ラブラシス魔界編

25.炎と毒と

「ケーニヒ・オリヴァコンビはサラマンドラ・ミニオンズの異名もある炎遣いよ」
 先ほど自分が負けた相手であるこの二人の説明にはレミも力が入っている。どうやら二人の間ではセリーヌが一般部門の、レミが複合部門の出場者説明担当ということになっているようだが、セリーヌも自分がやられた相手と言うことで積極的に前に出ている。
「ケーニヒが前衛担当、オリヴァは後衛。遠距離から二人で火の玉を連射した後、オリヴァが高威力の炎魔法をぶっ放し、炎を纏わせた剣でケーニヒが切り込んでくるわ」
「うん、さっきの勝負はそんな感じだったわね。いつも同じ戦術なの?」
 アミアの問いかけに首肯がシンクロした。答えたのはレミ。
「基本的にはいつもおんなじだよ。フォーメーションと飛ばしてくる火の玉の数、使ってくる炎魔法が気分で変化する感じ」
 きっと気分じゃなくて状況に応じて変えているんだろうとは思うが指摘はしない。
「なるほどねぇ……」
 アミアはしばらく考え、戦略を立てたようである。ルスランを手招きし、小声で作戦を伝えた。
 そしてそのまま舞台へ。後ろからセリーヌとレミの「あたしたちの仇をとってね、がんばって」というエールが飛んできた。
 ルスラン&アミア組対ケーニヒ&オリヴァ組の試合が始まった。話通り、まずは火の玉が飛んでくる。ひたすら躱す二人だが、威力を減退させながら飛んでくる火の玉など、この距離で食らっでもさしたるダメージはない。もちろん、向こうもこれで仕留めようなどという考えは持っていない。火の玉を撃ち出しながら、オリヴァは少しずつ後退している。距離を稼ぐための足止めなのだ。
 アミアの最初の呪文が終わる。ルスランの木剣がわずかに光を帯びた。その剣で火の玉を斬ると、ぶわっと弾けて霧散する。それを確認するとルスランは飛んでくる炎を打ち返しながら前進を始めた。魔法無効化の魔法。本来、アミアの魔力だと荷が重い魔法である。だが、属性を火のみに、範囲を剣のみ絞った上であれば十分な効果が期待できる。後はルスランが火の玉程度切り捨ててくれることを信じるのみ。
 オリヴァからの火の玉が止まった。ルスランが接近を始めたことで強力な魔法の詠唱を始めたのだ。じわじわと距離を詰めるルスランの足許めがけてオリヴァから小さな火が走り、ルスランの周囲を一周くるりと回る。それを見てガードを固めたルスランを火柱が包み込んだ。
 それを見たケーニヒも剣を構えて突進を始めた。同時に炎の帯魔法の詠唱。炎に包まれつつもルスランは初撃を打ち返す。そろそろ炎が収まる頃だ。だが、それどころか炎は一回り大きくなる。
 最初は漠然とした違和感程度だったが、ケーニヒにとってよくないことが起きていることを察した。目の前の炎の塊は明らかに人の形を取り始めていた。人体そのものが燃え上がっているように見える。オリヴァの扱う攻撃魔法にこんな物は無い。ちらりと振り返り見たオリヴァの戸惑った表情を見てもそれは明らかだ。
 これが魔法のダメージを変換するコロシアムのステージ上でなければ骨まで熱が達している頃合いだ。そして、コロシアムのステージ上であっても炎で包囲された状態であるならショックだけで絶命しかねないほどのダメージになっているはず。それでいてその炎の人影は涼やかにやはり燃えさかる剣を構えた。炎の魔人という言葉がぴったりだ。
 眼前の炎の魔人がさらに一回り大きくなったところでケーニヒの帯魔法も完成した。ケーニヒはそれもまた火を帯び炎の剣と化した己の木剣をルスランに叩き込むが、あっさりと受け止められた。それどころか帯魔法もふっと掻き消えてしまう。
 呆然とし動きを止めたケーニヒの剣を、炎と化したルスランの剣が痛撃し弾き飛ばした。その衝撃で放心は解けたが、代わりに恐怖が押し寄せてくる。徒手となったケーニヒはもはや逃げることしかできない。いや、足さえ縺れて逃げることもできなくなった。もはや人型すらとらずにただの火柱となったものに踏み潰されるケーニヒ。
 オリヴァはケーニヒの帯魔法がルスランを包む炎に吸い込まれた時点で何が起きているのか察していた。炎属性の吸収。無効化以上に難度が高く、それ故に高等術者でもない限り高い効果が望みにくい魔法である。通常、吸収した魔法は魔力、もしくは生命力・活力に変換し還元させる。その変換で多くのロスが生じるのだ。だがアミアのかけた魔法は“変換しない”のである。吸収された炎は炎のままルスランの周囲に留まる。その時点で炎は“アミアによる魔法”の炎となっており、被術者のルスランに対する攻撃性はなくなる。いわば、ルスラン自身への帯魔法状態を作り出すのだ。
 吸収の魔法を使いつつ吸収しないこの使い方は、セオリーに反している上に通常の戦いでは使い勝手も悪く、まず見かけることなどない。よって、オリヴァが理解したのは吸収されたということだけである。この魔法も効果を高めるために属性を絞っているが、もちろんそんなことを知る由もない。他属性の魔法を使えば効果があったはずだが、そこに気付かなかったし、気付けても試してみる余裕などなかっただろう。何せ、ケーニヒを食らうように包み込んでいた炎の魔人はゆらりと立ち上がると、オリヴァに顔を向けたのだ。
 背中を向けて遁走を始めるオリヴァを凄い勢いで足音が追う。それはあっという間にオリヴァに追いつき、追い越した。オリヴァを追い越したものが人影であったことに安堵を禁じ得なかったが、炎もすぐに追いつき、掠めたオリヴァを焼きつつ行く手に回り込んだルスランを包み込む。オリヴァの目前に再び炎の剣士が現れた。
「あちいいぃぃ!」
 オリヴァもケーニヒも炎使いとして火属性にはある程度耐性があるが、実際のダメージに恐怖心が大幅に上乗せされ、オリヴァは転げ回った。ようやく気を取り直して顔を上げると、眼前で炎の剣が振り上げられ、まさに振り下ろされるところだった。
 その直後に起きたことが頭蓋をかち割り脳髄を焼かれるのではなく、こつんと小突かれて審判による終了の合図が出たことで、試合中だったことを思い出す有様だった。

「調子に乗りすぎでしょ。なにあの『ゆっくり嬲り殺しにしてやろう』みたいな勝ち方」
「調子に乗ってたのはそっちもだろ。ガンガン炎追加しやがって……。俺は折角の作戦がちゃんと活きるように機を待っただけだ」
 などと言い合いながら出場者席に戻るルスランとアミア。試合前の作戦会議にて、ルスランが授かった作戦は『まずは剣に火属性魔法忌避の膜を張るのでそれを使ってアミアをガード、その後火属性吸収魔法が発動したら炎を取り込みながら特攻あるのみ』と言う物である。先のセリーヌ・レミとの戦いを見る限り、ケーニヒ・オリヴァ組はルスラン一人でも余裕で捌けそうな相手だった。さすがはセリーヌとレミがくじ引きで当たった時に「勝てるかどうかは微妙だが今日の濃い顔ぶれの中でなら楽な方」と評した程度の相手である。そして火属性の魔法しか使わないというスタイル。同じ火属性使いとしてアミアならいくらでも対処法が思いつくのだった。
 ルスランとしては、アミアが折角考えた対処法を出し切る前にけりを付けてしまっては申し訳ないと思ったわけだ。いつでも蹴散らせる程度の相手だからこそ、なおさら。
 準備が整ってからのアミアは火に油を注ぐべくルスラン目掛けてフルパワーの炎魔法を浴びせ続けていた。炎の中に居たルスランには見えなかったが、火柱はものすごい高さまで上がっていたようである。そんな物が意思を持って自分に向かってくるとあってはあの二人はさぞ怖い思いをしたのではなかろうか。実際、怖そうだったし。まあ、怖がっていたからルスランとしても調子に乗っちゃたのは確かである……。
「仇討ったわよぉー♪」
 セリーヌとレミも喜んでくれる……と思ったのだが、二人ともテンションは低めである。
「ん?どうした」
 ルスランの問いかけに、顔を見合わせるセリーヌとレミ。
「そりゃあ、確かに仇は討ってくれたけど……ねえ」
「うん……。互角に戦えて僅差で負けた相手が、ああも無惨に弄ばれてるとさ。格の違いみたいなの、思い知っちゃうな」
 やはり調子に乗りすぎたようだ。二人とも。
「なあに。努力すればあのくらいやれるようになるって!」
 無責任なことを言うルスラン。
「無理」
 されるべくして一蹴された。
「先輩面してアドバイスなんてしてたけど、あたしらにとっての強いか弱いかはあんたらの次元からでは弱いか輪をかけて弱いかの差ってことになるのよねぇ」
「烏滸がましいってこういうことなんだね」
 なんとなく、この二人の息が今更ながら合ってきている気がする。二人が仲良くなるのに貢献できたならよいことだが、それはそれ。
「いやいや、アドバイスも役に立ってるよ」
 だが、二人のうじうじは止まらなかった。
「でも、多分今日一番手強い相手だったサラザール親子はコンビとしては初出場だから情報なかったし」
「いきなり踊り出したときはびっくりしたよね」
「アミアちゃんも歌い出して、マイナソア君まで踊り出したのには敵わないけどさ」
 あれについては仕方なかったんだ、周りの雰囲気に文字通り踊らされただけなんだ、と言いたかったがそれより先にアミアが口を挟む。
「まあ、あたしはリベンジ目当てだから。昨日の試合でたっぷり研究して準備万端だったし」
「……たった一晩で攻略法編み出しちゃったんだ……」
 別に凄くないのよ、と言いたかったのだろうが、むしろ逆効果だったようである。そして。
「マイナソア君も事前に情報でも……」
「覗いてないから」
 リューディアの事前情報については色々あってトラウマになっているルスラン。
「俺のダンスは見様見真似だよ。初めて見た踊りに無理矢理合わせただけだ。本当にな」
 ルスランにとって重要なところはきっちりと強調された。
「そんな適当な……」
「あっちは魔法の加速についていけずにスピード落としてたみたいだからな。おかげでついていけたって寸法だ」
「さらっと言うけどさぁ……。やっぱり君たちレベルが違いすぎるよ」
 ルスランの大したことないよアピールも逆効果であった。しかし、彼女達の言うことも尤もなのである。
「だとすると、やっぱりルスランと組んだのは失敗なのかな。昨日ボロ負けしたあたしはそこまで凄くないはずよ。ルスランなんか、あの師範代と結構いい勝負してたじゃない」
「してないってのに。……でもまあ、さっきのもアミアの作戦が無かったら俺一人で突っ込んで片付けてただろうし。魔法の戦いをしてるのに腕っ節だけでねじ伏せられるってのはちょっと問題あるかもな」
「そうよ、大問題だわ。あたしが目立てないじゃないの。……じゃあ、こうしましょ。勝つからには相手の戦術の裏を掻いてねじ伏せるの。ほら、1回戦だってサラザールの歌を横取りしてきりきり舞いにしてやったし、さっきも敵の炎を利用してやったわけじゃない。そんな感じでさ、逆手に取るのよ」
 方針は決まった。そして、これならセリーヌとレミのアドバイスも活きるのである。

 その頃、一般部門。
 困ったことに、特筆すべき事はないのである。グライムスはもちろん圧倒的な強さで勝ち進んでいる。
 そして、カンナもまたまったく危なげなく勝利を重ねていた。グライムスのように試合開始の合図と共に真っ直ぐに敵に突っ込んでは一撃で吹っ飛ばすような豪快な勝ち方ではないものの、誘われるように相手が打ち込んだ攻撃をあっさりと回避し、その隙にその視界から消え、背後から攻撃を叩き込んでいる。呆気なさでは大差はない。1回戦2回戦と同じ勝ち方なので3回戦の相手は流石に同じ手は食らわないだろうが、2回戦の戦いぶりを見るに、次の相手もあのスピードに易々とついて行けそうな猛者には思えない。馬鹿の一つ覚えのように同じ作戦で突っ込んでも勝てそうである。
 この様子では、その次の準々決勝でグライムスとカンナが当たるところが本日のクライマックスになりそうだ。そして、カンナがグライムスに勝てそうな感じは特にしない。アミアとルスランのペア以上に、グライムスは周りとレベルが違いすぎている。
 そのクライマックスの前に、ルスラン達の次の試合が待っていた。
「蠍のドブロネツと蝮のエレーニャ。……二つ名の通り、毒虫のような戦い方をする嫌な奴らよ」
「蛇蝎ってのは、本当にあの二人にぴったりの二つ名よね」
 二人による紹介こそ毒がある気がするのだが。
「なんか、あいつらのこと嫌いみたいだな」
 それこそ、蛇蝎の如く。
「嫌いよ」
「好きなわけないわ」
「……昔、何かあったとか……?」
「別に何も無いけどぉ。……ほら、見てよアレ」
 別に、試合前に二人で和やかに意思の疎通を図っているだけのような気が。……いや。距離が近すぎるというか、どう見てもいちゃついてるカップルというか。
「見てるだけで目の毒だわ」
「夜は夜でエレーニャが蛇のように絡みつきながら咥え込んで、ドブロネツが突き刺してたっぷり注入するのが目に浮かぶようだよね」
 お下品にも程があった。
「何もこんな所まで来ていちゃつくことないのに。あーもう、腹立つわー」
「どうせならさー、とっとと結婚して産休でもとって欲しいよねー」
 別れろと念じない辺り、良心的である。それにしても。
「嫉妬しまくってるあんた達は気の毒って所かしら」
 毒で弱った二人の心にとどめを刺したのはアミアであった。
 そんなことより、具体的にどのように攻めてくるのか、そしてどう対処すべきなのか、である。
「蠍と蝮と言うだけあって、毒のような魔法を連発してくるの。体を痺れさせたり、力が入りにくくなったり、幻覚を見せられたり……」
 言うなれば、デバフ使いである。
「ほんと、いやらしいったらありゃしないわ」
「ああやって公然といちゃいちゃするのもいやらしいけどねー」
 それはいやらしいの方向性が違うが。
「試合が長引けば長引くほど、面倒な相手って訳ね。対抗するってんならこっちも弱体阻害系の魔法を垂れ流すのがセオリーなんだろうけど……。その系統、あたしは苦手だわ。そういうのって水属性のが多いしさ。取るべき作戦としては速攻かしらね。特攻で瞬殺、よろしく」
 言ってみれば、対策は丸投げである。だが、そこでレミが割とまともな意見を述べた。
「あー、でもそれ、よっぽど素早くやらないと無理だよ。だって……」

 レミのアドバイスを鑑みて戦術が組み立てられた。やはり、ルスランの特攻で瞬殺が基本戦術である。……戦術と言っていいものなのかは疑わしいが。
 試合開始と共にルスランは突撃を始めた。アミアさえもそれに同伴している。つまり、二人で特攻である。
 この出方に流石に相手の二人は少しは戸惑ったようだが、好都合だと言わんばかりにエレーニャの口元に笑みが浮かんだ。その直後、エレーニャの周囲にどす黒い靄が現れた。毒霧である。
 魔法の発動には通常は長い呪文を詠唱する必要がある。高位の術士と息の合った精霊が力を合わせれば省略型の短い呪文で発動させることも出来るが、短いながらも詠唱は必要だ。だが、エレーニャはまったく口を動かさず、正確には笑みを浮かべた口元が僅かにつり上がっただけで声は発せず魔法を発動させている。
 念魔法。文字通り、念じるだけで魔法を発動させているのだ。それなりに高度な使い方ではあるが、慣れればそれほど難しくもない。
 なお、エレーニャは短縮詠唱法も会得している術者である。実際、試合中に短縮詠唱で魔法を呼び出す姿も度々見受けられている。ならば、なぜこの魔法は念魔法を使ったのか。その理由の一つは、短縮詠唱を精霊に覚えさせておける数に限りがあるからだ。もちろん、試合開始時に毎回唱えるお決まりの呪文ならば短縮詠唱として覚えさせるのももちろん有効である。だが、もう一つの理由から敢えてそうしていない。
 そのもう一つの理由。それは、呪文を詠唱しないと言うことは、開始の合図の前からでも準備を始められるからである。エレーニャの他にも、試合開始の合図の前から念魔法の準備を始め、合図と同時に魔法を発動させる選手はいるのだ。その、ある種ズルにも思える発動法が容認されている理由は、心の中まで覗いてそれを見抜くのが難しいことと、そんなことが出来るのもひとえに実力があるからと言う理由からだ。さすがに試合開始前に発動させれば反則になるが、念魔法で呪文を暗唱し開始の合図と共に発動させ、それに合わせてさも短縮詠唱のように発声すればまずバレない。それを容認せざる得ないのであればと、カムフラージュ無しのただの念魔法も黙認されているのだ。
 レミはアミアに言った。速攻で瞬殺をかけるには、開始直後に発動するエレーニャの念魔法による毒霧をどうにかしないとならないと。毒霧の発生前に飛び込むか、毒霧召喚並みの速さでその対処を行うか。
 そう。同じようなことが出来るだけの実力がこちらにもあれば、そしてあちらがそう言う出方で来ることが分かっていれば、まったく同じ方法で対処が可能なのである。
 毒霧の発生を見届けたアミアは、自分がスタンバイさせていた念魔法を発動させた。アミアの背後から突風が追い抜き、眼前の毒霧を吹き飛ばした。
「よっしゃ、何とかなったわ!」
 風魔法はあんまり得意じゃないのよね、とぼやきながらもこの作戦を採用したアミアは、僅かな不安要素だった風の念魔法が上々の仕上がりだったことに頬を緩ませた。だが、まだ気を緩めていい場面ではない。
 この展開を予想していたわけでもあるまいが、前衛を務めるドブロネツが毒霧のヴェールを剥がれたエレーニャを守るようにルスランの前に飛び出した。念魔法は破られても、ドブロネツが僅かな時間を稼げさえすれば、エレーニャは短縮詠唱による次弾を発動できる。が、そんなことはレミ達からもらった情報でルスラン達も百も承知なのだ。さもドブロネツに斬りかかるように見せかけ、するっとその横をすり抜け、エレーニャの懐に飛び込むルスラン。
 既に短縮詠唱を始めていたエレーニャの顔が引き攣り、口も強ばる。詠唱を止めるべくその喉元を狙って打ち込まれた突きは、エレーニャの体を大きく後方に吹っ飛ばした。魔法でダメージが抑えられていなければ木剣であっても致命傷になりかねない一撃である。そして、恐怖で詠唱を止めて歯を食いしばっていなければ、舌を噛んでいたかも知れない一撃でもあった。鬼のような容赦の無さである。だが、ルスランだって必死なのだ。仕方ないのである。
 一方、ドブロネツはすぐさま背後に回ったルスランを目で追いたかったが、ルスランの後ろから現れたアミアがそれを許さなかった。ヌンチャクによる攻撃を辛くも木剣で受け止める。幸い、魔法で強化されていないアミアの攻撃はさほど怖い物では無い。ドブロネツは蠍の尾に喩えられる、今回はまだそれらしいエンチャントを纏っていない剣を振りかざす。どうやら、素での近接戦闘はドブロネツの方が優勢である。ならば今のうちにアミアだけでも仕留めねば彼らに逆転の余地はない。背後にいるエレーニャは直接攻撃に晒されればあまりにも無力だ。毒のヴェールも払われ、対処が出来るとは思えない。せめて、一対一に持ち込まねば勝機は断たれる。この毒無き蠍の一刺しが、全てを決めるのだ。
 アミアはとっさにガードを固めるが、そのガードをすり抜けてドブロネツの木剣がアミアの喉元に吸い込まれる。その瞬間、凄まじい衝撃と共にドブロネツの視界からアミアが消え、代わりに石の舞台が視界一杯に広がった。言うまでも無く、ルスランが背後から引っぱたいたのである。エレーニャの喉を突いた剣を、そのまま体を翻しつつドブロネツの頭に叩き込んだのだ。
 蛇も蠍も所詮は地這い。蜂の一刺しを躱せないのだった。

 2回戦の時とは打って変わって、セリーヌとレミに歓喜の表情で迎えられるルスラン達。
「サイコーね!」
「スカッとしたわ!」
 まあ、そうであろう。だが別に、こいつらを喜ばせるために勝っているわけではない。この勝利は誰のためにでもなく己のため、そして金のためである。しかしそれでも、誰かが喜んでくれるのならば悪くはない。こんな私利私欲のための戦いなど、普通は悲しむ者しか生み出さないのだから。
 このコロシアムで戦う人間は大きく分けて二種類。イサークのように観衆を楽しませるために戦うごく一部の人間と、大多数を占める金のために戦う人間。カンナのように自己研鑽を主たる目的としている者もいるが、主たる目的が自己研鑽であり、副たる目的はやっぱり金である。そうでなければ、コロシアムになど参戦するものか。そんな金のための戦いすら、見るものの楽しみに変えてしまうのがこのコロシアムなのである。
 だが、ここに金でも観衆のためでもなく、金ではない我欲のために戦い続ける者が居た。その者は、次の準決勝で狙う相手と相見える時を待ち、静かに勝ち進んでいる。
 参加者が16組の複合タッグ部門と違い、一般部門はバトルロワイヤル敗退者を除いても32人もいるのである。人数こそ同じではあるが、試合数は倍になる。よって、自ずと会場も一般部門の試合が多めになる。実のところ、こんなに多くの試合を一試合が長くなる傾向の強い複合タッグの日にねじ込むのは運営としても冒険どころか大冒険であった。決勝が深夜に縺れ込むことも覚悟のことだったのだ。そうなっても、見る人が多いと踏んでの決断である。
 そんな試合が予想を大きく上回るペースで順調に消化できているのは、早く決着する試合が多いためであった。グライムスは言うまでも無く、そしてカンナもまた電光石火と言える早業で敵を蹴散らしてきた。そして、そんな二人が準々決勝で対決する。
 勝負はやはり短時間でグライムスに旗が揚がったが、カンナはこれまでにものの一撃で散っていった闘士たちとはひと味違う戦いぶりを見せつけてくれた。
 まず、今日の相手では初めてグライムスから先手を奪った。その一撃は受け止められすぐさま反撃されたが、それを躱し。グライムスの攻撃をこうして躱した相手も初めてである。そしてその驚くほどの俊敏さでグライムスの背後に回り、飛びかかった。グライムスも身を翻してそれを正面から受け止め、カンナを大きく弾き飛ばす。しかし、カンナは地面に触れるや否や再び突進を開始、再度斬りかかった。加速のついた跳躍と、それを迎え撃つグライムスの会心の振り。木剣同士が打ち鳴らされる音も小気味よく、それはまさに野球に喩えれば場外性の当たりであった。もちろん、吹っ飛んだのはカンナである。
 ルスランに吹っ飛ばされた時は背中から地面に叩き付けられ、ショックでしばらく放心していたカンナが、それは負けることを、それもあんなにあっさり負けることを想定していなかったからだ。今回の負けは覚悟の上である。そして、負けても悔いが無いくらいには健闘できたと自分で思えるほどであった。会場からも、その健闘を讃え、あるいは可愛い女の子がトーナメントからいなくなってしまうことを惜しみ、拍手が惜しみなく送られた。
 その影で。まさにその名の如く影のようにひっそりと、シャドウという人物も勝ち上がっている。グライムス、準決勝の対戦相手である。

 頑張って試合を消化しても、やはり倍という試合数は如何ともし難い。複合部門の決勝戦は一般部門の準決勝、グライムス対シャドウの試合とかち合うこととなった。
「んもー、パパの試合見られないじゃない。こっちを見ても貰えないし。さっさと終わらせてパパの試合見るわよ」
「どちらかというと、こっちの試合を長引かせて見て貰う方がハードル低いと思うな」
「そう言う相手じゃあないんだけどねぇ……」
 決勝の相手、モーリス・ディアマンテ組は進展式要塞(エヴォルヴ・フォートレス)の異名を持つコンビであり、強化魔法を最大限に駆使した戦い方をする。時間を掛ければ掛けるほど強化魔法も積み重なり、難攻不落の防御力と圧倒的な殲滅力を蓄えていくのである。
 今日、アミア達がイサークらを敗退させていなければ、順当にイサークらとこの進展式要塞コンビが当たっていたことだろう。その場合、イサークにとってかなり苦手な相手となる。イサークもまた、歌によってゆっくりと強化していくスタイルだからだ。
 そんな彼らに勝つには速攻がベストと言うことになるが、彼らが強化頼みのへっぽこなどではなく強化無しでもそこそこ戦えるというのもその手強さである。
 だがしかし。ルスランもまた一般部門でなかなかの健闘を見せた通り、強化無しでもかなり戦える。単純にルスランが速攻を掛ければどうにでもなる相手であった。そして、速攻ならぬ速効ぶりではアミアの強化魔法も著しかった。念魔法による開始前キャスト溜めからの連続クイックキャスト。試合開始の合図と共に突進を始めたルスランの剣が電光を纏い、その動きが倍速化し、耐魔のバリアを纏い。折角だからと突進しながら詠唱していたルスランの全能力強化魔法・ブラッドラストが発動する直前にルスランの詠唱を察知したアミアから魔力がサーブされ、ブラッドラストにアミアの魔力が乗った。
 衝突。閃光。轟音。
 轟音が消え、閃光の幻惑も消えると、ディアマンテの姿も消えていた。何が起ったのか分からず戸惑うモーリス。
 実の所、何が起ったのか分かっていないのはルスランもであった。何せ、自分でやったことと言えばブラッドラストを唱えながらディアマンテに斬りかかっただけである。閃光と音はアミアが手始めに掛けた雷の帯魔法による物だというのは分かるが、なぜディアマンテは消えたのか。
 そろそろ、ルスランの視界外の場外に吹っ飛ばされてひっくり返っているディアマンテに気付いてあげてもいい頃合いである。観客ほど離れずともアミアくらいの距離でも見れば明らかな事実なのだが、近いとむしろ見えないものだ。もっとも、気付かなくても試合に何の影響も無い。後は、まだ混乱しているモーリスもこのまま吹っ飛ばすだけなのだから。
 閃光で誰の目も眩んでいる最中、アミアの強化魔法で加速し、なおかつブラッドラストで力まで増強された一撃は大の男を軽々と吹っ飛ばしたのである。無論、ただそれだけのことでは無い。同じ事を他の場所で行えば、その一撃はディアマンテの肋骨をへし折り、皮膚を焼け焦がし内臓をずたずたに潰しただろう。だが、魔法のバリアがディアマンテの体を直接のダメージから守り、代わりに吹っ飛ぶくらいの衝撃に変換した。コロシアムならではの結果である。
 モーリスを鋭い突きで真っ正面に吹っ飛ばし、閃光の消滅と共に遙か前方の地面に叩き付けられる姿を目にして、ルスランもまたディアマンテに起ったことをも理解した。探せばディアマンテもちゃんと見つかり、ひとまず謎は解けたのであった。
 試合の勝者を告げる声が轟く。二つ同時に。グライムスの方も決着がついたようである。
 だが、あちらは決着はついても戦いは終わらなかった。

「それまで!勝者、グライムス・ホームド!」
 シャドウという人物にグライムスは勝利した。“影”を名乗るだけのことはあり、黒で統一されたどこか不吉な印象の出で立ちと、目しか見えない覆面が特徴的だ。そんな外見よりも、流石にここまで勝ち上がってきただけのことはありなかなかのスピードを見せてくれたが、グライムスには及ばなかったようである。カンナの方がいくらか楽しませてくれたくらいだ。
 と。舞台を降りようとしたグライムスはシャドウの方を振り返り身構えた。飛来した何かを木剣で受ける。木剣には小刀のような物が突き刺さっていた。
「ほう、さすがだな。背後からの不意打ちを受け止めるとは。どうやらかなり旗色が悪くなったと言わざるを得ないようだ」
 先程までの対戦相手、そしてグライムスを振り向かせた強烈な殺気の主は感情の感じられぬ声で低く言った。
「……貴様。どこかで遭ったことがあるな」
「ああ、そうだ。そう昔のことでもないぞ」
 と、そこで異常を察した係員が駆け寄ってきた。シャドウは懐から新たな小刀を出して牽制する。
「近寄るな!死にたいならば話は別だがな!」
 その隙に、グライムスは自分の木剣に突き刺さっている小刀を確認する。刃が僅かに赤く染まっている。血では無い。おそらくは毒だ。
 どうやら、得物が木剣であることで救われたかも知れない。この刺さり方をするような芯を捉えた太刀筋にて、もしも小刀を鉄剣で弾けば僅かな逸れだけでも小刀は軌道を逸らすに留まる。直撃こそ免れようが、毒刃が掠めることも有り得よう。木剣にしっかりと突き刺さってくれたことは勿怪の幸いである。
 時同じくして、観客席でも騒ぎが起っていた。何人かの観客が立ち上がり、会場に乱入していたのだ。興奮した観客が入り込んでしまうことは珍しくは無い。優勝者がイサークであれば特にである。だが今回は、そんな興奮したマダムがイサークを破って優勝したコンビに掴みかかろうとしたわけではもちろん無い。観客席に潜んでいた武装した男達が続々と試合場に飛び込んできたのだ。
 男達は一般市民に紛れ込むため、皆普通の服装をしていた。そのため観客に自然に溶け込んではいたが、こうして顔を揃えればあからさまな特徴が見て取れた。皆、浅黒い顔色で西方の旧メラドカイン帝国周辺の人々の特徴を有している。グライムスには見飽きるほど馴染みのある顔立ちだったが、今のグライムスには周りで起っていることに気を回す暇は無く、その事実に気付くまでにはもう少し時間が掛かりそうだ。