ラブラシス魔界編

23.悲運の水先案内人

 コロシアムは開場前だというのに昨日以上の熱気であった。昨日飛び入り参加したグライムスのせいであり、正確にはそれを盛大に持ち上げた新聞記事のせいであり、そんなことを考えているルスランもまたこの盛り上がりに一役買ってはいるがその自覚はまるで無い。しかし後々思い知らされることになる。
 コロシアム周囲で開場待ちする人々を掻き分けて、むしろ群がる人々を押しのけてようやく辿り着いた出場受付もまた、人でごった返していた。身動きをとるのも大変そうだ。
「うっわー。なにこれ、すっごい人。これみんな出る気?半分も出場できないんじゃないの」
 そう言いながらアミアが人混みを見渡すと、視線が一斉にこちらに向いた。話題の人であり巨躯もであるあらゆる意味で目立つグライムスが現れたからである。
 そしてグライムスは、彼とは別の話題の人の目印にもなるのだった。
「あなた、もしかしてマイナソアくん?」
 受付入り口のすぐそばにいた、お姉さん二人組が声をかけてきた。恐らくはルスランよりは年上であろうが若い女で、よってお姉さんである。ルスランをくんづけで呼んでくるあたりもまたお姉さんである。
「そうだけど。……出場者?」
「そう。あたしはセリーヌ。そんでこっちが」
「レミ」
 セリーヌは勝ち気そうな顔で、いかにも女戦士といった引き締まった体をしており、肩に掛かりそうな金髪を首の後ろで結っている。レミは対照的に大人しそうな、それでも華奢ではなく小麦色で健康的で、赤毛を緩く三つ編みにしている。先程から顔をうつむけ、ちらちらとこちらを見る様子も大人しそうな印象で、しっかり武装していなければとても出場者だとは思えない。顔立ちはセリーヌは平凡、レミは素朴と言った感じだ。
「あたしたちも複合のタッグに出るのよ。当たったらよろしくね」
「おう。容赦はしないぜ」
「うん、知ってる。新聞で読んだ」
 カンナへの容赦ない戦いぶりのことを言っているのは明白である。ルスランの想像以上にあの新聞記事はルスランの悪名を広げてくれていそうである。それより、アミアには言いたいことがあるようだ。
「ちょっと待って。新聞にはルスランがこっちに出るなんて一言も書いてなかったはずよ。何で知ってるの」
 言われてみればそうだった。あの記事ではアミアのパートナーについては紙面の関係かそれ以外の良からぬ意図からか、触れられていない。だからグライムスとイサークの対決が見られると勘違いする人がでることを危惧したのだった。だが、目の前の二人はルスランが複合部門に出ることを、つまりアミアと組むこと知っている。
「んー。記事には書いてないけど……インタビューの時、周りに人はいたんでしょ」
「だなぁ。あの店、結構混んでたし」
「インタビューってお店だったの?ふーん。じゃあ、そのお店にいた人じゃないかな。二人が組んでこっちに出るって言ってたの、聞いたって」
 セリーヌは同意を求めるようにレミを見、目が合ったレミは頷いている。口コミ恐るべしである。もちろん、口コミされてしまうレベルの自分の注目度という物も。
 そんな口コミと新聞記事程度の知識しかないこの二人が顔も知らないルスランに声を掛けることが出来たのは、グライムスが目印になったからである。そんな巨躯のグライムスは人混みの中で距離があっても目印たりうる。
「ルスラン殿ぉー」
 遠くの方から聞き覚えのある声がした。目を向けるが姿はない。
「ルスラン殿おおぉぉ!」
 再び聞こえる声。その出所の動きでこちらにすごい勢いで向かってきているのは分かるが、どういう動きでどうやってこの人混みの中でその移動を実現しているのか分からず、ちょっと怖い。とりあえず、最初に声が聞こえた辺りの男密度の高い一角から殺気に満ちた視線が飛んでくるのを感じた。やがてセリーヌとレミの足の間からにゅっと黒い頭が出てくる。
「きゃあ。ね、猫?」
 脹ら脛を撫でる生温かい感触に思わず飛び退くレミ。せめて犬くらいにしてあげてほしい。いくら小さくても猫ほどではないのだから。ちょっと後ずさったレミとルスランの間にひょこっと立ち上がったのはやはりカンナだった。
「おお。やはりここにおられたか」
 にこにこと見上げてくるカンナ。とりあえず、近すぎる。身長差で顔の距離がそれほどでもないのが救いか。まずはグライムスに声を掛ける。
「グライムス殿。一般部門の出場枠がいっぱいでそろそろ受付が終わりますぞ。早めに済まされた方がよろしいかと」
「おお、そうか」
「あたしたちのは?」
 問いかけたアミアのほうに向き直った。
「一般のくじ引きが終わるまでは大丈夫。むしろくじ引きの邪魔にならないように後ろで待ってるの推奨ですな」
 同じことを伝えようとしていたのか、人の波をかき分けこちらを目指す途中に溺れかけていた初老の係員が引き返していく。それを追うようにグライムスが奥に向かうが、こちらは人をかき分ける力が段違いである。むしろ鉄砲水のように人を押し流しながら進んでいる。同じ方向に帰る初老の係員としては、そのビッグウェーブに乗るしかない。
 そしてカンナはルスランに向き直る。グライムスが居なくなった分、スペースが出来て多少距離が取れるようになったのは幸いだ。しかし、気付けば女に囲まれている。そして、その向こうから野郎の妬ましさに溢れた視線が飛んでいる。しかし、ルスランにはどうすることも出来ない。別に、どうにかする必要も感じないのだし。
「昨日は世話になりましたぞ。ルスラン殿のおかげで兄弟子たちに連勝できましたっ」
 よほど嬉しかったか、カンナは拳を突き上げた。近いのにである。拳はルスランの鼻先を掠めた。幸い、とても対処しやすい動きだったので難なく回避する。
「そうか、よかったな」
「うむ!……そうだ、よかったことと言えば!今日はモテモテであったぞ!」
「それは……よかったな」
 そんなことを言われてもコメントしづらい。そう言えば、先ほどカンナは男群がる一角に居たようであるし、その辺りから妙に殺気に満ちた視線が飛んできていた。カンナのファンだろうか。
「ずっと子供扱いされてきた私もなかなかのポテンシャルを秘めていることを実感できた一日であり申した!」
 この話はまだ続くようだ。世の中には子供っぽい方が好きというロリコンも少なからずいる。むしろそう言う手合いにはモテて当然ではなかろうか。カンナは話を続ける。
「この後の試合がその集大成となろう!」
 いや、いつの間にか腕前の話に戻っていた?……いや多分、両方だ。
「戦士としても、女としても!」
 やっぱりだった。と、そこで。
「えー。一般部門の参加受付は以上で締め切りまして、くじ引きに入りたいと思います」
「うおっ。こうしては居られん。その前にひとまず一つだけ」
 まだ何かあるのだろうか。
「昨日私の面倒を見てくれた礼に師範代からアドバイスがござる。ルスラン殿はかなりの実戦経験があられるようでそれが戦闘スタイルに色濃く出ているとか。どうも慎重すぎる嫌いがあられるのでもっと積極的に攻めていくことを薦める。試合は命の取り合いではない、負けや相打ちで死ぬことを恐れる必要はない、だそうだ」
「ああ、うん。なんか、わかる」
 勇猛で知られるフォーデラスト軍の大指針はだからこそ、大雑把な言葉で言えば「死ぬな、生き延びろ」である。その方針に従い、ルスランもに防御を重んじるスタイルが訓練でしっかりと叩き込まれ骨身に染み込んでいるのだ。
「余談だが、私は逆にもう少し慎重になれと釘を刺された。せめて相手の力量くらいは見極めろ、このままでは試合でも運任せでしか勝てないし、実戦に出れば真っ先に死ぬと。……うう」
 言っててその時のことを思い出したかへこむカンナだが、自分へのアドバイスをこんな思いまでしてルスランに伝える必要があっただろうか。
「ああ、うん。それもなんかわかる」
 力量も見極めずに突っ込み見事に蹴散らされた相手その人に、こんな事を言われ追い打ちまでかけられるのに。
「ううう。今日は気をつける。……おお、そうそう。くじ引きをせねば!ではまたのちほどっ」
 カンナはさくっと気持ちを切り替えた。そんなことより、のちほどまだまだ何かあるようだ。
 セリーヌとレミの足の間をすり抜け、カンナは人の森に消えた。もうその姿は見えず、どこにいるのかは……。
「お待ちあれ、只今馳せ参じまするううぅぅ」
 分かるようである。
「……今のがカンナちゃん?」
「ああ、そうだ」
「あのくらいの子供ってかわいいよねー。人気者なの、わかるなー」
 レミはほっこりしているようだが……まあ、ノーコメントである。
「あれで手加減してもらえるんでしょ?はっ、ロリコン共がって感じよね」
 毒づくセリーヌにももちろんノーコメントである。あれにほぼ手加減なしで切り込んだ、ロリコンではないが紳士でもないし人ですらないと言われかねない身であれば特に。
「でも、今日って平日にしては異常なくらいレベル高いよね。こっちの複合も大概だけど、一般なんかもうどこが一般って感じじゃない。大丈夫かなぁ、昨日もすぐ負けちゃってるんだし、いきなりこんな日に連続で当たってかわいそう……」
 昨日すぐ負かしちゃった人としてはやっぱりノーコメントだ。
「そうなんだ?あたしらさ、昨日が初めてだし選手のこととかよく知らないのよねえ」
 アミアの言葉にセリーヌがにっと笑う。
「お。じゃあさ。お姉さんたちがいろいろ情報提供してあげよっか」
「いいのか。それは助かるな」
「もちろん、ギブアンドテイクだけどね。とりあえず、マイナソアくん。この子と握手してあげて」
「えっ」
 ちょっとだけ驚くルスランだが、まあ握手くらいならいいか、と思う。
「えええっ」
 一方、この子・レミは驚き、戸惑い、混乱した。本人の希望ではなかったようである。
「この子もマイナソアくんに握手できて大喜び、あたしもこの子のわたわたする姿が拝めるってね」
「な、何よその悪趣味な。……えええーっ?」
 困ったような風情だが手は差し出すレミ。ルスランにその手を握られると反対の手でしっかりと包み込んできた。どうみても、ノリノリである。向こうから放してくれる様子がないのでルスランは手を引き抜いた。
「うわあ。どうしよ、どうしよ」
 浮かれるレミと対照的にセリーヌの顔は面白くなさげである。
「当てが外れたわ」
「じゃあさ。あなたもルスランと握手してもらったら」
 アミアは勝手にそんな提案をする。
「それでもいいけど。あたしの本命はグライムス様なのよね」
「そう?じゃあパパに頼んだげる」
「やった!……でも、折角だからマイナソアくんとも」
「うっわー。気が乗らねえ……」
 しかし減るものではない。握手はしてやる。レミよりはセリーヌの方がいくらか美人であるのだから吝かではないのだ。まあ、このレベルになれば好みの問題でしかないのだが。何せ、どちらも平均的なのだから。

 そんなことをやっているうちにくじ引きの方はだいぶ進んでいるようだが、まだカンナは呼ばれない。今日のくじ引きはこのコロシアムでの実績を元にした強さの順に引いているらしい。と言うのはセリーヌの見立てであるが、実際大体はセリーヌが強いと思う順に呼ばれているそうだ。
 グライムスは出場回数こそただの一回だが、実績もそれなりにあった豪輝を下して優勝しているし、エキシビションでの戦いぶりやここ以外での実績、下馬評などを加味し、言ってしまえば係員の贔屓で最初にくじを引いている。
 一方カンナは同じくたった一回の出場であり、実績と言えば初戦でルスランに一撃でやられただけである。下馬評を加味してもこの実績の低さはいかんともし難かったようだ。
 今日のエントリー数はトーナメント枠数の32を越えている。この枠数も休日相当に増やされての数だ。さすがにこれ以上増やせない。そこで、4枠がバトルロイヤル枠ということになっている。こういうことがたまにあるらしい。あぶれた出場者はその4枠に押し込まれる。そのうちどの枠に収まるかはやっぱりくじ引きだった。カンナの出場枠もようやく決まる。
「ねえ。カンナとロワイヤる人ってどんな人たち?」
 妙な動詞を織り交ぜてアミアが訊いた。
「だいたい常連ね。あたしでも頑張れば勝てるようなのが大部分。でも、バド・ビッツショーって奴はちょっと要注意ね」
「そのセリーヌは……どのくらいの強さなんだ」
 それが不明なので尺度がわからない。
「恥ずかしいこと訊かないで、いぢわる……」
 あとは推して知るべし、か。
 バトルロワイヤル組が即座に会場に移動し、このまま試合を始めるようだ。通常トーナメント枠の選手ももうここに用はなく、出場者席という特等席でバトルロワイヤルを観戦しにいく。カンナを観たい者が何割か、グライムスが会場に行ったからそれについて行った者が何割かいるだろう。
 受付は一気に広くなった。ゆとりが生まれたところで複合部門の受付が再開された。人数だけをみればかなり多いが、タッグであるので組数は多くない。一般部門はバトルロワイヤル枠があるので開幕を前倒ししたが、こちらは通常の──とは言えども平日ながら休日スケジュールになってはいるが──開幕時間である。
 ルスランたちもエントリーを済ませ、くじ引きの順番を待つ。
 ところで。アミアには一つ気になっていたことがあった。先程新聞記事の話題になったが、あの記事はさもグライムスがアミアと組みそうなにおいを出していた。真実が口コミで広まったとはいえ、昨日の今日ではそんなに広まりはしないはずだ。ならば、記事につられて複合部門にグライムス目当てでエントリーしようとした者もいたのではないか。
 もちろんその通りであった。そして、そのあおりを食った一例がセリーヌであった。セリーヌとレミは元々コンビというわけではない。
「仲間じゃなくて、むしろ敵よね」
 そんなことを言うセリーヌ。セリーヌはもともとブレダという男とタッグを組んで出場する予定だったのだが、受付に着いたところで例の口コミを耳にし、あっさりとコンビを解消したブレダはセリーヌを置いてグライムスと勝負すべく一般部門にエントリーした。
「でもね、あたしはブレダがグライムスさんと対決できればいいなって思うの」
 セリーヌは水に流すつもりらしい。
「そうすればブレダの目的は果たせるし、一番けちょんけちょんにやられるだろうし」
 気のせいだった。むしろブレダとやらを下水に叩き流す気満々だ。
 一人、途方に暮れるしかないセリーヌ。そしてそこに声をかけてきたのがレミだったという訳である。
 セリーヌのような出場希望者は結構いた。多くの者は出場を取りやめた。あぶれた者同士でタッグを組む者もいた。だが、レミの場合はどちらにも当てはまらない。
 レミは最初から口コミを頼りにルスランと戦うつもりでコロシアムに来たのである。一人で。
「タッグマッチなのに?」
「しょうがないよ、この子友達いないし」
「あう。ひどい……。頼めそうな人の予定が塞がってただけだもん」
 レミが一人できた理由はともかく、あぶれ者で溢れていた受付の状況はレミにとって僥倖であった。
「あたしに声をかけた理由は第一に実力が近い、次にお互いよく知ってる。でもって、男に声をかける度胸がない。こんなところかな」
「うー。当たってるのが腹立つなぁ」
「じゃあ、お友達ってことじゃないのかあ」
 そこで例の一言が出たのである。
「仲間じゃなくて、むしろ敵よね」
 その言葉にレミも頷く。
「たまに当たるしね。だから実力が近いのも知ってたんだし」
「なるほど、ライバルかぁ。強敵と書いてともと読む、的な?」
 アミアの言葉は一笑に付された。二人は声を揃えて言う。
「強敵じゃないよ、あたし(私)でも勝てるし」
 そして二人の視線が交差する。睨み合いからさらなる諍いに発展しそうな流れだが、二人はそのまま頷きあう。この二人の勝率は大まかに五分五分、実力は伯仲している。お互い半々で勝てるのだ。
 強敵と書いてともと読む、そんなのは強敵が貴重な強者の戯言でしかない。弱者にとって強敵とは文字通り強すぎて相手にならない大部分の敵のことであり、逆に強者からみれば相手にもならない蹴散らされるだけの存在。お互い意識しあうことなどないのだ。弱者は弱者同士傷を舐めあうのみ。
「なんか、ごめん」
 アミアはなんか謝っておいた。そこでセリーヌ・レミ組のくじ引きが回ってきて、気まずかったアミアはちょっとほっとする。セリーヌがくじを引き、トーナメント表のすでに埋まっている枠の隣に名前が書き込まれる。
「ケーニヒ・オリヴァ組かぁ。んー、まあまあかな」
「ごめーん、微妙だった!」
「いやいや、今日の顔ぶれなら上等上等」
 この二人のやりとりからして、当たった相手は二人にとっては十分手強いがそれでも割と弱い方だったようだ。
 一組挟んでルスランたちの番がきた。名前の書き込まれた枠の隣は空欄。誰かが入るか、このままシードになるか。
 直後、会場がざわついた。
「お、おでましね」
 アミアが身を乗り出す。アミアのターゲットであるイサーク・サラザールのお出ましである。イサークがくじを引くと、その名前はルスランたちの隣に書き込まれた。
「わあ。いきなりついてないねー」
 そう言いながらこちらを見たレミの目に映ったのは拳を固めて笑みを浮かべるアミアの姿。
「よっしゃ!初戦の全開万端であいつとやり合えるわ!うーふーふーふー、今度こそやってやる……で、今何か言った?」
「……ううん、なんでも」
 レミは黙った。

 出場者の大部分が聞き飽きている簡単な説明があった後、試合会場に移動する。会場ではカンナを含むバトルロワイヤル第4組の戦いが始まるところだった。観客も盛り上がってきたようである。
「うわあ。こうしてみるとさ、……ほんとちっちゃいなぁ」
「ひどいことを言うな」
 主語が一切無くても何の話かはすぐに分かる。屈強な男ばかりの中に一人放り込まれたカンナは、暴漢に取り囲まれた憐れな少女にしか見えない。そして、女の中に放り込まれても頭一つ小さいカンナは、この中では本当にちびっ子であった。
「あ。ブレダ負けた」
 セリーヌがくじを引いているうちにブレダは負けていた。どの組にいたのかはもう覚えていないが、勝ち残ってトーナメント表に書き込まれた名前にブレダの名はない。
 そして、最後の欄を決める戦いが始まった。

 カンナの両脇にいたジェイコブとバドの二人が同時にカンナの方に向かい動き始めた。折角隣にいるのだ。真っ先に手を出したいと思うのが男の心情である。だが、二人ともそこにいるはずのカンナの姿を見つけられず、男同士で武器を打ち合わせる羽目になった。だが、それもあっという間に終わる。ジェイコブが突然呻きながら前のめりに倒れ、その頭を飛び越えてきたカンナの姿を捉えた瞬間バドの意識もブラックアウトした。
 ジェイコブが背を向けていたので背後からぶん殴ってやろうとしていたゾリアースは危うく自分が背後からぶっ叩かれる寸前でマッシモの木剣を受け止めた。早くこいつとの決着をつけて後ろの乱戦に切り込もう。そう思った矢先、背中に痛みが走る。仰け反ったゾリアースは突然自分の背後から飛び出した小さな人影に額を踏みつけられ、自分の背後で顎を蹴りつけて仰け反らせたバドと折り重なって倒れ込んだ。倒れ込む間際、ゾリアースの目には眉間に木剣を叩き込まれて倒れるマッシモの姿が見えた。
 自分たちを除く選手がたった一人に瞬く間に叩き伏せられる様を視界の隅に捉えていたアブラヒモとクレイブは、共に相争っている場合ではないと悟った。共闘し強敵を退けるのが得策である。頷き合うとカンナに向き直った。こちらに疾駆するカンナの姿が不意に掻き消えると、アブラヒモが唸り声と共にぶつかってきた。クレイブは騙された、填められたと思ったが、それは攻撃ではなく弾き飛ばされ倒れ込んできただけであった。このバトルロイヤルに出場した者全員の目的であるカンナとの一騎打ちを成し遂げたクレイブは、だがそれを一呼吸分ほどの時間で終えることとなった。

「へー。やっぱ強いなぁ、カンナ」
「あらなあに、それを秒殺したっていう自慢?」
「いやいや、そういうことじゃないけどさ。ううん、カンナがあまり頑張ると俺まで期待値があがるのか……」
「ま、相手がへぼいってのはあるでしょ。魔法なしのあたしでも勝てそうなのばっかだったもん」
 のんびり平然と話すルスランとアミアに、ただでさえカンナの戦いを目の当たりにし呆然としていたセリーヌたちは何も言えない。セリーヌが要注意だと警告したバドがその他大勢の一人として何の苦もなく“処理”されてしまっているせいもある。
「あの調子だと、すんなり上位組に入りそうだね。今日だって、下馬評だけで普通にトーナメント入れちゃってもよかったと思うよ」
 レミが立ち直ってそう囁くと、セリーヌは首肯のみでその言葉に同意した。
「パパー。他のバトルロワイヤルはどうだった?強そうなの、いた?」
 アミアはグライムスに駆け寄る。相変わらずよく目立つ図体だ。
「そうだな、あのシャドウってのが少し強そうだったか」
 確かに、トーナメント表のバトルロワイヤル枠の一つにシャドウという名が収まっていた。勝ち進めばグライムスと準決勝で当たることになる。
「あー。一人だけあたしの知らなかった奴だ」
 セリーヌが口を挟んだ。こっちも立ち直ってきている。セリーヌは勝率はともかくコロシアムには足繁く通っている。大体の選手を知っている自負があるのだ。そのセリーヌが知らないということは新人である可能性が高い。他の可能性としては……。
「明らかに偽名だし、誰かが正体隠してるのかもね」
 と、レミが言う。
「偽名でも出られるの?」
「うん。こっちみたいなタッグならチーム名ってのもアリだしさ。例えば、リトルウイッチーズなんてのも居るでしょ」
 確かに、トーナメント表にはそんな名前が書かれていた。
「ま、チーム名で出場するなんて、よっぽど自信がないと無理だけど。強いか、人気があるか……」
「カッコいいつもりで付けた名前が恥ずかしくなるときも多いしね。弱いと特にさ」
「……ごめんね、思い出させちゃったみたいで。そういうつもりじゃなかったんだよ……」
 口を挟み謝られたセリーヌには何か黒歴史があるようである。
「あ、そうそう。パパ、この子たちに握手してあげて。ファンだって」
 アミアがグライムスのところにセリーヌ達を連れて行った。
「お、そうか」
「複合タッグ出場のセリーヌです。よろ」
 握手した瞬間、何かゴキっという音がした。科白を言いきれないままセリーヌは固まった。レミは腰が引けた。
「わ、私はそのう、握手は……」
「遠慮しないで握手なさい」
 セリーヌがやや涙声で言う。相方を道連れにする気である。
「そうよ、あたしもこの子たちって言っちゃったし」
 アミアは怯えるレミの手を取った。そのままグライムスに渡す。さすがにグライムスも今のは力入れすぎだと悟ったようで、今度は多少力を抜いてあげた。パキっ、位ですむ。まあ、レミを涙目にするには十分だったが。
 アミアは急いで二人を治療してやった。何せこの二人の出番はすぐである。手の負傷が理由で敗退などと言うことになったら申し訳が立たないではないか。
「んもー。これじゃ娘のライバルを潰そうとするバカパパだわ」
「すまん……。そんなつもりはなかったんだ」
 ファンの要望に全力で応えようとしただけなのだ。全力過ぎたが。いやしかし、これでも全力は出していない。難しいところだ。
「わかってますよぅ。娘さん達に当たるとしてもだいぶ先ですし。そんなに勝てないと思います」
 痛みがすっかりなくなったのを確認するとセリーヌとレミはステージへ向かった。対するはケーニヒ・オリヴァ組。強敵ではあるが勝ち目のない相手ではない。
 戦闘スタイルはどちらも前衛後衛に分かれての戦闘。微妙な差として、相手が共に攻撃魔法を繰り出しながら前衛のケーニヒがじわじわと距離を詰めてくる両者攻撃的なスタイルであるのに対し、こちらはやはり攻撃魔法を織り交ぜながら敵陣に切り込んでいくセリーヌをレミが攻撃魔法は織り交ぜつつも支援魔法中心にサポートする分担型のスタイルである。
 セリーヌは一般部門でもやっていけるくらいには剣を使える。その気になれば今日もレミを見捨てて一人で一般部門に出場することだってできたのである。別に仲がいいわけでもないレミの誘いに乗って複合部門のタッグ戦に出場したのは、今日の一般部門のレベルがセリーヌのレベルを絶望的に超えていたからに他ならない。返す返すも、普段の平日はもっとヘボいのである。
 そんなセリーヌと、そんなセリーヌを身の丈にあったパートナーとして選んだレミの急造タッグの強さは推して知るべしである。相手方の先手を取ることこそ最大の勝機の掴み方であったが、相手の得意とする炎魔法・ファイアボール連射からのフレイムフェンス発動で足止めされ、長期戦に縺れ込まされた。
 そこからの戦いを、彼女たちは十分に善戦したと評した。善戦したが……後は言うまでもない。なお、彼女たちが善戦し長々と占有したステージは、その次にそこに立ったグライムスが開始の合図直後の一振りで勝負を決めたことで大幅に取り返した。

 ルスランたちの出番が回ってきた。
 ステージに上がる直前、アミアに呼び止められた。アミアはちょっとおまじないと言うと、やおら歌い始めた。呪歌である。
「へえ。結構歌うまいな。で、何のおまじないだ?」
「勝ったら教えてあげるわ。じゃあいくわよ」
 相手はイサーク・リューディア組。イサークのパートナーは今のところ正体不明である。
 ステージにその二人が現れると会場はより一層盛り上がる。リューディアは若い娘だ。あれは恐らく……。考えていると、そのリューディアがつかつかとこちらに歩いてきた。そして挑発的な目でアミアを見る。
「あなたがパパが結構手強い上にキレイだって言ってたお姉さんね?」
 やっぱり娘かと心で呟くルスラン。後ろで縛られたブロンドに青い瞳、白い肌。歳はルスランと近そうだ。美丈夫イサークの娘に相応しくかなりの美少女である。アミアとしてはこんなのにキレイなお姉さんといわれるのは嬉しかったようである。
「誉めてくれてありがと。だからって手加減はしないわよ」
 アミアはアミアで挑発的な目をリューディアの後ろに立つイサークに向けた。
「ええもちろんそのつもりですよ、美しいお嬢さん。そんなことよりどうです、我が娘リューディアは。可愛いでしょう!?」
「う。うん。そうね、悔しいくらいには可愛いわ」
 意表を突かれたアミアがつい素直にそう言ってしまうと、親子揃って胸を反らした。
「自慢の娘なのですよ。そのお披露目に相応しい相手だと思いまして」
「あら。いい引き立て役ってことかしら」
「とんでもない。華麗にて美しい対決になると思ったのです」
 ルスランは思う。これは親バカだと。そして、変なことに巻き込まないで欲しいとも。なのに、リューディアの顔がきゅいんとルスランの方に向いた。
「相応しい相手って言うけど、やりすぎだと思うわ。まさか英雄の娘だなんてさ。口説く前にどんな相手かくらい調べておいて欲しいものね。……それにしても、うちのパパの若作りもすごいけどあなたも大概ね」
 あれ。もしかして俺、グライムスだと思われてる?この場合、光栄だと思うべきなのか、それとも失礼なと立腹すべきなのか。
「あー、いやー、そのー。誘ったはいいが今朝の新聞でグライムス殿の娘さんだと知りましてね。てっきりグライムス殿が出ると思い冷や冷やするわ、娘にはどやされるわで大変だったのですよ」
 慌てた様子でイサークが割り込み捲し立てた。これはきっと、娘が勘違いしているのを誤魔化しつつ勘違いしている娘に正しい情報を伝えようとしているのだ。
 リューディアは父の言葉にピクンと反応し、トーナメント表を見、ルスランの顔を見た。
「あれ?あなたこの人のパパじゃないの?」
 正しい情報は一応伝わったようである。勘違いを誤魔化すのは大失敗だが。
 ルスランは思う。これはバカ娘だと。そして、変な子だと。とりあえず、俺はアミアの父親に見えるのかと悲しくなる。いや、これは試合前の巧妙な心理戦に違いない。だがそれは失敗だったな。やる気を殺ぐ作戦だったのだろうが俺はちょっとこの小娘を痛い目に遭わせてやりたくなったぜ……。
 別に心理戦などではない。その証拠に、イサークはこれ以上娘がアホを晒さないように連れて行ってしまった。双方開始位置に着く。そして……合図が出された。