ラブラシス魔界編

30.焦土にて

 イービルファントムは消え失せ、事態の引き金を引いた連中も目に付く生き残りは一通り縛り上げられている。街の真ん中に聳えてマグマを垂れ流している山は気になるが、何かしてみたところでどうにかなるようには到底思えないので無視する。ひとまず事態は収束したと言える。今はまず、状況を整理すべくここで起こっていたことを知ることが先決だ。
 火の力が荒れ狂っていたので火の宝珠に何かが起こったのだと決めつけていたが、どうやらそうでもないらしいのは先ほど聞いたとおりである。では、その火の宝珠はどうなったのか。
『どうなったんでしょうな』
 宝珠を守っているイーフリートがこのざまである。今回の騒ぎが火の宝珠から目を逸らすための陽動であったことは明確だ。であれば、一応念のために精霊に確認させている所ではあるが奇跡が起こってでもいない限り確認するまでもなくこの騒ぎの裏で宝珠は奪われたと考えてよい。
「サタンの断片を精霊に融合させたとの話だったが、そんなことに使ってサタンの方こそ大丈夫なのかのう」
 マイデルとしてはサタンを心配してやる気持ちは一切ないが、むしろそれでサタンを怒らせてろくでもないことにならないかを心配したのだ。とは言え、怒らせなくてもサタンである時点でろくでもないので今更と言える。むしろこれでサタンの精神が損傷でもしてくれればありがたいくらいだ。
『悪霊が取り憑いたようなものですからなぁ。取り憑かれた者が狂っても悪霊の方には大した影響はありますまい。それより、ムハイミン・アルマリカの此度の動きの方が気掛かりですな。奴らはサタンの完全復活を目指しているのか、それとも……』
 ムハイミン・アルマリカ。それはそもそもメラドカイン帝国の残党たちによって結成された組織であり、その狙いは帝国の再興。サタンとは関係ないはずなのである。
 サタンの断片を目的のために利用しようとしているのだとしても、それならば真っ先に狙ったのが在処が遠い上に攻略難度も高かっただろうリム・ファルデの水の宝珠なのが納得いかない。真っ先に火の宝珠を狙えば、ムハイミン・アルマリカの行動開始はもっと早かっただろう。
 しかし、最終的に全ての宝珠を手中に収めようとするなら的確な順番と言えるのだ。一つでも宝珠に手を出せば他の宝珠の守護者にそれが知られ警戒のレベルが引き上げられる。そうなればリム・ファルデの宝珠の奪取はさらに難しくなるだろう。最初に奇襲をかけたことで有利に進めようというした意図が見える。
「目的は完全復活だろうよ。ならば、その理由よな」
『精霊とサタンの融合がただの陽動でなかったのかも知れませんぞ。奴らの悲願が帝国の、ひいては皇帝の復活であるなら、皇帝とサタンの融合を目指しているのかも』
 近くでムハイミン・アルマリカの動きを見張ってきたイーフリートは連中の考えそうなことはなんとなく分かるのである。
「ありそうな話だ。その下準備、あるいは実験というところか。さて、そうであるならこの有様は成功なのか失敗なのか……」
 マイデルとイーフリートが敵の目的について考察している一方、エイダとマリーナはイーフリートが見失った宝珠の行方についてミカールと話していた。
『騒ぎになる前はちゃんとそこの神殿の台座に乗ってたんだよ。間違いなく騒ぎが起こった隙に神殿に忍び込んでかっぱらってったんだろうね』
「というか、そもそもなんで神殿がここにあるの?マズルキの神殿は?」
『ああ、ほら。ムハイミン・アルマリカが悪だくみをし始めてたからさ、ちょっと避難してた感じなんだよ。こっちもボスがいないと戦力としては不安があるしさ』
 だから仮設神殿なのである。見た目も神殿と言うにはしょぼかったのだが、そもそももう原形すら留めていない。ボスとはもちろん宝珠に封印されているサラマンドラの事である。そこまで警戒していたのに、ムハイミン・アルマリカが一枚上手だった。まさかあそこまで荒っぽい手で来るとは。
『出現したときの……ブラック燃え太郎はあたしらが全員で掛かっても勝てるかどうかっていう化け物だったさ』
「も、燃え太郎……?」
 名前はともかく、出現時のフレイムファントムは筋骨隆々たる炎の巨人であった。それだけならば炎の精霊たちにとって恐れるべき敵ではない。向こうもそうだがこっちにだって炎は効かないし、こちらは数もいるので物理攻撃や魔力を吸い取るなどの手段でちまちま削っていけば倒すこともできただろう。
 問題だったのは核にサタンの断片があったことで強烈な闇属性も帯びていたことだ。当然炎の精霊に闇の力はダメージになる。
『サタンのセグメント自体が抜け出して闇は残り滓だけになってたガリガリ燃え太郎やほねほね燃え太郎の炎攻撃だって、気持ちいいだけじゃなくてちょっと痛気持ちいい感じだったからね。そのちょっとした痛みが気持ちよさを引き立てるっていうの?』
 とにかく、出現時のフレイムファントムは厄介な相手で、その対策のために炎の精霊が総動員されることになったのだ。そうなることを見越しての作戦だったのだろう。仮設神殿警備の精霊が持ち場を離れた隙に宝珠を奪ったのだ。
「宝珠の場所はわからないの?」
『探りはずっと入れてはいるんですが、さっぱりですな』
 マリーナの問いにイーフリートはかぶりを振った。精霊は宝珠の放つ魔力を感じることができる。それは属性が違うウンディーネも同じ。激戦のダメージで力の衰えているイーフリートよりウンディーネの方がそれを探る力は強いはずだが、マリーナに目を向けられると同じくかぶりを振った。
『魔力を遮る箱に入れるだけで簡単に存在を隠すことができます。そのくらいの対策はするでしょうね』
 マイデルたちが駆けつけた頃にはもう全て終わっていたと考えていいだろう。

 その頃、マズルキの魔竜船発着場。
 先刻、ムンシャ・アフマルより使い魔によって運ばれてきた火の宝珠を受け取ったズルキフリは予定通りラブラシス公国への便に乗り込んだ。作戦は順調に進んでいる。
 その頃ムンシャ・アフマルでどんな大惨事が起こっているのかを知りもせずズルキフリはそう思っていた。それは自分への鼓舞である。何せ、この船が目的地に着いた瞬間こそ此度の計画の成否の肝となるのだ。
 全てはあの忌々しい英雄が再び動いたことに端を発する。グライムス・ホームド。あの、なぜか連邦の地で傭兵として活動していた公国の英雄によりムハイミン・アルマリカの目論見は悉く潰されてきた。平和を取り戻した祖国では自分に相応しい活躍の場はないなどという思い上がったことを語っていたらしいが、そんな理由で迷惑を被る身にもなって欲しいものである。
 ムハイミン・アルマリカが何か行動を起こせばすぐにグライムスが担ぎ上げられて乗り出してくる。ムハイミン・アルマリカは人数も多く目指す目的も壮大で、そのための手段も大きくなりがちだ。大きな騒ぎに高名な傭兵が乗り出してくるのは当然ではあった。
 大きな騒ぎを起こしつつもこの組織の存在までは明らかにはしていない。よってグライムスには自分がムハイミン・アルマリカの起こした事件に首を突っ込んでいたという自覚はないのだろう。それでも大きな事件が起きてもグライムスが動けば何とかしてくれるという信頼は民衆に根付いた。その一方で、何かを企んでもグライムスが動けば潰されるという恐怖がムハイミン・アルマリカ側に根付いていった。
 この世界に於いて、このような意識の力は精霊を介して実際の力を持つことになる。信仰の力と同じもので、広くは知られてはいないものの例えばラブラシスのコロシアムでゴーレムに宿る英霊が生前を凌ぐ力を揮うのもそのためなのである。生前の彼らの活躍を知る者、英霊となった彼らの強さに心酔した者。彼らの思いが信仰めいたものとなって英霊たちに力を与えている。
 それは英霊のみならず生者に対しても僅かにだが力を発揮する。英雄を望む民衆の願い、そしてムハイミン・アルマリカの怖れがグライムスに力を与えている。それに加えてそもそもムハイミン・アルマリカは気持ちで負けているのだ。敗北の度に戦力までも奪われてきた彼らにとっては勝てる要素のない相手でもあった。
 事態が動いたのは3年前だ。年齢による衰えに加え、知人に預けていた娘が心配になったなどという舐め切った理由で傭兵を引退し、彼の英雄は祖国に帰っていった。正確には隣国の国境に近い町にいたのだが、そんな違いは些事である。要は、この国から居なくなったのだ。
 ムハイミン・アルマリカはこれまでが嘘だったかのようにその悲願に向けて進み始めた。これまでの苦闘で多くの仲間を失っており、人手も足りず決して順調とは言い難くともそれでも着実に前に進んできた。
 そして、悲願の達成は眼前に迫っていた。しかしここにきて彼の英雄は再びムハイミン・アルマリカの前に立ちはだかろうとしている。次の魔竜船にてこの地に乗り込んでくるというのだ。青天の霹靂とはこのことである。
 だが、それに先駆けて自分たちも計画の最終段階のために大きく動いたのだ。その計画を阻むために対抗勢力も動き出すのは想定内である。それでも、この早さでしかも動いたのがグライムスであったことには動揺を隠せなかった。計画の前倒しを決めたのは焦りの表れでもあった。
 彼らの悲願はメラドカイン帝国の皇帝・マイードムの復活。
 先の大戦で追いつめられた魔王ベルゼブルが、共闘していたマイードムの肉体を奪い精神を支配したのは非道い裏切りだと思ったものだが、今となっては僥倖だった。そのお陰でマイードムの精神は肉体を失った今も存在し続けているのだから。
 今、マイードムの精神は一匹の巨大な蛆虫・ベルゼブルの仔に宿っている。いずれは成体となり驚異的な力に目覚めるだろう。だが、このままでは時間も掛かる。それにこのまま成長してもベルゼブルの宿敵たる魔王ルシフェルに勝つことができないだろう。そしてフォーデラスト王国とラブラシス公国の連合軍もまた大きな障害となるはずだ。
 大魔王サタンの助力が必要なのだ。復活させたことでその強大な力を分け与えられ、ベルゼブルの仔の躯はたちまち成長する。それどころか本来以上の力を与えられることになることだろう。
 マイデルや精霊たちが考えたようにサタンを融合させるという手もありはする。しかし断片程度ならともかく完全なサタンと融合しては取り込まれてしまうだけだろう。そして断片の力では十分ではないのだ。それでも断片でも十分利用価値はある。そして、その力をサタンの完全復活のために使うのであれば逆鱗に触れることもない。
 準備は着実に進んだ。そして計画は遂に動き出す。十全の下準備の上でフォーデラスト王国王城にあるサタンの封じられた宝珠の一つを奪い去り、封印を解いた。そして分割されたサタンのセグメントの力を借りてムンシャ・アフマル神殿からも宝珠を奪い去る。
 しかしそこでグライムスが動き始めた。リム・ファルデに逗留しグライムスを見張っていた密偵が、ラブラシスに移動し始めたグライムスの動きを使い魔を使って知らせてきたのだ。さすがに密偵でもその目的までは掴めなかったが、尾行をしながらその動きを逐一報告していた。
 その時点で最悪の事態に備え始めていたが、ラブラシスで魔竜船の次の便を待っている時点で目的地がメラドカイン連邦であることはほぼ断定できた。それを受けて急遽作戦の決行を前倒しし、それに伴って作戦も変更された。グライムスはまもなく出航する魔竜船の折り返し便に乗ってこの地にやってくる。その便の到着前に全てを終わらせて退散しなければならない。
 危機ではあったが、好機でもあった。言い換えれば折り返し便が出航した後のラブラシスにはグライムスはいないのだ。安心して残り二個の宝珠を奪うことができる。そしてこの便を逃せばその好機も逃すことになる。
 本来ならば目立たぬように火の宝珠を奪ってラブラシスに向かい、そこでシャイターンを作り出しその混乱で残りの宝珠を奪うはずであった。シャイターンがちゃんと生み出されるのか、その能力、サタンの再分離の可否。様々な検証も行うべきだったろう。しかし、検証を行う時間はなくなりぶっつけ本番となった。
 ムンシャ・アフマルでシャイターンを発生させる。正直、やるしかないとはいえ不安要素が多すぎであった。データ不足もさることながら、ムンシャ・アフマルを守護するはシャイターンの元となる炎の精霊たちの同族。双方攻撃が通じない泥仕合となるだろう。
 しかし、それで十分だ。混乱が起きて宝珠をかすめ取るだけの隙が作れればいいのだ。そして、火の宝珠は手に入った。作戦は成功したのだ。実行部隊もほとぼりが冷めればラブラシスに向かい合流できる。サタンのセグメントもラブラシスでほかのセグメントが解放されればそれに引き寄せられてくるだろう。
 見えていないところで誤算まみれだったことを彼らは知らない。シャイターンは無事に生まれた。しかし、一つのセグメントを多くのジンに分散させたことで闇の力が弱く泥仕合にすらならなかった。幸いだったのはそのことに危機感を抱いたシャイターンたちが合体することで闇の力を高めようとしたこと。それによりようやく陽動になりうる騒ぎとなった。だが、それが立て続けに招かれざる客を呼び寄せることとなる。
 まずは謎の存在であるクトゥグァである。本来、この世界にいるべきではない存在だった。裏に存在するとある世界の永劫の炎の中で太平楽に過ごしていたのだが、ニャルラトホテプやナイアルラトホテップなどと仮に呼ばれる存在に、過去の恨みによる八つ当たりでまたしても居場所から追い散らされた直後だった。そんな行き場を無くしていたクトゥグァが融合したシャイターンの荒れ狂う火の力を見つけたのだ。
 そのクトゥグアの持つ異常な力はマイデルたちを呼び寄せ、エイダに憑依した何かがニャルラトホテプまでも呼び寄せた。もはやこの世界の何者にも制御不能な事態になってしまっていた。これはもう、放っておくしかない。
 作戦を終わらせたら離脱し機を見て本隊に合流する手はずだった実行部隊は、狼狽えている間に精霊に捕縛されそのまま激戦に巻き込まれて多くが死んだ。最寄りのムハイミン・アルマリカの拠点に潜んでいたものはさらに悲惨である。何せ、その拠点のあった場所は今は忽然と出現した赤熱する山の一部となっている。生き延びるどころか骨が残っているかさえわからない。せめてもの救いはこの作戦の後ラブラシスに活動拠点を移すつもりだったため重要なものは粗方持ち出されていたことだ。さらには、図らずもこの拠点が完全に隠滅できたことか。代償が全滅なのは諦める他ない。
 彼らがそのことを知るのはまだ先のことである。

 彼らが向かうラブラシスでも予想外のことが起こっていた。リム・ファルデに逗留していたグライムスが突然ラブラシスに向かい移動を始めた。ラブラシスでは火の宝珠を奪う重要な作戦を決行すべく準備を進めているところである。その一方、その準備が着々と進んでいたことでその先を見据えて人員をラブラシスに移し始めていた。
 グライムスがラブラシスに向かうのは想定していた事態だ。ラブラシスには宝珠が二つもあるし、メラドカイン直通の魔竜船もある。リム・ファルデよりラブラシスに拠点を置く方が合理的なのは分かり切った事実。むしろ今までリム・ファルデにいたことの方が理解できないくらいだ。
 そして、グライムスは魔竜船に乗り込むことを公言した。ムンシャ・アフマルでの計画が妨害されて宝珠を取り損ねれば自分たちがラブラシスで進めている準備は無駄なものになるし、防衛戦力が出払っている本拠地に乗り込まれることになる。そもそも、こちらでの計画は火の宝珠に封じられたセグメントの力を当てにしている。水の宝球に封じられていたセグメントも火の宝球の奪取のために使おうとしていた。奪取が失敗に終われば全てを失いかねない。すでに解放されたサタンのセグメントはラブラシスにある宝珠を一つでも奪ってセグメントを解放すれば引き寄せられてくるだろう。しかし、その奪うのが一苦労となる。グライムスの邪魔が入っていたとは言え一つ奪うのに二十年かかったのだ。
 ラブラシスに先行していたチームはそれを恐れて決死の覚悟でグライムスの討伐に挑んだ。その決戦は結局失敗。決戦に消極的だった用心棒のおかげで大きなダメージを受ける前に撤退できたが、潜伏していたことが知られた以上しばらく動きを封じられることになるだろう。ムンシャ・アフマルでの計画が前倒しされ、最低目標である宝珠の奪取くらいは成功していたことを知ればこんな無駄なことはせずに済んだがそれは詮無いことである。
 挙げ句、ムンシャ・アフマルの実行部隊で無事なのは魔竜船に乗り込んだ数人だけである。グライムスがメラドカイン連邦にいるうちにできることなど、精々気持ちを切り替え立ち直り、体勢を立て直すことくらいとなるだろう……。

「さて。この地での宝珠奪取を阻止すべくグライムスたちを動かしたわけだが……連中の到着を待たずして火の宝珠は奪われた。最悪の結果だな」
 マイデルはいつも通りの険しい表情で一つ溜息をつく。
「グライムスたちは次の魔竜船でここに来る。それを止めるにはちょうど今頃出航しただろう魔竜船に乗らねば間に合わん。……儂の金が使われてしまう」
 あ、問題はそれなんだ。ウンディーネを含む女たちは一様に心でそう呟いた。
 例の人間大砲めいた高速飛行魔法で帰るならば、今からならどうにか間に合うだろう。それにしてもまずはマズルキまで帰らなければならない。そしてマズルキからはラブラシスには直行できない。この地はマナが薄く国力も十分ではない。ラブラシスどころかリム・ファルデまでさえも届かせる魔力が集められないのだ。数カ所の中間点を順に飛んでいくことになる。毎回魔法を発動させる手間は大きい。激戦直後の疲労困憊状態では億劫極まりないのだ。それこそ、そんな手間をかけるくらいなら金などくれてやりたいくらいに。なので、そこまでして金を回収する気はない。
 精霊なら、召喚されればその場所に一瞬で行けるだろう。逆に言えば、召喚されないとすぐには行けないのだ。こっちの期待もできそうにない。
 ならば、重要なのはその金が無駄金にならないようにすることであった。それには何か、こちらですべきことを見つければよい。
『それならば、ムハイミン・アルマリカの隠れ家を潰すのはいかがでしょう。いくつか場所は調べてありますぞ』
 ムハイミン・アルマリカはこれまでもこれまでも細々と騒動を起こしてきた組織だ。特にここ数年活動が活発になっていた。イーフリートたちがあまり手を出さず捨て置いたのは、活動の目的が見えず自分たちに関係ないと考えていたからだ。これまでの行動は下準備に過ぎなかった。水の宝珠を奪取したことで目的がわかったのである。
「ふむ。最寄りの場所だとどこになるのかの」
『ここの町外れに一つ。あちらの方に朽ちかけた廃墟があり……いや、あったのです。その地下に隠れ家を造っておりました』
 イーフリートの指し示す方向に目を向けるマイデル。実は、イーフリートの言葉が途中から過去形になったのが少し気になっていたのである。目を向けてみて、その事情を察した。念のために問いかける。
「あれの地下か」
『え、ええ。あの辺りでした』
 あれとは、先ほどの得体の知れない存在同士の戦いで生み出され、今なお盛んに溶岩を吐き出し続ける小山である。今となってはあの地下には溶岩しかないだろう。
『えー……。他にもこの付近なら何カ所かあります。集まっている人数を手下に調べさせましょう。少し時間がかかるかも知れませんがよろしいですか』
「うむ。どうせ魔竜船が往復するのを待たねばならんからな」
『では、そのように』
『念のため、他にこちらでできることを検討しておいた方がいいと思うわ。もう残ってる宝珠はラブラシスの二つだけなのでしょう?』
 ウンディーネが口を挟んだ。
「うむ、その通りだ」
『なるほど。それでですか……。いや、実はですな。連中の本拠地らしきものも見つけていたんですが、既に引き払った後でして。隠れ家も人がだいぶ減っていたので討伐でもされたのかと思いましたが……。宝珠が狙いなら既に主力をラブラシスに移しているかも知れませんな』
「それは困る。ある程度人員を残しておいてもらわねば、グライムスを暴れさせることができん。儂もつまらんではないか」
 マイデルも楽しむ気満々だが、連れて来られた女性陣は乗り気でないのに巻き込まれるのだろう。
『それは大丈夫です!宝珠奪取という荒事を控えていた為でしょう、こちらにはなかなかの武闘派が残っております』
「重畳だ。しかし、その武闘派と言うのがさっき踏ん縛られてしょっ引かれていった腰抜け共のことではあるまいな」
『いえ。今回の騒ぎを起こしたのは主に司祭団のようですな。それもサタンのセグメントをジンに植え付けて解き放った後は三下にこの場を押しつけて離脱したようです』
 その辺はその三下どもから聞き出した情報である。これまでに散々怖い目に遭わされた上、炎の精霊に囲まれ脅されてあっさり吐いた。尋問に当たった精霊は痩せ細った弱々しい姿になっていたが、それが却って死神めいた悍ましい迫力を醸し出していたのだ。ビビらせるだけなら何の問題もない。
「手応えのありそうな奴らは残っておるわけだな。後はそいつらの居場所を割り出してもらって乗り込めばよいか……」
「私たちは暇になりそうね。……帰っていいとは言わなそうだけど」
 自分たちは関与しないので好きにやってくれというメッセージを込めたマリーナの発言であるが。
「暇でもないぞ?当然帰っていいなどとは言わぬ。場合によっては散らばってる敵を燻し出し一カ所にまとめ、グライムスたちが来るまで逃げぬように睨みを利かさねばならん」
 散らばっているならそれを利用して各個撃破できれば確実になる。だが、それだとグライムスに出番がなくマイデルの金が無駄になるのだ。もちろんこちらに残っている敵が質あるいは量に優れていれば各個撃破で間引く作業も必要になるかもしれない。方針を定めるのは偵察の結果を見てからだ。
『確認が終わりましたぞ。割り出してある隠れ家は粗方引き払われてますな。ただ一カ所、マズルキの隠れ家には人が残っておりました。他の隠れ家からもマズルキに向かっているようです』
 精霊の仕事は驚くほど速い。肉体を持たず拠点間なら瞬間移動できるものもいるのだから当然だった。
「なるほど。向こうも集結しグライムスを迎え撃つ気満々か。ならば我々が背後に回れば挟撃にできような」
 この動きを見てそう感じるのは王国の戦闘脳ならではである。
『いえ。到着までの間を利用して戦力をまとめ、変装でグライムス殿をやり過ごして魔竜船に乗り込む作戦のようです』
「なんだと……?何か企んでおるのか……?」
 単純に恐ろしい強敵に遭遇しないように回避するという考えが浮かばないようである。今の戦力で勝てない恐ろしい敵がいるなら更なる武装強化と数を揃えて挑むのが当然だと思っている、強敵が迫っていると聞いて武器を手に家族総出で馳せ散じようとする民族には危険回避の概念が薄いのだ。結果として、それが最善の危険回避にもなっているのだから。その辺は以前の戦争で王国と手を組んだ経験もある精霊達も把握しているし、何なら気性の荒い火の精霊達にならば納得すらできる。その上でもこいつらはヤバいとも思っているが。
『連中も数がだいぶ減ってますからな。強気の作戦に出られんのですよ。ましてや相手は連中の悪事をことあるごとに邪魔しては構成員を削ってきた宿敵のグライムスですからな。それに、今回は王国軍を引き連れての掃討戦だそうじゃないですか。強気になど出られませんって』
 イーフリートは常識的な意見で訂正する。
「引き連れてるのは一人だがな」
『おや。特殊部隊だと聞いてましたがね』
 確かにルスランは特殊な仕事を任せるための雑用部隊として編成された部隊の隊長にしてただ一人の隊員である。そういう意味では特殊な部隊が丸ごとついて行ってるのに等しいのだろう。
「強ち間違いではないがな。言葉のトリックというか、盛り過ぎというか……」
 ただでさえグライムスに恐れを抱いてるのにそんな欺瞞めいた情報まで流されては警戒しないわけがない。もっとも、若造故に甘く見られてはいるが、ルスランだって何気に強い。マイデルが思っているほど盛り過ぎでもないのである。
「なんにせよ、あちらから一カ所にまとまろうとしているならこちらの手間が省けるというもの。遠くから集まろうとしている連中を精々急かしてやろうかの」

 噂になっていたグライムス率いる軍団の全なる一にして一なる全、要するにオンリーワンのルスランはその時、女子に囲まれていた。モテモテである。
 その原因はリューディアの一言であった。
「あんた、帰ろうとしてない?忘れたとは言わせないわよ?行くんでしょ、『赤い馬車』」
 非常に申し訳ないが、きれいさっぱり忘れていた。しかし言われて思い出す。リューディアを負かせてデビュー戦に泥を塗ったお詫びにそこで何やらを奢るという話になっていたのだった。勝負の世界は無常であり、挑んだ以上は勝とうが負けようがそれが実力だったという事で文句を言われる筋合いなどないのだが、まあいいだろう。リューディアたちを打ち負かしたことでバトルマネーも戴けたのだ。ちょっと還元するくらいは吝かでもない。まして相手は可愛い女の子なのである。
 赤い馬車と言う店はもうちょっとで閉まってしまうそうだが、今からならば余裕で間に合うとのこと。もうちょっと早く閉まってくれていれば後日という事にしてそのまま有耶無耶にできたかもしれないが、世の中そう甘くもなかったようだ。しかし、逆に今日のうちに約束を果たし後腐れがなくなったと思うことにする。
 それにカンナが飛びついてきた。幸い、奢れとは言わなかった。自らも賞金を手に入れていたので自腹による頑張った自分へのご褒美とのこと。それならアミアも行くと名乗りを上げた。こちらのパトロンはパパである。これもルスランの懐は痛まない。それに同行メンバーに男が増えるのは助かる。さらに言えば今日もグライムスにくっついているゴードンもリューディアたちとの立ち話に耳を聳てるためについてきそうである。
 そこまではいい。ルスランは燃えるような熱い視線かいくつか突き刺さってきていることに気付く。まずはセリーヌとレミである。ついて行きたそうにこちらを見つめている。彼女たちは情報屋代わりに散々利用させていただいたので、報酬代わりに奢ってやってもいいかなとは思う。そう告げてやるとめっちゃ嬉しそうであった。
「どんな店なんだ、その赤い馬車って」
 折角なのでさらに情報収集に使わせてもらう。
「この町の女子なら一度は行ってみたい、出来れば通い詰めたいお店よ」
「ただねー……あたしらみたいなのはちょっと気後れしちゃうって言うか……一人で入る勇気は出ないよね」
 なんとなくだが赤い馬車と言う言葉から、返り血に染まった馬車というどちらかと言うと馴染みのある物をイメージしていたルスランは、一人で入る勇気は出ないという言葉でそのイメージを確定しかけた。もちろん、そんな店に女子は通いつめたくないだろうから何か間違っているのだろう。まあいい、行けばすべてわかる。女の子が通い詰める程度の店ならそれほど高くもない……と信じたい。
 そして熱い視線を送っているのはもう二人、ルスランとは接点のない女の子たちだった。しかし、全く知らないわけではない。彼女たちが戦っているのは目にしている。一回戦で敗退したので試合の印象は薄いが、突然発生した騒動に大人に混じって果敢に参戦し、何ならレミよりも堂に入った感じで落ち着いた戦いぶりを見せていた少女たち。リトルウィッチーズとか言う二人組だった。先ほどまで遠巻きに眺めていたのだが、リューディアが赤い馬車の名を出したのを聞きつけるとじわじわとにじり寄ってきていたのである。ルスランと目が合うと、勇気を振り絞る感じで声をかけてきた。
「お店の場所を覚えるだけでいいんです!ついて行っていいですか!」
 そのくらいなら構わないし、あの騒動に加わり頑張ったご褒美に奢ってやるくらいは吝かでもない。まあ、そんなことを言うと他の参加者にまで奢る羽目になりそうだからあまり大きな声では言えないが。
「そっ、そんな。そこまで厚かましいことはできませんっ」
「いい人だよ!?女の子にも容赦ない怖い人かと思ってたけど、すっごくいい人だよ!」
 女の子にも容赦ないイメージがつくのは自業自得だが、せめて戦いの場以外ではそういう人じゃないんだというアピールのために多少の投資をするのも悪くないと思えてきた。
「さっきの報酬で買おうって魂胆でしょうけど、素直に奢られなさいよ、大人なのに奢られてる私たちの立場がないじゃない」
 レミが言う立場ではないと思う。だがその言葉の中には聞き捨てならぬ情報が含まれていた。報酬とは何か。一回戦負けの彼女たち――リトルウィッチーズもだがレミらもだ――にはファイトマネーは出ないはず。
「さっきの騒動は突発案件扱いで冒険者には報酬が出るのよ」
「まじかよ!いいな、冒険者」
「あのぅ。私たち、冒険者じゃないから貰えないです」
 金の話に食いつくルスラン。そして、リトルウィッチーズにとっても無関係の話だった……と思ったのだが。
「冒険者に登録すれば貰えるわよ?登録なんて簡単だし明日の朝のうちに受け取れるんじゃないの」
「そうなんですか!?」
 どうやらこの話はルスランも詳しく聞く必要がありそうだ……。赤い馬車とやらに向かう道中にでも、問い質すことにしよう。