ラブラシス魔界編

24.舞姫と歌姫

 先程までバカ親子丸出しだった対戦相手の二人も、開始の合図と共に表情が変わった。戦士のそれに……ではない。ステージに立つ、スターのそれに。
 アミアの立てた作戦によると、ルスランはまずリューディアの相手をすることになっている。先程のやりとりでいくらかでもリューディアの手の内が分かれば良かったのだが、リューディアの脳天気ぶりが分かっただけである。出たとこ勝負に出るしかなさそうだ。
 一方、アミアは準備万端。イサークは基本的なスタイルとして最初に加速の補助魔法を使ってくる。アミアもそれに対抗して最初は加速の魔法から入ると聞いていた。そのため、歌い始めたイサークに合わせるようにアミアも歌い始めても、なるほどこういうことか、昨日練習してたもんなぁ、くらいにしか思わなかったのである。イサークもさすがに驚いたようだが、それにしても驚き過ぎのような気がする。些か顔も険しくなっている。一緒に歌われるとまずい何かあるようだ。
 一方、リューディアに目を向けたルスランは面食らうことになった。すすっと前に数歩躍り出たリューディアは、いきなり脱いだのだ。脱いだとはいえ上に羽織っていた動きにくそうなマントを放り投げただけである。しかしその下から現れたのは些か露出過多な服。やはり、いきなり脱いだと言ってしまってよい。
 アミアも軽量だからという理由でビキニメイルを愛用している。おかげで殊に最近はこのような姿には見慣れているものの、相手が見慣れない相手の上、アミアには言えないが数段美少女だ。それに露出具合がアミアの鎧の比ではない。これは防具というより、むしろ。
 リューディアがマントの下から現れた細身の剣を構えた後の行動はルスランの辿り着いた結論を裏付けるものだった。踊り出したのである。
 剣舞。父親が呪歌を敢えて武術に取り入れたように、娘は剣舞を武術に取り入れたのである。ただ勝つためではなく、魅せるために。
 とりあえず、試しに切り込んでみた。踊りながら鮮やかな動きでルスランの剣を受け流し、そのまま流れるようにルスランに対し剣を打ち込んできた。それも連撃である。それを全て受け止めるとリューディアは距離をとる。
「ふふん、なかなかやるじゃない。でもこのくらい切り抜けてもらわないと見せ場がなくなって困っちゃうんだけどね。今度はこっちからいくわ、ちゃんとついてきなさいよ!」
 そう言うと再び踊り出した。もしかして、今のそこそこの長科白は後ろで歌ってるイサークの為の時間稼ぎだったのだろうか。まあ、そんなことを気にかけている場合ではないだろう。
 リューディアが踊りながら次々と繰り出す剣を弾き返し、受け流し、躱す。その度、次の動きを柔軟に切り替え自然に踊りを繋げていく。まるで二人で踊っているかのようだ。
 ルスランはそこでふと思った。目の前の相手は踊っている。そして少し離れたところで対峙するアミアとイサークは歌っている。自分だけ普通に戦っているのは些か無粋ではないのか。
 それより、そろそろその二人の歌が終わる頃合いのはず。昨日のイサークは結局優勝まで勝ち続け、必ず開幕に歌うこの加速の歌を勝利の数だけ歌い上げた。アミアのように覚えてやろうと熱心に耳を欹てずとも、それだけ聞かされれば流石にある程度は覚える。今聞こえているのはまさにサビ、クライマックスである。
 当然、歌が終わると同時にリューディアの動きは加速され、今まで通りには戦えなくなる。さらにアミアも同じ歌を歌っているのだからルスランだって同じタイミングで加速するのだ。交戦中にそうなるのは避けたいところだ。一旦ルスランは距離を取ることにした。
 一方リューディアはお構いなしで踊り続け、斬りかかろうと距離を詰める。踊ってる最中の加速にも慣れているのだろう。であればむしろその動きの急な変化は武器となる。ルスランにはさらに分が悪い。
 歌が終わり、案の定自分もリューディアも動きが軽快になる。思ったよりも劇的な効果だ。慣れるのに少し時間がかかりそうだった。
「きゃあ!」
 一方リューディアの動きも乱れ、少し狼狽える。イサークがリューディアに向かって叫んだ。
「ユニゾンされた!いつもより加速が大きい、気をつけろ!」
 呪歌は複数人数で歌うと効果がその分大きくなるのだ。
 更に。呪歌は通常の魔法より効果範囲が広いのが特徴である故に、敵に有利な効果の歌を、あるいは味方に不利な効果の歌を、ブロックする必要が出てくる。そのための仕掛けが友軍認知の歌だ。呪歌の使用前に付加するように歌われることからプレリュードとも呼ばれ、その歌を聴かせることで呪歌の優先的な効果対象にすることができる。アミアが戦闘前におまじないと称して歌った歌がそれである。イサークもリューディアに同じことをしているはずだ。
 普通の呪文魔法であれば、敵対する者同士が全く同時に同じものを唱えても合体魔法扱いにはならずそれぞれ別々に発動するが、呪歌がユニゾンした場合はその立場に関係なく両者が一つのユニットとして扱われる。ユニットメンバーの一人のプレリュードを受けていれば、そのユニゾンした呪歌の対象となることが出来る。よって、イサークのプレリュードを聞いていないルスランにもユニゾンしたアミアのプレリュードの効果でイサークの歌の分の恩恵があるのだ。
 よって、ここにいる4人全員にユニゾンで効果が増大した加速の歌が平等に発動していた。だが、それによる恩恵は平等ではなかった。

 ユニゾンの結果を知っていたイサークと、もちろん解った上でそれを狙ったアミアは普通にかつ素直にユニゾンの恩恵を受けた。アミアにとっても初めての呪歌で、その本人でもどれほどの効果があるのかなど量れないため、そのアミアから加速されるとしか聞かされていなかったルスランにとって、加速の程度に差があっても判るはずもないし、ぶっつけ本番でそれに合わせないといけないことに変わりはない。
 この加速の歌は活動は加速できるが、感覚を加速する術式までは組み込んでいない。イサーク一人の魔力ではそれでついていけない程の加速はできないし、ただでさえ時間がかかる呪歌である故に先手を取られやすいのに悠長にそんな術式まで組み込んでいては初手を打ち終える前に決着が付いてしまう。アミアもまた日頃使っている加速魔法には余計なものを組み込まず、純粋に活動速度のみを高めている。この状況に対応できる下地はできていた。そして、ルスランはそもそもどのくらい加速されるか知らなかったのだから問題外。
 問題はリューディアであった。この日のためにイサークと共に特訓し続けてきたリューディアは、イサークの呪歌の効果に慣れすぎていた。いつも通りでない効果に順応できなかったのだ。
 せめて、呪歌のユニゾンについて知識が有れば心の準備くらいはできたのだろう。試合前、ルスランはリューディアについてバカ娘だなどと、心の中でとは言え非情な評価を下していたが、同じく親バカと評されたイサークでさえも、そう思わないでもなかったのである。よって、最低限の説明に留めて呪歌の詳しい仕組み、ましてこれまでに狙ってくる者など居なかったユニゾンなどという現象についてのレクチャーは割愛したのである。
 全力で踊ると超加速に振り回されて自分の動きについていけずにいたものの、ゆっくり踊ればいつも通りだという事に気付いたリューディアはようやく人心地ついたようである。しかし、ゆっくり動いていては同じく加速しているルスランから優位はとれないのだ。
 ただ一人、魔法による加速に対する慣れのないルスランだが、そこは持ち前の対応力である。そして、加速していなくても目が回るほどの速さを誇るカンナの相手を昨夜散々した所でもあるのだ。リューディアが想定外の加速への対策を見つけた頃にはルスランもそのスピードをどうにか掴み始めていた。リューディアの踊り狂う速度も手加減している割にはどえらいことになっているが、頑張れば対処できそうである。
 少し余裕の生まれたルスランの心中に、またあの思いが鎌首を擡げる。
 このまま倒しちゃったら、なんか無粋だよなぁ……。

 対峙する少女に猛烈に突進しながらイサークは次の歌を歌い始めた。
 まさか娘のデビュー戦でいきなりユニゾンを仕掛けられるとは想定外であった。ユニゾンされることはあるにはあるが、稀である。まず、ユニゾンのことを知るものが多くない。そして知っていたところで次のハードルがある。ユニゾンするにはメロディと歌詞を覚えなければならない。そして次なるハードル。イサークと一緒に歌えるだけの歌唱力もしくは度胸が必要だ。歌唱力なしの度胸だけで乗り切る場合、さらに自分の音痴を曝け出す覚悟と、イサークの歌に下手な歌を被せることでマダムの顰蹙と怒りを買う覚悟が必要だ。
 アミアはコーラスとしてくらいなら十分な歌唱力を持っている。それよりも驚くべきはやはり最初のハードルであるユニゾンという選択と実行である。いくつかの根拠から昨日の時点で、アミアはイサークのことをまるで知らなかったと推測できる。まずは試合開始前におおよそ戦闘向けとは思えぬイサークの姿を目にしたときの不思議そうな表情。そして、長らく国外で傭兵として活動していた父に付き添っていてこの町には長らく訪れていないという情報。拠って、アミアは昨日初めてイサークのことを、そしてその戦い方を知ったはずなのだ。
 にも関わらず、翌日にはこれだけ見事な対処をしてくるとは。昨日の時点で何の対処もしてこなかったのだから、一夜漬けの付け焼き刃の対策だろう。それでイサークの歌を完璧に覚えてきたことが俄に信じられない。ただでさえメロディは独自のものである上に、覚えにくい珍しい言語を使っている歌だ。一日で覚え、堂々とユニゾンできるほど完璧に歌い上げてくるとは。メロディだけならば、試合後に最近流行の音水晶に収録したことがあるのでそれを買えば覚えることもできるだろうが、そのときの歌詞は当たり障りのないラブソングだ。歌詞は昨日のイサークの試合を見て覚えたとしか思えない。その為には、ユニゾンのことは最初から知っていたと考えられる。その見識の広さもさることながら、既にリベンジする気満々だったことも窺える。
 これだけでも十分驚いたが、次の歌を歌い始めていよいよ驚く。試合ごとに必ず歌ってきた加速の歌ならともかく、この歌はそう何度も歌っていない。だが、最初のフレーズが終わるとアミアはすぐに追いかけて歌い出し、イサークに合わせてきた。
 イサークは歌を止めざるを得なかった。加速のような有利な効果を呼ぶ呪歌はユニゾンにより効果を増強しあう。一方、今歌い始めた歌は不利な効果を相手に発生させる、所謂デバフ系の歌だった。やはりユニゾンにより効果を増強できるのだが、根本的な問題として、味方には効果が出ない。つまりユニゾンで味方扱いになった時点で、この歌はアミアとルスランに何の効果も発生させなくなってしまうのだ。
 この時、イサークの選択肢は二つ。歌った回数の少なさ故にアミアが歌の全てを覚えきっていない可能性を信じ、つまりは歌を途中でやめさせるための虚仮威しであると決め込んで、歌を歌いきり発動を狙う。読みが当たれば効果は発動するが、アミアも歌いきれば無効化されてしまう。
 もう一つは諦めて次の歌を歌うことだ。歌いきることで取られる時間が相殺のリスクに合っていないと判断し、こちらを選んだ。歌のメロディはどれも大きくは違わないし、多少違ったところでハーモニーによるユニゾンが発生する。メロディはさほど大きな問題ではない。呪文である歌詞のほうこそ重要だ。加速の歌の歌詞をしっかり覚えてきたということは、歌詞に使っている言語にも造詣があると考えるべきだ。であれば、効果などからある程度自分で歌詞を組み立てることもできる。むしろ、そうでなければたった一日であれほど完璧に呪歌を再現などできまい。
 ならば。取るべき策は一つである。昨日、歌っていない歌。それに望みをかける……。

 アミアの耳に飛び込んできた3曲目は、これまでに聴いたことのない歌だった。もちろん、これだって予測済みである。
 確かに、分からない歌を真似してユニゾンを狙うことは難しい。少し遅れて追いかけるカノン(輪唱)という方法もあるが、無理して狙うこともない。ここからは相手に合わせるのではなく自分の戦い方を見せる場面である。
 ユニゾンした加速の歌の効果で、舌の動き即ち詠唱の速度も上がっている。短剣のように繰り出されるタクトを避けつつアミアは矢継ぎ早に呪文を唱えた。
 それと同時にイサークの歌にも十分に注意を払う。ちょっと厄介な歌だ。呪文からして、強化魔法の解呪。この歌を歌いきった途端にアミアとルスランが受けた加速の歌も、そして今アミアが唱えている呪文の効果も消される。そう、アミアが唱えているのは補助系の魔法だ。一方、ユニゾンはしていないのでイサークのプレリュードを受けているリューディアには加速が残ることになる。ルスランが不利になることは間違いない。
 イサークが歌いきる前に勝負を決めるか、少なくとも妨害して歌を止めてやらないとならない。幸い、必要な詠唱は歌が終わるより早く終わった。
 アミアは逃げから攻めに転じる。ヌンチャクを構えると、ヒュンヒュンと振り回した。まだポーズだけとは言え、ヌンチャクをフットマンフレイルの様に振り回していた昨日とは激変した動きに、イサークは一瞬怯んだ。一瞬とはいえ大きな隙となる。
 その隙に乗じてアミアは一気に攻め込んだ。正直なところ、ユニゾンで効果が跳ね上がった加速の呪歌の効果にはついていけていない。横で何事もなかったように剣をぶつけ合わせているルスランとリューディアがおかしいとまで思える。だが、アミアに関して言えばこんなもの、ついて行く必要などまるでないのである。何せ、こちとら元のスピードでただヌンチャクを振り回すことすら端から諦めているのだ。
 昨夜ルスランに語った通り、魔法に全ての動作をアシストさせている。適当に振り回しても勝手にヌンチャクはアミアの体を避けていく。手だけは例外で、大雑把に通りそうなところに当たりをつけて手を出せば、勝手にその手に吸い寄せられて持ち替えることができる。自分は適当に動いても、勝手にヌンチャクの方がそれっぽい感じに動いてくれる。先程立て続けに唱えた呪文はそのためのものだ。
 アミア自身も狂ってると思うほどの勢いで振り回されるヌンチャクに、ガードは不可能と悟ったイサークは歌いきるまで逃げ回ることを選択した。もちろん、全力での突進を後退で振り切れるわけがない。無様なのを承知の上で背中を見せての逃走である。
 オッサンがピチピチのヤングガールに脚で勝てると思ってるの!?
 勝ちを確信するアミアだが、早計であった。そりゃあ、美脚対決なら相手がすね毛を剃っていても圧勝だろう。だが、イサークの脚はなかなかに長く、その分案外速かった。かといって若さの差で相手がバテ始めるのを待つ時間はないのだ。
 だが。アミアには次の手が残されている。いや、残されているのは手ではなく口である。素早く呪文を唱えると、電光が迸りイサークを撃った。呪文も短い初歩の魔法の上、この集中し難い状況だ。威力は大したことが無く虚仮威しにしかならない。だが、一瞬動きを止めることさえ出来れば。お望み通り、閃光に怯んだイサークが足を縺れさせ軽くふらついた。そして、アミアは勢いもそのままに突っ込む。追いつく。そして、手応えがあった。もう、どのように当たったのかとかそんなことは目が捉えられていないが、とにかくヌンチャクは一度ならず何度かイサークを叩き、イサークはそのままもんどり打った。脱落である。

 ユニゾンされた、いつもより加速が大きくなる。
 最初は何が起こったのか理解できなかった。しかし、そうパパに言われれば起こっていることはその言葉通りであった。確かに、相手方の女もパパと同じ歌を歌っていた。てっきり向こうにも同じ歌の効果があるだけだと思っていたが、それだけではなかったということだ。
 いつもと勝手が違うので最初は戸惑ったが、いつもより加速されているということは気持ちゆっくり動けばいつも通りになる。何ら問題はない。
 などと思ったが甘かった。歌の効果がいつも以上になっただけではなかった。考えれば当然のような気もしたが、同じ効果が相手にも発動している。高速で舞うリューディアの剣を、相対する剣士は超高速で躱し、弾き、いなしていく。
 慣れたスピードで踊っていては埒が明きそうにない。覚悟を決めて更なるスピードに挑まねば。そう決意した矢先、相手の動きが変わった。軽快にステップを踏み、縦横無尽に剣を繰り、華麗にターンを決める。踊っている。
 リューディアの頭に血が上っていく。
 何よ。あたしと踊りで勝負しようっての?いい度胸だわ!
 意地でも踊りの速度を上げざるを得なくなった。段々と、なおかつ可能な限り早く踊りの速度を上げていく。そして、ルスランもまた。
 これについてくるなんてやるじゃない。
 心の中だけのその呟きは、相手への賞賛だったのか、自分への驚きだったのか。リューディアにも判らない。そして、気付いてしまう。
 自分でもついて行くのが精一杯のスピード。今は相手がこちらに合わせて踊っているからどうにかなってるが、ここでルスランが動きを変えたらこちらがその動きに対応できない。この状況は拙すぎる。
 イサークとの基本的な作戦は、まずはイサークの加速の歌、そこから各自攻撃を開始し敵の出方によって対応。今回は相手が一人ずつ接近戦を仕掛けてくるケースだったので、それぞれ相手をしてどちらかが片付いたら救援に駆けつけることになっていた。
 先程からちらちらと視界に入るイサークたちの戦いはイサークが優勢に見えた。そろそろけりを付けて助けにきてくれるはず。そう思いながらちらりとそちらに目を向ける。
 敵に背を向け全力で遁走する父親の姿が見えた。そしてその後を追うアミアの姿を朧気に何かが取り囲んでいる。目にも留まらぬ早さで振り回されるヌンチャクである。もはや鎌鼬のようであった。
 何、今の。どうなってるの?
 混乱するリューディア。追い打ちをかけるようにバシッという鋭い音と閃光が辺りを包んだ。思わず身を竦めてしまう。致命的な隙が出来たが、そこにつけ込まれはしなかった。
 ひとまず大きく間合いを取り、状況を確認する。
 パパは。
 ステージ上を転がり、伸び上がるところであった。すかさず、イサークの敗退を告げる審判の声が響いた。
 うそォ!
 二対一なんて無理!って言うか……来るの?アレが!?
 ちらりと“アレ”の方に目を向ける。アレすなわちアミアはリューディアに向き直り、ひゅひゅひゅひゅひゅひゅんとヌンチャクを振り回した。
 あんなの食らったら死ぬ。死んじゃう!
 リューディアは腰が引けた。戦意は完全に喪失した。もうここまできたら降参してもいいだろう。そう思うリューディアだが、降参する隙すら与えられなかった。
 アミアの最終攻撃に備えたデモンストレーションに目を奪われた隙を見逃さず、ルスランが切り込んできてリューディアの剣を跳ね上げた。取り落とすのは免れたが、リューディアの体は大きく仰け反り返り、体を無防備に晒した。だが、正面にルスランの姿はない。
 リューディアの剣は今度は横方向に押され捻り降ろされた。再びリューディアの正面に移動したルスランは三回ほど剣を音高くリズミカルに打ち付けると再び剣をリューディアごと押し込みながら背後に回る。リューディアは幾度もその体勢を変えさせられる。踊っているかのように。
 踊らされている。
 そう思った瞬間、リューディアの体を怒りと恥辱の炎が駆け抜けた。だが、その炎の力を持ってしてももはやどうにも抗いようは無かった。自由にならぬダンスはさらに数動作続き、ついに頑なに剣を放すまじと握り続けた手の力が失われた。
 足が蹴り払われ、リューディアは後ろに倒れ込む。その背中に軽く衝撃が走った後、力強い手が支えた。
 気がつけば、ダンスのフィニッシュとしか思えないポーズでリューディアはその体をルスランの腕に預けていた。決め手の一撃を背中に浴びせたルスランは剣を捨てフィニッシュを決めたのである。
 審判による終了の合図を聞くと、リューディアはルスランを振り払い、足早にステージを後にした。

 舞台を降りたリューディアは怒りに満ちた足取りでつかつかと会場の隅まで歩くと、壁の方を向いたまま膝を抱えてしゃがみ込んでしまった。ものすごく見覚えのある光景である。
「うわあ。昨日のカンナそのものだわ」
「なんと。私はあんなだったか」
 そう。カンナはあんなだった。
「背中を震わせてるのが悲しみか怒りかくらいの差ね……。まったく、カッコつけちゃってさ」
「いや、だってさ。アミアたちは二人で歌ってるし、あの子は踊ってるし。俺だけ普通じゃなんか無粋っていうか、失礼っていうか」
「そんなこと考えていられる余裕があるって言ってるようなものだわ。バカにされたと思うでしょーねー」
「踊りながらでも勝てると言うことであるからな」
 二人掛かりで詰られてはルスランは分が悪いにも程があった。
「さあ、慰められよ。さらなる追い打ちとなることも辞さずにな。昨日の私のように!」
 カンナは被害者仲間を増やしたいようであった。
「そうね、行きましょうか。イサークにも勝ち誇りたいし!」
 カンナとアミアに挟まれルスランは連行されていった。レミたちは来ない……かと思ったが、少し離れてついてきた。遠巻きに、無関係の傍観者として眺めるつもりらしい。そして、そんなギャラリーがいつの間にか一人増えている。どこから湧いたのか、ゴードンである。面白いことが起こりそうだと嗅ぎつけたのだろう。
 すでにイサークが必死に娘を宥め慰めているところである。
「ううう。俺、パパさんに締め上げられそうな気がする……」
「大丈夫よ、あたしが気を引きつけておいてあげるから。イサークさーん。ナイスファイトー。どうよ、今日のあたしは」
 勝ち誇るアミア。
「おお、お嬢さん。まさか呪歌で返してくるとは、お見逸れしましたぞ」
「ふふーん。昨日のあんたの試合をたっぷりと研究して対策練ったのよ。ヌンチャクの使い方だって一夜漬けのうえ魔法でズルしての無理矢理だけど様にはなってたでしょ」
「まさかそっくり同じ戦術でこちらを上回ってくるとは……っと」
 そのせいで凹んでいるリューディアには明らかに追い打ちになる一言であった。ここでイサークが選んだのは、多分聞くほどにリューディアが凹むことになるだろう試合の話を聞かせないようにアミアと一緒にこの場を離脱する道であった。いつでも話せる愛娘より馴染みのない若い娘である。
 そして、近寄り難い負のオーラを放つリューディアが残された。カンナに脇腹をつつかれ追い立てられ、意を決してルスランはオーラの中に突っ込んだ。
「ええと、その。調子に乗りました、ごめんなさい」
 反応はない。心の扉を堅く閉ざしてしまったようだ。代わりにカンナの口が開く。
「全くルスラン殿はおなごの華々しいデビューを叩き潰すことにおいては追随を許さぬ」
「いやいや。まだ二人目だし!」
「出場も二回目であろう。一回に一人と言うと滅茶苦茶な確率であるぞ。デビューの頻度、ましてそれがおなごである確率はいかほどだと思われるか」
「……いかほどなんだ」
「私も昨日デビューだし、知らないが。……それでも私のちやほやされ具合からして希少さが伺えるぞ。男女比のましな複合部門のほうだってそんなにデビューしてたら出場者で溢れかえるであろう」
「まあ、そうだよなぁ」
「ましてそれがこんな美少女である確率などと言ったら……!」
「それは……この子のことか?それともカンナのことだったり?」
「決まっておろう。……両方である」
「はあ。そうですか。……いや待て、そういえばカンナはもう少女……」
 って言える歳ではないのではないかというような発言をカンナは許すつもりはなかった。
「見た目が少女なら十分であろう!」
「うん。そうですね」
 割とどうでもよかった。そして、見た目以外は少女ではないことを認める発言でもあった。
「とにかく、ここは同じ境遇だった私に任せてはもらえまいか。心を開かせて見せよう」
 そう。カンナと談笑している場合ではないのだ。本当に話すべき相手は、先程から心を閉ざしている。
「それはまあ、助かるけど。でも、カンナが立ち直ったのって……」
 父親が仇をとってくれると吹き込まれたことと、ルスランが諦めがつくくらいに強かったからであったはず。リューディアの場合はその父親ともどもの敗退だ。あとは強さを示すくらいしかない。時間はかかるが、リューディアの惨めさを和らげるためにもがんばるしかあるまい。
 と、決意を固めたが。
「実は夕べ、私のおかげで稼げた賞金で森の雫亭の名物料理・魚介のエスカベチュアを馳走してもらったのだ。それに今日は彼らの参加費をアミア殿が受け持っておられる。それで浮いた分もあり懐は温かいはずだから今日もきっとおごってくれることであろう」
「おい」
 おいしいディナーとやけ酒とは言え酒もまたカンナの心をほぐしたものの一つだったのである。さすがにリューディアの歳では酒は飲ませられないが、ディナーは問題あるまい。
「まあ、二日連続で同じ店というのもなんだから店はリューディア殿が決めるとよかろう。私としても見識を広めるのは吝かでもない」
「おい待て。夕飯をおごれって言われたときにはもうとっくにカンナの機嫌は直ってただろ。それに、どさくさに紛れて自分もおごって貰う前提になってるし」
「美少女に囲まれての打ち上げだぞ?ルスラン殿にとっても悪い話ではあるまい?」
「……まあ、楽しそうではあるけどさ……」
 店のランクによっては割が合わないことになりそうだ。
「それより。そろそろ私の出番のようであるな。ここからは自分の手で無明の闇をかき分けられよ。さらばだ!」
 かき回すだけかき回してカンナは逃げた。いや、出番なのは確かである。
「うう。どうしろと」
 途方に暮れるルスランだが、幸い向こうから心の扉を開けてくれた。中から堅く閉ざされた扉を最も容易く開けるのはやはり中に籠もる者なのだ。
「……どういうつもりよ」
「え、ええっと、……なにが?」
 こうして声を掛けていることについてか。それとも、あの戦いについてか。あるいはいっそこうしてコロシアムに参戦した理由か。
「あたしに踊りで勝負したことよ」
「ああ、それか。いや、周りは歌ってるし、相手は踊ってるし。俺だけ普通に戦っても無粋だと思って」
 その辺はアミアにも話したし、それを周りで聞いていた人もいる。そのうちの二人が今も遠巻きに様子を見ていることだし、嘘はつけない。
「何よそれ。……とにかく。事前に情報が漏れてて対策した訳じゃないのね?」
 そこで、遠巻きに見ている二人のひそひそ話す、その割にはよく通る声が耳に届く。
「戦法とか、デビュー前で隠してるのに漏れてると怖いわよね」
「あのくらいの注目選手だとスパイってのはもちろんあるけど。女の子だと練習覗かれてたかもっていう恐怖もあるよね。その前後の、着替えとかも含めてさ」
 そんな変態と思われるのは勘弁だ。ここにくるまでリューディアのことなど知らなかったことをアピールしなければなるまい。
「ああ。咄嗟だ」
「うわあ。それはそれで腹立つ……。何の準備のなしであれだけやられたとか、惨めすぎる」
 正解など、無かったのかもしれない。
「いや、そっちは慣れないスピードに戸惑ってたみたいだし、俺は先に順応できたみたいだったし」
「あー、そうね、頑張ってもいつまでももたついてました!そりゃあさ、あんたは最初からあたしの踊りについてきてたし。ユニゾンだっけ、同じ条件になるなら最初からあたしに勝ち目なんて無かったんでしょうよ!」
 ボロボロ涙を流しながら当たり散らすリューディア。
「だいたいパパもパパよ。ユニゾンなんて教えてくれなかったわ。どうせあたしじゃ覚えられないとか思ったんでしょうけど……」
 閉ざした心の鍵は自分で内側から開けさせるのが手っ取り早い。その原動力が、たとえ怒りの爆発力であってもだ。この調子で怒りをぶちまけきってしまえば落ち着くかもしれない。幸い、怒りの矛先は緩やかにルスランからはずれてきている。そう、パパが悪いことにしてしまえ。いっそ、こんな所に連れてきたパパが悪いのだ。
「……ううう、そりゃあ覚えられないでしょうけど!あんな訳の分からない歌詞、覚えられないでしょうけど!……ああもう!なんてあたしってこんななの!?」
 最終的には怒りは自分に向いたようである。そう、結局最後は自分との戦い、己と向き合うことになるのだ。
「おわ。何事であるか」
 修羅場にカンナが戻ってきた。さっき試合をしに行ったばかりなのに早すぎる。
「随分と早かったな」
 リューディアにはもう少し自分と向き合ってもらおう。帰ってきたカンナに話しかけ、自然な感じでリューディアを放置する。そして、言ってからカンナが負けていた場合酷いことを言っていることに気付いた。多分大丈夫だろう。負けていたらもっと凹んでいる。
「うむ。実に手応えのない相手だった。……それより乙女を泣かせておいてほったらかしはいかがなものかと思うが」
 順調に勝ち進めたようで何よりだ。おかげで触れないで欲しい所に触れられた。
「彼女は今自分の弱さと向き合っている所なんだ。そっとしておいてあげよう」
「むう。彼女が弱いのではなくルスラン殿が強いのではないか」
「そう言ってくれるのは嬉しいけど、それを認めるのはちょっと自信過剰っぽいかな」
「ええそうでしょうよ、どうせあたしは弱いわよ!」
 聞こえていた。認めないとそう言うことになってしまうようである。
「ごめん、俺は強いです……」
 ルスランは思う。俺は何を言っているんだ、言わされているんだと。
 こんな不毛な話し合いも終局を迎えようとしていた。
「赤い馬車のモルビダンゼロプピッレル」
「……はい?」
 リューディアが発した謎の言葉にルスランは聞き返した。
「おごってくれるんでしょ?忘れたとは言わせないわ」
 忘れるも何も。ルスラン自身はそんなことは一言も言っていない。
 鍵をかけて閉ざしたリューディアの心の扉を開いた力は、怒りという内側からの荒れ狂う圧力とともに、食欲とそれを満たすおごりの誘いという外から差し伸べられた手であったのだ。返す返すも、ルスランはそんなもの差し伸べたつもりはない。
「それ……高い店か……?でもって今の、料理名か……?」
「多分ね!パパもたまーにしか連れて行ってくれないし」
 この多分は多分高いの多分であって、多分料理名だという多分ではなかろう。ここでの勝率だけ見ても相当稼いでいる、さらにリサイタルやら録音クリスタルやグッズの売り上げもあるだろうイサークが、溺愛する娘をたまにしか連れていかない店だ。ヤバそうである。
「勝ち進みなさい、そしてたっぷり稼いでおくことね」
 それが最後の戦いの資金となるのは確かだ。……まあ、ゴードンにたれ込んでまた取材費で払って貰おう。それがいい。