ラブラシス魔界編

26.場内乱闘

「何?何なの?」
 同時に終わった父の試合の方に目をやったアミアは、その直後に始まった事態に困惑の声を上げた。
 同時に会場が騒がしくなるが、勝負がついたことに対する歓声とは声の質が違う。グライムスのところで起っていることに観客が気付くにしては早すぎる。
「何!?何なの!?」
 辺りを見渡したアミアは思わず再び声を上げた。曲刀で武装した男達が、一斉にこちらに走ってくるのだ。グライムスには見覚えのある連中、そしてグライムスと共に戦うこともあったアミアにとってもそれは同じであった。
「あいつら、まさか……ムハイミン・アルマリカ!?何でこんなところに!?」
 その名はルスランにとっても聞き覚えのある名前だった。聞き覚えはあるが、詳しくは知らない。確か、メラドカイン連邦周辺で色々問題を起こしてる組織だったような。まあ、そんなことはどうでもいいのだ。
「なんだか分からないが……やっつけちまっていいんだな?」
「もちろんよ。……って、その武器で行く気!?」
 やっていいのか否か。それだけが重要だ。アミアが止めようとした時には、既にルスランは木剣を振りかざして敵の一人に突進していた。幸い、今し方の試合でルスランが受けていた強化魔法はまだほぼ全て生きている。電光石火、木剣は敵の腕を痛撃した。一方乱入した賊どもにはコロシアム出場者に掛けられるの保護の魔法は掛かっていない。腕があり得ない方向にねじ曲がり、地面に伏して転げ回っている。痛撃にも程があった。
 こいつは手加減しないと、殺しちまうな……。ま、生かしておく義理は無いけど。
 ルスランが怖いことを考えた、その時。
「ギャー!なにこれなにこれ!どうなってんの!?」
「うわああぁぁぁ!どどどどどど、ななななな」
 完全にパニックだし既にこの上なく追い詰められているが、先程まで戦っていた対戦相手のモーリス・ディアマンテ組が共に狼狽えながらも身構え、一緒に戦ってくれそうな雰囲気を醸し出した。巻き込まれたとも言う。だが、よく見ればムハイミン・アルマリカと思しき連中はモーリス達にはまったく興味が無さそうである。殆どがグライムスに向き、いくらかがルスランとアミアの方に向いている。
「積年の恨み、今ここで晴らす!」
「我々の邪魔立てする者は排除だ!」
 などと口々に言っているようである。
「えーと、これはつまり。これまで散々ムハイミン・アルマリカの邪魔をしてきたパパやあたしをここで始末しようって魂胆?今ならちょうど、武器はこんなだし」
 冷静なアミアの分析。敵がムハイミン・アルマリカであることは確定したようだ。何と言うことだろうか。つまりこれは、本当に巻き込まれたのはルスランの方ではないか。まあ、既に手を出してしまっているので今更俺は無関係だと引っ込めないが。いや、そもそもルスランが既にムハイミン・アルマリカに無関係でも無いのだし。
 何でもいいや、とりあえずやっつけておくか。その境地に至り、ルスランは二人目を叩き伏せた。グライムスを取り囲みながらも手を出し倦ねていた敵達だが、更にルスランまで暴威を振るいだし、どちらから始末したものかと迷い出す。するとそこに。
「なんだかわかんねえが、狼藉者は黙って見過ごせねえぜ!ぶちかましてやらあ!」
 更なる乱入者が現れた。先程ルスラン達が散々に痛めつけた炎遣い、ケーニヒとオリヴァである。試合では無様な姿を晒したが、彼らは根っから炎のように熱い奴らなのだ。
「お嬢さん、ここはこの私にお任せを!」
「ちょっとパパ!いきなり実戦に巻き込まないでよ、怖いじゃない!」
 颯爽とイサークも飛び出してきた。その後に嫌々ながらという口ぶりでついてきたリューディアも目と表情は輝いている。この降って湧いた騒動を楽しむ気満々である。
「イサーク様が行くなら私も行くわ!」
「お前が行くなら俺も行くぞ!」
 エレーニャとドブロネツも出てきた。どうやらエレーニャはイサークのファンらしい。そして、こうなると次々と選手達が飛び出してきた。
「こりゃ、あたしらも行かないと後で何か言われるわ」
「うう。行くのもヤだけどそれもやだぁ」
 本気で心から渋々、セリーヌとレミも出てきた。そして、いやいやながら女性達が参加したことにより、完全に巻き込まれたモーリス・ディアマンテ組も逃げるに逃げられなくなってしまったのである。
 名乗り出てくるのが複合部門の選手ばかりなのは事情がある。複合部門の選手の多くは武器など無くてもある程度は戦える魔法の使い手である。一般部門の選手達だって、この事態に飛び出していきたい気持ちはあるのだ。だが、相手の武器は鉄の剣、ただの木剣で挑みかかるのは厳しい。例外はケーニヒ達を追いかけて飛び出し、早くも追い越してルスラン達と合流しているカンナと、遅れて出てきた数人の命知らずくらい。
「そんな武器で大丈夫なの?」
 アミアはカンナにルスランと同じく問いかける。
「ううう。大丈夫だとはとても思えない……」
 何も考えずに飛び出してきたのがありありと分かる一言である。
「どうせ木製の武器なら、あたしの荷物に昨日のトンファーが入ってるわ。そっちの方がいいでしょ」
「おおっ。では早速使わせてもらおう!」
 カンナはそう言い残し、周囲を取り囲むムハイミン・アルマリカの一人の頭上を飛び越え、そのついでに後頭部に木剣で一撃を叩き込んで叩き伏せつつ控え室にダッシュした。
「……木剣で十分戦えそうだけど」
「トンファーなら十二分に戦ってくれると思うし、いいんじゃないか」
「ま、そうね」

 カンナが開けた包囲の穴をすり抜けるようにしてイサークとリューディアが駆け寄ってくる。
「こうして押っ取り刀で飛び出しては来ましたが、私は歌うくらいしか能がありませんのでね。どうですお嬢さん、また一緒に歌いませんか」
「いいわよ。でも、プレリュードを掛けてないから敵味方関係なく掛かっちゃうけど」
「だいじょーぶ、何も知らないでユニゾンの歌の効果を受けるとどうなるか、あたしが身をもって証明したじゃない。味方はみんなパパの歌のことはよーく分かってるんだし、パニックになるのは敵だけ。で、その一瞬のパニックで敵を一気に削れば……」
 おそらくは今日が初出の、娘ですら知らなかったユニゾンの仕様やら、その辺を考えるとよーく分かっていると言い切ってしまうのはどうかと思うが、ベテランの出場者ならイサークの対策として多少は調べていたりもするだろう。
「オッケー。じゃ、早速始めましょうか」
 アミアの了承にイサークが頷き、カウントダウンで合図を出すと二人の歌が始まった。
「みんな、例のアレが来るわ!覚悟しておいて!」
 ここでのやりとりが聞こえていたセリーヌが大声で知らせた。出場者には状況と“例のアレ”の一言で概ね通じたようだ。一方、ムハイミン・アルマリカ達は今回の作戦に気が行っていて序盤の試合などろくに見ていない。例のアレではさっぱり分からないのである。
 イサークとアミアがデュエットを組んだことにより一人になったリューディアは、ひとまずルスランとコンビを組むつもりらしい。
「あなた、実戦も慣れてそうね。あたしのこと、守りなさいよ」
 その点については吝かではないが。
「もしかして、今回も俺、踊らないとダメ?」
「ダメって事はないけど……折角だから踊りましょうよ。楽しいわよ」
 遊びじゃないんだけどなぁ、などとルスランが思っていると、呻き声と共に敵の一人が倒れた。
「ただいま帰参致しもうした!」
 武器をトンファーに持ち直したカンナが敵の頭上を飛び越えつつ一撃食らわしながら戻ってきた。宙返りをし、ターンからのスピンを決め、もう一度後方に向けて宙返りをしルスランの側に着地する。舞い踊るかのような身のこなし。ルスランとしても絶体絶命の気分である。ここで踊らないのは無粋の極み。
「会場の隅の方にぐるりと術士と思しき輩が配されてますぞ!ご注意を!」
 その言葉を念頭に、ルスランは辺りをぐるっと見回し状況を頭の中で組み立てる。
 まず、ルスランの周囲に、カンナとリューディア。そして歌い始めたイサークとアミア。その周りにはアミアを取り囲んでいた敵剣士数名。隣の舞台ではグライムスとシャドウが睨み合いを続けており、その周囲も20名ほどのムハイミン・アルマリカが取り囲んでいる。その中間地点にようやく少し落ち着いてきたモーリスとディアマンテが破れかぶれで身構え、選手達もそこに合流している。彼らはグライムスを取り囲む敵を切り崩しに掛かっており、包囲していた敵もそれに応戦しようと集まり始めていた。そして、遠巻きに見える魔術師らしい人影。数はざっと10名程か。コロシアムの警備兵も2つのチームに分かれて狼藉者の排除に取りかかろうとしている。
 数だけで見ればムハイミン・アルマリカの方が大分優勢だ。だが、一人一人はそれほど強くはなさそうである。これはこれまでに何人か叩き伏せたルスランの体感であり、やはり何人かカンナが叩き伏せたのを見た感想でもある。
 更に視野を広げると、騒ぎが起った当初は騒然としていた観客席も……やっぱり騒がしいままではある。だが、騒がしさの質が変化している。悲鳴と怒号が飛び交っていた観客席で今飛び交うのは歓声である。グライムスの延長戦に加え、1回戦で激戦を繰り広げたアミアとイサーク、列びにルスランとリューディアの共闘、更にカンナや他の選手達も加わり、余興としてこの上ない。
 折角だ。この出来事を事件などにせず、余興として終わらせてやろうではないか。
「俺たちはまずこの包囲を破ったら、邪魔な魔術師どもを各個撃破だ」
「合い分かった!」
 ルスランの提案にカンナが頷く。リューディアも元気よく答えるが。
「分かったわ!……ってそれって、別れて行動した方が効率いいわよね……?」
「もちろんだ」
「うわー。何よ、守ってくれるんじゃなかったの!?んもー!男ってホント勝手だわー!」
 何でこの状況でそんなことを言われなければならないのか。忸怩たるものを感じつつも、黙殺して作戦に移ることにした。
 眼前の敵との交戦に掛かったその時。自分の体が急加速するのを感じた。イサークとアミアの歌が効果を発揮したのだ。近くに居合わせたものはその感覚に軽く混乱するが、何が起ったか分かっている味方と分かっていない敵方では混乱度合いがまるで違う。特に、既に一度体験済みのルスランとリューディアは「おっ、来たか」「始まったわね!」の一言でそれぞれ軽くペースを立て直した。カンナもちょっと戸惑ったものの「いつもより体が軽いぞ!」で済ませてしまった。そして、敵が混乱から抜け出す前にあっという間に周囲の敵を制圧した。カンナが舞い、リューディアが踊る。ルスランも加速された動きのおかげで、ちょっといつもより大きなモーションで攻撃するだけで十分に剣舞に見えた。見事に踊りながら敵を討ち果たしたのだ。
 解けたルスラン達の包囲を乗り越え、モーリスが駆け寄ってきた。
「話は聞いたぜ。あの魔法使いどもを叩きのめしに行くんだろ?」
「おう」
「待ってな、今俺たちが対魔法防御のフルコースをお見舞いしてやるぜ」
 既にディアマンテは詠唱を始めている。そして、モーリスはクイックキャスト。歌の効果で詠唱も魔法の発動も早い。あっという間に各種魔法の障壁がルスラン達を包み込んだ。
「済まない!じゃあ、後はそっちを手伝ってやってくれ!」
「お、おう!……やっぱりこれだけで俺らの役目終わりって訳にはいかないか」
 何かぼやいたのはルスランには聞こえなかった。

 よし。これで開放されたぞ。……踊りから。
 心の中でガッツポーズをしながら、ルスランは魔術師に突っ込んだ。歌の加速でものすごいスピードである。肉食動物さながらの突進に、魔術師達は顔を引き攣らせた。外周を囲んでいた魔術師達には歌は届いていない。逃げ惑う暇すら与えられなかった。最後っ屁と言わんばかりに魔法をぶっ放す魔術師もいたが、グライムスに向けて撃っても到達するまでに選手によって無効化され、ルスランに向けて撃った所でモーリス達のバリアの効果で何の影響もなく消し飛ぶ。魔法は万能だと信じて生きてきた魔術師達にとって、この無力感は絶望的であった。
 特に凄まじかったのはカンナである。ただでさえ凄まじく速い動きが加速され、本人もその自分の動きに平然と対応している。横目でちらりと見たルスランも苦笑いするしかない暴れぶりだった。文句を言っていたリューディアもなかなか頑張っている。カンナはとっとと自分のノルマをこなし、リューディアの担当分をリューディアの反対側から潰しに掛かった。一通り片付いた所で三人とも一斉にステージを目指す。
「ああもう、怖かった!でもスカッとした!」
 リューディアの暢気なコメント。まだまだ大丈夫そうである。
「そう言えば、アミア殿とイサーク殿を置き去りにしてしまったが……大丈夫であろうか」
「う。確かに」
 二人は見事に敵に囲まれていた。しかし、二人も無防備に歌っているだけではない。お互い歌いながら激闘していたくらいだ。あのくらいなら相手にしながらでも歌える。
 それに、取り残されたのが二人だけと言うこともない。モーリスとディアマンテも同じ場所に取り残されているのだ。彼らが選んだ道は、アミアとイサークを可能な限り強化してお任せしてしまう道だった。もちろん、その体勢がしっかり整った所で自分の身を守るための強化も怠りない。余裕が出てきたら、あるいは自分が狙われ始めたら自分でも戦うかも知れない。
 ムハイミン・アルマリカにとって、アミアもまたターゲットの一人ではある。だが、メインのターゲット言わば敵将はグライムスだ。将の首を取れば戦いは終わる。そして、選手達も同じ事を考えている。見た感じ、ムハイミン・アルマリカの将は謎の剣士シャドウである。そして、シャドウを倒せばグライムスも周りの敵の掃討に移ることになるだろう。シャドウさえ倒してしまえば、後は安心してお任せできる。ある種、モーリス達のような考え方だった。
 そもそも、このシャドウとは何者なのか。
「しかし。あの男の動き……我々の流派に似ているな」
 カンナがぼそっと呟いた。
 ムハイミン・アルマリカ。黒い戦士。そして、無月流。それらが結びつき、ルスランの中で一つの答えが出された。
「そうか、奴はあの時の……無月闇霧か」
「闇霧だと!?」
 カンナが息を呑んだ。そして、次の瞬間。カンナは足を無月闇霧と思しき人物の方に向けた。

 いつもはライバルだが、今は心強い仲間だ。
 選手達は一丸となり、謎の襲撃者達に立ち向かっている。アミアは、そしてグライムスも恐らくは早々に敵の正体に気付いているが、選手達にとってはよく分からない暴漢である。何はともあれ相手が何者であれ、倒すだけ。試合と同じであろう。
「オラアアアアァ、かかって来いやああ!」
 オリヴァが気合い充分で魔法を乱射し。
「きゃあああ、こっち来ないでええええ!」
 レミが半泣きで魔法を乱射する。ここまで取り乱しながらも逃げ出さずにいられる理由。それはひとえに、自分で選んだ選択肢だからだ。100%巻き込まれたモーリス・ディアマンテ組と違い、レミはたとえ周りの空気に流されたのだとしても10%くらいは自分の意思で加勢しているのだ。今更逃げられるものか。
 リトルウィッチーズの二人は自分たちを打ち破ったドブロネツに守られながら、落ち着いて魔法を使っている。本当はレミのように半狂乱になりたいのだが、むしろこんなに取り乱しながら魔法を唱えられる自信がない。その点、レミは凄いと思えたりする。でも、見習いたいとも羨ましいとも思わなかったりもする。そして、どうせなら不気味に光る剣が気持ち悪いドブロネツや剣ばかりか全身炎に包まれて見えるほどに暑苦しいケーニヒなんかにではなく、イサーク様やルスラン様に守って欲しいなんて思っちゃったりしていた。
 セリーヌやケーニヒが振るう木剣にもまた不気味な光が纏わり付いている。エレーニャによるエンチャントだ。効果はよく分からないが、見た目通りろくでもないに決まっている。
 とりあえず、近くの敵は何とか出来そうだ。今、全ての敵を倒す必要はない。とにかく道を切り開いて、グライムスのいる舞台を目指すのだ。そして、グライムスと対峙しているシャドウとか言う奴を取り囲み、どうにかする。そうすれば、後はグライムスが全てなんとかしてくれるはずだ。
「あのシャドウって奴、確かに強えが勝った試合も圧勝って程じゃあなかったぜ。取り囲んで魔法をぶっ放せば何とかなるはずさ」
 とは、ケーニヒの見立てである。だが、舞台の上からこんなやりとりが聞こえてきた。
「貴様、試合では手加減していたな……?」
 そう問いかけたのはグライムス。相手はもちろん。
「当然だ、警戒されたら元も子もないからな。勝てる相手だと思わせ、なおかつ勝って油断した所を仕留める……まあ、仕損じたがね」
「手加減していたそうだけど?」
 セリーヌがケーニヒを問い詰めた。
「……はっ。気合いで何とかなるだろうぜ」
「いやあああ、無理無理無理無理!」
 泣き喚くレミ。
「女みたいに泣き喚くんじゃねえよ!」
 口ぶりは似ているが、口を挟んだのはケーニヒではなくオリヴァである。
「あんたっ!あたしが男に見えるの!?ザ・女でしょどう見ても!」
「そもそも女が泣き喚くものだって決めつけてるのが気に入らないわ。言うなら子供にしなさいよ」
 エレーニャがレミに加勢した。……のだと思う。多分。
「あのー。戦闘中ですよ……」
「後にして貰えませんか」
 リトルウィッチーズの二人がこの状況で冷静にしていられるのは、この緊張感を欠いた大人達のおかげなのかも知れない。
「ダメな大人ばかりでごめんね。こんな風になっちゃダメよ」
 頭を撫でながらそう言うセリーヌに、どう返事したものか困り苦笑いを浮かべた。
 そもそも。この大人達がこんなダメな感じでいられるのは追い詰められていないからだ。すぐ側には生ける伝説の異名を持つグライムスが控えており、少し離れた所ではあのイサークとそれを破ったアミアが呪歌でサポートしてくれている。そして外周に目をやれば、暴風さながらの少年少女が踊り狂っているのだ。ルスラン達は外周を囲む魔術師達をすぐに蹴散らして戻ってくるだろう。その時こそ、反撃が始まるのだ。
 そう、リトルウィッチーズの片割れ・リリーが心の中で呟いた、その時だった。
「ぬわっははははははぁっ!お楽しみはこれからじゃあっ!ここに居るゴミどもを、一人残らず血祭りに上げてやれっ!ひゃぁーははははぁー!」
 得体の知れぬ老人が現れ、高笑いしている。すわ、新たな敵か!しかも、見るからにタチの悪い魔法使いである。皆に緊張が走る。
「さあ、行けっ!」
 魔法使いの後ろから、何かが凄まじい勢いで出現した。それを見た瞬間、緊張が解けた。コロシアムではおなじみのゴーレムである。本戦に出場するタイプではなく、エキシビションなどで使われるハイスペック版だ。つまり、コロシアム運営側の援軍であった。なんとも紛らわしい登場の仕方である。あまり顔を見かけないのですっかり忘れていたが、変人ぶりは確かにガルシャウス老人っぽい。むしろ、その変人ぶりばかりが印象に残って顔が印象に残っていないのだ。見て思い出せないのも無理はない。
 ガルシャウス老人の高笑いと共に、ゴーレムは雑魚どもを蹴散らしながらステージに一直線で向かってくる。今日のゴーレムの中の人は拳法使いのイェンシェンだったはずだが……少し動きが違うようだ。軽快かつ縦横無尽に跳び回り敵を攪乱する動きこそ似ているが、……あれは。
 ステージを取り囲む敵達の頭上を、何人か薙ぎ倒してから行って欲しいという選手達の願いもむなしく軽々と飛び越え、ステージの上に着地する。
「まさかこんなに早くまたお目にかかることになるとは思いませんでしたな、グライムス殿。そして……まさか貴様にこんなところでまみえようとは。久しいな、闇霧よ」
 グライムスはゴーレムの正体を悟った。そして、シャドウあるいは闇無もまた。
「……柳雲」
 覆面の奥で、ギリッと歯の軋む音がした。

 グライムスと、無月柳雲。この二人を相手に、勝つにはどうすべきか。癪ではあるが同時に相手しては勝ち目がないのは間違いない。
 恐らく、逃げようとしてもここで仕留めるつもりで追ってくるだろう。だが、その速さは。ゴーレム化したことで磨きまでかかった柳雲の圧倒的なスピードは正直逃げ切れるかどうかすら分からない。だが、それが仇となる。グライムスは生身の人間、引き離すことが出来るはず。そうして距離が開いた所をどうにか各個撃破すれば。
 などと策を巡らしていたその時。
「ちぇすとおおおおぉぉぉ!」
 小さな影が宙に躍り、シャドウ目掛けて飛来した。この声。そしてこの小さな体。カンナだ。
 辛くもその一撃は防いだシャドウだが、この隙を見逃すほど、対峙していた二人は甘くなかった。
 柳雲の真剣がシャドウの首を狙った。紙一重で回避する。と、柳雲の姿がすっと消失し、入れ違うようにグライムスの姿が目に入った。既に攻撃のモーションに入っているが、シャドウには体勢を立て直す暇もない。辛うじてガードするものの、そんなガードなどあっさりと突き破りグライムスの木剣がシャドウの体を木っ端の如く軽々弾き飛ばした。
 激痛に耐えながら立ち上がろうとするシャドウだが、足はふらつき腕が痺れそれすらままならぬ。だが、俺は諦めない。諦めるものか。
「今日は諦めろ」
 死神が、見下ろしていた。飛ばされたシャドウにルスランとリューディアが駆け寄ろうとしていたが、突如出現した死神に二人とも動きを止めている。リューディアに至っては腰まで抜かしてしまったようだ。一方、ルスランにはその死神に見覚えがあった。
「まだだ、まだやれるぞ姉者。そうだ、連中がなんとかしてくれる……!」
「諦めろと言っている。我々はこんなことのためにここに居るのではない。貴様の趣味のために本来の目的に支障が出たらどうする」
「……ちっ」
 影が舌打ちし、死神がふっと溜息をついた。
「雑談は済んだか」
 その後ろにリューディアが隠れているのが見え隠れするルスランの呼びかけに、死神は髑髏の面を向けた。リューディアが本格的に隠れる。
「ああ、済んだ」
「よし、ならば行くぞ!」
「えっ。ちょっと。行かないでよ!」
 突進するルスラン。取り残されて慌てふためくリューディア。と、ルスランの動きが止まった。その行く手を阻むものがある。何か、柔らかいものが体に纏わり付いてくるようだ。
「来るなら来い。まあ、どうせ無駄だ。この障壁は人間には破れん」
 そう言うと、死神はゆっくりと詠唱を始めた。ルスランはリューディアをかっ攫い、全力で離脱した。

 カンナが跳躍して舞台に飛び込み、入れ替わるようにシャドウが舞台から弾き飛ばされた。それが合図であった。
「さあ、ジェノサイドの始まりよ!」
 グライムスがフリーになったと判断したアミアが高らかに言い放ち。
「ふはははは!血祭りじゃ!血祭りに上げるのじゃあああ!」
 ガルシャウスが呼応する。もうどっちが悪者か分からない。
「お祭りだー!」
「お祭りだー!」
 そして、リトルウィッチーズはよく分かっていない。
 とにかく、細かいことを気にすることはない。リトルウィッチーズ達のノリでいいのだ。敵をやっつければいい、それだけだ。敵は既に総崩れの状態である。一応抗戦はしてくるが、自分の身を守っているだけか、自暴自棄で暴れているに過ぎない。
 シャドウという障害物が外れ、グライムスが舞台から降りてきた。こうなると、これまでにグライムスに散々やられまくってきたムハイミン・アルマリカの連中はこれまでに植え付けられた恐怖のイメージから逃れられない。暴れることさえやめ、グライムスから逃げ回っている。攻撃は最大の防御などというのは、攻撃が通じる相手だから言える。攻撃の通じない相手への最大の防御はもちろん逃走、あるいは遁走である。まさに逃げるにしかず。そして、その最中に攻撃の通じる敵に遭遇したとしても、ここで攻撃することは逃走を中断することに他ならない。止まれば死ぬ。そのくらいの覚悟で逃げねばならぬのだ。
 つい先程まで、激闘が繰り広げられていたコロシアムは、今はさながら大運動会と言った風情になった。
 と。物静かな詠唱がどこからともなく聞こえてきた。何の気なしにそちらに目を向けると、死神としか言えない姿がそこにあった。
「お、おい。なんだあいつ」
 ケーニヒの指摘に、皆その存在に気付く。何か、とんでもないことが起る予感がした。そして、遂にその詠唱の最後の一句が唱えられる。
 次の瞬間。地面から這い出した纏わり付くような闇と共に、全てが消えた。
 シャドウも。ムハイミン・アルマリカの面々も。
「ちっ。逃げたか」
 そのアミアの呟きで、何が起ったのかを理解することとなった。

「おおう!父上でござったか!」
 カンナは共闘したゴーレムの中の人をようやく知ることとなった。そして、そうなればやはりこの疑問が浮上する。
「おや?でも今日のゴーレムは確かイェンシェンと言う拳法家ではござらぬか。なぜ父上が?……はっ、もしやイェンシェンの正体は父むにゅ」
 的外れな推理を始めたカンナの口を電光石火の早業で塞ぎ、話を進める。
「今日もカンナが出場すると聞いてな、エキシビションまで使わないこっちのゴーレムを借りて観戦していたのだ」
「そうでござったか。……ときに父上。今し方まみえた相手、闇霧だと聞き申したが真であるか」
「……奴の事、どこまで知っている?」
「ええと。父上の仇という事はもちろん知ってござる。あの後、英雄狩りなどと称し何人も殺めた後、えーと、『無敗などあるものか』などという輩と手を結んで悪事を働いているとか。嫁には頭が上がらないとも聞く」
 微妙に団体名を間違っていたり、どうでもいい情報も含まれているようだが。なお、そのどうでもいい情報についても実はちょっと間違っているが、そんなことは知る由もないのだ。
「なんと。あやつらめ、私の死の真相はカンナに伏せろと言っておいたというのに」
「面と向かって何かを告げられた事はござらぬ。ただ、まあ。立ち聞きは得意でありまして」
「……まあ、そうであろうな。口に戸は立てられぬ。是非も無しか」
 なお。立って聞いていた事もあれば、天井裏や床下に潜んでも聞いていたので立ち聞きだけかというと微妙である。
「ちなみに。あやつに嫁はおらぬぞ。多分、姉の事ではないか」
「うむ。先程確かに姉者と呼ぶものに連れて行かれていた。むう。誰かがあれを嫁と勘違いしたのであろう」
 どうでもいい部分を掘り下げ始める二人。
 すると、そこに。
「旦那、そろそろあっしのためにその体を空けちゃあくれんかね。これからあれとやり合うとなると、しっかり調整しておきたいんでね」
「お。そうだな、悪い悪い」
 もう一体、試合用のゴーレムが近付いてきた。こちらこそ、イェンシェンであろう。カンナはこの二人がやっぱり別人だったことを確認する運びである。
「……カンナよ。私が奴の事を口止めさせたのは、お前が奴に無謀に挑みかかり命を落とす事、そして復讐のためだけに生き、剣を振るう人間に成り果てる事を恐れたからだ。確かにお前は強くなった。だが、闇霧は……人ではない。魔の者だ。人の身で奴を上回る事は……」
 そこで一旦言葉を切る。
「……グライムス殿はなあ。本当に人なのだろうか。半分くらいオーガだと言われても納得する強さだ。うーん」
 断言するには邪魔な例外が存在していた。生身で奴と、互角以上の戦いを繰り広げた実例が。
「とにかく。人並みならぬ努力がなければ奴に勝つ事はまかり成らぬ。今のお前には無理だと心得よ」
「それは、日々身に沁みております。私は、まだまだ弱い。怒りにまかせて一人で奴に挑もうなどとは毛頭思い申さぬ。それに仇討ちを果たしたとしても、私には越えたい壁がいくつもあり申す。闇霧など、その中のたかが一枚に過ぎませぬ。心配召されるな」
「うむ。ならば、よい」
 柳雲はカンナの頭をぽんと軽く叩き、撫でた。カンナの目に涙が浮かぶ。……硬質のゴーレムの手での事。ちょっと痛かったようである。
「あ、すまん」
 謝ってから柳雲はカンナに背を向けた。イェンシェンがそれに続く。
「しかし旦那も鈍ったんじゃありませんかい?そのゴーレムであの一撃を躱されるなんざねぇ」
「おいおい。甘く見られたものであるな。いくら拙者が真剣で斬りかかろうと、彼奴は選手である以上魔法で守られよう。ならば怯ませておいてそこをグライムス殿の豪腕で叩いてもらった方が効き目が大きいと読んだのだ」
「なるほど、そういうことですかい。確かに、魔法がかかっていると言っても剣で首を狙われりゃあどうしても体は避けちまうもんなぁ。……はー、それにしても、この後一戦交える相手にあれだけの戦いを見せられちまうと気が重いぜ。ま、その体を使ってるのが柳雲さんでよかったぜ。旦那はあっしとバトルスタイルが似てっからな。調整が楽だ」
 エキシビションが始まるのは、この後割りとすぐである。

 割とすぐ、と言う理由は間に決勝戦が挟まるからだ。
 ただでさえ見るからに勝ち目のない相手である上、あんな騒ぎがあった後である。会場の熱気は異常だ。グライムスとは戦いたかったが、この中で、しかも決勝で当たるとなると大変なプレッシャーになる。つまらない試合をしては盛り上がりに水を差したなどと言われかねない。かと言って、つまらない試合しか出来ないのは目に見えていた。
 ロドリゲスにとって幸いだったのは、彼が思うほど彼に何かを期待している人がいなかった事である。あっさりと負けたがヤジも何も無く労いの拍手だけが送られ、呆気なく負けた割には多めの賞金を手にひっそりと立ち去った。
 その後のエキシビションで今度こそグライムスの勝利が見られるかと期待が高まったが、流石にゴーレムは強かった。グライムスはイェンシェンの目にも留まらぬ連撃を木剣で全て受け止めるという離れ業を見せてくれたが、流石にそんな無茶が長続きするわけもなく、最終的には押し負けてしまった。
 もうちょっと若ければとぼやいたグライムスにイェンシェンは、ゴーレムになれば肉体の疲労という枷から解き放たれのびのび戦えると死後の勧誘を掛けてきた。あのような変な老人に魂を管理され、戦うだけの存在と成り果てるともそれ相応の喜びが得られるようである。悪くない余生だと思わないでもないが、考えてみれば死んだ後の事であり余生ではない。ついでに言うと、順当に行けばグライムスよりあの変な老人・ガルシャウスが先に天寿を全うするであろう。
 まだまだ死んでやる気は無いが、戦いの中に身を置いている限り死はいつ訪れるか分からないのだ。グライムスは少しだけ前向きに検討し始めたりもした。
 そんな事がありつつ、長かったコロシアムの一日が終わった。

 その頃。遠き地で、少女は地獄を目にしていた。