ラブラシス魔界編

29.炎の巨人

 炎の目玉に追い回されていたジン達も皆逃げ果せた。無事に、とは言いがたい者もいる。炎の魔力を吸い尽くされて小さく成り果てたり、消えかけている。しかし完全消滅してしまった者はおらず、魔力さえ戻れば元の姿に戻れるとのことだ。幸いだったのは炎の目玉が精霊たちの消滅を目的としていなかったことだ。エネルギーを吸い尽くすと興味を失って去って行ったのだ。もちろん、だからと言ってエネルギーを吸われ尽くされたくはないので逃げられる精霊は必死に逃げたが。
『折角の炎の結晶、まさかもう使う羽目になるとはな……』
 あの大火災の中、ジン達が炎を吸い込み精製した炎の結晶。炎の魔力が詰まったそれは、開放すればそのままジンの力の源となる。実の所、ジン達は一部を備蓄に回し残りは売却して活動資金にと目論んでいたのだが、大部分をここで使うことになりそうである。
『俺、ミカール様の造った結晶が欲しいです』
『それは誰だって欲しいに決まってる。公平に力で奪い合うべきだ』
『てめえ、それだけ力残っててどこが公平だ。てめえが超有利に決まってんじゃねえか。公平というならくじ引きだろ』
 そのミカールもすっかり縮み、見た目は三歳児くらいになってしまっていた。何と言うか、とても可愛い。しかし、態度などは何ら変わらず。
『貰える前提で話をするんじゃ無いよ。あんたらみたいな変態にあげる気は無いね。大体、高く売れるんだから出来るだけ最後まで残して売却に回すに決まってんだろ』
 ちょっとおませなちびっ子みたいでこれはこれで可愛い。
『よし、俺が買うぞ!』
『いや、俺が』
『俺だ』
『あたいのは高いよ?……つーかさ、自分の使えよ自分の』
『自分が出したのなんて嫌だ!……ミカール様以外の他人が出したのよりはマシだろうけど』
 などというやりとりをジン達がしている間にも、マイデルらとイーフリートとの話し合いが終わりこれからの流れを説明することになった。
 誰がどの結晶を使うかごときで揉めている暇は無い。公平に、全員イーフリート隊長が直々にひり出した中身の濃い結晶を支給されることになった。隊長の絶対的な実力ゆえの高い生産能力が恨めしそうである。
 そして、ジン達が炎の魔力を取り込んでいる間に説明の続きを。活動可能なレベルにまで復帰したジンは、逃げ回っている生存者達を救出する。救出と言ってもまあ、無理やり掻っ攫って抱えて飛び回るのだ。事情を説明する暇もないので問答無用である。人攫いにしか見えないだろうが気にしてはいけない。炎が荒れ狂ってるさなかに炎の精霊たちがそんなことをすればあの怪物の手先にも見えかねないが、それも気にしたら負けである。
 救出された人々はエイダの魔法によって極度の脱水状態のはずである。早めに水を与えないと命さえ保証しかねる。それに、安全な所に誘導するにも纏まっていた方がいいだろう。纏まっている所に何かがあったら一網打尽となるが、その時はそうなる前にどうにか対処すれば良い。それが出来なかった時のことは考えるべきでは無い。
 さあ、こうなったら後は行動するのみ。隊長の結晶を取り込む所で躊躇っている場合では無いのだ。今こそ、耐えるときである。

 地面が揺れている。いや、これは揺れるなどという生易しいレベルでは無い。地面はのたくり回っていた。謎の存在同士の戦いが始まったようだ。
 のたくっているのはエイダたちが乗る大蛇も同じだ。先ほどはあんなに覚悟が必要だった騎乗に何の躊躇いもなかったのは自分でも驚きである。しかし、こんな大蛇など後ろで繰り広げられる天変地異に比べれば全然怖くない。
 エイダたちに呼び出された方の得体の知れぬ何かも、言葉が通じても人間の味方ということもないようで、人が逃げる終わるのを待つこともない。逃げまどう人々を巻き込みながら、周囲の地面が瞬く間に隆起していく。鰐の(あぎとのような無数の岩塊が火球・クトゥグァを取り囲むと、一斉に咬みついた。巨大な岩山が一瞬で生まれた。
 次の一瞬で岩山が赤熱し始めた。新たに生み出された岩の顎が赤熱する岩山に更に食らいつく。噛み合わされた岩の隙間から元の岩山が溶岩を血飛沫のように撒き散らした。
「どうやら儂等と似たようなことをやろうとしているようだの」
 マイデルに言われてエイダもそういえばと思う。エイダたちは水や氷で閉じこめつつ冷やそうと試みたが、使うものが岩になっただけでやっていることは同じだった。エイダたちのやり方も悪くはなかったのである。ただ、規模がまるで足りなかった。どうせやるなら海に沈めて海ごと凍結させるくらいやらなければならなかったのだ。もちろん、ウンディーネの力を借りてもそこまでできそうにはない。
 全力で逃げていてどんどん離れていくはずなのに、岩山が小さく見えるようにはならない。だんだん大きくなっているからである。
 同じことが数度繰り返されると溶岩は滲み出さなくなった。その代わり、そこに町があった形跡などなくなってしまったが。
 ようやく終わりかと思われたが、そうではなかった。すっかり巨大になった岩山が噴火した。いや、山頂を突き破ったクトゥグァが山上に浮かび上がったのだ。次なる“噴火”はそのクトゥグァ目指して延びる溶岩の触手。いや、それはいくつかに枝分かれして手となり、クトゥグァを掴むと蛞蝓のように縮み這い上がり、絡みついて溶岩の球体になって包み込んだ。朝日か夕日のようだ。
 その太陽に砂塵の雲が懸かって霞む。砂は光る球体に吸い込まれていく。それにつれて光は弱まり、球体はその罅から光を漏らす黒い塊になり果て、ゆっくり真下の山に落ちた。
「終わったの?」
 マリーナの誰へということもない問いかけに答えたのはウンディーネだった。
『かなり力は落ちたようです……』
「あの岩の中から抜け出す力はなさそうだの」
『ええ。ですが……』
 ウンディーネは辺りに視線を巡らす。
『解ってます、姐さん。少なくとも我々は今すぐここを離れた方がいい』
 イーフリートが言った。周囲に視線を巡らすと。
『どうやら、微粒子のように小さな……クトゥグアでしたっけ、それが辺りに飛び散り漂っているようです。炎があればそのエネルギーを吸い取ってまた成長を始めるでしょう』
 そのとき、彼らの近くの地面が裂けた。裂け目は言う。
『心配は無用だぞ。こうなってしまえばこの惑星の時間で半月ほどは元には戻らんよ』
 それだけ言うと裂け目はただの裂け目に戻った。何者の仕業なのかは何となく分かるので深く考えないことにする。いきなり地面が喋っても悲鳴も上げない自分に驚くエイダ。半月は大丈夫らしいが、逆に言えばあれだけやられても半月で回復してしまうと言うことだ。ますます自分たちの手に負えそうにない。
『戦い方といい今のといい、あの存在は地の属性を持っているようですね……』
「ねえ、ウンディーネ。さっきのって一体何なの?火の方も地の方も初めて見るんだけど」
『私だって知らないわ。私たちが封印されてる間に現れたのかしら……』
 すると、再び地面の割れ目がしゃべり始めた。
『申し遅れたが私はN??ルラト?t?プ、お見知り置きを。さてお嬢さん方、君たちの本来の目当ての存在はあちらにいるよ。せっかくだからもう少し徹底的にクトゥグアを始末しておきたいんだが、そいつがどうにも邪魔でね。さりとて私にはそいつまで始末するほどの義理もない。だから君たちに任せよう。私を利用しようとした代償だ、今度は私が利用させてもらおう。この程度の対価で済むのを幸運に思うことだね』
 名乗りには声以外の音が混じっていて聞き取れなかった。そういう名前なのだろう。人間では発音するどころか聞き取ることも難しい。強いて言うなら、ナイアルラトホテップかニャルラトホテプと言う感じだ。
「……利用しようとしたのは私たちじゃないのに」
 拗ねたウンディーネの言葉にエイダはばつ悪げにするしかない。エイダにしてみても自分の意志ではないが、操られていても元凶は自分の体が起こしたことだった。
“ならば我も助言くらいなら力になるのは吝かでもないぞ”
 エイダの頭の中で声が響いた。
『ほんとよ、もう!誰か知らないけど責任とって!』
 その声はエイダ以外にも聞こえたものがあったようで。自分より強大な存在であることなどもはや関係ない。素直な思いをぶつけるウンディーネであった。

 それを一言で表現すれば燃えるミイラであった。
 サタンの断片によって汚染され、自我を無くした暴走ジン・シャイターン。そのシャイターン達の撒き散らした炎に引き寄せられてクトゥグアがやってくると、細分化されていたサタンの断片は危機感を抱き、再融合しようとした。その時、シャイターン達ごと融合したのだ。その結果現れたのがこの怪物である。
 現れたときはむくつけき炎の巨人だったはずだが、強大な炎の力に吸い寄せられたクトゥグァに力を吸い取られ、その成れの果てがこの姿だ。力を失った精霊の姿というのは様々である。ミカールのように幼い姿になってしまうこともあれば、そのままの見た目で大きさが縮んだり透明になってしまうこともある。人の姿を魔力で維持しているものは元の姿である獣などに戻ってしまうだろう。この存在は、力を失うと痩せ細っていくようだ。
 強制的に複数のジンが融合したこの存在だが、今は複数の自我が鬩ぎ合っているのか明確な意志を持たないようである。本来ならサタンの人間に対する強い憎悪に操られていたはずだが、クトゥグァの襲来でサタンのセグメントは危険を回避するために離脱、後にはこの抜け殻が残されたのだ。それでも植え付けられたサタンの悪意は消えてはいない。半ば機械的に人間を襲う存在になっているらしい。
『あんなことになってもあいつ等はあたし等のファミリーだからね。半殺しくらいで止めておいてあげてほしいんだ。そしたら後はこっちでさ、ちょちょっと再教育して真精霊に戻しておくから』
 いつくしむような目を向けるミカールの顔を、ウンディーネが覗き込む。
『再教育って……そんなことできるのかしら。何をどうするの?』
『まあ、あたしとイーフリートの飴とムチって奴でね』
『なるほど、イーフリートのムチとあなたの甘やかしね』
『逆、逆!あたしに突き放されてイーフリートが慰めんの』
 その言葉を受けてイーフリートが荷かッと笑い筋肉を見せつけるポーズをとる。
『私の胸で思う存分泣くがいい、大胸筋で包み込んでやろうぞ!……とな』
 どう考えても救いなき責め苦である。
『更生したらあたしの胸で挟んでやるけどさ』
 しかし今は萎んでしまいとても挟めそうにない。成長するまでお預けだろう。そのころまで覚えていればいいが。
『とりあえず、ひとまとまりになってるのをそのまま相手にするのはやっかいだ、引っ剥がしてバラバラにしてくだせえ』
「引き剥がすといわれても、どうすりゃいいんじゃい」
 イーフリートの要請に聞き返すマイデル。答えたのはミカールだ。
『そうだねえ、じゃあまずは……。あんたら、話は聞こえてたろ?今出てくればお仕置きはなしだ、あたしがよく頑張ったって抱きしめてやる』
 ミカールの呼びかけて炎の巨人がもがき苦しみ始めた。程なく、体を崩れ落とさせながら何かを吐き出す。燃える赤ん坊、消し炭の玉、灼熱のひよこ。いずれも炎の精霊たち……の、なれの果てであろう。姿は様々だがいずれも……とても弱そうである。
「チョロいものじゃのう」
 マイデルの言葉にミカールは宣言通りちび精霊たちを抱きしめながら言う。もちろんミカールもちびっこい姿だ。その姿は見ていてとても和む。緊迫の戦闘中とは思えない。
『こいつらは後からあいつに取り込まれたのさ。だから精神汚染が進まず強い自我を呼び起こすことで自力で離れられた。でも、ほかの奴らはもう力ずくでやるしかない。無理矢理切り離すか、痛めつけて苦痛や恐怖に耐えられなくなって出てくるのを祈るだけさ』
「いよいよ儂等の出番か。このくらいならなんとでもなる、さっさと片づけてくれようぞ!」

 ジン3体を切り離された炎の巨人はすっかり骨だけになっていた。赤熱する頭蓋骨の中で炎の双眸が揺らめく。弱体化しているはずである。だが、見た目的にはどんどん恐ろしくなっている気がしてならない。
 口が大きく開かれ、炎の塊がその中に生み出された。攻撃が来る。
『任せな!』
 エイダたちの前にミカールが飛び出してきた。そこに渦巻く炎の奔流が襲いかかる。
『ううっ……ああああっ!』
 炎に巻かれたミカールの表情が歪み、身を捩らせた。そして。
『あああ……あっふう……』
 至福の表情を浮かべる。炎の精霊であるミカールは、当然炎の攻撃は無効どころか吸収さえしてしまう。エネルギーを注入されたようなものだ。それはもちろん相手にも同じことが言える。精霊たちが攻撃しても奴には逆効果だ。こうして敵の攻撃の盾になるのが最善なのだ。とは言え、縮んでしまった精霊たちは盾として些か心許ない。主に、サイズの面で。
 戦いを長引かせるのは悪手であろう。見た目が全裸幼女の精霊が喜悦の表情で身悶えする姿を晒すのは本人が幸せでもあまりよろしいことには思えない。一気に片を付けてしまおう。この存在から精霊たちを引き剥がすには無理矢理やるか、痛めつけて逃げ出してくるのを祈るかと言っていた。無理矢理引き剥がす方法に見当がつかない以上、痛めつける方法を採るしかない。やりすぎない程度の痛めつけがどれほどなのか見当もつかないし、そもそもそんな加減をしていて勝てる相手なのかもわからない。とりあえず、最初から全力の攻撃を仕掛ける。
「二人は奴を水で包み込め!」
「はい!」
「分かりましたわ!」
 マイデルの指示に短く答えるエイダとマリーナ。ウンディーネも二人に魔力を送り出す。
 させじと炎の巨大骸骨も再び攻撃を繰り出してきた。立て続けに火の玉を口から吐き、手からも火の玉を生み出し投げつける。乱れ飛ぶ火の玉もほとんどがジンたちに受け止められた。その防衛網をかいくぐった火の玉のまえにウンディーネが立ち塞がる。火の玉の行く手に正確に小さな水玉を出現させると火の玉は水玉に当たり蒸散させて消えた。
 辺りに散った蒸気は霧となり立ちこめ周囲に立ちこめた。視界は阻まれるが赤熱する巨大骸骨は霧の中でも揺らめきその位置は顕わだ。
『ところでこいつをなんて呼びます?』
『フレイムファントムとか、そんな感じっすかね』
『ほねほね燃え太郎で上等よ、こんな奴』
 自分たちにはその攻撃が通じないことで余裕のある精霊達がのんきな会話を始めた。その時、軋む音とともに霧の向こうの炎が大きく動く。
 ほねほね……否、フレイムファントムは見た目には緩慢ながら大きさ故にかなり速い動きで霧の中から顔を出し、こちらに向かってきた。炎による攻撃は精霊たちが防いでくれても直接攻撃は危険である。そもそもその炎も至近距離では防ぐ余裕がなくなる。
 そんなことより、単純に怖い。見た目があまりにも怖すぎる。恐怖心を押さえ込んで詠唱を急ぐエイダとマリーナ。
 先にエイダの魔法が発動した。フレイムファントムの頭上に水玉が次々と生まれ、それが集まって見る見るうちに巨大な水塊となると、フレイムファントムめがけて落下した。ウォーター――頭から水をぶっかけるだけという水属性の基本魔法だが、規模が桁違い、まるで滝である。落ちる水の勢いでフレイムファントムの姿勢が崩れて地面に手を突いた。
 続いてマリーナの魔法も発動する。今度はフレイムファントムの足下から水柱が起こった。それはエイダが呼び寄せた水をも巻き込んで巨大化し、フレイムファントムの体を持ち上げた。ファウンテン――湧き上がる水で吹っ飛ばしたり押し流したりする魔法だ。吹っ飛ばされると地面に叩きつけられるダメージも受ける。今回は相手が重すぎ、なおかつ骨だけでスカスカなので吹っ飛ばすほどではなかったが、少し持ち上げるくらいなら十分。それに、この場合の最大の効果は大量の水による冷却である。
 それと同時にマイデルの魔法が発動。フレイムファントムと先の二人の魔法の水が触れて辺りに立ちこめていた白煙が濃くなり、やがて輝き始める。冷属性高位魔法、ダイアモンド・ダスト。それによりフレイムファントムを持ち上げている水柱が徐々に凍結していく。
 フレイムファントムは身悶えると、マグマの血反吐を吐き散らす。いや、吐き出されたのは弱り切った精霊たちだった。先ほどの、フレイムファントムが恐ろしげな骸骨に変身する前のいくらか怖くなかった炎のミイラ、それの小さいものが数体。しかし、彼らの帰還を優しく待ち受ける仲間はいない。仲間たちは自分たちにも弱点になる魔法の三連発に逃げまどってる最中だ。
 それと同時にフレイムファントムに変化が起こる。その四肢がもげ落ちると砂となって崩れ去った。精霊たちを吐き出して四肢を維持できなくなったのだ。胴体と頭がなくなれば終わりになるのだろう。もう一息だ。
 吐き出された精霊たちが這い蹲りながらフレイムファントムから離れようとしているさなかだが、エイダの魔法が再発動した。同じ魔法を連続で使うときは詠唱を省略する方法もあるのだ。それは低位の魔法ほど成功しやすく、連発による術者への負荷も小さい。一方被術者には効果が蓄積し効果が大きくなる。それを狙っての再発動だったが、炎の精霊たちが出てくるのは想定できなかった。弱り切ってても、低位の魔法だしとどめにまでは至らないよね。そう願って成り行きを見守るエイダ。いずれにせよ今更止められない。
 その時、エイダの背後から火の玉が飛来し、横を掠めていった。火の玉は精霊たちに命中する。他の精霊の援護射撃だったようだ。火の玉を受けた精霊はいくらか元気になったらしく、どうにか立ち上がるとこけつまろびつしながらも頭上で巨大化しつつある水の塊から逃れようとする。
 残念ながら、間に合わなかったが。ミイラのような人影がぶちまけられた水に押し流される様はただの地獄絵図であった。しかし、よろけながら歩くより流される方が早いのだけが幸いである。そして、体の所々に骨がむき出しのゾンビのような姿になりつつもなぜか、いやどうにか生きているようである。あの火の玉のおかげでぎりぎり生き延びられたのかもしれない。
 精霊たちに再び火の玉が飛んできた。炎が肉を生み出し骨は見えなくなった。この感じならもう一回再発動させても大丈夫だ。今ならまだ止められるが……止めないことにした。ゆっくりと逃亡を継続する精霊たちに救いの手が差し伸べられる。マリーナだ。マリーナがその手を取り引き寄せると、実体のある精霊だったようで引っ張られた。
 ウンディーネも手を差し伸べる。水で生み出した肉体で精霊の手をつかむ。精霊がダメージを受けている気がするが、まあたぶんエイダの魔法の端っこにでも巻き込まれるよりはいくらかマシなはず。
 フレイムファントムがエイダに火の玉を吐きつつ怨嗟の視線を向けた。精霊の避難を待っていたエイダが思わず再発動を早めそうになる。だが、ミカールたちが飛び出してくるのを見てぐっと堪える。火の玉はまた彼女たちが何とかしてくれる。悍ましい視線だけはどうにもならないが、まあ我慢だ。
 吐き出された精霊が全員効果範囲外に完全に逃げ延びた後、エイダの魔法が再発動する。火の玉を受け止めたミカールたちも今度は落ち着いて避難する。
 だめ押しにさらにもう一つ水を落とすとマリーナとマイデルの詠唱も進んでいるようなので、ひとまずこちらは二人に任せてエイダは先ほど吐き出された精霊たちに目を向けた。安全圏に逃れたことでもう大丈夫と判断されたのだろう。ほったらかしにされている。ミカール等は今度はマイデルとマリーナめがけて吐き出される火の玉の対処を優先させているのだ。
 精霊と目があった。心なしかビクッとしたような。エイダは心の中でさっきはごめんねと呟きながら詠唱を開始する。すると今度は明らかに抱き合って怯え始めた。心配せずともエイダはいくらウンディーネの加護で水属性が強くなっていようがオールラウンダーの魔術師である。発動させたのは火の魔法である。
 発動させながら、普通の火炎魔法が吸収できない精霊だったらどうしよう、無効くらいならともかく減退しかできなくてこの魔法がとどめになったら、そんな不安が過ぎったりもしたが無事吸収されて精霊たちの力が増大していく。大丈夫ならばこの魔法も再発動させればよい。
『あり、が、とう』
 いくらかふっくらした精霊がかすれた声で礼を言った。それに続いて別な精霊が。
『鞭と鞭と鞭と鞭と飴のバランスがミカール様のようで素敵です』
 見た目は先ほどの精霊と変わらないがこちらは先ほどの精霊より元気そうである。話題のミカールが飛んできて踵落としを食らわせたので地面に這い蹲ったが。
『あんたら、羨ましいじゃないの。あんたが出てきてからというもの燃え太郎の火の玉があんまり気持ちよくないのにさ』
「やっぱり力が落ちてきてるからかな」
 多分相手は偉大な精霊なのだろうが、見た目があまりにも可愛らしいので親しげに話しかけてしまうエイダ。ミカールもそれを特に気にした様子はない。
『それに加えて、何か別な属性が混じってるね。多分、闇だと思うけど……火力が落ちたせいでそっちの方が強くなってきてるんだ』
「そう言えば、火の玉を浴びたミカールちゃんは最初ちょっと苦しそうだったもんね」
 とうとうちゃん付けである。
『あ、それは関係ない。気持ちいいと苦しそうな表情がでちゃうもんだよ。あんたも大人になればわかるさ。ああ、でもね。純粋な気持ちよさより僅かな苦痛があった方がそれがスパイスになって気持ちよさが増すこともあるから、それもあるかな』
 何のことを言ってるのか解らないほどエイダも子供ではない。これに反応できるほど大人でもないが。ひとまず聞き流した。
 激戦のさなからしくない馬鹿話の間にもマリーナとマイデルの魔法が発動した。再び地面から水柱が立ち上がるが今度は先ほどのように直線的ではない。捻くれ絡み合いながら伸び、水の竜巻となる。それが瞬く間に凍り付くが、水流の勢いまで凍り付くことはなく水の竜巻は雹の竜巻に姿を変えた。
 弱まりゆく竜巻の中でフレイムファントムの放つ赤い光も薄れていく。肋骨が崩れ去り、黒曜石のような漆黒の頭蓋骨だけが残された。黒い炎を纏い血のような赤い光がその目に宿り、追い詰めきったはずなのだが怖さはまたしても増したような。
 そして、崩れた肋骨からは数体の骸骨が現れた。それはゆっくりと立ち……あがることなく再び崩れた。敵かと思ったが、こちらは炎の精霊なのだろう。燃え尽きてるので確証はない。
『あ、死んでるねあれは。かわいそうに』
 ミカールが同情するということはやっぱり精霊だったようだ。
「やりすぎたってこと?復活はできないの?」
『火葬場に放り込んでおけばすぐに蘇ると思うよ』
 もっとましな蘇らせ方もありそうだ。とりあえず、死亡と消滅は違うということでいいのだろうか。
 そこに他の精霊たちが口を挟んできた。
『ところであいつをなんて呼びます?見た感じ、もうフレイムでも燃え太郎でもないでしょ』
『イービルファントムとか、そんな感じっすかね』
『ほねほね消え太郎で上等よ』
 そんなイービルファントムが仕掛けてきた攻撃はまさかの頭突き、何の予備動作もなく矢のような速さで突進してきた。
『させるかッ!……ぐうっ!』
 イーフリートがイービルファントムを蹴り返したが、足に相当なダメージがあったようだ。
 蹴飛ばされたイービルファントムは黒い火の玉を吐き出した。イーフリートは火の玉を受け止めたがやはり炎のように見えつつも炎ではなかったようだ。
『やっぱり闇の属性を感じるぞ!』
『火属性も、今なら効くか!?』
『今の我々の力では難しいかも知れぬ……!闇に飲まれるだけである!』
 火の精霊たちは口々に言い合い、結論的には自分たちは静観する方向性で纏まりそうで頼りにならない。しかし、相手が闇属性ならやることは一つである。闇には光を。
 エイダはすでに詠唱を半ばまで進めていた。マイデルとマリーナも速やかに詠唱に移る。
 イービルファントムの再びの頭突き攻撃。イーフリートすら怪我をしたそれに逃げまどう炎の精霊たちはいよいよもって役に立たない。詠唱中の魔術師たちがその攻撃に晒される。立ち向かったのはその魔術師、マイデルだった。詠唱を続けたまま腰に帯びていたエストックを抜き放ち、飛来するイービルファントムに向かって突き出した。的は大きく、軌道は直線的だ。ある程度の腕前があるなら当てるのはさほど難しくない。問題はその後だ。
 エストックの先端がへし折られ、切っ先が跳ね飛んだ。それでもエストックの刀身はイービルファントムの眉間に突き刺さった。串刺しである。マイデルはどうにか踏みとどまったが老骨には耐え難い衝撃があったに違いない。それでも、何事もなかったかのように詠唱を継続する。
 動きを封じられたイービルファントムが闇の触手を出してマイデルに絡めた。それでもマイデルは動じない。
 砂漠の晴れ渡った空から突如激しい雨が降り始めた。雨粒は地面に落ちる前に動きを止め空中に漂う。雨粒は空からの光を遮り辺りは薄暗くなった。残された一筋を除いて。
 周囲に降り注ぐはずの太陽光は雨粒によりマリーナの前に集められ、マリーナの手の前に浮かぶ水玉により七色の一条の光線として放たれる。水系光魔法、輝虹(レインボー
 光を浴びてマイデルに絡みついていた闇の触手は霧散し、イービルファントム自身も震え出す。マイデルがエストックをイービルファントムごと高く掲げると、拡散していた光が収斂し光の全てがイービルファントムに照射される。その光にエストックの刀身さえも赤熱し、崩壊する。イービルファントムは解き放たれたが半狂乱であり攻撃に転じる余裕はない。魔法の発動が終わり、空中にとどまっていた雨粒が一斉に降り注ぎ辺りに光が戻る。
 しかしそれも一瞬のこと、またすぐに空が暗くなった。イービルファントムの攻撃―ーではない。マイデルの魔法が発動したのである。こう見えても光魔法である。暗くなった空に鮮やかな色彩の光が踊る。冷気系光魔法・極光(オーロラ。オーロラは地面にまで迫りイービルファントムを絡め取った。瞬間的な威力は小さい。だが数回の波が連続で押し寄せる継続的な魔法だ。生物が相手なら後遺症が出ることもあるたちの悪い魔法でもある。だが今回のこの魔法を選んだ理由は単純に継続時間だ。このダメージで怯ませることができれば他の二人が詠唱する時間も稼げる。生憎、自分の詠唱中に邪魔が入り詠唱時間が延びてしまったが、エイダの詠唱は続いているし無駄ではあるまい。
 マイデルたちより早く始めていた詠唱が未だに継続しているのは、まだまだ詠唱が不慣れなのだとしても相当に長大な術式なのだろう。そう思いながら、鬼気迫る表情で続けられる詠唱に耳を傾けるーー。
「ーー!?いかん、離れろ!」
 そう声を掛けながら急いで離脱するマイデル。離れなければならないのはマリーナくらいだった。炎の精霊たちはマリーナが雨を降らせた時点で脱兎の勢いで逃げていた。逃げ遅れたのは、逃げようのない死体だけである。
 エイダの魔法が発動し、周囲が血の色の光に包まれる。光は脈動しながら強さと明るさを増し、一方でイービルファントムに向けて収縮した。それにより光がイービルファントムを中心とした巨大な火球であったことが明らかとなった。
 収縮は急速に進み、それにつれて光は強さも色味も明るさを増していく。そして、閾値を越え純白の圧倒的な光が周囲を埋め尽くす。再び光が収まると、周囲の光景は一変していた。
 イービルファントムを中心に大地は大きく抉られ、残された地面は溶解し赤熱している。エイダや逃げきれていなかったマイデルとマリーナの足元だけはマジックバリアが効いていてきれいに残っているが、身動きできる状況ではない。
 イービルファントムの場所は判る。だが、いまだに眩い光に包まれていてその姿は見えない。光が掻き消えると、イービルファントムも消え失せていた。一方、先程出現し、そのまま死んで捨て置かれていた精霊たちががゆっくりと立ち上がった。一度は避難していた他の精霊たちも大地に籠る熱を浴びてはしゃいでいる。効率は悪いがこの粗熱も吸収できるようだ。
 喜んでいる精霊たちには悪いが、このままでは人間たちが動けない。エイダとマリーナが次々と魔法の雨を降らせた。遠くの方は雨が降らず、地面の熱も下がらないので精霊たちのお楽しみはまだまだ続きそうだ。
「おい、エイダ。今のは禁術だぞ。気軽に使っていいものではない」
「慎重になら使って良いみたいな言い方をしますのね」
 マイデルが厳しく言い放った言葉にのんびりと茶々を入れるマリーナ。実はマイデルは言い間違えたわけではない。マリーナの指摘は正鵠を射るものであった。禁術などというのは後の世に指定されたもの、それまでは使われていたのだ。使い方を誤った先人の尻拭い。禁術だろうが必要であれば使う。使うのを思いとどまった結果取り返しのつかない事態を招くよりはましだ。とはいえ、使う場面くらいは選ぶべき。使ったことを知るものを口止め、もしくは口封じできないのなら使用は避けるべきというのがマイデルの信条なのだ。
 エイダの使った魔法は超新星(スーパーノヴァ。確かにその威力が桁外れなのは眼前に広がる焦土をみれば明らか。だが、これが禁術になるに至った真の威力はこんなものではない。本来は高位の魔導師複数名で発動させる大魔法。この魔法の恐ろしいところはその威力の上限が知れないことである。魔力が強ければ大概の魔法はそれに応じて威力は上がるが、つぎ込める魔力にはそれぞれ限度がある。威力もそのレベルで打ち止めだ。上限に近づくと魔力効率も悪くなる。
 この魔法が禁術とされたのは数十人規模で行使され、とある国がその国土の大部分を消失し滅んだという記録があるためだ。その衝撃で生み出された津波は世界中で大規模な被害を生み、行使した魔導師団もその波に飲まれて誰一人として帰らなかった。津波の被害への補償で行使した国も破産し滅んだ。そしてこれだけの未曾有の破壊を生んでもなお、魔力効率の衰えが見られなかった。この世界をも滅ぼしうる魔法だと認められたのだ。
 禁術といえど、一人で使った程度なら見ての通り、町の一区画分くらいが跡形もなくなるだけである。むしろ、一人でこれだけの魔法を行使できる異常ともいえるエイダの魔力レベルの方が問題かも知れない。それと、こんな魔法を知っていた理由か。
「おじいちゃんの魂を取り込んだとき知識も継承した、っていう感じなんでしょうか。少しずつおじいちゃんの意識が薄れて、代わりに少しずつ知識が流れ込んできてるんです」
 それでこんな危ない魔法も知っていたということか。アドウェンが自分の魂をエイダに移したと聞いたときはそこまでこの世界にしがみつきたいかと呆れたものだが、もしかするとこの世界に残したかったのは自分の意識ではなく知識だったではないだろうか。魔法先進国においても最高峰であるアドウェンくらいになれば知っている秘術・禁術は両手の指でも数え切れないだろう。
 エイダの肉体に魂を移した魔法だってそれである。何せ、相手の肉体から魂を追い出した上で行使すればその肉体を乗っ取ることができる魔法だ。年老いるごとに若い肉体に使えば永遠に生き続けることができてしまう。現にハイエルフはこうして永遠の生を得ている。それは尊い存在であるとされるハイエルフだから許されているようなもので、人間の王侯貴族が同じことをしたところで争いを呼ぶだけだ。人の身で永遠の命を望むようなものは強欲者であるのが常なのだ。
 アドウェンについてはゴーレムの秘術の共同研究者でもあった。見世物に堂々と使われているあの秘術である。なお、エイダはスーパーノヴァが禁術だと知らなかったようだ。アドウェンにとってはこれが禁術だというのは継承に値せぬどうでもいい知識だったようである。そもそも、アドウェンはマイデルと共に研究していた期間も長い。そのせいで価値観も似ている。マイデル同様に禁術といえど使える時は使えという考えをしていても不思議ではない。
 それに、一応使うべき魔法の見定めくらいはした形跡はあったのだ。
「一応、やめておけって言うビッグバンは避けたんです」
「ふむ、その魔法は知らんな。一応高等な魔法については名前を口にするのも避けておいた方がよいぞ」
 やめておけの基準が、その魔法は危険だからなのか使えないからなのかはわからない。何となく、後者のような気がする。どちらにせよ、マイデルにはあまり興味がない。アドウェンが使うなと言う魔法を使ってもろくなことになるまい。何かあったときに責任など取りたくないのだ。
 とにかく、使ってしまった魔法はもういいのだ。マリーナはよくわかってないしマイデルは黙殺する。後は精霊たちがどう判断するかだ。