ラブラシス魔界編

22.蘇る伝説

 若い娘と同室で夜を過ごすのにも、その父親も同室なのも、そろそろ慣れてきた。更に、この宿の雰囲気がいい。無骨な造りが兵舎の宿直を思わせ、むしろ落ち着く。ぐっすり眠れ、すっきりと目覚めた。
 今日も午後はコロシアムでの闘技に出場する。それは良いとして、開場まで何をして過ごすかが問題だ。そんな時、グライムスから誘いがあった。
「暇なのか?……まあ、暇だろうな。ならばあれだ、この近くに住んでいる伝説の勇者に会ってみたくないか」
 そうは言われてみたものの。
「エイモス殿か。……それなら割と最近会ったが」
「何だそうなのか。……俺は十何年かぶりになるんだが、どんな感じだった」
 むしろ最近のエイモスの様子なら、ルスランの方が詳しい。
「うーん。何というかまあ、伝説の勇者感は皆無だったかな」
「まあそうだろう。相変わらずのようだな」
 酷い言われようであった。ルスランはその時の印象を端的に伝える。
「冴えない中年太りのおっさんだったが、昔からあんな感じか」
「流石に二十代でおっさんと言うことはないが……。そうか、太ったか。あの跳ねっ返り娘はどうだ、仲良くやってるらしいとは聞いているがな」
 一瞬誰のことか分からず考える。グライムスの話は十数年前の、あの勇者エイモスが二十代の青年だった頃を基準にしている。であれば、当時は娘でも今頃は……。そして話の流れからしてその条件に該当する人物は……。
「奥方のことか?」
「ああそうだ。イオタと言ってな、地の巫女だった。あの頃からエイモスはイオタの尻に敷かれてたが……」
「それも相変わらずだと思ってくれ。あの重そうな尻を支えるために太ったんじゃないかと思うくらいの敷かれぶりだった」
「と言うことは、イオタも太ってるのか。全く仲のいいこった」
 しまった余計なこと言ったとルスランは心の中で毒づく。せっかく“地の巫女らしく大地の恵みを取り込み大地をどっしりと踏みしめている”と言うような感想を胸の中だけに留めたのに。
「田舎青年丸出しのエイモスにはもったいないくらいの美少女だったんだがな。あの性格で太ったなら、さぞかし迫力があったろう」
 グライムスも大概失礼だった。しかしこの様子なら今のルスランの失礼な発言をチクられる心配は無用であろう。……多分。
「あたしは会ったことないわ」
 グライムスについてきていたアミアが口を挟んできた。
「そうでもないぞ、まあ、物心がついてるかどうかって頃だ、覚えていないのも無理はないがな」
 そんなこんなで、グライムスに誘われつつ案内はルスランがするという妙な構図で勇者エイモスの屋敷を訪ねたのだった。なお、アポ無しである。どうなる事やらだ。

「やあ、よく来てくれたね。懐かしいなぁ。活躍ぶりは小耳に挟んでますよ」
 エイモスはその太い腕を振りかざしグライムスの太い腕を叩いた。言うまでも無く、その太さのベクトルは違う方を向いている。
「お久しぶりです、勇者様。私のこと、覚えてます?」
 さっきまでエイモスに会ったことがあることを忘れていたアミアが、私は覚えてましたアピールで媚びを売る。
「やあ、すっかり美人になったねえ」
 エイモスの返事は昔の事など覚えていなくても言える社交辞令であった。かくて本当に二人はかつて顔を合わせた事があったのか、真相は藪に葬られる。
「マイナソア君もよく来たね。なんでも、この間訪ねてきた時は密かにお姫様のお忍び旅につき合わされてたそうだけど」
「ぶほっ。何で知ってる!どこからバレた!オフレコなのに!」
 この暢気な会話で不意打ちを食らうとは思っていなかったルスランは対処に困った。とにかく、まずはなぜ知っているのかを突き止めねば。
「ああ、なんだか夜中の公邸で騒ぎがあったという話があったんだけど、その続報がないんでゴードンが探りを入れたんだ。そしたら、女中の間でマイナソアがお姫様を連れて来たと噂になっててね。まあ、それで八割方察したみたいだよ」
 一応、公邸の方ではアナスターシャ姫の来訪に箝口令が敷かれていた。しかし、女同士の噂話は徐かなること林の如く、なれども疾きこと風の如く、侵掠すること火の如く、そして最後は山の如く大噴火する物である。易々と食い止められない。それにしても。
「でも、俺の名前なんてよく覚えてましたね。ただの使者なのに」
「いや、インパクトのある姓だよ、マイナソアは。特に、お姫様なんか連れて来ちゃったらさ。……ま、大した理由じゃないけどね」
「……大したことじゃなくても理由は気になるんだが」
 話しにくいことなのかと思ったが、そういう事ではないようだ。本当に大した理由ではないので訊かれなければ流すつもりだったらしい。
「えーと。ブリュストランドの女の子にはお馴染みのお伽噺で『吸血鬼とお姫様』っていうのがあるんだけど」
 フォーデラストの男の子には初耳である。一方、詳しい出身などはまだ聞かされていないがブリュストランドの属国・ラブラシスの英雄を父に持つ事が明らかな女の子は。
「あたし知ってる!」
 身を乗り出してきた。
「ラブラシスにもぎりぎり伝わってるからね」
「吸血鬼に目を付けられたお姫様が恋人の騎士と逃避行する物語でしょ」
「そうそれ。その物語は史実が元になってるんだけどね。昔ブリュストランドのお姫様が結婚前にほかの男と駆け落ちしちゃったんだ」
「その男が吸血鬼って言うことに?」
 史実を元にしたお伽噺では悪者を悪魔や怪物に置き換えるのはよくあることである。なぜなら、大概そう言う悪党は退治されてしまうからだ。退治されてしまうのは、教育上人間よりも怪物の方がいい。正義のためになら人を殺してもよいという意識を芽生えさせないためである。この場合も大筋ではこの流れなのだが、置き換えられた対象が違っている。
「逆だよ。ほら、物語では吸血鬼が王様やお后様、騎士たちまで吸血鬼にしちゃうでしょ」
 ほらと言われてもルスランは知らない。しかし、アミアが頷いているのでその通りなのだろう。
「史実では二人を追いかけてくる吸血鬼は姫を連れ戻そうとする王家の家臣たちなんだ」
「何でそんなことに」
 大切な姫を奪われた挙げ句、後世には吸血鬼として語られる羽目になる家臣達とは何なのか。
「二人が駆け落ちした後にどうなったか、だよ。その二人がじゃなくて、姫を連れ去った男の血族がね」
「あぁー。ただじゃ済まないでしょうね」
 そのくらいは想像に難くない。
「まさにその通りでね。一族皆殺しさ。美女だけは殺されず王様に献上されたという説もあったかな」
「うわー。やりすぎでしょ」
 ロマンチックなお伽噺に隠された真実に、アミアもさすがに引いた。
「だよね。でも、お姫様の結婚相手っていうのが他の国の王様でね。その国と友好を維持するためにやむを得ない側面もあったんだよ。相手の要求はだんだんエスカレートして、同族かどうか分からなくても姓が同じだけで殺せと言い出して。でも、市井もやっぱりやりすぎだと思ったわけだ」
「そりゃ思うわよ。同盟国に何人殺されてんの」
「だから、この物語が生まれたというわけ。結婚相手の王様が吸血鬼、国民の命を差し出したブリュストランド王家も血を吸われて吸血鬼になったってことだね」
「それで……だ。この話の流れだと、その駆け落ちした男っていうのがもしかして」
 訊くまでもないことだが、ルスランは恐る恐る聞いてみた。
「もしかしても何も。ここまで来てその男がマイナソアじゃなかったら何のためにこんな話をしたって言うんだい」
「ですよねー……。なにをやってんだ、ご先祖さまよぉ……」
「安心しなさい。その後、騎士はちゃんと吸血鬼をやっつけるわ」
 吸血鬼、すなわち国のお偉いさん方である。
「それはそれでとんでもない反逆者だと思うけど」
「あくまでも物語の方よ。それに、その駆け落ちのマイナソアがあんたのご先祖と決まったわけじゃないし」
「それもそうか」
「それについてはルークさんにも何か知らないか確認もとってるんだよ。そしたら、子供の頃に聞いた話で昔はルークさんの家系はマイナソア姓じゃなかったらしくてね。マイナソアって言うのはそれまで密かに受け継がれていた真の名前だったそうだ。それで、ルークさんの何代か前にそれが真の名前ならこれを名乗ればいいじゃんと名乗りだしたものだって」
 何か、その名を名乗れぬ事情を抱えていたのは確からしい。
「そんな話、聞いたことなかったぞ……」
「これは……駆け落ちしてるわ」
「ルークさんはね。フェリシアさんを嫁にもらう時にフェリシアさんの先輩からこのお伽噺を持ち出して弄られたらしいからね。私のお姫様を連れて行かないで、みたいな」
「ああ、ジェシカか」
 グライムスの出した名前には聞き覚えがある。エイダの母親の名前だ。
「吸血鬼をやっつけたって事は……駆け落ちした挙げ句、元々の結婚相手だった王様を手に掛けたって事か……?」
 だとしたらものすごい話になるが。
「その辺はお伽噺になる時に変えられた要素だよ。実際には20人くらいが処刑されて王様は満足し、騒ぎは収まったそうだ。ただ、国家間の関係はちょっと冷えて距離ができ……それとは直接関係の無い理由でその国は滅びることになる」
「え?どんな理由?」
「その国の名前を聞けば解るんじゃないかな。……ベスタネート王国って言うんだけど」
「ああー……王国西部にそんな名前の領土があるなぁ」
 侵略国家真っ最中だったフォーデラスト王国に攻め滅ぼされたようである。
「時代としても100年以上後の話だしね。さすがにその国が滅んだことと君のご先祖は関係ないよ」
 まあ、そうだよな。と思ったのも束の間。
「ちょっと待って。そのマイナソアの子孫が王国のど真ん中にいるってのは気になるわ。案外、フォーデラスト王国をけしかけてそのなんとか王国を滅ぼさせたの、ルスランのご先祖だったりするんじゃないの?そしてその時の功績で取り立てられたとか!」
 アミアがろくでもないことを思いついた。
「ああ、その可能性は考えなかったなぁ。暇があったら調べてみてもいいかなぁ」
 エイモスも否定する材料は持っていないらしい。結論は棚上げになりそうだ。
「ろくでもない結論が出るならこのまま棚上げにしておいて欲しいが、そうでないなら早く結論を出して汚名を払って欲しい……」
「なるようにしかならないわよ。ま、あんただってご先祖様が駆け落ちの上に祖国まで滅ぼしてたら洒落にならないもんねぇ」
 ルスランがアミアに弄られ出したところにちょうどお茶を持ってきた勇者の妻、かつての地の巫女イオタが言った。
「あら、あんたら駆け落ちなの?」
 ものすごい勘違いをされた。
「父親同伴の駆け落ちがあるか」
 娘を駆け落ち中にされかけた父親がかばう。
「無いとは言えないでしょ。娘に望まぬ結婚をさせるくらいなら意中の相手との駆け落ちに手を貸そう、とか」
「その状況なら娘だけ連れて逃げるに決まってるだろ」
「それなら父親抜きのただの駆け落ちになるわね」
「な、なんだと……」
 アミアの言葉にグライムスはショックを受けたようだ。
 それにしても、ルスランの話はどこに行ったのだろうか。

 とにかく、この辺りではお姫様を連れ去ったマイナソアの説話が知られており、そこにマイナソアがお姫様を連れてきたから噂になったわけだ。
 そして、別にこんな話をしにここに来たわけではない。
「グライムスさん、相変わらず渋いわねぇ。歳とともに磨きが掛かってるわ。うちの人なんかすっかり冴えないおじさんになり果てちゃって。まあ冴えないのは元からだし?あたしだって亭主のこと言えた義理じゃあないし?」
 もちろんイオタとこんな話をしに来たわけでもないのだ。……そう言えば。何をしにきたのかまだグライムスから聞いていない。
「大方、地の宝珠の状況確認とか、ムハイミン・アルマリカの情報収集とか、そんな所だよね?ああそれとも、無月闇霧のことかな?」
 横合いからエイモスが中身の濃い合いの手を入れてきた。
「……久々にこの町に来たから所在の判る知り合いのところに顔を出しただけだが。……今名前の挙がった辺りの有益な情報があるなら是非聞かせてくれ。……流石にタダというわけにはいかないかな」
「昔の誼と日頃からネタを生んでくれてる恩でタダでもいいくらいだけど。その心意気やよしってことでそっちも話を聞かせてくれると嬉しいね。アルトールの襲撃事件と奪還戦、今進行中の密命とか、ああそうそう、フォーデラストでのオーガ退治なんてのもあったね」
 どこで聞きつけたやら、ここ最近のグライムスの行動がほぼ筒抜けであった。
「……それだけ知ってて今更俺が話すようなことがあるのか。そもそも、ムハイミン・アルマリカが絡んでることとか、無月闇霧とか、何で知ってる」
 グライムスは呆れ気味に言う。
「そんなの。おたくらがこれから乗ろうとしている魔竜船の行き先を考えればムハイミン・アルマリカが狙っている宝珠、それも火の宝珠の所に行くんだということは察せられるよ。闇霧についてはそのムハイミン・アルマリカに荷担してるという噂があったし。まあ、マイナソア君が持ってきた話なんだけど」
 言われてみれば無月闇霧の名はエイモスに聞いたのだった。
「耳の早いことだ」
 溜息をつくグライムス。
「耳の早さは僕じゃなくて彼の功績だよ」
「あっしが集めた情報をまとめて整理すんのが旦那の得意技ってね」
 背後からの声に振り返ると、いつの間にかゴードンがそこにいた。
「やあ、おはよう。……原稿はもう渡したよね?」
 伝説の勇者が少しビクつきながら言う。
「今週分はね。来週分もいつでも受け取りますぜ。早めに頼みますよ、旦那」
「頑張っていつも通りには渡せる……ようにしたいかな。じゃあ、今日は何の用だい。面白い話でも?」
「旦那が……いやさグライムスの旦那がエイモスの旦那と何の話をするのかと思いましてね」
「……ここに来るまでに行き先を誰かに言った記憶はないんだがな」
 そうグライムスは静かに言った。行き先を口に出して言ったのはルスランを誘った時だけである。
「時の人三人衆が、伝説の勇者の館目指して歩いてるなんてのが噂にならないとでも?そうそう、昨日のインタビューの記事、持ってきましたぜ」
 ゴードンはそう言って新聞を放ってきた。グライムスはさっと回避し、アミアがそれをキャッチする。ここへの道すがら、ルスランが街頭で売られていた新聞を買おうとするとアミアから「どうせ今日も何度かゴードンと出会すし、その時貰えるから買うことないわよ」などと言われていたのだが、早くも言った通りになったのである。
 グライムスの記事は1面にあった……隅の方に小さく。そこでは“生ける伝説帰還す”と言う見出しでグライムスが来たと言うことだけを簡潔に記述しているが、社会面とスポーツ面に特集記事ありだ。そちらが本体だろう。ルスランはアミアにスポーツ面を渡し、自分は先に社会面を読むことにした。
 社会面ではグライムスのこれまでの活躍ぶりについて取り上げていた。一番新しい項目はアルトール開放戦。ルスランも居合わせた戦いである。
 その前がオーガ討伐戦となっていた。一瞬なんだっけこれ、と思ったが、辛うじてそのタイトルだけでピンとくることができた。思えばとことん失礼な話である。その討伐戦とやら、きっかけを作ったのも後始末に関わったのもルスランではないか。そう、ラブラシスからの帰還中にルスランが遭遇したことで討伐されることになり、討伐されたことを祝うオークの祭りを手伝わされたあのオーガのことだった。ジョアンヌに至っては涙まで流した一連の出来事を忘れてしまっては、関わった全ての人に失礼だ。
 他にもミルハブ事変やルグニッチ掃討戦という名前も見受けられる。昨日ゴードンが口にした名前だ。ミルハブ事変はメラドカイン連邦のミルハブで起きた事件で、暴徒により制圧された役所を連邦治安維持部隊と共に奪還したのち、犯人グループの拠点を制圧。ルグニッチ掃討戦は名前の通り、ミルハブにほど近いルグニッチ砦に立てこもっていた連中を一網打尽にした。
 傭兵時代のグライムスはメラドカイン連邦の辺地を中心に活動していたことが窺える。その理由は簡単に推測できる。そこが一番情勢が不安定だったからだ。不安定ならば、傭兵の仕事も増える。
 そして、場所が場所である。先に名前を挙げた二つの出来事も後の調査で黒幕はムハイミン・アルマリカだったことが判明したようだが、それ以外にもその名前が出てくる事件が多い。
 とは言えど、あのオーガ討伐までムハイミン・アルマリカ絡みの出来事にされているのを見た感じ、多少話を盛っていると考えてもいいか。ちなみにオーガ討伐は、ムハイミン・アルマリカにより通行不能となっていたラルカウィ山道の復旧工事の妨げとなっていたオーガだったという、間違ってはいないがかなり無理やりな繋げ方だ。アルトール開放戦もまた、盗賊に占拠されていただけのような気はするがその原因となったのは確かにムハイミン・アルマリカであり、であればもちろんそれを強調して書かれるのである。
 そんな感じで無理やり繋げられたものもいくつかあるだろうが、こうしてみているといかにムハイミン・アルマリカとやらが暗躍しているかが分かる。これまであまり目立たない感じがしていたのは……この記事を見た限りでは多くの悪事をグライムスに潰されてきたからなのかと考えたくなる。
 この社会面の記事も読み甲斐はあったが、やはり先ほどからアミアが楽しそうに読んでいるスポーツ面のほうが面白そうである。ようやく読み終わったようなので交換してもらった。交換してみればしてみたでアミアは「あー、あったなぁ、こんなの。懐かしい」とか「この時はヤバかったなー」とか「あのオッサン、見た目はともかく面白くていい人だったのになぁ」などと当時を振り返っている。楽しそうというよりはしんみりしているようだ。
 思えば記事に書かれた戦いのうち、ある程度はアミア自身も共闘し、もう少し幼い時分のものでも父やその仲間が出陣するのを見送り、無事に帰るのを待ったのだ。彼らとは共に勝利を祈り、勝利を喜んだ事だろう。ルスランにとっては聞いたことのない出来事でも、これらの出来事の羅列はほぼアミアの半生をなぞっているのである。当時の思い出が蘇るはずである。
 一方スポーツ面では昨日のコロシアムでの試合について細かく書かれていた。トップは言うまでもなくグライムスの快進撃である。快進撃すぎて決勝以外は試合内容を子細に記しても三行にも届かない。まとめるには助かる話だが、盛り上げるには苦労させられただろう。
 ルスランのことも結構大きく取り上げられている。事前情報なしのニューフェイスながら準決勝で豪傑豪輝相手に善戦し、期待の新人だったらしいカンナを秒殺したのだ。話題にもなる。この正体不明の闘士が一部のゴシップ紙で話題のリム・ファルデから姫を連れ去り──ゴシップではそういうことになっている──ラブラシスにやってきたマイナソアであるとなればなおさらだ。ルスランとしては、このゴシップの誤解を解く所にもう少し紙面を割いて欲しかった。
 カンナについても記事で触れられている。ルスランにはあっさりとあしらわれたが、大分前からデビューを待ち望まれていた闘士であったことが伺える。昨晩の稽古では試合本番で発揮できなかったポテンシャルを見せてくれたし、期待されるのもわかる。ただどちらかというと、彼女に寄せられていた期待はやや事情が特殊なのだった。
 このラブラシスは魔法立国である。闘技場の闘士も魔法の絡む部門への参加者は多いが純粋な武術者は集まりにくい。その上女性などと言おう物なら。確かに昨日の出場者でもカンナは紅一点だった。そう、カンナは男むさい一般部門に咲き誇る一輪の花、貴重な女子としても絶大なる期待を抱かれているのだ。その貴重な女子を早々にリタイヤさせて出番を奪ったルスランなどは、言うなれば男性の敵になってしまいそうだが。
 鳴り物入りのデビュー戦はそんな感じであっという間に終わり、粋な計らいで実現したエキシビションの親子対決もまた然り。その両方を合わせたところで記事もまた対戦については書くことがない有様だが、記事では翌日のリベンジに燃えていたこと、その意志が語られたのは意気投合したルスランたちとの酒の席であったことを書いて記事のボリュームを水増ししていた。ここから読み取れるように少なくともカンナはルスランに敵意を抱いていない。カンナに期待していた連中もそれはわかってくれるはずだ。そうだろう?
「貴重な女子で注目の子をいきなり飲みに誘っちゃうあたりは普通にファンに敵視される理由になると思うけど?それにその後夜稽古につきあってるんだしさ。それにしても夜のレッスンとか……イケナイ香りがプンプンだわぁー」
 アミアは恐ろしいことを言う。いろいろ間違ってはいるが、強ち間違いでもない。認識を間違えればそういうことにされてしまう。あの夜、間違いなど犯していないのに。
「冗談じゃないぞ、カンナのファンから敵視される!」
「諦めなさいな。あの子と仲良くなったのは事実なんだし」
 こういう嫉妬心による敵意は結構恐ろしい物である。
 そして、誤解を招くような記述といえばもう一つ。
 昨日のもう一人の新人にして英雄グライムスの娘であるアミアについてももちろん記事に書かれている。魔法の絡んだ部門では女性出場者は今更注目されないが、グライムスの娘というその出自と一回戦敗退ながら初戦にしてその日の優勝者であり常連トップランカーのイサーク・サラザール相手に善戦したのは注目に足る材料である。
 しかしそれ以上に注目すべきは試合後にイサークに持ちかけられた再戦の話であろう。ただの再戦ではない。イサークがタッグマッチに出場するのでそこで戦おうと声をかけたのだ。記事ではどうやらイサークとタッグを組むのは予てよりデビューが囁かれていた愛娘ではないかと目している。イサークの娘というのはもちろん大注目のネタであり、言ってしまえばアミアを枕に他の話題で盛り上がっているわけである。
 そして、その親子タッグとアミアが当たるのもおいしいネタだ。となると次に考えねばならないのはアミアは誰と組むのかと言うことである。アミアに声を掛けられた本人であるルスランは当然その答えを知っている。そして、この記事を書いた目の前にいる小男も本人の口からはっきりとその事を聞いているのだが、記事ではふんわりとスルーしているのである。つまり、何も知らない大多数の読者は、アミアとタッグを組む相手をグライムスと勘違いしそうなのである。イサークとグライムスの対戦が実現すると早合点した観衆が、今日のコロシアムには押し寄せるであろう。そこに、ルスランが出てきたらどうなるのだろうか。
 カンナのことも合わせ、とんでもない針のむしろに座らされる羽目になりそうだ……。
「そうそう。コロシアムで聞こうと思ってたんだけど。ゆうべのインタビュー……ちゅうか宴会だけどさ、結構面白かったから座談会ってことにして雑誌に掲載したいんだが、いいかい?」
「俺は別に。あんまり変なことは……言ってたか」
「まあ、あまりにもまずそうなところは割愛とか伏せ字にするからその辺は安心してくれ。アミアがこっそり酒を飲んでたところとか、カンナの年のあたりとかな」
「ううーん。あたし何喋ったっけ。よく覚えてないんだけど」
「聞いてみるかい」
 ゴードンは鞄からペンを取り出す。いや、これはペンではない。昨夜の取材でもさっきからも、ゴードンはずっとこのペンらしきものを手に持っていたが、これで文字を書くことは一度としてなかった。
 さらに鞄からラッパのようなものを取り出すと、ペンのようなものの中から何かを取り出した。水晶の棒のようなもの……いや、これは間違いなく水晶の棒だ。その棒を、ペンのような物からラッパのような物に移し替えたのである。すると、ラッパから声が漏れてきた。夕べの取材をかねた宴会の音声である。ペンとラッパは水晶の棒をメディアとした録音器具と再生器具なのだ。
「あら、なにこれ。どうなってるの、分解していい?」
 アミアは聞こえてくる内容より器具の方に興味津々だ。
「よかねえよ、商売道具だぜ」
「これもゴブリンが作ったのか」
「元はな。こいつはメイドインアズマの改良版だ」
 まあ、その辺は割とどうでもいい。
「さすがラブラシスねぇ、変な魔法道具がいっぱいだわ。……ねえこれさ、あたしらに許可を取るよりまずこの子でしょ」
 この子とはもちろん昨日のメンバーで唯一人ここにいない、アミアにこの子呼ばわりされる謂われなどない年上のお姉さん。一際酔っぱらってクダを巻いているカンナのことである。
「まあな。だから全員揃うコロシアムでまとめて許可を取り付けるつもりだったのさ。でもこうなりゃこの後無月道場に行けば夕方のコロシアムはのんびり観戦できるってもんだ」
 そんなやりとりをしているうちにグライムスとエイモスの話も終わったようだ。グライムスは腰を上げ、ゴードンはテーブルの上に転がしておいた録音器具を回収するといそいそと屋敷を出ていった。

 時間はそろそろ昼時。この屋敷の中にも料理の匂いが漂い始めた。グライムスの後に続いて屋敷を出ようとしたルスランたちだが、その行く手を阻む者があった。エイモスの奥方イオタだ。
「あら、お帰り?予定がないならお昼ご飯食べてってくださいな。いつも多めに作り置きしてるから三人分くらいなら余裕で出せるわ」
 その多めに作り置きした分を予定より速いペースで平らげ、あるいは傷む前に急いで食べて。そんなことを繰り返して今の夫婦の体型ができあがったことが容易に想像できる。まずはこの悪癖を直すべきであろう。ならば差し当たり、今作りすぎている分を片付けてやるのも悪くない。
 しかし。イオタは更に行く手を阻もうとするのだ。声をかけた勢いで雪崩込んだ立ち話はなかなか止まらず、結局エイモスがダイニングに向かってのそのそ歩くのに男二人がついて行くまで、かつての大地の巫女はその足を大地にしっかりと根ざしていたのだった。食事の最中もその口は食べるか喋るかで休まることはなく。アミアも旅の連れが決して饒舌ではない男二人であることでこれまでに蓄積したおしゃべりパワーをここぞとばかり一気に放出してそれに応え。結局、日が傾き出すまでエイモス邸で時を過ごし、コロシアム会場までの時間の潰し方という難題を難なくクリアしたのだった。