ラブラシス魔界編

21.闇夜の燐光

「あのぅ、ちょっといいだろうか。明日はルスラン殿はこちらには出ないと言うことでよろしいか」
 おずおずとカンナが口を挟んできた。思えば、自分へのインタビューが終わってから黙々と酒杯を傾けつつ静かに話を聞いていた。結構な量を飲んでいるのではなかろうか。
「ああ。そういうことでよろしいです」
 少しつられるルスラン。
「なあに?リベンジできなくて残念?」
 アミアはカンナに絡みつきながら問いかける。酒を飲んでいないはずなのに酔っ払いのような行動だ。こっそり酒が注がれていることがバレるではないか。
「滅相もない。ルスラン殿がいないとなれば恐れるべき相手が減るということ。むしろ喜ばしいことだ。明日こそ勝ちたい……このまま負け続けの人生などっ……」
 そういい一気に酒を呷るカンナ。ルスランに勝つという選択肢は無さそうだ。
「まあまあ。これまでに何があったのかは知らないけどさ、まだまだ若いんだからこれからきっといいこ……とあるわよ」
 言ってる途中でカンナが自分より年上であることを思い出すアミア。だが、年上だろうがカンナは十分若い。アミアが言うべきことかは怪しくても間違ったことを言っているわけではない。だから堂々と言うべきだった。淀むことなくだ。
「なぜそこで言い淀むっ……」
 今し方飲み干した杯に酒を注ぎ構えるカンナ。アミアの一瞬の迷いが要らぬ詮索を招いた。回答次第では、この酒を飲み干すつもりのようである。
「いやそのだってほら、年下の分際で言うことじゃないかなって」
 素直に言うアミア。
「年下に気を使われた……。私より大人に見える年下にっ……!」
 カンナは声と手を震わせた。恐らく理由こそ微妙に変わったのだろうが、彼女が酒を呷る運命までは変えることができなかった。
「あああ。これから稽古付けてもらうんでしょ。だめよそんなに飲んじゃ。……ちょっとあんたたち、何とかして」
 その言葉にかぶせるようにゴードンが言う。
「さて、ようやく勝利をあげることができた出場者へのヒーローインタビューだ」
「うむ。何でも聞いてくれ」
「ちょっと。助けなさいよ」
 ルスランが至極真面目な顔で言う。
「余計なことをしてまた飲まれるより、とっととお開きにして酒を下げてもらうのが先決だ」
「経費とはいえおごる身としてもその通りだぜ。酒代が嵩んだら怒られちまう」
 ゴードンと意見が一致した。
「早めに終われば酔い醒ましもできるだろうからな。まあなんだ。下げてもらうよりこっちに注いじまうのが早いな」
 言葉通りにルスランは酒を取り上げ、カンナ以外のコップに注いだ。これで一安心である。そしてアミアにもしれっと酒が回ったことで溜飲は下がったようだ。
「こう言っちゃあなんだが、意外と強かったよなあ、あんた。豪輝師範代を相手にあれだけやるたあねぇ」
「あれだけやったとは言うけど、自分でも何が起こってたかわからないような戦いだったんだぞ。闇雲に剣を出したら当たった、みたいな」
「運に恵まれてたってことな。まあいいんじゃねぇかい、運も実力のうちさ」
「中途半端な運のおかげで豪輝師範代の本気を見せられる羽目になったがな。生きた心地がしなかったぞ」
「師範代の強さは!あんなものではないぞ!」
 突然カンナが吼えた。
「なんかもうヤバそうだな……。じゃあさ、月並みな質問だが、あんたは何のために戦ってるのか……みたいな?」
「じゃあ、月並みな答えだが。生きる為ってことにしておくよ。兵士として給料もらってそれで食ってるんだからな。コロシアムでってことなら、何というか成り行きだよな。アミアが出たいって言うから便乗だ。賞金も出るし。正直少ない手持ちから参加料取られて借金作ったときは追い込まれてたよ。賞金もらって即日完済しておつりまで出たのはまさに僥倖だ。明日のタッグマッチだって、アミアが参加費おごって賞金も山分けだって言うから飛びついたようなものだぞ」
「あんた、金の話ばかりだな」
 ゴードンの言葉にルスランは卓を叩く。
「悪いか!下っ端兵士の給料がどのくらいか知らないだろ。食費と酒代でほとんど消えて、兵舎に風呂があるのと制服類は支給、あとは遊ぶ暇がないのが救いって感じだぞ。出先で盗賊に会ったら、身ぐるみ剥いで小遣い稼ぎするんだぞ。盗賊に感謝の気持ちが涌くのは俺たちくらいだろうよ」
「酒代削ればいいんじゃ……」
 呆れ顔で酒を呷るアミア。
「王国民にとって酒は水だ。水を飲むなと言うのか」
「すまなかった。頼むから落ち着け」
 火に酒を注いだような剣幕のルスランに、ちゃんと水を差すべくゴードンが口を挟んだ。
「コインでも握らせたら落ち着くんじゃないの」
「ナイスだアミア。どれ……これで落ち着いたかい」
 ルスランの手に冷ややかな感触。
「……ああ」
「ここ最近じゃ一番疲れるインタビューだな……。まあいい、いい記事が書けそうだ」
「なんかろくなこと喋ってないような気がするけど。特にこの酔っぱらい二人」
 そう言うアミアもそろそろほろ酔いではないのか。
「記事は今の話で使えそうなネタいくつかと試合のあらましと、あんた等のプロフィールってところさ。三人分ならそれだけで結構な分量になる。そこにグライムスの旦那の分も入るわけだ。そっちでもうちょっとネタが増えたら特集組んでもいいくらいだな」
 ゴードンはこのままグライムスの方に取材に行くそうだ。ルスラン達も宴を切り上げ、カンナの道場に向かった。

 酔っぱらっていて大丈夫なのかと思っていたカンナだが、歩いているうちにだいぶ落ち着いたようである。元々体が小さく少ない酒で酔う上、酔ってテンションが上がり、体格相応に子供のようにはしゃいだことで汗でも酒が抜けたようだ。ああ見えて節度は守って呑んでいたようだし、何と言うか、呑み慣れている感じがする。……見た目からすれば、恐ろしいことだが。
 そして更に。カンナの酔いが一気に醒める出来事が起きる。
 さわさわと街路樹の葉が騒めき、一陣の風が肌を撫でつけた。その感触はすぐに消えたが、ルスランの手にだけは微かな感触が残った。ルスランはその手元に目を向ける。幼い女の子がルスランの手を掴んでいた。金髪金眼に尖った耳。明らかにエルフの子だ。
「ん?なんだ?」
 女の子に問いかけたのか、状況を把握できていないのか。ルスラン自身もどちらか決めかねる、どちらにでも取れるような言葉が口から出る。その言葉で他の二人も女の子の存在に気付いた。
「……パパ」
 真っ直ぐにルスランの目を見てそう言うが。
「……何その子、あんたの子?」
「んなワケ無い。俺にエルフの知り合いはいないし」
 とんでもないことを言い出す女の子に、アミアとルスランはまあまあ冷静に反応した。酒のせいでリアクションが適当になっているだけなのかも知れない。
 女の子は嬉しそうに満面の笑みを浮かべると、ふっと消滅した。
「……いいい今のは。今のはゆゆ幽霊であるか。幽霊であるな。幽霊であろう!?」
 カンナはパニックになった。
「幽霊の知り合いもいないけど」
「でも幽霊って、別に知り合いじゃなくても出るわよ」
「それもそうか。じゃあ、幽霊だな」
「ひぃやああああ!幽霊いいぃっ!」
 猛ダッシュで道場に逃げ帰るカンナだった。この騒ぎのおかげで酔いはすっかり醒めてしまったようだ。

「では。早速稽古に取り掛かることにしよう。何もなかったように!」
 道場につき、部屋の四隅の灯台に火を点すとそうカンナは高らかに宣言した。さっき見たものを全力で無かったことにしようという強い意志を感じる。
 それより。ルスランはこの広い道場にたった四本の蝋燭だけでは暗すぎると思う。そしてルスランは思い出す。こんな時に使えそうなものを持っていることを。一方アミアは道場の中を物珍しげに見回していたが、ある一点で目を止めた。
「あら。これ、あたしがさっき使ってた武器よね」
「ヌンチャクであるな」
「ここにあるっていう事は、これの正しい使い方とかも知ってるんでしょ」
「無論。見たいか」
「見せて見せてー」
 などとやっていると、俄に道場が青白く仄明るい光に包まれた。
「ひぃやっ!?」
「あ、ごめん」
「おぬしの仕業かー!何を、何をしたっ」
 カンナを飛びあがった後に腰を抜かすほどに驚かせたのは、ルスランが荷物から取り出したものだった。かつてゴブリンに売りつけられ、その後たまには使うがなかなか使いきれず、そのせいで時々回収に来るゴブリンがついでに他の物を売りつけてくるので出費が増えて仕方ない、そんな魔法のペンライトである。ついでに売りつけてくる物を一々買うなと言われればそれまでなのだが、ついつい買いたくなってしまうのだ。とは言え実際のところ、本当の被害者は売りつけられる際に居合わせて一緒に買わされる、ルスラン以上に衝動買い気質のジョアンヌなのだが、今はそのことは置いておく。
「ただの灯りだけど……引っ込めた方がいいか?」
「いや、正体が分かれば大丈夫だ。あんなことがあった後にこんな色の光を見せられたからたまげただけだ。私もそこまで腰抜けではないぞ」
 腰は抜けたままだが、カンナは胸を張り言った。大丈夫ならば問題ない。ルスランはペンライトを何本か取り出して所々に配置した。いい感じである。
「魔法の照明器具か……。噂には聞くが、こうして現物を見るのは初めてだ」
 嘆息するカンナ。
「あら。ラブラシスにいてもそんな感じなの?ゴードンの話を聞いた感じだともっとこの手の魔導具って普及してそうだけど」
「この辺りはあまり魔法は……」
「ああ、そういう土地柄なのね」
 元々ラブラシスの郊外、そして栄えたと言っても集まってきたのが戦士達である。魔法と縁遠いのも無理からぬ。
「うむ。それに、道場は夜には閉めてしまうし。家でも月のない夜にはすぐに寝てしまうぞ。蝋燭を点すのはもったいないからな」
 爪に火を点す暮らしぶりが目に浮かぶようである。魔法の道具など高嶺の花だろう。
「なんか悪いことを聞いたわ……。ルスラン、あんたはそんな暮らしを強いられるこの子の収入を潰したのよ」
「明日以降もっと稼げるように、しっかり稽古を付けてやらないとな。今日の分はその授業料だと思ってお互いに頑張ろうじゃないか」
「宜しくお願い致し申す!」
 カンナは素直である。
「うまく逃げたわね……」
 アミアは率直である。
「……俺だって金の無さなら大差ないんだぜ。覚えておくんだな」
「はいはい」
 まあ、その授業料は別に出るようなのだが。……どうやら、ますます気合いを入れないと些か報酬をぼったくり過ぎたことになりそうだ。
「ではまず、これを済ませてしまおう」
 カンナはヌンチャクを構えた。拍手で盛り上げるアミア。
「参るっ!せいっ、はっ、とうっ!」
 カンナの右で左でヌンチャクは滑らかな動きで次々と円を描き、ひゅんひゅんと風切り音を奏で立てた。カンナも目まぐるしい動きでヌンチャクを右に左に持ち替える。そして最後に元の構えに戻った。
「……曲芸?」
 きょとんとした顔で、拍手はしながらアミアは言う。
「いや、武術だ」
「すごい動きねえ……。使う以上は正しい使い方でとは思ったけど、とてもじゃないけど無理っぽい……。折角だから戦うところも見たいんだけど……ルスラン、殴られて貰える?」
「貰えるものか!なぜ貰えると思うのか!」
「言い方が悪かったわ。もちろん防御してもいいわよ」
「それは当然として……剣であんなの防ぎきれないぞ」
「ならばこれを使われよ」
 カンナは壁に掛かっていた短い棒のような物を手に取った。
「トンファーだ」
 カンナはそう言い、トンファーを構えた。長い棒に取り付けられた短い棒を握り込み、長い棒を腕に添わせる。
「それは防具か」
「いや。これも武器だ」
「へえ」
 ルスランはトンファーを受け取り、真似して構えてみた。持ち手の丸い棒、武器ということはこれで攻撃もすると言うこと、であるならば。大体の使い方は察することができた。
「では、軽く行くぞルスラン殿」
「おうよ」
 繰り出される連撃。ルスランは落ち着いて防御する。
「はいはいはいはいはいはいはいっ!」
 慣れてきたと踏んだかさらに苛烈になる攻め手。構え通りの持ち方だけでは防ぎきれなくなってくる。かわし、時にトンファーを捻り出して打ち返す。どうにか防ぎきった。アミアが気楽な拍手を送ってくる。
「くうぅ。もしかしてトンファーの経験があるのか!?」
 カンナは歯噛みした。
「いや、ないけど」
「使いこなしているではないか」
「いや、何となくで」
「何となくで全部避けただと……。昼間のお返しに一発食らわせてやろうと思っていたのに。ならば、全力で行かせてもらうしかあるまいっ」
「えっ。ちょっと待って」
 やはり、しっかりと根には持たれていたようだ。カンナの気合いが凄まじい殺気となってルスランの身を打った。手加減されているうちに一発食らっておけばよかったと後悔するルスラン。
「覚悟っ!はいはいはいはいはいはいはいはいはいはいっ!!」
「待てえっ!いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいや待てってのに」
 倒すための容赦ない打撃が豪雨のように降り注ぐ。カンナの動きが昼間や先ほどと同じく素直な動きなのがせめてもの救いだ。
 暢気に身を守るばかりではどうにもならない。攻撃こそ最大の防御。しかしまたここで痛い目に遭わせてさらに恨みを買うのは得策ではない。ヌンチャクを叩き落とすか絡ませて引き抜いてしまうのがいいだろう。あちらに防御を強いて攻勢を殺ぐこともできるか。
 攻守のバランスの取れたトンファーと違いヌンチャクは防御にはあまり向かない。ルスランの反撃に怯んだカンナの攻勢は一気に落ちた。それでもヌンチャクにはリーチの長さというアドバンテージがある。一歩下がった所から数度打ち込んだ後、カンナは更なる奇手にでた。
 床を転がって一気に距離を詰め、そのままルスランの横を通り抜け背後に回ろうとする。あまつさえそのすれ違いざまに足下まで狙ってくるのだ。ルスランは跳んで回避する。この低い体制からならもっとも高確率で出るのは足下への攻撃だと踏んでの予防策がはまった形だ。カンナは振り向きざまに更なる一撃を繰り出そうとしたが、ルスランの跳躍が前方へだったため距離がありすぎ、体勢を立て直さざるを得ない。
 その立て直しも一瞬だった。腕一本を軸に全身を跳ね上げると次の瞬間には両足を地に付け、そのまま突進してくる。ルスランがカンナから目を離していれば不意打ちになっただろう。すんでのところでその攻撃を防ぐ。そして、その一連の動きをしっかり見ていたからこそルスランの胸中に、一言で言うならば「こいつ、やべえ」的な思いが去来したのである。
 そのエモーションはモーションにも反映される。思わず足が出ていた。腹に蹴りを食らい、カンナは昼間の試合の再現めく後方に吹っ飛んだ。次に去来したエモーションは「あ、やべ」であり、「やっちまった」であった。
 だが、カンナは全く怯んでいなかった。先程のように腕一本で、吹っ飛ばされた勢いさえも利用して体勢を立て直すと、また突っ込んできたのである。
 コロシアムの試合では武器による決定的な一撃を叩き込まねば勝利にならない。これもそのルールなのだろうか。ならば、ヌンチャクを叩き落として終わりなどと甘っちょろいことを言ってはいられないか。しかし、一撃を叩き込むとなるとリーチの差が厄介だ。やはりヌンチャクを叩き落とすのが先決かも知れない。
 とにかく、相手の弱点は防御だ。勝つためには攻めるのみ。カンナの次なる攻撃を叩き返したのを皮切りにその勢いで攻撃を仕掛けた。こちらの攻撃面でのアドバンテージは左右にあることであろう。ヌンチャクも持ち替えることはできるが真ん中が繋がっていることで動きが制限される。片手で防御しつつもう一方で攻撃を仕掛けられるのだ。
 カンナの反応も早い。その防御とほぼ同時の攻撃を後方に跳んで回避する。ルスランは矢継ぎ早に攻撃を仕掛けた。カンナは躱し、防御し、躱す。全てを躱せず防御せざるを得なかったせいで攻撃の手は緩んだ。そこにルスランは更に攻撃を叩き込む。容赦ない攻撃のはずだが、当たらない。それでも、カンナの苦しげな表情は押されていることを示していた。
 それでもカンナは状況をひっくり返さんと攻撃を繰り出してきた。それを両方のトンファーで挟み込むようにして受け止めると、カンナの顔が引き攣った。そして、大慌てでヌンチャクを引き抜く。そうか、今のような形でならあのヌンチャクを奪い取れるのか。次の機会があったら是非ともと思うのだが、当然警戒されて次の機会などない。そもそも、悠長にそんなチャンスを待つよりは攻めるに限るのだ。
 避けきれなかったルスランの攻撃を何度か受け止めた時、疲れと痛みで力が入りにくくなったその手からヌンチャクが叩き落とされ、カンナが無防備になった。この機を逃すまじと攻め立てるルスランの攻撃を悉く躱し、ヌンチャクを拾い上げようと駆け寄るカンナだが、そこで遂に決定的な隙が生まれた。ルスランは最後の一撃を叩き込む。いや、勝負は決したのだ。何も全力で攻撃することは無い。寸止めでも充分だ。いや、寸止めだと勝負がついたことにならないかも知れない、やっぱり軽くでも当てておくべきだ。
 そんな気の迷いのせいで中途半端な攻撃になったが、それでも当たりはした。ルスランの勝ちである。腹を狙ったはずの一撃は、ヌンチャクを拾おうとするカンナの動きや身長差の関係などで見た感じでは胸元を、寸止めか当てるかの狭間の軽い力でふにゃっとやってしまった感じになったが、カンナはそんなことは気にしなかったし、ルスランの手に伝わってきた堅い骨ばった感触では本当に胸に当たったのかどうかは解らない。うやむやである。
「くうぅ。何故勝てぬ!」
 頽れ、這い蹲り、肩を戦慄かせるカンナ。別に勝負ではなかったはずだが、こんなことになってしまった。そんな様子を意にも介さず、アミアは叩き落とされ床に転がっていたヌンチャクを拾いつつ言う。
「んー。使い方はよく解ったけど、やっぱり自力で使おうとしたら相当な練習が必要ね。ま、あたしは魔法で何とかできそうだけど。そうと決まったら練習練習!」
 昼間は空回りして追い打ちになってしまったとは言え悄げたカンナを必死に励まそうとしたアミアも、今回は冷たい。今回はカンナが仕掛けて負けただけという認識なのだ。
「ルスラン殿。私の何がいけないのだろうか。教えてはくれまいか」
 そしてカンナは前向きだった。いや、気持ちだけで相変わらず床に突っ伏しているのだが。
「え?いけないことを教えてほしいって?」
 アミアが気楽に口を挟んできたが黙殺した。
「そうだなぁ。まず……」
「そんなこと言ってないっ」
 カンナは黙殺できていなかった。しかし、そのおかげで無防備で周りも見えぬうつ伏せの体勢から起きあがったのでちょうどいい。気を取り直して。
「やっぱり、ずっと気になってたのは動きが素直で分かり易いところだな。豪輝師範代みたいなトリッキーな動きができればそれだけで全然違うはずだけど」
「むう。できないことはないのだが」
「じゃあ、何でやらない」
「だってぇ。兄弟子たちには全然通じないのであるからして。読まれるし、見切られるし。であるから、手合わせで使うことがあまりないのだ」
 もじもじさせた指を見つめつつ、ちらちらとルスランの顔を窺いつついうカンナ。なんかもう、子供に説教している気分である。そして言い訳されている気分である。相手は年上なのに。
「同じ技を身につけてる兄弟子相手じゃあ読まれたり見切られたりするだろうけど、他の相手になら有効だろう。あ、それとだ。……剣よりヌンチャクで戦った方が強くない?今、本気でヤバいと思ったんだが」
「それはアンタが慣れない武器を使ってたからでしょ」
 横合いからアミアが口を挟む。それを言ってしまうと慣れてもいない武器を使っていた相手に負けたという事実をカンナに再認識させてしまうことになるのだが。なぜこうもカンナの心を抉るようなことをいちいち口にするのか。これはもしや、ルスランの所行によって負わされたカンナの心の傷にアミアも塩を擦り付けることで、ルスランに向く憎悪のいくらかを肩代わりしてくれるつもりなのだろうか。……いや、何も考えてはいるまい。
「それもあるかもしれないが、実際に動きはかなり鋭かったぞ」
 剣の時と比べると、と言い添えようとしたがやめておいた。よく考えたらその剣の時というのがルスランに負けた時とスペシャルエキシビションの2回のみで、どちらも瞬殺されているからである。見たうちに入りはしない。
「鋭い動きが求められる武器であるからな。確かに私の持つ速さを活かせる武器の一つであることは解っているのだ。しかし、私は剣で戦いたい」
 表情を見る限り決意は固そうだ。カンナはその決意に込められた思いを語る。
「だって。剣の方がかっこいいし」
 大した思いではなかった。
「ヌンチャクも結構かっこいいと思うけどなー」
 ヌンチャク練習中のアミアが言う。まあ、アミアはそう思うのだろうし、カンナもそう思っていると言うこと。価値観は人それぞれだ。
 理由はくだらなくても、その意思は尊重すべきである。ルスランはカンナに剣技の手解きをする事になった。

 先程気付いた通り、ルスランはまだカンナの剣技をじっくりと見てはおらず、実力の程を知らない。まずはそこからだ。素振りを見て、打ち込みを受けてみる。ヌンチャクとトンファーで戦った時と比べるとやはり動きが鈍った感はある。しかし、縦横無尽の連撃は先程のヌンチャクでの戦いに通じるものがあり、さっきのでこの動きに慣れておいてよかったと思える。トンファーのように防御しつつ攻撃できないのがもどかしいくらいだ。もどかしいが、そう言えば別に今は攻撃しなくてもいいのだった。
 さらに、豪輝や柳雲が見せたような読みにくい動きも取り入れさせてみた。手合わせでは読まれて無意味になるので使わないとは言え、日頃から練習はしているだけに滑らかな動きだ。
「何だよ、もう結構いい感じじゃないか」
「そうか!?……そうか?」
 嬉しそうに飛び上がった後、首を傾げるカンナ。
「どうした?」
「いやその。そんな気がしないと言うか」
 まあ、確かに。攻撃を当てられてもいないのにいい感じと言われても実感はないだろう。今カンナに必要なものは自分が強いという実感とそれによる自信だ。しかし今からルスランが手を緩めて攻撃を食らってやったところで見え見えであろう。それに、攻撃を食らいたくない。
「アミア。カンナの相手をしてくれないか」
 ルスランは痛い役を女の子に押しつける非道を選んだ。
「無理。近接戦闘のエキスパートの相手が務まる訳ないでしょ」
 提案は呆気なく蹴られた。
「大丈夫だ、ハンデ戦にしてやるから」
 食い下がるルスラン。アミアはヌンチャクの実践練習も兼ねてそのまま。カンナはしっかり防御できるようにトンファーに持ち替えた上で、アミアが時間内にカンナに攻撃を当てることができたらアミアの勝ち、逃げ切ればカンナの勝ち。これならアミアが痛い目に遭うこともない。アミアはそれならいいわと条件を呑んだ。そして、得意の加速魔法による強化も許可された。
「武器はトンファーだが、剣を持って斬りかかるシミュレーションをしながら戦ってくれ」
「相分かった」
「アミアも攻め一辺倒じゃなくて斬りかかられるつもりでやってくれるとありがたい」
「そうね、実戦練習ならそうすべきだし。ああ、それと。いくら練習でも女の子相手にこんな堅い棒を加速までして叩きつけるのは心が痛むわ。思いっきり行けるように、防御魔法を掛けてあげてもいい?」
「そうだな、そうしてやってくれ」
 アミアが使える防御魔法は火属性の炎壁(ファイアーウォール)である。カンナの周囲を朧な円柱状の炎が包み込む。この炎が消えるまでの約2分間が制限時間ということになる。
 なお、この魔法の特徴は攻撃を受けると炎が飛び出し相手を焼くのだ。防御面では特に疫病に対しての効果が高く、流行病の診察にいく医者などに愛用されているとか。虫除けにも有効で、農作業にもおすすめだ。もちろん、夏の夜の逢瀬にも。
「なにがもちろんなんだ……。それより、話を聞くほどに今の状況に向いてない魔法のような気がするんだが。ヌンチャクが燃えるだろ」
「振り回せば消えるわよ。あたしなら最悪レジストもできるし。ちゃんと普通に身も守ってくれるからそっちも心配いらないわ」
 などと言うやりとりもあったりした。そんな心配もカンナが攻撃を食らいさえしなければ杞憂である。始まるとアミアはカンナの動きに翻弄された。後半になってようやくその早さと動きに慣れてきたか多少はついていけるようになったが、結局攻撃を当てることはできなかった。
 暫しの休憩を挟み、二回目。アミアがヌンチャクをそれらしく使えているのもやはり魔法の力のようだ。自分の体は避け、手には吸着する動きをするようになる魔法とのこと。ブーメランを使うときには覚えておきたい魔法だとか。
「ブーメランなんて使うのか」
「使わないわね」
 ならば、なぜそんな魔法を知っているのか。この魔法に限らず、アミアは魔力の無さを補うために魔法がらみの見識は広いのである。そしていかにも無駄そうな知識もこうして意外なところで案外役に立ったりする。
 こうしてアミアの魔法にいろいろ頼った練習だが、さらに使う魔法が増えることになった。二回目を終え、アミアは相変わらず攻撃を躱され。対するカンナは合わせると10回は頭の中で斬りつけたと主張する。ルスランは盛り過ぎだとは思いつつも数回は確かにチャンスがあったと見立てる。この結果からカンナも模擬刀を使いより実践的な練習に移ることになったのだが。
「やはりアミア殿もこの炎の壁の魔法で身を守ることになるのか?」
「ふっふふー、それについては腹案があるのよねー」
 アミアは呪文を唱える。するとカンナの手の中に炎の剣が現れた。
「こ、これは……!よく解らぬが、滅茶苦茶かっこいいっ……!」
 コメントがかっこよくない。
「ま、見ての通りね。魔法の炎の剣。その剣ならあたしは斬られてもダメージはレジストできるわ」
「へえ。魔法使いに魔法は効きにくいってよく聞くけど、それほどなのか」
「大したもんだと思われると困るから種明かしするわね。ルスラン、試しに斬られて貰える?」
「貰えるものか!なぜ貰えると思うのか!」
「問答無用。やっちゃって」
 もちろん、カンナはやる気だ。その鋭い太刀筋を紙一重で躱す。目の前を炎の帯が奔った。
「こら。埒が明かないから避けるな」
 アミアにヌンチャクで尻を叩かれた。
「あ痛。うぎゃああちいいいいい……い?」
 怯んだ隙に首をばっさりと斬られた。熱がルスランの首を絞める。しかし、炎の熱さではない。風呂にはちょっと熱いくらい、我慢して長く触っていれば火傷するかも知れない。その位だ。
「見た目ほど熱くないでしょ?見た目からして派手な分、魔力を食うのよこの魔法。だからあたし程度の魔力で使ってもぬるま湯浴びせられた程度よ」
「いやいや、熱湯くらいには熱かったぞ」
「あらそう?あたしも成長しているのね。ま、怪我するほどじゃないでしょ?」
 それはその通りだった。この上レジストまでできるのならダメージはないだろう。
 炎の壁にの炎の剣。アミア自身には加速とヌンチャクの制御。アミアの魔力がすごい勢いで消費していくことだろう。アミアはそこそこ高価なマナポーションまで用意する覚悟である。多分、その代金はルスランが請求されるのだろうが。
 炎の剣を使っての練習試合が始まった。実際に剣を出してみるとアミアは結構な勢いでタコ殴りにされている。しかし、もう当てたら終わりというようなルールではなくなっているのだ。これだけの魔法を使っているだけに、攻撃が当たったくらいで仕切り直していては時間と魔力がもったいないのである。やれる時にやれるだけやるだけである。
 カンナも剣、それも扱い慣れぬ魔法の剣では防御し辛く、遂に一撃を浴びた。攻撃を受けた腰の辺りで小さな爆発が起きる。
「うぎゃあっ。……な、な、何だ今のは!」
「あ、ほら。炎による反撃って奴よ。その爆発で攻撃を跳ね返してるわけね。別に痛くないでしょ」
「確かに。腰も何ともないな」
 腰は抜けただけで、そんな爆発の見た目と音による精神的な物以外のダメージは無いようである。
 その後、アミアも時折攻撃を当てつつ、その5倍はカンナの攻撃が当たりつつ、特訓は続いた。そろそろアミアがマナポーションに手を出そうかという頃、激しく動き回るカンナの方が燃え尽きかかっていた。
「お、やってるな」
 そこに豪輝とグライムスが戻ってきた。豪輝はカンナの様子を見た後、ルスランに向かって言う。
「どう指導したのかは分からんが、だいぶ動きがよくなっているな。この短い時間で大したものだ」
 手の内の割れている兄弟子たち相手に出すだけ無駄で封印していた動きを取り入れさせただけだが、大分印象が変わったようだ。師範代の姿を見て最後の気力を振り絞ったこともあるだろう。
 後は相手が加速していても近接戦闘の専門家ではないアミアであることや武器もそのアミアが創り出した重さゼロの魔法の剣であることも影響しているとは思う。だが、敢えて言うこともあるまい。特に前者を口に出せば下手すれば袋叩きだ。本人たちと、その父親とに。
「大したことはしていない」
 それだけ言っておいた。謙遜でも何でもなく、本当に大したことはしていない。何せ、時間的には練習を始めていくらも経っていないのだ。
 師範代に上達を認められたことで、カンナは満足した上で燃え尽きたようだ。酒を飲んで喋っていた時間の方が長いが、こんなものだろう。
 そして、報酬だが。経営の苦しい道場故に大した額は出せないし、今日の豪輝の稼ぎも借金の返済に充てて手持ちはすでにいくらもないそうだが。
「成功報酬と言うことで、明日彼女が稼いだ賞金の一割を払うことで話を付けておいた」
 とのことなので、明日の結果次第だ。籤運次第では一回戦からグライムスに当たってしまうこともあり得るが、その時はグライムスがお小遣いをくれるという。なお、稽古相手になっていたアミアにも少しくらいだそうということになったが、アミアはそれならこれでいいわとヌンチャクを示し、それだけでは何だからとトンファーもつけてもらい話が付いたのだった。