるのだ。
「でもさー。今って討伐しなきゃならないような魔王っていなくない?」
 アミアは小首を傾げた。魔王とは魔境にある国家を統べる魔族の王だとされる。神話の時代には人類とは全面戦争を繰り広げていたが、お互いに損害が大きすぎたため今は人類と魔族は表面上極力関わり合わないようにしている。
 いつの間にか魔族が大人しくなったその理由については長らく謎であった。魔族の侵攻が止まったことで人間たちは相争うようになった。そうやって人間同士が殺し合い疲弊したところを魔族が狙っているのだとも言われていた。それは半分は正しかった。しかしそれと同じくらい、もしかしたらそれ以上に大きな理由もあったのである。魔族との戦火が遠のき人間同士争っていた頃、魔境も戦国時代に突入し魔王同士が争っていたのである。魔族との関わり合いを絶っていた人類がそれを知ったのはほんの20年前の人魔大戦で久々に公的に魔族と接したためであった。
 人魔大戦が終結し、人類と魔族は再び距離を置いた。ラブラシス列びにフォーデラストは魔王ルシフェルの統治するヴェルナスと不可侵協定を締結。しかし、無意味であろう。侵略しあうには遠すぎるのである。一度は手を取り合いながらも国交を持つに至らなかったほどに。
 帝国と手を結んだ魔王ベルゼブルは滅び、その領土はルシフェルの統治下に収まった。次代のベルゼブルが産まれたとも聞くが、戦力の回復はできていないはずだ。他の魔王がこちらに侵攻してきたという話もない。張り紙の古び方を見てもだいぶ前の話、未だに戦いが続いていれば聞いていないはずがないのである。
 その事情については依頼人の名前を見ればわかるとのことである。
「えーと。依頼主・魔王ルシフェルW世……ざけんな」
 改めて張り紙を見てみれば、魔王ルシフェルの依頼で魔王レヴィアをできれば生け捕りにしろと言う内容であった。
「内輪揉めかよ」
「その言い方はさすがに悪いわよ?その理屈なら連合軍と帝国の戦争も人間同士の内輪揉めになるじゃない」
「それもそうか……。にしても人類を巻き込むなよな。魔王同士勝手にやってりゃいいんだ」
 誰もが同じように考えたので未だにこの依頼が残っているのであった。それ以前に、冒険者で魔王に挑もうなどと言う勇者がいなかったというのももちろんあるのだが。そして。今のところ、この魔王レヴィアとやらは人類に関わってくる様子がない。スルーされて当然だった。

 いずれにせよ、ルスランたちはまだ依頼を受けるつもりはない。今夜には出発するルスランたちはもとより、冒険者登録したのがバレただけでパパのお説教が確定したリューディアもこれ以上パパを怒らせるわけにはいかない。リトルウィッチーズもメタル認定は嬉しかったが予想外のこと、仕事を受けるなら装備の準備に心の準備も必要だ。カンナは仲間さえ見つければすぐにでも動けるしそれも引く手数多だろうが、当面はコロシアム中心で腕を磨きたいとのことである。
 そんなわけで、今日は見学だけしてお開きである。なおグライムスは帰った。ガキの使いに興味なしである。しかし美少女大集合の状況に食いついたゴードンがついてきてくれたのがルスランの心の支えとなった。
 そのゴードンによると、アミアやカンナが酒の勢いでぶっちゃけたインタビューの記事は好評だったようである。となれば冒険者デビューの記事も期待ができる。色気だけでなくそちらの欲でもゴードンは動いていた。
 欲で動いているのはゴードンだけではない。いなくなったグライムスがどこに行ったのか。昨夜はコロシアムにグライムス目当ての挑戦者が大挙して押し寄せた。しかしその大部分はバトルロワイヤルで脱落し本戦まで残ってもグライムスとの対戦が叶った者は少ない。不本意極まりないところであろう。
 未練たらたらの挑戦者たちの願いを叶えるべく今夜のコロシアムは特別企画を用意しているが、その企画が思いつかれるまでにもグライムスに手合わせを直談判する輩が続出した。それに対するグライムスの反応は冷たいものであった。暇じゃないとは言わないが面倒だ、金取るぞ。ってなもんである。それを挑戦者は金さえ払えば手合わせしてくれると受け取った。そしてそれは正解であった。金を払ってでも手合わせして欲しい挑戦者と金が欲しいグライムス。利害は一致したのだ。そんなわけで今、グライムスは金を払ってくれた人を叩きのめす理不尽な商売をしているところであった。
 さて、今回ルスランたちが見学するお仕事だが。レミに率いられてやってきたのは町外れの農場であった。農場と言っても野菜のような作物と言った感じではない。周囲に広がっているのは花畑。これだけで既に女子のテンションぶち上げである。
 そして、その花畑で蜜を集めていたのはフェアリーたちであった。蝶型ではなく蜂型だったがその姿は十分に愛らしい。手のひらにすっぽりと隠れるくらいのサイズで、透き通った翅と蜂の腹にあたる縞模様の膨らんだ尻を持つ少女の姿をしている。
 蝶型のフェアリーは郊外とは言え町になど出没せず、そもそも人前に現れることも稀だ。一方蜂型フェアリーは人間との共生の道を選んだ。人間のために蜜を集め、その見返りとして安全で快適な環境を与えてもらうのだ。普通の蜂であれば巣作りをするが、彼女たちにはそんな能力はない。人間との共生を始める前は木の洞や他の生き物の巣などを利用していたが、やがて人家の物置などに隠れ住み始め、そこから共生関係に繋がっていった。
 住みつかれた人間にしてみれば最初は迷惑だったが、相手の容姿が容姿なので手荒な真似をするのは気が咎め、蜂蜜を奪うだけに留めた。フェアリーたちも蜂蜜を奪われるのさえ我慢すれば住処が与えられるのは悪くない。やがて、蜂蜜の生産性を高めるために花を植え、フェアリーたちにとって余剰している分だけでも十分になると本格的に共生関係が始まり、今は住処から服まで人間が用意し世話するようになっていた。
 さて。普通に住むにはとても快適な環境を与えられたフェアリーたちだが、自然の猛威の前には抗いきれない。荒天などによる備品の破損はフェアリー農家が賄うが、外敵への対策はそれだけでは難しい。蜜を採りに行ったフェアリーが鳥に襲われることは珍しくないし、それよりも恐ろしいのがスズメバチである。通常のミツバチ同様、フェアリーの住処もスズメバチのターゲットにされるのだ。体の割に戦闘能力は弱く、スズメバチにとってはカモである。
 ミツバチの巣と違いフェアリーの巣箱には扉がついているし、フェアリーなら自力でその扉を開閉できる。いざとなれば扉を閉め切って身を守れるが、当然その間は外に出られないし、一度スズメバチが諦めて退散してもいずれまたやってくる。スズメバチに見つかった巣は捨てるかスズメバチを駆除しなければならない。そう、レミの受けた依頼はスズメバチの駆除であった。本来ならば危険な仕事である。しかし、レミはこれに関してならばベテランなので楽に片付けられる小遣い稼ぎでしかない。
 レミについてきた見慣れない人間に少し警戒するそぶりを見せたフェアリーたちだが、レミから見学に来た友達と告げられると多少は警戒心を解いたらしい。物珍しそうにルスランたちの周りを飛び回りだす。
 言葉を発することができないフェアリーから身振り手振りでスズメバチの巣の方角を教えられ、探索魔法でスズメバチ、そしてその巣を探し当てる。巣に近づくと危険な仕事の始まりだ。しかし、ファイアウォールの魔法があれば攻撃を仕掛けようとするスズメバチは追い払うなり焼き払うなり出来る。そして巣の場所さえわかればファイアボールなりフレイムなりで焼き尽くせば仕事は終わりだ。見学の一行もアミアのファイアウォールでガードされているので危険はない。
 仕事が終わった証拠として焼け焦げたスズメバチの巣を持ち帰れば依頼完了である。一見実にちょろい仕事に見えるが、慣れていてこの仕事のために向いている魔法を一通り揃えているレミだからこその手際の良さだ。何も知らずに仕事を受けた冒険者ではなかなか巣を見つけられず手間取って怒られたり、蜂に刺されて死にかけたり死んだりする者もいるそれなりに厳しい仕事ゆえに、魔獣絡みの依頼がないリード級で受けられる害獣駆除の中でも最高難度と言われるのだ。
 斯くてフェアリーたちの日常に平和が戻った。再びの穏やかな日々は彼女たちの手に。報酬はレミの手に。全てが丸く収まったのである。

 愛くるしいフェアリーたちに囲まれた、夢のある仕事。フェアリー農家は見た感じ、そんなところである。しかし、実際にはなかなか大変なのだ。スズメバチの問題もそうだが、そもそもこのフェアリーたちの家を用意してやるところから始めなければならない。フェアリーたちは非力で不器用だ。そんな彼女たちでも子供が増えたら個室を増やしたい。そんな時はフェアリーでも組み立てられる拡張キットを手渡すのだが、大体それは農家の人の手作りだ。
 まだ衣食住は揃っていない。食べ物はフェアリーが自分たちで集めるとして、必要なのは着る物である。いや、必要とは言い難い。何せ、人との共生を始める前はフェアリーたちは素っ裸で過ごしていたのだから。しかし、少女の姿をしているのに裸のままなのは忍びないとか、せっかく可愛いんだからもっと可愛くなどと言う理由で服を着せ始めたのがそもそもの間違いと言えた。フェアリーたちは服を着ることを覚え、自分たちで服を仕立てる技術は学べなかった。なのでこれも農家の仕事である。
 さらにはフェアリーたちが自分の個室に飾るインテリアなども作ってやったりと、実に細かい作業が要求されるのだ。もちろん、その手の仕事をする職人もいるが、自家製で済ませられればコストが押さえられる。それにフェアリー農家をする時点である程度はそういったことが好きな人が多い。
 ここの農家では得られた蜂蜜の量に応じた報酬と言う形でそう言った小物を支給している。贅沢したければ頑張って働けという、極めて人間社会に近いシステムである。こうしてみると、蜂蜜と関係のない仕事がやたらと多い。いくらただの蜂蜜よりフェアリー蜜の方が高く取引されるとはいえ、フェアリーたちを愛でる気持ちがなければやってられない所だ。こういう雑事が煩わしいなら普通の養蜂をしろということなのだろう。
 フェアリーたちの生き様もまた、見た目ほど御伽噺めいた物ではない。鳥やスズメバチなどの天敵も多く、死と隣り合わせの日々である。3年間の天寿を全うしたり巣箱の中でスズメバチにやられたりで亡骸がある場合は巣箱の個室が取り外されて棺桶代わりになる。外で死んで帰ってこなかったものは部屋は残され新たな住人が住むことになるが、中のインテリアが故人を偲ぶ墓標代わりとなる。なお、さすがに短期間に入居者が何人も死ぬような超級の事故物件は死体が見つからなくても交換されるそうだ。
 命を奪う敵に対して無抵抗なわけではなく蜂らしく毒針も持っているが、これに関してはミツバチ由来らしく使いきりだ。ミツバチのように毒針の使用が命と引き換えという事もないが、代わりに失うものはある。
 毒針を用いた個体は腹部――虫で言うところのである――の内側がずたずたに引き裂かれる。それにより、もう子供を産めなくなるのだ。その一方で敵に立ち向かった勇敢な存在として自他ともに認められる。社会的だけではなく、身体的にも変化が現れる。強く勇ましいフェアリーは毒針を失ったことがきっかけで体質が変化しオスになるのである。
 蜂型のフェアリーは基本的にメスしか生まれない。ミツバチのように女王が居たりもしないし、かと言ってメスだけで繁殖することもできない。メスしか生まれないのにオスが必要なのである。そのため、後天的にオスが発生する性転換が起こるのだ。なお、不思議なことに戦って毒針を使わないとオスにはならない。無理やり毒針を摘出しても繁殖能力のないメスにしかならないのだ。そして、オスになったところで外見的な変化はない。見た目は少女のまま、言ってみれば男の娘フェアリーである。
 そうしてオスが発生すると巣箱の中が見えなくともわかりやすい。まず一斉に産休にはいるのでにわかに蜜の生産量が落ちる。程なくして巣箱の部屋を増やすキットや新しい服の要求が増え、その後体の小さな若いフェアリーが次々と現れるのだ。
 たまにしか現れない貴重なオスである。女王のような存在もなく全てのメスが繁殖を行えるので、当然だがモテモテだ。オス一人に群がるメスの数はほぼ巣箱のメス全てと言えるだろう。羨ましいと思えなくもないが、その勢いで交尾させられれば力尽きるのも早い。毒針を失ったことで死んだりはしないが、結局その先は長くない。もっとメスたちが自制し我慢すれば少しくらいはオスも長持ちするのだろうが、我慢できないほどに飢えているのだから仕方ない。
 オスの発生頻度を高めるために多少外敵に襲われるリスクを残してあるがこのざまなのである。しかしこれ以上リスクを増やすのも考え物である。危険が増えればオスも増えるだろうがオスにもならず死ぬフェアリーも増える。巣箱のフェアリー数は変わらず、子育てする親や成長中の子供の割合が増えて生産性は落ちることになるだろう。その先にフェアリーの増加が起こればそれはそれで世話する農家の人の負担が増えることになる。そしてその多くが報われることなく命を散らす――。良いバランスのためにフェアリーたちには寂しさに耐えてもらい、オスになったらその先の人生を諦めてもらうしかないのだ。
 と。そのような話をフェアリー農家のおばさんが実にノリノリでしてくれた。この愛らしいフェアリーたちの見た目によらず生々しい話だ。メルヘンの世界に見えても所詮は現実という事だ。ルスランにとってもまあまあ興味深い話ではあった。しかし、この後の人生に大して役に立つ話ではなさそうである。ネルサイアあたりと酒でも飲みながらするとちょっとは盛り上がるだろうか。それにしたってこんな女子に囲まれた状況で聞く話ではなかった。こんな生々しい話を聞かせるには早そうな子まで混じっているというのに。
「フェアリーの交尾ってどんな感じなんですかー?産むのは卵?」
 女子の方はルスランら男性陣を全く気にしていないようだが。いや、全員がこうだと決めつけてはいけないか。全くもって何を聞いているのやらである。
「実際に見たことはないんだけどね、蜂と同じくお尻の先っぽを合わせて交尾するみたいだよ。卵じゃなくて妊娠だね、お腹じゃなくてお尻のところが膨らむんだ。まあそこがお腹なんだけど。産まれた赤ちゃんなら見たことあるよ。普通に人間の赤ちゃんみたいだったね、翅は小さくておっぱいを飲んでたね」
 この辺の生態は無駄に人間寄りであるらしい。また生々しい話であった。なお、フェアリーは人間の腹に該当する部分に消化器官が詰まっており、虫の腹部分には毒針と生殖関係の器官が集中しているそうだ。
 話はともかく、農場製の蜂蜜ドリンクは良い。ルスランには蜂蜜酒が出された。当然甘ったるいが蒸留酒とのカクテルなので王国人にも満足の味(度数)である。まして昼間から飲む酒は甘露である。ゴードンとレミも同じものをもらった。未成年にはハニーティー。ルスランとアミアは歳を聞かれたが歳も聞かれずハニーティーを出された大人がいる。誰かは言うまでもないだろう。
「この町の守護精霊様がウンディーネ様からシルフ様に変わったろ?風の眷属には蜂蜜好きがいるみたいで神殿がいっぱい購入してくれるんだよね」
 思えば、フェアリーたちは蜂型も蝶型も主食が花の蜜で風の眷属だ。これだけでも一大勢力だろう。しかし彼らは蜜を生産する側。他にも蜂蜜好きがいるようだ。
 風の巫女であった王国出身のラウラが嫁いで公国に移ったことで、水の巫女だったマリーナが入れ違いで王国にやってきた。そのとき、ずっと公国を守護してきたウンディーネと王国領内を遊び回っていたシルフの所在も入れ替わることになったのだ。もっとも宝珠の中に封印されている時点で守護というほどの力は行使できない。主に守護してくれているのは今でも術者としては十分現役の巫女や従属する精霊たちであろう。
 風の眷属は多くが飛行できる。そのためシルフが引っ越ししても簡単について行くことができるのだが、入れ替わることになった水の眷属はそうはいかない。マーメイドなどはそもそも海から離れられないのだ。幸いだったのはウンディーネが元々海などないラブラシスに居着いていたことだった。元々つき従う眷属のいない、言うなればぼっちだったのである。遠くに残してきた眷属のところに遊びに出向いていく立場。これならどこに住んでいようと大差はない。もっとも本人は風通しが良すぎて乾き地味の神殿に居心地の悪さを感じていたが……。
「楽しそうな仕事だなあ……。こういう仕事ならやってみたいなあ」
 羨ましそうなリトルウィッチーズにアミアが無責任に言う。
「いいんじゃないの?レミ姐さんもせっかくランクが上がったんだしヌルい仕事は若手に譲ってもっと高みを目指すべきよね」
「よくわからない出来事に巻き込まれて無理矢理昇格させられて仕事まで取られるのは勘弁してほしいわ。あとなんかいつの間にか定着してそうな姐さん呼びもちょっと勘弁なんだけど」
 アミアに至っては年下だが既に格上なのだ。リトルウィッチーズなら姐さん呼びも違和感がないが、アミアからだとむず痒い。リトルウィッチーズも言い募る。
「でも、あの時の姐さんの気迫は凄かったよ」
 気迫だけで無様だったけど、とは思っていてももちろん言わない。
「そうだよそうだよ。怒濤の猛攻ぶりには秘められた力を感じたよ」
 まあ、火事場の馬鹿力だろうから常時あれを求められたらさすがに酷だとは思う。そして姐さん呼びの件については触れることはなかった。現状維持で保留であろう。

 結局、折衷案としてリトルウィッチーズは冒険者としてはレミの弟子あるいは助手という形に落ち着いた。フェアリー関連の楽しそうな仕事には誘ってもらえるし、少し上級の仕事もチャレンジできる。一方でレミにも大きなメリットがあった。二人は最低ランクの未成年者なのであまり難しい仕事には連れて行けない。それゆえに大手を振るって今まで通りのぬるい仕事を引き受けられるのである。
 ほかの面々の身の振り方もひとまず決まった。リューディアはどうせパパが許してくれないので当面冒険者として活動することはないだろう。
 カンナは元々コロシアムで実力と評価を身につけたら冒険者としてデビューする予定だった。予定が前倒しになっただけで何の問題もない。強いて言うならばいきなりデビューしたので一緒に仕事をする仲間がいないことだ。もちろん実力も人気も問題ないので引く手は数多だろうが、冒険者に対する知識がないのでその手に引かれていいのか見分けられない。下心に満ちたろくでもない冒険者の方が多いだろう。
 リューディアが大丈夫ならコンビを組めたかもしれないが、可能性は薄い。レミはもちろんそんな恐ろしい誘いは固辞である。一応セリーヌを紹介してくれるらしいが実力はレミとどっこいだしレミほどびびりはしないだろうが厳しいと思うのではなかろうか。たまに手伝うくらいならともかく、チーム結成はきっと断られる。
 一応、ルスランたちもメラドカインでの用事が済んで帰ってきたらせっかくなので何か一つくらい仕事をしてみたいと思っている。その時には誘ってみるのもいいだろう。
 さらに。アミアに関しては状況が好転しそうである。グライムスが冒険者生活に興味を示したのだ。戦うことしか取り柄のないグライムス。戦争が終わり平和になったラブラシスでは軍縮が進み、娘のためにも安定した収入を確保すべく混迷の続くメラドカインで傭兵稼業をしていたが、衰えも感じ始めたし学校のために一人暮らしをさせていたアミアが寂しがるので――それ以上に自分が寂しい――傭兵を引退して半ば隠居状態であった。
 グライムスが祖国を離れているうちに冒険者制度が発展していた。軍縮で退役した軍人の受け入れ先であり、頼まなくても盗賊や魔物相手に力を揮いたがる勇猛な隣国出身者の有効利用。そこから始まりいまや生活に密着した子供から英雄まで活躍できるシステム。傭兵よりは危険もなく、自分のペースで稼げる理想的な仕事だ。
 傭兵時代の蓄えもまだあるが、祖国のためにもなるので冒険者として現役復帰するのは悪くない。アミアも傭兵よりは冒険者にする方が心配もないしそばで見守れるだろう。何より、このまま王国に世話になっていてはマイデルにいいようにこき使われる。公国では思った以上に英雄扱いされるので少し居心地は悪いかも知れないが、間違いなく歓迎はされる。アドウェンの学校も無くなってしまったのでアミアに魔法の勉強をさせるにも公国に移り住むのが最も良い選択だ。もちろん、エイダの事を案じるアミアの気持ちも確認せねばならないが、グライムスはこの道に前向きである。
 魔法の勉強は公国でするのが良いのはそのエイダとしても同じ。本人の気持ちは分からないがアミアは一緒に来るように誘うつもりなのだ。エイダさえそれを了承すれば、あるいはアミアの支えがなくても自立していけそうならアミアも冒険者として本格的に活動することになるだろう。その時、カンナと組むのも悪くない。
 カンナも当面はより安全で確実なコロシアムを中心に稼いでいくつもりなので結論は急がない。つまりは保留であった。